神への3つのアプローチ
神へのアプローチの仕方を注意深く研究すると、ゾハールには独特の特徴が明らかになります。
それは、明確な心理的必要性から生まれ、明確な宗教的要求を満たす神に対する考え方です。
すべてヘブライ語聖書の研究に基づいており、ユダヤ人の信仰と実践と一致しています。
これらの目的は、個々のユダヤ人を神との交わりに導くことです。
具体的には、
1祈りと献身の感情、
2倫理的衝動、
3哲学的精神
の3つの方法で達成で可能になります。
ゾハールは、この3つの方法を通じて実質的な神との交わりが可能であると認識または仮定しており、
そのための3段階のプロセスです。
1実践者自らが神を表すための適切な呼称を与えられることによって、
2これらの表現の多様性が神の本質とどのように一致しているかを全体性の中で調和させながら認識します。
3そして、この認識プロセスを介して、さらに定義と理解の一連のプロセスが行われます。
このように、Zoharは3 つプロセスにおいて、神の名前と呼ばれる呼称をセットとして構成するアプローチをすることで、グループ化され、それらは相互に関連付けられて、1つのフレームにまとめるのに役立つイメージ(定義)をします。
このように呼称することによって、神の本質のさまざまな側面を特定していきます。
1.
イスラエル人の祈りの受け手であり、信心の対象として神を理解するために、ゾハールは読者である実践者が神の意味を疑うことがない「イスラエル共同体」という語句を使用します。
この「イスラエル共同体」とは、現代の人々がイスラエルの「国民的」または「部族的」または「特定主義者particularist」が神と呼んでいるものに対応しています。
そのような神への信仰は、純粋に歴史的根拠、特に族長の選出に基づいています。
「イスラエル共同体」にとっての神は、この世におけるイスラエルの人々の保護者であり、守護者です。
この能力において、神は個人的な存在であるだけでなく、局所化された存在でもあります。
イスラエルの子らがどこにいても、自分の国にいようと流刑にされようと、神は彼らと共におられます。
この結合はシナイ山で最初に行われました。 それは神殿の建設によって完成され、神殿の破壊によってさえ壊れませんでした。 しかし、その出来事以来、イスラエルに対する神の保護は、当然、それほど効果的ではなくなりました。 しかし、ゾハールでは状況に応じて頻繁に予測されている救世主の出現により、やがて以前の活力に戻るものとされています。
神がイスラエルでどのようにその存在を明らかにするのかという問いに対する答えは、神の光であるShekinahシェキーナーを通してです。 この光が、神性と非神性をつなぐリンクです。
ゾハールによれば、イスラエルの守護者である神は、神の玉座を構成する 4 つのハヨトすなわちは聖なる獣によって運ばれ、これらは他の天使のような存在です。
天使たちは高い空の上に留まり、その下に最も低い天国heavenがあり、そこに大地とすべての生き物が属しています。
HAYAH (plu. HAYOTH,
lit. 'animal', 'living'). One of the
higher ranks of angels.
