プラトン・ネオプラトニズム   ヘレニズムの宇宙観

 

 

プラトンの哲学(無知の知)

プラトンの哲学 (岩波新書)  藤沢令夫

プラトン哲学を理解するために    ソクラテスから受け取った哲学の火

p36 「ソクラテスから受けとめたもの」は、最後の最後まで、著作から知られるプラトンの哲学の変わらぬ基層となっている。

ではその、そのソクラテス的競うとは何であり、どのようなものであったか?

p42 ソクラテスは、人間を教育すると豪語してカネを払わせるソフィストたちの「知」を、皮肉をこめて「人間なみ以上の知」と呼び、それに対して自分がもっている「知」を「人間なみの知」と呼んで区別し、その意味を、デルポイの神託をめぐる自分の体験によって説明する。

 

「ほんとうの知者は神だけ」であり、それに比べて、「人間たちのうちで一番の知者とは、ソクラテスのように、自分が知に関しては何の値打ちもないと知った者なのだ」ということを、教えようとしたのにちがいない。

 

いちばん大切な真・善・美に関しては全く何も知らなかったプラトン

神の意志とは何か? 人の生き方はどうであるべきか?

 

p78-80  イデア論形成の基礎そのものとしてもっとも重要な要因は、ソクラテスが勇気、節制、敬虔、正しさ、美しさ、また「徳」そのものについて問うていた「それぞれが何であるか」という問である。

このようなソクラテスの「Xとは何であるか」という問は、アリストテレス以来今日でもXの「定義」を求める問であると言われるのが通例で、ソクラテスの求めていたものが「定義」であると言ってしまうと、その「定義」が最後まで得られない上記の対話篇はみな、失敗と挫折の記録という以上の意味を持たず、成果は単純にゼロというほかないように思われる。

しかし、ソクラテスの問を「何であるか」という問のままで考えてゆくならば、そうした答の脚下そのものが重要な意味を持つことに気づく。

 

定義とは探求の前の言葉遊びの段階。

自由、正義、徳、などは、定義することができない悟り(禅師のあるがまま)のように、これらは言語で言い表すことはできない。

真・善・美という究極の真相に近づけば近づくほど絶対に言語化できない。

それに迫るためには一つしか方法がない。

脚下そのものである。

 

 

 

Plátōn、羅: Plato、紀元前427 - 紀元前347年は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。

プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。

青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍し、イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われている

 

 

プラトンの哲学(イデア)

プラトンの哲学 (岩波新書)  藤沢令夫

プラトンはイデアを直観的には理解したが、体験してはいないと推定する理由は4つの特徴が誤謬だからである。

徳や正義が真に存在するとすれば、元なるものを想定するという哲学的要請から作り上げたもの

どこが間違った定義なのか、そしてなぜ間違ったのか?を考えてみる。

 

プラトンの美のイデア    本性の「美」の獲得

1不生不滅    つねにあるもの   神々も不滅ではない

2美そのもの   醜い箇所がない  自性

3具体的なものとして現れることはない 内にあるものでもない   超越的存在 

cf.アリストテレスは内在している幽体をイデアとした。

4純粋でただ一つの相を維持しており、ここからカタチに美を分有している。

後に分有を否定し、似像である、とした。 似像とは劣化コピーのこと。

グノーシスの源流はプラトンのイデア論を基盤にしている。

ロゴスはプレローマの似像 その似像がケイリ? その似像が肉体

 

イデア論

一般に、プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。

最初期の対話篇を執筆していた30代のプラトンは、「無知の知」「アポリア(行き詰まり)」を経ながら、問答を駆使し、正義・徳・善の「単一の相」を目指して悪戦苦闘を続けるソクラテスの姿を描き、「徳は知識である」といった主知主義的な姿勢を提示するに留まっていたが、40歳頃の第一回シケリア旅行において、ピュタゴラス派と交流を持ったことにより、初期末の『メノン』の頃から、「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)と「知識」(episteme エピステーメー)の区別、数学・幾何学や「魂」との結びつきを明確に打ち出していくようになり、その延長線上で、感覚を超えた真実在としての「イデア」の概念が、中期対話篇から提示されていくようになった。

 

生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができず、イデアの認識は、かつてそれを神々と共に観想していた記憶を留めている不滅の魂が、数学・幾何学や問答を通して、その記憶を「想起」(anamnêsis、アナムネーシス)することによって近接することができるものであり、そんな魂が真実在としてのイデアの似姿(エイコン)に、かつての記憶を刺激されることによって、イデアに対する志向、愛・恋(erôs、エロース)が喚起されるのだとした。

こうした発想は、『国家』『パイドロス』で典型的に描かれており、『国家』においては、「太陽の比喩」「線分の比喩」「洞窟の比喩」などによっても例えられてもいる。プラトンは、最高のイデアは「善のイデア」であり、存在と知識を超える最高原理であるとした。哲学者は知を愛するが、その愛の対象は「あるもの」である。しかるに、ドクサ(思いなし、思い込み)を抱くにすぎない者の愛の対象は「あり、かつ、あらぬもの」である。このように論じてプラトンは、存在論と知識を結びつけている。

『パルメニデス』『テアイテトス』『ソピステス』『政治家』といった中期の終わりから後期にかけては、エレア派の影響も顕著になる。

 

『ティマイオス』では、この世界・宇宙は、善なる製作者(デミウルゴス)たる神によって、永遠なるイデアを範型として模倣・制作したものであることが語られる。『法律』では、諸天体が神々の「最善の魂」の知性(ヌース)によって動かされていることを説明する。

 

 

 

 

 

 

プレローマ界  イデア界

星辰界

月下界

地球

 

 

 

プレーローマ Pleroma (Koinē Greek: πλήρωμα, 'fullness'

グノーシス主義におけるアイオーンは、高次の霊または霊的な階梯圏域で、アイオーンこそは「真の神」で、ユダヤ教やキリスト教などが信仰している神は、「偽の神」である。またアイオーンは複数が存在し、プレーローマと呼ばれる超永遠世界にあって、男性アイオーンと女性アイオーンが対になって「両性具有」状態を実現している。

 

紀元2世紀の大ウァレンティノスと呼ばれるグノーシスの思想家の高弟であるプトレマイオスの説では、プレーローマには、男女を一対として、四対、合計八体の至高アイオーンが存在するとされる。それらは、オグドアス(8個の集まり)とも呼ばれ、次のようなアイオーンで構成される。

 

プロパトール − 伴侶:エンノイア(思考)

ヌース −伴侶:アレーテイア(真理)

ロゴス − 伴侶:ゾーエー(生命)

アントローポス − 伴侶:エクレシア(教会)

伴侶は女性アイオーンである。アイオーンの筆頭に来るのは「プロパトール」であるが、この名は「先在の父」とも訳され、超越性の更に超越性にあるとされる。プロパトールとは何かは、人間は無論のこと至高アイオーンであるオグドアスのアイオーンもまた、それを知ることはなかったとされる。プロパトールは、ビュトス(深淵)の名でも呼ばれる。またオグドアスはプレーローマの中心であるが、そのなかにあって更に上位の四アイオーンは、テトラクテュス(4個の集まり)と称する。

 

グノーシス主義では、新プラトン主義のプロティノスの考えを取り入れ、流出説を提唱した。

ウァレンティノス派では、原初、先在の父(プロパトール)が唯一存在し、プロパトールは流出によって諸アイオーンを創造したとされる。

 

 

 

 

プラトンの哲学(魂と身体)

真相をついているプラトンの哲学 

霊的世界を無視して概念としてプラトンを捉えることで、二元論に陥る現代哲学者。

 

通俗的なプラトン理解

p101 魂と身体、2つの生き方

「イデアは感覚(知覚)によってではとらえられず、思惟によってのみとらえられる」

このイデア論の基本論点が「魂」プシューケー対身体ソーマという対立の枠組みの中に組み込まれて、

「できるだけからもからも逃れ、いうなれば全身体からも―――これらとともにあれば魂をかき乱されて、真実と知の獲得はかなえられぬと考えて―――逃れること」

につとめなければならないと言われ、それゆえに知の愛求者(哲学者)は、つねに魂の清浄化(カタルシス)につとめてやまないのだと説明される。

 

魂に意識を向けて、身体(感覚)から離れるようにしなければならない、と確かに言っているが

肉体は汚れた嫌悪するものとして嫌い、魂のイデア(霊的なプレーローマ)の世界を肯定したというのはグノーシス的二元論な通俗的な理解の仕方で、そのようなことはプラトンは主張していない。

