学問で一等賞の基準  ノーベル賞ってドンダケー?

 

 

 ノーベル賞は、一九〇一年に、十九世紀にダイナマイトを発明して巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベルの遺言によってつくられた。 その遺言の動機は、ノーベルが自分の死後に、自分に与えられる「死の商人」という評価を払拭したいと思ったからである。

 

賞設立の遺言を残したノーベル(18331021 - 18961210日)はスウェーデンの発明家・企業家であり、ダイナマイトをはじめとする様々な科学の開発・生産によって巨万の富を築いた。しかし爆薬や兵器をもとに富を築いたノーベルには一部から批判の声が上がっていた。1888年、兄のリュドビックがカンヌにて死去するが、この時フランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」との見出しとともに報道。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになった

 欧米が爆弾を戦争で使用するようになってから、戦争はより大きな破壊を生み出し、現在に至るまで耐え難い多くの兵士と諸国民の命が失われた。そしてそれが原子力爆弾にもつながっていく。

 

 ノーベル賞は、一九〇一年以来、はじめは、欧米の白人だけに、第二次世界大戦後には、有色人種にも、贈られて普遍的な賞となった。 そして、今や、ノーベル賞の受賞は、学者として世界的な業績を讃えられる最大の名誉となっただけではなく、受賞者を生み出した国家の名誉ともみなされるものとなった。

毎年授与されるノーベル賞は、各種の政治バランスなども見ながら、年ごとに主催者が企画を立て運営している。これは平和賞や文学賞に限らず、自然科学も例外ではない。経済学賞だけはノーベルの意向とは関係なく死後70年あとに金融機関などの後押しにより設立された。

ノーベル財団はほとんどこうした内容に触れないが、「公正な選考」を考えても、それは必然的だ。人間はバランスを考える生物であるから。

 

「マンハッタン計画」に参加した物理学者のノーベル賞受賞。

エミリオ・セグレ(59年受賞)マンハッタン計画のリーダー

ユージン・ウィグナー(63年受賞) 原爆製造提案の手紙を米大統領に送った3人の物理学者の1人。リチャード・ファインマン(65年受賞) 核弾頭の基礎計算で最も力を発揮。尚、原爆を具体的に設計した物理学者

ハンス・ベーテ(67年受賞)「マンハッタン計画」の理論面のチーフ、ユダヤ系ドイツ人です。

ルイス・ウオルター・アルヴァレス(68年受賞)「マンハッタン計画」の核爆弾の効果を測定する直接の担当者

アインシュタイン1921年 1939年10月11日、アメリカに亡命していたアインシュタインはF=ローズヴェルト大統領に手紙を送り、原子爆弾の開発を急ぐよう進言した。

エンリコ・フェルミ1938年は、中性子照射によって元素の人工変換 1942年には最初の原子炉を組立て、核分裂の制御に成功し、原子爆弾製造を一歩進めたのだった

 

湯川秀樹と原爆とノーベル賞

『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』中条一雄  

『ユダヤは日本に何をしたが』(2003年)渡部悌治(p.152) (p.155) 米国に技術を売り渡したという記述

『もはや高地なし』〔フレツチャー・ニーベル、チャールズベイリー著、1960年〕

「アメリカ日記」193910月3日の日記  『原子と人間』1948年 湯川秀樹

「元CIA長官A・ダレスの『原爆投下阻止工作』の全貌」 有馬哲夫が「月刊現代」(2008年1月号)

『原爆の秘密 国内編』は、第4章「湯川秀樹ノーベル賞と原子爆弾との関係」p.149-162技術の流出の可能性

小畑弘道の『被爆動員学徒の生きた時代』(2007年) 湯川秀樹博士らの進言と軍の後押しで創設された広島高師附属中学校は6月に疎開した。

『核時代を超える』(1968年)湯川、朝永振一郎、坂田昌一との共著

 

彼は自身の中間子理論が原爆開発に利用された事を終始悔やんでいたという。

戦後平和運動に邁進したのもその思いからだったという。

彼は実は戦時中、核開発の研究スタッフの一員だったが、日本がまとめた核分裂に関する理論と資料を米国に提供したとされている。

そして広島に原爆が落ちるのは間違いなく知っていたという資料はある。

「ユダヤ人は日本に何をしたか」(成甲書院)。

戦後のノーベル賞はその論功行賞だという説もある。

確かにノーベル賞というのはそれまでは白人の独断場で、それまでは白人以外の人間に与える気がなかった。

しかし、日本に原子力についての賞を与えることで日本が開発する前に原爆を落とす必要があったことをアピールする必要があって受賞を決めたという説にも論理性はある。

 

毒ガスとノーベル賞

フリッツ・ハーバーは1918年にノーベル化学賞を受賞した。受賞理由はハーバー・ボッシュ法の発明で、空中窒素固定を人為的にできるようにした。それまでは、自然界でマメ科植物が根粒細菌と結びついてしか固定化できなった。高温・高圧条件下における、鉄触媒を使い、窒素(N)と水素(H)を結合させたアンモニア(NH3)の合成に成功した。このアンモニア合成法で肥料が開発され、多くの農地で利用された。

 

ところが、ハーバーは1914年から毒ガスの研究を始め、第二次イーペルの戦いでは、自らが毒ガス作戦を指揮した。使用されたのは塩素ガスで、1915年4月22日の一日で連合軍側に5000人の死者が出た。その後には、毒ガスはイペリットやホスゲンなど毒性の強いものを開発し、フランス軍も使用し、両方の陣営で100万の兵士が犠牲になったといわれる。なお、塩素ガスをイペリットというのは、イープルで使用さえたことから付けられた。

