プロテスタントの免罪符 予定説が今のあなたを作っている
キリスト教の歴史には不思議なことがいっぱいあります。
だいたい公会議や改革というのが一番妖しいです。香り漂いますからね、やっぱり。
今回は16世紀の宗教革命が現代に直接つながる免罪符の始まり、というお話です。
まず改とか良とか革とかというのは、利権が古いグループから新しいグループに移動することも意味します。
新しいグループの台頭です。
そしてそれは人間の腸ではなく、脳にとって都合の良い、ヒトの計らいの方向への変化です。
なぜか?
地理的に言うと、大自然の摂理を都会のルールに置き換えていくプロセスのことだからです、これまでの人類史における改革とは。沙漠と山から荒野と森へ、荒野と森から牧草地と農地へ、牧草地と農地から大都市と実験室へ、という流れで、新しい人にとって都合の良い環境に対応させていくのが改革です。その度に利権を得るものが変わっていきました。
一時的なものを除いて、そうではない改良があったら教えてください、勉強します。
宗教は人の命よりも大切なこともあることを説いています。それが曲解されるとジハードや殉教につながります。では、自殺とは宗教的なものなのでしょうか?
あなたの場合はどうでしたか?これまでに何度か考えたことはあるでしょうか?
私の場合は、自分が生きている意味がないと感じた時です。自分と自分でないものの間につながりが感じられなかった時です。自分の役割がわからなくなった時もです。全体の中の一部という感覚が消えてしまった時です。
親だったり、親戚だったり、仲間だったり、近所だったり、学校だったり、会社だったり、国だったり、地球だったり、カミだったり。誰とも繋がっていないと思える時にヒトは生きる活力がなくなるようです。あらゆる生命体は外のものを取り入れ、内なるものを外に出すことによって、すなわち内外が交換されることによって生きています。だからなんでしょうか、ヒトはつながっていない事や自分の役割が分からない時は、どうしようもない不安を感じてしまいます。
襲いかかってくる不安がヒトの身体によくないんです。脳が心(意識)にかかわらず勝手に働いちゃって、余計なホルモンや酵素を出すように体に命令しちゃうんです。 こちらから積極的に不安を探してそれを生きる目的として使っている場合は、不安も元気の素になるんですけれども。
それで今回は現代の不安の原因の一つがお金だけじゃなくて神学にもあったいう話です。
都市生活では、神学なんか関係なさそうだけれどもね。
予定説ってなに?
16世紀の宗教革命からプロテスタントとカトリックが対立があったのだけど、この二つの間で、果たして何が問題だったのだろう。それ以前にどんな問題や背景があったのだろう?
どんな人たちがそれまでのキリスト教と対立せざるを得ない状況に陥っていたのか?ということです。殺し合いをしてまでも変えなくてはならないものは何であったのか?という問いです。
わかりやすい答えは政治的な権力争い、経済的な利権です。 どっちが勝つかというやつです。
では考え方では?どんな違いがあったのでしょうか?
フスやルターはウィクリフJohn Wycliffe 1330‐84の預定 predestinationという考え方がとても気になっていました。Pre(前もって)destnaiton(到着地)が決められているということです。
救いは神があらかじめ定めた恩寵の選びによるという、後のカルヴァンJean Calvinの預定説です。
他の言い方で言うと、天国に迎えられるのはこの世の善行によるのではなく、神によって既に天国に迎えられかどうかは「予定」されている。はじめから神の意志が絶対であり、個人の救済は神によって予め決まっているということです。
予定の「予」は「あらかじめ」、「定」は「決定している」という意味です。
普通、救われるかどうかは信仰の深さ、日々の行い、そういったもので決まると考えられています。因果応報の考え方でこの世を理解するとそうなります。コンビニではお弁当は売れた分だけ儲かるし、学校では努力した分だけ試験の成績は上がります。キリスト教でいえば教会の教えにしたがい、信仰を守っていれば神様はきっと救ってくださる、というわけです。
ところが、カルヴァンは、そんなことはないと言いきる。カルヴァンによれば神というのはものすごく超越的なもので、神がどういうふうに考えて、世界をどう動かすかなどということは、人間ごときが想像してわかるものではない。一所懸命信仰すれば救われるなどというのは人間の勝手な思いこみで、ちっぽけな人間の理解で偉大な神の判断について言及するなんてとんでもない、というのです。
解釈によって理解が変わるので、この説はとんでもないようにも思いますし、当たり前のようにも思います。
はじめから運命が決まっているんだったら別にキリスト教なんか入る必要はないし、なにをやっても無駄だというなら悪いことも良いことも何でもやるという人もいるでしょう。
また全ては宇宙の摂理なんだから、そんな生命体の一つ一つの行いに関係なく、決められたものは決められたとおりでしょう。春の後に夏が来るし、太陽だって120億年後になくなるのはわかっていますから、全ては決められた中で物事は起きている。人間側の都合でカミに公平さや救いを求めるのではなく、宇宙の摂理をそのまま受け入れるしかないでしょう、とも。
では、まずこの説を一般の人はどうとらえたか?
自分が天国に行く予定なのか地獄に落ちる予定なのか分からないという不安が生じた。
多くのキリスト教徒が「私は選ばれているのだろうか? 神が創造の以前から私を拒んでいるのか?」と疑問に思い、苦しんだ。人たちは、自分が神の選びに含まれているのか除外されているのかということに関心をもった。
命が危うい戦争と魔女狩り
ところでこの時代、あるグループの人は救われるかどうかというのが、命の問題でした。
なぜそれほど救いが必要だったのでしょうか、何から救われたかったのでしょうか、何が恐ろしかったのでしょうか?そして誰がこの考え方を必要としたかです。
この時代の日常生活は三十年戦争1618〜1648、オランダ八十年戦争1568〜1648、モリスコの乱1568〜1570、異端審問に対する反乱1591にさらされ、特に魔女狩りは、共同体をバラバラにして、猜疑心と恐怖の塊の集団に変えてしまいました。 もしかしたら今日にでも戦争に巻き込まれるか、または魔女に仕立てられて拷問を受けた上に殺されて財産を没収されるかわかったものではありません。特に街で暮らす者には辛い問題です。村に比べて新興移住者が多く、価値観が多様で共同作業をする機会も少なく、隣人と深いつなりが必要ありませんでした。
ここでの命の問題は3つです。食べていけるか、魔女にされないか、みんなが認める神の証明という正義があるか、という問題でした。言い換えれば、貯蓄を肯定できる教え、間違いなくキリスト教徒であることの教え、自分がやることが正しいという確信を持てる教えということです。
これを解決するためには予定説がなにがなんでも必要だったのです。彼らなりに都合よく解釈しての予定説ですが。
まずは食べていくことの不安です。
だれが?