 

p102 ケベスの疑問に答えて

「魂が純粋清純なままで身体を離れるならば、すなわち、その生涯みずから進んでは身体とともにあったことの少しもなかった魂なればこそ、いかなる身体的なものをも一緒に引きずってゆくようなことはなく、それはみずからと相似た、かの見えざるもののほうへ、神的で、不死で、叡智的なもののほうへと去ってゆき、ひとたびそこへ到り着いたのちは、魂は彷徨や愚かしさや、さまざまの恐怖や荒々しい欲情や、その他もろもろの人間的な悪からすっかり解放されて、幸福はそのときこそ、魂のものとなるのではないだろうか」

 

心を清めた魂は死後にイデア界に引き上げられ、永く生きることができる。

解脱はしていないので転生するが、3回ほど繰り返すと解脱するようなことも記載している。

たった一人でここまでの完成された思想をもったのは素晴らしいことで、偉人であった。

 

100人に1人しか知の愛求者はいないので、それを前提にして他人の話を聞くべきである。

「死にのぞんで嘆き悲しむ人を君が見たら、それはその人が実は知の愛求者ではなく、身体の愛求者であったことの十分な証拠ではないだろうか。そしてその同じ人間は、金銭の愛求者であり、名誉の愛鳩でもある――そのどちらであるか、両者であるかだろう」

プラトンがこのソクラテスの意志を継ぐ闘いを闘っていることを思えば、「バイドン」でほんとうに意識されているのは、このような2つの生き方の対比をさらに哲学的に根拠付けることだったかもしれない。

p108「物」的自然観との闘いへ向けて

プラトンは「物」的世界像・自然像――「物」を最基本要因とみなす世界像・自然像――を正面から原理的に吟味して、その相対化と一定の位置づけに努めた史上最初の哲学者である。

 

心が想いがこの世界を創る。

 

プラトンの哲学(コスモロジー)  

プラトンはすべての思想の源流である     

プラトンを基準にしてどのように解釈するかによって思想が生まれる   グノーシス、ヘルメス、現代神智学

物質性を否定しないプラトン

 

魂をどう把えているのか    幽体を魂と把えているプラトン

p142 「動」の始源としての魂

「魂はすべて不死である。なぜならば、つねに動いてやまぬものは、不死なるものであるから、これに対して、他のものを動かしながらも、また他のものによって動かされるものは、動くのをやめることがあり、ひいてはそのとき、生きることをやめる」

 

 

魂不死の論証は「しかるに、自分で自分を動かすものとは魂にほかならないとすれば、魂は必然的に不生不死のものということにあるであろう」という言葉で結ばれる。

「自分で自分を動かすもの」というプシュケー(生命、活力の意味を含む)の本質規定は、ここで初めて現れる新しい着眼であった。

 

前半は論理的に誤謬であるので無意味。プラトンの魂とは幽体のことを指しているのだが、幽体はいつか死ぬものであって不死ではない。

後半の「物質(肉体)は他のものから動かされるもの」に対して「魂は自分で自分を動かすもの」は、野口晴哉も肯定する見地であろう。

 

p190ミトラ教とプラトンの世界観  宇宙論的な魂とは

 

 

 

 

 

 

 

ミトラ教

両性具有ズルワーン

父ズルワーン

母ソフィア

ミトラ

世界卵

プラトン

ヌース

原初物質

ヘカテー

造り主

レアー

インド思想

パラアートマン

プルシャ

プラクティ

アートマン

マハート

 

両性具有のズルワーン→ 父 → ミトラ

          → 母 → 世界卵

 

p142この造り主とは宇宙論的なプシュケー(魂)に座を持つ、宇宙論的なヌースの神話的イメージのこと。

プシューケーはヌースの力によって、「美しく善きものどもの造り主(デーミウールゴス)となる、と表現されている。

 

プラトンは宇宙論的プシューケーを造り主(デーミウールゴス)としており、それはミトラ教のミトラのこと。

 

p191 宇宙の創造

造り主は、万有ができるだけ自分に似るように、すなわち、すべてができるだけ善く美しいものとなるように望んだ。造られた宇宙の全体は「真実らしい言説に従えば、真実に、魂(プシューケー)をもち知性(ヌース)をそなえた生けるもの」であった。

「ティマイオスTimaeus」におけるこの造り主の宇宙創造は、キリスト教の造物主・創造神と違って、無からの創造でなく、造り主は「必然」(アナンケー)の抵抗に出会い、ヌースによって必然を「説得することによって」承服させながら、この世界を造ってゆくのである。

このようにして、――この宇宙創造はある段階以後、生み出された第二序列の神々に委ねられるのであるが――いたるところで数的構造に言及されつつ宇宙の魂と身体(物体)が造られ、惑星などの天体とその周期的運動が説明され、人間をはじめ生物たちが造られ――というふうに、森羅万象に及んでゆく。

 

ヘルメス選集の第一文書「ポイマンドレース」とプラトンの宇宙論

デミウルゴスが水に映った「至高なる者」(ソピアーの像またはアイオーンの像)を自己の映像と錯覚して人間を創造するということになっている。

これもおそらくプラトンを起源にしていると考えられる

 

「ポイマンドレース」では造り主と世界卵が交感し卵が割れて、宇宙が誕生した。

そしてイデア界に戻っていった純粋ロゴスと、下の界である宇宙にとどまった霊的ロゴスがおり、この霊的ロゴス(ヌース)が造り主デミウルゴス(宇宙的プシューケーのこと)を造って、このデミウルゴスに霊的ロゴス(ヌース)が入る(合体して)ことで宇宙を造ったことになっている。

造られた宇宙はプシューケー(魂)をもち、ヌース(知性)をもつ。

 

 

プラトンの哲学(知覚論)

イデア論の問題点

分有の問題点はプラトンの哲学 (岩波新書)  藤沢令夫にかかれているので参照

 

プラトンの真意を汲み取る  分有と似像

p156

「美」そのもの(美のイデア)を除いて他の何かが美しいとすれば、それはただ、そのもがかの「美」そのものを分けもっている(分有)からにほかならない」

p159分有用語の記述方式の難点

「個物XはイデアΦを分有することによってFである(Fという性質をもつ)というこの記述方式においては、個物Xが記述の主語しての重責を担っていて、あたかも、イデアΦを分有し性質Fをもつということに先立ってまず個物Xが、その当の主体として確在していなければならないかのように記述される

記述   イデアΦがFをもつ→個物X

プラトン イデアΦ(実在) →個物XがFをもつ (影)

 

常識的思考はモノと性質を分けて考えている。

まずは実体としての椿がある。この椿はピンク色や多花弁や香の性質を持っていると認識する。

個物Xと性質Fを分離させて考える。

しかし実際には個物Xと性質Fは一体したもので分離させることはできない。

この椿とこの香は一体であり、この香はこの椿であり、この椿はこの香であるので、分離などできない。

 

このように常識的な記述によって、プラトンのイデア論と読み手との間に違いができる。

常識的記述は観念(一般化)を中心にする常識的思考を発動させ、個物Xと性質Fとの区別を安定させ、これを基本枠とする。

一般化とは個々のユニークな存在を類同することなので、一般的記述ではプラトンのイデア論を伝えることが難しい。

たとえば「イデア原因論はトートロジー同語反復だ」という批評もこのイデアΦと性質Fを同一視してしまっている批評家だからしてしまう意見であった。

 

プラトンの主張      イデアΦ(実在) →個物XがFをもつ (影)

観念から考える批評家   イデアΦ=性質Fなのでプラトンは同じこと言葉を変えていっているにすぎない 

プラトンが主張しているのはカタチのないイデアΦが形に成るときにFになるのであって、

決してデアΦ=性質Fなのではない。

 

p165

「パルメニデス」(第一部)において炙りだされたイデア論の不備は・・・逆に類同化されて無力化されるという、取り返しのつかぬ事態におちいる危険性がきわめて大きいということであった。

 

常識思考とは観念を基準にして、眼の前のありのままの状態を見ないで観念という過去に学習した思考パターンで、眼の前の現実を観念として解釈することである。

 

