禅の教えそのものが「不立文字(ふりゅうもんじ)」

不立文字とは、文字・言葉の上には真実の仏法がないということで、言語の持つ欠陥に対する注意である。

そこで禅を実践することによって文字や言葉で言い表せない体験を体得します。

 

禅とは何か?を追求している身として、先人の言葉をご紹介することで、皆さんと共有したいと思います。

 

禅の大家と言われる鈴木大拙(18701966)の言葉です。

禅とは何か?

「禅とは自己の存在の本性を見抜く術であって、それは束縛からの自由への道を指し示す。

言い換えれば、我々一人一人に本来備わっているすべての力を解き放つのだ、ということもできる」

 

まず「禅とは術である」と言っています。つまりゴールに到達するためのスキルです。

ゴールは何かというと「束縛からの自由」だと言っています。

「本当の自分はこんなんじゃない」と思いながらも力を発揮できない日々。

周囲に合わせすぎて、本当の自分にふたをして、無理やり自分を納得させる。

夢はあくまで夢である。

子供の頃の夢は何処へやら、大人になると組織や社会に同調するようになる。

鈴木氏は禅を学ぶことで、座禅を実践することで、誰でもこのような束縛から自由になれると言っています。

さらに「我々一人一人に備わっているすべての力を解き放つ」とも言っています。

禅や坐禅というと難解で敷居が高くて苦しいもの、という印象がありますが

そのゴールは自由であり、本来の自分を解き放つことだ、と言っているのです。

 

鈴木氏は続いてこうも言っています。

「それは我々の心に生まれつき備わっている創造と慈悲の衝動を、すべて思うままに働かせることである。

一般に、我々はこの事実、すなわち、我々は自分を幸福にし、互いに愛し合って生きていくのに必要な機能を

ことごとく備えているのだという事実に気付かないでいる」

 

人間の本性、人間が生まれつき持っている衝動を「創造と慈悲」だと言っています。

「創造と慈悲」の全解放こそが自分自身を自由にし、自分と周囲を幸福にしていくと言っているのです。

新しことをスタートするときのワクワク感や、0から1を創り出す時の高揚感、

他人に良いことをして喜ばれた時の満足感が自分を幸福に導くと言っているのです。

人生の目的は幸福である、という考えを否定する人は少ないでしょう。

禅への探求が、人類が幸福へ辿り着くための術(スキル)だとすれば

禅は、現代社会が抱える様々な問題を解決する一筋の灯りとなり得るでしょう。

かつて日本が混乱を極めた戦国時代、禅が一気に日本人の心を捉えて浸透していったように

 

禅は、サンスクリットの dhyāna(ディヤーナ/パーリ語では jhāna ジャーナ)を漢字にした禅那(ぜんな)の略である。

中国語では、思惟修(しゆいしゅう)・静慮(じょうりょ)・棄悪・功徳叢林・念修、と翻訳された。

これらはすべて精神の統一をあらわす言葉であり、今日でいう瞑想と同じような意味である。

つまり禅とは、一言でいえば瞑想を意味する言葉なのだ。

 

禅の字は元来、天や山川を祀る、という意味であり、これに「心の働きを集中させる」という語釈を与えて禅となし、

定には「心を静かにして動揺させない」という語釈を与えて、

二つを合わせて禅定とする語義が作られた。

南インド出身で中国にわたった達磨が祖で、坐禅を基本的な修行形態とする

 

類似の概念として三昧(サンスクリット: samādhi)がある。何かに没頭するような状態を「〇〇三昧」とよぶ、あれである。意味はジャーナとほぼ同様で、やはり精神の統一を指す。

禅あるいは定という概念は、インドにその起源を持ち、それが指す瞑想体験は、仏教が成立した時から重要な意義が与えられていた。ゴータマ・シッダッタも禅定によって悟りを開いたとされ、部派仏教においては三学の戒・定・慧の一つとして、また、大乗仏教においては六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つとして、仏道修行に欠かせないものと考えられてきた。

 

禅那と瞑想

禅那を現代語で俗に和訳すると瞑想となる。ちなみにヨーガ (yoga) も意訳すれば瞑想とされるが、本来は心を調御して統一に導くことをいう。瞑想は動作を言葉で説明する事ができるが、禅は不立文字を強調するため、瞑想と禅は区別される。

坐禅を組むこと。あるいは参禅すること。禅那は、仏性の存在を前提に坐禅することをいう。そのため坐禅と同じ姿勢でも仏性を前提としないものは禅那とは言えず、単なる瞑想であるとして区別する。

 

不立文字

禅宗は不立文字(ふりゅうもんじ)を原則とする。不立文字とは、文字・言葉の上には真実の仏法がないということで、仏祖の言葉は解釈によって、いかようにも変わってしまうという意味であり、言語の持つ欠陥に対する注意である

 

そのため禅宗では中心的経典を立てず、教外別伝を原則とするため師資相承を重視し、そのための臨機応変な以心伝心の方便など、種々の特徴をもつ宗派である。

 

六祖壇経と禅の隆盛

『六祖大師法宝壇経(六祖壇経)』は、神会が六祖慧能を掲げて説いた新しい坐禅と禅定の定義とされる。これを元に後の中国禅宗は確立・発展した。

 

師衆に示して云く、

「善知識よ、何をか名づけて坐禅とするや。

此の法門中は、無障無礙なり。  不満がなく不安がない。

外に一切の善悪の境界に於て、心念が起こらざるを名づけて坐と為し、

内に自性を見て動ぜざるを名づけて禅と為す。

 

