古今東西の秘密伝承 キリスト教、仙道
イエスの結婚
マグダラとヨハネのミステリー二つの顔を持ったイエス
リン ピクネットLynn Picknett クライブ プリンス
p116 ナグ・ハマディ文書や死海文書などの考古学的な発見により、イエスの生きていた時代や文化が非常によくわかるようになった結果、独創的と考えられてきたキリスト教の多くが、決してそうではないことが突然明らかになったのである。
イエスは実際には12月25日に生まれたのではなく、古い異教の真冬の祭日からこの日付けが選ばれたと教皇が賢明な説明をしたときには、世の中に嵐にも似た論争を巻き起こした。この教皇生命が出されたの1994年になってからというのも、まさに信じられない話である。
オシリスやアッティス(女神キューベレーに愛されたフリギアの少年)、タンムズ、アドニスなど多くの異教の神々の誕生日であることも一般のキリスト教徒に意図的に隠してきた。
支配層が事実を教えないという人類史の定石は、一部の人だけが知っているのが権力の本質である。
それを明らかにする人たちは弾圧してきた。
聖書がイエスの結婚について触れていない疑問
p146 西欧文化ではセックスと結びついた罪の意識が深く染み込んでいるので、イエスに性行為の相手がいたというのは、・・・嫌悪感を催す冒涜に映るらしい。
ユダヤ文化の中にいる福音書記者によってイエスが描像されていることを改めて認識する必要がある。
ユダヤ人にとって独身でいるのは、主に選ばれた人々が次世代の父親になることを望まないとするあるまじき行為であり、シナゴーグの長老たちに叱責されるべき行為であった。
p149 異端伝承ではマグダラが性交渉の相手であったと強調するが、夫婦とは述べていないことに注意しなければならない。夫婦とは述べていないことに注意しなければならない。グノーシス派の福音書やカタリ派などの地下伝承では、マグダラをイエスの「愛人」とか「相手」と呼んだり、注意深く「両者の結合」という曖昧な言葉を用いている。
聖書に記述がないのは、イエスが結婚していたか、性交渉の相手がいたのかどちらかである。
福音書の記述者はイエスの結婚を隠した。もしくは編集段階で排除された。
何故隠す必要があったのか?
カナの婚礼は、イエス自身の結婚式だった
p149 イエスが結婚していたことの証拠として、イエスが水をブドウ酒に変えたカナの儀礼が、じつはイエス自身のものであったという説がある。・・・もし彼が花婿でなければ、そのようなことをする必要はなく、その理由も説明することはできない。
・・・イエスが結婚していたことではなく、彼が結婚していた人物に問題があったのである。
マグダラのマリア、ベタニアのマリア、ルカ福音書でイエスに塗油した「名前のわからない罪人」の正体については、常に激しい議論が闘わされてきた。
当時のユダヤ社会では結婚式のブドウ酒は花婿が用意するものであった。これはイエスとベタニアのマリアとの結婚式のことである。
結局、宗教やヒトとは自分にとって都合の良い思想を受け入れる、ということだけである。
本当はどうだったのか?といことを文献や先達の考察を参考にして構築する必要である。
「セックスが罪である」という観念に囚われて、これを原罪とし、「性を超越しない限り天国へ行くことができない」と考えるのは、メルキゼデクやイエスも同じ観念だったので、結婚していてもセックスをしなかった。
磔刑
キリスト教を霊的世界と物質世界の両方の視点ではどうとらえるか
ユダヤ教の信奉者からみた当時のイエスの人物像
p210マグダラとヨハネのミステリー
当時のイエス時代はグレコローマン世界のあちこちを旅して回る呪術師や魔術師が多数存在し、彼らの日常的なレパートリーは何よりも癒しと悪魔祓いであった。
「神の子」という言葉は、ユダヤには先例がなく、・・・イエスが神の子になったのは、魔術的に神性が憑依した結果と提案している。
モートン・スミスの研究で・・・タルムード自体には、イエスが若年時代をエジプトですごし、そこで魔術を修得したと明確に述べているのである。
・・イエスの犯した罪とは、ユダヤの土地に「異教の思想と異教の神々」を持ち込もうとしたことであった。
旧約聖書には魔術どころか占いもしてはいけないという記述がある。 どこ?
ユダヤ教徒からみればイエスの行動は許しがたいものであった。
ユダヤ教から見てイエスが磔に処される正当な理由
p214「わたしの父の家には住むところがたくさんある」ヨハネ福音書14:2というイエスの言葉もエジプトの「死者の書」そのままである。
・・・魂が死後の恐怖を克服するための一連の呪文で構成され、死者に向かって祭司や女祭司が読み上げたものであった。
オシリスは金曜日に殺され、切り刻まれた彼の肉体はあちこちに捨てられた。3日後オシリスは、全土で彼の死を悼むイシスの魔術のおかげで復活した。
宗教が支配している組織にとって、その教義が伝統により禁じて反するものを実践する者は排除するしか組織を保持する根幹に関わるものであった。
旧約聖書が法律であるから、ユダヤ人にとって、異教の教えと神々を持ち込むと現代風にいえば国家反逆罪にあたる。
またイエスはローマからの解放とその時代のユダヤ教に革命を起こす意図があった。
p216 イエスは象徴的な死と復活によって神になるとことができると信じていたらしい。
この磔刑は―賄賂の助けも借りて―計画的に仕組まれたものらしく、オシリス崇拝の秘儀宗派的な様式で復活したものである。
もしイエスが自分自身を王家の人間―ダビデの末裔―と考えていれば、死んだパロは、イシスの魔術の助けを借りて自動的に「オシリス」、天界の支配者で下界の開拓者となったので、この可能性はさらに高くなる。
イエスの磔刑にみる矛盾とは
イエスが イスラエルの王としてローマからイスラエルの地を取り戻す革命を起こそうとしていたのならば、なぜ磔刑にされ復活する必要があるのか?
なんの意味があるのだろうか?
シモン・マゴス
シモン・マゴスが起点になる裏のイルミナティによる2千年の陰謀が続いている。
悪の本質とは何か?
名前はマニ教、ボゴミール派、カタリ派、テンプル騎士団、薔薇十字団、フリーメーソン、イルミナティと変遷し、名前を使い分けるが、やっている崇拝と思想は同じである。
悪魔崇拝と言われる供犠による残酷な儀式を行っている。
グノーシスの中に、そしてローマ・カトリックの中に闇が寄生する。
カトリックがそれが魔女狩りをしたり、十字軍で相手を殲滅したりする。
マニ教が良い教えを説いていたが、国家の中枢に入り込み政治力を持つようになると突然に権力欲にとらわれて悪魔崇拝に変質してしまう。
どの宗教も組織が大きくなり権力欲と囚われると良質なものが悪質なものに変質する。
ヨハネ、イエス、シモンの関係 共同メシア
p249 ナイトとロマスも「封印のイエス」でイエスと洗礼者ヨハネが緊密な協力者出会ったという説に基づいて共同メシアとまで主張しているが、これは真実からかけ離れたものである。
イエスが20代の時には、クムラン宗団(エッセネ派)の中でマグダラのマリアが女預言者であり、洗礼者ヨハネが祭司のメシアであり、まだイエスはまだ王のメシアとはまだ決まっていなかった。 ヨハネの後継者は決まっておりシモン・マゴスであった。
クムラン宗団の思想は終末思想で、天上の最終戦争ハルマゲドンにより善が勝利し、この地上も神の国になるというものであった。
3人のメシアイスラエルを再興するという目的を同じくして共同して革命を実現する使命感に燃えていた。
イエスのクーデター シモン・マゴスの離脱
p250 もっとも論理的な結論は、ヨハネの弟子から出発したイエスが、後に別れて独自の集団を結成したというものである。
ヘロデ王にヨハネが斬首された後、イエスがエッセネ派を仕切るようになり、少数派になったシモン・マゴスは離脱してヨハネ派という独自の集団を作ることになる。
p263 すべての異端の元凶シモン・マゴス
p266 シモン・マゴスはギッタ村の生まれで、クラウディウスの治下(41-54年)、シモンはローマに行き、そこで彼は神と崇拝された彫像まで建てられ、サマリア人はすでに彼を神とみなしていた。
シモン・マゴスが最悪の異端と呼ばれる所以
裏のイルミナティの創始者であって、悪魔崇拝者であったため
ヨハネ教団とマンダ教
洗礼者ヨハネを真のキリストとするヨハネ派の最初の長がドシテウスであったが、シモン・マゴスと争い、乗取ってしまった。
ドシテウスは離脱してヨハネの教えを継承した正統な集団であるドシテウス派をつくった。
このドシテウス派がマンダ教(現存している唯一のグノーシス宗教)の大本であろうと推察される。
シモン・マゴスは50AD頃から悪魔崇拝に変質してしまう。この現存がイルミナティである。
マグダラとヨハネのミステリー
二つの顔を持ったイエス リン・ピクネット クライブ・プリンス
p278 現存する唯一のグノーシス宗教がマンダ教
南イラクの湿地帯とイラン南西部に少数が現存し、マンダ教徒と呼ばれている。アラブ人は彼らを「サーバー」と呼び、「コーラン」には「サービア教徒」として登場する。その思想がハランで大きな勢力を持っていたのは明らかである。
Harranは古代シリア地方の北部にあった都市の名で、現在はトルコ南東部のシャンルウルファ県にあたる
11世紀には十字軍のテンプル騎士団がマンダ教やマニ教と接触した。
イエスを弟子たちや人々を意図的に誤った方向に導いた偽預言者、嘘つきとみなしている。
聖ヨハネを真のキリスト(聖霊(グノーシス)を受け取った救済者)とみなす。
ナジル(ナザレ)人とはエッセネ派のこと。洗礼者ヨハネに引き入れられていた集団。
後にイエスと義人ヤコブがエッセネ派を引き継いで、率いることになる。
そこから分派したシモン派、マンダ派、
弾圧され続けているマンダ教徒
フセインにも弾圧された厳しい歴史をもつ宗派
この世界は悪の神が作ったのだというグノーシス思想を持つ。
死んで光の世界に還るという思想を持つ。
マンダ教からみたイエスの人物像と秘密の教え
マンダ教の聖典ギンザには、妖術と裏切りを行う彼{イエス}を信じてはならない、とある。
彼は光の言葉を曲解して闇の言葉に変え、わたしの民を改宗させ、すべての宗派を歪曲させた。
p298どうして何世紀にもわたってイエスがこのような非難の対象にされたのだろうか?
