上座部仏教による解釈

ゾハールの書を上座部仏教で解釈すると、

 

 

創造の説明は、「天」に言及する前に、Bereshith Bara Aelohim Aith ("In-the-beginning created God the")という 4 つの言葉で始まり、祝福された聖なる方が仕事を行う前にTorahを調べた4 回を意味します。

Torahとは4段階の意識のこと、表層(欲界の人間)、中層(欲界の天人)、深層(色界)、虚空層(無色界)

 

 

 

R.Simeonは、「最初に」ついて語り始めました。

「そして、あなたの口に言葉を入れます。 (Is. LI, 16)とあるように、

昼も夜もトーラーを学ぶことは、人間にとってどれほど大きな義務であろうか!

祝福された聖なる方は、律法(Torah)に没頭する者たちの声に耳を傾け、彼らがトーラーで新たな発見をするたびに、新たな天国が創造されるからです。

 

私たちの教師たちは、トーラの中で何か新しいことを説き明かす瞬間に、その言葉は祝福された聖なる方の前に昇り、聖なつ方はそれを取り上げて接吻し、刻まれた70の文字の冠で言葉を戴くことを教えてくれました。

 

深遠な智慧の分野で新しい思考回路が練られると、それは上昇し、「宇宙の生命であるzaddikザディク」の頭の上に止まり、それから飛び立ち、「古代の日々」に昇るまで7万もの世界を横断します。そして、「古代の日々」の言葉はすべて崇高で隠された神秘を含む智慧の言葉であるため、昇天する際にここで発見されたその隠された智慧の言葉は、「古代の日々」の言葉と結合し、それらの不可欠な一部となり、「神よ、あなたのそばで見た者はいない」(Is.LXIV3)にあるように、18の神秘的世界に入り込みます。

 

zaddik or tzaddik   宇宙の命の根源に遡上する者

1: a righteous and saintly person by Jewish religious standards   

2: the spiritual leader of a modern Hasidic communityハシド派の精神的指導者

 

上座部仏教の「私たちの言動の記録(nāma gotta)」(nāmaby name   gotta[nt.] clanancestry)であり、このnāma gottaだけはエネルギーを持たない。

 

 

 

彼の父親が最初に彼に刻んだアルファベットの文字は、子供が亡くなったときに飛び散っていました。

しかし、エリシャが彼を抱きしめたときに再び彼に72の名前のすべての文字を刻みました。今それらの文字の数は216に達し、それらはすべて刻まれました。それらはすべてエリシャの息によって子供に刻まれ、72の名前の文字の力を通して彼に命の息を吹き込みました。 エリシャは彼をHabakkukと名付けました。これは二重の意味を持つ名前であり、すでに説明したように、その音で二重の抱擁を暗示し、その数値(H.B.K.V.K. 8.2.100.6.100)は216で神聖な名前の文字数になります。言葉によって彼の精神は回復され、文字によって彼の体の部分は再構成されました。それゆえ、その子はHabakkukと名付けられ、彼は言いました。「主よ、私はあなたの報告を聞きました、そして私は恐れています」(Habak. III, 2)、つまり、私に何が起こったのか聞いた. 異世界を味わって私は恐れた。

それから彼は自分自身のために嘆願し始めました。「主よ、あなたが私のために成し遂げてくださった御業」「何年にもわたって」「命あるがままに」と祈ります。

過去のサイクルに縛られている人は、人生に縛られているからです。「長年の途中でそのことを知らせてください」、つまり、生命のない段階であることを。

 

過去のサイクルとは行sankhāraのことで、縛られるとは行sankhāraに操作されて生きていることを意味する。

 

 

 

Rab Hamnunaは次のように話しました。「あなたの肉体を罪に向かわせることを口に許してはならない(Eccl. V, 5)、とは、邪悪な考えを示唆し、聖なる契約が刻印されている神聖な体に罪を犯させる可能性のある言葉を口にしてはならないという人間への警告です。

これを行う人は、Gehinnomに引きずり込まれます。Gehinnomを支配する天使はDumaと呼ばれ、彼の下には何万もの破壊の天使がいます。彼はそのドアに立っていますが、聖なる契約のしるしを注意深く守ってきた人々には、破壊天使たちは触れる力がありません。

 

仏教の第4の戒律 

「偽りを語ることから離れます。」 (Musāvādā veramaī sikkhāpada samādiyāmi.)