善知識よ、何をか名づけて禅定とするや。

外に相を離るるを禅と為し、内に乱れざるを定と為す。外に若し相著れれば、内に心即ち乱れ、外に若し相を離れれば、心即ち乱れず、本性は自浄・自定なり。

只だ境を見、境を思えば即ち乱るると為す。若し諸境を見て心乱れざれば、是れ真の定なり。

善知識よ、外に相を離るる即ち禅、内に乱れざる即ち定なり。外に禅、内に定なり。是れ禅定と為す。

菩薩戒経に云く『我れ本元自性清浄なり』

善知識よ、念ずるとき念中に、自ら本性清浄なるを見、自ら修し、自ら行じ、自ら成ずるが仏道なり。

 

 

『六祖壇経』坐禅第五

さらに『景徳傳燈録』に載せる、慧能の弟子の南嶽懐譲(677 - 744年)とさらにその弟子の馬祖道一(709 - 788年)の逸話によって坐禅に対する禅宗の姿勢が明らかとなる。

 

開元中に沙門道一有りて伝法院に住し常日坐禅す。

師是れ法器なるを知り、往きて問う、曰く「大徳、坐禅して什麼(いんも、何)をか図る」

一(道一)曰く「仏と作るを図る」

師乃ち一磚(かわら)を取りて彼の庵前の石上に於て磨く。

一曰く「師、什麼をか作す」

師曰く「磨きて鏡と作す」

一曰く「磚を磨きて豈(あに)鏡と成るを得んや」

「坐禅して豈仏と成るを得んや」

一曰く「如何が即ち是れなる」

師曰く「人の駕車行かざる(とき)の如し。車を打つ即ち是れ、牛を打つ即ち是れ」

一、対無し。

師又曰く「汝坐禅を学ぶは、坐仏を学ぶを為すや。若しは坐禅を学べば、禅は坐臥に非ず。若しは坐仏を学べば、仏は定相に非ず。無住の法に於て、取捨に応ぜず。汝若しは坐仏、即ち是れ仏を殺し、若しは坐相に執さば、其の理に達するに非ず」

一、示誨(じかい、教え)を聞きて、醍醐を飲む如し。

『景コ傳燈錄』巻第五

 

説明

禅の修行をする中に、沙門道一という人があって、伝法院という処で毎日坐禅していた。

伝法院は、懐譲の寺から少し離れた場所にあり、道一はここでの修行を許されていた。

本堂を離れて修行することを許されている時点で、道一はかなりの実力を認められた存在であったといえるだろう。

その伝法院へ、師の懐譲がわざわざ出向いて行った時の問答である。

 

 師これ法器なるを知り、往きて問う。

 

懐譲は、道一がとんでもない器量を持っていることを見抜いていた。

ただ、その器はまだ頭角を顕していない。

さて、ちょいとつついてみるか、といったところだ。

 

しかし、道一という人物の巨大さをここで見ておかない訳にはいかない。

道一には、師匠をして修行の場へ参上させるだけの魅力があったということだ。

それだけの輝きが人間に備わっていなければ、わざわざ師匠が弟子の修行の場に足を運ぶことはない。

 

 道一よ、毎日坐禅をして、お前はいったい何を狙っているのだ?

 私は仏になろうと思っていまして…

 

それを聞いた懐譲は、足下に転がっていた瓦のかけらを手に取って、

やおら石に擦りはじめた。

 

 先生、何をなさっているんですか?

 鏡を作っているのさ。

 瓦を磨いても鏡にはなりませぬ。

では、坐禅して、お前は仏になれるのか?

 

懐譲は更に問う。

 

 どうして仏なんかになろうとするのだ?

 なんで本物の道一になろうとしないのだ?

 

 先生、それはどういう意味でしょうか?

 

 牛車に乗ったのなら、鞭は牛に当てなければ進まないよ。

 お前の鞭は車にばかり当たっているじゃあないか。

 的が外れておるわい。

 どうして自分以外のものになろうとするのか?

 なぜ本物の自分になろうとしない?

 

道一は、懐譲に問われて黙り込むしかなかった。

 

 坐禅とは、坐った仏を学ぶものではない。

 坐禅は横に臥しているのではないから、起きていなければならない。

 でも、それは仏を学ぶのではない。

 

 もし仏を学ぼうとしたって、仏は決まった姿をしてはいない。

 相手に応じて顕われるのが仏の姿で、

 決まった姿がないから、捉えようと思っても捉えられはしない。

 

 お前がもし、仏を追いかけるなら、

 それは仏を殺すのと同じことだ。

 お前自身が誰にでも応じられる人間になろうと求めないでどうするのだ。

 

 もし、坐っていることに囚われているならば、

 そんなことは、お前には理解できないだろうよ。

 

道一は、懐譲の教えを聞いて、深くふかく納得したという。

懐譲との短い問答の中で、道一は真理を得心する。

懐譲が見抜いた道一の器の大きさとは、

その縛られない心の自在さにあったのだろう。

 

本物の自分とは何か、ということが最も大事だというけれど、

その本物の自分を見つけることはとても難しい。

 

坐禅の真の目的は、本物の自分を見究めることにあった。

坐禅というより、人生最大の課題であると言った方がいいかもしれない。

 

自分のミッションは何かを捉えようとする人が多いけれど、

自分の使命を捉えるより、自分とは何かを捉える方が先になければならない。

自分の持っている善さを捉えない限り、自分の目標は見えてこない。

 

この部分に中国禅宗の要諦が尽されているが、伝統的な仏教の瞑想から大きく飛躍していることがわかる。また一方に、禅宗は釈迦一代の教説を誹謗するものだ、と非難するものがいるのも無理ないことである。しかし、これはあくまでも般若波羅蜜の実践を思想以前の根本から追究した真摯な仏教であり、唐代から宋代にかけて禅宗が興隆を極めたのも事実である。

 