p317ヨハネの死によって実際に利益を受けたのは誰だろうか?「イエスのミステリー1993byスィーリング」
イエスの支持者たち
封印のイエス: 「ヒラムの鍵」が解くキリストのミステリー クリストファー ナイト, ロバートロマス
イエスと義人ヤコブは競合して対立していた
マンダ派の伝承
預言者 マグダラのマリア(ミリアム)
祭司のメシア 洗礼者ヨハネ →義人ヤコブ
王のメシア アンチキリスト →イエス
エッセネ派 → 原始エルサレム教会
→ ヨハネ派 → シモン派 Simon the Mag 『使徒行伝』 8 : 9-10
→ ドシテウス派
→ マンダ派 (ムグタシラ?) → マニ教
→ サービア教→テンプル騎士団 →フリーメーソン→神智学
→マニ教 →ボゴミール派 → カタリ派→テンプル騎士団
ヨーロッパ史でキリスト十字軍に弾圧されているのはヨハネ派
サロメ〜イエスの真実、洗礼者ヨハネ殺害の犯人、陰謀と神智学
ニューエイジの新興宗教の源を辿ると神智学につながり、神智学をたどっていくとヨハネの問題に関わってくる。
キリスト教創設時の問題 ヨハネの斬首
ヨハネの逮捕後イエスは、自分自身の弟子たちの指導者としてか、あるいはヨハネの正統な指導者として、指導権を握ろうとしたとも考えられる。しかし何らかの理由により、これはヨハネの信奉者たち全員には受け入れられなかったのである。
彼の伝道は明確な戦略に沿ったもので、3段階に分けて実行された。最初は奇跡や癒しによって大衆を引きつけること、次に、いったん人びとがイエスにしたがえば、黄金時代「天の国」によりより良い生活の約束を演説すること、そして最後に、イエスをメシアと認識させることである。
ヨハネ派の長であったシモン・マゴスを追い出すクーデターにイエスは成功し、義人ヤコブをヨハネ派のリーダーにし、マグダラのマリアを女祭司にした。
そしてその時に洗礼者ヨハネの斬首が行われたのだが、タイミングがおかしすぎると考えるのが著者の見解である。
p308 世の中のほとんどすべての人びとにとってイエスは寛容さと善良さの典型である。しかし、これが真実ではないのは明らかである。
端的にいえば、新約聖書に書かれたイエスの教えは矛盾だらけである。彼は「父と母を敬え」という律法を指示する一方で、
もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではあり得ない。ルカ福音書14:26
とも言っている。イエスは自分自身の命は憎まなければならないのに、他人は自分自身のように愛しなさいと信奉者に教えていたのである。
p317 ヨハネ殺人の真犯人は誰か
奇妙なことに、ヨハネの死は新約聖書のなかでもっともよく知られている挿話のはずなのに、我々が知っている名前はヘロディアの娘、サロメだけであり、それもヨセフスの「ユダヤ戦記」を通じてなのである。
イエスにはサロメと呼ばれる弟子がいた。マルコ福音書によれば彼女は十字架の下に立ち、マグダラと共に墓に行ったと書かれている・・・
それから彼はエリコにやって来た。イエスが愛された若者の兄妹が、母親やサロメと一緒に住んでいたが、イエスは彼らを受け入れなかった。
洗礼者ヨハネの頭〜聖杯伝説、テンプル騎士団、マグダラのマリア、イエス
サロメが持つ洗礼者ヨハネの首が置かれたお盆が聖杯である。
ではヨハネの遺骨はどれほど価値があり、どこにあるのか? →聖杯伝説
テンプル騎士団がつなげたヨハネ伝承とマグダラ伝承
マグダラ宗派のランドック文化で育ったテンプル騎士たちはすでに「東洋のヨハネ派」の伝承をある程度は学んでいたと推察される。十字軍によってマンダ教とマニ教に接触し、確信を持ってヨハネ伝承を実践することになると推察される。
テンプル騎士団の最大の関心は、第一には物質的な権力の獲得であり、自分たちの霊魂の善の修練という精神的なものではなかった。一言でいうと世界征服であった。
ヨハネ伝承とはグノーシスの思想であり性錬金術であろう。
マグダラ伝承とは血筋という家系とオシリスのイニシエーションのことではなかろうか?