明日の保証や来年のことがわからぬ者にとって。
それは誰?ここがポイントです。
街で暮らす者。商工をなりわいとするものです。街で生きていくためにはお金が必要です。これを貯めることを肯定してくれる神学が必要でした。農業や牧畜業以外の仕事に携わる人が増えていましたが、彼らの価値観にあった教えがなく困っていました。
イエスが言ったこと
農業、畜産業は、大地の上で太陽と雨の恵みがあれば、毎年収穫が期待できます。ヒトが少し手助けするだけで、自然の摂理の力で、種が実となるのです。一つの稲籾が5ヶ月後には140倍になります。麦は当時は5倍だと言われています。大地に種を撒けば、稔はお天道様が与えてくれるのです。
それに比べて、街で暮らす人々は、自分が仕事を休んだりしたりしたらもう、売上も給料も入ってこず、生活ができなくなってしまいます。その時に安心できるのが、蓄えです。日本の農家でいうと米俵です。これがあれば生きていけます。街生活者にとっては、それはお金です。ところが貯蓄することをキリスト教では奨励していませんでした。イエスも「金持ちが天国に迎えられのは駱駝が針の穴を通り抜けるよりも難しい」と言っています。
少し長いですがルカの18章の18節から25節を引用します。
また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
いましめはあなたの知っているとおりである。『姦淫(かんいん)するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。
すると彼は言った、「それらのことはみな、小さい時から守っております」。
イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持であったからである。
イエスは彼の様子を見て言われた、「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
他にも
イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
マタイによる福音書/ 19章 23節
重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
マタイによる福音書/ 19章 24節
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
マルコによる福音書/ 10章 25節
金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 テモテへの手紙一/ 06章 09節
あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。 ヨハネの黙示録/ 03章 17節
これは困った。
生物はどんな教えでも不安には勝てません。なんとか貯蓄を肯定する方法はないものか、と無意識の中で探し求めていたと思います。
貯蓄はしても、この世で禁欲に暮らせば神に対して胸を張れるのではないか?
正しく生きることによって貯蓄があっても義理立てできるのではないか?
蓄えはチャリティーという形で還元することもできるのだから、金儲けも問題ないのではないか?
というふうに思いたかったのです。そこに予定説ははまりました。プロテスタント風の解釈での予定説です。書かれている文字は同じでもどう解釈するかによって内容は変わります。
話を戻して、再び食べていく不安について。 生きるメタファーが近くにあるかどうかでヒトは大きな影響を受けます。たとえ一坪農園であってもそれは生きる力のメタファーが溢れ、心に安らぎを与える精神安定剤なのです。大地があれば天が与えてくれる太陽と雨で数ヵ月後には種一つが何倍にも増えてくれるのです。
壁のない街では、街のすぐ外には農地や牧草地があるので、それを見るだけで無意識の安心を与えたことでしょう。
しかし壁で外と内を分けた街では、城壁内では農業をすることはありませんから、天の恵みによる生物の成長を毎日見れるわけではありませんので、余計に喜んだと思います。
修道士というお手本
戦争の次は魔女狩りです。この時代はなにがなんでも模範的なキリスト教徒に見られる必要がありました。21世紀の都市にいると、この陰惨な出来事をイメージするのは少し難しいかもしれません。いや内戦を体験した人にはわかってもらえると思います。隣人から魔女に思われないためにどうすればよいか、というなによりも優先する切羽詰った問題だったのです。カトリック圏だけではなくプロテスタント圏でも魔女裁判は盛んでした。イギリスでも M. ホプキンズのような、「魔女の発見」を職業とする人も現れます。村はずれの老婆だけではなく、街中の次期市長候補も政敵から魔女の疑いがあると裁判にかけられる時代です。
みんな疑いをかけられるように一生懸命です。近くに真似るお手本を探します。
いました。教会の神父です、でもそれはこれまでさんざんと批判してきたカトリックです。免罪符を発行してボロ儲けしている連中です。ほかには?いました。修道士です。修道院という壁の内側で聖なる生活をしていると思われていた人たちです。実際には非道いことをする人もいましたが、イメージとしては模範するのに最適です。
カルヴァン派の信者は勤勉に働いてお金を貯めるけれど、生活は質素で倹約的です。かれらは生活のためではなく神の栄光のために働く。修道士が修道院で働くように、プロテスタントは街中で働くのです。ここでも場所と思想の関係を無視しました。修道院の中だからできたことを人の一杯いる街にシフトさせてしまいました。
貯めて贅沢をしようとは全然考えない人たちには、貯めること自体が目的になってしまう人も現れてきました。
正義はわれに有り
最後に大義名分です。これがあると人は安心できるのです。 実は正義とはカミさまのことなので、正義が自分にあることが大切です。
プロテスタントにおいては貯蓄することが救済につながるという神学です。
カルヴァンは言います。信者に向かって、「あなたが救われるかどうかは誰にもわからない。」「一所懸命神に祈っても無駄である」。 このカルヴァンの教えが広く受け入れられた核心部分がなぜ貯蓄につながるのでしょうか? 謎です、そこで考えてみました。
多分こういうことだったのではないか。
カルヴァンに誰が救われるかはわからないと言われた時に、これを聞いた人はほとんどの人は自分が救われない人とは思わない。「自分は神に選ばれているに違いない」、もっと極端に言えば「他の全部が地獄に堕ちても私だけは神に選ばれているはずだ」と考えたのではないか?自分だけは大丈夫というやつです。予定説という新しい情報を知り得たのは偶然ではない、必然である。この教えに関わることだけでも選ばれているではないか、と。
そう考えると、次には「神様、私を選んでくれてありがとう」と思う。自分を選んでくれた神様におのずから感謝を捧げる気持ちになる。熱心に信仰するようになる、というわけです。一見厳しい教義ですが、はまった人にとってはエリート意識をくすぐられるのではないかと想像できます。
ただ、信者は自分が選ばれている人間だと思うものの、何の証拠もない。少しでも自分が選ばれた人間である手がかりが欲しいと思うものです。
そこで、カルヴァンは神は偉大すぎて誰が救われるか我々にはわからない、としながらもこんなことを言う。神に選ばれて救われる人が誰かを知る方法はない。ただ、神から選ばれた人は運がよい。だから、選ばれたものは現世で成功する確率も高いのではないか、と。職業というのは神からあたえられた使命だから、おのおのが自分の職業でがんばって成功するならば、その人は神から選ばれた者である可能性が高い。