第四の戒には、誤ったことを話したり、悪意ある発言、過激な発言、ゴシップなどが含まれる。

仏典においては、第四の戒は第一の戒の次に重要であると考えられている。なぜならば嘘をついている人は恥を知らず、したがって多くの誤りを犯す可能性があるためである。

不誠実さは、他人に害を及ぼすためだけでなく、真理(Sacca)を見つけるという仏教の理想に反するためにも避けられる。

 

 

 

R. Simeonは話を再開した。「そして大空は彼の手仕事を示す」(詩篇 XIX2)とは、花嫁と一緒にいる彼女の契約の管理者である仲間を暗示しています。祝福された聖なる方は一人一人に語り、刻み込みました。ここで言及されている「大空」とは、太陽、月、星、星座であり、記録の本を構成するものです。

nāmagotta  

祝福された聖なる方は彼は彼らの一人一人を天国の宮殿の住人として語り、刻み込み、その欲望は常に達成されます。「日ごとに言葉を発する」(同上 3)とあるように、天国の日々の聖なる日ごとに、仲間の賛美を口にし、彼らであったことの説明を繰り返します。「そして夜から夜へと知識を明らかにする」(同上):つまり、夜に支配する力の間で交換されるすべてのものは、仲間の深い知識を互いに称賛し、献身的な友人になります。

スピーチ、言葉、聞こえる声はありません」(同上. 4)とは、世俗的な会話を指しており、それらは聖なる王は聞いておらず、聞きたいとも思っていません。

聖なる沈黙  ariya mona  

mona[nt] wisdom self-possession silence

5感覚器官からの信号をストップさせることで、第6感覚器官からの信号を感じるようにするため。

そしてそれらの信号が中和されたら、より微細な信号を感じる準備を始めるため。

 

 

 

R. Eleazarは言いました。「確かに、どの戒律においても怖れを忘れてはなりません。とりわけ、怖れを伴うことを要求するこの愛の戒律においては、怖れを忘れてはなりません。これはどのように達成されるのでしょうか?すでに述べたように、愛はある段階で、富、寿命、子供、豊かさ、豊かさなどの恩恵に触発されることがあります。 そのような場合、罪が逆転するのではないかという恐怖に人は悩まされます。

そのような人は「常に怖れる人は幸せである」(箴言XXVIII14)」とあるように、怖れと愛を結びつけます。

したがって、苦しみと刑罰をもたらす「悪影響」((sitra ahra)は、人間に恐怖を呼び起こすため、この世に必要です。

なぜなら、人間は刑罰によって神への真の恐れで満たされ、心をかたくなにすることはないからです。

もしそうするなら、「彼の心をかたくなにする者は悪に陥る」(箴言XXVIII14)、つまり、「悪」と呼ばれるその「悪影響」の手に入るからです。

このように、私たちは両方の段階で完全な愛を持ち、その結果として、真の完全な愛が生まれます。

心を頑なにすることがサンカーラを作成する条件

体と心をこわばらせることで自動反応回路ができあがり、それに操作されてしまうことになる。

神への恐れによって、自分の固定観念にしがみつくことから離れることができるようになる。

 

 

 

「そして川は乾く」と書かれています。 すなわち、vau川は下ので乾き、エンソフから流れ出る(YHVHの)yodの流れを奪います。 しかし、イスラエルが捕われの身から出て行くと、つまり聖なる民になるとすぐに、その干上がった川は「エデンから出て園に水を注ぐ川」になります。

 

 

エン・ソフとは大乗仏教の「空」なのか?  