「観念のしたたかさと闘っていたプラトン」

観念に絡め取られて、それを中心にして言動することで、だれでも自己正当化することができる。

どんな悪いことをしても、その悪という性質と自分自身とを区別することで責任転嫁させる方法がある。

主体のSを悪の性質と分別することで、悪に影響を受けた主体S’といつものSとを別のものとすることで、S’を分離させて、なんでもS’の責任にすれば、Sはそのままの自分を正当化させることができる。

これが観念的人間の行う典型的な行動である。

 

 

 

アリストテレス

ミトラ教のマギたちと交流を持ち哲学を取り入れた。

アリストテレス (講談社学術文庫) 今道友信

アリストテレスがプラトンイデア論を否定して修正した理由

p124 彼らは、我々のよく知っている消滅的な事物とその形において同じであるところのものを(不滅な実体として)作り出した。例えば人間自体とか馬自体とか(という形相)を作り出したが、そのからくりはそれぞれの感覚的な事物たる人間や馬の名称に、ただ自体という話をつけ加えるだけである」形而上学

 

プラトンのイデアの定義はに多く間違いがあり他者から理解されないものなので、たしかに直観力のないアリストテレスから見ればそう見えるのだろう。

ここでいう形相とはイデア界の実体、つまりイデアという霊的存在のことを指している。

冒頭の彼らとはプラトン主義者のこと。

 

p166プルタルコスが「倫理学」という大著を書いているが、「・・・・・あたかもその意図はプラトンの哲学を貶めることにあるかのごとくに思われた。それほどアリストテレスはプラトンの哲学を遵守するところから遠く隔たっていたのである」と言っている。

 

p264 霊魂について

ホメロスの詩を読めば、プシューケーは、人が死ぬ際に、その口から最後の息とともに飛び去る人の形をした透明な霊魂であり、ハデス(冥界)に去ってそこに彷徨う実体であった。

 

唯物論の現代人とは違い、アリストテレスは霊魂を認めているが、倫理、道徳に基づいた生き方を説く。

訳者は植物には霊魂がないと思っているので、霊魂の代わりに、生魂、生命力、活力と訳している。

アリストテレスは、植物は栄養摂取という生魂しかなく、動物には欲求し感覚し移動し、人間には思考能力が属するとした。

植物は水を欲求することを感知、直観できないアリストテレスは、生物学的見地から霊魂を勝手に想定して分類して理論を組み立てた。

鉱物から原子に到るまで、物質にも知る機能、すなわち心、そしてその外界に反応する機能、すなわち感情がある。

 

 

プラトンの霊魂

アリストテレスの霊魂

 

理知

λόγος, ロゴス

人間的霊魂

理性的な思考を司る

気概

θυμός, テュモス

動物的生魂

運動を司る

欲望

πιθυμητής エピテュメーテース

植物的生魂

栄養を摂取する

 

 

プラトンの魂の三分説   『国家』『パイドロス』で人間の魂(プシュケー)を3つの性質に分ける考え方

 

 

 

 

理知

λόγος, ロゴス

神学

主知主義(intellectualism

気概

θυμός, テュモス

哲学

主意主義(voluntarism

欲望

πιθυμητής エピテュメーテース

心理学

主情主義(emotionalism

『パイドロス』(246A-256E)では、ソクラテスが「二頭立て馬車と御者の比喩」を使って、魂の三分説を披露している。

二頭の馬と御者はそれぞれ翼を持っていて、右手の馬は姿が端正で、節度と慎みを持ち、鞭打たずと言葉で命じるだけで従う善い馬で、左手の馬は、姿は醜悪で、放縦と高慢であり、鞭と突き棒によってようやく言うことを聞く悪い馬。すなわち、魂の三分説との対応関係で言うと、

御者 = 理知(希: λόγος, ロゴス)

右手の馬 = 気概(希: θυμός, テュモス)

左手の馬 = 欲望(希: πιθυμητής, エピテュメーテース)

 

 

ストア派(ストア派の自然観)

プラトン以前の哲学  なぜプラトンは哲学を必要としたのか?

ストア派   ストイック 禁欲的、実践的、

 

万物の根源(アルケー)とは何か?

タレス 水

アナクシマンドロス  ト・アペイロン  無限定なもの

アナクシメネス    空気 プネウマ

ヘラクレイトス    火   →神智学

エンペドクレス    四元素

ピタゴラス      数

デモクリトス     原子

 

初期の自然哲学者にとって、自然万有の根源は水や空気であると同時にプシュケー(すべてに行き渡る生命、霊魂)であり、物質と生命・魂は未分離一体である。プシュケーは広大な宇宙に行きわたって不断の活動を与える力として「神的なもの」とみなされた。

「万物は神々に満ちている」(タレス)のである。

先住民の自然観

 

ストア派の宇宙観

自然は神と同じであり、また、理性(ロゴス)、運命と同じである。

彼らの実在は2つの原理、すなわちロゴスと資料とからなる。資料はなんら性質のないもの、そしてロゴスは形成するものであり、形成する火である。これは具体的に神火とも言うべきものである。

ところで神火は四元素となる。つまり火と空気と水と土とで、火と空気は能動的であり、水と土は受動的である。

そしてこれら元素の結合によって一切諸物が形成されるわけであるが・・・個物にはそれぞれ将来発展展開すべきものが、あたかもゼンマイで捲き込まれているように、含まれている。そういうロゴスを、彼らは「種子的ロゴス」と言った。

従って個々のものは、その将来を決定されている。と同時に他方諸物は同じ一つの宇宙からの諸物であるから、その間に調和があり、共感がある。

 

スピノザの宇宙観と似ている。

 

 

2A〉「真に存在するもの」とは パルメニデス「ありはあり、あらぬはあらぬ。」「ある」ものが同時に「あらぬ」ものでもあることはいかなる瞬間でも起こりえない。「ある」ものは「あらぬ」ものになることはありえないので、「ある」ならば、永遠にあり続ける。真に存在するもの=生成消滅せず、変化せず、運動せず永遠

2B〉ゼノンによる生成、運動の否定【前490-430頃】 真に存在するものが 永遠不滅、不変不動、常に同一なるものであるなら、 運動や多様、変化は見せかけだけで、 真に存在するものではないと考えねばならぬ。

2C〉原子論者による生成の説明ゼノンは場所や時間が無限数の点から成り立つ(=どこまで分割してもきりがない) としたが、レウキッポス・デモクリトス[5c.後半]はそれ以上分割できない最小単位として原子を考える。原子は不変不滅同質一様の、内に空虚を全く含まぬ完全剛体。空虚によって互いに隔たられていることで運動・結合・離散する。

2D〉原子論の利点と問題点利点  量的に事物をとらえ、物と物とのぶつかりあいとして世界を見る。明快で効率的な世界観。 問題点  無価値・無性質な原子を基本的な実在とみるので、人間にとっての善悪の問題を問う視点が不在。

分割には終わりがある、と「アキレスと亀」への反論から原子論が生まれた

 

 

ストア派(ストア派概説)

ストア派は自然=神だと認識していた。

妖精、精霊、神々、神霊、プネウマ(気息プラーナprāa)、森を包み込む霊気、プシュケー、などの霊的なものを物質が自然であり神としてとらえた唯物論者

現代の物理学者が目指しているところ。

 

ストア派の自然の定義

1自然万物がそれに従うもの

2自然万物をまとめるもの

3自ら動いて、他のものを生み出す火、技術的な火

4過去・現在・未来を規定するもの。必然。運命。

5資料を動かすことのできる力。摂理。

 

アルケー → 技術的な父     → 遍満している種子的ロゴス

     → アイテール(質料) → レアー

 

ミトラ教のズルワーン主義を継承しているストア派の哲学

プラトン、ヘルメス文書はロゴスは超越的なものとして捉えたが、

ストア派はロゴスは遍満してすべてのものに内在するものとして捉えた。

 

種子的ロゴスをミトラ教に対応させるとミトラのことになる。

 

 

ストア派(宇宙論の二つの原理)

ストア派宇宙論の二つの原理

技術的な火とは物質と精神(イデア的側面である形相性)を一体化させたもの

 

アルケー → 技術的な火     → 遍満している種子的ロゴス

                       ↓

     → アイテール(質料) → レアー 世界卵 触媒

                       ↓  純粋な火

                       霊的ロゴス

                       造物主

2つの原理とは能動的「火」と受動的「基体」

「火」は宇宙の生成に関与するだけでなく、「宇宙の生成に向かって筋道正しく進む技術的な火」であり、生成する際にその内に種子的ロゴスを内包する。

この種子的ロゴスであるプネウマ(気息)は宇宙全体に行きわたっている。

 