このヒエラルキーは、放射、創造、形成、完成のカバリストの 4 つの世界に密接に対応していることに注意してください。Zohar自体では、Aziluth とBeriahの世界はたまにしか言及されておらず、他の世界はほとんど言及されていません。
Correspondences
World: |
Descriptions: |
Dominant Sephirah: |
Letter
of Tetragrammaton: |
Level
of soul: |
Level of
Torah-PaRDeS: |
Other
associations: |
Adam Kadmon |
Primary
form of Kav |
Keter-Crown |
Apex atop
י Yud |
Yechidah-Singular |
Sod
Sh'b'Sod |
Beyond all names |
Atziluth |
From Tohu to Tikun |
י Yud |
Chayah-Living |
Sod-Secret |
Concealed World with Beriah |
|
Beri'ah |
Formless
existence |
Binah-Understanding |
Higher ה Hei |
Neshamah-Breath |
Drush-Homiletic |
Divine name ס״ג |
Yetzirah |
General
existence |
Midot-6
Emotions |
ו Vav |
Ruach-Spirit |
Remez-Hint |
Revealed World with Asiyah |
Asiyah |
Particular
existence |
Malkuth-Kingship |
Lower ה Hei |
Nefesh-Lifeforce |
Pshat-Simple |
Divine name ב״ן |
このヒエラルキーを通じて、神の存在の発散が地に伝えられ、一方で人間の祈りが天に伝えられるのと同じです。 シェキーナーはもともと幕屋(礼拝所)Tabernacleと神殿の上にありましたが、今でも、特に 3 人が一緒に勉強するときは賢者に付き添っています。
ハヨートからなる「神の御座」とは、地上における神の摂理の道具のことです。 ハヨートはそれぞれ人間、ライオン、牛、鷲の側面を持つ間の顔として描かれています。
それゆえ、神が高みからどのように見られるかによって、人間がこの地上で受ける摂理的な配慮が変わってきます。ここでも中間的な存在が登場し、ゾハールの天使論の大部分は、この神格の概念によって展開されています。
その聖書的根拠はエゼキエル書第 1 章にあります。
これらは本質的に想像力豊かな性格であり、その主な目的は、「イスラエルの共同体」という名称が人間的な用途と神的な用途の両方を持っていることからもわかるように、神の守護が今も彼らとともにあることを保証することによって、亡命中のイスラエルを慰め励ますことです。
2.
ゾハールの中で神は通常「祝福された聖なる方、神に祝福あれ」と呼ばれています。神は生き物の生命の源、種の創造者、宇宙の生命を活性化する人間の道徳的努力の促進者としてみなされています。
人間は、各自のneshamah(魂)、すなわち、自身の個性であるmeshimah(呼吸力)を主体とした意識を介して、神を知ることができます。
このneshamahとは、ruah(霊、精神、知的能力)とnefesh(肉体的な活力)を超越した自己の深層にある第3段階目の魂のことです。
魂の段階
|
段階 |
|
エネルギー界 |
内容 |
S |
1 |
Nefesh |
tzelem, tzelem Elokim. |
Asiya, 物質エネルギー界 |
人間の肉体と魂をつなぐ霊的な型 人が生まれたとき、神の最大の隠蔽を表す最も低い世界 息吹、ギリシャ語のpsyche、ゴーレムの生命力 感覚のサンカーラ |
10 |
2 |
Ruach |
demut Elokim 神のイメージ |
Yetzira. 感覚エネルギー界 |
感情 心の労苦 低いレベルで心を尽くして神を愛する 感情のサンカーラ |
4 〜 9 |
3 |
Neshama |
|
Beriya 表層意識の思考 |
大いなる努力による啓示 理性 思考のサンカーラ |
3 |
4 |
Chaya |
|
Atzilut |
大いなる浄化による可能性がある |
2 |
5 |
yechida |
|
Adam Kadmon |
無限の存在であるアイン・ソフから発した魂 |
1 |
neshamahを通して、人は祝福された聖なる方と直接交わることができ、また倫理的、道徳的に完全であるか、あるいはその逆です。
イスラエル人はトーラーの戒律の中にこの完璧を達成する手段があり、それを達成するか失敗するかの割合によって、彼らのneshamahは死後に報われるか罰せられます。 報酬の場所はエデンの園、懲罰の場所はゲヒンノムと呼ばれます。
神は死後の報酬と罰を与える者として「聖王」と呼ばれます。 この観点から神に与えられた別の名前は「生命の木」であり、その枝には義人の魂が休んでいると描かれています。
したがって、イスラエル人が律法を実行するとき、生命の木に寄り添っていると言われます。
神が祝福された聖なる方であるという概念を中心にして、道徳的生活、報酬と罰、天国と地獄とそれぞれの住人、そして魂の受肉と輪廻転生についてのゾハール教義全体が展開します。
その聖書的根拠は 創世記の第二章です。
具体化する神の概念は、内省の努力、すなわちドイツの哲学用語でLebensanschauung(人生観)と呼ばれるものに共通性があります。
3.
