天地創造の前
エネルギー0はこの宇宙に存在するのか?
天地創造の前には何があったのでしょうか?
「あなたの視線を高く上げて見てください、誰がこれらを創造したのですか(Is. XL、26)」、
そこは探求の限界、つまり、「創造以前」を創造したモノを問うことが、質問のループ、すなわち、ヒトの思考の限界になります。
「ゾハールの書」では3段階の状況が天地創造より以前にあったとしています。
それらは
アイン(Ain) 0と表記され「無」と訳されている、「原初」
アイン・ソフ(Ain Soph) 00と表記され「無限」と訳されている「原初の点」
アイン・ソフ・オウル(Ain Soph Aur) 000と表記され「無限光」と訳されている「原初点の光」
cf. Sophとは境界線がないこと、 Aurは光を意味します。
という段階があり、
アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・オウルが生じ、アイン・ソフ・オウルから第1等級のケテルが流出していると、とします。
これはあらゆる創造より以前に、この宇宙には「遍く無限の光が溢れ続けている」ことを前提にし、その後の創造という展開があることを意味しています。
しかし、理解は叡智によって完成され、また叡智は探求できないアイン(原初)から生じて完成されたため、創造以前のことは理解できない叡智、そして叡智の意識さえも届かない領域になります。
このように、「光」の最上等級はまったくの原初(Ain)に由来し、最下等級は以下の章で述べる、人間の意識的な魂(neshamah)に対応しています。
この魂とは潜在意識なのか、体験したことのデータなのか、霊なのか、生命なのか、エネルギーはあるのか、死後の世界との関係があるのか、については別の章で探求していきます。
創造力自体は「思考」または「意識」として考えられ、「思考」は創造の過程で「光」すなわち「輝き」になります。
はじめの時bereshith
聖書には、天地創造以前については書かれていないのでしょうか?
1はじめに神は天と地とを創造された時に、
In the beginning God
created the heaven and the earth.
א בְּרֵאשִׁית, בָּרָא אֱלֹהִים, אֵת הַשָּׁמַיִם, וְאֵת הָאָרֶץ.
B'rëshiyt Bärä élohiym ët haSHämayim w'ët hääretz
聖書は「bereshithはじめに」から始まります。
英訳ではIn the beginning「始まりの中で」と内側の時空が提示されています。
これはヘブライ語のBERESHITHの翻訳ですが、何を意味するのでしょうか?
それは「叡智とともに」という意味であり、この世界の基礎となる叡智であり、これを通じて、深遠な根源の謎を私たちに紹介します。
この6文字B,E,R,E,SHI,THには驚くような多層の解釈と伝統的な言い伝えがあります。
bereshithは「はじめに」ではなく、「そのはじめの時」?
6つの創造
4層の展開
隠されたアブラハム 語句転綴(アナグラム)
2つの開始
2つの結合
内に潜在するもの
奥儀 6日間の創造 創造するエロヒム
bereshithは「はじめに」ではなく、「そのはじめの時」?
聖書の中にbereshithが使われたのは5個所です。Biblehub.com ベレシートの解釈 参照
創世記1:1
エレミヤ26:1
エレミヤ27:1
エレミヤ28:1
エレミヤ49:34
エレミヤ26:1 新改訳
ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世の初めに、主から次のようなことばがあった。
エレミヤ27:1 新改訳
ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世の初めに、主からエレミヤに次のようなことばがあった。
エレミヤ28:1 新改訳
その同じ年、すなわち、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の第五の月に、ギブオンの出の預言者、アズルの子ハナヌヤが、主の宮で、祭司たちとすべての民の前で、私に語って言った。
エレミヤ49:34 新改訳
ユダの王ゼデキヤの治世の初めに、エラムについて預言者エレミヤにあった主のことば。
bereshith『〜した時、〜した当初』という意味で使われてることが分かります。
同様に、創世記1:1は『初めに神が・・・創造した』と解釈するのではなく、『神が天地創造をした時に』という解釈になります。
また最初のAから最後のBまで、はヘブライ語ではすべてを表すときの常套句です。
『年の初めから年の終わりまで 申命記11:12』⇒『一年中、毎日』という意味
『わたしは初めであり、わたしは終わりである イザヤ44:6』⇒『万物を支配している』という意味
いずれも『全て』という意味を表しています。
ですから、『天と地を創造した』とは、『天と地、二つのパーツを創った』という意味ではなく、『天地万物を創造した』という意味です。
英語ではIn the beginning
と訳され、 「〜のはじめの時に」
70人訳ではεν αρχή εποίησεν ο θεός τον
ουρανόν και την γην
神が天地のすべてを創造した時、となります。
6つの創造
Torahの最初の語句である bereshith (最初に) は 6 つの文字で構成され、最初の節の残りの部分である「神は天と地を創造された」は6 つの単語で構成されています。
私たちのテキストの 6 つの節は 6 つの文字に対応し、名前の 6 つの言及は 6 つの単語に対応しています。
ヘブライ語は母音をつけないで表記するので、B,E,R,E,SHI,THは「はじめにBeReSHITH」だけではなく、「彼は 6 を創造したBaRe-SHITH」とも解釈できます。
6 とは前後左右上下の方向、つまり存在の全体が発せられることを意味します。
ですから、bereshith (はじめに)とは大海に流れ込む6つの川の水源の象徴となります。
エデンの4本の川に比べて、6本の川なのは、原初(無)への上方向と地球への下方向が加わわっているためではないか?