2つの原理は不分離一体であるが、部分と部分が結びついているのではなく、同じ場所に2つの物体が混じり合っているという仕方で一体になっている。

ストア派の物体(物質)の定義がニュートン力学とは異なるだけである。

この定義はフラクタルや量子での概念ならば理解できるものである。

ストア派は世界を霊的に捉えていた神秘主義者

 

 

山口 義久  http://doi.org/10.24729/00004665

ストア派宇宙論の二つの原理

 

ストア派の創始者キティオンのゼノンを始めとして、ストア派の宇宙論を、この二つの原理をもとに考えれば、 .受動的原理としての「質料」であり、もう一つは質料のうちにあロゴスあるいは神、その他さまざまの名前で呼ばれる能動的原理という一種の二元論である。

「作用を及ぼすものも、受けるものも、すべて物体でみる」という彼らの考えがあるので、現代の精神と物質を分ける二元論とは違う。

 

 

 

マグサイオイ文書

現代神智学と直結している理論

神秘主義思想史  https://morfo.blog.ss-blog.jp/2011-05-05-2

 

ヘレニズムの宇宙論は「万物照応」を原理としている。

仏教の華厳宗の思想のように、たとえば花のどんな小さな一部分にも宇宙全体がそのまますっぽりと極小化して収まっている。

フラクタル、ホログラム、曼荼羅の世界観

 

マグサイオイ文書  占星学  2bc

これは宇宙創造・進化を司る根源的な7つの原理である7光線の理論です。

ミスラ(ミトラ)が大熊座7星(北斗七星)に象徴される7つの光線を宇宙に発して、その組み合わせによって12星座や7惑星を経由して宇宙をコントロールするというものです。

ベンジャミン・クレームBenjamin Crèmeの著書の内容と同じ構造

 

ミトラ→北斗七星→12星座→各惑星→地球

 

12悪霊の2重の意味

1つ目はアフリマンが送り込んだ12の悪霊が存在し、これらはミトラによって退治され、地球の回りに張り付けられているので、地球には12星座の発する清浄な光線だけでなく、12悪霊を経過した不浄な光線も達することで人間に災いを起こすと考えられた。

 

多分、ミクロコスモスの人間の内側に12悪霊の塊があるので、それを中和させないかぎり、そこからの光線によって苦しめられる、というもの

 

12惑星とカバラとの構造の相似性

 

進化

光線

惑星

 

6

海王星

 

惑星

天王星

土星

 

原人

木星

火星

 

生命

太陽

 

人間

地球

 

 

1から第3光線は最も根源的な光線でミスラへと戻ろうとする傾向を持っています。

これに対して、第4から第7光線は第3光線から派生したもので、宇宙に積極的に働こうとします。

そして、第4光線には1から35から7の間を取り持つ性質があります。

また、第137光線には形態の形成を促す性質、第5光線には知性の発達を促す性質、

246光線は内面的なものの発達を促す性質があります。

ズルワン主義では宇宙の創造・進化を5段階で考えます。

それは、宇宙の根源的な素材である卵の形成段階、惑星の形成段階、原人の形成段階、地球の生命の形成段階(生物の進化という発想は、ダーウィンの時代にはるかに先立って、紀元後のバビロニアに芽生えました)、人間の知的な進化の段階です。

このそれぞれの段階に働く主要な7光線があります。

それぞれ、第6光線、第37光線、第26光線、第24光線、第45光線です。7光線のそれぞれの簡単な役割については以下の表の通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

ヘレニズムの宇宙論 [ヘレニズム・ローマ]

ヘレニズム期は、アレキサンダー大王のマケドニアがイタリアからペルシャ、インドの一部までを支配しました。

そのため、これ以降、東西文化の交流が活発になって、これまで以上に様々な思想が交流し合い、思想家達も各地を移動しました。

 

ですが、ヘレニズム、ローマ期には各地の都市や国が政治的な独立性を失ったために、反体制的、あるいは厭世的な思想も生まれました。

アテナイを中心とした哲学も、真理よりも精神的な平安を求め、理想社会よりも社会から離れて生きることを求めるものになりました。

一方、ローマの哲学は実際的で政治的なものが主流でしたが、オリエントからの宗教的、神秘主義的な思想運動を反映して、神秘主義的な思想も生まれました。

 

ヘレニズム期のオリエント・地中海世界には、バビロニアの宇宙論(カルデアのマギの世界観として知られていたズルワン主義)の影響に、プラトンの『ティマイオス』を代表とするギリシャ哲学の宇宙論を加えて、様々な宗教や思想を越えて普遍的に受け入れられた宇宙論が形成されました。

個別的な思想を紹介する前に、まず、この普遍的なヘレニズムの宇宙論を紹介しましょう。

 

ヘレニズムの宇宙論は「万物照応」を原理としています。

つまり、上位の世界と下位の世界が連続していて影響を与えるという「階層的な存在の連鎖」があります。

そして、宇宙(マクロコスモス)と人間(ミクロコスモス)は共に神の子として作られた生き物で、両者は様々な階層性を含む同じ構造を持った存在です。

つまり、「マクロコスモスとマクロコスモスの相同性」があるのです。

 

この宇宙論によれば、宇宙は地球を中心として、同心円上に広がる7つの惑星天と恒星天という、階層状の天球構造を持っています。

惑星天の順番に関しては、いくつかの説がありましたが、一番、一般的になったのは、プルタルコスやプトレマイオスが支持する説で、上から順に次の通りです。

 

 土星天→木星天→火星天→太陽天→金星天→水星天→月天

 

そして、宇宙の外には神の原型的な霊的直観的知性の世界があります。

 

宇宙はこの神の世界をモデルに作られた1つの生きた存在で、魂を持っています。

この宇宙を司る魂は「世界霊魂(アニマ・ムンディ)」と呼ばれました

また、多くの場合、至高神と世界霊魂の間にいる宇宙の「創造神(デミウルゴス)」を考えました。

そして、たいていの場合は世界霊魂や創造神は宇宙の最高層の恒星天に居を構えていると考えます。

 

神の世界は「霊的知性(ギリシャ語で「ヌース」、ラテン語で「スピリタス」)」の世界です。

これに対して、宇宙は「魂(ギリシャ語で「プシュケー」、ラテン語で「アニマ」)」と「物質」からできています。

素材としては、魂や惑星天、恒星天は「アイテール(霊気)」で、月より下の世界は「4大元素」でできています。

天は秩序に満ちた完全な不死の世界で、人間や社会が目指すべきモデルとなる世界です。

月下界には様々な神霊(ダイモン)が住んでいて、下に住む霊ほど良くない霊とされました。

この基本的な3層説はプラトン主義に由来するものでしょう。

 

人間は本来は神の子として作られた神的な存在でしたが、何らかの理由で宇宙の中にへ、地上へと降りてきました。

ですから、人間の霊魂の中には、神の世界に由来する神的部分があります。

そして、人間は恒星天や7つの惑星天に対応した階層上の構造を持った魂と、物質的な肉体も持っています。

 

この宇宙論によって死後観が大きく変わりました。

 

人間は死ぬと、遺体は月下界で4大元素に分解されます。

また、肉体と霊魂の間に「影(スキア、エイドロン)」という霊体があり、死後は地上に近いところにこれを残すと考えられることもありました。

 

かつて地下にあるとされ地獄や冥界(ギリシャ神話におけるタルタロスやハデス)は、4大元素界の最上、月の天球のすぐ下などと解釈されるようになりました。

同様に、いわゆる三途の川(ステュクス)は、月の天球の境界、死者の楽園(エリュシオンの野)は月や太陽の天球、ありは恒星天などと解釈されました。

 

また、惑星天では、人の魂は11枚服をぬぐようにしてそれぞれの惑星天から与えられた魂の性質を返しながら上昇すると考えられることもありました。

例えば、月では生命力・食欲、水星では欲望、金星では愛欲、太陽では理性、火星では闘争心、木星では野心、土星では怠惰を捨て去るのです。

 

ストア派とヘルメス主義では通常、霊魂は7惑星天を通過して宇宙の最上部である恒星天の世界霊魂のところにまで戻ります。

ですが、グノーシス主義では宇宙を越えて神の元にまで戻ると考えました。

 