では、成功はどうやってはかるのか。カルヴァンの答えは単純です。「お金が貯まること。」お金を貯めればためるほど成功の証拠になる。
貯めて貯めて貯めまくって、自分の救済の確信を得たいのです。
カルヴァンは職業的成功が救済の証拠になると説きました。成功は蓄財によって証明されると、カルヴァンは蓄財を肯定します。
この点がそれまでのキリスト教と違うところです。カトリックは蓄財を肯定しません。お金を貯めることは卑しいことなんです。もし必要以上にお金を貯めたならそれは教会に寄付すべきなのです。個人で使い切れないお金を持つのは不道徳。イエスは金持ちは天国に入りにくいと教えていたのですから。
ところがカルヴァンは「お金を貯めなさい。どんどん貯めなさい。」と言ってくれる。だからカルヴァンの教えが最も広がったのは新興の市民階級でした。街で暮らすものです。商工業に従事している人たちです。蓄財に関する罪悪感をカルヴァンは見事に取り払ってくれたのです。
そして次が予定説のポイントです。いや予定説の内容ではなく、考え方です。AとBの因果関係はわからない、と言っておきながら、Bという結果があるのはAという原因があるからだろう、という考え方です。
救われる人であれば、その人はこの世でも幸せでいるに違いない。人生において成功しているに違いない。経済的な成功といえば金が増えていくことである。額は関係ありません、どんどんと貯蓄が増えていくことが大切なのです。それが成功を、幸せを、救いを証明しているのだ、という考え方です。
ここに論理的に多いな飛躍があります、飛躍ではなく論理的に間違っています。このアバウトさがヨーロッパで受け入れられるのが私とっては未だ不思議です。知っている方はヒントをください。
1 「この世の善行・悪行にかかわらず、救われるかどうかわからない」と言っておきながら、死後救われる人はこの世で成功しているに違いないなんて、この筋道をどうすれば納得できるのだろう。
2 救いという結果から、なぜ、この世における成功という原因を推定できるのもわかりません。
3 推定したものは単なる多くの推定の中の一つなのに、いつの間にか、これを絶対的なものとして、ついにはこれを基準にして、論理を組み立てていく。どうしてこれが受け入れられのかを知りたいのです。
この論法はロックの自然人の思想、マルクスの原始共産性の思想、現在のプロテスタントの宣教師たちの思想の根底に流れる共通の考え方です。
予定説 平凡社百科事典
救いは神があらかじめ定めた恩恵(恩寵)の選びによるというキリスト教の教え。〈予定〉とも書く。この語はパウロの《ローマ人への手紙》8章29節〈神はあらかじめ知っている者たちを,さらに御子のかたちに似たものにしようとしてあらかじめ定めた〉に由来する。のちの教会では予知と預定を若干区別して,予知 providence を一般に〈摂理〉と訳すのであるが,ヘブライ語には古くはこの区別はなく,パウロの文章もその伝統に従って概念上の区別を立てていないとみられる。ヘブライ語の動詞 j´da‘は〈知る〉〈選ぶ〉〈預定する〉の意に用いられる。しかも救いの預定と滅びの預定を分けるだけでなく,救いに預定したがゆえに罰するという逆説さえいわれる(《アモス書》3:2)。パウロの先の個所はその意味で否定の否定としての力強い肯定を表すといってよい。ストア学派は世界霊魂の統一性にもとづいて時間の連続性を主張し,預定の概念を哲学的に明示したが,この意味での未来のたしかさをいう〈あらかじめ〉は聖書ではいわれていない(〈預言者〉の場合は神から言葉を“あずかる”という意味も含む)。アウグスティヌスは〈最後の審判〉にたえる者のみが預定をうけていると考えた。これは自由意志による救いをとなえるペラギウスに対し,神の絶対の主権性を強調したものである。カルバンはある者は救いに,ある者は滅びに預定されているとの〈二重預定〉を説いたが,これは神の全知と摂理を語るスコラ神学が自然神学に堕するのを防ぐものであった。しかし K. バルトは,預定の神をたんに隠れた恐るべき神とするこの考えを批判し,キリスト自身選ぶ神であり,選びの原理はその死と復活のうちに現れていると述べる。 泉 治典 (c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
予定説の影響
予定説を信じたらヒトはどう変化するのか?そして最後に日本にも影響はどうであったのかを探索してみたいと思います。どこまで行けるか期待と不安です。またほかの面白いルートを見つけたら教えてください。その未踏ルートにもチャレンジしてみたいと思います。
1不安になるのでそれを忘れようとする。
2解釈によって事実を変更しても良い。率直に言えば言いくるめればいいという考え方で、論理学で言いくるめて証明できれば現実世界での白が黒くなってもいいという考え方が社会に広がり始めました。
3因果ではなく果因の考え方の再浸透です、ここから民主主義や人間は平等であるという考え方も生まれてきます。平等の思想が主義になると、それを拒む者は革命で変えればいいという考え方が肩で風をきって道の真ん中を歩き始めます。ここで歴史的に面白いのは「人工衛星からの視点」でものを考えるという方法が急に力を持ってきたことです。そしてこの視点を持つことにより、ある目標を想定するやいなや、それを最短で最小の方法で達する方法を見つけて実践するのに喜びを感じ、これが良いという信仰が広く浸透したことでした。合理主義の誕生です。○○主義というのは一つの信仰のことですから。
まずはじめは、恐怖から一心不乱に働く人間になるということです。
恐ろしくて不安だったからです。どうしようもない不安です。
このどうしようもない不安というのが生命体には一番良くないんです。
不安を楽しめるようになれば、実は不安も次に進化するためのエネルギーにもなるんですが、ただの絶望は全ての可能性が絶たれることです。家の外は戦争、隣の人にはいつ魔女狩りで裏切られるかわからない、そのうち自分自身も信じられくなる、だから恐ろしくてたまらない、もう負の連鎖のスパイラル効果です。
争いと共同体の崩壊で何でも懐疑心からものを考えます。
こんな時になにかお手本が欲しい、道を指し示して欲しい、不安から逃れる法則を知りたい、と思ったことでしょう。
それまでの人類の労働の伝統的な在り方は、日が昇ると働き始め、仲間とおしゃべりなどをしながら適当に働き、昼には長い昼食時間をとり、午後には昼寝や間食の時間をとり(シエスタ)、日が沈むと仕事を終えるというような、実質的な労働時間は短く、おおらかで人間的ではあるが生産性の低いものでした。
例えば、その日、生きていくのに必要な貨幣が手に入ればそれ以上は働かないといった精神態度でした。
そこには人生の経験者の話やシャーマンの話や呪術師の治療体験やそ宇宙観やアルチザン達の体験を共有したり、自然の中で仕事をすることにより、季節や農作物や焚き火や虫から、自然を理解するメタファーをいろいろと学んでいました。
そして気持ちが落ち着くことによって、腸感覚が機能しはじめます。腸器官が持つ、生けるもの全てが繋がっていると感じるあの充実感です。
ところが争いと魔女狩りの不安の状態では、腸感覚は働きません。すると人間は他のものと同化したり、連帯感を持つことが難しくなります。大脳ができることは、つながることではなく、分割して理解することです。
神と人間との間の距離は無限に離れている、と脳は感じてしまいます。