Zoharは、人間の心情面であるLebensanschauung(人生観)の内省的にだけでなく、Weltanschauung(世界観) の外面的にも、神へのアプローチを試みます。
この目的のために神に与えられた称号は「古代の聖者」です。
この名前は、すべての存在とすべての動きの第一原因と見なされている神を示しています。
この面での神は純粋に非人格的であり、この呼称によってベールに包まれており、ゾハールの著者たちはしばしばその事実を見失っているようです。
しかし、それは、この一面における神を説明するために頻繁に使用される別の表現で明らかに表れます。
つまり 「隠された未公開のもの」としてです。
この第一原因とは一種の代数的 x であり、知的満足のためにはそれを探さなければならないが、決して見つけることができないというのがゾハールの仮定です。
これは聖書のゾハールの解釈である「これらを創造したものを見なさい(Isa. XL、26)」に要約されています。
知覚可能な宇宙である「これら」の側面は、第一原因の存在を示していますが、それを調査しても、「誰?」という質問以上のことは得られません。
なぜなら、究極的な原因の追求は「en sof」すなわち、際限なく継続できるからです。
したがって、始まりを見つけるために、我々は、完全な絶対者ではなく、生産する可能性があるもの、すなわち非絶対的なものになるという点で「古代の聖なる方」とは異なる「古代の者」を仮定します。
Torahの戒律が人に義と道徳の向上の完全な案内を提供するように、創世記の最初の章は絶対者の探求への完全な案内を提供しています。
そのような指導の下で義が追求されるとき、この探求はhokhmah智慧と呼ばれ、人間の活動の最高の形態、人間の完全さの証です。この探求は形而上学的な活動ではなく、基本的に神学的な活動です。
なぜなら、第一原因は神とみなされている仮定上のものであり、道徳的生活を義務づける個人的な神としてだけではなく、イスラエルの民の中に住み、イスラエルの民を守る限定的な神とも同一視されるからです。
ホクマーHokhmahは宇宙全体の原因と結果の関係も支配するため、ホクマーは人間と第一原因の間のリンクを形成しています。
ホクマー智慧は上座部仏教の縁起説そのもの
そして、神聖なホフマーが行為によって人間の魂の結果を決定するのと同じように、人間のホフマーも必然的に道徳的生活を受け入れます。 したがって、ゾハールの体系においては、哲学と道徳法との間に矛盾は存在しません。
3 つのアプローチの相関関係
以上のことから、3 つの層を区別することがわかります。
これらのを信仰的、倫理的、哲学的な層は、それぞれ想像力、感情、知性を主な対象としているものです。
これらの各層は、いわば、神に対する独自の名称によって特色づけられており、異なる側面の下で神を表しています。
1 番目は個人的かつローカルな場合、2 番目は個人的だがローカルではない場合、3 番目は個人的でもローカルでもない場合です。
しかし、ゾハールはこれらの側面を並べて置くことに満足しません。「おお、私たちの永遠の希望であり究極の仮説であるあなたよ」と祈りを始めたスコットランドの牧師のように、
その大部分、おそらく最も重要な部分は、それぞれを他の言葉で表現することによってそれらを相関させる試みに費やされています。 これには神の名称の広範な拡張が含まれており、私たちはそれを考慮しなければなりません。
3層の特徴
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アプローチの特徴 |
1 |
各自性 想像力 沈潜意識 |
信仰的 |
個人的かつローカル |
各自の内面の探求 義人の魂を月に喩えて、この魂を来世で復活させる神の働きを太陽の光に喩える。 |
2 |
社会性 感情 1なる多 |
倫理的 |
個人的だがNoローカル |
社会的活動としての探求 10個の等級が本質的に1つであるとしながらも、それらが互いにあらゆる種類の関係を形成できる別個の実体。 |
3 |
普遍性 知性 |
哲学的 |
No個人的かつNoローカル |
論理的探求 10段階の関係性の探求 |
1 沈潜意識的アプローチ
ゾハールによれば、この世におけるイスラエルの摂理は「イスラエル共同体」としての神によって行われ、他方、あの世における魂の報いは「聖王」としての神によって行われます。
これら 2 つの活動は、ゾハールによって、王室の管理と国務の管理の関係性として描かれています。