この有毒ガスは、高濃度なら人を死に至らしめ、低濃度でも人を呼吸困難に陥れ長期間苦しめるという非人道的なものである。

毒ガスの開発にあたったバーバーに対し、妻クララはそれを止めるよう懇願した。しかし、ハーバーはその懇願を受け入れず、研究を続行した。イープルで毒ガスが使用されて多数の犠牲者がでると、それを知ったクララは耐えられず、5月2日に自殺した。

 妻の自殺にもめげず、ハーバーは毒ガスの研究をやめなかった。やがて東部戦線でもは連合国軍も使用するようになった。クララの反対にもかかわらず毒ガスの開発をなぜ進めたハーバーにはどのような信念があったのだろうか。ある人に問われたとき、彼は「毒ガスの開発はフランスの方が先に手を付けた。先に実用化させて戦争を終わらせた方が人びとを救うことになる」と答えたという。

ハーバーと同じく有毒ガスを開発した化学者のヴィクトル・グリニャールもノーベル化学賞を受賞したが、彼の受賞は大戦前の1912年のこと。

The Dark Side of Nobel Prizewinning Research

http://www.ndtv.com/world-news/the-dark-side-of-nobel-prizewinning-research-1225911

 

ロボトミーとノーベル賞

ノーベル生理学・医学賞で物議をかもしたのはロボトミーを考案したポルトガルの医師、エガス・モニス。ロボトミーとは前頭葉を切除することで精神疾患を根本的に治療する治療法で、当時は画期的だと考えられていましたが、患者の人間性を著しく奪うという副作用のため、現在では悪評高い手術として知られている。アメリカでは現在でもロボトミー手術で廃人になってしまった当事者・家族たちにより、モニスのノーベル賞取り消しのための運動が行われている。

 

「日本にノーベル賞が来る理由」(朝日新書、2008年12月刊行)著者は、伊東乾(けん)

略歴 作曲家にして指揮者 東京大学大学院物理学専攻博士課程単位取得退学、同総合文化研究科博士課程修了。第1回出光音楽賞受賞・・・著書『バカと東大は使いよう』他。

 第二次世界大戦での原子爆弾とノーベル賞受賞との密接な関連性を分かりやすく説明しています。湯川秀樹博士の受賞もこの脈絡の中で語られていますし、日本におけるノーベル賞の紹介が、終戦直後の占領軍政策の中で、メディアに大きく制約があり、今もって歪に説明されているのです。

 

ノーベル財団には大変明確な「戦略」と「理念」がある事です。「メッセージ性」、「個性」とでもいうのでしょうか。それは「人類の平和」であり、「豊かなくらし」であったりです。それに忠実な活動が、「差別の非対称性」を克服するバランスのとれた国際間の「対称性」ある配慮への信頼感を生み出しているのでしょう。

キーワードは「対称性」です。平和賞や文学賞だけでなく科学部門にも国際間のパワーバランスを考慮して選出しています。

ベースはプロテスタンティズムなので、大きな矛盾と抑圧と理念の恐ろしさを前提にしています。

 

 

朝永博士は科学についてこう語っています。

「公害や原爆をもたらす科学は、悪いものだという人もいますし、一方で科学は私たちの生活を便利に豊かにしてくれるとても素晴らしいものだという人もいます。しかし、科学には、人間を不幸にも、幸福にもしない第3の見方があると思うのです」。

  秘密シアターに映し出される風景や、顕微鏡から垣間見る小さな生き物の不思議な行動、子供のころ心惹かれたあの瞬間の驚きを追求することは、だれを不幸にするものでも、また幸福にするものでもありません。「心惹かれる不思議を少しずつ掘り下げていく、そういうところに科学の大切な意味の一つがあります。――不思議だと思うこと、これが科学の芽です」。

 

しかし残念ながらこれは第三の見方にはなりません。

本人の好奇心への強い気持ちはわかります。人間として当たり前の感情です。

そして、これを感情やマインドや行動をコントロールできるものだけが使用するものにしていればこの理屈も通るでしょう。

しかしそうとはならないのは、朝永さんをはじめとした科学者たちは、自分の発見や発明を社会に公表したいという欲を抑えることができない人たちの集団だからです。社会や未来や希望や本能など色々な理由を探してきては自己肯定しますが、結局は世間に問うことに変わりはありません。

ならばその世間に公表された研究結果は善悪や幸不幸の両方に使用さえてしまうことになります。

原因は科学者の好奇心や知への探求ではなく、それを世間に発表したことです。

世間というのは善悪などの相対する二元があることで成り立っている世界です。

この二元があることで、2つに分けて認識する世界以前のものもあることが認識できる可能性が出てきます。

たとえば、「空」「大自然の法則」「大いなるもの」「宇宙の意識」「カミ」などなど。

ですから世間というのは唯一無二の大切なものでありますが、ここを基準にしている時空の割合を大きくしているかぎりは、あらゆる綺麗事や理念を持っていても、言い訳になることも多いでしょう。

ですから宗教はスポットライトを人の外側にある法則ではなく内面の法則に向けることの重要さを説いてきました。

また武術の極意は、内面の法則を会得したものだけに、口伝や秘伝や一子相伝のような方法で、伝えてきたのだと思います。

これも武術の怖さをよく理解しているからだと思います。

科学にもこれと同じことがいえると私は思います。

順序と修練を除いてしまったら、どんな素晴らしい科学的発見も危ういものになるのは明らかです。