これは暴露語 (shith) と隠蔽語 (bara) で構成されてbereshith になる単語で示されています。Baraは常に謎の言葉であり、閉じていて開いていません。
baraは神秘の言葉であり、鍵がなくてもロックされており、世界がbaraという用語の内に閉じ込められている限り、世界は存在する状態ではありませんでした. 全体にTohu(混沌)が漂い、Tohuが支配している限り、世界はありません、すなわち存在しませんでした。
「ゾハールの書」でR・イサクは述べます。
「これは主の栄光に似た姿であった(Ezek.
I, 28)」とは、bereshithがあらゆる形態が包含される広範囲のものであることを意味しています。
つまり、他の6つが識別できる外観です。 したがって、bereshithという単語をbara shith(創造された6)に分析できます。6 つの色がこの外観に入ると、それ自体がそれらを反映し、それらを通して世界を維持する準備が整います。
しかし、この功績はこの等級の1つのレベルだけではなく、6 つ全部の等級に帰せられるべきです。」
R. ホセは「花が地上に現れ、歌う時が来て、亀の声が私たちの土地に聞こえる(S. S. II、12)」を引用しました。 「花」は6つの等級を、「地上に現れる」は、いわゆる等級が反映された形であることを意味します。
「歌う時が来た」とは、つまり、賞賛と賛美です。
R.アバは述べています。「最上層の世界は、そのすべての属性も同様に謎に包まれています。なぜなら、それは他のすべての日とは別の日を形成するからです。
それが創造しているとき、他の6つを生み出しました。
人の認識では理解できないため、聖書では「6つを創造した」を意味するbereshithという言葉で始まりますが、何が創造されたかについては触れていません。
しかし、下界の創造に関しては、今やヒトの表層意識による発見が可能になった創造主に名前を与え、「エロヒムが天と地を創造した」と記述されます。
このように、より高いものである前者は謎に包まれたままですが、より低いものは明らかにされるので、祝福された聖なる方の働きは常に隠され、また明らかにされるべきです。
同様に、聖なる名前も、内輪の教義においては、隠されることもあれば、開示されることもあります。」と。
アナグラム(語句転綴)
BeHiBaRe Am とは BeABeRaHaM(Abrahamによる)のアナグラム(語句転綴)であり、これまで bara という語句に封印されて非生産的だったものが、文字の転置によって役立つようになったことを意味し、「実りの柱」が出現しました。
「柱COLUMN.」とは霊と魂と心が結合したことでできがあるリンクの結合を意味します。
BaRaは、世界を支える聖なる土台であるAiBeR(器官)へと変貌を遂げました。また、同様にAiBraHaMにはBaRaの転身であるAiBeRが含まれているため、最奥に隠されており、至高の名を冠しています。
これはMI BaRA AiLeHを暗示しています。もう一つの神聖な名前である MaH
を追加し、BaRA が AiBeR に転換します。 片面がAiLeH、もう片面はAiBeRです。
(MI の) Yod を AiLeH に追加し、Hé (MaH の所有格)を AiBeR に追加します。
ここで、MI と MaH の両方にあるMimがそれぞれの末尾に結合すると、神聖な名前であるAeLoHIM と ABRaHaM の名前が完成します。
別の見解によると、祝福された聖なる方はMIを得て、それをAiLeHに結合したため、形作られたAeLoHiMになりました。
同様に、祝福された聖なる方が MaH を得て、それを AiBeR に結合し、形のある ABRaHaMになりました。
このようにして、祝福された聖なる方は世界を展開させ、これまでにない名前を完成させました。
「はじめに」の中にすでにアブラハムがある理由
アブラム(אַבְרָם、Abram)が神と約束するまでは、宇宙は物理法則と生物(生命体)の心理法則の因果関係による展開が実行されていただけでした。
現在につながる物質と生物の創造は、天と地の BeHiBaReaM (それらが創造されたとき) からの展開です。
しかし、ここには欠けているものがあります。
それは非創造物と創造の主体との分離でした。
すべてのものが「はじめに」すなわち天地創造以前にあるにも関わらずです。
