仏教の時間単位

 

 

 

劫には大劫(mahākalpa)と中劫(antarakalpa。中間劫、もしくは小劫とも訳される)の2種類がある。中劫は大劫を均等に80分割したものであり、1大劫=80中劫である。

 

大劫がヒンドゥー教の劫に当たり、単に「劫」といえばほとんどは大劫である。しかし、仏教の劫はヒンドゥー教と違い、具体的な時間の長さは特に決められていない。

 

一大劫は世界が生成される成劫(じょうこう、vivartakalpa)、世界が存続する住劫(じゅうこう、vivartasiddhakalpa)、世界が破壊される壊劫(えこう、savartakalpa)、世界が存在しない空劫(くうこう、savartasiddhakalpa)の4つの期間に分かれる。

『阿毘達磨大毘婆沙論』によると、中間劫には人の寿命が無限から始まって10歳に減るまでの減劫、10歳から8万歳に増える増劫、10歳から8万歳に増えてまた10歳に減る増減劫の3種類があり、減劫1、増減劫18、増劫120中劫で世界が生成され、20中劫の間世界が存続し、20中劫で世界が破壊され、20中劫の間世界が空になる[4]^ 『阿毘達磨大毘婆沙論』巻135

 

『阿毘達磨倶舎論』によると、住劫で寿命が10歳に減ったとき、刀兵・疾疫・飢饉の小三災が起きる。また壊劫の末には火・水・風の大三災のいずれかが起き、64劫ごとに循環する(7つの火災のあと、1つの水災が起きる。ただし最後の64番目の劫では水災でなく風災が起きる[5])。

^ 『阿毘達磨倶舎論』巻12「所説三災云何次第。要先無間起七火災、其次定応一水災起。此後無間復七火災。度七火災、還有一水。如是乃至満七水災、復七火災、後風災起。如是総有八七火災・一七水災・一風災起。」

 

四禅天のうち、火災では初禅天、水災では二禅天、風災では三禅天までが破壊される[6]^ 『阿毘達磨倶舎論』巻12「此三災頂為在何処。第二静慮為火災頂。此下為火所焚焼故。第三静慮為水災頂。此下為水所浸爛故。第四静慮為風災頂。此下為風所飄散故。」なお静慮は禅に同じ

 

 

現在の劫を賢劫(げんごう、bhadrakalpa)と呼び、そのひとつ前の劫を荘厳劫(しょうごんごう、vyūhakalpa)、ひとつ後の劫を星宿劫(しょうしゅくこう、nakatrakalpa)と呼ぶ。千仏信仰ではひとつの劫に千仏が出現するとされ、釈迦如来は賢劫の4番目の仏にあたる(賢劫経を参照)。

 

仏祖統紀での定義

『仏祖統紀』での劫の定義は上記と異なっていて、寿命が84000歳から始まって100年に1歳ずつ縮んでいき、10歳になった後、また100年に1歳ずつ増えていき、84000歳になるまでを小劫、20小劫を中劫、4中劫を1大劫とする[7]

^ 『仏祖統紀』巻30・三世出興志第十四

 

譬喩

劫が長いことのたとえ話がいくつか知られているが、これらはあくまで比喩であって定義ではない。

 

『大智度論』には「14000里(現代中国の換算比で2000km。漢訳時も大きくは違わない)の岩を100年に1度布でなで、岩がすり減って完全になくなっても劫に満たない」という話が載っている[8]

^ a b 『大智度論』巻5・大智度初品中菩薩功徳釈論第十「劫義、仏譬喩説、四千里石山、有長寿人百歳過、持細軟衣一来払拭、令是大石山尽、劫故未尽。四千里大城、満中芥子、不概令平。有長寿人百歳過一来取一芥子去、芥子尽、劫故不尽。」巻38・釈往生品第四之上にも同様の説明が見えるが、「四千里」でなく「百由旬」になっている。

 

 