般若波羅蜜は、此岸―彼岸といった二項対立的な智を超越することを意味するが、瞑想による超越ということでなく、中国禅の祖師たちは、心念の起こらぬところ、即ち概念の分節以前のところに帰ることを目指したのである。だからその活動の中での対話の記録―禅語録―は、日常のロゴスの立場で読むと意味が通らないのである。

 

中国では老子を開祖とする道教との交流が多かったと思われ、老子の教えと中国禅の共通点は多い。知識を中心としたそれまでの中国の仏教に対して、知識と瞑想による漸悟でなく、頓悟を目標とした仏教として禅は中国で大きな発展を見た。また、禅宗では悟りの伝達である「伝灯」が重んじられ、師匠から弟子へと法が嗣がれて行った。

 

「空」の言語化

ヒトは脳を使って認識します、すなわち意識とは分別する回路です。回路という路です。モノから見れば。螺旋階段であっても、「空」からみれば迷い路です。「空」は脳内の意識ではなく、脳そのものである内臓やその中にある隙間なので、指差すか、もしくは機能について語ることしかできません。

しかし、迷い路ではありますが、意識のレベルで「空」を認識できるように、できるだけ似ているように表した比喩(メタファー)を使って形にすることはできます。

 

サンスクリット語のśūnyaを漢訳して「空」

シューンヤ自体は「空(から)の」「うつろな」「欠いている」「ない」「寂しい」などや、数学のゼロを意味します。「家に人がいない」というような時に使われ、「期待される何かを欠いた」状態を示します。

 

あらゆる事象は事象間の相互関係の上に成立する(縁起)から、不変的で固定的実体というべきものは何一つないのだから、我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと。

しかし、逆から言うとこの「空」から形なきものからカタチあるモノまで全てが生まれている。

 

「空」、つまりすべては固有の本質をもたず変化し続ける。

「空」は過去から未来への直線ではなく、逆流したり枝分かれしたりしている。

「空」はビックバンが起こる前の状態であり、起こった後にもあり続ける

 

縁起を悟ったブッダは、縁起にもとづき存在か非存在かという偏ったものの見方をしない「中道」を説き、それを根拠に「無我(心身の諸法は我をもたないこと)」「非我(心身の諸法は我でないこと)」を自覚することの重要性を、ここにいう無我の意味で空を説いています。

 

「諸法は固有・不変の本質をもたない」という意味で説いたという流れであることが分かると思います。

 

『スッタ・ニパータ』(1119)には「つねに心して自我に固執する見解をとり除き、世間を空と観察せよ。そうするなら死を乗り超えるであろう。」

 

自我と我所(自我の所有するもの)が空であると観察する「空三昧」、

 

ナーガールジュナの空

菩薩は、悟りや涅槃をも含むあらゆるものに固定した特徴を見ることがなく、すべてに無執着であるとして、この無執着のあり方を「空」と呼びました。『般若経』、

「縁起する、すなわち原因によって生じるものごとは固有の本質をもたない」という空の立場を強調したのは、当時のインドで最有力の部派であった説一切有部が、諸法、ひろくは事物の構成要素には固有・不変の本質がある、と解釈していたためです。

もとより、事物に固有の本質はないが、そこに固有の本質があるかのような錯覚はある。それが錯覚にすぎないこと気づかせるために、「空」という否定的な響きのある言葉が選びとられたとナーガールジュナは言います。ただし、空が正しく理解されるというのは、錯覚を錯覚であると気づくこと、それによって煩悩の根源に巣くう概念化(戯論)という心のはたらきから解放されることを意味しています。

 

空の立場からは、すべてのものは他に依存して生起するのだから、固有・不変の本質をもった存在、言いかえるなら固定的な存在としてあり続けることはない。氷と水の関係で考えてみますと、氷が水からできるのであれば、氷と水が別だとか同じだとか言うことはできません。そこには連続性もあり不連続性もあります。様態や働きによって名前も変わります。このように、氷と水は同じか別かという問いは、観点によって答えも違ってくるのです。これがブッダの本意であり、縁起の正しい捉え方なので、『般若経』の縁起(=空)解釈こそが本来のブッダの教えに直結しているのだと論じたのです。

 

大気なる非意識 雲なる無意識 水なる語り 氷なる文字

H2Oの形

大気「空」

意識の形

充満・非意識

思い・無意識

言葉・記号・音

話し言葉

書き言葉 文字

人から見た形

みえない

掴めない

掴める

形を変えられる

彫塑できる

 

 

日本の禅の教義

中国で成立した禅宗は、本質的に教義を否定する傾向があったが、比叡山の影響の大きい、日本の多くの禅の宗派は、教義を展開する。この節では、現代日本に於ける禅宗の姿を鳥瞰する。

 

全ての人が例外なく自分自身の内面に本来そなえている仏性[ 10]を再発見するために、坐禅と呼ぶ禅定の修行を継続するなかで、仏教的真理に直に接する体験を経ることを手段とし、その経験に基づいて新たな価値観を開拓することを目指す。そうして得た悟りから連想される智慧を以て、生滅の因縁を明らかにし、次いで因縁を滅ぼして苦しみの六道を解脱して涅槃に至り[ 11]、その後に一切の衆生を導くことを目的とする。そのため師家が修行者に面と向かって、臨機応変に指導する以外には、言葉を使わずに直に本性を指し示す道[ 12]であるとされる。

 

主な修行形態として坐禅を採用するのは、達磨大師が坐禅の法を伝えたとする以外にも、古来より多くの諸仏が坐禅によって悟りを開いてきたからであるとされる。最近は、坐禅によってセロトニン神経が活性化され鍛えられることや、通常とは異なる独特なアルファ波が発生することが、精神的安定や心身の健康の一因であるという生理学教授[ 13]もいる。 ただし、自分も根本的には仏祖と同一であるという境地に到達した者には、一切の行動にことごとく仏道が含まれているという価値観が生じるため、坐禅に限らず念仏や読経も行うようになる。