ところが、アブラムが自分たち人間が神の似姿によって創造されたことを認識し、神の霊が心(深層意識と表層意識)、そして自分の体になっていったプロセスであることを自覚して生きていくことが「はじめに」の存在理由だということがわかります。
そしてこの事実に沿って生きるとは、アブラム(אַבְרָם、Abram)が神と契約を交わすことで、物理と心理だけではなく、叡智(霊魂)の因果関係により、この宇宙が存在していることを自覚したということは、ABRaHaMに名前が変わることに象徴されています。
bereshithという言葉にはbrith(契約)という言葉が含まれていて、この契約は次の聖句で言及されています。「昼と夜との私の契約がなければ、私は天と地の儀式を定めなかった(Jer. XXXIII、25)」。
これは、Abrahamの名前が完成されるまで、すべての被創造物の精神性は停止状態にありました。つまり微生物から虫、そして哺乳類の人間にいたるまで、プログラミングされたとおりにしか動かないロボットであったということです。
しかし、虫と同じような意識であった生物から、自分と他者の根源を認識することができる「義人」の意識を自らの中に見つけということです。
したがって、自分の存在の理由に目覚め、その役割を担い、5感覚器官にこだわらず、より微細なものを感じることができるように自分を鍛え、宇宙の法則に寄り添い、自他を苦しみに導くものを解体して、柔らかな状態を保つようになりました。
神の霊魂が意識に転換したという事実の確認、そしてその自覚と決意の表明が約束の意味です。
これが宇宙が創造する以前にあったことが、この現在が存在する理由だということを表しています。
ポイントは宇宙のすべての存在との相互性は天地創造(神が地と天を造られた日)以前の「はじめに」の状態にすでにあった、ということです。
言葉を換えるとアブラハムの誕生が天地創造以前に約束されていた、ということになり、タイムマシーンを使うかのような時間が逆行しているように感じるかもしれませんが。
しかしこの矛盾は、宇宙との一体性を自覚する人間に読まれれることを前提にして、神と人間との関係性を表しているため、と考えると、また別の視点を得ることができます。
宇宙の創造が私たちと関わるには2つのレベルがあります。
1つは物理のレベルで宇宙の変化を捉えることで、そこには客観的に観察し、それを認識するという精神のレベルしかなく、時間は始まりから終わりに向かっていの直線であり一方的なものです。
もう1つは意識のレベルで宇宙の変化を捉えることで、そのためには素粒子より微細な「心」を認識する必要があるので、意識のレベルを上げる練習が必要となります。
するとこの領域では、時間は螺旋状に相互的なものとして認識されます。
それがTorahの研究であり、瞑想であり、義人になることです。
言葉を換えると、このアブラハムが、宇宙の存在の意義に近づくことを神と約束することのために、天地創造がはじまった、と意識レベルでは解釈できることになります。
このように、「光」の最上等級はまったくの原初(Ain)に由来し、最下等級は以下の章で述べる、人間の意識的な魂(neshamah)に対応しています。
これを、Abrahamの名前が完成するとすぐに、それとともに聖なる名前が完成した、とアブラハム教では考えます。
4層の展開
これが「これらは、天と地の BeHiBaReaM (それらが創造されたとき) の世代 (つまり、展開) です」という節が意味することです。
つまり、Abrahamの名前が創造されるまで、すべての創造物は停止状態にあり、Abrahamの名前が完成するとすぐに、それとともに聖なる名前が完成しました。それが「主なる神が地と天を造られた日」です。
意識を原初に遡上させることによって、意識を持つ生命体はこの宇宙と神との関係をはじめて認識できるのであり、アブラハム以前はその関係を認識することができなかったので、そのような生命体にとっては創造を理解することができず、それらの意識体にとっては創造は存在しなかった、ことを意味する。
見ること、宣言すること、確立すること、調べることは、祝福された聖なる方が創造の働きに入る前に経験した 4 つの操作です。
したがって、創造の説明は、「天と地」に言及する前に、Bereshith Bara Aelohim Aith ("In-the-beginning created God