これを磐石劫と呼ぶ。このたとえは落語『寿限無』にも「五劫のすり切れ」として登場する(五劫は、『無量寿経』において法蔵菩薩が阿弥陀如来になる前に行った思惟の長さ)。

 

同じく『大智度論』には「1辺4000里の城にケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に1粒ずつケシ粒を取り出していって、城の中のケシ粒が完全になくなっても劫に満たない」という[8]。これを芥子劫と呼ぶ。

 

 

 

短い時間の単位としては、ヨクト秒(ys)(=10-24秒)が、秒の分量単位の中では最小ですが、
実際に現代の科学で、計測することができるのは、100アト秒が最小です。 ※アト秒(as)=(10-18秒)
つまり、現在、計測することのできる最小の時間は、0.0000000000000001秒というわけです。

短い時間といえば、日本では、「一瞬」や「刹那」といった言葉が存在します。
これらの元となっているのは、仏典に書いてある時間の単位です。

まずは刹那について。『阿毘達磨倶舎論』(5世紀頃成立)によると、

牟呼栗多

むこりった

1/30

2880

臘縛

ろうばく

1/30牟呼栗多

96

怛刹那

たせつな

1/60臘縛

1.6

刹那

せつな

1/120怛刹那

0.013

続いて、一瞬について。『摩訶僧祇律 巻十七』(408年頃成立)によると、

須臾

しゅゆ

1/30

2880

羅予

らよ

1/20須臾

144

弾指

たんじ

1/20羅予

7.2

しゅん

1/20弾指

0.36

ねん

1/20

0.018

仏典によっては、異なる分類がされている場合もありますが、
最もよく使われるのは、上にあげた分類です。
ちなみに、上記の単位はサンスクリット語の音訳です。(例:「牟呼栗多」は「murhutar」、「刹那」は「ksana」)
なお、「須臾」や「刹那」は塵劫記にも出てくるのですが、それは「命数法」であって、時間の単位とは別物です。
(参照:雑学見聞録No.016 命数法とSI接頭語

さて、上の表から、刹那は0.013秒、一瞬は0.36秒であるということがわかります。
仏教において、「刹那生滅の道理」という概念が存在します。
これは、万物は刹那に生じて刹那に滅し、刹那に滅しては刹那に生じるという概念であり、
人の一生というものは刹那の出来事であると考えられています。(あくまでも仏教思想)

先に記述したとおり、現代科学では0.0000000000000001秒という極小時間を測定することができます。
人は、小さき世界を追い求めていった末、
仏教最小単位・刹那をはるかに超える短い時間を見つけだしたのです。

 

では、大きな時間についてはどうでしょうか。

仏教界で最大の単位は、「劫」です。
劫には、2種類あると考えられています。

磐石劫

ばんじゃくこう

3年に1度、天女が舞い降りて羽衣で、40里(約160km)立方の岩をなで、
岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間。

芥子劫

けしこう

40里(約160km)立方の箱に芥子を詰め、百年に一度、一粒取り出していき、
すべて取り出してしまうまでの時間。

一般に「劫」といえば、前者を指します。
この単位は、有名な落語『寿限無』の主人公・寿限無の本名にも出てきます。

 寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末
 食う寝るところに住むところ やぶら小路のぶら小路 パイポパイポ
 パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ
 グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助
 (参照:雑学見聞録No.028 寿限無の悲惨な人生

これらの概念は極めて抽象的なものであり、ただ「長い時間」というものなのです。
しかし、ここではあえて数学的に考えてみます。

前者は考えづらいので、今回は後者の「芥子劫」についてのみ考えます。
芥子の実は球形であるのですが、便宜上、1mm四方と考えます。

つまり、1芥子劫=409,600,000,000,000,000,000,000,000 ということです。
ちなみに、宇宙に年齢は約13,700,000,000年。
宇宙の年齢は、1芥子劫の3京分の1にしか及ばないのです。