神は天地創造の際、ある人々に永遠の命を、その他の人々には永遠の死を予定した。というものです。つまり予定説から言えることは、人間には神の意向を伺い、知ることはできず、また、どのような手段を用いても神の予定を覆すことはできない、ということです。
またもや不安と孤立です。
このような考えにプロテスタントたちに強烈な孤独と恐怖が襲ったんでしょう。他のものと繋がることなく、死んでしまうという孤独です。このような孤独を克服するために、なんとか自分が救済されているとの確信を得ようとしたんです。そして、救済の証になると思われたのが、与えられた職業労働に勤しみつつ、自らの全生活を厳しい規律によって組織化すること(世俗内禁欲)だったんです。
自分の行為の善悪で天国に行くかどうかではなく、神がどういう人を救済するのかを推理し、いま目の前にある生活を決めていこうとする考え方です。
プロテスタントの関心は、どのようにすれば神から選ばれていると思うことができるのか、ということでした。
自分が神に選ばれ、天国に行く予定なのだという信念をもってこの世の生活の中でそれを確認すべきだということになります。このため、全生活が神に対する宗教的勤めであることになりますが、当然ながら生活は職業生活を軸に行われることから「禁欲」を徹底して職業において成功すれば、ということは蓄財が実現すればそれは神によって嘉せられているということ、すなわち天国に迎えられる「選ばれた者」であると確信できる、という理屈です。教会の内外に関わらず、全生活を「禁欲」で徹底することを「世俗内禁欲」といい、宗教改革によって生じた新しい生活倫理です。
そうして人々は、世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことによって、社会に貢献し、この世に神の栄光をあらわすことによって、ようやく自分が救われているという確信を持つことができるようになりました。
しかし、この禁欲的プロテスタンティズムが与えた影響で大事なことはそれだけではなく、現代につながる影響としては「利潤の肯定」、「利潤の追求の正当化」、つまり金儲けに正当性を与えたことでした。
世界史を遡ってみてみると、それまでは金儲けというのは、善と悪どちらかといえば悪であり、少なくとも積極的に肯定されるものではなく、正当性を持たなかった。
そしてプロテスタンティズム、殊にカルヴァン主義は最も禁欲的であり、金儲けを目的にするのは悪として徹底的に否定する宗教のひとつであった。金儲けに正当性が与えられない社会では、当然金儲けは抑制され、近代資本主義社会へと発展することはありません。 貯蓄にいそしむことと金儲けを目的とするのは違うというのです。
しかし最初から利潤の追求を目的とするのではなく、行動的禁欲をもって天職に勤勉に励み、その「結果として」利潤を得るのであれば、その利潤を還元して、安くて良質な商品やサービスを人々に提供したという、「隣人愛」の実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、救済を確信させる証であるとする、ここでも因と果が逆転した論理を生み出しました。ここに最も金儲けに否定的な禁欲的な宗教が、それとは全く正反対の、金儲けを積極的に肯定する論理と近代資本主義を生み出したのは何故でしょう?
そして人々は「結果として」の利潤の追求に励むことになる。利潤の多寡は「隣人愛」の実践の証であり、救済を確信させる証であるから、より多ければ多いほど良いとされた。より多くの利潤を得るためには寸暇を惜しんで勤勉に労働しなければならない。そのため人々は時計を用い、自己の労働を時間で管理するエートスが成立した。このことを端的に示す諺が「時は金なり」である。スイスで時計産業が発達したのは偶然ではない。
こうしてプロテスタンティズムは、人類の中に眠っていた莫大な生産力を引き出したのであった。
節約(無駄を省くなどの支出の抑制)のために、収支を管理して合理的経営を行うのに不可欠な複式簿記の導入や、生産性を上げるために、科学的合理的精神に基づいた効率の良い生産方法の導入が図られた。
また、禁欲的労働によって蓄えられた金は、禁欲であるから消費によって浪費されることもなく貯蓄され(資本蓄積)、利潤追求のために再投資されることになった。これにより大規模産業を興すことが可能となった。
このように、プロテスタンティズムが生み出した勤勉さや合理主義は、資本主義の「精神」に結びつき、ベンジャミン・フランクリンに象徴されるような近代資本主義を誕生させたのであった。
気持ちを落ち着かせるためには働く以外に道がない。 手を休めると こんなことでは救われないのではないか、と不安になってしまうからです。 熱心に働いている間だけは、そうした不安も和らぐのです。
この考え方が資本主義に必要だった。 16世紀以前に中国は宋時代に世界一の経済大国になり、中近東では後ウマイヤ朝東イスラム圏、ファーティマ朝のアラブ科学は高い技術や巨大な資本や商業都市のシステム、貿易などのコミュニケーション構造が出来上がっていたのにかかわらず、資本主義が生まれなかったのは、
信仰、エートス(行動様式)、私の言い方で言うと、いかに恐怖を与えて、なにか目的を見つけてそれに向かって驀進していいないと苦しくなる体質に洗脳するかということです。
次に解釈による言い逃れができるという前例を作ってしまった影響です。 これは古代からあったことですが、宗教書におけるこれ程あからさまなことはほかにどんな例があるのでしょうか? 今の検事や裁判官の解釈、そして日本の憲法解釈まで影響を及ぼしているといいきるにはもっと具体例が必要なようですが。
プロテスタント風の解釈でのキリスト教が生まれました。この予定説が無茶を通す時の煙幕となりました。書かれている文字は同じでもどう解釈するかによって内容は変わります。聖書はカミについて書かれたものです、時空を超えたカミは必然的に「たとえ」によって表現されるしかありません。比喩である直喩や、隠喩である換喩や寓喩など、喩え話によって構成されています。これまで見てきたようにこの時代のヨーロッパではキリスト教徒であることが絶対条件で必要でしたから、聖書を再解釈することでしか生きる道がなかったので、聖書が抽象的な表現や多くの喩え話で溢れざるを得ないということはプロテスタントにとって好都合でした。
この解釈によって都合の良いように意味を変えるという手法は、神学から論理学、そして政治の世界にも拡がりました。
たとえばリンカーンの有名な
「人民の人民による人民のための政治」というメッセージがあります。
government of the people, by the people, for the people
=gov't of the people, gov't by the people, gov't for the people
実際にはこの言葉はリンカーンのオリジナルではなく、今知られている一番古いものはジョン・ウィクリフ(1320年頃 - 1384年)が聖書を英訳した著作の序言に"This Bible is for the government of the people, by the people, and for the people"(「この聖書は人民の、人民による、人民のための統治に資するものである」)とあるのに始まっています。
読解のポイントはPeople(人民)の定義が次々と変わっているのが現実ということです。
はじめの人民は人間全員、つぎの人民は選挙で選ばれた者たち、最後の人民はエリート達をさします。
それは偏見だとか、穿った見方だと思う人も当然いるでしょう?
