釈尊と女性

 

 

釈尊とマーガンディヤーMāgandiya

 

釈尊がコサンビKosambi(ウダヤナ王の時代に釈尊が訪れた地)の近くのシンプサの森にいると、釈尊は数枚の葉を手に取り、比丘たちに話しました。

「私があなた方に教えたことを私が知っていることに比べるのは、ちょうどこの数枚の葉と森の葉を比べるようなものです。 しかし、私があなたに教えたことは、あなたがNibbānaに至るには十分すぎるほどです。」

出典?

 

 

ブッダがかつて他の街を訪れた際、美しいマーガンディヤーMāgandiyāvatthuを娘を持つ父親が、ブッダに還俗してマーガンディヤーを娶ってほしいと願った。

しかしブッダは、「この世ならざる女にも心は動かなかった私が、どうして汚い血と大小便を詰めたこの女を必要とするだろうか」と答えた。 両親はこの言葉によって真意を悟って出家したが、マーガンディヤーの心には届かなかった。

彼女は美しさを武器に、コーサンビの王ウダヤナの王妃となって、コーサンビの首都ヴァンサに住んでいた。 そして、かつての屈辱と恨みを忘れなかったマーガンディヤーは、ブッダがコーサンビの街に滞在していたとき、街の悪者を買収し、ブッダの悪口を広めさせたのである。

sutta nipāta 4.9  Māgaṇḍiyasutta   https://suttacentral.net/snp4.9/pli/ms

4.9. Māgandiya Learns the Muni’s Life     https://suttacentral.net/snp4.9/en/mills

 

 

 

 

初めての女性の僧  尼

伝承では、最初の比丘尼は釈迦の養母の摩訶波闍波提 (まかはじゃはだい、mahāprajāpatī)と500人の釈迦族の女性たちであった。

 

釈迦ははじめ女性の出家を許さなかったが、彼女たちの熱意と阿難(あなん、アーナンダ)のとりなしによって、比丘を敬い、罵謗したりしないなど8つの事項を守ることを条件に、女性の出家を認めたという。これにより釈迦の元妻である耶輸陀羅(やしょたら、ヤソーダラー)、大迦葉(だいかしょう、マハー・カッサパ)のかつての妻である妙賢(バッダー・カピラーニー)、ビンビサーラ王の妃であった差摩(さま、ケーマー)、蓮華色比丘尼(ウッパラヴァンナー)など次々と出家し尼僧集団が形成された。

 

 

 

 

女性は阿羅漢になれる Sundarītherīgāthā  Therīgāthā 13.4 英訳Verses of the Elder Sundarī

 

Passa sundarimāyanti,

vippamutta nirūpadhi;

Vītarāga visayutta,

katakiccamanāsava.

 

vippamutta [vi+pamutta] 離脱

 

See Sundarī coming,

released, free from acquisitions,

free from passion, unbound,

one who has done what was to be done, free from influences.”

 

法華経にある龍女の成仏

在家のアノーパマーが不還果に至り、後に阿羅漢になる。

 

 

 

女性は阿羅漢になれない 

〈女性が阿羅漢である正自覚者になるであろうということは道理でなく、機

会のないものである。この道理は存在しない〉と知ります。また、〈男性が阿羅漢

である正自覚者になるであろうということは道理である。この道理は存在する〉

と知ります。』

ここで言う阿羅漢とはブッダ(=正自覚者)のことです。

ここで言っている事は女性が仏陀になることは道理ではなく有り得ない、という事で

あって他の仏典から見ても女性が阿羅漢になれないとは考えられません。

出典?

Bahudhātuka-sutta MN115 多界経    英訳Many Elements

には見当たらない。

 

実際、釈尊在世中に尼僧の僧団が出来た後、何人もの女性が阿羅漢となっている。

 

 

「アーナンダよ、女性が出家しなかったならば、梵行(性欲を断つ修行)は永遠に遵守されて行くだろう。正法(正しい教え)は千年の間、世間に流布するだろう。だが、じつのところ、アーナンダよ、いま女性の出家を認めてしまったからには、正法は半分の五百年ぐらいしか世間に流布しないだろう

出典?

 

男性の修行者にとって女性は修行の妨げになることから、釈尊が語ったという設定で後代の仏教徒が言い出したと考えられる(田上太秀『仏教と女性』/東京書籍)そうで、最初期の仏教では、最高の智慧の完成において男女の区別はなく、女性を軽視する考えは全く見られない(植木雅俊、Gender Equality in Buddhism)のだそうです。

 

ギリシャ人のメガステネース(紀元前300年ごろ)がインド旅行記を残していますが、そこには、

「インドには驚くべきことがある。そこには女性の哲学者たちがいて、男性の哲学者たちに伍して、難解なことを堂々と論議している」とあります。

 

仏教の教団に女性差別というものが出てくるのは、異論もあるでしょうが、大体紀元前21世紀頃(五障説の成立)の ことだと思われます。

 

女人五障説は仏教教団の分裂後に現れたと考えられているようです。

 

 

ところが釈尊の滅後、バラモン教的女性観の侵入が余儀なくされる。それは仏教教団の小乗化(保守化、権威主義化)によって促進された。釈尊は神格化され、程遠い存在とされた。それと並行して、女性は、@梵天王A帝釈B魔王C転輪聖王D仏身──の五つのものになれないとする「五障」説、あるいは、「三従」説などの差別思想が仏教にも導入された。釈尊という理解者を失って尼僧教団の立場はますます低下したのだ。