新プラトン主義は輪廻思想を持っていますので、霊魂は恒星天にまで戻ってから、再度、神々・ダイモン・人間・動物・植物のいずれかに再生します。

ただし、新プラトン主義のプロティノスは人間の霊魂の神的な部分は常に神の世界に存在し続けていると考えました。

 

 

(ヘレニズムの宇宙論)

 

 

神の世界

霊的知性(ヌース)

 

---------------------------------------------------------

物質の世界

 

宇宙(マクロコスモス)

恒星天(楽園、世界霊魂・創造神)
7
惑星天
月下界(煉獄、4大元素)
地上

人間(ミクロコスモス)

魂(プシュケー)


肉体

 

 

 

 

7光線占星学理論とマグサイオイ文書 [ヘレニズム・ローマ]

2Cにシリアで司祭(マギ)のマクシムスらによってズルワン主義=ミトラ教の占星学理論の基礎になった7光線理論が生まれました。
これは宇宙創造・進化を司る根源的な7つの原理である7光線の理論です。
ミスラ(ミトラ)が大熊座7星(北斗七星)に象徴される7つの光線を宇宙に発して、その組み合わせによって12星座や7惑星を経由して宇宙をコントロールするというものです。

ちなみに、大熊座7星が12星座よりも重視されるのには理由があります。
12
星座や7惑星はすべて獣帯上を運動しますが、これらはすべて毎日地平線の下に沈む星々です。
ですが、小熊座7星(北極星を含む)や大熊座7星(北斗七星)はほとんど、あるいはまったく沈まない星々なので、世界的に12星座よりも上位の存在として重視される傾向がありました。
北極星は現在は全天の中心の不動の星なので最重要な星と考えられることが多いのですが、歳差運動を引き起こす地軸の回転があるので、現在の北極星が全天の中心にあるのはごく一時的なものでしかないのです。

7光線の中でも、第1から第3光線は最も根源的な光線でミスラへと戻ろうとする傾向を持っています。
これに対して、第4から第7光線は第3光線から派生したもので、宇宙に積極的に働こうとします。
そして、第4光線には1から35から7の間を取り持つ性質があります。
また、第137光線には形態の形成を促す性質、第5光線には知性の発達を促す性質、第246光線は内面的なものの発達を促す性質があります。

ズルワン主義では宇宙の創造・進化を5段階で考えます。
それは、宇宙の根源的な素材である卵の形成段階、惑星の形成段階、原人の形成段階、地球の生命の形成段階(生物の進化という発想は、ダーウィンの時代にはるかに先立って、紀元後のバビロニアに芽生えました)、人間の知的な進化の段階です。
このそれぞれの段階に働く主要な7光線があります。
それぞれ、第6光線、第37光線、第26光線、第24光線、第45光線です。7光線のそれぞれの簡単な役割については以下の表の通りです。

12星座は12の知性体であり、宇宙を取り囲んで守護する役割を与えられた存在です。
それぞれが特定のいくつかの7光線を吸収し宇宙内に発します。その対応は以下の表の通りです。
また、アフリマンが送り込んだ12の悪霊が存在し、これらはミスラによって退治され、地球の回りに張り付けられています。
ですから、地球には12星座の発する清浄な光線だけでなく、12悪霊を経過した不浄な光線も達すると考えられました。

また、7惑星も知性体(神々)ですが、これらもそれぞれに7光線を吸収し地球に発します。
その対応は前ページのの表の通りです。

カルデアの占星学の代表的な書は『アステロスコピカ』、『アポテレマティカ』、『ザラスシュトラの教え』、『ヒュスタスペスの神託』などで、ゾロアスター、オスタネス、ヒュスタスペスの名によってギリシャ語で書かれました。
また、マギ達によって書かれた書は総称して『マグサイオイ文書』と呼ばれ、内容は占星学に限らず、主にゾロアスターは占星術の師、オスタネスとヒュスタスペスは魔術と瞑想の師とされています。

カルデアの占星学、『マグサイオイ文書』は東西に伝えられて大きな影響を与えました。
西方へはエジプトのアレキサンドリア経由でギリシャ、ローマ世界に伝わりましたが、7光線理論は占星学の基礎であるにも関わらず、ほとんど伝えられませんでした。
ただし、中東、中央アジアではマニ教、サビアン教の中で生き続け、現在ではサビアン占星学としてより発達した形になっています。
ちなみに、曜日もカルデアの占星学に由来するもので、日本にも平安時代には伝えられました。
例えば日曜日は中国・日本では「蜜日」と表現されましたが、これはミスラが訛ったものです。

光線

12星座

7惑星

役割

1

牡羊座・獅子座・羊座

水星

計画のために創造的な破壊をして
組織的にエネルギーを集中する

2

双子座・乙女座・魚座

木星

包括的で内的な知恵をもって
賢明な建設を進める

3

蟹座・天秤座・羊座

土星

明晰な思考力と行動力によって
目的の達成のために行動する

4

牡牛座・蠍座・射手座

内的な葛藤を通して成長し
想像力を豊かに働かせる

5

獅子座・射手座・水瓶座

金星

独立心によって正義や物事を
正確に判断する

6

乙女座・射手座・魚座

火星

献身的で愛に溢れ
全体的な理想のために行動する

7

牡羊座・蟹座・羊座

太陽

形式や礼節を重視し、
プライドを持って行動する

 

 

199回 宗教学(初級199):プロティノス(プロティノスの生涯)

エネアデス()プロティノス  () Plotinos   田中美知太郎 訳

 

 

 

宇宙霊デミウルゴス

 

 

自然の霊プネウマ

原子

古代の宇宙構造

神(叡智界)

星辰界

月下界

プロティノス

一者

ヌース

魂(ロゴス)

自然

素材

 

 

 

<流出>https://morfo.blog.ss-blog.jp/2011-05-16-1

プロティノスの第2の特徴は、世界が至高存在から段階的に順次一つ下位の存在が上の存在から生み出されるという世界観を、初めて哲学的に体系化したことです。

この世界観はアレキサンドリア思想の特徴でもあります。

 

プラトンは日常意識から至高意識へと至る神秘体験の上昇のプロセスのみを、霊魂の復帰として語りました。

プロティノスはこれに加えて、至高意識から日常意識へという神秘体験の下降のプロセスを、宇宙生成の諸段階として語り、形而上学的に哲学化したのです。

これはプラトンやアリストテレスが「思索」の結果、宇宙の階層性を形・性質の実現度や普遍性の度合として語ったのとはまったく異なります。

 

そして、プロティノスは、至高存在である一者が世界を生み出すことを、泉から水が自然に溢れることに喩えて「流出(発出、プロオドス)」と表現しました。

ですから、一者とすべての世界は一体で連続しています。無である一者はその充填する性質から自然に無目的に流出を起こし、無限的な存在からしだいに限定されて宇宙が形成されていきます。

そして、一者は世界に内在して、また逆に、世界の一切は一者を憧れて観照することによってそこに「帰還」します。

 

ですが、この流出は過去のできごとではなくて、帰還も未来のできごとではありません。

流出と帰還は無時間的に常に起こっているのです。

つまり、プロティノスの宇宙論にはゾロアスター教のような直線的な時間も、ズルワン主義のような循環する時間もなく、宇宙は永遠に存在し続けるのです。

 

一者は流出による創造を行なっても、一切、不変不動です。

また、一者は下位の存在には無関心です。

これはキリスト教の神が愛(恩恵)によって積極的に下位の存在に関わることと対照的です。

一者に限らず、流出による創造は2段階で行われます。

 

まず、素材として生み出され、次にその素材が自ら上の存在を「振り返る」ことで形作られます。

この「振り返り」と「帰還」は同じことであり、形作られることなのです。

ですから、素材はそれぞれの段階にあって階層性があることになります。

 

また、流出されたものは上位の存在と「類似」していて、「似像」と呼ばれます。

そして、生み出された形成された存在は上位の存在を見ることだけで、さらに下位の存在を生み出します。

下位の存在は創造力の点で上位の存在に劣り、最下位の存在である「質料」は何も生まないので、したがって「悪」だとされます。

 

プロティノスによれば一者からの創造は自然なもので、また、人間の魂が物質界へ下ることも、罪によって堕落した結果ではなくて必然的な過程だとされます。

ですが、魂がヌースに向かわずに身体に縛られてしまうことは悪です。

プロティノスは「魂が父を忘却したのは、最初の差別を立てて、自分を自分だけのものにしようと欲したから」と書いています。

魂は物質界に下ることによって、物質界の不完全さ、ヌースの世界の完全性を認識することができるようになります。

そして、人間は全自然が一者を憧れ目指すことの代表者として、一者に帰還する観照体験によって全自然に満足を与える存在なのです。

 

