ヘルメス、カルデア、ミトラ

 

 

ヘルメス文書:ポイマンドレース(起源) 

ヘルメス文書のポイマンドレースbc50100は抽象度が高くて無駄がない。

理解するために具体的な三部の教え4cとプトレマイオスの教説2cの理解が補助してくれる

 

 

 

      

 

 

「グノーシスと古代宇宙論」  柴田 有

p3

天動説 

 

 

 

 

 

 

宇宙論

月下界

惑星

恒星

プレーローマ

内容

渾沌

 

 

叡智

 

水、土

空気

霊気

 

 

ポイマンドレースの著者 ポセイドニオスPoseidonios of Rhodes紀元前135年頃 - 紀元前51

ギリシャのストア派の哲学者、政治家、天文学者、地理学者、歴史家、教師である。その時代の最高の万能の知識人であった。膨大な著作をおこなったが現在はその断片しか伝わっていない。

ポセイドニオスは北シリアのローマ都市アパメアに生まれた。アテネでストア派の学者パナイティオスのもとで学んだ。紀元前95年にロドス島に移り、科学の研究で評判を得た。ロドス島では政治家として働き、紀元前87年から86年の間はガイウス・マリウスやルキウス・コルネリウス・スッラの時代のローマで大使を務めた。

多くのギリシャ知識人とともに、混乱した世界を安定させる勢力としてローマに期待し、ローマの支配層とのつながりはポセイドニオスの政治的な立場だけでなく、科学の研究にも重要なものとなった。

ローマの支援を得て、ローマ支配下の地域に旅行することが可能となった。

 

柴田氏が、ポイマンドレースの星辰界を悪として捉えてしまったのは、ポイマンドレースが書かれた年代を1BCではなく2cと勘違いしてしまったからである。

 

 

ヘルメス文書:ポイマンドレース(光と闇の二原理)

グノーシスと古代宇宙論  柴田 有

p27

選集のほとんどの冊子は導師ヘルメス・トリスメギストス(3倍も偉大なヘルメス)と求道者との対話という形式を踏んでいる。ポイマンドレースという名は、かつてはギリシャ語の「牧者poimen+aner」として説明されていたが、今日ではコプト語の「太陽神の知識」として説明される。

対話と言っても、それは導師の側からの一方的伝授であり、実質上託宣である。 

 

先住民族のシャーマンでは幻視体験は日常茶飯事の出来事。

 

 

 

息子

宇宙

ミトラ教

ズルワーン

ソフィア

ミトラ

世界卵

宇宙

プトレマイオス

プロパトール

エンノイア

ヌース

アレーテイア

ソフィア→

三部の教え

唯一なる者

 

御子

エクレーシア

 

 

男性原理が光、卵の黄身、 女性原理が闇、卵の白身  光と闇の二原理

 

p118 ポイマンドレースとミトラ教の世界観

彼は姿を光に変じた。その光は美しく、喜ばしく、見ているうちに私は愛を抱いた。それから暫くすると、闇が垂れ下がり、部分部分に分かれ、、恐ろしく、嫌悪を催すものになり、曲がりくねって広がり、私には蛇のように見えた。それから、闇は湿潤なフュシスのようなものに変化した。それは名状し難いほどに渾沌とし、火のように煙を発し、言い表すことのできない、叫び声のようなものを発していた。それから、何を言ってるのか分からないが、火の音のような叫び声がフュシスから出ていた。

 

フュシスphysis対ノモスnomosという対概念以来のもので,フュシスは人間とは無関係に存在しその法則に人間が介入しえない世界という意味での自然を意味し,これに対してノモスは習慣や法律や制度など人間が人為的につくったものを意味した。

フュシスは〈生まれる,生じるphyomai〉という動詞から派生した,おのずと生じたもの一般を意味し、ラテン語ではnaturaの訳され、英語のnatureやオランダ語のnatuurになった。

インド哲学では自性プラクリティと呼ばれるすべての根本物質のこと光はプルシャ

 

 

 

 

 

 

ヘルメス文書:ポイマンドレース(宇宙の創造)

「グノーシスと古代宇宙論」  柴田 有

 

三位一体  父、母、息子

 

一者

息子

ミトラ教

両性具有

ズルワーン

ソフィア

ミトラ

世界卵

プトレマイオス

 

プロパトール

エンノイア

ヌース

アレーテイア

プラトン

一者

ヌース

原初物質

創造主

デミウルゴス

 

新プラトン主義

一者

ヌース

かくれた大

原初物質

アイオーン火・光

 

神智学

モナド

三重のロゴス

第一ロゴス

パラアートマン

第三ロゴス

活動知性

第二ロゴス

マハーブッディ

 

三部の教え

 

唯一なる者

 

御子

エクレーシア

ポイマンドレース

なし

絶対のヌース

主なるロゴス

アントローポス

蛇  胚珠

フュシス

 

5 さて、光から、・・・聖なるロゴスがフュシスに乗った。すると、純粋な火が湿潤なフュシスから出て上へと立ち昇った。その火は敏捷で軽快であり、同時に活発であった。また空気(アエール)は軽かったので霊気(すなわち火)に続いて行った。すなわち、空気が土と水を離れて火の所にまで昇り、あたかも火からぶら下がっているかのようだったのである。ところで、、土と水は混り合い、土は水から見分けることができないほどであった。それ(混り合ったもの)は、覆っている霊的ロゴスに聞き従い、動いていた。

7 彼は長い間、こうしたことを語りながら私を凝視していた。それで、私は彼の相貌に震え上がった。しかし、私はたじろぎながらも自分の叡智の内に見た――それは光が無数の力から成り、世界(コスモス)が無際限に広がり、火が甚だ強い力によって包まれ、力を受けつつ秩序を保っている様である。私はポイマンドレース

 

ポイマンドレースの主なるロゴスとはプレーローマの内側にいるミトラのこと    

聖なるロゴスとはプレーローマから外に出たミトラのこと

 

p121

10 神のロゴスはただちに下降する元素から飛び出して、フュシスの清い被造物の中に入り、造物主デミウルゴスなるヌースと一つになった――それ(ロゴス)は造物主なるヌースと同質であったからである。

そこでフュシスの下降する元素は、ロゴス無きままに取り残され、質料ヒゥレーは孤立して存在した。

11 さて、造物主デミウルゴスたるヌースはロゴスと共にあって、(世界の)円周を包み、(これを)シュルシュルと回す者であって、自分の被造物を回転させ、限りない始めから無限の終わりの時まで回転するままにしておいた。それは、終わる所で始まるからである。

ところで、被造物の円転運動は、ヌースの意のままに、下降する元素からロゴス無き生きものをもたらした――それはロゴスを持っていないのである。すなわち、空は飛ぶものを、水は泳ぐものをもたらした。それから、土と水とは、ヌースの意のままに、お互いに分離し、土は自分の中から孕んでいたもの、すなわち四足獣と這うもの、野獣と家畜とを産出した。

 

霊的ロゴス   宇宙に遍満するマイナスのロゴス  

恒星に近づくほど霊的ロゴスは濃くなり、地に近づくと薄くなる。土はゼロ。

聖なるロゴス  プレーローマから外に出たロゴスのことで、後に創造主だと勘違いして思い上がることになる。

 

造物主はプレーローマ界にいるプラスのロゴスの霊導によって動く中間界にあるマイナスのロゴスと一体になって、すなわち三位一体となって活動している。

 

神智学の三位一体

霊(プラスのロゴス、アートマ―) 

心魂(マイナスのロゴス、ブッディ) 

物質(マナス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘルメス文書:ポイマンドレース(人間の救済)

グノーシスと古代宇宙論  柴田 有

 

語る導師が父であり、聞く求道者が息子

万物の父(至高神)と原人間(アントローポス)の関係

p122

12 さて、万物の父であり、命にして光なるヌースは自分に等しい人間アントローポスを生み出し、これを自分だけの子として愛した。と言うのも、彼は父の像を持っていて甚だ美しかったからである。すなわち、父も本当に自分の似姿を愛したので、自分の全被造物をこれに委ねたのである。

13 そこで人間アントローポスは(天界の)火の中に造物主デミウルゴスの創造を観察し、自らも造物したいと思った。そして彼は(これを)父から許可された。(世界の)全権を得ようとして彼は造物の天球に至り、兄弟の被造物(7人の支配者)を観察した。すると彼ら(7人)は彼を愛し、それぞれが自分の序列(に属するもの)を(彼に)分け与え始めた。彼らの本質を学び尽し、彼らの性質に与ると、彼は円周の外輪を突き破り、火の上に坐する者の力を観察したいと思ったのである。

 

主たるロゴスである人間(息子)の内で働いている叡智は父(導師)と同質のものである。

 

人間アントローポスの下降はさらに続き、遊星天の最下位の序列にまで達する。この過程で彼は運命の忌まわしい支配に染まる。「ポイマンドレース」はそれを、「(7人の)それぞれが自分の序列(に属するもの)を(人間アントローポスに)分け与え始めた」と表現している。この文は言い換えて、7つの遊星天が自分の序列からの影響を下降する者に与えた、と読めば分かり易い。

このように古代ヘレニズム世界の人間論では、地上へと誕生する人間霊魂は7つの遊星天を通過する時、その影響下に置かれるのであり、この影響を人々は「運命」と呼んだ。

星辰界の最下層に達した人間アントローポスは、ここから更に地上へ転落する。この段落は人間神話のもっとも劇的な部分であり、それだけにグノーシス研究者の注意をひいてきた。と言うのも、神と等しくあった自己の本来的状態を失って、主人公が非本来性の中に埋没する様を、決定的筆致で描いているのはこの箇所だからである。

 

人間神話の中でも最も劇的な月天から地上への主なるロゴスの転落は占星学を学問的に位置づけるための神話なので、事実ではない。

 

 

ヘルメス文書:ポイマンドレース(人間の救済)

人間の救済と占星学    神智学への布石

p123

16 ポイマンドレースが言った。

「それはこの日に至るまで隠されてきた奥義である。フュシスは人間アントローポスと交わって世にも驚くべき椿事を引き起こしたのである。と言うのは、7名の者たち――この者たちが火と霊気とから出たことは(すでに)おまえに話した通りである――の組織の性質を彼が持っているので、フュシスは我慢ができず、直ぐに7人の人間を生み出したからである。この人々は7人の支配者が持つ性質に応じて男女であり、直立しいた」

 

18 お前が聞くことを熱望していた話を更に聞くがよい。周期が満ちると、万物の絆が神の意志(プーレー?)によって解かれた。すべての生き物と人間とは男女であったが分離され、一方は男性になり、他方は女性になった。

 

これは人類誕生に関する革命的思想であり、シークレット・ドクトリンはこのまま受け継いでいる。

 

人間の2つの生き方と救済

p41 そして人間の生き方に2つの道が生じる。「自己を再認識した者は溢れるばかりの善に至った。しかし、愛欲の迷いから生じた身体を愛したものは、さ迷いながら闇の内に留まり、死をもたらすものを感覚によって味わっていた」。本来的自己を認識してそこに帰ろうとする道と、身体に執着して生きる道との2つは、先の「二重性」に対応しており、ここで人間は二者択一の選択をしなければならない。二者択一には「自己」と「身体」との対立が前提されている。身体を憎んで神に向かうか、身体を愛して悪行と欲情に向かうかの選択に救済がかかっている。

 

p42 魂の救済とは魂が本来の状態へと回復することである。魂が本来の状態から陥落し、星辰界を通過して、地上の身体の中に陥ったのと逆に、身体と訣別し、星辰界を上昇し、本来の状態に帰ること、これが魂の救済である。