the")という 4 つの言葉で始まり、祝福された聖なる方が仕事を行う前にTorahを調べた4 回を意味します。
私見では、この4回とはTorahの解釈の段階が、意識の表層、中層、深層、虚空層によって、より深まる認識の過程を意味しています。
これは物理レベル、意識レベル、魂レベル、神レベルでの視点でこの世界を理解するということです。
この4段階はカバラの定義する4つの宇宙に対応します。
ユダヤ人の有神論では、En
Sof(無限のもの)と呼ばれるカバラの超越的な神が「放射の種」によって宇宙に内在するようになり、それが次に「4つの宇宙」を生み出している、と考えています。
(a) Atsiluth; (b)
Beriah; (c) Yetsirah; (d) Asiah、すなわち、それぞれ発散(放射)、創造、形成、および行動のことです。
ゾハールではEN-SOF (lit.無制限)は、何も仮定できないが、仮定されなければならないもの、と定義されています。
これらの「4 つの宇宙」は、次のように命名された「10 のセフィロス」に割り当てられます。
(a) Kether (The Crown王冠); (b) Hokmah (Wisdom叡智); (c) Binah (Understanding理解); (d) Hesed (Mercy慈悲); (e) Geburah (ForceすなわちSeverity力); (f) Tifereth (Beauty美); (g) Nepal (Victory勝利): (k) Hod (Glory栄光); (i) Yesod (Foundation基盤); (j) Malkuth (Kingdom王国)です。これらの名前は、表面的には、ほとんど恣意的で慣習的なものです。
そして、これらの「10 のセフィロト」がカバリズムの世界にどのように割り当てられているかについては、本文を通して理解する複雑なテーマになります。
2つの開始と善悪の樹
「義の門を私に開いてください....これは主の門です... (Ps. CXVIII, 19-20) 」とあるように、その門を通らなければ、最高位の王にアクセスすることはできません。
各門の後ろに高貴な王たちが身を隠して視界からは見えないようになっており、最後の特別な門には施錠され、開けることが禁止されている状態です。
「私の前に来ようとする者は、まず第一にその門を通過しなければなりません。」というのが王の主張です。
「義の門」とは意識を表層から深層へ沈潜させて、神との一体化を志向する準備の許可を意味します。
この最初の門が「主への恐れ」と呼ばれるのはなぜでしょうか?
叡智を超えていく最初の門は神への恐れです。
恐れとは感情的で条件反射的な恐怖ではなく、リスペクト、すなわち「再度みる」ことで、既知のものとして接するのではなく、変化し続けている「いま・ここ」の状態に注意深く向き合って接することを意味します。
この最初の門とは「善悪の樹」のことなので、善悪の樹とは何であるのか、注意深く知ることから始まります。
ヒトはどのようにして善悪を判断しているのでしょうか?
本人にとって、十分に値することならば善、病気に値するならならば悪と判断していないでしょうか?
2つを対立するものとして捉えていないでしょか?
過去に体験したことを法則化して、1つの思考パターンとして善悪を判断していないでしょうか?
粗雑な概念の領域で判断し、より微細なものに気づき、それらに対して寄り添うことをしたことがあるでしょうか?
これらが reshith (開始) の意味です。
Beth (=2) という文字は、結合された 2 つのもの、すなわち2 つの領域を示します。
つまり、それらは 「1 であって 2 ではなく」、一方を奪うともう一方も奪うことになります。
どちらも見えないものですが、表層意識の概念だけではなく、それを導いている深層意識の両方を意味しています。
「主と主の名前だけであることを彼らが知ることができますように」(Ps.LXXXIII、19)と書かれているように、2つは1つであるからです。
2つの叡智の結合
bereshith の beth (= 2) は、上界の家と下界の家が叡智で建てられていることを意味します。
上界の家はより立派で、世界を居住可能にし、エロヒムと呼ばれます。
下界の家は「王」と呼ばれます。
「王はエロヒムを喜ぶ」(P.