この2つが混ぜ合わせると何が起きるのであろうか? 思想と血筋
陰謀論の骨格
祭司のメシア 洗礼者ヨハネ →義人ヤコブ
↕→ サラ ロートリンゲン家
預言者 マグダラのマリア(ミリアム)
↕→ ヨシュア、タマル、ヨセフです。ヨシュアの方の息子にメロヴィング朝
王のメシア サン・マクシマン(イエス)
マグダラのマリアが没した地は、サンマキシマンの洞窟とされている
Saint-Maximin-la-Sainte-Baume
13世紀以降に聖マクシマンの墓と聖マリア・マグダレナの墓の発見
伝承によると、マリア・マグダレナはサント=ボームの洞窟で何年も苦行を行い、聖マクシマンの墓の下に埋葬された。ボームとはプロヴァンサル語で「洞窟」を意味する。
洗礼者ヨハネの頭をもつ者の3重の解釈
テンプル騎士団の格言「洗礼者ヨハネの頭をもつものは世の中を支配する」
イルミナティ 洗礼者ヨハネはイルミナティなどの悪魔崇拝の頂点=ルシファー
テンプル騎士団 自分たちが世界を支配する
エッセネ派 → 原始エルサレム教会
→ マグダラ →カタリ派
→ ヨハネ派 → シモン派Simon the Mag →マニ教→ボゴミール派
→ ドシテウス派 → マンダ派
異端と十字軍、カタリ派、ラングドック、モンセギュール伝説、マグダラのマリア、洗礼者ヨハネ
マグダラ崇拝の全体像
マグダラとヨハネのミステリー
p55異端の中核地帯 ラングドック
ラングドックではヨーロッパ最初の大虐殺が行われ、アルビジョア十字軍(カタリ派の要塞があったアルビの町の名に因んだもの)の期間中、教皇の名によって10万人以上のカタリ派異端の人びとが虐殺された。
リオン湾から10キロ離れた大都市ベジエの人びとは十字軍の要求である222名のカタリ派を差し出すことに応じなかった。
1209年7月22日マグダラのマリアの聖日に、1万5千から2万人が虐殺された。
ダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」の大ヒットによってその名を広く知られるようになったシオン修道会。会が設立したのは遥か昔の1099年まで遡る。
フランス国立図書館に保管された「秘密文書」という名の文書には歴代総長の名前が記されているが、この顔ぶれがスゴイ。
ダ・ヴィンチ、ニュートン、ドビュッシー、ジャン・コクトーなど、あらゆる分野の有名人が名を連ねているのだ。だが、メンバーは会員であることも活動内容も、絶対に口にしてはいけなかった。実は、この組織は歴史やキリスト教の教えを根底からひっくり返してしまうほど、大きな秘密を抱えていたのである。
*キリスト教にとって都合の悪い秘密
シオン修道会が守っていたのは財宝などではない。
もっと世間に衝撃を与えるもの、それはキリストの血筋だ。キリストは弟子だったマグダラのマリアと夫婦関係にあり、子供までいた。而も、マリアはキリストの遺骨を持っていたとも謂われている。
キリストは独身を貫いたとか、復活した後は天に昇ったので遺体は存在しないと教える教会にしてみれば、これは見逃すことのできないスキャンダルである。子供の存在がバレたら母子共々消されてしまうことは疑いのないことだった。それを恐れたシオン修道会は親子をかくまった。親子の安全を考えれば、自分たちの存在も隠し通さなければならなかったのだ。そうしてキリストの血筋は守り続けられ、やがてその子孫がフランスのメロヴィング朝を開いたと謂われている。歴史の教科書ではメロヴィング朝は7世紀に滅んだことになっている。しかし、シオン修道会によれば、子供だけはコッソリと救出されて現代にまでその血筋が受け継がれていると謂う。
それがシオン修道会27代目総長だったピエール・プランタールである。
*いまだ残る秘密文書の謎
ところが、現代ではシオン修道会の存在自体を疑う声が多い。というのも、自らをメロヴィング朝の子孫だと名乗り、総長の座まで務めたプランタールが、秘密文書は仲間たちとでっち上げた偽物と告白したのだ。
ただ、シオン修道会が全く架空の存在だったとも言い切れない謎めいた事件が起きている。或る時、1人の男が頭部を切断されて殺された。彼はレオ・シドロフという人物の鞄を運んでいたはずなのだが、鞄は見つからなかった。秘密文書にはこの一件が「レオ・シドロフの革鞄」として記されている。
記述によれば、鞄には1600〜1800年にかけてのレンヌ=ル=シャトーに関する重要文書が入っていたそうだ。
レンヌ=ル=シャトーとは南仏の村のことで、シオン修道会と深い関わりがある。この村のソ二エール司祭が教会の修復をした時、柱の中からキリストの血筋が生き残っていることを示した文書を発見したと伝えられているのだ。
「レオ・シドロフの革鞄」には、新聞記事だけでは知り得ないほど殺人事件の内容が詳しく書かれていた。身近な関係者でなければ入手できないような情報が満載なのだ。それに加えて、シドロフの死後、彼の娘のもとには父親が何か文書を残していないかという問い合わせも多くあったという。
果たして、シドロフはシオン修道会についての重要な情報を握っていたのか。彼の鞄に入っていた文書が誰かの手に渡ることを恐れた人物、或いは組織が運び屋を抹殺して鞄を持ち去ったのだろうか。こうした一連の不可解な出来事は、シオン修道会が存在しなければ説明がつかないとも言えるのである。
ダ・ヴィンチ画「最後の晩餐」で中央のキリストの左隣に描かれているのは、一般的には使徒ヨハネと言われているが、実はマグダラのマリアだという説もある
カタリ派の思想
参考文献
「アシジの聖フランシスとカタリ派」坂口昂吉
カタリ派をアルビジョア十字軍がカタリ派を弾圧したのは、グノーシスの思想がそのまま宗教となったものだからである。
カタリ派のアルビジョア十字軍による弾圧があった頃は、ちょうどアッシジの聖フランシスが生きていた時代と重なる。
カタリ派の創始と堕天の概念
カタリ派はマニ教由来のボゴミール派から生まれ、グノーシスの土壌があった南フランスで爆発的に広がったとされる。多種多様な分派があり、現実にその教えはよくわかっていないが、グノーシスの教えだったということは確実である。
カタリ派のキリストの概念と物質的世界を否定する厳格主義
正統派キリスト教とは著しく異なる、カタリ派の教義における「キリスト」についての概念。
また、カタリ派の倫理の主眼は物質的世界からの解放であり、これに基づく厳格な禁欲生活を道徳的命令としていた。
カタリ派の思想と聖フランシスの思想
同じ時代に生きていた聖フランシスの思想から、カトリックとカタリ派のものの考え方の違い
フランチェスコの行動は本来の意味でのキリストの教えを体現したものであった。こうした事実に関連して、集団の善悪ではなく一人ひとりの人物を見ることが重要である。
テンプル騎士団の創設
文献 マグダラとヨハネのミステリー
テンプル騎士団の富は、新入会員が自分の領地を騎士団に差し出すという規則によるものだけではなく、多数の王侯貴族からも相当の土地や金を寄進されていた。
世界で初の国際金融機関として貸付業務をしていた。金を持たないで旅をする時に便利だった。
トラベラーズチェック
キリスト教は利息をとっていけなかったが、テンプル騎士団は暴利とも言える利息をとっていた。
テンプル騎士団の創設目的のウソと真相
ユーグ・ド・バイヤンと9名の仲間が聖地巡礼者の保護のために創設したとされるが、実際には古代の財宝の宝探しをしていたとされている。
では何を見つけたのか?
現在でもシオン修道会がそれらを守っている。
テンプル騎士団と聖杯物語
マグダラとヨハネのミステリー
p90 12世紀の文書を調べてみれば、女性が創設時からテンプル騎士団に加入していた証拠を山のように見つけることができる。事実上の神殿娼婦。
性錬金術を信奉していたテンプル騎士団
グラストンベリーの修道士によって書かれたと思われている「ペルレスヴォー」の話では不思議な物語になっている。
騎士ガウェインは片手に銀で封じられた王の頭、もう一方の手に鉛で封じられた女王の頭をもつ不気味な乙女と出会った。
これは錬金術の象徴であり、哲学者の卵と呼ばれるフラスコの中で王と女王を結合させて腐敗させて賢者の石にするという手順を一番初めに行う。ここでは水銀と鉛になっている。
どの聖杯物語でも、聖杯がどのようなものであったとしても、女性によって守られている。
テンプル騎士団では幹部に引き上げられると奥義として女性が先導して性錬金術を伝授した。
テンプル騎士団と秘密文書
ダ・ヴィンチ・コード ダン・ブラウン
テンプル騎士団の創設目的
ヘロデの神殿の地下にあった秘密文書の発掘が目的
秘密文書の発見とカトリック
原始エルサレム教会(教団)の思想が分かる
p236 シオン修道会は、影響力の大きいその文書を守るため、最初の数世紀は何度も場所を移さざるをえなかったらしい。