それは一言で、原点への回帰と呼んでもよいだろう。さてこの回帰の図式を取り上げるなら「ポイマンドレース」は明らかにこの図式通りの救済論を展開している。既に見た通り、図式の前半は人間神話にそのまま描かかれている。他方後半は、これを逆にした形で起こる。

すなわち人間アントローポスが星辰界を通って身体の中に転落したのに対し、救済の過程では、身体を去った魂は星辰界へと上昇する。救済は星辰界の通過を不可欠の要素としている。換言すれば、救済論は宇宙論と不可分の関係に置かれているものなのである。

魂の救済論と宇宙論

 

 

 

カルデアンオラクル

カルデア人の神託  神智学の源流の1

古来からのものが「カルデア神託」として記述され3c頃にまとめられていた。

 

モナドという言葉の起源はカルデア神託

モナドとはライプニッツ以前からある概念で、父、一者(プロティノス)、善そのもの、とも呼ばれて、父的なモナドの別名である。

「父と力と知性があるとするにせよ、これらに先立つものとして、この3つ組に先立つ一なる父が存在するであろう(というのも、あらゆる世界に3つ組が輝き、その3つ組をモナド(単子)が支配しているからだ」Fr.27

 

「いたるところで、力が中位を割り当てられている。知性的なものどもにおいては、力が父と知性を結びつけている。・・・・力はかの知性とともにあるが、知性は父から出たものである」Fr.4

 

 

カルデア神学における諸階層

父 カルデア神託の存在階層で頂点を冠するものは、「父」「父的知性」「神」「第一の知性」「父的始源」「父的深淵」「父的源泉」などと呼ばれているものである。この父は他のものから隔絶している。

 

「それ自身、全体として(すっかり)外にある」Fr.5

「父は自分自身を連れ去った」Fr.3

 

それゆえ、「端的に彼方のもの」「第一の彼方の火」と性格づけられている。

 

 

三位一体(父、母、息子)の他文献との対応関係

 

一者

息子

ミトラ教

両性具有

ズルワーン

ソフィア

ミトラ

世界卵

プトレマイオス

 

プロパトール

エンノイア

ヌース

アレーテイア

プラトン

一者

ヌース

原初物質

創造主

デミウルゴス

 

新プラトン主義

一者

ヌース

かくれた大

原初物質

アイオーン火・光

 

神智学

三重のロゴスモナド分身霊

第一ロゴス

パラアートマン

第三ロゴス

活動知性

第二ロゴス

マハーブッディ

 

三部の教え

 

唯一なる者

 

御子

エクレーシア

ポイマンドレース

なし

絶対のヌース

主なるロゴス

聖なるロゴス

蛇  胚珠

フュシス

カルデア神託

父、モナド

力  ヘカテー

知性(理性)

レアー

 

「すべての生命――神的な生命、知性的な生命、魂的な生命、世界内の生命――がそこから産み出される。

生命流出の源泉レアーについて、神託は次のように語っている。

「実にレア―は、浄福で知性的なものどもの源泉であり、流れである。というのも、レアーは力(母ヘカテー)において第一のものなので、その語り得ない子宮のうちで、すべてのものの誕生を受けとって、それが急ぎ行くゆえ、万有へと注ぎ出すのである。」」Fr.56

 

父と知性が一体であるように、レアーとヘカテー(力)は一体のものである。

知性とレアーが重なることで、レアーの内側(子宮)で種子は育ち、流転する勢いで、カタチになる。

 

すべての生命と量子力学の対応

 

生命

内容

電磁波

ビックバン

ヘリウム

五元イメージ

 

神的な生命            

無の場で生滅する力

素粒子を破壊

始まりがない

 

火  霊気

 

知性的な生命      

 

原子核を破壊

 

素粒子の結合

風 光のスープ

 

心魂的な生命          

エネルギー 素粒子

原子を破壊

3

中性子は核内

水 結合

 

世界内の生命

原子             

電離

38万年後

電子との結合

地 

 

 

『カルデア神託』と神働術  堀江聡    

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/hermetica/theurgy.html

出典]新プラトン主義協会編+水地宗明監修『ネオプラトニカ:新プラトン主義の影響史』(昭和堂、1998.3.、所収)

 

 近年、本邦でも古代ギリシア哲学研究は、プラトン、アリストテレスに集中していた時期を後にし、その研究成果を踏まえて古代末期の新プラトン主義にも関心を向けるようになってきた。しかし、プロクロス研究に資する貴重な一書を別とすれば[1]、古代ギリシアの新プラトン主義はプロティノスに代表されるという理解が一般の暗黙の了解であり、プロティノス以降の新プラトン主義の発展史は、いまだ古代哲学の専門家の研究の射程にさえ入っていないのが現状であろう。

 

 古代末期の新プラトン主義の始まりを、紀元三世紀半ばにプロティノスがローマで教え始めたとき、ないしは執筆活動を開始したときとするならば、その終焉は529年にユスティニアヌス帝の勅令によってアテナイのアカデメイアが閉鎖されたときとおくことは妥当であろう。このおよそ三百年の間、新プラトン主義の歴史はプロティノスを創始者とし、後は亜流が連なる一つの教団の歴史では決してない。研究の拠点もローマ、アテナイ、アレクサンドリア、ベルガモン、コンスタンティノポリス、アパメアなど東地中海沿岸部に広くまたがり、相互交流があるため截然とその中心都市を基準に学派を区分すること(たとえば、シリア派、アレクサンドリア派、ローマ派、アテナイ派など)は、もはや流行遅れになった感があるが、それでも新プラトン主義が多様な思想の潮流を 内蔵したものであることは、今後の研究がますます明らかにするものと予想される。

 

 新プラトン主義内部に引かれうるさまざまな分割線のうちで、すでに識者の意見の一致をえており、いまわれわれの関心を引くものは、プロティノス、ポルピュリオス等の思想と、プロクロス等を含むイアンブリコス以降の思想を分かつ線である[2]。両陣営を分かつ一つの指標は、神働術(qeoirgiva)を重視するか否かという点であり、ひいては神働術を提唱した『カルデア神託』(Oracula Charldaica, Lovgia Caldai&kav)を聖なる書物として認めるか否かという点にかかっている。これが、イアンブリコス以降の新プラトン主義研究の前提として、『カルデア神託』研究が先行しなければならない理由である。

 

 『カルデア神託』とは、紀元後二世紀後半、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の治下[3]、カルデア人ユリアノスと、その息子神働術者ユリアノス、あるいは後者一人によって記されたヘクサメトロンの韻文の集成のことである。その成立年代から過ぐる1世紀の、紀元3世紀に生きたプロティノスは当然『カルデア神託』を読んでいた可能性が高いが、思想上ではむしろ相容れないものを察知していたと思われる[4]。プロティノスの高弟ポルピュリオスは、魂の非理性的部分の浄化に関してのみ神働術の効果を認める[5]というかたちで、師よりも『カルデア神託』に若干歩み寄っている。しかし、この善が「末期新プラトン主義者たちの聖書」(the Bible of the last meo-Platonists)[6]と呼ばれるようになるのは、ポルピュリオスに敵対したイアンブリコス以降のことなのである。イアンブリコスは『カルデア神託』に関して少なくとも二八巻の註釈を書いたと伝えられている[7]

 

 さて、この『カルデア神託』は、トランス状態(変成意識状態)になったユリアノスが神から与えられた啓示 の記録であるという性格のゆえに、相矛盾する思想を内包していることこそ神託としての権威を高める効果があ るともいえるし、また現今まで伝承された限られた量の断片からその思想を再構成しなければならないという制 約もあって、不整合な点を多々示すが、ともかくも、最初にその体系の輪郭を一解釈として素描してみることに したい。それは、哲学史的には紀元前1世紀のアスカロンのアンティオコスから、紀元後3世紀のプロティノスの登場以前の中期プラトン主義と類似の内容を呈し、グノーシス主義との関連性も色濃く窺わせるものである。そしてその後で、神働術の原型を『カルデア神託』に探り、イアンブリコスの『エジプト人の秘儀について』によって、いささかなりともそれに肉付けをしてみようと思う。

 

 

I]カルデア神学における諸階層

A)父 — 『カルデア神託』の存在階層で頂点を冠するものは、「父」(pathvr, Frr.3; 7;14; 25;81;87;107;115;<211> et al.[8])「父的知性」(patriko;V nou:V, Frr.39;49;108;109)、「神」(第一の知性」(nou:V prw:toV, Frr.7)、「父的始原」(patrikh; ajrch, Fr.13)、「神」(qeovV. Fr.19)、「父的深淵」(patriko;V buqovV, Fr.18)、「父的源泉」(phgh; patrikhv, Fr.37)などと呼ばれているものである。この父は他のものから隔絶している。

 

『それ自身、全体として(すっかり)外にある』(aujtovV pa:V e[xw uJpavrcei, Fr.5) 『父は自分自身を連れ去った』(oJ path;r h{rpassen ejautovn, Fr.3

それゆえ、「端的に彼方のもの」(oJ a{pax ejpevkeina, Fr.26;35;169)、「第一の彼方の火」(pu:r ejpevkeina to; prw:ton, Fr.5)と性格づけられている。

 

A1)(A2)(A3)父と力と知性

 父はまた、プロティノスの場合のように「一者」(unum, Fr.9;9a)、「善そのもの」(tajgaqo;n aujtov, Fr.11)とも呼ばれている。ただし、この一者は「父的な単子」(patrikh; monavV, Fr.11)という別名とともに、父、力(duvnamiV)、知 性(nou:V)の「三つ組」(triavV, Frr.27;29)へと展開する緊張を孕んだものとして捉えられている。

 

 「父と力と知性があるとするにせよ、これらに先立つものとして、この三つ組に先立つ一なる父が存在するであろう。『というのも、あらゆる世界に三つ組が輝き、その三つ組を単子が支配しているからだ』」(panti; ga;r ejn kovsmw/ lavmpei triavV, h|V mona;V a[rcei, Fr.27

したがって、父は単子としての父でもあり、三つ組の一分肢としての父でもある。

 

 「プロクロスは端的に彼方のものに関して次のように述べている。

 『世界はあなたを三つ組の単子と(monavda.....triou:con)見て敬った』」(Fr.26)

 父、力、知性の三つ組内の関係については、次の断片が示唆的である。

 

 「いたるところで、力が中位を割り当てられている。知性的なものどもにおいても、力が父と知性を結びつけている。

 『力はかの知性とともにあるが、知性はかの父から出たものである。』」(hJ me;n ga;r duvnamiV su;n ejkeivnw/, nou:V d= ajp= ejkeivnou, Fr.4

知性と力のうち、まず知性の方を考察することにしよう。この断片四では、知性が父から派生したものであることが暗示されているから、両者を区別すべきであることが当然導かれてくる。

 

 『父はすべてを完成させて、第二の知性に引き渡した。この第二の知性のことを人間の族はみな第一の知性と呼んでいるのだ』(Fr.7

父は第一の知性であったから、父から派生した知性は第二の知性としなければならない。父である第一の知性が「端的に彼方のもの」と呼ばれていたのに対して、第二の知性は知性的な世界と感性的な世界の双方と関係をもつ(Fr.8)がゆえに、「二重性格をもった彼方のもの[9]」(oJ di;V ejprvkeina, Fr.125)と呼ばれている。第一の知性は創造 の業に関与せず、超越性を保持し続けているのに対し、第二の知性はイデアにもとづいて世界を形造るデーミウールゴスである。