EN-SOF (lit.無制限)とは、何も仮定できないが、まだ仮定されなければならないもの。

 

アイン(Ain)              0と表記され「無」と訳されている、「原初」

アイン・ソフ(Ain Soph)       00と表記され「無限」と訳されている「原初の点」エン・ソフ

アイン・ソフ・オウル(Ain Soph Aur) 000と表記され「無限光」と訳されている「原初点の光」

cf. Sophとは境界線がないこと、 Aurは光を意味します。

 

誰も想像できない思考の中にあるものは、ましてや、痕跡を見つけることができず、なにをしても思考が到達することのできないエン・ソフを知ることはできません。

しかし、不可解な神秘のただ中から、エン・ソフの最初の降下から、針の先のようなかすかな識別できない光がかすかに光り、思考の隠れた窪みがあります。

そこから光が差し伸べられるまでは、まだそれを知ることはできませんが、そこには文字の痕跡があり、そこからすべてが顕出される場所です。

これは大乗仏教の「空」は、エネルギーはあるがカタチなきものなので、エン・ソフの特徴と類似する。

 

 

 

「ラビ、一言いいですか?原因の原因がセフィラ・ケテルに「私たちは人間を作ろう」と言った、とあなたは述べたのですか?」

ラビは答えた、「あなたは自分の言っていることを理解していません。「原因の原因」と呼ばれるものがありますが、それは私が言及した「すべての原因に勝る原因」ではありません。「すべての原因に勝る原因」は唯一のものであり、何よりも先にあり、パートナーがいないため、相談する同僚もいません。したがって、「今、私は彼であり、エロヒムは私と一緒にいないことを見なさい」と言ったのです。

同僚もパートナーも数さえも持たないため、男性と女性などの結合を意味する「一」があり、「私は彼を1つと呼んでいます(Is. LI, 2)」とあります。  

 

大乗仏教の「空」

 

 

 

 

この杖は、何が許可され、何が禁止されているかを規定する口頭法を象徴しています。 モーセが岩を杖で打ったとき、神は彼から杖を取り返し、その杖で彼を打つために「彼(神)は杖と一緒に彼(モーセ)のところに降りてきた(11 Sam. XXXIII21)」。

「杖」とは邪悪な傾向のことであり、それは蛇のことであり、捕われの身の原因となるものです。

「そしてそこから別れた」から、さらなる教訓を導き出すことができます。

Torahに専念する人は幸せです。なぜなら、神が彼を体から、つまり 4 つの要素から引き離すとき、彼はそれらから離れて上昇して、4つのハヤートの長になるからです。

「そして彼らはあなたをその手で支えるでしょう(Ps. XCI, 12)」とあるように。

サマタ瞑想によるkamalokaからrupalokaへの体験

4つの要素に構成されるものを体と定義するのであれば、それは上座部仏教では欲界に属するものであり、そこから引き離すとは、色界に導いたことを意味している。

 

 

 

R・イサクは言いました、「蛇の言葉は偽りの塊だった。 蛇の最初の発言は「確かに神があなたがたに園のすべての木を食べてはいけないと言われた」は嘘でした。なぜなら、神は「園のすべての木を必ず食べなければならない」と言われたのであり、すべての木は食べることが許されていたからです。

R・ホセは言いました。「上で引用した言葉を参照してみると、神はアダムが世界でまだ一人であることを見て、このようなすべてが必要だったことをなぜ神は禁じたのでしょうか?」

答えは、すべての禁止事項はその(善悪の)木だけに適用されているということです。

なぜなら、それを手に入れる者は誰でも分別を引き起こし、それに執着する下界の群れと結びつくからです。

仏教の五蘊と渇望

修行をしていないヒトと神との違いの1つは、対象の領域である。ヒトは素粒子より大きいものの因果関係を対象にするが、神はそれよりも微細な心(意識)の領域、そしてより微細なエネルギーの領域をも対象にする。

その結果、神はこの世にある3段階の領域に拡がる因果関係がわかって善悪を判断することができる。

対して、ヒトは中層と深層の因果関係を把握できないのに、表層の因果関係を使って善悪を判断しているので、そこには多くの誤謬が生じ続けている。

つまり分別できるスキルがないのに善悪の判断をして暮らしているのである。

具体的には、ヒトの認知とは、心の領域で6感覚器官からの信号に近・遠・中立のどれかのタグを付加することから起こる。次にそのタグの付いた信号を類似したもので一括にまとめる。これが概念化と呼ばれるもの。

