ヘブライ語の特徴

動詞が基準のヘブライ語やパーリ語、

名詞が基準の英語やドイツ語   

モノの誕生

数秘学

 

モノとは何なのでしょうか? それはどのようにして生まれたのでしょうか?

はじめに、モノは存在しませんでした。しかし、ある時、誰かが自分の持っているすべてのものを絵に描くことを思いつきました。絵はシンボルとなり、やがて何千もの絵文字が作り出されました。

 

このプロセスがモノの誕生であり、ここにモノの特徴があります。

何が起きているというのでしょうか?

この世のもの(物質、意識、霊などのエネルギー)は常に転換し、動き続けています。

したがって、あらゆる時間と空間も寄り添ってみると流動しています。

ところが、川の流れの写真を撮ると、まるで凍結させたかのように時間と空間が固定化させているように見えます。

見える、というのは正確には、流れは固定できず、より精密に拡大してみれば写真もブレていますが、遠目で大雑把な気持ちで観察するレベルでは固定しているような幻想を抱くことになります。

 

このような固定化の幻想をみることを前提にすることで、モノが誕生し、名詞が造られることになりました。

そして、この考え方は「話し言葉」にも浸透していきました。

ついには、固定化したモノとは使用者の利便性のための便宜上の仮の時空でしかないのに、このような当たり前の前提を感じない人たちが集団となり、モノを相手にも押し付ける生活をはじめした。

こうしてこのモノを基準にする概念を基準にする言語を使うグループが誕生しました。

例えば英語を話す人たちです。

彼らは他者の足を踏んでいることに気づかない、良心的で正義と善意と慈悲にあふれる優しい人たちです。

 

では、モノがない文化や言語があるのでしょうか?

例えば、ヘブライ語では、動詞が支配しているという証拠?の1つとして、聖書に出てくるヘブライ語には、モノ、あるいは物体やそれに類する言葉がありません。

古代ヘブライ語(聖書)では、「ここに置いたものはどこにありますか?」という表現はしません。

代わりに「私がここに置いた望んでいたchefetzはどこにありますか?where is the desired that I put here?」と言います。

また、「あのモノは何ですか?What is that thing?」とは言わず、「どのように言うのですか?How do you call?」と言うのです。

これらの動詞の使用法がモノいう概念に最も近い表現となります。

現実はすべて動詞でできていることを基準にして暮らしているからです。

たとえば天地創造で使われるいるのが名詞ではなく動詞で現実が成り立っているように。

 

ヘブライ語の大きい、小さい、賢い、愚か、王、司祭、目、耳などは物のように想えますが、ヘブライ語では動詞の形です。

この世のすべてのことは出来事、ハプニング、プロセスであり、流動するもので、静止していることは一瞬たりともありません。

まるで、私たちが小さな子供だったときのように。

 

ヘブライ語には現在形というものがありません。分詞はありますが、現在形という概念がないのは、私たちが酸素を吸っているのをいちいち意識して暮らしていないように、ヘブライ語は現在形の世界の中で存在しているからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

口語

時間

聴覚 音

順序

流動

言葉

音楽

文語

空間

視覚 色

カタチ

固定化

絵文字

肖像画

 

英語やドイツ語は、名詞や形容詞が主で、動詞や副詞はそれを補助します。

ヘブライ語は音楽のようなもので、流れを凍結して固定化することができません。

マイナス273.15℃の絶対零度は理念としてあるだけで、この宇宙には存在せず、この世に存在するものすべてが流れです。

 

 

モノは現実ではなく、フィクションです。

モノは存在せず、私たちの頭が作り上げたものです。

物理学で、モノを探求していくと、モノ自体は存在せず、そこにあるのは、波や振動、エネルギーの場といったプロセスだけだということがわかりました。

 

 

4つの文字で構成されており、「なる」という動詞のすべての形を表現しています。英語のiswasbeingwill beabout to because to beshould be これらすべてがこの4文字に含まれています。モーセ自分の名前を尋ねたとき、神が言ったように、"I will be that which I will be. "です。