 

 『第一の彼方の火は、(直接的な)[10]働きによってではなく、知性によって質料のうちに自らの力を封じ込めた。なぜなら、浄火界の工作者は知性から出た知性だからである。』(Fr.5;cf.Fr.58)

この引用の「第一の彼方の火」というのは、第一の知性を指し、「知性から出た知性」というのは、第二の知性 を指している。

 

 次に、父と知性と力の三つ組のうちで力について見てみよう。父から派生した知性と違って、力は父とともにあり、知性と父の中間にあって両者を媒介すると先の断片四で述べられていた。力(hJ duvnamiV)はギリシア語で女性名詞であり、男性原理である父と対比された女性原理であると言える。女性原理はグノーシス主義においてと同様、産出には不可欠の原理とみなされている[11]。この女性原理は世界霊魂と結びつき、さらには女神ヘカテー(Fr.52)、またはレアー(Fr.56)として登場してくる。その際、あらゆるものを育み、生命を与える豊饒の座として女神の子宮がイマージュとしてたびたび現れるのが印象的である。

 

 「すべての生命 — 神的な生命、知性的な生命、魂的な生命、世界内の生命 — がそこから産み出される、生命産出の源泉レア一について、神託は次のように語っている。

 『実にレアーは、浄福で知性的なものどもの源泉であり、流れである。というのも、レアーは力において第一のものなので、その語り得ない子宮のうちで、すべてのものの誕生を受けとって、それが急ぎ行くゆえ、万有へと注ぎ出すのである。』」(Fr.56;cf.Frr.32;37

 また断片三七によれば、第一知性である父が直知することを通じて(nohvsiV, Frr.37;39)イデアを稲妻のようになげうつと、多種多様なイデアが女神の子宮のうちにで懐胎され、蜂の大群のように動き、四方八方に輝きを放つことになる。女神はデーミウールゴスが自然界を創造するために用いるイデアを自らの子宮のうちで養い、変容させるのであるが、その意味するところは、イデアを測ること(metrei:n, Frr.23;31)、すなわち、イデアを分割し、境界を与えて構造化することである[12]

 

 以上の父、力、知性の三つ組がカルデア神学の高次の存在階層であるが、これらと最低次の質料の間を満たすさまざまな存在者がある。神々が超越的に描かれて人間の世界から隔離されればされるほど、両者を媒介する中間的存在者の必要が感ぜられるのである[13]

 

(B1) イウンクス

 「イウンクス」(i[ugx)、複数形で「イウンゲス」はもともと「アリスイ」(wryneck)と呼ばれる地中海地方の鳥を意味していた。あるいは、魔術師が不実な恋人の気を引くために用いる、この鳥が結びつけられた車輪を指す語であったという[14]。『カルデア神託』においては、イウンクスは第一に、神働術者が神やダイモーンを呼び出すための、やはり車輪状の魔術的装置を意味していた。それは子どものおもちゃのコマのようなもので、速い速度の回転を与えられると、うなり叫ぶような音を発したという。i[ugxが派生したもとの動詞ijuvzwが「叫ぶ」という意味であることは、イウンクスの機能に関してその動きとともに、音が重要視されていたことを示唆している。神働術者がイウンクスを動かすと、その運動は天上において対応する運動を共感反応として惹起する。そしてまた、イウンクスが発する音は、その車輪の大きさやのこぎり状の歯の大きさを変えることによって、天球の音楽の音調に適合し、個々の天球に影響を及ぼし、天球を支配できるようになる[15]

 

 第二に、イウンクスは父の直知対象であるイデアと同一視されている。

 

『父によって直知されるそれら(イウンゲス)は、それ自身もまた直知する。 語られざる(父の)意志によって直知するように動かされているのだから。』(Fr.77

 第三に、イウンクスは父から質料へ、また逆に質料から父への伝令(diapovrqmioi, Fr.78)の役割を果たす。

 

 以上三つの多様な意味のイウンクスを統一的に理解するためには、背景をなす世界観を了解しておく必要がある。『カルデア神託』においては、世界は三つの同心円でもって表象されている。それは直知的なものから構成される浄火界、恒星や惑星からなるエーテル界、月下の世界を含む物質界の三界であり、それぞれ超世界的太陽、世界内の太陽、月によって支配されている[16]

 

 第一の魔術的装置としてのイウンクスは、物質界とエーテル界の両世界を結びつける役割を果たし、第二のイデアとしてのイウンクスは、浄火界におけるイウンクスを指し示し、第三のイウンクスは、物質界と浄火界の伝令としてのイウンクスを暗示している。イウンクスは神働術者によって呼び出されると、さまざまな惑星天に宿ると信じられていた(cf. Fr.79)から、三界の中間を占めるエーテル界を拠点にして、イウンクスは直知界と物質界の通行を可能にしているということができる。あるいは、もう一歩踏み込んだ表現をするならば、直知界からエーテル界を経て物質界に至り、再び物質界からエーテル界を経て直知界に向かう円環運動の担い手ということこそ、イウンクスの本質をなすと言えるだろう[17]

 

 カルデア神学の体系構築において、三つ組化(triadization)が主要なモーメントになっていることは、すでに父、力、知性において、また、浄火界、エーテル界、物質界の三つ組でわれわれはみてきたが、イウンクスも結合者、秘儀支配者と三つ組をなしているので、残りの二者についても、簡単に触れておくことにする。

 

(B2) 結合者(sunoceuvV

 

 「それゆえまた、神々の神託によれば、結合者たちは知性的諸階層を『統一するもの』(oJlopoioi:)である。」(Fr.83

結合着たちの役割は、宇宙の諸部分を自らのうちに包括し、保持する(Fr.83)ことによって調和させることに ある。

 

B3) 秘儀支配者(teletavrchV

 秘儀支配者たちは、浄火界、エーテル界、物質界それぞれの支配者と一致するので、超世界的太陽である永遠(アイオーン)、世界内の太陽(ヘーリオス)、月と一致し、さらに愛(e[rwV)、真理(ajlhvqeia)、信(pivstiV, Fr.46)の三つの徳性がそれぞれの属性となっている。これらが秘儀支配者たちと呼ばれるゆえんは、物質界から上昇する魂を浄化し、光線によって導き助けるからである[18]

 

 「第一のもの(秘儀支配者)は『火の翼を』手綱で導き、真中のもの(秘儀支配者)はアイテールを完成し、第三のもの(秘儀支配者)は質料を完成させる。」(Fr.85)  「エーテル界の上に立って『魂を支配するものは、秘儀支配者』である。」(Fr.86

C)天使(a[ggeloV

 

 天使たちは、魂を照明し火で満たすことによって、質料から解放し、魂を天使階級まで上昇させる役割を担っている。

 

 「天使たちの一団は、どのように魂を上昇させるのか。『魂を火で輝かせることによって、…』と神託は語る。これすなわち、あらゆる方向から魂を照らし、汚れなき火で満たされた状態にすることによって、という意味である。その汚れなき火は、魂に揺るぎなき秩序と力を植えつけ、それらによって魂が質料の無秩序に突進せず、神的なものたちの光と結びつくようにするのだ。」(Fr.122

このような天使的な火によって、天使階級へと上昇せしめられた魂をもつものは、神働術者である。

 

 「真に聖職者であるひとはみな、『力のうちに生き、天使として輝く』と神託は語る」(...qevei a[ggeloV ejn dunavmei zw:n, Fr.137

C0) 大天使(ajrcavggeloV

 

 残存する断片に証拠はないが、後世の証言から、カルデア神学では天使の上位に大天使がおかれていたことはほぼ間違いがない。というのも、プセッロスによれば、カルデア人ユリアノスは、息子の神働術者ユリアノスが生まれるに際し、大天使の魂が受肉することを懇願したと伝えられているからである[19]

 

D) ダイモーン(daivmwn

 ダイモーンには善きダイモーンと悪しきダイモーンとの二種があって、善きダイモーンは天使と同様に魂の上昇の手助けをし、魂が悪しきダイモーンの攻撃に対して戦うための味方となる[20]。他方、悪しきダイモーンは、地上、水中、空中、月下の世界の至るところに住みつき、魂を生涯誘惑し続け、神的なものとの結合を妨げる恐ろしいものとみなされていた。

 

 「非理性的なダイモーンが存立し始めるのは、空気の領域より下方である。それゆえに、神託は語る。『空気の犬、大地の犬、水の犬を駆り立てるもの(自然)』」(Fr.91

 『カルデア神託』では、悪しきダイモーンは、「恥知らずの(ajnaidhV)犬」と呼ばれて恐れられ、忌避されていた。

 

 「(悪しきダイモーンの類は)魂を引きずりおろす、それはまた『獣のようで恥知らず』と呼ばれている、というのも、自然(fuvsiV)の方を向いているから」(Fr.89;cf. Fr.90;135

 ここで、「自然」が言及されているのは、自然が世界霊魂であるへカテーから区別され、悪しきダイモーンの導き手としてヘカテーの下位におかれているからである。それゆえ、次のような警告が与えられることになる。

 

 自然が自己を現す像(au[topton a[galma)を呼び出してはならない』(Fr.101)  『自然を見つめてはならない。彼女(自然)の名は運命(eiJmarmevnon)である。』(Fr.102

 ここで、自然がさらに運命と結びつけられているのは、人間にとっては自然が引き起こす情念や欲求を制圧することが、運命の支配を逃れて父の方へ魂を上昇させることにつながるからである。それゆえ、悪しきダイモーン、自然、運命などとさまざまに呼ばれるものは、人間の魂の救いにとって敵対者という様相を帯びているのだが、この敵は魂にとって必ずしも外的な実体ではなく、悪しき情念、欲求を引き起こすという仕方で魂の内側を浸食し、人間そのものを恥ずべき犬と化してしまうような勢力として理解すべきである。

 

 「『大地の獣が、あなたの器を占領してしまうだろう。』  器というのは、われわれの生命の混合体であり、他方、大地の獣というのは、地をさまようダイモーンのことである」(Fr.157)  「『彼らは、理性を欠いた犬たちと大差ない』と、神託は邪悪な生を生きる人々について語っている」(Fr.156

E) 英雄(h{rwV

 

 英雄は、残存する断片には登場しないが、神、天使、ダイモーン、英雄というイアンブリコスの分類や、プセッロスの証言などから、『カルデア神託』においてもダイモーンの下位に英雄という階層がおかれていた可能性が非常に高い[21]

 

II]神働術(qeouggiva

 「神働術者」(qeourgovV)とは、ユリアノス父子の造語であり、『カルデア神託』の残存断片においては、ただ一度だけ断片153に現れている。

 

 『神働術者たちは、運命に服する大衆の下に落ち込むことはない』(Fr.153

 神学者(qwolovgoV)が神的なことを語る人々(oiJ ta; qei:a levgonteV)であるのと対比して、神働術者は神的なことを行う人々(oiJ ta; qei:a ejrgazovmenoi)であるとも言われる[22]。たしかに、神々についてただ語るだけで、それがそのまま救いの道とはなりにくい神学に対して、救いの道を積極的に切り拓く手段として、批判的なメッセージをこめて「神働術」という語が造語されたことは想像に難くない。「神働術」(qeourgova)という語を分析すれば、二つの構成要素、神(qeovV)と働き(e[rgon)が容易に見出されるが、この二つの成分が互いにどう関係するかは、文字面だけでは直ちに明らかではない。神は働きに関して主語として振る舞うのか、あるいは目的語として振る舞うのであろうか。つまり、神を働かせるのか、神が働くのかという問いが浮上してくるのである。