 

禅宗においては、そもそも禅宗とは何かといった、メタな問いかけを嫌う傾向にある。そのような疑問の答えは、坐禅修行によって得た悟りを通して、各々が自覚する事が最上であるとされ、もし人からこういうものだと教わりうる性質のものであるならば、それは既に意識が自身の内奥ではなく外へ向かっているため、内面の本性に立ち返るという禅宗の本意に反するとされるからである。もう一つの理由として、概念の固定化や分別を、わがままな解釈に基づく「とらわれ」「妄想」であるとして避けるためであり、坐禅修行によってとらわれを離れた自由な境地に達して後に、そこから改めて分別することをとらわれなき分別として奨励するからである。

 

文字や言葉で教えることを避けて坐禅を勧める理由として、世尊拈華、迦葉微笑[ 14]における以心伝心の故事を深く信奉しているという以外にも、自分の内奥が仏であることを忘れて、経典や他人の中に仏を捜しまわることが、かえって仏道成就の妨げになるからであると説く。

 

沢庵和尚が、たとえて言うには「水のことを説明しても実際には濡れないし、火をうまく説明しても実際には熱くならない。本当の水、本物の火に直に触ってみなければはっきりと悟ることができないのと同様。食べ物を説明しても空腹がなおらないのと同様」で、実際に自身の内なる仏に覚醒する体験の重要性を説明し、その体験は言葉や文字を理解することでは得られない次元にあると説き、その次元には坐禅によって禅定の境地を高めていくことで、到達できる[ 15]とする。

 

禅宗の坐禅における禅定の種類

栄西は『興禅護国論』で『楞伽経』を引いて坐禅は四種類あると説いている。

 

愚夫所行禅

凡夫・外道が、単に心をカラにして分別を生じないのを禅定だと思っている境地。達磨大師は、内心に悶えることなく外に求めることもないこの境地が壁のように動かなくなれば、そこではじめて仏道に入ることができると説く。

観察相義禅

小乗・三賢の菩薩が、教わった仏法を観察し思惟する境地。しかし、いまだ仏法・涅槃を求める強い欲心があるがために悟りを開けないでいる。人々がいつまでも苦しみの輪廻を逃れられないのは、このように我が身にとらわれて自分さえよければと欲求することが、結果的に罪業を作る結果となるからである。夢窓国師は、もし自分を忘れ一切の欲を投げ捨てて利他心を起こせば、すぐさま仏性が発揮されて、生き仏になることができると説く。

攀縁如実禅

大乗の菩薩が、中道を覚って三業を忘れ、有るでもなし空でもなしと達観する境地。生きとし生けるものすべての生滅の苦しみに同情し、苦しみを抜いて楽を与えるべく苦慮しており、その姿勢にはもはや自他の区別がない。しかし衆生を救う願があるがために如来清浄禅に入ることができない。

如来清浄禅

如来と同じ境地に入り、みずから覚って聖なる智慧が現れたすがた。禅宗で、坐禅によって本分の田地、本来の仏性に知らず知らずに立ち返るというのは、前記の二禅を飛び越え、愚夫所行禅から直にこの位に達することを意味する。それゆえ如来十号も菩薩五十二位も枝葉末節であるとされる。

また、愚夫所行禅から如来清浄禅に至るまでの上達の様子については『鉄眼禅師仮字法語』に詳しい。

 

方便

方便法輪。日本の禅では、仏祖・禅師の本意ではないものの、本意を伝える手段となりうるという意味で方便という。またいかにすれば仏性を発現できるかを模索する、柔軟な心構えをいう。教宗の学、真言宗の三密、律宗の戒律のようなものである。

 

只管打坐(しかんたざ)

ただひたすらに坐禅を実践せよの意味。ひたすらとは禅定の深さを表現した言葉である。意識を捨てて無意識下において坐禅する[ 21]、坐禅そのものになりきることを意味する。いま坐禅している自分がいる、という自覚すら忘れてしまうほどに、坐禅という行為そのものに没頭する(坐忘)。この手法によって初心者でも、より深い禅定の境地を、容易に体験可能であるとされる。

ただ、禅宗は臨機応変であり、大乗仏教はあらゆる道に仏道が含まれていると考えるので、坐禅以外のことはしてはならないということはないが、このようなことは初心者には理解が及ばず、そのために初心者向けの方便として只管打坐[ 22]・修証一如[ 23]こそが禅宗の極意であるということが言われる。坐禅の境地には上下なく、坐禅すれば等しく仏であるという喝も、只管打坐を奨励する一種の暗喩的方便である。

ただし今世で悟りを開けずとも、坐禅の功徳によって来世では悟りを開く事ができるとされるため、坐禅をすればそのままただちに仏である(坐禅しなければいつまでも仏にはなれない)という意味通りの解釈も間違いではない。仏道成就の早い遅いについて達磨いわく、心がすでに道である者は早く、志を発して順々に修行を重ねる人は遅く、両者には百千万劫もの時間差があるという。深く正しく坐禅する者は早く、しなければ遅いという意味の一連の喝は、学習よりも坐禅の実践を強調する表現手法である。

公案禅(こうあんぜん)

達磨大師が西から旅をして来た理由は、国外の仏教の衰えを憂えて、悟るために重要なものが坐禅の実践であり、経典の学習ではないことを宣教するためであるとされる。しかし、ひとまず思考・議論・学習を止めよと教えても、なぜ止めねばならないかについて思考・議論・学習を始めてしまうような思考癖のある修行者にとって、只管打坐は至難の方法となる。