サングリアル文書 聖杯と血筋
聖杯と血脈
サングリアル文書 王家の血筋
ダ・ヴィンチ・コード ダン・ブラウン
p26 sangreal 王家の血sangReal・・・聖杯sanGreal
聖杯とはマグダラのマリア・・・イエス・キリストの聖なる血脈を伝えた女性だという。
「血脈のことが世に知れ渡ったら、教会はけっして存続できなかった。イエスに子がいたとなれば、神たるキリストという根本概念が覆され、教会こそ神に近づき天国へ行く唯一の手段だという主張も崩れ去る」
この王家とはイエスではなく、マグダラのマリアの血脈であるのに、これを誤解してしまっている人達がいる。
マグダラはダビデの血筋
聖杯はマグダラのマリアのことなんでしょう?探しているのは文書なのに、なぜ聖杯の探求なんて言い方をするのかしら」
「聖杯の隠し場所はつまり・・・墓だということ?」
「・・・マグダラの家系の正当な権利の証とともに葬られた女王を見つけ出すことだった。」
シギベルト4世はゴドフロアの子孫ではないであろう。
レンヌ・ル・シャトー
ギョーム・ド・ジェローンは伝説的英雄であり、聖杯と密接に関連する。彼の17代後の子孫はゴドフロワ・ド・ブイヨンであり、第1回十字軍のリーダーであり、教皇によってエルサレム王に任命された。
1099年にゴドフロワ・ド・ブイヨンの急の命により、古いビザンチンのバシリカ遺跡の上に僧院が建てられた。
その建物はシオンのノートル・ダム寺院と呼ばれていた。テンプル騎士団によって掘り出されたサングリアル文書はここで保管された。
2カタリ派 モンセギュール城
3ピレネー山中
4サンシャルピス教会
5ロスリン教会
6レンヌ・ル・シャトー
『レンヌ=ル=シャトーの謎 - イエスの血脈と聖杯』The Holy Blood and the Holy Grail
1982年に英国で出版されたノンフィクション。日本語訳は1997年に柏書房より出版された。
ダン・ブラウンによって執筆された推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』をはじめ、本書に触発されたフィクション、ノンフィクションが続出するなど、多くの影響を与えた。
原作:マイケル・ベイジェント(Michael Baigent)、リチャード・リー(Richard Leigh)、ヘンリー・リンカーン(Henry Lincoln)
原作者らは英国放送協会(BBC)の歴史番組のため、南フランスのレンヌ=ル=シャトー(Rennes-le-Château) の教会に残された財宝にまつわる謎を取材していた。きっかけは一冊のジェラール・ド・セード(Gerard de Sede)原作のペーパーバック本であった。
フランスに現れた『秘密文書』。それらを追ううち、秘密は思わぬ方向に展開してゆく…。
本書の結論的な仮説、「イエスの血脈と聖杯」の意味するところについては「聖杯」の項も参照のこと。
本書の情報源
ジェラール・ド・セードによる『レンヌ=ル=シャトーの呪われた財宝』などの一連の著作と、『秘密文書』と題された冊子を大きな情報源としている。
これらはすべて「シオン修道会」総長を自称するピエール・プランタールが出所。イギリス、フランスなどを中心に拡がっている聖杯伝説、アーサー王伝説。
テンプル騎士団やキリスト教の異端であるカタリ派に関連してグノーシス主義に属する外典。
薔薇十字団やシオン賢者の議定書など、怪しげな文書も動員している。
本書の影響
『レックス・ムンディ』(荒俣宏、集英社、1997年)
『イエスの墓』(リチャード・アンドルーズ、ポール・シェレンバーガー、東江一紀(訳)、向井和美(訳)、日本放送出版協会(NHKブックス)、1999年)
『マグダラのマリアと聖杯』(マーガレット・スターバード、和泉裕子(訳)、英知出版、2005年)
『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン、角川書店、2004年)
レンヌ・ル・シャトーU
聖杯の在処
暗号文書が教会の柱の中に見つかった。
短い方の文章は「呪われた財宝」という本に載っているものと同じで「この財宝はダゴベール2世とシモンに属す、彼その地にて死す」と読めた。
ソニエールが暗号を発見したので、シオン修道会の総長だったドビュッシーは慌てた
カルドゥー山に「アルカディアの牧童」の絵と同じ石棺があった。イエスの墓であった。
テンプル騎士団とアメリカ大陸
アメリカ大陸の発見と建国の背後にいたテンプル騎士団
ロズリン・チャペルは1446-1486年にかけて建設されたものであり、薔薇十字団やフリーメーソンと関わりがあった。
封印のイエス
p295 1308年初頭、ニューイングランド州のケープ・コッドあたりに到着した。それはコロンブスが生まれるよりも1世紀も前のことであった。
アーサー王伝説:創作意図,原典,ブリタニア列王史,聖杯探求,聖杯物語,原作者,エピソード,改変
アーサー王伝説が作られた歴史的経緯
アーサー王伝説:キャメロット,正統性,モデル,意図,工作,カドベリー・カースル,ブリトン人
アーサー王伝説:ド・トロワ,聖杯物語,マロリー,サンザシ,アリマタヤのヨセフ,エッシェンバッハ
アリマタヤのヨセフ グラストンベリー,聖杯物語,ド・トロワ,横山安由美,聖書,アーサー王伝説
アリマタヤのヨセフとニコデモはアレキサンドリアのエッセネ派の大祭司であった。
アリマタヤのヨセフ(アリマフェヤの義人イオシフ)は、新約聖書に登場するユダヤ人。イエスの遺体を引き取ったことで知られる。正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。正教会では七十門徒に数えられている。
すべての福音書にはアリマタヤ出身のヨセフなる人物がピラトに願い出て、イエスの遺体をひきとって埋葬したことが記述されている。ヨセフについて四福音書はそれぞれ、マタイは「金持ちでイエスの弟子」といい、マルコは「身分の高い議員」、ルカは「神の国を待ち望んでいた」「善良でただしい人」、ヨハネは「イエスの弟子でありながらユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」人物としている。
いずれにせよ、弟子すらも逃げ出した状況で、あえてアリマタヤのヨセフがイエスの遺体の引取りを申し出たということは四福音が一致して記しているところである。イエスは彼によって墓(この時代は洞窟)に亜麻布で巻かれ、香料と共に葬られた。
西ヨーロッパ中世の伝承では、聖杯伝説と結び付けられ、彼が十字架のもとでイエスの血を受けた聖杯を持ってイギリスに渡ったとされていた。また少年の頃のイエスがヨセフとともにブリテン島西南コーンウォールの錫鉱山にやってきて、坑夫たちに錫をどうやって抽出するか、また製錬するかといったことを教えたという伝説があった(セイバイン・ベアリング=グールド『A Book of The West: Being An Introduction To Devon and Cornwall』による)。
キリスト教の聖人であり、正教会では7月31日、カトリック教会では3月17日に祝われている。
横山安由美さんの「アリマタヤのヨセフ」という論文。
マグダラのマリアと洗礼者ヨハネの娘にサラがいて、メロヴィング朝の系図として、その子孫がロートリンゲン家として残り、今に続いているという内容である。
マグダラのマリアとサン・マクシマンとの間に3人の子供、ヨシュア、タマル、ヨセフがいて、ヨシュアの方の息子にメロヴィング朝がいて、これが聖杯家である。
このメロヴィング朝のシギベルト4世の何代か後に、ラモン・ド・ペレラというモンセギュール城の城主がいた。カタリ派の城主で、カタリ派はそこで絶滅するが、息子が逃れている。このラモン・ド・ペレラがおそらく何代目かの聖杯王であろうと推察し、ヨシュアの方のメロヴィング朝の系譜、ここが聖杯王と聖杯伝説の大本であると考えられる。ところがこのヨシュアの方は、メロヴィング朝のクローヴィス王の妹アウドフレダという女性が、テオドリックという人、テオドリック王と結婚してそして子孫を残している。
この子孫の中に、ギョーム・ド・ジェローヌがいて、彼がそこから後の伝説の、非常に中心の人物になっているという事で、ここの流れから、テンプル騎士団とかシオン修道会とかイングランド王の血筋とかこういうのがずーっと流れ込んで出てくる。ですから、このギョーム・ド・ジェローヌ、それからこの子孫である所のゴドフロワ・ド・ブイヨン、テンプル騎士団の創設者です。彼らは聖杯家という風になっているんですけれども、実は聖杯家ではなくて一族であると考えるべきで、聖杯家はラモン・ド・ペレラだと推察できる。