 

 ここで、神を働かせるという方の選択肢をとるならば、神働術は魔術と区別がつかなくなりかねない。というのは、魔術を白魔術と黒魔術に分けた場合、神働術は妖術(gohteiava)である黒魔術ではないのはもちろんのこと、恋人の気を引いたり、雨を降らせたりするような白魔術とも異なるからである。魔術と神働術との相違は、その目的に関して魔術が卑俗な目的を目指すのに対して、神働術の方はあくまでも魂の救済を目指すところにあ る。また、魔術は神に働きを強いるが神働術は神の自由意志による恩寵的働きを強調する。したがって、神働術においてはたしかに術である以上、人間から神への働きかけが必要なことは自明であるが、神々を強制的に引きずり降ろす降神術としてではなく、神の能動的関与により魂の方が神へと高められることを目指す、儀式を伴った手法であると理解するのが正当なのである[23]

 

 それでは、震動術の具体的な儀式はどのような手順に沿って行われるのであろうか。この方法は大別して二通りに分けることができる[24]。一つ目は、生命なき彫像に神的なものを臨在させて生気づける、エジプト起源の「聖化の術」(telestikhv)と呼ばれるものであった。10世紀末の古辞書『スーダ』によれば、神働術者ユリアノスはTelestikavという書物を執筆したと伝えられている[25]ので、この書物が後世の新プラトン派において、聖化の術の手引きになったと推定される。では、どのようにして神像を生けるものにするのかと言えば、神像の空洞の中に特定の宝石や香草や小動物を入れて、これらと神々が共感的感応を起こすようにさせたらしい。

 

 「どのような仕方で、どんな材料から彫像をつくるべきか、(神々)自身さえ助言を与えているということは、ヘカテ一に関する以下の言明から明らかである。

 『さあ、彫像を完成させよ、私があなたにこれから教えるとおりに(その像を)浄めたうえで。

 野生のヘンルーダで型をつくり、家のまわりに棲むとかげのような小さな動物でさらに飾りたてなさい。小動物とともに、没薬、ゴムの樹脂、乳香の混合物をこすりつけたうえで。

 そして、戸外で満ちつつある月の下、あなた自身が次の祈りを捧げながら、(像を)完成させなさい』」(<Fr.224

 或る特定の神格は、鉱物界、植物界、動物界の或る特定のものと感応するので、その共感関係を利用して、たとえば女神ヘカテーを呼び出すときには、神像の空洞に女神のシンボルとなる質料的似像を作り上げて、祈りを捧げ、イウンクスを用いたりして女神の顕現を招来するのである。捧げられる祈りの文言は、『ギリシア魔術文書』に伝えられているような、意味不明である一方、一定のリズムのパターンに則った音の吟唱であったり、呼び出す対象である神格の名を含んだものであったと推定される。だが、その昔の連鎖や聖なる神名は、翻訳不可能なものであって、強いてギリシア語に翻訳してしまうと、祈りの効力が喪失すると考えられていた。

 

 「『異国起源の名を決して変えてはならない。』(ojnomata bavrbara mehvpot= ajllavxhV)  これすなわち、各々の民族のもとに神から与えられた名は、秘儀に際し、語りえぬ力をもっているからという意味で ある」(Fr.150

このようにして神的なものが呼び出されると、神働術者はその神格に質問を投げかけ、将来の出来事の予言や、魂を神に結びつけるためのさらなる手順を答えとしてえることができたらしい。

 

 次に、神働術の第二の方法は、神像ではなく、人間を神の受容器にするものである。受容器としての人間は、いわゆる霊媒であり、神働術者と術をかけられる霊媒とが別の人間である場合と、神働術者が同時に霊媒を兼ねる場合とがあった。それはともかく、霊媒が脱魂したり、神的なものに憑依されるためには、しかるべき衣を身にまとったり、海水で身を浄める等の準備を経て、先の聖化の術と類似した祈りを捧げる必要があったであろう。

 

 「この秘儀を主宰する神働術者でさえ、浄めと潅水から始めるのである。

 『火の業を司る神官自身が、最も重要なこととして、重く轟く海の凝固した波(塩)[26]を身に振りかけるようにせよ』」(Fr.133

 そして、実際に神的なものが霊媒に憑依すると、空中浮揚、声音の変化、火に対する無感覚など刺激に対する感受性の減退、顔や身体のさまざまな自動運動や、逆にまったくの不動状態などの現象が霊媒に生じる[27]。それに加えて、たとえばヘカテーは多様なダイモーン、英雄などを伴って形なき火として輝き、自らの啓示の声に耳を傾けるよう命ずるというようなことが起こる(Fr.147;146;148[28]

 

 さて、ここに紹介したような神働術に関して、その詳細と理論的正当化の試みにわれわれが出会うのは、イアンブリコスの『エジプト人の秘儀について』(De mysteriis)においてである。この書名は、1489年頃ラテン語へのパラフレーズを試みたフィチーノが同書に与えたタイトル『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀について』に由来するものであるが[29]、その正確な書名は、『(エジプトの神官)アネボーに宛てたポルピュリ オスの手紙に対する(アネボーの師である大神宮)アバモンの答えと、その手紙で提起された諸問題の解法』という長いものである。アネボーがイアンブリコスの弟子として実在しようが、架空の人物であろうが、ポルピュリオスはイアンブリコスに対して『アネボーへの手紙』という公開質問状を突きつけたことは事実である。ポルピュリオスは、次第に神働術への傾斜を強めるイアンブリコスに対して、自分と自分の師であるプロティノスの哲学から逸れて非合理主義を喧伝している疑念を抱いたと思われる[30]。一方、アネボーを透かして己れに向けられた批判を正面から受けとめたイアンブリコスは、アバモンという擬名で批判の論点を逐一論破する。擬名を用いた理由は、師弟関係にあったとされるポルピュリオスに対する遠慮というよりは、ギリシア人より太古の知恵を有するエジプト人に自己の思想を仮託して代弁させたかったからだと考えられる。また、「アバモン」という名は「エジプトの神アモーンの父」という意味で、「神働術者」を指していると推測されている[31]。ここでわれわれが確認できることは、二人の新プラトン主義の代表的思想家の衝突の記録である本書をもって、非プロティノス的新プラトン主義が明確な形をとったということである[32]。本書に「非理性(合理)主義の宣言書」(manifesto of irrationalism[33]というレッテルが貼られたことは、命名者の意図とは独立に、ポルピュリオスと同じ否定的な立場からのみ本書が受け取られ、イアンブリコス研究の歩みを鈍らせることにもなった。それゆえ、われわれは近年の研究の趨勢に沿って、なるべく肯定的にイアンブリコスの思想を捉えてゆくべきだと思う。

 

 さて、エジプト人の役を演じるイアンブリコスは、ポルピュリオスにギリシア人を代表させて批判する。イアンブリコスによれば、ギリシア人は新奇さを好み、移り気から絶えず古きものを革新してしまうのに対して、エジプト人、アッシリア人、カルデア人は太古の神与の言葉を無傷で保存している。それゆえ、これら聖なる民族の伝える神名は人間の理性を越えた仕方で神々と接点をもっている。ポルピュリオスは、言葉が他国語に翻訳されても、聴き手はその概念、意味に注意を払うはずだという理由から、わざわざ他国語の神名を用いる神々への 呼びかけの効用を疑問視した。それに対してイアンブリコスは、用いられる言葉に関わりなく、人がその意味だけに注目するのは正しくないのであり、言葉は他言語に移されると、まったく同じ力をもつとは限らないと主張した。とりわけ、聖なる民族が保存してきた神名は、翻訳されることによって力を失うと考えられた。というのも、われわれにとって無意味の神名でも、われわれには知られざる仕方で神々にとっては有意味でありうるからである。こうして、感覚対象から抽象された概念は、名付けられた対象の全存在を開示することがないので二次的なものとされ、神々の個別的神顕である異国起源の神名が祈りの際に優先されたのである。もちろん、この神名は神聖なものであるから、何も付け加えてはならないし、何も削ってもならないものなのである[34]

 

 次に、ポルピュリオスにとっての疑問点は、神働術の祭儀において上位のものがあたかも下位のもののごとくに呼び出しによって顕現を強制されるのは、不合理ではないかという点である。それに対してイアンブリコスは、神々が非受動的であることに関しては異存がないので、神働術とは神々を強制的に降下させることであるという誤った理解の方を訂正する。神働術においては、むしろ神々の方が自らの善意志によって自発的に魂に光を照らし、魂を上方に引き上げ、神々自身と合一させるのである。その際、魂は肉体の中にありながら、肉体から分離した状態になるので、人間の階層を超えた階層に移ってしまう[35]。この神的狂気といわれる状態では、神々が人間の活動を道具として用い、照明によって人間の意識を根絶するのであり、人間は「狂える口もて」理解不可能な言葉を発するようになる[36]。また、そのとき人は火によっても焼かれないし、金串で刺し貫かれても痛くないし、斧で肩を殴られようが、ナイフで腕を切り裂かれようが気づかない。というのは、人間の生を神々の生と交換してしまったので、かれらの活動はもはや人間的なものではないからである[37]

 

 このようにイアンブリコスは、神働術において徹底的に神々に主導権を預けるのであるが、もちろん人間の側で何もしなくてよいと主張するのではない。神々を分有するためには、人間はたとえば沐浴し、隠棲し、断食を 行ったうえで、犠牲と祈りを捧げるなどして、自己を聖なる受容器に仕立て上げなければならない[38]聖なる器になった人間は神々を引き下ろすのではなく、潜在的に万物に臨在している神々に適合した状態になり、直ちに顕在的に神々に満たされることになる[39]。人間は潜在的に魂の内に天使や神々などあらゆる種類の形態を含んでいるという表現も使われているところを見ると[40]、神々が主導的に人間を引き上げるという事態と並んで、人間の方にも神々を自己の魂の内から外に導くための実践が要請されているように見える。しかし、この顕在化のための実践を人間の神々に対する能動的働きかけとか、いわんや神々の顕現への強制と捉えることをイアンブリコスが否定するのは、彼が人間の無力を強調し、自力救済の不可能性を訴えたかったからに他ならない。

 

 「人間の種族は弱く、取るに足らない、また近視眼的であり、無(oujdevneia)を生まれつきもっている。人間の内にある迷い、混乱、絶え間ない転変の唯一の治療法は、できる限り神的な光に幾ばくなりとも与ることである[41]

 もしわれわれ自身の力で神々を分有することができるならば、神々の崇拝も必要ないし、宗教(的儀式)も必要ないであろうとイアンブリコスは考える[42]。「似たものは似たものによって(捉えられる)」という古来からの定式に徹底的に忠実であろうとする彼には、神々は人間的なものによっては動かされず、神々は神々自身によって動かされるとする道以外残されていない。そこで、われわれの内にしるし(sunqhvmata)として先在している神々が、しかるべき神名と祈りによって喚起されるということは、われわれの思考とは無関係に神々が神々自身と結びつき合一している活動へと、魂が他律的に参与せしめられるという意味に理解されなければならないだろう。人間の魂の内に神々は先在すると言われても、これはプロティノス的意味においてではない。プロティノスにおいては、魂は自らのまなざしを自力で上方に向け、ヌースや一者と合一することが可能であった。その意味で「内」とはまさに自己の力の「内」であった。それに対して、イアンブリコスにとっての「内」とは自己の力 の「外」で展開されている神の業へと、神働術を通じて救われる可能性を示す以上のものではない。

 

[註]

(1) 岡崎文明『プロクロスとトマス・アクィナスにおける善と存在者 西洋哲学史研究序説』晃洋書房、1993年。

(2) KPraechterRichtungen und Schulen im Neuplatonismus, Kleine Schriften, Hildesheim1973, S. 165 「「イアンブリコスとともに転機が始まった」;Paulys Realenzyklopaedie der klassischen Altertumswissenschaft X, S. 650「イアンブリコスは、新プラトン主義の発展において境界石の意味をもつ」;R. T. Wallis, Neoplatonism, London, 1995 (1972), p.100「後期新プラトン主義の方向を定めたのはまさにイアンブリコスであるということに疑いは全くない」;cf. E. R. Dodds, The Elements of Theology, Oxford, 1963, Introduction, pp. xvii-xxiiiJ. Dillon, Iamblichus of Chalcis, Aufstieg und Niedergang der roemischen Welt, Teil II, Band 36, 2. Teilband, Berlin, 1987, p.880「イアンブリコスは多くの仕方でポルピュリオスより複雑な神学と形而上学を考え出し、あらゆる重要な点で後のアテナイ派の哲学の基礎を据えた」。

(3) Suidas Lexicon, paris II, ed. A. Adler, Teubner, Stuttgart, 1967, p.642.