では聞きます。
リンカーンの言う最後の人民には、アメリカン・インディアンや黒人は入っているのでしょうか?アメリカの外にいるアフリカ人やアジア人は入っているのでしょうか?
民族浄化とも言われるロング・ウォーク・オブ・ナバホや、ダコタ戦争を始めとする多くのインディアン戦争はリンカーン政権下で行われました。あきらかにリンカーンにとって、最後の人民にインディアンは入っておらず、また白人と黒人は平等であるとは思っていなかったことは彼の演説や手紙からも明らかです。Peopleという言葉をその都合に合わせてその度に意味を変えるという方法をプロテスタントの手法と同じです。
最後に因果ではなく果因の考え方の再浸透です。先に結果を仮説で決めて、それから原因を推論し、そしていつの間にかその推論を論理の前提として、証明をはじめるという手口です。なぜこんなやり方でみんなは文句を言わないのかだれか一緒に考えみませんか?だってこの手法で論文を書く事が論理学、数学、政治学、経済学、心理学、社会学と大学で学位を取る時に要求されているからです。アカデミーではこんな考え方がまかり通っていてこの考えをベースに卒業論文を書かないと学位は取得できないのが不思議です。
例えば、
ジョン・ロックは国家や社会が出来る前は、誰もが自由だったという世界を推定して、その自由で平等な人間を「自然人 a natural man」と呼び、その状況を「自然状態 state of nature」と名付けた。各国の違いで社会や国家を個別的にしか論じることができない状況だったので、あえて「自然人」を仮定して、そこから社会の成り立ちを考えようとした。「統治二論」Two Treatises of Government 1690年
ロックのやったことは、人間を抽象化することです。法も権力もない社会を想定することから議論を進める方法です。個別的で議論にならないものを議論にしようとする試みとしては素晴らしいけれど、議論された後は、不完全な想定からの推論なので、役目は終わったと見るのが妥当ではないでしょうか?ところが、この方法論を使って人間の社会の問題を科学にみえるように仕立て上げていくことが流行りました。経済学や政治学などです。
例えば経済学ではまず自由競争という「完全競争」を想定します。競争が最も理想的に行われる状態のことです。
この条件は4つあり、
1 売り手も買い手も十分に多数存在し、
2 売られている商品の質が全く均一で
3 市場の参加者が誰でも同じ情報をフリーに利用でき、
4 誰もが自由に参加・脱退できる
ということが前提です。
ここからいろいろな法則や原理が導き出されてきたのですが、統治二論と同じで、はじめの前提がありえないことなので、そんな考え方もあるという参考にするものであって、それをベースに理論を展開するものでも、信頼するものではありません。
ついでだから、ロックのもうひとつの特徴もここに書いておきます。土地からの収穫に縛られていた経済を解き放したという功績です。富は有限ではなく、労働が富を作り出す。 動物は働かないから富を増やさないが、人間は知恵を使って働けば、資源を増やすことにつながる。働くことは社会全体のためになる。富は無限である。さあ目の前に肥沃な荒野が広がっているぞ、というやつです。
社会全体のためといってもそれは△ピラミッド(富の階級)の上層部のpeopleだし、虫から見れば富は前と一つも変わらず、他の動植物から見れば明らかにかれらの生活圏への侵入、破壊行為です。いつもの利己的な脳から見た世界観だけです。
ただこの世界観が信者の内面に劇的な変化を引き起こしたのは大きな人類史の事件です。
そしてこの神からの視点を前提にすることにより、平等の発想が生まれ、近代デモクラシーの視点が生まれ、ヒトの体の内に神を体感できなかったので、代わりに宇宙に存在する一点からの視点すなわち私の言う人工衛星の視点に置き換えて、なんでもそこからこの世を見る癖がついに発明されたのでした。
話を因果に戻します。
予定説を信じることにより、因果ではなく果因でものを考えるので、神に救われている人ならば、信者の仕事は素晴らしいことに違いなく、それは救われるために神が与えたものでしょうと推論します。だとすると信者にとって、その仕事が救済の証拠であり、働くことが生きがいになるというのです。遊ぶことよりも楽しむことよりも仕事のほうが大切なことだというのです。 そりゃあ働くのが嫌だなんていったら地獄行きです。どうせ働くなら楽しくしたいし、中には神から労働を授かったと思うだけに幸せになっちゃって、我武者羅にニコニコしながら励んだものもいっぱいいたと思います。なんたって労働は救済の手段であり、隣人愛の実践なんですから。働くことが大切になる 天職であり生きがいである仕事をしたくてたまらなくなる。 労働は、神様が天職として与えてくれたことで、神様が定めてくれたことだから正しい。働くことによって神様と一緒になれる、神の一部になれる、こんな悦楽は他にはありません。
いやいやちょっと待ってくださいよ。やはりここにも捏造や解釈の問題がありそうです。信者を奴隷のように働かせても喜ぶような考え方をするような。だって救われている人は働く必要もなく、毎日、生きる必要なことだけをして楽しくやるという解釈した予定説があってもおかしくないからです。一日3時間の労働だけで後はニコニコしているのがいいという予定説があったら教えてください、みんなで実践しましょう。16世紀にカルヴァン以外にだれが予定説と天職とハードワークを結びつけたのか、カルヴァンを含めどの本に書いてあるのか知っている人がいれば教えてください。
以下は一般的な歴史書に書かれている解釈ですが、神の御心は労働しないで体を緩めてリラックスして暮らすことだ、という宗派ができてもおかしくないと思うのですが。
キリスト教において人生は一度きりなので、善行を働いても救われるわけではなく、予め救われているかどうか知ることもできず、もし選ばれていなかったら消滅し、もう二度と救済されない、という予定説の恐るべき論理は、人間に激しい精神的緊張を強い、そこから逃れるために、「神によって救われている人間ならば(果)、神の御心に適うことを行うはずだ(因)」という、因と果が逆転した論理を生み出し、欲望や贅沢や浪費へ向かうはずだった人生のエネルギーの全てを、信仰と労働(神が定めた職業、召命、天職、ベルーフ)のみに集中するという、禁欲的労働という精神・行動様式(エートス)を生み出したのである。エートスとはしたくてたまらくなる、ということで、Have to からWant toに変わたったことです。信者本人がなぜ遊びという私が好きな天職に囚われないのかはよくわかりませんが、こりゃあ経営者たちにとっては、こんな良い洗脳法はない、と飛びついたのは頷けます。
