ユートピアを拡大させる都市文明

 

 

弱い法則が通用する世界を拡大させる都市文明

 

都市文明こそが脳が作りあげたい世界がカタチになった時空間です。

心と体ではなく理性を基準にした世界です。

理性の世界とは、心と体に同調しようとする智性を踏みつけて、表層を区分した知識で作り上げる世界です。

これは表層意識を脳の外側でカタチにしたもので、それらが建築物であり、街となります。

つまり脳が望んだ法則が通用する場所を拡大化していったわけです。

 

そんな世界が、私たちのいる文明世界、そして人口密度の高い文明都市の世界です。

都市の外側から、水、空気、食べ物、原料、エネルギーを運んできて、都市の内側の密度を増大させて創造物をつくり続けます。

同時に外の世界を徐々になぎ倒して、そこから栄養を吸い取っているのを当たり前として成長していきます。

都市生活者とは、そんなことを気にしない感覚を持つ住人たちの集合体ということもできます。

 

都市文明を成立させるためには、

自由民主主義が外壁の拡大と強化を進め、

科学的実験主義は細分化によって法則を信奉する無知の専門家を生み、

工業化主義は同じものを効率的に大量生産できるようにして、

「近代の大衆」を生みだしました。

 

責任を負わずに、言葉による論理だけで存在できる「大衆」はますます都市の美醜を外側に拡大して、自然である心と体を抹殺しています。

爽やかに悪ぶって、にこやかに歌を口ずさみながら。

 

 

因果が逆になるユートピア    幻想(弱い法則)を基準にして世界をつくる

自然世界で起きる現象から考える人たちとは異なり、学問の世界で暮らす住人は、法則から現実を考える傾向があります。

何故ならば学問の住人の周囲に起こる出来事(現象)は、法則を基準にして出来事が起きているように見える日常生活があるからです。

このような出来事を都市文明の外側に住み、なおかつ、学問を基準にしない人から見ると、都市文明の中では因果関係とは原因があってから結果があるはずなのに、逆に結果から原因を探している奇妙な思考パターンが通用する時空が多いことに驚きます。

 

「果因」とはあまり聞いたことがないことなので、森の中で起きているいろいろな事象の具体的な例をみてみます。

例えば急に風が吹いたので、枝から落ちてくる紅葉の場所と時間を予測するとしましょう。

ガリレイの自由落下の法則で予測したとしても、空気抵抗、空気の密度も計算に入れなければ正確な予測はできません。

また、葉に毛虫がついているかもしれません、また葉のねじれや表面の形状や角度、穴、重心なども計算式に入れなければなりません。

そして、また新たな突風がいつ吹いてくるかもしれません、また落ちる途中で他の葉っぱに当たる可能性もあります。また鳥が途中でぶつかることもあります。このように葉の落下場所と時間を正確に予測することは不可能になります。

これが自然界の現実です。あまりに多くの要因や条件や他の法則や未知の法則があり、それらが互いに関連しあっているからです。

 

これを予測可能にするにはどうすればいいのか?

想定外のことが起こることを減らしていけばいいのです。

行き着くところは実験室です。

ここでは四方上下を囲まれているので突風や鳥や虫は排除され予測に影響を与えることはありません。

空気抵抗が減るように葉の形状や表面や重心を加工すればもっと予測しやすくなります。

このように想定しづらいものを除去していくと、かなり予測ができるようになってきます。

ところが、予測ができやすくなるほど、自然界の現実とはかけ離れていくことになるのです。

自然界のことを理解するために始めた考察なのに、法則の結果が効果的に現れるほど、自然の中で実際に起きている現象から遠ざかってしまうのです。

これと同じことが学問の世界で起きています。

 

自然に起きていることをみて、そこから法則を見つけていこうとしていたのに、はじめに法則ありきとして、現実にはない時空間を作り上げ、そこから自然を推定して予測しようとし始めてしまっています。

まさに因果関係を逆にして理想郷(実験室)をはじめの設定条件とし、そこで成り立つ学問をつくることから始めてしまいました。

 

そして問題はこの法則が成り立つ空間を外側に押し広げていこうとする考え方とその実行です。

この枠組みから近代科学と都市文明が発生しました。

因果関係を探求する学者は、実験室の外側から実験室に通って因果関係を調べていましたが、

次の世代では実験室(都市文明)の中で生まれたジェネレーションが生まれ育ち、特殊な因果関係が強調される実験室の出来事が繰り返されることが日常生活になります。

 

このような実験室を生活環境としていると、先に決まっている結果が繰り返されるので、後から原因を探ることになります。

これは工学の世界では有効な思考パターンです。

 

しかし、実験室の外側にある、自然の力が強い世界では、このような思考パターンは通用せず、「いのち」の力を弱めることを、これまで書いてきました。

 

だからといって学問が無駄であると言っているのではありません。

学問は参考になるし、面白いし、推測値を出せるし、時間つぶしになるし、価値はあります。

また学問を信じる人に対しては理念からはじめるアプローチの効果は絶大なので、彼らからは信用されるというメリットのある結果も伴います。

 

この中で特に問題が起きるのは命に関わる学問です。

命を消滅させてしまう方向性のある対処法を、学問の正義(ある特殊なTPOの時にしか成立しない因果関係)の名前のもとで大義や実験結果があるからと押し通してしまおうとする例が多く見られるからです。

医学、心理学、薬学、生物学、農学、畜産学などは注意が必要です。

また命のある人間を扱った学問は因果関係を逆にすることから始まってしまっているので、どれも机上の空論になっています。

机上の空論は無駄ではなく、社会のルールになるので、無意味だといっているのではありません。

たとえば、経済学、社会学、法律学、経営学、哲学の一部などです。

 

Thomas More1516)が描いた理想郷の島Utopiaはギリシャ語のou(ない)+tópos(場所)+-ia(名詞語尾)を組み合わせた造語で、「どこにもない場所」を意味しています。