これまでお話してきたのは、次の妹のタマルという女性がいて、こちらがアーサー王やパーシヴァル(サン・クレア家)アメロヴィン朝の方に繋がっていって、ヨシュア(メロヴィング朝)が聖杯家であるということです。
パーシヴァル(パルチバール)は聖杯伝説の中では、聖杯王という風に言われ、ヨシュアの末裔であるメロヴィング朝として扱われていますが、タマルの家系だと推定される。このアーサー王の子孫が今に残っていて、これがサン・クレア家です。
この一族は、こんなに一直線上に血縁を保っているのではなくて、一族の血を守るために、内部で子孫が親族間の交配をしています。だからこれはこんなに単純なものではなくて、混じり合っていると思ってもらったらいいです。洗礼者ヨハネの方の子孫であるサラ(ロートリンゲン家)に繋がっている子孫、彼らとも交わっているんじゃないかという気がするが、ほとんど確認が取れていません。紀元後から千年の間の系図がほとんど残っていないので、全くわからないというレベルになっているわけです。
そしてこの3人は、元々マグダラのマリアとサン・マクシマンとの子供だが、アリマタヤのヨセフの養子として育てられたというのが竹下氏の主張です。
マグダラのマリアが子供3人を育てられるような財力もないし、元々そういうタイプの女性ではなかったと推定します。アリマタヤのヨセフは議員だったという事、鉱山を所有していたという事もあるし、ユダヤ人の大富豪なので3人を部下の者に面倒を見させて育てるなんて事は雑作なく出来るということで、養子として引き受けた。
その内のヨシュアの方は聖杯家に直接繋がりますので、これはどこに残したか詳しくはわからないにしても、逃れてきたフランスの近辺かどこかに残したと思います。あと、タマルとヨセフをイギリスに連れて行った。これが聖杯をイギリスに運んだという起源であろうとするが、この説には多くのジャンプ、ギャップがある。ヨシュアが聖杯家であろうという仮説1。それから、タマルの子孫にアーサー王と言われているルキウス・アルトリウス・カストゥスという実在の人物がいますね。アーサー王というのは彼の事であるという説です。つまりアーサー王=ルキウス・アルトリウス・カストゥスです。
大体2世紀後半の人だったと思いますけれども実在の人物がいて、彼がタマルの直系の子孫でアーサー王とみなされている人物であると。この子孫が残っているということで、これも僕の仮説なわけです。パーシヴァルと言われる伝説上の人物がタマルの家系であろうと。これも仮説なわけです。そしてこの3人をヨセフが養子にしたのであろうという事も仮説です。この2人【指し:タマル、ヨセフ】をイギリスに連れて行ったという事も仮説で、非常に多くの仮説から成り立っているわけです。そして、そう考えると様々な伝承の辻褄が合い、何を言っているか意味がよくわかるということでこういう風に説明しているわけです。そうすると、養子とは言え、アリマタヤのヨセフの子のタマルからアーサー王が出てきたのだから。
実際にサン・クレア家と今のイギリスの王家が血が繋がっていれば言える事なんですけれど、イギリスの王室というのはアーサー王を先祖とすると主張しているわけです。アーサー王が、結局アリマタヤのヨセフの子孫という形になりますから、ほんとは血は繋がっていないけれど養子という形で繋がっているので。そうするとイギリスにアリマタヤのヨセフの伝説というのがいっぱい後で作られて、聖杯伝説が書かれた。聖杯物語にアリマタヤのヨセフが現れてくるというというような話として筋書きが出てくるというのは無理もないというか、道筋としてはわからないではないという形になるんです。サン・クレア家というのはフリーメーソンのグランドマスターの家系なんです。
イギリスの王室というのは、王家で一番最初にグランドマスター、フリーメーソンですね。所謂、テンプル騎士団ですけれども、その当時フリーメーソンとはまだ言ってなかったかもしれない。後にフリーメーソンと言われる集団の元になったテンプル騎士団の一派がある。テンプル騎士団を庇護して、自らもグランドマスター、或はグランドマスターに近い地位にいたようなのが、イギリスの王家ですから。そうすると、サン・クレア家との関係はある可能性があるんです。そうすると、自分たちはアーサー王の子孫だと名乗るというのはわからないではない。あり得ると思うんです。ただ僕は、どこからそこが繋がったのか。サン・クレア家がイギリスの王家と繋がったのかとか、血筋が流れ込んでいるか、今に続いているかどうか確かめられないでいるんです。というのは、サン・クレア家を探しても出て来ないんです。
ここ【指し:サン・クレア家】の家系図が出て来ないんです。それで調べようがないということで、どうしても今に繋がる王家のそういう血筋の流れというのがわからない。ただ直観的には、いろんなレベルで、今の王家の王子とかいろいろ見ていたら、ああ、この人は間違いなくマグダラのマリアの子孫だなとかというようなのはすぐわかるんですけれども、系図上の繫がりとしては示せないんです。そういった部分があります。ただ、今までこういう仮定をいくつか設定をして説明をしていくと、非常に上手く説明がつくということ。それからマグダラのマリアの子供に、この3人の子供の名前が表記されているというような事は、バーバリアン・イルミナティの所できちんと説明をしたと思います。こういった伝承は残っているという事なんです。
ですからバーバリアン・イルミナティの人達は、この3人を生まれ変わったイエスの子供だとしているみたいで、そういうめちゃめちゃな説を唱えていましたけれど、実際にこういう3人の子供がマグダラのマリアの子孫に存在するという事は、彼らはちゃんと言っているわけです。そういったものを基に組み立てて話をしているわけです。いくつもの仮説で成り立っているんですが、今日取り上げるつもりになった、この横山安由美さんの「アリマタヤのヨセフ」という論文は、聖杯物語と当時の歴史というものを軸に考察していて、アリマタヤのヨセフという人がどんな風に捉えられてきて、それがどういう風に変わってきたかという事をこの論文で示しているんです。
この論文の中で、当時のプランタジネット朝の時代の学者や神学者という人たちが、私が主張している事と酷似しているような内容の事を言っているんです。聖杯物語はそのプランタジネット朝の時代の後に出てくる物です。ですから非常にここが重要な部分であるわけで、私の仮説の、ある意味で言うと裏付けという形で、今日はこの論文を紹介したいと思います。だから、僕はあくまで直観的にものを言っていて、そう考えると説明が上手くつく、いろんな事の内容が、歴史的な事も含めてよく理解出来るという形で説明をしているんですけれども、その裏付けとなる資料が基本的にはないんです。
後で出てくる事が多いんです。講義をしていてその後で調べたら、似たような事が出てくるというような事が結構あるんですけれども、今回もその例であるという事です。それでは実際に中身を見てみたいと思います。こちらを見て下さい。
パルチヴァール 系図,洗礼者ヨハネ,アルトゥース,アーサー王,聖杯,マグダラのマリア,
エヴラウクの息子ペレドゥル,ブランシュフルール,シャトー
ペレドゥルの物語 エヴラウクの息子,パルチヴァール,ペルスヴァル,聖杯伝説
錬金術 性錬金術,クンダリーニ,覚醒,大いなる作業,第一原質
錬金術: 精神変容の秘術 スタニスラス・クロソウスキ・ド・ローラ (著), 種村季弘
p16 錬金術師の石とは何か
性錬金術に必要な「隠された火」とは塩=愛(エロス) 男女の間を調和させる愛
エーテルのレベルの惹かれる愛(エロス)
孔雀の尾の段階とは錬金術師が目指すクンダリーニの覚醒 1.0→2.0
神経叢のチャクラを覚醒する 会陰から天中までのラインを上げていく。
仙道 内丹派,清浄法,伍柳派,煉丹,還虚,小周天,大薬,クンダリニー,丹鼎派,大周天,内丹術,清修派
明快な概念は内丹術がいい
秘法超能力仙道入門―天地に充満する気を練成し超人になる 高藤 聡一郎
基本になるのは内丹派の仙道である。
自分の気だけを使って行う清浄法と、異性の気をも取り入れて行う裁接法がある。
修行の柱は小周天と大周天
修煉は流派によって異なるが、基本的階梯は「築基」「煉精化気」「煉気化神」「煉神還虚」「還虚合道」の五段階。
1築基とは、内丹の行を始めるための基礎を築く準備段階である。(この内容は次の段階に移行しても継続していく修煉である)
肉体面では、気の出入りを管理することで、気のもとになる「精」を増やすことにある。生活サイクルの乱れによる精力の漏出を防ぐ、食生活を改善して食物から充分な精を取り入れるなどを行う。加齢や運動不足等による身体機能の低下は、筋骨を弱め経絡を滞らせ気血の流れを少なくし、精気を減少させる。内丹術では、身体を動かす「気功」などから修煉を始めることが特に推奨されている。