LXIII, 12) つまり、天界のゲブラー(力)が下界の王を抱きしめ、王を自分自身に引き寄せようと奮起すると、すべてが一つになります。
言葉を換えると、「1つである2つのもの」が、世界を完全なものにする喜びの流れである、ということです。
つまり、下界は、すべての人に生命を送り出した上界の存在を喜び、これが家の基礎ということです。
これが「神が最初に創造された」という意味です。
つまり、「はじめにbereshith」とは、叡智のことです。
内に潜在するもの
bereshith という単語を文字 beth と単語 reshith に分析できます。
reshith は創造的な「発語」ですか、それでは
bereshithも同じは創造的な発語という意味なのでしょうか?
「発語MAAMAR」とは、神の言葉が発せられることで、それによって創造がはじまるものです。
「思考された意識」が具現化することを意味します。たとえば「光あれ」と発語すると光が顕れるように。
bereshithとは、この宇宙にエネルギーがありますが、それは広がらずに、すべてがまだその中に潜んでいる状態のことです。 ですから「拡張しない」という創造的な発語の1つである、と考えることもできます。
この「内向性」から、無限の発展と拡大が可能な焦点が生じました。これは聖書ではReshith (始まり) で呼ばれ、Zoharでは、創造の建築家である第2等級Hokmah (智慧)です。
設計図という創造の青写真のデータがここにあります。
次の段階では、そこからエネルギーが外側に拡がることで、reshith(出発点)と呼ばれ、それが外部に創造的な展開をはじめる発語になりました。
Zoharでは、それ自体が創造の芽を含む「神殿」または「家」を生み出す「Reshithの拡張」と呼びます。
この箇所は聖書ではElohimと呼ばれており、創造の工匠である第 3 等級を構成しています。
reshithがこの世界のはじまりになって、創造があったように、疑問詞 Miがeleh (これら) を創造しました。
しかしその後、それが拡張して完成するとYam(海)となり、上界の世界のパターン完成後に下界の世界を創造し、これらの2つは文字beth(=2)で表されました。
「王が食卓に座っている間、私の甘松はその香りを発しました。(S. S. I、12)」とあるように。
これは、公開されていない方法で、天空のエデンで上界の王が下界の王との愛情深い交わりで満たされる流れが生じることを表しています。
「私の甘松は香りを発した」とは、下界の王のことで、上界の王を模して、下界の世界を創造したことです。
そこで、指示と実行のために良い香りが立ち上り、パワーを獲得し、天界の光で輝きます。
6日間の創造 創造するエロヒム
R. ホセは、「ラビが頻繁に話す「6日間のbereshith」とは何ですか? 」と質問しました。
R. シメオンは答えました。「これらは、実際には、主が植えたレバノンの杉です。杉がレバノンから湧き出るように、この 6 日間はbereshithから湧き出てきます。 これらが聖書の 6 つの天界の日です。
「主よ、あなたは偉大さ(Gedulah)、力(Geburah)、美(Tifereth)、勝利((Nezah)、そして威厳(Hod)です」(I Chron. XXIX, 11)とあるように。
「すべてのために」という言葉は、Yesod(世界の基盤)であるザディク(義人)を指しています。
義人とは義の善悪を判断するのではなく、創造の根源に寄り添う事ができる人のことを指します。
このbereshithとは、2番目の光、つまりHokmah(叡智)が開始点になります。
実際には最初の天界のKether
(王冠) ですが、それは知覚できないので、あまりにも理解し難いために数にいれられないためです。
したがって、2 番目が開始点となります。
繰り返しになりますが、be-reshith
という言葉は、2 つの reshith があることを示しています。
これは、上界の 叡智が reshith (開始点) であるように、下界の叡智も
reshith であるためです。 さらにbe-reshithを創造的な「発語」と見なし、そこから6つの日が生まれ、そこから被造物が構成され、名前を持つようになりました。
次の「創造されたエロヒム」という語句は、「そして川がエデンから流れ出て庭に水を与えた」という節になぞられたもので、つまり、水をやり、保持し、すべての必要をみためのものです。
したがって、このエロヒムはエロヒム・ハイム (生ける神) であり、世界を生産し、それを活性化するためのエージェント(主体)として、その流れによって「be-reshithが創造したエロヒム」と表現します。
さらに、eth
hashamaim (天国) という 2 つの単語は、男性と女性の適切な結合を意味します。