そしてこれらを使って自動反応回路を作り上げる。すなわち、新たに入ってくる信号を概念として捉えて、学習した近遠のタグに基づいて割り振りして、善悪と結びつけて出力する回路である。

その後はこの回路を使ってものごとを認識して判断するので、TPOに対応して変化し続けいているエネルギーや心の領域は考慮に入れずに、表層の因果関係だけで、判断をすることに躊躇しないという癖を身に着けてしまった。

本来は保留することでも、善悪の判断をくださなくては落ち着かない生き物に化してしまったのである。

 

執着の原因は6感覚器官からの信号に近・遠・中立のどれかのタグを付加することから起こる。

それは、ある特定のTPOに限定された自分の身に起きた事象に対する近遠のタグを基準にしてしまったからである。

これが渇望を起こし続ける根拠となる。

 

 

 

 

そして主は言われた、わたしの霊は永遠に人間と争うことはない、なぜなら彼は肉でもあるからである。

R・アハは言いました「当時、絶え間なく流れる小川は生命の木から天の霊を引き出し、死を宿す木に注ぎ込んだので、その霊は長い間人間の体内に残り続けました。そしてその霊は、人間が悪くなり、罪を犯すまで、長い間にわたって人間の体内に残り続けました。そして、魂が人の子らの中に入る瞬間に、天の霊はその木から去りました。  

 

霊と魂の定義と関係と上座部仏教との比較

魂を5段階に区別する解釈があります。

この文脈での魂とは肉体の原子よりも微細なもので構成されている集合体という意味になります。

 

 

 

 

 

S

1

Nefesh

 

tzelem,

tzelem Elokim.

 

Asiya,

物質エネルギー界

人間の肉体と魂をつなぐ霊的な型

人が生まれたとき、神の最大の隠蔽を表す最も低い世界

息吹、ギリシャ語のpsyche、ゴーレムの生命力

感覚のサンカーラ

10

2

Ruach

demut Elokim

 神のイメージ

 

 

Yetzira.

感覚エネルギー界

感情

心の労苦   

低いレベルで心を尽くして神を愛する

感情のサンカーラ

 

4

9

3

Neshama

 

Beriya

表層意識の思考

 

大いなる努力による啓示

理性    

思考のサンカーラ

3

4

Chaya 

 

Atzilut

大いなる浄化による可能性がある

2

5

yechida

 

Adam Kadmon

無限の存在であるアイン・ソフから発した魂

1

 

 

人間が罪を犯すまで、長い間にわたって人間の体内に残り続けた霊とは4と5番目のchayayechida

魂が人の子らの中に入る瞬間という魂は、3番目のNeshamaを指している、と推察できる。

 

これを上座部仏教と比較すると、

仏教用語 

ゾハール

上座部仏教

サーンキヤ

サーンキヤ

唯識

 

涅槃

出世間界

パラアートマンparamtman

ブラフマン

 

 

 

変化のない唯一の実体   

プルシャpurua

真我意識 自己

atman

 

観照するだけ

yechida

 

超感性的な根本物質

無色界

プラクリティ

prakti

原質、自性

根本意識

自性エネルギー

Chaya

 

知る機能 

citta

色界

buddhi

mahat

覚、分別意識

citta

知る根源状態

阿頼耶識

Neshama

 

感覚器官と心による認識

自我意識hadaya 

欲界

Ahakāra

枠組意識

我執

主観

自我、 認識

末那識

Ruach

 

表層意識 欲界

manōmanāyatanam

manas共通意識

近遠意識

意識

Nefesh

 

感覚意識 欲界

viññāna

タマントーラ

Tanmātra

五唯(五境)

五大

前意識

 

 

 

 

Jñānendriya

Karmendriya

五感覚器官

五行為器官十根

眼耳鼻舌身

手足性泄発声

 

 

 

 