そういえば、非常に長い時間がかかり面倒臭いことを「億劫」といいますよね。
これは、「100,000,000劫」であり、もはや面倒とかいう問題ではない、とてつもなく長い年数なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙時間

世界サイクル 4 kappas

劫には大劫(mahākappa)と中劫(antarakappa)の2種類があり、1大劫=80中劫です。

 

一大劫は世界が

生成される成劫(じょうこう、vivaṭṭa-kappa)、     vivaṭṭa devolution 移行of rebirth

世界が存続する住劫(じゅうこう、vivaṭṭa-ṭṭhāyī-kappa)、hāyī being in a state of lasting.存続状態

世界が破壊される壊劫(えこう、samvaṭṭa-kappa)、     sam+vaṭṭa

世界が存在しない空劫(くうこう、samvaṭṭa-ṭṭhāyī-kappa

4つの期間に分かれます。

samvaṭṭa-ṭṭhāyī-kappaSuñña-kappas とも呼ばれ、仏陀が出現しないサイクルです。

 

 

『阿毘達磨大毘婆沙論』巻135によると、中間劫には

人の寿命が無限から始まって10歳に減るまでの減劫、

10歳から8万歳に増える増劫、

10歳から8万歳に増えてまた10歳に減る増減劫

3種類があり、減劫1、増減劫18、増劫120中劫で世界が生成され、20中劫の間世界が存続し、20中劫で世界が破壊され、20中劫の間世界が空になる4つの期間があります。

 

『阿毘達磨倶舎論』巻12によると、住劫で寿命が10歳に減ったとき、刀兵・疾疫・飢饉の小三災が起きます。また壊劫の末には火・水・風の大三災のいずれかが起き、64劫ごとに循環します。(7つの火災のあと、1つの水災が起きる。ただし最後の64番目の劫では水災でなく風災が起きる)。

四禅天のうち、火災では初禅天、水災では二禅天、風災では三禅天までが破壊されます。

 

ヒンドゥー教

上から2番目の Day of Brahma が劫。

ヒンドゥー教では、1劫(kalpa = 1000mahāyuga1mahāyuga = 4yuga (yuga) = 神々の12000年(4つのyugaは不等長で、1 yuga =神々の4800360024001200年)、神々の1 = 360太陽年とされている。つまり、1 = 432000万年、1.36×1017

 

1劫はbrahmā1日に相当する。1劫には14人のマヌが出現する。1劫が尽きると火(劫火)によって世界は破壊され、その状態がまた1劫にわたって続く。

Wilkins, William Joseph (1913) [1882]. Hindu mythology, Vedic and Purānic (3rd ed.)

 

brahmā1年は360日(720劫)にあたり、一生(para)100年、すなわち72000 = 311400億年である。

現在は一生の半分に当たる50年(parārdha)が過ぎて51年目にはいったところであり、その最初のvārāha(猪)という名の劫にあたる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間的宇宙論

宇宙がどのように生まれ、消滅するかを説明する仏教の時間的宇宙論は無限の時間範囲を想定し、周期的です。これは、同じイベントが各サイクルで同じ形式で発生することを意味するのではなく、昼と夜、夏と冬のサイクルのように、特定の自然イベントが何度も発生して時間に何らかの構造を与えることを意味します。

 

時間測定の基本単位は、mahākalpa (英語 "Great Eon"、漢字: 大劫、タイ語: มหากัปป์) です。この時間の長さは、人間の時間の概念で正確に定義されることはありませんが、非常に長く、数十億年、あるいはそれ以上の年数で測られるとされています。

 

mahākappa

kalpaはサンスクリット語で、パーリ語ではkappaです。意味は「期間(劫)」を意味します。mahā kappa 4 つの期間 (kappa) で構成され、最初の期間は「創造」です。創造の期間は、「容器」の創造と、微細な領域からより粗い存在形態へのbhāva存在の降下が生じます。そして、そこに動物と人が住むようになります。この時点の人間の寿命に制限はありません。