予定説を取り入れることにより、内面が画期的にかわり、外から見える変化では、週6日の労働と利潤の追求です。そして目的を達成するために何をすべきか?を合理的に考えることをやりはじめました。
儲けることを考え、より効率的に目標に達することを良しとする。
利潤最大化が大義名分となり、大福帳が複式簿記へと変わっていきました。
人工衛星の視点
現代の話をする前に、16世紀から急速に市民権を得た人工衛星の視点の視点について考えてみます。
実はこの視点が現代に最も影響を与えている考え方の一つだからです。
この時代は戦争と魔女狩りの時代でした。誰もが自分の正義を主張して、他を潰し叩こうとしていました。
1486年に魔女論の古典といわれる 《魔女の故》が魔女を定義し,逮捕,尋問,証人,判決にいたる諸手続について書かれ、ドイツで出版されいています。
人は急に脳を使わざるを得ない時間が増えてしまい、各々が自分の正しさを主張し、他者を貶め、社会は人間不信に陥ってしまっていました。
戦争と魔女狩りで血が頭に上り、脳はフル回転するが、心は疲れ、腸には気が落ち着かず、ヒトと生物、生物と生命体、生命体と地球、地球と宇宙、宇宙と神、とつながることを体感できる腸感覚が使えなくなってしまったんでしょうね。 この時代は。
そんな状況の中、ヨーロッパの人々が喉から手が出るほど求めていたのが、各自からの視点ではなく、各自を超えたところからものを見る方法でした。
いろいろな試みがありました。それを人は色々な名前で呼びます。客観的、科学的、神からの視点などですが、どれも正確ではありません。 疑心暗鬼な世界から抜け出すという動機はよくわかりますが、どれも視点を人間の中ではなく、人間の外においてしまいます。外から人間自身を見つめようとする視点です。果因の考え方同様、まず外に一つの場所を想定して、そこから世界を見つめ直すという方法です。
カルヴァンが『キリスト教綱要』(羅: Christianae Religionis Institutio)をバーゼルにおいてラテン語で出版したのは1536年3月です。そしてコペルニクスはその7年後の1543年に《天球の回転について》を出版しました。
この地球に立って星を見つめるのではなく、まるで神になったかのように成層圏から離れ、太陽を中心とした太陽系惑星の動きを見つめているのです。こんな生命体が生きていけないところからこの世を見る視点が当たり前になる萌しでした。
現代の予定説
そしてこの人工衛星の視点が現在に強くつながっています。
予定説がないと平等や人権も生まれてきませんでした。
この世では、優劣、高低、上下があります。 人の目から見れば当然です。
平等は人からの視点を超えないと成立しません。そこで守護神やエンジェルたち程度ならば優劣の差が出てしまうので、これらの全て超えたものを想定しなければなりません。すなわち神さまです、宇宙の創造神です。あの、救われているかどうかは神さましかわからないという、あの予定説の神です。 こちらの人間からは伺い知ることもできない人智を超えた存在です。
平等なんか大それたことを言う時には、実はヒトから離れた視点がどうしても必要になっちゃうんです。これが人を超えた場所から見つめる視点で、現代人が無意識にいつも価値判断の一つとしている人工衛生からこの地球を見つめている視点です。
この視点が学問や医学にも影響して、現代西洋医学を作り上げていきました。
救済に与れるかどうか全く不明であり、現世での善行も意味を持たないとすると、人々は虚無的な思想に陥るのではないか、と思う人もいるでしょう。現世でどう生きようとも救済される者は予め決まっているというのであるなら、快楽にふけるという対応をする者もありうるはずだ。しかし人々は実際には、「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(ドイツ語で「Beruf」、この単語には「職業」という意味もある)を務めて成功する人間のはずである」という思想を持ちました。
救われる人間のイメージが誰もが同じであったのである。集団幻想です。
そして、自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、禁欲的に職業に励もうとした。すなわち、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。そしてそのことが結果的に資本主義を発達させた、という論理をマックス・ヴェーバーは語っています。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
次に資本主義社会の原理である「労働は尊く善なるもである」という価値観です。
現代ではキリスト教徒であることは必ずしも必要ではなくなった。その上に、人は宗教を否定しちゃったり、カミを感じなくなってしまったのだから、困ってしまいました。
信仰の証拠が貯蓄であったのに、信仰が薄れたのだけど、利潤追求の強迫観念だけが残り、いつの間にかそれが自己目的になってしまった人も現れてきました。これも昔の予定説は廃れたけれど、形骸として残った現代の予定説です。
解釈次第でどうにでもなるという予定説の残骸も、現代の憲法に、裁判所に、教育に影響を与えています。
また、救われないかもしれないという予定説への恐怖という動機はなくなったけれど、残骸の不安は残りました。そしてついには 、自らが新しい不安を作りあげ続けねばならないというライフスタイルまで生みだしてしまいました。
陥った罠と解決策
罠というよりも、単なる穴ボコなので脱出するのはそんなに難しくはありません。
シンプルな方法があります。
現代の予定説を大切にしながら、それが全てではないということを知るだけです。これで大丈夫です。
人工衛星の視点の問題は、単なる仮の話なので、たまにはそうやって太陽系や地球を眺めるのも面白いけれど、実際に見るときは自分の眼で月や惑星や星を見るのだから、そちらを大切にしてあげるということです。
穴ボコにいるからこそ見える景色や考え方もあるので、中に入ってはそれを楽しみ、時に穴ボコから出て、自分の眼や心や体が感じる世界を大切にするのです。
機械や理論を考える時は穴ボコの特別ルールにそって考えを進めるのもいいでしょう。
次に生命や、全体や、地球や、超時空間の時は、穴ボコにいても一面的な方法しか出てこないので、穴ボコから出て心臓や腸で感じるのがお勧めです。
穴ボコの外でははじめから自由や平等や平和や理想は一つも与えられていません。ですからないことを批難するのではなく、そこを楽しむのが現代の予定説を解決するコツです。
最後にフロクとしての
日本における予定説
では最後に日本の問題を。予定説に関心のない日本人がなぜ資本主義を受け入れ発展させることができたのだろうか?