そのような修行者は、いかなる経典を学ぶとも、悟りというものの共感が得られないために、想像をふくらませて解釈しようとする。無理な想像は妄想となって理解に歪みを生じ、自ら生み出した曲解に妨げられてますます悟りから遠のくという事態は、昔から多くの師家を悩ませてきた。経典を学ぶにしても、学び手に必要なものはまず悟りの体験である。悟りというものは自分の心で自分の心を確認し、自分の心で自分の心を理解するものである。他人に頼って何かを明らかにするとか、自分以外の何かを利用して体得するようなものではない。

従って、悟るためには何よりもまず坐禅の実践によって自分自身と向き合うことが肝要である。こうした問題意識から、思考癖のある聡い修行者に坐禅を実践させるために、禅師たちが考え出した方法が公案禅である。修行者に公案を与え、行住坐臥つねに公案の答えを考えさせるのである。

公案

公案は直に悟りの境地を指し示したものであり、ひらめきと一体化した言い表せない感情的なものである。心がけがよくなく、このままではまちがった方向に進むおそれのある修行者[ 24]に対して、師家が薬のような意味合いで修行者に授ける。

内容は、昔の高僧の言葉を使うこともあれば、即興で作られることもある。公案を与えられた修行者は、その言葉がどのような本意から創造されたかを正しく悟って、師家の前で心を以て回答することを要求される。公案の多くが自己矛盾的文体を為しており、そのまま意味を理解しようとしても論理的に破綻する場合が多い。公案の答えは常識的な思考の届かないところにあり、自己を消し去ることで矛盾を解消したり、矛盾を止揚して高次の段階で統一したものである場合が多い。そういった答えに至る過程に禅の極意が含まれているとし、修行者を正しい悟りに導くための工夫の一つとされる。

ただし、このような学習を捨てて坐禅させるという方法は、師家の善良な監督下にあって庇護を受けることができる出家の僧侶に向けたものであり、在家の信者は坐禅と学習の両方を行う必要があるとされる。

内観

禅の修行が厳しく、師家のほうでも敢えて禅人を苦しめるのは、富貴で安穏であれば仏道を求めることが困難だからである。釈迦が王位に就いて姫と歓楽に耽り、国中の財産を集めた贅沢三昧の生活を、自ら捨てて出家して六年間の苦行をしたのも、このような理由であるとされる。

不意に病にかかり、気を失って死んだ方がましだと思うような病苦の中にあるときこそ必死に坐禅すれば、またとない大悟の機会となる。たとえ大悟を得られなくとも、その時の苦しみを思い返せば多少の生活の苦しみは取るに足りなくなる。また、無始無終の生死の迷いを打破し、如来の悟りに徹底するような、めでたい事は少しばかりの艱難辛苦なしには、得られるものではないという覚悟が、必要であるとされる。

とはいえ参禅が限度を超えて神経衰弱の苦しみにある修行者を見かねた白隠禅師が、その治療方法としての内観の秘法を伝授した。神経衰弱から来る禅病を直すための心身の休養方法であり、心身がもとより空虚なものであることを体験するために、24時間の睡眠と禅宗的なイメージトレーニングと数息観と丹田呼吸を行う。

二入四行

達磨が伝えたとされる二つの真理への至り方と、四つの実践方法。悟りに至る方法は数多くあるが、それらはすべてこの二つに要約されるとする。

霊魂(精神の永遠性、小我)の否定[編集]

禅宗(特には臨済宗)では肉体と精神とは同一のものと考え、区別をしない。肉体があるから精神もありうるのであり、精神があるというならばそこには発生原因として肉体がなければならない。そのような意味で、肉体がそのまま精神であり、精神は肉体である。もし死体を見て、肉体は滅んだが精神はどこかへ移動して不滅のまま残っていると考えるならば、これは大乗仏教ではない。霊魂の存在を認めると生と死に関する深い執着が発生するため、仏道成就を阻害するとされる。

 

禅宗では、心というものは刻一刻と変化しており、これこそ我が心であるといえるような一定の形態を持たないと考える。したがってこの心は実は幻の心である。この点では肉体についても同様のことが言え、肉体だと思っているものは実は物質が縁によって和合して仮に人間のすがたが現れたものにすぎず、縁が滅ぶ時には元通りバラバラになるためまったく実体がない。したがって心身はもとより一つの幻である[ 25]。幻だから、生きたり死んだりするものではない。生きたり死んだりしないから、常住不滅である[ 26]

 

もし悟った禅僧が、心身は一如であり肉体も精神も不滅であるというならば、これは仏性を直指した奥の深い説法であるといえる(諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽)。

 

 

 

 

 

 

禅とは信仰ではなく修行である」とよくいわれます。

そこにはいわゆる霊魂や死後の世界といった考え方は採りませ

 

 

それでは坐禅によって何が行ぜられる(坐って修行をする)かといえば、やゝ難し いかも知れませんが「主観と客観、自己と世界、善と悪などといった相対的な対立 するものが現われる以前の、主観と客観が分かれる前の、自己と他者とに対立する 以前の存在そのものへ立ち還る」ことを目指します。まさに禅問答的のようで直ぐ には理解ができないかも知れませんが、ここはこれ以上くだいて説明しることはできませんし、ほかの表現をしたところで同じことの繰り返しになってしまいます。

 

もう一つ、常日頃私たちが「自己」として大切にしているものは、実はそれが迷い の根元であり、それは実体のない幻影なのですが、人間は長い間生命をつないでき た過程で自らが大切と思うがためにそのことに気づかないのです。坐禅はそれを行 ずることによってその根底にあるものを明確に認識して、「人間の心」というもの の本体を自覚させていくのです。 よく「坐禅の道」というものは「解脱(一切の迷いや束縛を脱して自由で安らかな 心を得ること)の道」であるといわれますが、また一方で「坐禅をやることによっ て得るものは何ものもない」ともいわれます。それはむしろ“捨ててゆく”道なの です。人間は生まれてから生きていく過程で色々経験を積んでいつのまにか「自己 」という核を作り上げていきます。「自己の財産」とか「自己の名誉」といった、 その自己を中心にして判断し動いていきますが、意外にもその“自己”とは一体何 であるかを突き詰めようとはしません。そうでありながら自らの人生において、そ の自己を中心にいろいろの思想信条や生活の形を造り上げているのです。