2番目の期間は「持続」です。知覚力のある生命体が地獄 (niraya) に最初に入ってこの時期がはじまります。

この期間より前には地獄とnirayaは存在していませんでした。「持続」は 20中劫期間 (antarakappas)から成り、人間の寿命が 80,000 年から 10 年に減少し、その後再び 80,000 年に戻ります。

 

これらの 2 つの中劫期間の間の間隔は「7 日間の粛清」で、(お互いを知らない、または認識しない)さまざまな人間が互いに殺し合い、一部の人間は隠れることになります。この粛清の終わりに、彼らは隠れ場所から現れ、世界に再び住み着きます。この粛清の後、寿命は 80,000 年に増加し、ピークに達してから減少し、その時点で粛清が再び発生します。 

 

持続時間「期間」内で、この粛清と繰り返しのサイクルは 18 回ほど発生するようです。最初の中劫期間は 80,000 年からの下降のみで構成され、2 番目の中間期間は上昇と下降で構成され、最後の期間は上昇のみで構成されます。

 

持続「期間」が消滅の期間になると、地獄は次第に空になり、より粗い存在形態もすべて空になります。存在は色界(rūpa dhatu)に集まり、火による破壊が起こり、「光り輝く」神々の領域とそれ以上の領域(abha deva)のすべてが救われます。

 

この「火」による破壊が 7 回起こった後に、水による破壊が起こり、「快い」神々の領域とそれ以上の領域のすべてのものが救われます(subha deva)。

 

この火と水による破壊が 64 回、つまり火による破壊が 56 回、水による破壊が 7 回起こった後、風による破壊が起こり、「実り豊かな」神々の領域(文字通り「偉大な果実」の神々)以下のすべてのものが消滅します。清浄な住処(suddhavasa、純粋、混じりけのない)は決して破壊されません。仏陀の出現がないにもかかわらず、これらの領域は長い間空のままである可​​能性があり、これらの領域の住人は極めて長寿です。

 

無色界は形(rūpa)で構成されていないため、決して破壊されません。世界は火、水、風で破壊されますが、土で破壊されないのは、土が「容器receptacle」だからです。

 

解体の期間の後、そのままの状態が続き、これは「空」の期間と呼ばれていますが、より正確な用語は「解体された状態」です。以前この領域に住んでいた生命体は他の領域に移動し、輪廻転生の旅がこの領域につながる場合は戻ってくるかもしれません。

 

mahākappa 4 つのkappa、つまり"eons"(劫)に分かれており、各kappaは、そのkappa中の宇宙の進化の段階によって区別されます。4 つのkappaは次のとおりです。

 

Vivartakappa 「進化のEonこのkappa中で宇宙が誕生します。

Vivartasthāyikappa 「進化のEonの持続」このkappa中、宇宙は安定した状態で存在し続けます。

Savartakappa  「消滅のEonこの劫の間、宇宙は消滅していきます。

Savartasthāyikappa 「消滅のEonの持続」この劫の間、宇宙は空の状態のままです。

 

それぞれの劫はほぼ同じ長さの20antarakappa(中劫)に分割されています。

Savartasthāyikappaの場合、この区分は単なる名目上のものであり、1つのantarakappaから次のantarakappaまで何も変わりませんが、他の3つのkappaの内部サイクルを説明します。

 

 

 

Vivaṭṭa-kappa 成劫    vivaṭṭa  転生への移行

Vivaṭṭa-kappa は、「原初の風」の発生から始まり、最後のmahākappaで破壊された宇宙構造を構築するプロセスを開始します。

破壊の程度はさまざまであるため、この進化の性質もさまざまですが、常に高次の世界から低次の世界に生まれる生命体という形をとります。

 

mahābrahmāが亡くなったĀbhāsvara神の生まれ変わりであるという例は、この一例にすぎず、この現象はbrahmā界からAvīci地獄に至るまで、すべての世界が満たされるまで、Vivartakappa全体にわたって続きます。Vivartakappaの間に最初の人間が出現します。彼らは現代の人間とは異なり、独自の光で輝き、機械の助けなしに空中を移動でき、非常に長く生き、栄養分を必要としない生命体です。現代の人間というよりも一種の低次の神に似ています。 Dīghanikāya, Sutta 27 (Aggañña Sutta),