イスラエルが青い光を燃やして白い光につながっており、下からの光を考慮しないときがdalethですが、彼らが白い光にしがみつく衝動を下からの光に与えるときがです。 男性原理と女性原理が一緒に見られない場合、根源に遡上する意識は排除されており、ダレスだけが残されています(したがって、申命記2215節では、na'arahの代わりのna'arは「乙女」の意味で使用されています。なぜなら、乙女は男性と一体化していないからです。)

DALETHはヘブライ語のα-bet4番目の文字で、直訳すると貧乏、もしくは欠けているものを意味し、シェキナ(はじめの3等級)のない地を象徴しています。

 

しかし、鎖が完成すると、青い光は白い光に固く結ばれ、イスラエルはそれと繋がり、破壊されることなくその光を涵養します。これが犠牲の秘密です

上昇する煙は青い光を点火すると、それが白色光に結合し[51b]、ろうそく全体が完全に点火されます。 この青い光はその下にあるものすべてを破壊し焼き尽くす性質があるため、犠牲が喜ばれ、ろうそくに完全に火が灯ると、エリヤの場合のように「主の火が下って全焼のいけにえを焼き尽くす(列王記上1838節」)ことが起こります。

これは連鎖が完了したことの現れであり、青い光は白色光に繋がり、青い光の下にある全焼のいけにえの脂肪と肉を消費します。

というのは、上昇して白色光につながるとき以外は、下にあるものを消費しないからです。

 

そうすれば、すべての世界に平和が生じ、全体が一体化を形成します。 青い光がその下にあるものをすべて焼き尽くすと、祭司、レビ人、平信徒がその足元に集まり、唱え、瞑想し、祈りを捧げます。その上でランプが燃え上がり、光が一つに溶け、世界が輝き、上にいるものも下にいるものも祝福されます。 それゆえに、「あなたがたは、あなたの神、主にすがりながらも、今日も生きている」ということになるのです。 ここでのathem(あなた)」という単語の前にはvau(そして)という文字が付いており、炎に固執する脂肪や肉は炎によって破壊されるが、あなたは炎に固執してまだ生きていることを示しています。

白い光=深層意識=上座部仏教のおける9段階の心の1から7段階=私たちの神

青い光=表層意識=上座部仏教のおける9段階の心の8と9段階=あなたの神

脂肪や肉=肉体

 

上座部仏教の9段階のcitta(心)

 上座部仏教

 内容

 説明

サーンキヤ派

意識

 

 

 

 

 

citta

知る機能

機能だけを持つ白いキャンバス

prakrit

根本空

根本意識

真空意識

manō

全体像を把握

全体性機能 智慧paññā

chitta心素

全体性意識

mānasam

 

分割して「知る」根源状態

阿羅漢はこの段階までしか認識せず後のプロセスを続けない

buddhi

理智

分別意識

hadaya

我との関係性認識

私の・・・

私という枠組みの内と外

saññāの生成と執着が始まる

ahakāra

我執

枠組意識

paṇḍara

エネルギー増大

bhūtaレベルの微細要素を認識

執着に多くのエネルギーを割当てる

jñānendriya

微細知覚器官

直観意識

manōmanāyatanam

±のタグが付加

対象に受容的or反発的or中立な心

manas意思

近遠意識

 mānaindriyam

 意識エネルギー

対象に対する執着の力を強化する

迷わぬために作られた動機

karmendriya

微細運動器官

運動意識

viññāna

分割された智慧

日常の認識

智慧が除去された部分的認識と統合

世俗的な欲求・渇望

jīva

個我

統合意識

viññākkhandō

思考、記憶、空想

愛着を強め、現状を評価し、将来への新しい希望と計画のパターン認識

tanmātrā

微細元素

回路意識

 

上座部仏教の論蔵にある9段階のcittaの変化プロセスも宇宙コスモロジーに対応して説明できるとおもいます。

cittamanōmānasamhadayapaṇḍaramanōmanāyatanammānaindriyamviññānaviññākkhandō

 

9段階の心

原語の意味

内容

具体例

citta

 

 

知る基盤の白いキャンバス

知る、という意識はあるが対象物がない

manō

 

 