仏教は、その「自己」の本体とは、実体のない幻影であることを見破る教えなので すが、禅は、坐禅の工夫(行じていく)により心身脱落(解脱)することによって 、直接的にそれ(自己が実体のない幻影であること)を実証して、本当の自分に目 覚めさせる「空」の道なのです。それは人が一人ひとり本来にもっているものです から、ですからそこには、外から特定の教義や信仰を押しつける必要がないのです

そこでは、凡ての信仰以前の心(本当の自分)そのものの本体が開示され、如是法 と一つになり、絶対な「空」の真実の姿が明らかにされるのです。そこに神聖にし て尊厳に満ちた「あなたの心」の徳が顕れてくるのです。

『法華経』(『妙法蓮華経』の略で仏の教えの永遠なることを説いた大乗仏教中の 大法典)の『信解品第四』に、「長者窮子」という例えが説かれています。

自分の家をさ迷い出て、放浪の旅に疲れはてた子が、自分の家に戻ってみると、そ のすばらしさに驚き、そこにいる主人の偉大さに畏れて近づきかねていた。それを 見た父なる主人が身を掃除夫にやつして子に近づき、話をして親近感をもたせ、家 に引き入れ、だんだんと労役にも慣れさせ、ついにはその家の財宝がその子のもの であることを明かし、子はこの上ない感泣にむせぶ、という話です。

丁度これと同様に、人間は心という無上の宝をもちながら流浪の旅にさ迷い出て、 家に帰ろうとしない。それをみて父なる仏祖が方便をめぐらして、心に備わってい る本在的な徳を体得せしめ成仏せしめる。これが仏教であり、坐禅の行なのです。 宝とはその人が持っている「本心本性」の徳のことで、仏性です。

まさに禅の道は、己れの「真実の本心に立ち還る道」以外の何ものでもないのです。 このような道は、科学に矛盾するものでないばかりか、現実にありがちな科学が技 術と結びついてものごとが本末のあるべき姿を見失い、公害や自殺の凶器に転落し ようとするのを引きとめて、その本来のすがたに戻すものでもあるのです。

今や世界の多くの人々は、「真実の己れ」に目覚めることなく、自分の信仰や世界 観、利害の対立の中で正しい人間の道を見失い、或いは底なしの闘争や、あるいは 細かい専門領域の袋小路に入り込み、あるいは自堕落な享楽にふけって、真の理想 と希望のない生活のなかで、結局はそのような現状にあえいでいるのが実体なので はないでしょうか。

禅は、多くの宗教の中で、神秘的教義や信仰を立てず、霊魂や死後の世界を語らず 、真実の本心をよび覚ます道を直接示してくれます。それは、科学を本当の姿に甦 らせ、社会の現実の営みの直中にあって、正しく・楽しく・仲のよい世界建設のた めの正しい道を開示するのであります。

まことに禅こそは、現代のための宗教といえるのです。

 

内田昭夫編「坐禅のすすめ」より

 

 

 

マインドフルネス(mindfulness)という語は、仏教における「念(サティ)」の英訳語で、「心にとどめておくこと」「気が付くこと」「注意すること」などと訳されます。

 

つまりもともとは仏教の用語で、東南アジアやスリランカなどの上座部仏教で行われている瞑想法に由来します。それがアメリカを中心に、一般の人でも実践できる形にアレンジされ、効果が科学的に実証されるとともに急速に広まっていきました。

 

やり方は、基本的には坐禅と同じです。静かに座って、自分の呼吸に意識を集中させる。気が散って他のことを考え出したら、再び意識を呼吸に戻す。簡単に言えば、そういうことになります。

アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)には「マインドフルネスセンター」という研究所もあります。

 

その創設所長であるジョン・カバットジン博士と、世界的な精神医学者・心理学者であるリチャード・デヴィッドソン博士がマインドフルネスに関する科学的な実験を行ったところ、バイオテクノロジー企業の従業員による実験では、わずか七週間マインドフルネスのトレーニングを受けただけで被験者たちの不安レベルがはっきりと下がったと報告されています。

 

被験者の脳の活動を電気的に測定すると、ポジティブな情動と関連する脳の部位の活動が大幅に上がったことが確認されました。それだけではなく、研究の終わり近くに被験者たちにインフルエンザの予防接種を受けてもらうと、トレーニングを受けなかった人たちよりもたくさんの抗体を生み出していたこともわかりました。

 

つまり、マインドフルネスによって、気持ちが落ち着いただけでなく、免疫機能が上がったことも科学的に示されたのです。

 

この他にも、マインドフルネスの効果についての研究は多くなされ、学術論文も多数書かれています。そして2014年にはアメリカの「タイム」誌で特集が組まれるほど、一般の人々の間でも注目度は高まっています。

 

日本でも、2013年には「日本マインドフルネス学会」が発足していますし、医学や心理学系の専門誌においても、マインドフルネスが特集されることはとても多くなっています。マインドフルネスが医学的に効果があることはすでに周知の事実となり、外来治療でマインドフルネスを取り入れる病院も出てきています。

 

MITのジョン・カバットジン博士が「信じなくても効く」と説くように、マインドフルネスは宗教という文脈からは切り離されたものになっています。

 