後者が国王で、前者は女王です。
したがって、マトロナ、すなわち女王に指定されることによって、イスラエル共同体は聖王との関係がもたらされ、彼らはziwwug、つまり婚姻関係にあるように描かれています。
敬虔な人々は、祈りと勉学によってマトロナとの一体化を準備し、彼女の喜びに参加しているように空想的に描かれています。
この世 |
イスラエル共同体の神 |
摂理 |
女王マトロナ |
国務の管理 |
月 |
義人の魂 |
あの世 |
聖王 |
魂の報い |
国王 |
王室の管理 |
太陽 |
輪廻転生の光 |
これらの 2 つの側面を関連付けるもう 1 つの方法は、イスラエル共同体を、太陽である祝福された聖なる方の光を反射する月として理解することです。義人の魂を反射体である月に喩えて、この魂を来世で復活させる神の働きを太陽の光に喩えます。
そして、月が常に同じように明るいとは限らないように、イスラエル共同体の神も常に同じように慈悲深いとは限りません。 月を「損なう」のは悪人で太陽の光を月から引き離しますが、義の人はそれを完全に回復させます。 このように、王と女王、そして太陽と月はすべて、Zoharにおける神格のさまざまな側面の名称です。
2. 1なる10、10なる1のアプローチ
では、ゾハールでは第一の原因を、祝福された聖なる方とイスラエルの共同体とどのようにして一体化させているのでしょうか?
その答えが「等級」の教義です。
これは、カバリストが通常セフィロトの教義と呼んでいるものです。
ゾハールでは、が「等級」について語るとき、それは神格の等級を意味します。
このような等級を10個列挙していることから、10個の第一原因を仮定していることになります。
『ゾハールの書』では、10個の等級が本質的に1つであるとしながらも、あたかもそれらが互いにあらゆる種類の関係を形成できる別個の実体であるかのように語るので、一見すると矛盾しているように見えます。
ゾハールが多様性の中の統一性、あるいはその逆を表現するために。それらを人体の構成要素の特徴として説明します。この方法は、「隠された智慧の書」と2つの「Idras」の中で詳しく説明されています。
合理的な説明があれば、人間の骨格の図で説明することは許されますが、最初に人間の骨格として全体を把握し、後から正確な適用を埋めていくのは、「前が後にくる」(preposterousの文字通りの意味で)ので矛盾と感じてしまいます。
ヒトの理解の限界とはなんだろうか?ヒトははじめに全体性を直観的に理解し、それから分析しているのではないか?また、ヒトの経験を基準にすることではないだろうか?
だとすれば、部分を積み上げて全体像を作っているのではなく、深層意識では、はじめに全体性を把握し、後に表層意識でそれらを合理化しているに過ぎないのではないか。
ゾーハルには概略しか書かれていませんが、カバラ教の他の文献ではより明確に表現されており、Cordoveiroが『Pardes Rimmonim』で採用した別の説明は次のようなものです。
第一の原因は、反射ガラスを照らす光に例えられ、その光は別の反射ガラスに投射され、そこから第三の反射ガラスに投射され、9つの反射ガラス(あるいは10かもしれないが、元の光が10に含まれるかどうかについては意見が分かれる)を通して光の投射が続けられます。このように、さまざまな強さの10個の光がありますが、すべては同じ光です。
この図は、人間の心が第一の原因を理解する度合いは段階があることを説明するものでもあります。
しかし、この図ではカバラにおいて前提にされている第一原因を客観的に10のパートに分割することを説明できていません。なぜなら、お互いの反射ガラスをつなげるものを説明していなからです。
ゾハールの中で「すべての世界に喜びがある」とか、「すべての世界はひとつに結ばれている」といったフレーズを頻繁に目にします。
後世のカバラでは「世界」とはAziluth, Beriah, Yezirah, 'Asiahの4つの「世界」を意味していますが、ゾハールでは「世界は1つ」として、「世界」を第一原因の様々な顕現の効果と見なしています。
結局のところ、第一原因が10層であるならば、宇宙も10層でなければならないのは当然であり、どこにも明示されていませんが、これをゾハールの教義とみなすことができます。
しかし、この仮定で様々な世界が同時に存在することをどのように理解すればよいのでしょうか?