(4) J. Dillon, Plotinus and the Chaldaean Oracles, Platonism in Late Antiquity, ed. by S. Gersh and C. Kannengiesser, Norte Dame, 1992, pp.131-140は、プロティノスの用いる九種類あまりの用語は『カルデア神託』の影響下にあると推測している。

(5) H. Lewy, Chaldaean Oracles and Theurgy, Mysticism Magic and Platonism in the Later Roman Empire, Nouvelle édition par M. Tardieu, Etudes Augustiniennes, Paris, 1978, p.452.

(6) F. Cumont, The Oriental Religions in Roman Paganism, Chicago, 1911, p.279, n.66cf. W. Theiler, Die ChaldĠischen Orakel und die Hymnen des Synesios (1942), Forschungen zum Neuplatonismus, Berlin, 1966, S.252P. Merlan, Religion and Philosophy from Plato's Phaedo to the Chaldaean Oracles, Journal of History of Philosophy I, 1963, p.175H. -D. Saffrey, Les Néoplatoniciens et les Oracles Chaldaïques, Revue des Etudea Augustiniennes 27, 1981, p.209.

(7) J. Dillon, Iamblichi Chalcidensis in Platonis Commentariorum Fragmenta, Leiden, 1973, p.15E. des Places, La religion de Jamblique, De Jamblique à Proclus, Genève, 1975, p.71.

(8) 『カルデア神託』からの引用は、R. Majercik, The Chaldean Oracles, text, translation, and commentary, Bill, Leiden, 1989を底本とし、E. des Places, oracles Chaldaïques, text établi et traduit, Les belles lettes, Paris, 1989 (1971)も適宜参照した。226の断片のうち、1から186までは真性と認められうるものが、187から210までは『カルデア神託』特有の語桑が、211から226までは疑わしき断片が所収されている。疑わしき断片を私が引用する際には、番号に〈 〉を付した。神託そのものの翻訳部分は『 』で囲み、神託の前後の文脈は「 」で括った。

(9) H. Lewy, op.cit..,pp.318-320. (10) Des Places, op.cit., p.66 の訳と A. J. Festugière, La révélation d'Hermès Trismégiste III, IV, Paris, 1990, p.55 を参照して、括弧内の語を補った。

* (11) この女性原理である力が男性原理である父とともにあると述べられていたことから、両者併せて一つの両性具有の第一神とみなすこともできる。cf. R. Majercik, op. cit., Introduction, pp.7-8. (12) S. I. Johnston, Hekate Soteira A Study of Hekate's Roles in the Chaldean Oracles and Related Literature, American Classical Studies 2l, Atlanta, 1990, pp.57-58.

(13) ibid.,p.71.

(14) Majercik,op. cit., p.9.

(15) Johnston, op. cit. pp.93-10l.

(16) Majercik, op. cit., pp.16-17.

(17) F. W. Cremer, Die Chadäischen Orakel und Jamblich de Mysteriis, Mannheim, 1969, S.74.

(18) Lewy, op. cit. p.417; Majercik, op. cit., pp.11-l2.

(19) Cremer, op. cit., SS.63-64; Lewy, op. cit., pp.223-225.

(20) Majercik, op. cit. p.14; Lewy, op. cit., p.260.

(21) Johnston, op. cit., p.124; Majercik, op. cit., p.14.

(22) Lewy,op. cit. p.461.

(23) Majercik, op. cit., pp.22-24.

(24) ibid., pp.26-29; E. R. Dodds, The Greeks and the Irrational, Berkeley,Los Angeles, London, 1973(8) (1951).

(25) op. cit. p.642, n.434.

(26) Johnston, op. cit., p.81, n.14.

(27) Majercik, op. cit., p.28.

(28) Johnston, op. cit., pp.111-133; id., Riders in the Sky: Cavalier Gods and Theurgic Salvation in the Second Century A.D., Classical philology 87, l992 にしたがって、断片の順序は、147148と理解する。

(29) H. D. Saffrey, Les libres IV aà VII du De Mysteriis de Jamblique relus avec la Lettre de Porphyre à Anébon, The Divine Jamblichus, ed.H. J. Blumenthal and E. G. Clark, Bristol, l993, pp.l44-5.

(30) H. D. Saffrey, Pourquoi Porphyre a-t-il édité Plotin?, Porphyre, La vie de Plotin II, Paris, l992, pp.50-56 は、ポルピュリオスが師プロティノスに著書の公刊を委ねられていたにもかかわらず、270年の死からなぜ30年経ってようやく約束の実行に踏み切ったか、その理由を推測している。その説によれば、ポルピュリオスはプロティノスを自己の陣営の領袖に祭りあげ、『エネアデス』をイアンブリコスに対して戦うための武器に仕立て上げたのだという。

(31) H. D. Saffrey, Abamon,Pseudonyme de Jamblique, Recherches sur le Néoplatonisme après Plotin, Paris, 1990, pp.234-9; G. Shaw, Theurgy and the Soul, The Neoplatonism of Jamblichus, Pennsylvania, 1995, p.22, n. I.

(32) 古代末期の新プラトン派の哲学者自身が自らの属する思想潮流に二つの異なる傾向を認める、よく知られた証言として次のようなものがある。「ポルピュリオス、プロティノスや他の多くの哲学者たちは哲学を優先したが、他方イアンブリコス、シュリアノス、プロクロスや秘儀に通じた人々はすべて秘術(神働術)を優先した」。 The Greek Commentaries on Plato's Phaedo, vol.II Damascius, ed. L. G. Westerink, Amsterdam, Oxford, New York, p.105, l72. I-3 (l23. 3-5 Norvin).

(33) E.R.Dodds, op. cit., p.287.

(34) Iamblichus, Jamblique: Les Mystères d'Egypte, texte établi et traduit par E. des Places, Paris, 1966, VII 4-5.

(35) Iamblichus, op. cit.,I 12.

(36) Iamblichus, op. cit.,III 8.

(37) Iamblichus, op. cit.,Ill 4.

(38) Iamblichus, op. cit., III 9.

(39) Iamblichus, op. cit., I 8-9.

(40) Iamblichus, op. cit., II 2.

(41) Iamblichus, op. cit., III 18 (144.12-17).

(42) 1amblichus, op. cit., III 20.

 

 

 

 

 

カルデア人の神託 [ヘレニズム・ローマ]

ズルワン主義のヘレニズム的形態として、2C後半にトルコで生まれたのが『カルデア人の神託(カルデアン・オラクル)』です。
この書はゾロアスターがミスラから得た知識という形式で、ユリアノスが降神術による啓示によって書きました。
原本自体は失われてしまいましたが、後期の新プラトン主義者によって聖典とされたために、彼らの解説などによってその内容が伝えられています。

その内容はヘレニズム独特の折衷主義的なもので、ズルワン主義の他にプラトン主義、グノーシス主義、ヘルメス主義などの影響を感じさせます。
そして特徴的なのは、降神術/高等魔術に関して体系的に述べた最古の書であることです。

『カルデア人の神託』によれば、至高存在は「父=深淵=始原=知=一者=善」と呼ばれ、これが「父/力/知性」という3つの存在に展開して現れます。
「力」は女性的存在で「父」と「知性」を媒介します。
「知性」は「父=知」に対する第2の知性で、イデアに基づいて世界を形成する創造神(デミウルゴス)です。
これらはぞれぞれズルワン主義の「両性具有のズルワン」/「父ズルワン/アナーヒター/ミスラ」に相当します。

世界は直観的知性による「浄火界」、天球に相当する「アイテール界」、物質的世界である「月下界」の3つから構成されています。
そして、それぞれは「超宇宙的太陽」、「太陽」、「月」によって支配されています。知的諸階層のそれぞれにはその階層を統合する「結合者」がいます。
また、3つの世界のそれぞれにも「秘儀支配者」がいます。
後者は「超宇宙的太陽」、「太陽」、「月」と同じかその霊的実体です。
そして、「天使」、「ダイモン」、「英雄」が神と普通の人間の間に階層をなして存在して、人間を天上に引き上げる働きをします。

また、「イウンクス」なる道具が魔術に重要な働きをします。
これはうなり音を発するコマのようなもので、そのうなり音を変化させることによって、魔術の目的に合った天上の様々な霊的な力に共鳴してそれを働かせるのです。
「イウンクス」はこの地上の道具であると同時に、天上の存在でもあります。
この天上の「イウンクス」はイデアに相当し、神と地上世界を媒介する存在なのです。

『カルデア人の神託』が述べる魔術は主に神像や人間に神を降ろして、聖化したり質問をしたりすること、つまり、降神術です。
その方法論は照応の理論によるもので、特定の神格と同調する動・植・鉱物を利用したり、「イウンクス」同様に神格と同調する波動を発する呪文や神名を発することです。

(カルデアン・オラクルの存在の階層)

父=深淵=一者

 

 

 

知性=デミウルゴス

 

浄火界

超宇宙的太陽

 結合者  

大天使

アイテール界

太陽

 結合者  

天使

月下界

 結合者 

ダイモン

 

英雄

 

人間

 

 

テウルギア(ギリシア語:θεουργία)は、神々の御業への祈願もしくは神々の来臨の勧請という意図をもって行われる儀式の営みを指す。特に、神的なるものとの合一(ヘノーシス)および自己の完成を目指して行われる。その儀礼は実質的に魔術的なものともみなされる。

日本では以前から降神術という訳語が当てられることが多かったが、近年では原義に基づいて神働術と訳されるようになっている[1]。動神術、神通術とも[2]

 

概説

古代後期の魔術にはテウルギアとゴエーテイアという対照的な類型があった。テウルギアは神官のような立派な人物の行う高尚な魔術とされ、一方、ゴエーテイアは怪しげな山師的人物の行う詐欺的または卑俗な形態の魔術とされる傾向にあった[3]。このような区別は魔術を非難する側と擁護する側の対立を反映しているとする見方もある[4]。当時から魔術にはいかがわしい詐欺的なものであるとの悪評があり、プリニウスは『博物誌』の中で魔術は医術や宗教が混淆して無益な形態にまで堕した欺瞞的なものにすぎないとした[5]。一方で魔術の実践者は、魔術にとって有利な説明を行ったり、高尚な魔術と低俗な魔術とを区別しようとした[6]

 