これは面白いテーマだ。
なにが利潤追求をよしとしたのか、なにが日本の不安だったのか、貯蓄する理由付けをどのようにしたのか?
明治の内村鑑三も予定説の解釈に苦労しています。というよりも頭では理解しているが、腑には落ちていないように見えます。アメリカ人のクラークの影響でキリスト教に関わっていくのですが、『キリスト教問答』の中で
内村は慎重に言葉を選びながら、「神は不公平だが、大自然も不公平ではないか」と締め括り、その裏側には「だから仕方がないではないか」という嘆きが隠されています。
キリスト教の根底に流れるものは「神の不公平」であり、選ばれし者が存在する予定説でした。
神の不公平は、因果応報を宗教観念に持つ、日本人には実に信じ難い言葉でした。
内村曰(いわ)く「もし不公平を以て、神を責めますならば、同じように天然(自然)も責めなければなりますまい。(中略)ある婦人は美人として生まれ、他の婦人は醜婦として生まれてきたか、(これを考えれば)生来何の罪ありて、蛇は人に嫌われて鳩(はと)は人に愛せられるか、これを思えば天然の不公平もまた甚だしいではありませんか」と居直り、「だから神が不公平であっても責めてはならない」としているのです。これこそが神への冒涜(ぼうとく)であると力説するのです。
日本には死んだら土に戻るという感じ方があります。還ると言ったほうがわかりやすいかもしれません。
実はこれが宗教なんです。
キリスト教などでは死んだあとは煉獄にいくので、不安になってしまったり救済が必要なのですが、土に帰るという宗教はキリスト教の神による救済などは必要ありません。
神道にも予定説があります。
なんとはじめから、日本国は神によって繁栄をはじめから約束された土地である、といっているのです。キリスト教の神のように、契約を結んで約束を守るのではなく、なにもしなくても大丈夫と言っているのです。
「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、これ吾が子孫の王たるべき地なり」 『日本書紀』の天孫降臨の段
「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」 『古事記』の天孫降臨の段
また山崎闇斎の天皇教がその後の明治時代になって神の国としての国民に浸透し、天皇を前提にすることにより、平等の概念ができ、士農工商からの平等や、誰もが同じように富を求めることができる機会の平等につながりました。
天皇教が崩壊してからは日本の予定説も形骸化したので、平等や人権も「結果の平等」を求めるようになってしまいましたが。
第二次世界大戦後、天皇教の権威がなくなったことにより、次にはカネが大きな尺度の一つになりました。高度成長とは精神や身体の成長ではなく、いかに稼げるようにという成長です。
名誉や品や知識や人徳や組織や体力や美醜などいろいろほかの尺度もあります。
しかし例えば、なぜ勉強するの?という問いに、いい生活ができるから、と答えるのは単なる損得勘定です。
勉強の面白さや崇高さや驚きや苦悩や安らぎを伝えなければ、知識の権威は築くことができません。
損得勘定をいうだけではだれも尊敬はしません。それは便利であるかどうかの基準で判断するだけです。
自由も平等も平和も、大切なのはこの世にはもともとそんなものはないという前提です。
天皇教が衰退しても、神道は有り続けます。
神道がもとにしている自然は厳しくなおかつ私たちを生かせてくれるものだからです。
そして私たち自身が自然であるということを気づかせてくれるものだからです。
日本の予定説は、カミが救済してくれようかしてくれまいかにかかわらず、今をちゃんと生きることです。
体を通して得た強い自信に満ちあふれた祈りです。
もう一つ付録で歴史再確認
カルヴァンの宗教改革
ルターに影響されて各地で宗教改革者があらわれるのですが、そのなかで重要なのがカルヴァン(1509〜64)です。フランス生まれですが、宗教改革者としての活動が受け入れられず亡命します。当時スイスではルターの影響で宗教改革に熱心な都市がいくつかあって、カルヴァンはジュネーブに招かれて宗教改革をおこないました。
やがては事実上のジュネーブの支配者として神権政治を実施した。カルヴァンは滅茶苦茶に厳格な人ですから、飲酒・賭博など聖書の教えに背く不道徳なことは絶対許さない。酒場は皆店を閉じて、町は火の消えたようになった。カルヴァンの命令に逆らったら死刑にされることさえあるので、ある意味では恐怖政治みたいなピリピリした状態だったようです。
このカルヴァンの教えには画期的なところがあって、やがてかれの説はルター派よりも広くヨーロッパ各地に広まっていきます。
カルヴァンの主著は『キリスト教綱要』(1536)。
こののち商工業が発達する地域にカルヴァン派はどんどん広まっていきます。ネーデルラント(今のオランダ、ベルギー)、フランス、イギリス等です。資本主義の発展とカルヴァン派の教義に関係があるという説もあって、興味深いところです。
あとカルヴァン派の教会制度で「長老制度」といって、ローマ教会と違ってルター派もカルヴァン派も、個人の救済を神に「とりなす」教会や教皇、神父の役割を認めません。だから、両派とも神と人をつなぐ聖職者=神父はいない。ローマ教会で神父にあたるものをプロテスタントでは牧師と呼びます。が、牧師は信者に聖書を教える教師であり、神との関係で特別の地位にあるのではありません。
カルヴァン派の場合は特に一般信者の代表を長老といい、この長老が牧師とともに教会を運営しました。誰が救われるかもわからないのに特権的な聖職者を置く必要はないと考えたのです。ある意味では身分社会の序列をやぶる画期的なものでした。
ヨーロッパ各地でのカルヴァン派の呼称はそれぞれです。
オランダ・・・ゴイセン
イギリス・・・ピューリタン
フランス・・・ユグノー
スコットランド・・・プレスビテリアン
イギリスの宗教改革
国民の反応はというとジェントリという地方の有力者層は国王を支持した。なぜかというと、ローマ教会からの離脱にともなって、国王はイギリス国内の修道院の土地財産を没収して払い下げた。これを譲り受けたのがジェントリたちだったのです。儲けさせてもらって不満なはずがありません。