その鍵は、ゾハールの原初の「日」の概念にあるかもしれません。
10等級のうち、第4等級から第9等級までの6階級は、それぞれの「日」の中で機能していると考えられます。
しかし、すべての等級が同時に機能していることは明らかなので、これらの「日」が連続したものではないことも明らかです。
したがって、ゾハールが「6つの日がある」と言うのは、6種類の時間、つまり、6つの「リズムのテンポ」の存在とでも呼ぶべきものがあるという意味です。
第一原因には異なる側面を引き受け、異なる顕現を示し、ゾハールの言葉で言えば、「自身の異なる等級となる」と考えることができます。
異なる種類の時間をどのように想像するのでしょうか?
時間を客観的に認識するものではなく、主観的に感じるものと考えれば、イメージすることができるかもしれません。
生きている世界は、無生物とは異なる方法で時間を感じ、生きている世界の上位部門は下位部門とは異なる方法で時間を感じると考えることができます。
このようにして、さまざまな「世界」が、それぞれ独自の第一原因を持ちながら、すべてが一つを形成しているという概念が理解できるようになります。
3 論理的アプローチ 10側面と特徴と交互の関係性
世界が創造される以前は時空が分かれておらず、神の創造により時間である天と空間である地に分離された。
ゾハールは、この創造の前段階を3つの等級を区別し、それらをまとめて「族長たちThe Patriarchs」と呼んでいます。
3番目のBinah (Understanding理解)は「Jubilee」と呼ばれることが多いのですが、これは、無時間から時間へ、あるいはその逆を示すことを意味しています。
天地の6日間と原初の第一原因との関係は、苗床で育てられ、その後植えつけられた6本の苗木に例えて表現されます。、「主の木、主が植えられたレバノンの杉(詩篇CIV, 16)」がこのイメージの具象化です。
等級に付けられた名前は、カバリスト文献でセフィロトに付けられた名前と同じです。
ケテル、ホクマ、ビナ、そしてヘセドなどですが、すべて、第一の原因とみなされる神の名前です。
「天地」とその中で機能する6つの等級の前に3つの等級があるように、天地の後にも等級があります。
この「日」を構成するエネルギーはどこから来るのでしょうか?