精神面では、修煉を行う時に意識があちこちに分散しないように、また妄想が沸いてそれに意識が振り回されないよう、意識の集中力を高めて心をコントロールする訓練を行う。行為・道徳においては、不正を行わず積極的に良いことを行い、良くない習慣から脱し、徳行に努めることとされている[37]。
2煉精化気は、いわゆる小周天である。周天は古代中国の天文学の用語で黄道360度を意味する[27]。(三 → 二)
小周天とは、築基によって集めた「精」を、内的な火にかけ丹田で煉ることで「気」に変容させて、体の前後の正中線に沿った経絡である督脈と任脈を逆に周流させる技法である[4]。先天的には開通していた奇経は後天的には閉塞していると考えられ、奇経の内の任脈と督脈は全身の経絡の元締めであり、この二脈を通じさせれば百脈みな通じるとされる[27]。流派によってはこの段階で小薬という丹をつくる。
3煉気化神は、大薬をつくりだし神(意識)と結びつける大周天の段階である。(二 → 一)
小周天が完成し気が満ちると奇経が通じて体の全経絡を気がめぐり大周天となり、意識が静まっていくと真息という極めて微弱な呼吸の状態に入る。静の極致に至ると一転して眼耳鼻舌身意の六根が内的な幻の刺激を感じる「六根震動」を生じ、「大薬」という丹が生成するという。更に修煉を続けていくと意識は深くなり真息は胎息となり、精・気・神の三花は聚頂して、大薬は聖胎(陽神)に変容する。
4煉神還虚は、「陽神」を体外に出し、虚空に還す段階である。(一 → 〇)
未だ安定していない本来の自己[4]である聖胎は長く養い三年ほどかけて育てる。陽神(聖胎)は『老子』に基づいて嬰児とも呼称されるが、通常は形や質を備えたものではなく元神である先天の一気そのものである。聚(あつ)まれば形となり散ずれば気となるのが陽神である。時が至れば頭の頂門から外に出し(出神)、少しずつ遠くまで遊ばせる。そして陽神を虚空に還していく[37]。
5還虚合道は、陽神と肉体を「道」と合一させる最終段階である。(〇)
完成した聖胎を肉体に戻して意識をかけ続けると、肉体と本来の面目[21]である陽神はついに形神合一が成って先天の一気と化し、一気は〇に象徴される虚空へ返本還源して、永遠の生命の根源たる「道」に復帰する。
小周天 精(物質、エーテル) → 気(心、プラーナ、エーテル)
大周天+クンダリーニの覚醒 気(心、プラーナ、エーテル)→ 神(意識)
伍柳派の詳細は
1小周天
2大周天
3小薬 採薬といい、気を練って丸い気の塊をつくる ム―ダラーダ・チャクラしか開かない
4大薬 採薬といい、気を練って丸い気の塊をつくる アナーハタまで開く クンダリーニの覚醒
5煉丹 大薬を練り内丹をつくる チャクラを開いていく 1.0→2.0
6養胎 陽神を育てる
7出神・煉神 肉体から陽神を出す
8還虚 タオとひとつになる
小薬の発生
ある程度の期間小周天を行って気を回していると、ある日下丹田に気のボールのような塊ができます。
これが小薬です。この小薬が出来たら、この塊を小周天ルートに再度回し、下丹田に修めます。
調薬
意念と呼吸の力でぼんやりとした感覚の気の固まりをはっきりと感じられるものにしていきます。
煉薬
小周天のルートを日々通すことで強化します。各関所に意念を収集することがポイントです。
採薬
下丹田をスタートとして小周天ルートを回していると、ある日目の前が突然明るく光るようになります。
これは小薬が成熟した合図です。
この合図が来たら意念の集中と呼吸の力は必要なくなります。
止火 意念の集中と呼吸での誘導を止めて、出来た気の固まりを下丹田で静かに温養します。
ここまでくれば小周天は完成、煉精化気の段階は終了し、次はいよいよ煉気化神へと進みます。
第1チャクラ:ムーダラーダ・赤・地のエネルギーで、
安定や忍耐に関わる。尾てい骨にあり、内分泌腺や生殖機能をつかさどる。
第2チャクラ:スワディシュターナ・橙・水のエネルギー。
性器(仙骨)の位置にあり、副腎や腎臓、生殖器や免疫、代謝に影響を与える。
第3チャクラ:マニプーラ・黄・火のエネルギーで、消化力に関わる。
みぞおちにあり、胃や肝臓、胆のう、膵臓、消化器系などに関係する。
第4チャクラ: アナーハータ・緑・風のエネルギーで、与え、いただく力に関わる。
胸にあり、心臓や循環器系、胸腺に深く関わる。
第5チャクラ :ヴィシュッダ・青緑・空のエネルギーで、のどに関連し、コミュニケーションに関わる。
のどにあり、甲状腺や気管支、肺機能をつかさどる。
第6チャクラ:アージュニャー・青・第六感や総合力に関わる。
眉間にあり、左目、耳、鼻、神経系に影響を与える。
第7チャクラ:サハスラーラ・紫・第六感や総合力に関わる。
頭頂にあり、大脳と右目を支配している。
内丹術(ないたんじゅつ)
天地万物の構成要素である「気」を養うことで、自己の身中に神秘的な霊薬である「内丹」を作り、身心を変容させて、道(タオ)との合一を目指す、性命を内側から鍛練する中国の伝統的修行体系である。
概要
内丹術は、行気・導引・存思・胎息などの伝統的な道教の身体技法に着想を得て、人体に内在する根源的生命力である「気」を凝集・活性化し、身心をあるべき様態に戻そうとする修行体系である。
人間は「道」の一部を内包しており、道は日常的身体において気として損なわれる途上にあってその本来性は失われていないとして、修煉を積むことで回復を目指す。
「道」とは「気」を存在させる根源であり理法であり、気は万物を構成する要素とされる。根源としての道は、形而下では気として現われ陰陽五行の運行原理を内在するものとしており、宇宙の万物は気によって構成されて現実に存在できるという世界観が成立する。
内丹術の修煉とは、本来純粋な気を宿して生まれ、生から死への過程で欲望などで損耗しつつある人体の気を「内丹」として再生させ、気としての自己の身心を生成論的過程の逆行、存在論的根源への復帰のコースにのせ、利己たる存在を超えて本来の自己に立ち戻り[4]、天地と同様の永遠性から、ついには道との合一に至るという実践技法である。
修煉の基本原理は、身体を火を起こす炉(かまど)に見立て、丹田を鼎(なべ)とし、意識と呼吸をふいごにして、精・気・神(広義の気)を原料(薬物)として投入することで、内丹を作り出すことにある。修煉理論は、古代から研究されてきた気の養生術を、易経の宇宙論と陰陽五行の複合的シンボリズムと中国医学の身体理論に基づき[5]外丹術の術語を借りて、総合してできあがったものと考えられる。この内丹は、身体を強健にし、生命力を高め、身心に潜在する力を開発し、不老長生、心を統御し、智慧の果を得て、運命を超克することで、道を体現することを可能とする[6]。
中華文化圏において神仙家・道家・医家が密接に関連し影響し合う中で歴史的に形成されてきた、内丹術を中心とする体系的な自己修養の実践と思想の総体を「仙道」「仙学」「仙宗」「丹道」「道家養生学」などと称する。これについて現代日本ではもっぱら「仙道」という呼称が普及している。朝鮮で独自に発展したそれは、当地において「国仙道」と呼ばれている。内丹術は、現代の「気功」の重要な源流の一つとなった[7]。
思想概説
内丹術の思想は、道家の哲学を基盤に、古代の神仙思想を取り込み、禅宗と儒家の思想と実践を融合した世界と人間の本性を究め性命を修める現実重視の哲学体系である[7][8]。
中心概念の「道」は、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指し、道家と儒家で説かれる概念である。『老子』は第一章と第二十五章で、世界の根源である混沌を「道」と呼び、道は天地万物の一切を生みだす霊妙な働きがあるとする。それは「無為自然」で、おのずからそうなるという自然の働きそのものである。第十四章で、道は姿や形はなく目で視ることも聴くこともできないとされる。第一章で、人は無欲であれば道の霊妙な真実を観ることができるが、欲望に囚われていればその表面的な現象を知るだけにとどまるという。第二十五章は、人間も万物と同じく道である自然の運行に法(のっと)り従うことを説いている[9][10]。『荘子』は「知北遊篇」の東郭子で、真実在としての「道」はこの眼前の世界を離れて在るのではなく、万物は道を含み「万物は道のあらわれ」であると説き、道はこの現実世界にこそ在ると示す。「齊物論篇」は、人為による二元的判断を捨て去ってありのままの真実を観れば、人間を含む一切の万物は齊(ひと)しく同じであると「万物齊同」を説き、道は通じて一と為すと「万物の一体」を言う。[11][12]。