イギリスの宗教改革はイギリス王室とローマ教会の土地財産をめぐる闘争という面があったということです。
ローマ教会の立場からヘンリ8世の宗教改革に反対しまくったのがイギリス大法官トマス=モア。『ユートピア』の著者。結局王の怒りをかって処刑されしまいます。
カトリックの改革運動
ルター派、カルヴァン派、イギリス国教会などローマ教会から分離した教会が成立して、ローマ教会の勢力は衰えます。特にヨーロッパ北部には新教の勢力が多くなります。
これに危機感をもったローマ教会は、組織の点検、改革に取り組み、巻き返しをはかろうとしました。これを対抗宗教改革といいます。
そのために開かれた会議がトレント公会議。これは1545年から63年まで実に20年近くつづく。この会議で、教皇の至上権の確認、異端の取り締まりの強化、具体的には宗教裁判や禁書の強化が決定されていきました。とくに、ローマ教会の勢力が強固なイタリア半島、イベリア半島では宗教裁判が頻繁におこなわれます。魔女狩り、魔女裁判というのはこの時期が一番多いのです。また、地動説も目の敵にされてガリレオが自説を撤回させられたのもこの時期の1633年です。コペルニクスが「天体の回転について」を公表したのは1543年です。
対抗宗教改革の盛り上がりの中でつくられました組織にイエズス会があります(1534年)。イエズス会はアジアで積極的に布教活動をおこなったことで有名。ヨーロッパで衰えたローマ教会の勢力を、世界への布教で挽回しようとしたわけです。
設立したのがイグナティウス=ロヨラ。スペイン北部のバスク地方出身。城を持っているくらいの貴族の生まれです。軍人として活躍するのですがフランスとの戦争で両足を負傷して入院。ケガで軍人として以前のように活躍はできないロヨラは自分の今後の生き方を悩んでいたのでしょうね。かれの出身地のバスク地方というのは今でもスペインからの独立運動をやっているような地域で、スペイン人の本流である人たちとは言語や風習がかなり違う。バスク人であるロヨラが、今後スペイン政界で大きな活躍のできないことは、はっきりしている。
あれこれ悩みながら、入院中のロヨラは読書三昧です。そのときにイエスの伝記を読んで、「これだ!」と今後の人生を神に捧げることを決心した。
もともと活力のある人だったのでしょう。思い立ったら即行動です。神に仕えるためには本格的に神学の勉強をしなければならないと考えて、退院後パリ大学に入学します。このとき38歳です。今の感覚よりも当時の38歳はもっと老けたイメージだと思います。この年齢で大学に入るというのはすごい精神的なパワーですよ。まわりの学生はみんな二十歳そこそこです。当時の大学は全寮制です。そこに38歳の元軍人の大人が加わる。若い学生たちはロヨラにどんどん感化されて、かれの同志になっていきます。
大学卒業と同時にロヨラが同志6人と結成したのがイエズス会です。このときの創立メンバーにあのフランシスコ=ザビエルもいました。ザビエルもバスク地方の貴族でハビエル城という城持ちの貴族だったんですが、スペインの支配下に入ってしまって、閉ざされた活躍の場を布教活動に求めた人のようです。
日本にキリスト教が到来
イエズス会は軍隊的組織に特徴がありました。軍人だったロヨラは会の組織を軍隊と同じにします。トップである総長の命令には絶対服従。会員はどんな困難な命令でも従わなければならない。この厳しい規律のおかげでアジアに信者を増やしていくことができたのですね。イエズス会はポルトガル王の保護のもとでポルトガル商人の出入りするアジア地域に進出します。幹部であるザビエルもその一人です。
ザビエルはインド方面で布教をしているのですが、マラッカで日本人ヤジローと出会います。ヤジローという人は薩摩の人。殺人を犯して、薩摩に出入りしていたポルトガル商人にすがってマラッカまで逃げてきていた。鎖国以前の日本人は驚くほど活動範囲が広いです。
ヤジローはポルトガル語もまあまあできて、頭脳明晰、論理的に物事を考えられる人だった。それを見てザビエルは日本人には布教をしやすいのではと考えた。そこでヤジローをつれて日本に向かいます。マカオまではポルトガル商船で行って、そこからは中国商人の船を雇います。ついたのが薩摩。1549年のことです。ここから日本でのキリスト教がはじまりました。 信長の桶狭間の戦いの10年前の話です。
ザビエルはイエズス会の大幹部ですから、彼が直接一般の日本人に布教することが本来の仕事ではありません。特命全権大使みたいなもので、日本の支配者たちにキリスト教を受け入れさせること、布教の許可を得ること、できることなら何らかの特権を獲得すること、それがザビエルの仕事。だから、九州各地や山口で守護大名に面会する。天皇に面会しようと京都まで上るのですが、応仁の乱後の大混乱で京都はすっかり荒れ果てていた。そこで、京都はあきらめてまた九州に戻ります。
ザビエルは1551年には中国布教をめざして日本を去って翌年病死します。ただ、ザビエル以外のイエズス会士は日本に残り布教活動をつづけ、九州の大名はポルトガルとの貿易が有利になると考え、キリスト教を受け入れていきます。このキリシタン大名たちがローマ教会に使節を送ったのが1582年。有名な天正の遣欧使節です。
イエズス会士に引率されて九州出身の4人のキリシタン少年がローマまでいきました。日本史では有名な出来事ですが、当時のヨーロッパでも大歓迎されるのです。ローマ教会としては、いかに世界の果てまで信者がいるかという生きた証拠です。広告塔としては申し分ないです。プロテスタント諸派の中で日本に信者がいる教会はあるか?ないです。だからローマ教会の勝ち、というわけです。
使節はスペインではフェリペ2世と会い、ローマでは教皇グレゴリウス13世に拝謁します。グレゴリウス13世は、今我々が使っている太陽暦、グレゴリウス暦を制定した人です。
その後もヨーロッパ各地をまわり、1590年に長崎に帰ります。このとき印刷機を持って帰国します。
かれらは日本を統一していた豊臣秀吉に謁見します。これがかれらの最後の絶頂期です。やがて、徳川時代にキリスト教の禁令が出されたあとは、キリスト教を捨てたもの、国外追放になったもの、信仰を守って処刑されたものなど、さまざまな運命をたどります。 予定説の宗教改革の波紋が、日本にまで及びました。