その結果、「女人は地獄の使なり能く仏種子を断ず」「一度女人を見る者はよく眼の功徳を失ふ設ひ大蛇をば見るとも女人を見るべからず」「一切の江河必ず回曲有り一切の女人必ず諂曲有り」「あらゆる三千界の男子の諸の煩悩を合わせ集めて一人の女人の業障となす」などの言葉が経典に登場するようになる。これらの言葉は、不幸なことに釈尊が語ったという設定で仏典に記されている。

日蓮がこうした言葉を見て、「法華経より外の一切経を見候には、女人とはなりたくも候はず」と嘆いたのもうなずけよう。この部分だけを見て、仏教全般が女性差別の宗教だと論ずるのは早とちりの謗りを免れない。

 

 

 

 

自分の妻子を布施することの理解に苦しむミリンダ王

第四十四話 莫大な布施と蓄財

 

2015年に橋爪大三郎氏(東京工業大学名誉抄受)と『法華経』について三回で計十五時間以上に及ぶ苛酷な対談をし『ほんとうの法華経』(ちくま新書)を出版した。『法華経』の第一章を論じている時、「自分の妻子を布施するのはやりすぎじゃないですか?」と追及された。されは『法華経』編纂当時(紀元一世紀末〜三世紀初頭)の仏教界の現状を描写した個所で、『法華経』が妻子の布施を推奨しているのではないと説明した。

 

そして「紀元前二世紀にすでに橋爪先生と同じように疑問を抱いた人がいます」と言うと、「だれですか?」と興味を示された。それは、アフガニスタンやインド北部を支配していたギリシア人のミリンダ(弥蘭陀、ギリシア名=メナンドロス)王である。この王が同様の疑問をぶつけ、対談相手の仏教僧(ナーガセーナ(那先)が、妻子の布施は「全知者の智慧の獲得のため」などと理解に苦しむ返答をした(『ミリンダ王の問い』)。妻子までも布施することを美談として布施をあおっていたのだ(詳細は『ほんとうの法華経』、八四〜八九頁を参照)。

 

伝統的・保守的な部派仏教(小乗教)は、社会の上層階級の支援のみを当てにして、精舎やストゥーパ(仏塔)の建立、教団やストゥーパへの莫大な富の布施は功徳が大きいといって奨励した。王侯・貴族・大地主から広大な土地を寄進された。それは寺院の荘園となり、王の官吏たちも立ち入ることが出来なかった。

 

その理由を中村元先生が挙げておられる。チャンドラプタ二世という帝王が教団に土地を寄進した文書に、「この土地を犯すものがあるならば、牛やバラモン殺しと同じ罪になる」とある。一般民衆が仏教寺院の土地を大切にしたのは、仏教に対する信仰からではなかったのだ。バラモン教を報ずる人たちにとって最も重罪とされた「牛殺し」と同じ罪になることを恐れたからだった(中村元著『インド史V』、五五二頁)。

 

伝統的・保守的な仏教教団は、ローマ帝国などと海外貿易を手掛ける豪商から莫大な金銭の寄進を受けていた。寄進されても、出家者が金銭等に手を触れることは禁じられていた。そこで、

浄法≠ニいう人を食った名前の抜け道を巧妙に考案した。金銭等に直接手を触れなければいいと、在家の財産管理人を雇ったのだ。説一切有部では、「利子を採って金貸しをやっているあいつらは出家者じゃない」という批判を受けて、出家者が利子を取って貸付することを禁止していたが、徐々になし崩しにされていった、商人の組合に貸し付けて利子を受け取った。こうして西暦紀元前後には、教団自体が大地主・大資本家と化していった(同、一九〇頁)。

 

その正当化のために、生存しているはずのない釈尊が語ったかのようにして、「僧伽(教団)のためには利潤を求むべし」という条項を律(出家者の守るべき規則)に盛り込んだ。釈尊の名前を語り、権威をかりて、都合よく規則(戒律)を改変したのだ。釈尊を祀り上げ、名前を語って、釈尊が説いてことの内実を骨抜きにした。

 

出家者たちが大寺院の中に澄んで瞑想に明け暮れ、煩瑣な教利の研究に没頭して、悩める民衆のことを考えなくなくなってしまった背景にはこうした事情もあったからである。紀元前後に登場する大乗仏教から、「小乗」と呼ばれるに至る理由はこうした点にあった。

 

神格化したブッダの権威をかりて、ストゥーパ信仰、聖地崇拝を宣揚し、莫大な布施を奨励し、その一方で金融業まがいの活動を展開し、莫大な財産を貯め込んだ。利己的・独善的な態度に陥り、一般民衆のことなど眼中になかったのも当然のことであった。

 

教団の繁栄は、資産家たちの財力によるところが大であった。それもローマ帝国の没落(四七六年)とともに、資産家たちも没落し、教団も衰退することになる。

 

 

菩薩とは

釈尊が天文学的な時間をかけた修行(歴劫修行)をしている時に、燃燈仏(ディーパンカラ如来)から未来成仏の予言(授記)を受けた。

覚りbodhiを得ることを確定している人sattvaを音写して菩提薩埵、これを略して菩薩となった。

 

神聖化される釈尊

古い仏典では悪魔が説法をやめさせようとした→初転法輪経では梵天勧請に改められた。