全体性で対象を把握する機能

具体的な心所cetāsika

歩いてきた人を認識

mānasam

māna+sā+a

 

分割してその差を認識する

アラハンはこの先の認識を持たない

母親であることを認識

hadaya

 

メンタル体の心

「私」という枠組みの内と外が生じる

attāを持つ時空が増加し、執着が始まる

わたしの母親なので、懐いが募る

paṇḍara

 

白色

エネルギーが増して主体をもつようになる

私は母親のことを喜ばせようとする

manōmanāyatanam

mana+āyatana

心の階層領域領域、範囲

心が対象を探し求める意識

 sphere; region; position

母親の好きな食事を考える

mānaindriyam

 

心の器官

脳を使って対象を把握する

物理的脳の補助、関与

すき焼きをご馳走しようとする。

 

viññāna

 

分割された知識

vi-分,離,異

表層意識

5感覚器官からの信号を基準にする

角の肉屋が休みであることがわかる

viññākkhandō

 

分別知の集合体

表層意識によって生成された過去の記憶や未来の想像

1日では解体しないサンカーラ

スーパーはいつも開いていることを想い出す

 

 

 

 

 

 

 

 

R・ユダは次のように述べています。「私たちが言及した、非常に多くのさまざまな形をとる懲罰的な霊はすべて、主の戒めを故意に破る罪人から生じるので、そのような行為をこの世で監禁する任務を各自は負っています。」

その理由は人が罪を犯すと、多くの悪霊や罰の使者が自分の方に引き寄せられ、その前で恐怖にうずくまるからです。 ソロモンは奥義の智慧に精通しており、神は彼の頭に王冠をかぶせ、全世界は彼を恐れました。 しかし、彼が罪を犯したとき、彼は多くの悪霊や懲罰的な霊を自分の方に引き寄せて彼らを非常に恐れてしまったので、彼らはソロモンを虐め、彼の(貴重な)所有物を奪うことができました。

実のところ、人は自分の行動によって、自分の歩む道に応じて善か悪かを問わず、常に他の世界からの使者を引き寄せているのです。  

そのようにアダムは、自分とその後の全人類を汚す使者を自分のもとに引き寄せました。 これは、彼自身だけではなく、世界を汚す邪悪な蛇でした。 私たちの賢者たちは、「死体に触れる人(Num. XIX, 11)」と書かれているように、人から魂を抜き取ると汚れた体が残り、家全体が汚れ、それに触れる者全員が汚れてしまう、と教えています。

サンカーラのアプリを作成していることのユダヤ教的もしくはカバラ的説明

他の世界とは上座部仏教のいう色界と無色界のことで、使者とは行sankhāraを指している。

つまり自分の言動のすべてが本人が意識していないにもかかわらず、行sankhāraという自動反応回路を作成していることを認識することである。

この自動反応回路(アプリケーション)はインプットに決まったアウトプットを出力するので、これに操作されて暮らすことになる。

この自動反応回路には善悪の倫理観には依らないので、両方の回路がある。

 

 

 

神はまた、アダムが死ぬことを命じました。 しかし、神は彼を憐れんで、彼が死んだときにエデンの園の近くに埋葬することを許可しました。

埋葬とは輪廻転生する魂ではなく、肉体の復活の可能性につながる思想になる?

土葬という儀式は、肉体復活resurrectionという(死者の)よみがえりに繋がる。.

語源は教会ラテン語resurrectiR (resurgere浮き上がる+-iRn -ION) による。

上座部仏教では魂の輪廻転生を前提にしているので、この肉体復活を魂の輪廻として解釈する。

また、キリストの復活the Resurrection(最後の審判の日の万人の復活)は、上座部仏教では宇宙は400億年の周期で生滅を繰り返すので、生成期における魂の具象化を意味していると解釈する。

 

 

 

ネフィリムは地にいました、とは、 R. ホセは、伝統に従って、これらはウザとアザエルであり、すでに述べたように、神がかれらの天界の神聖さを剥奪したと述べています。