この後、天の働きによってより下の世界が創造され、それを通してエロヒムはすべてに存在を与えました。
より正確には、天は全体であるエトethを生み出しました。 全体がその場所に落ち着いたとき、鎖の最後のリンクは、エロヒムが小川を解放する出発点(reshith)になり、水は下の世界に流れ始めたので、私たちは今「神が創造したreshithによって」、と表現することができます
つまり、下の世界とは、神が輝きを生み出し、すべてに存在を与えることによるものです。
R.ユダは次のように述べています。「斧は、それを持っている者に対して自慢すべきでしょうか?(Is. X, 15)」が言及しているのは、自慢できるのは斧そのものではなく、それを使う職人だということです。
ですからここで、このreshithによって天界のエロヒムが天を創造したことを見て、栄光に値するのは神です。」
בְּרֵאשִׁ֖ית BRASYT
Bereshithとエロヒムとの関係性
bereshithのさらなる奥儀の解釈は次のとおりです。
すべての出発点の名前はEhyeh(私はなる)です。
その側面に刻まれた聖なる名前はエロヒムですが、境界線(すなわち、2 つのEhyehの間(Ex. III, 14)) に刻まれたのははAsherです。
Asher という単語 (すなわち、bereshithからの文字、Aleph、Shin、Resh) は、アナグラム的には Rosh (頭) であり、Reshith から顕れる「始まり」です。
それは隠された奥儀の神殿であり、Reshithと神秘的に呼ばれるものの源です。
源のポイントと神殿がしっかりと一緒に確立されたとき、bereshithは天界の始まりと叡智を結びつけました。
その後、その神殿の性格が変わり、「家」(bayith)と呼ばれるようになりました。 家とrosh と呼ばれる超越的ポイントとの組み合わせだけで、家が無人であるかぎりは呼び名はbereshithです。
しかし、家に住めるように聖なる種がまかれると、それは隠されて神秘的であるエロヒムと呼ばれました。
ゾハールの解釈では、建物が内部に潜在的なままで、外にまだ出現していない限りでは周囲とは没交渉で隠されたままでしたが、聖なる種のために家は外側に拡張されました。
換言すると、すべてがBereshithにすでに内含されていましたが、聖なる種が根と芽を出し、居住できるほど十分に拡張されると、そこは上述のようにエロヒムと呼ばれるようになりました。
エロヒムの名を獲得した後、植え付けられた種からは子孫が生み出されました。
この種は何なのでしょうか?
それは、最初のポイントから顕れ、Torahの秘密のソースである刻まれた文字で構成されています。
その種は、宮殿に蒔かれたときは、特定の 3 つの母音点であるholem、shureq、hireqで、互いに結合して 1 つの独立した存在(実体entity)を形成しました。
全スペル |
短スペル |
範例 |
בוֹ |
בֹ |
שֹׁפָר ➣ שׁוֹפָר |
Holem vav |
Holem |
(ram’s horn) |
בוּ |
בֻ |
מַדֻּעַ ➣ מַדּוּעַ |
Shureq |
Qibbuts |
(why?) |
בִי |
בִ |
דָּוִד ➣ דָּוִיד |
Hireq yod |
Hireq |
(David) |
つまり結合を通じて顕れたのが「声VOICE」です。「声」とは天地創造の道具であり、原初の天(創世記1章1節)や、文字の全体と同一視されます。
この「声」が具現化したものが、「発語MAAMAR」です。
この「声」が顕れた時、すべての文字を内含する仲間も顕れたので、Eth hashamaim (その天(複数形)) と複数形で示されました。つまり口語的「声」の対になる文語的「声」、すなわち、全ての文字と色を含んでいるゾハール(輝き)であり、2番目のEhychです。
この「声」が顕れた時、すべての文字を内含するものが顕れたので、Eth hashamaim (天) と記述されました。つまり口語的「声」とその対になる文語的「声」です。
この「声」とは「天heaven」という語句で文字として示され、最も神聖なEhychの 2 番目の名前のことです。
ここまでの「我らの神である主」(Yhvh
Elohenu Yhvh)という言葉には、bereshith bara Elohimの深い神秘に対応する 3つの等級を表しています。
bereshithは原初の神秘を表し、baraは、全体が拡大した神秘的な源泉表し、Elohimは、下界のすべてを支える力を表しています。 eth hashamaim という語句は、後者の 2 つが決して分離されておらず、男性原理と女性原理であることを示しています。