これは一種の反射作用によって構成され、自分自身とそれが達成したすべてを意識する第一原因の活動によって成り立っていえます。
これによって、第七日の機能とは、人間の魂すなわち意識(neshamah)を肉体と一体化させることであり、「天と地」の外側にあるため、それまでの6等級とは別の位置を占めています。
第一原因としての神とは、世界の支配者としての神やイスラエルの保護者としての神も意味します。
たとえば、第6等級であるティフェレト(美)は、創造の6日間のうち第3日目に機能するものなので、すべての生命ある存在とすべての伝播活動の基礎として、「地」と第一原因の関係にあります。
したがって、この等級は、生命力の分配者であり、上と下の世界の生と死の裁定者である、祝福された聖なる方と同一視される根拠です。
古代の聖なる方と祝福された聖なる方がこのように相関するときには、Arich Anpin(Makroprosopus、鼻孔が長い、すなわち、忍耐強い、気長)とZe'er Anpin(Mikroprosopus、鼻孔が小さい、すなわち急ぐ)と区別され、その理由は、苦しみと痛みは後者から直接生じて、前者からは発生しないからです。
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10セフィロト |
日 |
特徴 |
創造以前 天地以前 |
時空以前 古代の聖なる方 大きい顔 |
Kether (王冠); Hokmah (叡智) Binah(理解) |
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第1原因 時空の境界線がない 開いている |
創造 天と地 |
意識 小さい顔 太陽 |
Hesed (慈悲) Geburah (力) Tifereth(美) Nepal (勝利) Hod (栄光) Yesod (基盤) |
1 2 3 4 5 6 |
時は天、空は地としてシンボライズ 閉じている 地 生命の基礎 祝福された聖なる方 内なる神 別名はMatronaマトロナ |
創造後 天地以後 |
肉体に具象化 月 |
Malkuth (王国) |
7 |
ヒト 魂と肉体の結合 イスラエル共同体 |
祝福された聖なる方が第6等級のティフェレトと同一視され、イスラエル共同体は第10等級のマルクトと同一視されます。
後者は人間の魂が肉体と結合する最初の原因であり、前者は人間の魂に内在する神とみなされます。
さらに、マルクトは「天と地」の圏外にあり、一種の借り物のエネルギーだけで行動し、ゾハールの言葉を借りれば「それ自体の光はない」というのが事実です。イスラエル共同体もまた太陽の光で輝く月に過ぎないと見なされています。
ゾハールによって採用された神のさまざまな呼称間の関係は、以下のイメージで説明できます。
3 つのセクションに分割された長いホールを想像してみてください。そのうちの 1 つは「イスラエル共同体の神」、2 番目は「Matronaマトロナ」、3 番目は「Malkuthマルクト」というタイトルが付けられています。
最初のセクションは天に開かれています。 2番目のセクションにはやや高い屋根があります。 3番目ははるかに低い屋根です。 第 2 セクションの屋根は、第 3 セクションにもまたがり、別のホールの床になっています。
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1 |
イスラエル共同体の神 |
天に開いている |
聖なる王 |
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2 |
Matronaマトロナ |
高い屋根 |
ティフェレト |
上との間に5段階 |
3 |
Malkuthマルクト |
低い屋根 |
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下との間に3段階 |
第 2 セクションのマトロナを覆う部分は、「聖なる王」と呼ばれ、天に向かって開いています。
マルクトの上に広がる部分はティフェレトと呼ばれ、マルクトとの間に3段階、ティフェレトの上には5段階になっており、そのうち一番上、すなわち3番目の高さは天に開かれているのである。
マルクトにまたがるその部分はティフェレスと呼ばれ、そして、マルクトとの間の地下は 3 階建てで、その上は 5 階建てです。
その下にはそれ自体とマルクトの間に 3 つの階があり、その上には 5 つの階があり、その最上部、すなわち最も高い 3 つの階は天に向かって開いています。
人が神との交わりを望むなら、一番下のホールに入らなければなりませんが、その 3 つのセクションから選択することができます。
祈りと信愛の実践を通して、伝統の教えに基づいて神を信じているならば、すぐに神との交わりができます。
もし彼が自分の信念をneshamah、すなわち高次元の自己の意識に基づいて築こうとするなら、献身は最初の段階にすぎず、真の交わりは倫理的な実践によってのみ達成されます。
最終的に、彼が哲学的思索に基づいて自分の信念を確立したとすれば、倫理的実践でさえ、目標を達成するために通過しなければならない知的育成の 10 段階のうちの 5 段階目にすぎません。
ゾハールの神的命名法に関するこのスケッチを完成させるためには、まだ二つのステップが必要です。
一つは、三組のカテゴリー、すなわち、上と下、男と女、右と左を、上記の図式に当てはめて立体的に理解し、体験することです。
もう一つは、ゾハールの体系において、聖なる名前あるいはテトラグラマトンが占める位置について熟慮することです。