なぜ彼らはこの世界に存在できるのかと疑問に思われるかもしれません。

 R. ヒヤは、彼らは「地を飛ぶ鳥たち(創世記 120)」と言及されている霊たちのある種類に属しており、彼らは実際にあらゆる種類の形に変身します。彼らは天から降りてくると、空気のように具体的になり、たとえば人間の形をとることもあります。

パーリ経典の欲界の天人

このネフィリムは上座部仏教では欲界の天人に相当しているように推察されます。

色界の生命体がbhūtaというより微細なもので構成されているのに対して、欲界の生命体にはbhūtaの集合体であるで構成されている生命体がいます。

dhātu界には粗いdhātuと細かいdhātuで構成されている2種類の生命体がおり、細かいほうを天人、粗いほうが人間や動物などです。

 

 

 

これらはウザとアザエルです。彼らは天で反逆し、神によって打ち落とされ、地上で肉体を持ち、地上の姿を脱ぐことができずにそこに留まりました。 その後、彼らは女性を追って迷い込み、今日に至るまで存在し、人間に魔法の技術を教えています。 他のところで説明されているように、ネフィリム自身は「神の子」と呼ばれる一方で、彼らは彼らがアナキム(巨人)と呼ばれる子供たちを生みました。

 

NESHAMAH(魂)生命の木から発せられる、人間の最高の霊的な魂。

GAN-EDEN(直訳、喜びの園)。肉体と結合する前と、肉体を離れた後の魂の住処。

 

魂が生まれるのは太陽や地球ができあがる以前

 

1日目に神が「光あれ」と言う前に神の霊があった。第2

地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

Now the earth was unformed and void, and darkness was upon the face of the deep; and the spirit of God hovered over the face of the waters.

 

 

2日目に神は神の霊から魂を分離させた。 第6節、第7

神はまた言われた、「水の間に空があって、水と水とを分けよ」。

And God said: 'Let there be a firmament in the midst of the waters, and let it divide the waters from the waters.'

 

4日目に神は星を創った。  16

神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。  

And God made the two great lights: the greater light to rule the day, and the lesser light to rule the night; and the stars.

 

5日目に神は天の空にとぶものを創造した   20

神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天の空を飛べ」。

And God said: 'Let the waters swarm with swarms of living creatures, and let fowl fly above the earth in the open firmament of heaven.'

 

 

カバラでは以下のように、魂を5段階に分けて解釈することがあります。

1日目の神の霊とは、5段階ある魂の一番初期にあるyechidaで世界が4層に分かれる以前のAdam Kadmonに存在するもので、限の存在であるアイン・ソフから発したもの、だと推察する。

 

2日目の「水を上と下に分ける」は、神の霊から魂を分離させたと解釈すると仮説します。

この魂はChayaと呼ばれ、深層エネルギー界に属するものだと仮説します。

 

4日目に神は星を創った、すなわち太陽とその惑星である月や地球ができたことを示していると解釈します。

 

5日目に神が「鳥は天の空を飛べ」と創造したものをウザやアザエルなどの「神の子」であると仮説します。

 

 

 

 

 

 

S

1

Nefesh

 

tzelem,

tzelem Elokim.

 

Asiya,

物質エネルギー界

人間の肉体と魂をつなぐ霊的な型

人が生まれたとき、神の最大の隠蔽を表す最も低い世界

息吹、ギリシャ語のpsyche、ゴーレムの生命力

感覚のサンカーラ

10

2

Ruach

demut Elokim

 神のイメージ

 

 

Yetzira.

感覚エネルギー界

感情

心の労苦   

低いレベルで心を尽くして神を愛する

感情のサンカーラ

 

4

9

3

Neshama

 

Beriya

表層意識の思考エネルギー界

 

大いなる努力による啓示

理性    

思考のサンカーラ

3

4

Chaya 

 

Atzilut

大いなる浄化による可能性がある

2

5

yechida

 

Adam Kadmon

無限の存在であるアイン・ソフから発した魂

1

 

 

こられを上座部仏教の概念で理解すると、

Adam Kadmon 界のyechida          とは無色界の生命体

Atzilut界の Chaya       とは色界の生命体

天の空をとぶ鳥         とは欲界の天人

に相応します。