 

時間の経過とともに、彼らは物理的な栄養分の味を覚え、それを取り入れるにつれて、彼らの体は重くなり、現代の人間の体に似てきます。彼らは輝く能力を失い、外見に違いが生まれ始め、寿命が短くなります。彼らは2つの性別に分化し、性的に活発になります。そして彼らの間で貪欲、窃盗、暴力が起こり、彼らは社会的差別と政府を確立し、統治する王を選出します。この王はmahāsammata、「偉大な任命された者」と呼ばれます。彼らの中には、すでに存在していた動物を狩り、その肉を食べ始める者もいます。

 Dīghanikāya, Sutta 27 (Aggañña Sutta),

 

 

Vivaṭṭa-ṭṭhāyī-kappa 住劫     hāyī:存続状態

最初のantarakappa

Vivaṭṭa-ṭṭhāyī-kappaは、最初の存在がNarakaに生まれ、全宇宙が存在で満たされたときに始まります。このeonの最初のantarakappaでは、人間の寿命は膨大ですが不特定の年数(少なくとも数万年)から、現代​​の100年未満の寿命へと短くなります。antarakappaの初めは、人々はまだ概して幸せです。彼らは、宇宙を征服する君主すなわち「転輪聖王」(サンスクリット語:cakravartin)の統治下で暮らしています。 

Mahāsudassana-suttaDN.17)は、336,000年生きた転輪聖王Mahāsudassanaの生涯について記しています。Cakkavatti-sīhanāda-suttaDN.26)は、80000年以上生きた、後の転輪聖王Dahanemiとその5人の子孫について記しています。この転輪聖王家の7代目は、ある年齢になると王位を退き、息子に王位を譲り、Sama沙門の生活に入ることを拒否し、父祖の伝統を破りました。その後の彼の悪政の結果、貧困が増大しました。貧困の結果、窃盗が始まり、窃盗の結果、死刑が制定され、生命に対する軽蔑の結果、殺人やその他の犯罪が蔓延しました。

人間の寿命は世代ごとに約半分ずつ減少して8 万年から 100 年に急速に短縮されました。 (これは文字通りに受け取るべきではないかもしれません)。また、嘘、貪欲、憎しみ、性的不品行、年長者への不敬など世代ごとに犯罪や悪が増加しました。この期間中、Mahāpadāna-sutta (DN.14) によると、このantarakappa 4 人の仏陀のうち 3 人がいました。Kakusandha仏の寿命は4万年、Konāgamana仏の寿命は 3 万年、Kassapa仏の寿命は2万年でした。

現代は、このVivartasthāyi kappaの最初のantarakappaの終わり頃とされ、80歳まで生きたSakyamuni(釈迦牟尼)仏の生涯の後は、寿命が100年未満になる時期になりました。

 

antarakappaの残りは悲惨なものになると予言されています。寿命は減り続け、過去のすべての悪の傾向は破壊的な極みに達します。人々は10年以上生きられず、5歳で結婚します。食べ物は貧弱で味がなく、いかなる形の道徳も認められません。最も軽蔑的で憎しみに満ちた人々が支配者になります。近親相姦が蔓延します。人々の間で、たとえ同じ家族のメンバーであっても、憎しみが大きくなり、人々はお互いを狩人が獲物を見るのと同じように考えるようになります。Dīghanikāya, Sutta 26 (Cakkavattisīhanādasutta)

 

やがて大戦争が起こり、最も敵対的で攻撃的な者たちは剣を手に武装し、互いに殺し合うようになります。それほど攻撃的でない者たちは戦争が続く間、森やその他の秘密の場所に隠れます。この戦争は最初のantarakappaの終わりを告げます。Dīghanikāya, Sutta 26 (Cakkavattisīhanādasutta)