テウルギアの語義は逐語的には「神的な働き」とされ、その意味にはいくつかの解釈がありうる。ゲオルク・ルックは、テウルギアには神を動かす術という意味と、人を神的にする行という意味があり、いずれも儀式や瞑想を通じて神との神秘的合一という同じ目標を目指すものであると指摘した[7]

5世紀の新プラトン学派のプロクロスはテウルギアを大仰に定義し、「あらゆる人智にも勝る力であり、天恵たる予言の才や秘儀伝授の浄めの力を含み、要するにあらゆる神憑りの業である」(『プラトンの神学』)とした。

20世紀のギリシア哲学研究者ER・ドッズはこれを引用し、テウルギアは神の啓示などに依拠して宗教的な目的に用いられた魔術であると述べ、その方法は概して低俗な魔術に類似しており、いわばその宗教的な応用であったと論じた[8]。ルックはこれについて、宗教と魔術は分かちがたく結びついているとの観点から、あらゆるテウルギア的業は宗教的な面と魔術的な面を併せ持っていると指摘している[9]。また、当時の宗教情勢を考慮すると、テウルギアには(特に、ユリアヌス帝が支持し、その治下で盛行した時には)キリスト教に対抗して古来の神々の優越性を示そうとする企図があったとも考えられる[10]。したがって実質的には古代ギリシア・ローマの多神教の一種の末期形態であったという見方もある[11]

 

新プラトン主義

テウルギアとは「神的な働き」を意味する。記録の上でのこの言葉の初出は2世紀中葉の新プラトン主義文献『カルデア神託』にある(断片153 デ・プラス(パリ、1971年):テウールゴスたちは運命に支配された群衆の内に入らぬものなれば)[12]。西洋のテウルギアの源泉は後期ネオプラトニズム哲学、とりわけイアンブリコスに見出すことができる。後期ネオプラトニズムでは、霊的宇宙は〈一者〉からの一連の流出であるとされた。〈一者〉より〈神的精神〉(ヌース)が流出し、次いで〈神的精神〉より〈世界霊魂〉(プシューケー)が流出する。

新プラトン主義者は、〈一者〉は絶対的に超越的なものであり、流出においては上位のものは何も損なわれることもなければ下位のレベルに伝達されることもなく、下位の諸流出によって変化することもないと説いた。

 

古代の新プラトン主義者は多神教徒であったとみなされているが、ある種の一元論を採用した。

プロティノス、そしてイアンブリコスの師であったポルピュリオスにとって、流出とは次のようなものであった。

 

ト・ヘン (τό ν) すなわち〈一なるもの〉:無味の〈神性〉。〈善なるもの〉とも呼ばれる。

ヌース (Νος) すなわち〈精神〉:〈普遍的意識〉、これよりプシューケーを生ずる。

プシューケー (Ψυχή) すなわち〈霊魂〉:個の霊魂と世界霊魂の両者を含み、最終的にピュシスに至る。

ピュシス (Φύσις) すなわち〈自然〉。

プロティノスはテウルギアを行うことを望む人々に観想〔テオーリア〕を勧奨した。その目指すところは神的なものとの再統合であった(これをヘノーシスという)。そのためかれの学派は瞑想もしくは観照の一派の観を呈した。ポルピュリオス(かれ自身はプロティノスの弟子であった)の門弟であったカルキスのイアンブリコスは、祈祷や、宗教的であると同時に魔術的でもある儀式を伴う、より儀式化されたテウルギアの方法を教えた[13]。イアンブリコスは、テウルギアは神々の模倣であると信じ、主著『エジプト人の秘儀について』において、テウルギア的祭儀は、受肉せる魂に宇宙の創造と保護という神的責任を負わせる「儀式化された宇宙創成」であると表現した。

 

イアンブリコスの分析するところでは、超越的なるものは理性を超えたものであるがゆえに心的観想によっては把握しえない。テウルギアは、存在の諸階層を通じて神的「しるし」を辿ることによって超越的本質を回復することを目指す一連の儀式と作業である。

アリストテレス、プラトン、ピュタゴラス、そして『カルデア神託』の呈示する事物の枠組というものを理解するためには教養が重要である[14]。テウルゴス(神働術者)は「類似のものを以て類似のものを」作用させる。物質的なレベルでは、物質的なシンボルと「魔術」によって、より高いレベルでは、心的かつ純粋に霊的な実践によって。神働術師は物質において神的なるものを調和させることから始め、最終的に魂の内なる神性を〈神的なるもの〉と合一させる段階に達する[15]

 

ユリアヌス帝

ユリアヌス帝(332-363年)は、新プラトン主義哲学を奉じ、キリスト教を新プラトン主義的な異教に置き換えることに取り組んだ。かれの死と、当時の帝国中に広がっていたキリスト教主流派の影響力のため、この企ては不首尾に終わったが、かれはいくつかの哲学と神学の著作を物した。中でも太陽への賛歌はよく知られている。かれの神学において、太陽神ヘーリオスは神々と光の極致である理想的な範例であり、神的流出の象徴であった。かれは太母神キュベレーも尊崇した。

ユリアヌスは祭儀的テウルギアを支持し、供犠や祈りを重んじた。かれはイアンブリコスの思想の影響を強く受けていた。

 

 

 

ミトラ教概説

ヘルメス文書やカルデア神託は西方ミトラ教の一部である。

イエスの属していたエッセネ派のクムラン教団はユダヤ教ではなく、ミトラ教である。

 

ミトラ神学 東條真人

p66 ミトラ教とは、宇宙の守護者コスモクラトールと呼ばれる宇宙的知者ミトラを中心にした宗派で、古代ペルシャ神話を母体にしている。

 

原始ミトラ教(7bc3bc) 10bcメディア王国イラン北西部、ハマダーン周辺 アケメネス朝の国境

西方ミトラ教(3bc4c) セレウコス朝ペルシャ

東方ミトラ教(3c17c)  ササン朝ペルシャ ウイグルートトルコ王国の国教 中国明時代

p155 西方ミトラ教の師たちとその経典

プラトン(428-347bc)は、直接ミトラ教を創始したのではありません。しかし、バビロニア=ストア学派の師たちは、天圏流出論を形成する際にプラトンの哲学を基礎としました。そのため、西方ミトラ教は「プラトンの宗教」と呼ばれるほどプラトン哲学の影響を受けています。

 

プラトン神学はミトラ教の影響による。

セネカの書簡の中に、「プラトンの臨終の際、おりしもアテネに滞在していたマギが病んでいるプラトンのために神事を執りおこなった。」

5cのギリシャ資料に「ペルシャからマギがやってきてプラトンの哲学に参加した。」

 

プラトンはマギたちから教えを授かって、それを取り入れて自らの哲学の中で華を咲かせたと考えられる。

 

ペルシャの宗教ゾロアスター教など

+カルデアの星星の宇宙論を持つマギ  バビロニアの占星学

+インドからのバラモン僧      (ブラヴァツキーによると)  輪廻転生

+ギリシャのプラトン哲学

→原始ミトラ教の誕生

 

p95

最後の晩餐、キリストの12弟子、などは西方ミトラ教の神話である。

p126  キリスト教がミトラ教から取り入れたこと

誕生の預言と目撃   3人の占星術の学者が預言し、羊飼いは目撃

誕生日 1225日  冬至

奇蹟       ミトラは死者を蘇らせ、病気や目の見えない者や歩けない者を治した。

12弟子  ミトラとそれを取り囲む12星座

復活祭   ミトラの勝利を春分の日に祝う

最後の晩餐 ミトラが天上に帰還する前日に12の光の友たちとオリンポスで最後の晩餐をする祝宴がモデル

聖体拝領  アポロン同様にミトラの友であることを聖なるパンとワインを分けてもらうことで確認する儀式

昇天と再臨の予言 ミトラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むことの言葉を残した

復活の日と最後の審判 ミトラ教のコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判

最終戦争ハルマゲドン ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍んい加わり、闇の軍団と戦う ヨハネの黙示録

 

キリスト教のオリジナルがないという事実。

 

クムラン教団

「死海文書」中に含まれる「クムラン文書」を作成した人々によって構成されていた宗教団体で,発掘された遺跡はその修道院的な共同生活の場であった。

ダマスコ教団と密接に関係しており,両教団は共通して倫理的傾向と終末論的黙示思想をもっていた。彼らは希望を未来に向け,救いをもたらすメシアの先駆者である「公正の教師」を待望した。教団 (ヘブライ語のヤハド) とは一つの信仰により結合された共同体をいい,共同体の組織,規則などについては「教規戒律」「会衆規定」「感謝の詩篇」「ダマスコ文書」 (1910年カイロで発見) などの資料がある。

 

1947年の春、死海北西岸付近で偶然発見された『死海文書(写本)』および195156年に発掘されたキルベト・クムラン、アイン・フェシカの遺跡によって、ここに住んでいたことの確認された。

彼らはヘレニズム化に反対してパリサイ派に迫害され、紀元前2世紀の後半この地に集まり、ローマの支配に対するユダヤ人の大規模な反乱「第一次ユダヤ戦争」のさなかの紀元後68年ごろに四散したものと推測される。彼らは「義の教師」に率いられ、12人の平信徒と3人の祭司からなる教団会議をもち、10人ごとのグループに分かれ、律法を学び、厳格な戒律を守り、生活のあらゆる面で清浄さを強調し、後の修道士とよく似た団体生活を送った。[今野國雄]

 

固有な年間暦をもち,日々の生活は祈禱,律法研究,農工作業,祭儀的な沐浴と共同の食事などからなる日課に従って整然と営まれた。4000人ほどの会員がパレスティナ内外の多くの土地に居住していたと伝えられる。

バプテスマのヨハネとイエス自身をもエッセネ派=クムラン教団の出身とする仮説がある。

 

【ヨベル書】より

1364(52)からなる太陽暦を唯一神聖な暦とし,1ヨベル=7週年=49年とし世界史を49ヨベルに分け,天地創造を元年とする絶対年代の中に歴史をはめ込む。またクムラン教団と共通する太陽暦による祭日厳守を強調する。クムラン教団の愛読書に数えられていた本書は,前2世紀後半にヘブライ語で記されたが,完本としてはギリシア語訳からの重訳によるエチオピア語訳のみが残存。…

 

 

 

ミトラ教 Mithraism

古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教である。

ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変えたものと考えられることが多い。

紀元前1世紀には牡牛を屠るミトラス神が地中海世界に現れ、紀元後2世紀までにはミトラ教としてよく知られる密儀宗教となった。

ローマ帝国治下で1世紀より4世紀にかけて興隆したと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。

 

近代になってフランツ・キュモンが初めてミトラス教に関する総合的な研究を行い、ミトラス教の小アジア起源説を唱えたが、現在ではキュモンの学説は支持されていない

 

ミトラス神を信仰する密儀宗教である。

信者は下級兵士層で、一部の例外を除けば主に男性で構成された。信者組織は7つの位階を持つ(大烏、花嫁、兵士、獅子、ペルシア人、太陽の使者、父)。また、入信には試練をともなう入信式があった。

 

ミトラス教はプルタルコスの「ポンペイウス伝」によって紀元前60年ごろにキリキアの海賊の宗教として存在したことが知られているが[1]、ローマ帝国で確認されるミトラス教遺跡はイランでは全く確認されていないため、2世紀頃までの発展史はほとんど明らかではない。しかしミトラス教は2世紀頃にローマ帝国内に現在知られているのとほぼ同じ姿で現れると、キリスト教の伸長にともなって衰退するまでの約300年間、その宗教形態をほとんど変化させることなく帝国の広範囲で信仰された。