グーグルでは、マインドフルネスについて学び、実践するためのクラスが複数用意され、いまや5万人いる社員のうち5000人、じつに10人に1人が実践するほどになっていますが、同社でこの取り組みの牽引役となっているビル・ドウェイン氏は、宗教色をなくしたからこそこれだけ広く取り入れられるようになったのだと分析しています。

 

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禅とマインドフルネスの違いは「ご利益」

しかしながら、もとは仏教に端を発するものであり、いまなお、一般に仏教の瞑想法と混同されることが多くあります。また日本では、マインドフルネスから逆に坐禅に興味を持つ人も増えていて、2015年には、お寺の坐禅会がかつてないほど人気になっているという報道も見られました。とりわけ、禅とマインドフルネスを同じものだと考えている人は少なくないと思われます。

 

私も、「マインドフルネスのこのような世界的な流行について、禅僧としてどう考えるのか」と問われたことがあります。また、この本の読者の方も、禅とマインドフルネスはどう違うのかについて興味のある方は多いと思います。

 

何しろ、マインドフルネスは名だたるグローバル企業で実践されていることが知られているからです。そこでここでは、その両者の違いについて、また私が思うことについて、私なりに説明します。

 

まず知っていただきたいのは、禅とマインドフルネスは、瞑想するということは同じであっても、本質が全く異なるということです。

 

マインドフルネスによって不安な気持ちが解消されたり、身体が健康になったりするというのは、とてもいいことだと思います。効果が科学的に証明されることも、多くの人が興味を持ち、実践してみようと思うきっかけになるので否定するつもりはありません。

 

ただ、効果があるからやろうというのは「ゲイン」の考え方になります。ここまで読まれた方には繰り返す必要はないと思いますが、禅はそのような考え方を採りません。つまり、一番根本にある瞑想する動機、目指すべき方向が、禅とは全く異なっているのです。

 

身近な例でいうと、ランニングがわかりやすいでしょう。先日、ニューヨークのコロンビア大学の大学院でMBA(経営学修士)コースにいる学生が40名ほど坐禅や精進料理など禅を学びにやってきました。彼らに禅とマインドフルネスの違いを説明するためにこんな質問をしました。

 

「セントラルパークでランニングするのを日課にしている人はいますか?」すると一五名くらいの学生が手をあげました。「では、みなさんは何のためにランニングをしているのでしょうか」すると、「痩せたいから」「リフレッシュしたいから」「強い体を作りたいから」などさまざまな回答がありました。

 

まさに、そういう考え方がマインドフルネスの欧米での用いられ方なのです。つまり、何かご利益があるから走るのです。

 

しかし、禅ではそういうもののとらえ方はしません。走るために走るのです。確かに、走っていたら、体重も減るだろうし、体も強くなるでしょう。

 

しかし、禅ではそれを目的にはしません。走っていたら自然にそうなっていた、ということでしかありません。物事を究めるためには、目の前にある短絡的な利益を求めるのではなく、それを実践すること自体が目的にならねばいけないのです。

 

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ゲインを求めてはいけない

これも繰り返しになりますが、仏教というのは、何らかの神を信じているのではありません。釈迦という人間が悟りを得たということを信じているわけです。しかし、その悟りの中身はわからない。彼がどのような境地に達したのかは誰にもわからない。

 

だからそれが何なのかを自分で知ろうというのが仏教の修行者たちのそもそもの動機なのです。その先に何があるのかはわからない。でも何かがあると信じて、釈迦と同じように苦行を積む。それが仏教や禅の本質なのです。

 

つまり、こうやってトレーニングすれば不安レベルが下がる、健康になるということは、もちろん結果としてはあったとしても、禅はそれを目的にはしていません。釈迦の悟った中身は何なのかという、もっと超越したところへ意識を向けます。

 

そして、もし悟ることができたとしても、それで満足して終わってはいけないと禅では考えます。大切なのは、悟りを得たらその経験を世のために使っていくこと。禅の修行はあくまでもその手段にすぎないのです。

 

そういった意味で、自分の集中力を高めたり、幸福感を得たりすることが目的となっているマインドフルネスとは、考え方が根本的に異なるのです。

 

もう一点私が思うのは、こうしてある意味、功利主義的な考え方のもとで得られた幸福感というのが長く続くものなのかどうか、ということです。

 

確かに実験として脳の活性度などを測定すれば、科学的に見てそのときは「幸福な状態」にあるといえるのかもしれません。しかし、それがもし短期的なものであり、心にしっかりと根付くものでないのであれば、根本的な解決にはなりません。

 

人間は欲深いものです。そのときに幸福感を得られたように思えても、ある種の達成感を得ると今度はそれでは満足できなくなってきます。すると、その後には、同じことをやっても同じような幸福感が得られるかどうかはわからない。マインドフルになろうとすればするほど、自分への執着が強くなり、却って逆効果になることも多々あります。

 

マインドフルネスを実践しながら、カウンセラーのお世話になっている、などという笑えないケースもあるそうです。ゲインを求めて行う瞑想というのは、こういう懸念をはらんでいると私には感じられます。

 

とはいえ、瞑想することは別に禅の特権ではありません。真言宗でもイスラム教でもキリスト教でも瞑想はやります。また、もともと仏教は科学とも親和性が高い宗教です。ダライ・ラマ猊下も、宗教と科学は矛盾しないとおっしゃり、科学の知見を仏教に積極的に取り入れようとされています。

 

ただ同じ瞑想でも、目的やその本質的な考え方は全く異なることがあるということです。逆に言えば、マインドフルネスと禅を比較し、その違いを知ってもらえれば、禅とは何か、その本質は何か、ということがより明確に理解できるようになるでしょう。

 

 

般若(はんにゃ、サンスクリット語: प्रज्ञा, prajñā,プラジュニャー; パーリ語: पञ्ञा, paññā,パンニャー)は、仏教において、全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧のこと。

