誤謬を訂正しない理由
error Affirmation
一般によくある誤謬は、下位の意識を上位の意識だと勘違いすることである。
認識システムと五蘊 そこからの離脱法
たとえば日常生活における「無我夢中」の心境とは、ただ最下部の顕在意識から次の潜在意識への移行という始めの第一歩目の変性意識でしかないのにもかかわらず、その体験を上位の「空」の体験だと勘違いすることから生まれる。
また運動や瞑想などをしている時に「手足などの体が周囲の空気とつながっている感覚」とは顕在意識から無意識への移行という第二歩目の変性意識でしかないのにもかかわらず、その体験を「空」の神秘体験だと認識してしまうこともある。
私たちは、アイデンティティという「違いを求める自己」を主体にして生活をしているので、
無意識の一般化された言葉に囚われて、
潜在意識の感情と思考パターンにコントロールされて、
中層にある集合意識にまだ気づいていないからである。
目の前の崖の上にあると思われるゴールに到着するためには、絶壁の崖は滑って登れないので、まずは自分の内側に向き合って、感情や思考のパターンに囚われている状態から離脱する体験を積み重ねることから始まる。
この体験は100里の旅のほんの始まりでしかない一里塚でしかないためである。
多くの人は一里進むごとにそれまでの誤謬を発見することで自分にとって何が正しいのかがわかり、その誤りがその人にとって衝撃的なことであればあるほど、これまでに自分がしていた大きな勘違いに気づき、一里進むことで正しい体験をしたという気持ちが強くなってしまい、それをまだ気づいていない他人にその誤りについて語りたくなり、しばらくそこに安住しては自分の正しさを他者に吹聴してしまう。
ところが実情を見てみると、まだ1つ(か10か100)の概念化してしまっていた勘違い(過剰一般化)が明らかになっただけで、この先にはこれまで以上の勘違いがずっと並び続けている。
まだ900?以上はある間違い(思考パターン)をどんどんと取り除いていかないと、「あるがまま」には届かないので、これからの999里を覚悟せよ、と解釈するのが、「道」を歩き進めるには必要な心構えとなる。