 

 

    

 

牡牛を屠るミトラス神と2人の脇侍神カウテス、カウトパテス。ルーヴル美術館ランス別館所蔵。

 

 

 

キュモン以降、ミトラス教はインド・イランに起源するミトラス神や、7位階の1つペルシア人をはじめとするイラン的特徴や、初期に下級兵士を中心に信仰されたという軍事的性格から、ミトラス教は古代イランのミスラ信仰に起源を持つと考えられてきた。

しかし両者の間には宗教形態の点で大きな相違点があり、古代イランにおけるミスラはイランを守護する民族の神であり、公的、国家的な神だったが、ローマ帝国におけるミトラス教は下級層を中心とした神秘的、秘儀的な密儀宗教の神であり、公的であるどころか信者以外には信仰の全容が全く秘密にされた宗教であったし、民族的性格を脱した世界的な救済宗教としての素質を備えていた。

こうした宗教としての根本的なちがいは研究者にとって悩みの種であり、現在ではキュモンのようにイランのミスラ信仰から直接的に発展したと捉えることは困難とされている。しかしミトラス教のイラン起源を全く否定することもできず、ミトラス教の黎明期に教祖ないし宗教改革者が存在したことを想定する研究者もいる[2]

 

他方、エルネスト・ルナンの有名な1節によって[3]、ミトラス教がキリスト教の有力なライバルであり、ローマ帝国の国教の地位を争ったほどの大宗教だったとする過度な評価は現在も根強い。

「しかし現実では信徒集団はせいぜい100ほどの人間しか集まらなかったことを考慮に入れておかなくてはならない。したがって、あるときには100所ほどの聖所が存在したローマにおいてさえ、信徒の数は一万にも満たなかったのである」とミルチア・エリアーデは述べている。[4]

 

さらにキリスト教との類似からキリスト教の諸特徴がミトラス教に由来するという説が論じられることも多い。他宗教との比較という点では、日本では以前から大乗仏教の弥勒信仰がインド・イランのミスラ信仰に由来することが論じられてきたが、宗教形態の違いから、むしろ近年ではミトラス教と比較されることがある[5]

 

ミトラス教史

古代インド・イランのミスラ信仰

元々、ミトラス神は、古代インド・イランのアーリア人が共通の地域に住んでいた時代までさかのぼる古い神ミスラ(ミトラ)であり、イラン、インドの両地域において重要な神であった。

特に『リグ・ヴェーダ』においてはアーディティヤ神群の一柱であり、魔術的なヴァルナ神と対をなす、契約・約束の神だった。

アーリア人におけるこの神の重要性をよく示しているのがヒッタイトとミタンニとの間で交わされた条約文であり、そこにはヴァルナ、インドラ、アシュヴィン双神といった神々とともにミスラの名前が挙げられている[6]

 

その後、インドにおいてはミスラの重要性は低下したが、イランでは高い人気を誇り、重要な役割を持ち、多数の神々のなかでも特殊な位置付けであった。

ゾロアスターは宗教観の違いからアフラ・マズダーのみを崇拝すべきと考えてミスラをはじめとする多くの神々を排斥したが、後にゾロアスター教の中級神ヤザタとして取り入れられ、低く位置づけられはしたが、『アヴェスター』に讃歌(ヤシュト)を有した。ゾロアスター教が浸透していたアケメネス朝ペルシアでは、それまでアフラ・マズダーの信仰だけが認められていたが、紀元前5世紀頃のアルタクセルクセス2世はミスラを信仰することを公に許可した。さらにゾロアスター教がサーサーン朝ペルシア(226-651年)の国教となると英雄神、太陽神として広く信仰された。

 

キリキアからローマへ

ミトラス教に関する最古の記録はプルタルコスの「ポンペイウス伝」である。これによるとポンペイウスの時代(紀元前106年〜前48年)、ミトラス教はキリキアの海賊たちが信仰した密儀宗教の中でも特に重要なものだった。海賊たちはミトリダテス6世を支援し、広範囲にわたって海賊行為を働いたため[1]、前67年、ポンペイウスによって掃討された。

 

プルタルコスと同時代の詩人スタティウスの91年頃の作品である『テーバイス』(1719-720)にはミトラス教について言及している箇所があるが、その内容は後世のミトラス神の聖牛供儀と同一のものである。この点からミトラス神の聖牛供儀の神話がこの時代にすでに成立していたことがわかる。しかし79年にヴェスヴィオス火山の噴火で滅びたポンペイからはミトラス教の遺跡が発見されていないことから[8]、この時点ではミトラス教はまだイタリアに伝わっていなかったという説がある[9]。いずれにせよ、150年頃、ローマ帝国内に姿を現したミトラス教はまたたく間に全土へ広がり、やがてローマ皇帝たちも個人的ではあったが関心を示すようになった。

 

発展と衰退

コンモドゥス帝(在位180-192年)はローマ皇帝で初めてミトラス教に儀式に参加した皇帝とされ、コンモドゥス帝はオスティアの皇帝領の一部を寄進した[10]。この時代、ミトラス教の考古学資料は増大し、中には属州でコンモドゥス帝のためにミトラスに奉納した旨を伝える碑文も発見されている。ルキウス・セプティミウス・セウェルス帝(在位193-211年)の宮廷にはミトラス教の信者がいた。

 

しかし250年ごろからディオクレティアヌス帝の統治が始まる284年ごろまでの間はミトラス教遺跡は激減する。これはダキアにゲルマン民族が侵入して帝国の北方地域が荒廃したためである[11]。ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス(在位270-275年)は、ローマ帝国内の諸宗教を太陽神ソル・インヴィクトスのもとに統一しようとしたが、これはミトラス神ではない。太陽神殿跡からはミトラス教の碑文が発見されているが、それはコンモドゥス帝時代のものである[12]。その後、ディオクレティアヌス帝(在位284-305年)は他の共同統治者とともにローマ帝国の庇護者である不敗太陽神ミトラスDio Soli invicto Mithrae Fautor)に祭壇を築いた。

 

しかしこの時代が過ぎるとミトラス教は衰退に向かった。ディオクレティアヌスやガレリウスはキリスト教を迫害したが、続く大帝コンスタンティヌス1世(在位306-337年)はキリスト教を公認し(313年)、325年のニカイア公会議を主導、死に際してはキリスト教の洗礼を受けた。この時代以降、ミトラス神殿がキリスト教徒によって襲撃されるようになり、実際にオスティアの神殿の1つやローマのサンタ・プリスカ教会の地下から発見された大神殿などには破壊の跡がみられる。各地で碑文も減少し、増長するキリスト教会の特権を廃して古代の神々の復権を図った皇帝ユリアヌス(在位361-363年)の治下では増加するが、それは一代のわずかな期間にすぎず[13]5世紀頃には消滅してしまった。

 

ミトラス教の図像は主に牡牛を屠るミトラス、岩から生まれるミトラス、獅子頭神が知られている。

またミトラス神の物語を描いたミトラス神一代記と呼ばれる一連の図像群がある。

牡牛を屠るミトラス

この図像はミトラス神による聖牛供儀の場面を描いている。ミトラス神はペルシア風の衣装に身を包んでおり、牡牛の背中に乗りかかって左膝をつきながら、右足で牡牛の後ろ脚を押さえつけている。その左手は牡牛の鼻面をつかみ、右手は牡牛に剣を突き立てている。傷口からあふれる血には犬と蛇が、また牡牛の腹の下ではサソリが牡牛の生殖器に跳びかかっている。ミトラス神の両側には松明を持った2人の脇侍神カウテースとカウトパテースが侍り、またそれ以外にも太陽と月、四方の風、十二宮、カラスなどのシンボルを伴う。

 

この図像が聖牛の供儀によって生命力が解放されるさまを描いていることから、ミトラス教は豊穣崇拝と密接な関係があると考えられる。これはミトラス教の図像の中で最も重要なもので、ミトラス教神殿の至聖所中央に必ずこの図像が配置され、その前で儀礼が執り行われた[14]

 

 

獅子頭神。人間の体に獅子の頭と、背中に翼を持つ姿で描かれる。またその体には蛇が巻き付いている。バチカン美術館所蔵。

 

この獅子頭と翼を持った異貌の神像はこれまでに約40体ほど発見されているが[15]、それにもかかわらず神名や、ミトラス教においてどのような役割を持つのか、文献による証言をはじめミトラス教の碑文に全く現れていないために、今もってその正体は不明である。キュモンの説ではこの神は時間神クロノス=サトゥルヌスであり、イランの神ズルヴァーンに由来するという[15]

 

これに対してアンラ・マンユとする説もある。ミトラス教碑文にはわずか5例ながらアリマニウス(Arimanius)なる神名が現れているが[16]、これはプルタルコスが『イシスとオシリス』においてオロマスデス(アフラ・マズダー)の敵対者として挙げている神アンラ・マンユである。しかしミトラス教碑文のアリマニウスが果たしてイランにおける悪神アンラ・マンユと同じ性格を持つのか、したがってミトラス教徒は悪魔崇拝をしたか、またゾロアスター教的な対立構造を持っていたのか疑問が残る。ミトラス神がイランのミスラとは異なっているように、アリマニウスもまたヘレニズム的な変化を遂げていたと考えられる[17]

 

碑文はいずれもアリマニウスを神として認めていることがうかがえ、特にローマ、ヨーク、アクインクムから出土したものはアリマニウスに誓願して神像を奉納した旨が記されている。この獅子頭神像が碑文のアリマニウスであるという明確な証拠はないが、ヨークから発見された碑文は頭部を欠いた神像を伴っており、首の部分には獅子のたてがみを思わせるものが残っている[18]

 

信者と信者組織

ミトラス教の信者層は概して下層の人間を中心としていた。初期の信者は下級兵士たちであり、そこから軍人たちや、商人、職人たちに信者を得ていった。後期には宮廷人の入信者が現れ、さらに皇帝たちからも関心を得た。女性の入信者が例外を除けばほとんど見られないことから、原則として女人禁制であったと考えられる。信者組織は神官職(アンティステス、サケルドス)と7つの位階(父、太陽の使者、ペルシア人、獅子、兵士、花嫁、大烏)に属する入信者たちで構成され、これ以外にも入信をしていない一般の信者たちがいた。入信希望者には目隠しのうえで厳しい試練的性格の入信儀式が課せられた。(入信しようとする者は冠を与えられるが、ミトラが「彼の唯一の王である」と述べて、それを辞退しなければならないということがわかっている。次に、彼は赤く焼けた鉄で額に印をつけられるか(テルトゥリアヌス「異端者たちへの抗弁」四〇)、火のともったたいまつで浄められる(ルキアヌス「メニッポス」七)[4]。昇級の条件は不明である。信者たちは窓のない神殿で非公開の儀式や礼拝に参加したが、他の宗教に対しては排他的ではなく、他の宗教の祭礼や皇帝崇拝にも参加したらしい。積極的な布教活動をしなかったため、キリスト教が受けたような弾圧はミトラス教史を通じて受けることはなかった。

 

オスティアのミトラス教遺跡で発掘されたモザイク画。7位階のシンボルが描かれている。

 

ミトラス教徒の7位階はそれぞれ太陽系の星を守護神とした。またシンボリックな象徴物があり、たとえばオスティアの「フェリキッシムスのミトラス神殿」の床面のモザイクには7位階の象徴物が描かれている[19]。以下に各位階について説明する。

 