<帰還>

プラトン、アリストテレスにとっては、至高存在との合一的体験は、霊的知性(ヌース)の働きである直観的体験でした。

そしてそれは、霊魂が自らのもっとも純粋な本質である霊的知性としての部分に目覚めることでした。

ですが、プロティノスにとっては、一者は霊的知性を超えた存在です。

 

ですから、一者に帰還する一者との合一的な体験は、霊魂が霊的知性として純粋化するうちに、突然の飛躍によって、霊的知性の働きそのものを消滅させて、自らの外に出ることで体験されるのです。

この飛躍は霊的知性の意識的な努力によるものでもなければ、一者の働きかけによるものでもなく、自然に偶然に起こります。

一者それ自体は常に超越的な状態になるので、下位の存在に思いをこらすような存在ではないのです。

 

プロティノスは一者との合一に至る過程を3つに分けて考えています。

倫理的な行為などの「浄化(準備)」、次が魂本来のヌースの世界を見る「観想(テオリア)」、最後が一者と合一する「忘我(エクスタシス)」です。

 

この魂の合一体験は、「上昇」とも表現されますが、実際に魂がヌースや一者といった上位の存在になるのではありません。

魂はどこまでいっても魂なのです。

ですから、上昇/忘我はあくまでも、魂に内在するヌースや一者が健在化する過程が、そのように体験されるということです。

 

 

彼はプラトンが至高存在について語ることをためらったのと反対に、至高存在について可能なかぎり徹底的に語り、プラトンの秘教的な部分を発展させたのです。

また、アリストテレスの自然神秘主義的側面をも受け継いでいます。

 

プロティノスの著作は、ポリピュリオスが54篇からなる全集「エンネアデス」として編集しました。

 

 

<一者>

プロティノスの第1の特徴は、まず、プラトンの「善イデア」とアリストテレスの「思考の思考」を超えたもの、「ヌース」を超えたものとして「一者(一なるもの、ト・ヘン)」を置きます。

そして、それを「無」として否定的にしか表現できないものとして明確に捉えことです。

 

プラトンが最もつっこんで至高存在について書いたのは「国家」です。

プラトンはそこで至高存在を「善なるもの」と表現し、実在を越えた存在としました。

つまり、プラトンはここでのみ至高存在を「善のイデア」ではなくて、イデアを越えた「善なるもの」だと語っているのです。

また、「パルメニデス」では「一」を「有(存在)」も持たず、知識の対象にならないものと表現しています。

プロティノスはこれらの記述と不文の教説を受け継いだと言えます。

 

プロティノスは一者を、たいていは「かのもの」と呼びます。

これは一者が表現しえないものだからです。

彼がそれを「一者」や「善なるもの」と呼ぶのは仮の表現だとも言えます。

 

彼は、例えば、まずプラトン同様に「善そのもの」と仮定的に言って、すぐに「善でない」、「善を越えた存在」とそれを否定し、最後に「善を越えた善」として再度肯定するような仕方で表現しました。

つまり、プロティノスはプラトンと同様な道を辿りながらプラトンを越えたところまで上昇して、再度下降してくるのです。

これはアルビノスの言う「肯定の道」と「否定の道」を総合するものかもしれません。

 

また、アリストテレスが至高存在を「思考の思考」として捉えましたが、これは直観的な思考を行う存在と思考される対象の2つが一体になっていると言う意味です。

ですが、プロティノスの一者はこの思考を生み出す原因です。

彼はこれを絶対的に一なる思考として、「絶対思考」とも表現しました。 

 

アリストテレスが至高存在をあらゆる形・性質が実現したものとしたのに対して、プロティノスの一者は形・性質が存在しない「無(無相)」なのです。

ですが、プロティノスの一者は決して形・性質を受け入れる素材ではなく、それを生み出す存在です。

プロティノスの階層では最上部において形・性質がなくなるのですから、彼の哲学はプラトン、アリストテレスの哲学を受け継ぎながら、彼らにように形・性質を絶対視しないという性質を持っているのです。

 

 

<存在の階層>

プロティノスは世界をプラトン同様に霊的知性界と物質界(感性界)の2つに大きく分けました。

そして、霊的知性界は至高存在である「一者」、「霊的知性(ヌース)」、「魂」の3つからなります。 

 

ヌースの世界は、すべての部分がすべてを含んでいて、すべてがすべてに対して透明で明瞭な世界です。

ですから、すべての相手の中に自分を見るような世界なのです。

この世界観はインドから伝わった仏教の「華厳経」の世界観の影響かもしれません。

当時、クシャーナ朝は西方に向けて仏教を積極的に布教していました。

 

ヌースは全体として一体の存在ですが、その様々な側面を分けて考えることはできます。

 

一者はまず、ヌースを素材的な存在として「流出(発出、プロオドス)」、つまり、自らの中から生み出します。

 

流出されたヌースは無形で、質料的な存在であり、プラトンの「不定の二」に類した存在です。

知性であるヌースは、「認識(思考)」、あるいは「認識(思考)作用」とも表現されます。

一方、一者はヌースの「原因」であり、「認識(思考)原因」とも表現されます。

 

この無形のヌースは、すぐに一者の方を「振り向き」、認識して形成されます。

この認識し形成されたヌースは「認識(思考)主体」となります。

一方、一者は「認識対象」でもあるのです。

ヌースが認識対象とするのは一者か、ヌース自身です。

 

このように、ヌースには「認識主体」、「認識作用」、「認識対象」という3つの側面があります。

ヌースは「認識主体」と「認識対象」が同じで一体なのですが、ここにはある種の分離があるのです。

グノーシス主義が最初の創造を、「認識主体」と「対象(像)」の分離と考えたように、プロティノスも原初の創造を分離として考えています。

 

次に、ヌースは一者を見ることで下位の存在である魂を創造します。

ヌースが魂の世界を創造するという側面から見ると「創造神(デミウルゴス)」と表現され、この創造の模範という側面から見ると「イデア」と表現されます。

そして、霊的知性の世界から生まれて魂を形作るものが「ロゴス」です。

「ロゴス」は生命なき自然にも浸透しますが、特に生命を形作る「ロゴス」をストアの言葉である「種子的ロゴス」で表現します。

 

「魂」にはその本来の場所である霊的知性界に存在したままの清浄な存在で、すべての魂の根源になる「純粋霊魂(全体霊魂)」と、それから生まれて物質界に下降していはいますが、それからほとんど離れていない宇宙全体の魂である「世界霊魂」、そして「純粋霊魂」から離れてしまっている星や人間、動植物のような個的な生物の魂である「個別霊魂」があります。

 

「純粋霊魂」はヌースとほとんど同次元の存在なので、その女性的側面と考えることもできます。

また、「世界霊魂」と「個別霊魂」は「姉妹」の関係にあると表現されます。

ヌースは「父」とも表現されるので、「純粋霊魂」は「母」と表現できるかもしれません。

ちなみに、彼はギリシャ神話を解釈して、天神ウラノスを「一者」、クロノスを「ヌース」、ゼウスを「世界霊魂」に相当する存在と考えました。

また、ゼウスを「ヌース」、アフロディテを「純粋霊魂」に相当するとしていることもあります。

 

また、プロティノスは魂は単純に下位の存在ほど劣るというわけではなく、下位の存在はその分、宇宙的な法則に従っていると考えました。

例えば、植物魂は世界霊魂から直接生まれるのです。

 

人間の「魂」に関しては、プロティノスは、新プラトン主義の伝統にさからって、霊魂の一部は常に霊的知性界に残っていると考えました。

ここには、霊魂の本質は宇宙の外の神の世界にあるとしたグノーシス主義の影響があるかもしれません。

また、人間の魂は死後に霊的知性界に戻りますが、普通の人間の魂は、因果の法則によってまた物質界に生まれ変わります。

 

このように魂の上部は霊的知性界に留まり、下部は物質界に下って、上の向いてはヌースを観照し、下を向いては質料に生命を与えて支配します。

物質界を生むので魂の中の最下部にあたる「植物魂」です。

「植物魂」はまず、暗黒の無形の物質世界を生み、2度目にこれを見て形を与えてその中に入ります。

通常は下位の存在が上位の存在を振り返るのですが、存在の最下位である質料にはこれができないので、「植物魂」が見るのです。

 