もう一つの中心概念である「気」は、儒家、道家および医家などにおける共通の基礎であり、気は「中国思想」の特徴である[13][2]。『老子』第十章は「気を専らにして柔を致(きわ)めて、能く嬰児たらんか」[14]と気の大切さを説き、『荘子』「知北遊篇」は「人の生は気の聚(あつ)まれるなり。聚まれば則ち生と為り、散ずれば則ち死と為る」[15]と、気の集散による死生観を説く。内丹術の世界観は、全宇宙は「気」によって構成されており、人間もまた同様に気から成るという気一元論の立場である。気は物質を構成するとともに生命活動やこころなどの不可視の働きでもあるとする[16]。『易経』は、宇宙の森羅万象を陰と陽が交互に消長する陰陽の変化の過程として説明する一種の自然哲学である。五行の循環によって万物の変化をとらえる五行説と一体化した陰陽五行思想は、宇宙の運行と変化を理解する「概念」(枠組み)とされ、天地万物の一切である「気」の生成変化の事象を説明することに用いられた。気によって成る人間もまた自然と同じく陰陽五行の運行原理に依っている[3]。
『老子』第四十二章の「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」[14]、或いは『易経』繋辞上伝の「太極→両儀→四象→八卦」[17]は、根源からの天地万物の生成論を説く。道家の道の哲学と儒家の太極の哲学は漢代には結び付けられ、また世界の生成を「気」に担わせる思想が学派を超えて中国思想の共通基盤をなしていた。これによって後漢には、根源たる「道」から先天の一気が生じ、一気は陰陽の二気と成り、陰陽二気は交わり沖和の気を生じ、陰陽沖和の三気から万物が生じたとする、「道」と「気」に基づく天地万物の生成論が説かれるようになった[2]。
内丹術は、人間が生成するときの順序も天地万物が化成するときの順序と同様とする。初めに根源としての父母が交わり、先天の一気が起こり胎児が生じ、一気は神(しん、意識)と気の陰陽二気に分かれ、心(しん)と腎が体にそなわり、性(こころ)と命(からだ)がはっきりしていき、精・気・神の三つが備わって万物としての嬰児が産まれ出る。
内丹術は人体の構成要素とされる 精・気・神を三宝(zh)と呼び、受胎時に父母祖先から受け継ぐ「先天」[18]と、出生以後の「後天」[18]に区分する。
人間は産まれ出て、十二正経の経絡が完成すると奇経八脈が閉じ、「本性」である先天の神(本来の意識、元神)が退いて後天の神(自我意識、識神)が用いられ[4]、生命を維持するために食物と呼吸から得る後天の精・気に頼るようになり、次第に先天の精・気・神を漏失する。年齢を重ね青年に達すると、後天の精・気・神は全盛期に達する。情欲が芽生え、邪念は止まず、男女交感し、陰が増えて陽は消えていく。先天たる自然の「本性」(元神)を忘失し、徒(いたず)らに賢(さか)しらに走り性命を損ない自然の調和を乱す。老年に至ると、先天の元陽(先天の精、生命の源)は消耗して尽き、やがて衰えて老いそして死んでいくと死生観を説明する[6][7]。
『老子』第二十五章は「大なれば曰(ここ)に逝き、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反(かえ)る」[14]と万物の循環を説き、『易経』は万物を陰陽魚太極図に示される、陰陽の消長する運動体であるとする。仙学では、宇宙の万物にはすべて生成があれば必ず死滅の終わりがあり、一切が止むことがない生死消長の変化の過程とされ、虚無だけが唯一永久不変不滅のものである。虚の中に物はなく、質も象もないから天地が崩壊しても虚空だけは生死を超越し、崩壊することがない。虚無は「道」である[6]。
☯
陰陽魚太極図
『史記』「高祖本紀」で漢の高祖は「命(めい)は天に在り」といい、運命は天が定めたものであり、人の力ではどうにも動かすことができないという。[19]。内丹学は「我が命は我に在りて天に在らず」として、道より与えられた「運命」と「寿命」は自分の力で管理するものであり、天が定めたものではないと説き、いのちあるものの主体性を尊ぶ。
人間は天地万物と同様の自然の原理で成り立ち、精・気・神(広義の気)を蔵して養い育てることができる。『老子』第十六章は「帰根復命」[20]によって、道への復帰をいう。内丹術はこれらに基づいて、「道生一、一生二、二生三、三生万物」という天地万物の生成の「順行」に対し、修煉によって、「三は二となり一と化し道に帰る」という「逆行」に進むことができるとする。人間においては、神は気を生じ気は精となり精は形を成し子孫を生みだすという「神→気→精」が順行の経路であり、「精→気→神→虚」の逆行が根源への復帰であるとした。これが内丹道の説く天地造化の秘密を奪うことである。この「逆修返源」の方法は「順成人、逆成仙」の原則となり、性と命が虚霊である「元神」(本性・本来の真性[21])にたち帰り[4]、迷いを去り道を得る、万物と感応し道と交わる、永遠の生命たる道まで昇り一体となる修道(中国語版)の基礎理論となった[7]。
歴史概況
道の思想と養生の誕生
『老子』『荘子』の書は春秋戦国時代の作とされている。『老子』は神秘思想を語った章があり日本では哲学と考えられていたが、現在では何らかの修行を伴ったとする研究者が増えている[22][23][24]。『荘子』は道と一体になる手段として「坐忘」「心斎」を説いている[25]。それを承け紀元前から紀元2世紀の『淮南子』までの初期道家で、虚に至る高度な瞑想実践が行われたとする説も発表されている[26]。
『黄帝内経』は春秋時代からの気の思想を受け継ぎ戦国時代から前漢までに完成したと考えられる、人体を対象として深化させた気の医学である。現代の中国医学でも基本とする古典であり[13]、道家思想に基づき陰陽五行思想や天文学を吸収し集大成したものである[27]。医学書と同時に神仙の書として[28]仙道とも密接な繋がりがある。歴史的に医師が道士である例は多く、道教と中医学の関わりは深い[29]。
「中医学」も参照
「行気」は気を行(めぐら)して活力を全身に行き渡らせる術である。戦国初期の出土文物「行気玉佩銘」(zh)[30]には既に行気による養生法が述べられ、導引の発達とともに行気も重視されるようになった。晋代の『抱朴子』「釈滞篇」[31]には房中・服薬とともに三大養生法に挙げられている。梁・唐初期の『養性延命録』は病の箇所に意識で気を導き治療させることを説いている。[27]
「導引」とは身体を屈伸して正気を導き身心を調整する養生術である。春秋時代には既に行われていたと考えられる。1973年に馬王堆漢墓から出土した秦漢代の『導引図』[32][33]には多数の人物による様々な動作が描かれている。後漢の華佗は禽獣の動作を参考に「五禽戯」(zh)を考案した。隋の巣元方(zh)は『諸病源候論』(zh)で治療に導引を用いている。宋初の『雲笈七籤』は多くの導引法を所収している。[34][27]
「存思」は様々な対象を想起して気を操作する技法である。隋代の『諸病源候論』は五臓の病に対して相当する光の色を存思して病を癒す法などが記載されている。宋初の『雲笈七籤』には、神々や洞天福地や日月星辰などを思い浮かべて気を取り入れる法などが説かれている。身中に体内神があたかも存在するかのように存思して長生を図る法が魏晋の上清派の『黄帝外景経』などにみえる。[34][27]
「房中」は男女という陰陽の交わりの術である。1973年に馬王堆三号漢墓から房中術の貴重な文献六点が発掘された。この文献の成立年代は春秋戦国時代にさかのぼるという。漢代には道教に取り込まれ長生の秘術とされた。房中術の「還精補脳」の技法と内丹の関連性を指摘する研究者もいる。房中術は陰丹とも呼ばれた[35]。後代には、房中術を取り入れた系統の「内丹術」も存在する。
詳細は「房中術」を参照
「胎息」は胎児が体内にいた時のように、鼻や口に依らないで気を取り入れることを目標にした呼吸法の一種である。呼吸法の歴史は古く、春秋戦国時代の『荘子』「刻意篇」には「吹呴呼吸、吐故納新」[36]と記されている。胎息は『後漢書』「方術伝」に方術士・王真が行ったとの記述がある。晋の『抱朴子』「釈滞篇」にも具体的な修行の様子が説明されている。宋初の『雲笈七籤』には多くの胎息経が所収されている。[37][27]
外丹の流行と没落