 

原語と漢訳

「般若」は梵: prajñāの音写であり、波若、般羅若、斑若、鉢若、鉢羅枳嬢[要出典]などとも書く[1]。漢訳は慧、智慧、明(みょう)など。

 

菩薩が悟りに達するために修める六波羅蜜のうち、般若波羅蜜は他の五波羅蜜を成り立たせる根拠として最も重要な位置を占める[1]

 

共般若と不共般若

声聞、縁覚・菩薩のために共通して説かれた教えを共般若(ぐばんにゃ)といい、菩薩のためにのみ説かれた教えを不共般若(ふぐうはんにゃ)という[1]

観照般若と実相般若

一切法の真実絶対の姿を観照して知りぬく智慧を観照般若といい、

般若の智慧によって観照された対境としての一切法の真実絶対の姿を実相般若という。

三般若・五種般若

三般若と呼ばれるものに下記の2つがある[1]

観照般若と実相般若に方便般若を加えた3

観照般若と実相般若に文字般若を加えた3

観照般若・実相般若・文字般若に、境界般若と眷属般若を加えた5つを五種般若という。

仏典における扱い

『大智度論』 (44) に次のように言及されている。

般若とは秦に智慧という。一切のもろもろの智慧の中で、最も第一たり、無上、無比、無等なるものにして、さらに勝るものなし。

 

 

老荘思想

中国で生まれ道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。

 

老荘思想が最上の物とするのは「道」である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。「道」には様々な解釈があり、道家の名は「道」に基づく。

 

『老子』『荘子』『周易』は三玄と呼ばれ、これをもとにした学問は玄学と呼ばれた。玄学は魏の王弼・何晏、西晋の郭象らが創始した。

歴史

老荘思想は老子から始まるが、老子はその生涯があまり良く解っておらず、実在しなかったという説もある。

 

老荘の名以前に黄老(こうろう)があり、戦国時代から漢初に流行した。

 

老子と荘子がまとめてあつかわれるようになったのは、前漢の紀元前139年に成書された百科的思想書の『淮南子』(えなんじ)に初めて見え、魏晋南北朝時代のころの玄学において『易経』『老子』『荘子』があわせて学ばれるようになってからであろう。 老荘思想は道家思想とほぼ同義に用いられるが、これは前漢のころには信頼できる道家の書物が、老子と荘子くらいしか残っていなかったためである。

 

儒教が国教となってからも老荘思想は中国の人々の精神の影に潜み、儒教のモラルに疲れた時、人々は老荘を思い出した。特に魏晋南北朝時代においては政争が激しくなり、高級官僚が身を保つのは非常に困難であった。このため、積極的に政治に関わることを基本とする儒教よりも、世俗から身を引くことで保身を図る老荘思想が広く高級官僚(貴族)層に受け入れられた。加えて仏教の影響もあり、老荘思想に基づいて哲学的問答を交わす清談が南朝の貴族の間で流行した。清談は魏の正始の音に始まり、西晋から東晋の竹林の七賢(嵆康、阮籍、山濤、向秀、劉伶、阮咸、王戎)が有名である。ただし、竹林の七賢が集団として活動した記録はない。

老荘思想は仏教とくに禅宗に接近し、また儒教(朱子学)にも影響を与えた。

 

道教との関係

フランスの中国学者アンリ・マスペロ(東洋文庫『道教』の著者)によれば、老荘思想と道教は連続的な性質を持っているとする。しかし日本の研究者の間では、哲学としての老荘思想と道教はあまり関係がないという説が一般的である。

 

道教に老荘思想が取り込まれ、また変化している。一般に老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取るとされる。不老長寿の仙人が道教において理想とされることは、老荘思想と矛盾しているように見える。しかし、道教の思想において両者は矛盾するものではないとされている。

 

日本に於いてだけでも、時代に依って道教と老荘思想の意味・関係は変化しつづけたが、それは道教研究のここ百年での深まりと、老子・荘子各々を把握解釈する者の営為に依存している。

 

 

 

中国の禅

中国禅宗の南北問題

唐の玄宗皇帝時代(732年)に、六祖大鑑慧能の弟子荷沢神会は滑台の大雲寺で「無遮大会」(道俗を選ばぬ公開の大法会)を設け、「北宗」代表の崇遠法師に宗論(「滑台の宗論」)を挑み、「南宗」の祖達磨の仏教(如来禅・頓悟禅)の正系を承ける者は六祖慧能であり、「北宗」(段階的漸次的な坐禅方便説。開創は法如。崇山を中心に長安、洛陽方面で活躍、唐室の帰依と保護を受けた)はその傍系に過ぎないと難じた。

神会没後、慧能の伝記や思想を語る『六祖壇経』『宝林伝』等の出現により、慧能滅後百年近い頃「西天二十八祖、東土六祖」の地位が確立する(『講座禅・第三巻禅の歴史』「中国禅宗史」(7〜108頁)柳田聖山 筑摩書房刊参照)。

 

 

面授の問題点

禅門では「面授嗣法」即ち一般に師が弟子に直接法を伝えることを重要視するが、曹洞宗では投子義青(10321083)の嗣法について問題視する考え方がある。

それは大陽警玄(9431027)には弟子がなく偶々臨済系の浮山法遠に皮履と直トツを与えて後事を託し、後に投子義青がこれを得て大陽警玄に嗣法したという禅宗史の問題である。

この嗣法の問題は中国文明の歴史観が深い影響を与えていると考えられる。

つまり中国文明の歴史観は司馬遷の『史記』に始まる「正統」の歴史観である(『歴史とはなにか』岡田英弘著・文春新書参照)が、この正統思想が中国においては禅宗史にまで影響を及ぼしたのではないかと思われる。