物質的な自然は形を持たない最下位の存在である「質料」から構成されます。

「質料」もまた形の一つでもあるのですが。プロティノスは「素材」や自然を、非物体的、非存在と考えました。

「質料」は魂が働くための単なる「場所」、魂を移す「鏡」のような存在と考えました。「質料」は「闇」のようで、「悪」なのです。

つまり、至高存在(形・性質)と素材、という2元論的な見方や、ペルシャの思想やグノーシス主義が考えるような実体としての悪の存在をも否定した、徹底的な一元論なのです。

 

 

 

 

 

 

 

プロティノスΠλωτνος、 羅: Plotinus、英: Plotinus205? - 270年)

古代ローマ支配下のエジプトの哲学者で、現代の学者らからはネオプラトニズム(新プラトン主義)の創始者とされている人物である。主著は『エンネアデス』。

 

プロティノスの人生、特にローマで暮らし始めるまでの人生については、あまり正確なことは知られていない。というのは、同時代に書かれたほとんど唯一の重要な伝記は弟子のポルピュリオスによるもので、これは現代的な意味での学術的な伝記ではなく、弟子で筆者のポルピュリオスは正直で正確であろうとは努めているものの、師の中に英雄を見ることを望んでおり、そうした心情のもと(筆者が知らないことを、想像で勝手に補うようなこともしつつ)記述したものだからである。

プロティノスはおそらくエジプトのリコポリス(Lycopolis)にて誕生。「28歳のときに、哲学への愛に燃え立った」プロティノスは、アレクサンドリアのアンモニオス・サッカスの下で11年間学んだ。

39歳のとき、哲学をさらに学ぶためにローマ皇帝ゴルディアヌス3世が試みたペルシア遠征の軍隊に身を投じる。だが、後244年にゴルディアヌス3世が死んだため、プロティノスはアンティオキアまで命からがら逃亡した。

40歳でローマに移住し哲学塾らしきものを開くが、師たるアンモニオスの教説には長らく触れなかった。

26年間に及ぶローマ生活の中では、ローマ皇帝ガリエヌスとその妃に尊敬されるという特権的地位の下、イタリア半島南西部にあるカンパニアにプラトンの国制を実現する都市「プラトノポリス」を建設することを計画したが、皇帝側近者の反対に合い頓挫する。

晩年は流行病に罹り、そのためローマを離れてカンパニアに居住した。最期は弟子であり医者であるエウストキオスに看取られる。

臨終の言葉は「我々の内なる神的なものを、万有の内の神的なものへ帰すように、今私は努めているのだ」とされる。

 

思想

プロティノスはプラトン(紀元前427 - 紀元前347年)より500年以上も後の生まれであり、当時は様々な神秘主義思想が唱えられていた時代である。プロティノスの思想はヌメニオスの剽窃であるという嫌疑をかけられたが、これはプロティノスの弟子アメリオスにより論駁されている。

ただしネオプラトニズムの創始者とはいっても、プロティノス自身には独自な説を唱えたという意識はなく、プラトンの正しい解釈と考えていた。

 

一者ト・ヘン to hen

プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。

プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(ト・ヘン to hen)を重視し、語りえないものとして、これを神と同一視した。

万物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイデア)である「一者」(ト・ヘン)から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説)。一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。あたかも太陽自身は変化せず、太陽から出た光が周囲を照らすようなものである。光から遠ざかれば次第に暗くなるように、霊魂・物質にも高い・低いの差がある。

 

また、人間は「一者」への愛(エロース)によって「一者」に回帰することができる。

一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。[エネアデスVIの第11節] ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという。また高弟ポルフュリオスは『プロティノスの一生と彼の著作の順序について』(『プロティノス伝』と称される)の中で、自らは一度体験したと書き残している。

 

美学

彼によれば、ある物体は、ある時は美しく、ある時は美しくないのだから、物体であることと美しくあることとは別のことである。このような美の原因としては均斉 symmetria が挙げられることがあるが、しかしこれが美の原理であるならば、美は合成体にのみ存し、単純な美は存在しないが、光線、あるいは単音のように単純で美しい物があり、また「節制は愚行である」という命題と「正義は勝者である」という命題とは均斉はとれていながらこの倫理観は美しくない。したがって均斉は美の原理ではない。美が感知されるのは何か精神を引き付けるものが存するからで、すなわち精神と同質のロゴスが存しなければ物は美しくない。したがって美の根源はロゴスの明るさの中心として光に譬喩される神であり、超越美 to hyperkalon である一者としての神を頂点として、以下、ヌース、諸徳のイデア、諸存在者の形相、質料、という美の序列が成立する。この構想はプラトン的であり、その証明法はプラトンのようにミュトスによらず美的経験の分析による。

この考えによれば芸術美を自然美と原理的に区別し得ないが、芸術は自然的事物を摸倣してはならず、自然美を成立させる原理を摸倣しなければならない。すなわち芸術家にとっては精神の直観力によってロゴスとしてのイデアの全体像を把握するのが先決問題である。プロティノスの宗教的美観は「汝自らの魂の内を見よ。自らが美しくなければ、自らの行いを清め、自己のうちに美が見えるまで努力せよ。神すなわち美を見たいと欲するものは自らを神に似た美しいものにしなければならない」という言葉に表されている。

 

影響

神秘主義的な思想は、初期キリスト教のアウグスティヌスらにも影響を及ぼし、キリスト教神学に取り入れられたとされる。プロティノスの著作自体は中世の西ヨーロッパには伝わっておらず、ルネサンス期の人文主義者・フィチーノがラテン語に翻訳したことで再発見された(1492年に刊行)。フィチーノを中心とするイタリア・ルネサンスの異教的な思想を育み、また後世の神秘思想にも影響を与えた。

 

また、プロティノスと同時代のグノーシス主義にも影響を及ぼしたが、プロティノス自身は「神が人間の方へ降りてくることはない」として(グノーシス主義を含む)キリスト教を批判していたという。

 

『エンネアデス』(Enneades)は「一なるもの、善なるもの」「魂の不死について」などプロティノスの遺稿を、高弟ポルフュリオスがまとめたものである。

54の論文が6巻にそれぞれ9論文収められている。6は完全数であり、ポルフュリオスによると、9は「神学の頂点<奥美>」を示す(『プロティノス伝』)。

エンネア(Ennea)はギリシア語で9を、エンネアス(Enneas)は「9つで一組のもの」を意味する。エンネアデスはその複数形である。日本語では『エネアデス』とも表記される。

 

 

 

プロティノス(流出論)

なにもない世界を想像してみる。暗黒で何も見えないが、体ごと流されていることだけがただ感じられる。

そこで流れの根源を見ようと振り返ると、そこは溢れ出てくる光の爆発であった。

次に、もとの流れの方向に首を戻すと、自分の流れに伴ってそこら中が次々と花や川や建物やビルなどのイデア界が忽然と顕れ始める。

 

 

宇宙霊デミウルゴス

 

 

自然の霊プネウマ

原子

古代の宇宙構造

神(叡智界)

星辰界

月下界

プロティノス

一者

ヌース

魂(ロゴス)

自然 気息

素材

 

 

 

プロティノス(一者、ヌース、魂)

プロティノスの宇宙論

一者

 

 

直知作用ノエーシス →認識対象ノエトン

認識主体ヌース  全霊     

ヌース  

知性界

宇宙霊     個霊   理性魂

 

               動物魂

               植物魂

自然 

感覚界

               素材

 

 

 

エネアデス〈抄〉/プロティノス/田中 美知太郎(中公クラシックス)

一者について

p86 かのものは知性体でさえもない。むしろ知性以前のものでなければならない。なぜなら、知性体は存在のうちの何かであるけれども、かのものは何かではなくて、それぞれの先にあるもので、しかも存在でもないものなのである。

一者自然の本性は、それら万有のうちの何ものでもないわけである。したがって、それは何らかのもの(実体)でもなし、また何かの性質でも量でもないわけである。それは知性でもなければ、たましいでもない。それは動いているものでもなければ、また静止しているものでもない。場所のうちになく、時間のうちにもないものである。

 