父(パテル, pater

守護神は土星(サートゥルヌス)。シンボルは錫杖、指輪。7位階のうち最上位に位置し、下位の信者たちの指導者的立場にある。父は神官職になることもできた。碑文では「父」位であり神官職アンティステスである者がいた。また「父」の中で最も上位にあたる「父の父」と呼ばれる者もいた[20]

太陽の使者(ヘリオドロモス, heliodromus

守護神は太陽(ソール)。シンボルは 光背、ムチ。原義は「太陽の(helio)・走路(dromus)」。

ペルシア人(ペルセス, perses

守護神は水星(メルクリウス)。シンボルは月、鋏、鎌。この位階名はミトラス教に存在するオリエント要素の1つである。

獅子(レオ, leo

守護神は木星(ユーピテル)。シンボルは燃料用受け皿、シストルム(ガラガラ)、雷。獅子の仮面をつける。「獅子」位の入信のさいには「兵士」位の者によってハチミツが捧げられた。ポルピュリウスの『妖精たちの洞窟』(15)によると「兵士」の持つクラテールの中で少量のハチミツが水に溶かれ、それを「獅子」位の者の手に注ぐことで浄めとした。このため「獅子」位の者はメリクリスス(ハチミツを注がれた者)という戒名を持つ者がいたという[21]

兵士(ミリス, miles

守護神は火星(マールス)。シンボルは背嚢、槍、兜。「兵士」位は7位階中、下位の召使い役を演じる3位階の最上位にあたり、上位の4位階に奉仕した。また「獅子」位の入信の際には浄めの儀式を行った。この位階名はキュモンによってミトラス教の軍事的性格を示すものとされたが、実際は豊饒女神の信仰に由来し、豊饒女神の戦神的側面を象徴するものであるらしい[22]

花嫁(ニュンフス, nymphus

守護神は金星(ウェヌス)。シンボルは松明、輝く冠、ランプ。シリアのドゥラ・エウロポスのミトラス教資料では12人の「花嫁」位の隠者が知られている[23]。ローマのサンタ・プリスカ教会(de:Santa Prisca)地下のミトラス神殿から発見された壁画には、花嫁用のヴェールをまとった「花嫁」位の信者がランプを持つ姿で描かれており、そこには「金星の守護を受ける花嫁たちに栄えあれ」という碑文が付されている。また4世紀前半のユリウス・フィルミクス・マテルヌス(英語版)の『異端誤謬論』(191)では「花嫁」位の者が行う儀式の典礼歌について述べられている[24]

大烏(コラクス, corax

守護神は月(ルーナ)。シンボルは酒杯。

 

ミトラス教遺跡

2013年に行われた英ロンドン考古学博物館の考古学チームが行ったロンドン中心部の金融街にあるビル建設予定地の発掘調査では、1954年にミトラ教寺院の遺跡が発掘され、1960年代に再建されていたが、これを解体して未発掘だった場所も発掘した。ミトラ教寺院はブルームバーグの新社屋が完成した時点で再建され、発掘で見つかった出土品も一般に展示された。[25]

 

ミトラス教とキリスト教

初期のキリスト教とミトラス教との関係性のアイデアは、キリスト教の「交わりの儀」を「悪魔的に模倣する」ミトラス教徒を非難した2世紀のキリスト教著述家ユスティノスの一時の感想を元にしている[26]

これをもとにエルネスト・ルナンは1882年に、二つの宗教をライバルとして描写をした[3]

「もしキリスト教の成長がいくつかの致命的な病によって遅らせられていたなら、世界はミトラス教化されていただろう」。エドウィン・M・ヤマウチはルナンの著作について「刊行されたのは150年近く前のこと、典拠たる価値は持ち得ない。彼(ルナン)はミトラス教についてほんの僅かしか知らない…」とコメントしている[27]

 

ミトラスと処女からの誕生

ミトラス教学者ではないジョセフ・キャンベルはミトラスの誕生をイエスのそれのような処女からの誕生であると記述した[28]。彼はその主張に、古代の出典を与えていない。どの古代の原典においてもミトラスが処女から生まれたとは考えられていない。むしろ、洞窟の岩から自然に目覚めている[29]

Mithraic Studies では、ミトラスは堅固な岩の中から大人の姿で生まれてきたと述べられている。「プリュギアの帽子を被り、岩の塊から生じた。今までのところではまだ彼の剥き出しの胴は見えない。めいめいの手で彼は灯された松明を高く掲げる。風変わりな細部として、ペトラ・ゲネトリクス(母なる岩)から彼の周りに赤い炎が吹き出る」[30]

デイヴィッド・ウランジーはこれが鍾乳洞で生まれたとするペルセウス神話から着想された信仰であると推測する[31]

 

ミトラスと1225

ローマ帝国時代、1225日(冬至)にはナタリス・インウィクティと呼ばれる祭典があった。この祭典は、ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生を祭るものである。このソル・インウィクトゥスとミトラスの関係をミトラス教徒がどう考えていたかは、当時の碑文から明白である。碑文には「ソル・インウィクトゥス・ミトラス」と記されており、ミトラス教徒にとってはミトラスがソル・インウィクトゥスであった。ミトラス教徒は太陽神ミトラスが冬至に「再び生まれる」という信仰をもち、冬至を祝った(短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから)。

 

現代において、1225日は一般にイエス・キリストの誕生日とされキリスト教の祭日「クリスマス」として認識されている。しかし、これはキリスト教が広がる過程で前述の祭を吸収した後付けの習慣である。

『新約聖書』にイエス・キリストが生まれた日付や時季を示す記述はなく、キリスト教各宗派においてもクリスマスはあくまで「イエス・キリストの降誕を記念し祝う祭日」としており、この日をイエス・キリストの誕生日と認定しているわけではない。

 

ミトラスと救済

ローマのサンタ・プリスカ教会にあるミトラス神殿遺跡の壁に書かれた文章、et nos servasti . . . sanguine fuso (そしてあなたは我らを救う……流された血によって)の意味ははっきりしていない。だけれども、他のいかなる出典でもミトラスの救済について言及はしておらず、おそらくミトラスによって殺された雄牛をさしている。

ロバート・ターカンによると[32]、ミトラスの救済は個々の魂における他の世界的な運命にはほとんど関与しなかったが、邪悪な力に相対する、善き創造の宇宙的な闘争への人間の参加についてのゾロアスター教の様式には存在していた[33]

 

ミトラスと十字のしるし

テルトゥリアヌスはミトラスの信奉者が彼らの額に様々な方法で印をつけていたと書いている。ここにはそれが十字か、烙印か、刺青か、他の不変な印であるのかというほのめかしは一切無い[34]

 

中世キリスト教美術の中のミトラス教モチーフ

18世紀末から幾人かの著述家たちが、中世キリスト教美術の諸要素にミトラス教のモチーフの反映があると示唆した[35]。 その中にはフランツ・キュモンもいた。しかし彼はいくつかの要素の組み合わせやそれらが様々な方法でキリスト教美術と結びつくかとは関係なく各々のモチーフを研究した[36]。キュモンは異教に対する教会の大勝の後、芸術家たちが元来ミトラスから得られた蓄積されたイメージを『聖書』の馴染みの無い新しい物語にあてはめたのだと言った。「仕事場の締め付け」は初期キリスト教徒の美術が異教美術に甚だしく負っていたことと「服装と姿勢での少数の変更が異教の背景をキリスト教美術に変化させた」ことを意味した[37]

 

以来、一連の学者たちが中世ロマネスク美術にあるミトラス教モチーフの有意な類似性について議論している[38]。フェルマースレンは同様な影響の唯一つ確かな例は、炎のような馬に引かれた戦車に乗り、天に昇っていくエリヤのイメージであると述べた[39]

デマンは孤立した要素を比較するのは無益であり、組み合わせが研究されるべきだと述べた。また彼はイメージの類似は、思想の影響であるか技法上の伝統であるかを我々に教えることは無いと指摘した。それから彼はミトラス教モチーフに類似する中世のモチーフのリストを与えたが、それらが主観的であることを理由に結論を引き出すことを拒否した[40]

 

弥勒信仰および マイトレーヤ信仰との関係

ミスラはクシャーナ朝(中央アジアから北インドにかけて、1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝)ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられ[41]、クシャーナ朝での太陽神ミイロは、のちの未来仏弥勒の形成に影響を及ぼす[42]。ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明であるが、定方晟はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測している。

松本文三郎の仮説では、このような比較神話学および比較言語学の系統分析によって、ミトラ教の神話体系が仏教では菩薩として受け入れられ、マイトレーヤを軸とした独特の終末論的な「弥勒信仰」が形成されたとする[43]

 

 

 

 

西方ミトラ神話

ミトラ神学 東條真人

p134 ミトラ伝説 ズルワンダート師が語り、ポシドニウスが記した物語

1 ズルワンによるミトラの創造

始めも終わりもなく、親も子もないお方、永遠なるズルワンは、まず、宇宙的知者ミトラを創造します。つぎにミトラは生命の母ジンダガーン・マーダル(レアー)を創造します。ズルワンは2人に命じて、コスモスを作らせます。

2 アフラ=マズダー   ゼウスとアーリマン プルートーの創造

ミトラと生命の母から陸地が誕生したことを聞くと、ズルワンは、2人に命じて有象世界と神霊世界の間に壁を設けて、切り離すように命じました。

次に、ズルワンは2人に「始めの双子」を創造するように命じます。双子の兄を闇の王アーリマン、弟を善なる光アフラ=マズダーといいます。

 

アフラ=マズダーは、妻アールマティ―(ジュノー)を創造し、彼女とともに地上に植物、動物、人間、妖精、ギリシャ神話の神々、惑星神たち(火星、太陽、水星、金星)を創造します。しかし、アーリマン(プルートー)は大魔女アズを創造し、彼女と共謀して巨人族や怪獣キマイラなどを創造し、地上に送り込んで、地上を征服しようとたくらみます。

アーリマンは、旱魃、飢饉、不和、争いなどを地上にまき散らし、平和な世界を黒い闇と暗い影で覆いつくそうとします。何よりも困ったことは、太陽神ソル(アポロン)や月の女神アルテミス(ダイアナ)たちが、アーリマンのわなにかかり、地上の荒廃の一因になったことです。

これをみてアフラ=マズダーは、もはやこれまでかと思い、ズルワンに願い出ます。「正義と秩序の回復者コスモクラトール=ミトラをわれわれの下に遣わしたまえ!」と祈ります。

 

ギリシャやローマの神々の習合から見えてくることは、ミトラ教がギリシャやローマに浸透する時に激しい抵抗があったことを暗示している。

最終的にはミトラ教はローマの国教になる。

 

3ミトラ誕生

無限なるズルワンは、アフラ=マズダーの切なる願いを聞いて、コスモクラトール=ミトラを地上に遣わすことを決心しました。そして、地上に1つの稲妻を落とします。それは一本の聖なる木の下にある「創生の岩」と呼ばれる岩の洞窟にうち当たり、まぶしい閃光がひらめき、その中からミトラが現れました。

これをミトラの「ロックバース」といいます。これは冬至の日、1225日のことです。3人の占星術の学者たちは、ミトラの誕生を予言していました。そして彼らは捧げ物をもって創生の岩に向かいました。

 閃光を見た羊飼いは、稲妻の落ちたところに向かいました。3人の占星術の学者たちと羊飼いはミトラに礼拝するためにやってきて、自分たちの家畜と収穫物の初穂を供えます。

 

ミトラの誕生神話のように新約聖書のイエスはカルデア占星術の魔術学者によって予言されていたという見解がある。