 

2番目のantarakappa

戦争の終わりに、生存者たちは隠れ場所から出てきて、悪習を悔い改めます。彼らが善行を始めると、彼らの寿命は延び、人類の健康と幸福もそれとともに増加します。長い年月を経て、10 年の寿命を持つ者たちの子孫は 8 万年生きるようになり、その時にはSakhaと呼ばれる転輪聖王が誕生します。

彼の治世中、現在はTuita天界にいる菩薩bodhisattvaが降臨し、Ajitaという名で生まれ変わります。

彼はSama沙門に入り、仏陀として完全な悟りを得ます。そして、Metteyya(梵語Maitreya)という名で知られるようになります。

 

​​Metteyyaの時代が過ぎると、世界は再び悪化し、寿命は8万年から再び10年に徐々に減少し、各antarakappaは壊滅的な戦争によって次のantarakappaと隔てられ、その中間に高度な文明と道徳のピークが訪れます。 19 番目のantarakappaの後、寿命は80000に増加し、その後は減少しません。これはVivartasthāyi kappaが終了しているためです。

 

samvaṭṭa-kappa  壊劫     sam+vaṭṭa

samvaṭṭa-kappaは、Naraka(地獄)で生命体が生まれなくなるときに始まります。この誕生の停止は、垂直の宇宙論の逆順に進みます。つまり、pretaが生まれなくなり、次に動物、次に人間、そして神々の領域まで続きます。

大火が世界の物理的構造全体を焼き尽くしbrahmā界に至るまでの生命体がいなくなります。

その大火はĀbhāsvara領域以下のすべての世界を焼き尽くします。それらが破壊されると、Savartasthāyi kappaが始まります。

(参照Ābhāsvara 光音天    色界第二禅天に属する天の一。31領域の15,16,17領域に相当する。ここにすむbrahmāは音声を用いず、話すときは口から浄光を発して意を通じるという)

 

Savartakalpa

The Savartakalpa begins when beings cease to be born in Naraka. This cessation of birth then proceeds in reverse order up the vertical cosmology, i.e., pretas then cease to be born, then animals, then humans, and so on up to the realms of the deities.

 

When these worlds as far as the Brahmaloka are devoid of inhabitants, a great fire consumes the entire physical structure of the world. It burns all the worlds below the Ābhāsvara worlds. When they are destroyed, the Savartasthāyikalpa begins.

 

samvaṭṭa-ṭṭhāyī-kappa  空劫

samvaṭṭa-ṭṭhāyī-kappaについては、Ābhāsvara領域以下では何も起こらないため、説明することは何もありません。原初の風が吹き始め、世界構造を再び構築し始めると、samvaṭṭa-ṭṭhāyī-kappaは終了します。

 

その他の破壊

火による破壊は、samvaṭṭa kappaの終わりに発生する通常の破壊です。しかし、7 回の火による破壊の後、8 回目のmahākappaごとに水による破壊があります。これはより壊滅的で、Ābhāsvara領域も消滅させます。

56 回の火による破壊と 7 回の水による破壊の後、64回目のmahākappaごとに風による破壊があります。

これは最も壊滅的で、Śubhaktsna領域(31領域の18,19,20領域)も破壊します。

しかしこれよりも高次の領域(無色界などの色界のBhatphala領域より高次の領域)は決して破壊されません。

 

 

 

時間の経過に寄り添うのは悪、時間を遡上するのが善

Pāpasmi ramate mano

 (マインドは悪を喜びます。)49  (注釈49  Dhammapada 116 節)

 

水が高いところから低いところへ自然に流れるように、人間のマインドも放っておけば自然と悪に近づいていきます。 これがマインドの傾向です。

 

マインドは、通常、悪なる行為にのみ喜びを感じるため、saddhāなしではkusala kamma (健全な自発的行為) に傾くことはありません。