 

現代の言語の概念では前提が異なるので、神のことを「昔も今も、そしてこれからも存在するお方です」と考えてしまいますが、これはこの世を固定化させているモノの罠にはまっています。

この宇宙は、「いま・ここ」しかないので、過去も未来を持ち出したときには、この世の現実からは離れてしまっています。

 

新しいダイナミックな英語では、be動詞からIsing. Isness. Isingness. Isifying. Isifierなどの造語ができて、これらが基準となる言葉に移行していくであろう。

 

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こうなると、これまでの英語では意味があっても、新しい英語やパーリ語やヘブライ語では明らかに不合理な質問が多くなります。

例えば、「神は存在するか?」という質問です。ヘブライ語では、これはトートロジー(同語反復)であり、「存在は存在するのか」という質問になってしまいます。

これをヘブライ語で理解すると、ヘブライ語にははじめから「存在というモノ」はなく、あるのは「存在し続けるという行為」だけです。

ですから、ヘブライ語では、「存在し続ける行為は存在し続ける行為なのか?」という同語反復になるのです。

 

 

ですから流動する神を「信じる」必要はなくなります。

変化しているものはリスポンスはその瞬間にあるので、信じる対象に委ねることがないからです。

そして、また、この流動する神はそれ以外に何もないこともわかります。

固定化されたモノであれば、あるか、ないかを問うことができますが、変化するものはただあり続けているだけです。

つまり、「存在」の有無を問うことができる時空があります。この囲われた領域の中は固定化されたモノの世界観ですが、そこから離れて、枠組みの外にいるときには、違った感覚で生きることになります。

 

単純に考えてみます。

目を開ける前から、この世界は変化し続けています。

固定化されたものはあるかないかを問うことができますが、変化し続けているものはこの世というように、固定化させて呼ぶことができず、わかることは目の前のものは変化している、ということだけです。

 

モノとしてとらえて、それはAなのか、どうなのか?ということは問うことができますが、はじめからAという定義されたものがないのであれば、あるのか、ないのかを問うこと自体が成り立ちません。

同様にモノであれば信じるかどうかを問えますが、変化するものを信じることなどはできません。

変化し続けるものと関係をもつことで、自分にとって楽しかったり、悲しくなったりする感覚は生じますが、これが常に同じ感覚になることはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動詞

流動

いま・ここ

螺旋

変化してる

主客の一致

継続

ヘブライ語

名詞

固定

過去・未来

直線

あるorない

主客の分離

分断

英語

 

 

流動の中を生きるのと固定化された中で生きるのでは、このように大きな違いがあるのです。

「存在する、存在しない」ではなく、「存在そのもの」です。

エネルギーの無限の流れの中に身を任せてみてください。

その中に入り込み、交わり、語りかけ、語られ、一体となります。

これが神との体験です。

 

 

 

数秘学

『聖書』を神秘主義的に解釈する際、ゲマトリアやノタリコン、テムラーと呼ばれる一種の暗号解読法を用いる場合がある。これらが後に世俗化し「数秘学」、「数秘術」と呼ばれる運命解読の方法となった。

 

ゾハールの書の1

エリシャは彼をHabakkukと名付けました。これは二重の意味を持つ名前であり、すでに説明したように、その音で二重の抱擁を暗示し、その数値(H.B.K.V.K. 8.2.100.6.100)は216で神聖な名前の文字数になります。言葉によって彼の精神は回復され、文字によって彼の体の部分は再構成されました。それゆえ、その子はHabakkukと名付けられ、彼は言いました。「主よ、私はあなたの報告を聞きました、そして私は恐れています」(Habak. III, 2)

 

 

聖書注解者のBaal HaTurimが指摘するように、Elohimのヘブライ文字 אֱלֹהִ֑ים は、自然の秩序を意味する「haTeva」と同じgematria(数値)を持っています。