老子の云う「名づけ得ないもの」tao道のこと どんな言語でも表現できないもの、どんな言語も阻むもの。

「何か」でもない、それ以前のもの。つまり実体ではない。

 

p149

たましいは知性を中心に運動して、どこまでも知性に依存するような、知性の光彩であり、また跡形なのである。すなわち、一面においてそれは、知性とひとつに結合されて、知性に満たされ、知性を楽しみ、知性の仲間入りをして、直知作用を営むのであるが、他面また、それの後から出て来るような事物に・・・

 

知性界では、認識主体と認識対象の入れ替えが相互に常時において認識可能である。

花としてゼウスを見、ゼウスとして花を見ることが可能になる。

 

p214 〈よき生〉は魂に関連しており、魂の活動ではあるけれども、魂全体の活動ではないし――よき生を肉体に関連させることにもなるような〈成長を司る魂〉の活動は含まれていない。なぜなら、ここで言う幸福は、身体の大きさや健康には関係ないからである――それにまた、感覚の鋭敏さにもとづいているのでもないのである。

p216 注)プロティノスによれば、われわれ人間の魂は@知性的な部分(知性的な魂)、A感性的な部分(感性的な魂)、B植物的な部分(植物的な魂)という3つの部分からなっている。Aは人間の感性を司り、Bは人間の成長を司るもので、いずれも肉体と共同関係(コイノーニアー)にあることによってのみ、その働きを発揮できるもので、厳密に言えば、それらは魂の形にすぎず、したがって肉体から分離するものでもなく、肉体の死とともに消滅するのである。

 

個霊 人間魂   理性を司る   プロティノスの幸福とはこの領域のことを言う

   動物魂   情念 欲望 

   植物魂   成長を司る  自律神経 内分泌  平衡感覚 体の恒常性を保つ

 

 

 

 

プロティノス(魂、自然、宇宙)

矛盾した死生観

エネアデス〈抄〉/プロティノス/田中 美知太郎

p318(要約)魂はなぜ肉体に下降するのか。プラトンは「国家」および「パイドロス」においては、魂の肉体との交わりを魂にとっての不幸と見なしているが、他方「ティマイオス」では、彼は世界の完成のために差し向けられたと言っている。

宇宙の魂と星々の魂および人間の魂の差異は、前2者が完全であるのに反して、われわれの魂は劣悪な場所に滞在している点にある。

p321(要約)魂は感性と植物的自然にまで下降する。魂は、その優勢な部分に対応する段階の存在となって生きる。またそれに応じて、われわれの死後、魂は人間、動物、植物、ダイモン、神のどれかになる。

 

プロティノスh宇宙は永遠である、とも言っている。

動物や植物は宇宙霊が造った。自然(動物や植物)とは魂プシュケー(宇宙霊の影)である、すなわち自然はフュシスというイデア(幽体)を持っている。

では人間が死んで、植物に転生した時に、理性の魂はどこにいくのか?

 

プロティノスの自然観

p98 もし誰かが自然にその製作の目的を問い、自然が問い手に耳を傾けて答える気になったとしたら、おそらく、次のように言うだろう

「・・・わたしが観照している時に、わたしの観照の働きからいわばこぼれ落ちるようにして、いろいろな肉体の線や形が生まれてくるのです。」

 

自然は手足で何かを造っているのではない。

地球が自分自身を観ている。地球が森を人を都市を観ている。

この観る働き自体が線や形を産み出す。つまり森や人や都市が形になる。

たとえば、けもの道のように、イノシシが周りを見て移動している行為を繰り返すことによって、振り返れば自然に道が意図していなくてもできているようなもの。

この見て歩く行為からこぼれ落ちるようにして道ができる。

 

p194 生成したものと言われるすべてのものも、(ある時点でのみ)生成したものではなく、生成しつつあったものであり、(将来も)生成するであろう。

 

p206 この世界も(英知界同様)、かつていつか存在を始めたのではなく、将来いつか存在をやめるのでもなくて、かの世界が存在するかぎりは、つねに存在するであることは、すでに述べられた。

 

イデア界が永遠であるように宇宙も永遠である。つねに変化し続けている。

 

 

プロティノス(エロスについて)

エネアデス〈抄〉U /プロティノス/田中 美知太郎

天上のアプロディテについて

p54 われわれは、このアプロディテには2通りの意味があると考える。すなわち、ウラノスの子供と称される〈天上のアプロディテ〉と、ゼウスとディオネの娘としてのアプロディテがそれで、後者は結婚の守り神として、これを司る女神である。しかし、前者は「母なくして生まれた女神」で、結婚とは関係のない女神である。これは、天上には結婚がないからである。

 

天上に結婚がないというのはプロティノスの誤謬である。

プロティノスはハイアラーキー(神智学につながる)の一員なので、は天上界の結婚を否定している。

 

p54 なお、この〈天上のアプロディテ〉はクロノスの娘と言われているが、クロノスとは知性(ヌース)のことであるから、(この説によれば)彼女はもっとも神的な魂に相当することにならなければならない。というのも、この魂は、汚れのない知性から直接に汚れのないものとして生まれ、たえず上方の世界に留まっており、この感性界に降下することを望みもしないし、(たとえ望んでも)降下できるものでもないからである。

注)プロティノスは魂に全霊、宇宙霊、個霊の3種を考えているが、「もっとも神的な魂」とは、この中の全霊を指す。

かくして、天上のアプロディテ(としての魂)は、クロノス(知性)にしたがいながら――クロノスに働きかけ、彼に魅せられ恋にとりつかれてエロスを生み、このエロスと一緒にクロノス(知性)を観るのである。

つねに自分以外の美しいものに惹かれるのが、この実体として生まれたエロスの定めであり、〈恋い慕う者〉と〈恋い慕われる者〉との間にたって、その仲人のような役割をはたすところに、彼の存在の意義があるのである。

 

魂(プシュケー)はエロスの母であるが、〈アプロディテ〉とは魂のことであり、〈エロス〉とは〈善きもの〉を慕い求める魂の活動(エネルゲイア)のことだからである。 

 

 

流出論とは、憧れて振り向けばそこに光が満ちて想像妊娠がおこり、それが溢れ出て流れの方向に形が顕れるという連鎖

 

これはプラトンのエロス解釈をプロセスの流出論の枠組みで理解したもので神智学に影響を与える(エネルゲイア→フォーファット魂の電磁力)が、ミトラ教から見るとこのエロスの解釈は誤謬である。

ミトラ教ではどう理解しているのか?

プラトンの哲学はミトラ教の神話をそのまま取り入れて概念化したものだが、プラトンもプロティノスもミトラ教のエロスについては理解できていなかった。

 

 

プロティノス(プラトン神話の正しい解釈)

エネアデス〈抄〉U /プロティノス/田中 美知太郎

エロスの意味

p64 「プラトンはこの〈エロス〉ということばでこの(感性的な)宇宙のことを言っているのであって、この宇宙の一員としてそこに生まれ育ったエロスのことを言っているのではない」と推定することは、それ自体で多くの矛盾を含んでいる。

注)プルタルコス「イシスとオシリス」57章には、「饗宴」のエロスの誕生の物語と関連して、このような見解が述べられた。

 

ミトラ教のエロスは宇宙霊のことである。

 

 

 

 

 

 

 

ミトラ教

両性具有ズルワーン

父ズルワーン

母ソフィア

ミトラ

世界卵

ギリシャ

ウラノス

クロノス

 

ゼウス

ディオネ

プラトン

ヌース

原初物質

ヘカテー

造り主

レアー

インド思想

ブラフマン

プルシャ

パラアートマン

プラクティ

アートマン

プラクティ

 

 

 

 

 

 

 

 

中間層

 

ミトラ教

ミトラ

 

母ソフィア

世界卵

 

 

ギリシャ

ゼウス

ポロス

ディオネ

ペニア

アプロディテ

 

プラトン

造り主

 

原初物質

ヘカテー

レアー

 

 

ポイマンドレース

 

聖なるロゴス

 

フュシス

 

 

ストア派

 

種子的ロゴス

 

胚珠

 

 

インド思想

アートマン

 

プラクティ

プラクティ

 

 

 

ミトラ教とギリシャ神話の対応

ポロス     → ペニア      天上のアプロディテ(純粋な火)  プラスのロゴス

(聖なるロゴス)↓(フュシス)                ↑

→          アプロディテ   (霊的ロゴス) マイナスのロゴス(宇宙霊)

        →          エロス      (造物主)=宇宙        (宇宙霊)