実験室で作成される法則が善意の恐怖となる理由
学問は、ただ分けたり集めたりするだけではなく、それらの相互の関係を調べて、そこにいつでもどこでも関係性が成り立つルールを見つけてそれを明らかにしようとします。
すなわち、法則はいつでもどこでも成り立つルールのことですが、特徴の1つはTPOによりその法則の効果が変わる、ということです。
つまり、ある状況ではその法則が強く影響しますが、他の場所では影響が弱くなるということです。
たとえば、日本酒は冬に醸造されるのは、気温が36℃の環境では数多くの菌類によって、乳酸や酢酸などが生成されますが、10℃の環境では、多くの菌は活動を低下させるので、酵母菌も活動は鈍りますが、糖類をアルコールと二酸化炭素に分解することを止めないからです。
このようにすべての法則はTPOによって、その因果関係が強くなったり弱くなったりするので、人は環境を操作することで、法則を利用してきました。
しかし、法則は計り知れないほど膨大な数があり、その1つ1つに力があるので、未来予測することは不可能です。
理由は、あまりに多くの要素(エレメント)があって、お互いが関係しあっているので、ちゃんとした結果を出そうとすると、あまりに多くの膨大な法則と計算式になって結果の可能性が無限大に広がってしまうからです。
つまり、シンプルな法則ではなくなってしまうからです。
わかりやすい例で言うと気象予測や地震予測です。
一週間にわたる雨の有無の予測はできますが、一ヶ月後の雨の降る時間の予測は正確性は低いものです。
そこで学者と呼ばれる人はどうしたか?
一人は現実の自然の前で試行錯誤を重ね、法則にまとめることに無理があることを覚りました。
当たり前の当然の人らしい生き方です。
もう一人はどうしたか?
条件をできるだけ狭めて、そこでしか通用しない因果関係にスポットライトを当てて、世間に発表して名声を得ることにしました。
これは無意識における自己承認欲や自己顕示欲や利己心の優先とも言える、人のサガです。
それを利用する権力者や商売人が世界にはいるので、こうなるのは社会の必然です。
支配や金がないと生きていけないと心底信じ込んでいる人たちもいます。
因果関係が成り立つTPOを優先させてアピールして、それが成り立たないTPOについては言及しません。
ここまではヒトのサガの範疇なので問題はありません。
問題は、この法則を基準にして、判断を行ってしまっているのを理性的というラベルを貼って称賛して、それを正しいことだと思っている人たちの歴史です。
このような法則に対する考え方は、法則は世界のどこでも同じように通用する、という幻想を基準点にしてしまっていることから発しています。
そして、これを人間社会の基準としようとする地域は多くあります。
どうすれば幻想的、すなわち弱い法則を基準にすることができるのでしょうか?
それは弱い法則ほど実験室や無菌状態を求める性質を利用することです。
現場では数々の法則が強く影響しているので、弱い法則にとって都合の悪い環境を除去して、その弱い法則の影響が顕著に現れるように環境を作り上げます。
つまり、弱い法則とは強い法則が多くある自然界では、影響がわかりづらい法則のことです。
問題点は意図的に環境が操作された空間(実験室)での因果法則を基準にするという行為です。
それは過去の学習によって作成した自動反応回路のアプリケーションが働いている結果なので、本人は自分の潜在意識にそれに気づいていないことが問題なのです。
したがって悪気はなく、正義感があって、誠実と善意でいられるわけです。
そして法則が普遍的であるという絶対性を武器にして、その囲った空間の外側を否定してなぎ倒す言動にでることがあります。
法則の正しさを大義名分にすれば、隙あれば囲いの外にあるものを絶滅させることもできます。
そしてそのチャンスを活かし、他の法則や生命を絶滅させた後には、そのなぎ倒した領域と、他の法則や生命がまだ通用する領域との間に、新たな壁を作り上げて、弱い法則が通用する空間を拡大させてきました。
表層的にはそのような弱い(幻想的)法則が拡大してきたように見えますが、実際にはその有効性は一時的で表面的なもので、その犠牲として大きな反発と戦いが次に起こってしまいます。
これらの弱い法則の拡大化を支持する者は、自由の拡大、正義の執行、善意の実践、平和の実現、平等への試み、理想の具現化、夢の現実化と呼びます。
それは、南米・アフリカ・アジアでの福音主義、植民地政策、近代化、文明化、効率主義と、底流でつながるものです。
悪意は相手への憎悪がなくなれば終わりますが、善意は本人にとっての快楽なので事実に気づくまで継続されます。
しかし、壁の外側である自然環境のサイドから見れば、この弱い法則の拡大は、生命(植物、微生物、動物、エコ住民)の虐待や虐殺と評価されます。
特に、壁の外側の「自然環境を守る」という運動は、物理的に外側の環境を破壊することにつながる事例が多くあります。
電気自動車、太陽光発電、脱炭素化なども、実際にやっていることは、それらに費やすエネルギーのほうが生み出すエネルギーよりも多いので、結局は環境破壊を早めることになっています。
車15億台分のリチウム・バッテリーを製作し続けること、シリコンを生産するエネルギーの方が太陽光電気量よりも多いというデータ、0.04%まで減少してしまった二酸化炭素、と建前の大義名分と実際の本音と地球の負担との間に矛盾があります。
素粒子以下の微細な世界では、全てがダークマターとダークエネルギーで構成されている推察されているので、どんなものでも関係性を結ぶ法則を作ることが可能だと考えることができます。
つまりどのような法則も作ることは可能だということです。