eth という語句は、aleph と tauの文字で構成されており、アルファベットの最初と最後であることから、その間のすべての文字を含む全体性を表しています。
その後、hé が追加され、すべての文字が hé に付けられるようになり、これにより attah (Thouあなた) という名前が付けられました。
したがって、「そしてあなた(ve-attah)はそれらすべてを生かし続ける(Neh. IX、6)」とあります。
また、Eth はAdonai (主Lord) を暗示しています。 Hashammaimは、Yhvh の上位の意味です。
Hashammaimの次の語句 ve-eth は、男性と女性の確固たる結合を示します。
それはまた、呼称である ve-Yhvh (そして主) を暗示し、どちらの説明も同じことを意味します。
Ha-aretz (地) は、高次の形態として対応するエロヒムを意味しており、実を結ぶ生産をもたらします。
この名称は、ここでは 3 つの用途が見られ、そこから同じ名称がさまざまな方面に枝分かれしています。
Desingnation in Genesis 創世記 |
Zoharic Appellatives ゾハール用語 |
Names of Deity 神の名前 |
Sefiroth カバラ用語 |
Bereshith |
Most Mysterious and Recondite 最も神秘で深淵 King |
Ehyeh |
Kether (Crown) |
בָּרָ֣א bā-rā created |
原初の点 First
Point; Wisdom; Father |
Asher (or Asher Ehyeh) |
Hokmah(Wisdom) |
Elohim (God) (Heaven and Earth) |
神殿; Elohim
Hayyim; Mother |
YHVH 私こそ唯一の神 |
Binah (Understanding) |
この「声」が顕れた時、すべての文字を内含する対になる「声」も顕れました。前者が口語的、後者が文語的な機能を担います。
「声」とは天地創造の道具であり、原初の天、文字の全体と同一視されています。
したがって、1節の天はEth
hashamaim (天) と書かれています。つまり口語的「声」とその対になる文語的「声」です。
この「声」は「天」という語句で示され、神聖な名前の 2 番目の Ehych のことであり、すべての文字と色を内含するZohar(輝き) です。
ここまで、「主なる我らの神なる主」(Yhvh Elohenu Yhvh)という言葉は、bereshith bara Elohimの深い神秘に対応する 3つの等級を表しています。
bereshithは原初の神秘を表し、baraは、全体が拡大した神秘的な源を表し、Elohimは、下界のすべてを支える力を表しています。 eth hashamaim という語句は、後者の 2 つが決して分離されておらず、一緒に男性原理と女性原理であることを示しています。
eth という語句は、文字 aleph と tau で構成されており、アルファベットの最初と最後の間にあるすべての文字が内含されていることを意味しています。
その後、すべての文字が hé に付けられるように hé が追加され、これにより attah (Thouあなた) という名前が付けられました。
したがって、「そしてあなた(ve-attah)はそれらすべてを生かし続ける(Neh. IX、6)」とあります。
Eth は、いわゆるAdonai (主Lord) を暗示しています。Hashammaimとは、より高次の意味での Yhvh のことです。 次の語句 ve-eth は、男性と女性の確固たる結合を示します。
それはまた、呼称である ve-Yhvh (および主) をほのめかしており、どちらの説明も同じになります。
Ha-aretz (地) は、高次の形として対応しているエロヒムを意味しており、実を結ぶ生産をもたらします。
この名前はここでは 3 つの応用があり、そこから同じ名前がさまざまな側面に分岐していきます。
老子の道と創造以前
老子は、天地万物が存在する以前に、天地の母と呼ぶべき存在があると仮定し、それを「道」と名付けました。
人間の五感では捉えられない、より微細な実在のことをいいます。
では五感で捉えることができない道を、どのように具体的に実践すればいいのでしょうか?
それは、無為自然といって、自然のままに任せて、あるがままに寄り添うことにあります。換言すると、無為とは作為的なことをしないことで、自然とはおのずから然り、すなわち、他からの影響を受けない状態になること、です。人の作為や周囲の影響に関心を持たず、大自然の法則に従って暮らすことを目指します。
この世の政治理想は小国寡民