外丹術は金石草木を服用する「服食」と呼ばれる古代の神仙方術のひとつの発展形である。『神農本草経』は中国最古の医薬書とされるが本来の目的は仙薬を求めることにあった[38]。初期は草木中心の仙薬であったが、次第に鉱物から人工的に合成したものを不老不死の丹薬として重視するようになり「外丹術」が発展していった。外丹術の萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』を著した西晋・東晋の葛洪らによって確立した。葛洪は丹砂・金液などの鉱物から合成した丹薬に最上の価値を置く煉丹術を唱えた。後漢の人とも三国呉の人とも言われる魏伯陽(zh)の『周易参同契』[39]は、汞(水銀)と鉛の配合を煉丹の基本とした。この外丹書は易理を用い、陰陽五行の複合的シンボリズムに基づくさまざまな隠語で煉丹の材料や過程を表現している。「鉛汞」といえば煉丹術の代名詞となり、鉛汞を表す青龍・白虎といった術語は後の内丹術に引き継がれた。『周易参同契』は五代・北宋の頃から内丹道の古典とみなされるようになり、内丹の観点から解釈した注釈書がいくつも作られた。
外丹には水銀化合物や砒素化合物が含まれ、強い毒性があったと考えられる。煉丹術の流行により水銀や水銀化合物を服用して逆に命を縮める人が後を絶たなかった。そのため宋代には鉱物性の丹薬を作る外丹術は衰退していき、唐代より次第に重んじられるようになった内丹術が主流となっていった。外丹術は不老長生の薬を作るという本来の目的では完全な失敗に終わったが、中国の医薬学と化学の発展に貢献した。
内丹の興起
内丹術は物理的に丹を作る外丹術から取って代わるように歴史の表舞台に登場した。内丹という語は、南北朝時代の天台宗第二祖南嶽慧思の『立誓願文』に「神丹の薬を足らしめてこの願いを修(おさ)め、外丹の力を藉(か)りて内丹を修めん、衆生を安(やす)んぜんと欲して先ず自(みずか)らを安んずるなり」[40][41][42]と見えるのが文献上の初出とされる。ここでは内丹の語の具体的な意味に言及していないが、仏道修行の援けとして芝草や神丹(外丹)を利用し、自分の生を安んじながら禅の修行(内丹)に邁進しよう、との抱負を述べたものとも解される[43]。また、宋代の『南嶽総勝集』叙[44]に「東晋のケ鬱が内外丹を修めた」との佚文が収載されている。このように、内丹・外丹の別を立てる事例は六朝期にもわずかながらみられるが、まだ内丹の語の定義は決まっておらず、後世と同じ意味での「内なる丹」という概念がいつ頃明確化したのかはよく分かっていない。
文献上知りうる限り、内丹説の骨子は隋代の道士、蘇元朗(zh)によって初めて示されたとされる。『羅浮山志会編』に引かれたその所説には「神丹を心煉に帰する」とあり、すでに性命双修(zh)の思想が表れている。それ以降、内丹は社会に知られることとなり、隋唐期のさまざまな文献に内丹の語が現れるようになった。外丹術が隆盛を極めた唐代には、『上洞心経丹訣』[45]をはじめとして内外丹の双修を説く丹経も多かったが、外丹術は宋代には次第に下火になっていった。これは中毒の事例に対する反省のためとする説もある[46]。それと同時に内丹術が外丹から独立した修行法として確立し、外丹術の衰微と反比例するかのように唐末から宋代にかけて盛んになった。五代の成立とされる鍾離権・呂洞賓の鍾呂派の丹法は、初期の内丹術のひとつの完成した形を示した。経典として『霊宝畢法』があり、『道蔵』太清部に『秘伝正陽真人霊宝畢法』という書名で収められている[47]。その体系は五代の施肩吾の撰とされる北宋の書物『鍾呂伝道集』などに詳しい。後に鍾離権と呂洞賓は全真教の祖師に奉られた。鍾呂派などの本格的な内丹は、先行する行気・導引・存思・胎息などの気の養生術を否定し、内丹説を宣揚する形で登場したが、実際にはそれらの気の技法の組み合わせから総合的に昇華発展したものと考えられている。北宋期には、儒仏道が影響を与え合う三教融合の思潮の時代[48]に禅宗の見性の考え方を取り入れて、紫陽真人張伯端が『悟真篇』(zh)を著し、性命双修を提唱した。この丹経は『周易参同契』と並ぶ内丹の古典となり、南宋以降に北宗・南宗などに分かれる内丹道に規範として影響を与えた[49]。
内丹の発展
道との合一を表現した『虛空粉碎圖』
金代の王重陽は打坐と内丹を取り入れて全真教を興し、後に北宗(zh)(北派)と呼ばれた。修養は先に性(精神)の修行から始め、次に命(身体)を修煉する先性後命の丹法である。北七真(zh)と称される王重陽の七人の高弟からは丘長春が北宗の最大流派となる龍門派(zh)の祖となった。明末と清代には龍門派より伍守陽(zh)と柳華陽(zh)を輩出し、その独自の丹法から伍柳派(zh)と呼ばれた。これら北派の系譜は内丹道で最も修煉者が多いとされる。先命後性の丹法を創始した張伯端を初代とする五名は南五祖(zh)と称され、この道統は後に全真教の南宗(zh)(南派)と呼ばれるようになった。元代には、李道純(zh)が儒家の所説を大きく取り入れた中派(zh)の内丹道の流派を開いた。明代には各地を雲遊し武当山を主たる本拠地とした張三丰(zh)が三丰派の、神交法の丹法の陸潜虚(zh)が東派(zh)の祖となった。清代には李涵虚(zh)が神交法の西派(zh)を創始した[7]。以上の代表的な流派の他に、支派・分派などを含めて多くの流派がある。
現代の「気功」は内丹術の理論と技術の基礎の一部分が提供され変化したものであり、内丹術は気功の重要な源流の一つとなった。
近現代と日本
20世紀前半の民国時代には、後の1961年に中国道教協会会長となる全真教龍門派の学者、圓頓子陳攖寧(zh)が内丹仙学を提唱した[50]。1960年代から1970年代は、文化大革命により伝統文化は否定され、大陸の多くの道観は破壊されて道士の大半は還俗させられた。1980年代以降は徐々に復活しているものの、共産党政府の厳しい統制下にある[51]。
1953年の劉貴珍の『気功療法実践』の出版を契機として、気の養生術が政府の指導の下で「気功」と命名され近代化して復活した。文革による中断を挟みながら1970年代後半から中国で広まっていった。中国全土では古来の多彩な気の技法が気功の名称に統一されて出版紹介と普及を始め、1980年代から1990年代は気功の花開いた時代となった。内丹道では、密かに道士より法嗣と認められた龍門派の王力平(zh)が1980年代からその一端を公開した[52]。しかし1999年の法輪功事件以後、中国政府は新たに制定した健身気功を含む一部の認可した気功以外を禁止として自由な活動を制限したため、中国の状況は以前とは程遠いものとなったが[51]、内丹の修煉を隠れて続けている実践者はいるだろうとしている[7]。
上海仙学院で陳攖寧の教えを受けた虞陽子袁介圭は内丹仙学を台湾に伝えた[53]。日本では1970年頃、台湾人の秦浩人が三峯派の房中派内丹術を日本語の書籍で紹介した[54]。秦浩人の著書を読み、付属の資料を参考にして台湾の「清修派」の内丹仙学の実践家と接触した高藤聡一郎は、1970年代後半から1990年代に内丹術に関する参究書を大陸書房と学習研究社などより発表し、仙道ブームを起こした。また、日本軍の諜報・宣撫活動のため中国で道士となり恒山で修煉し、第二次大戦終戦直後に当時の白雲観の観首に口訣を授けられたという田中教夫(五千言坊玄通子)が、日本に帰国後、「仙道連」という修仙の会を開いた[55]。こうしたことから現代日本では、内丹派の煉丹術を中心とした修行法を「仙道」と呼ぶことが多い。
修煉要旨
内丹術の修煉は流派によって異なるが、基本的階梯は「築基」「煉精化気」「煉気化神」「煉神還虚」「還虚合道」の五段階である。
築基とは、内丹の行を始めるための基礎を築く準備段階である。(この内容は次の段階に移行しても継続していく修煉である)
肉体面では、気の出入りを管理することで、気のもとになる「精」を増やすことにある。生活サイクルの乱れによる精力の漏出を防ぐ、食生活を改善して食物から充分な精を取り入れるなどを行う。加齢や運動不足等による身体機能の低下は、筋骨を弱め経絡を滞らせ気血の流れを少なくし、精気を減少させる。内丹術では、身体を動かす「気功」などから修煉を始めることが特に推奨されている。
精神面では、修煉を行う時に意識があちこちに分散しないように、また妄想が沸いてそれに意識が振り回されないよう、意識の集中力を高めて心をコントロールする訓練を行う。行為・道徳においては、不正を行わず積極的に良いことを行い、良くない習慣から脱し、徳行に努めることとされている[37]。
煉精化気は、いわゆる小周天である。周天は古代中国の天文学の用語で黄道360度を意味する[27]。(三 → 二)
小周天とは、築基によって集めた「精」を、内的な火にかけ丹田で煉ることで「気」に変容させて、体の前後の正中線に沿った経絡である督脈と任脈を逆に周流させる技法である[4]。先天的には開通していた奇経は後天的には閉塞していると考えられ、奇経の内の任脈と督脈は全身の経絡の元締めであり、この二脈を通じさせれば百脈みな通じるとされる[27]。流派によってはこの段階で小薬という丹をつくる。
煉気化神は、大薬をつくりだし神(意識)と結びつける大周天の段階である。(二 → 一)
小周天が完成し気が満ちると奇経が通じて体の全経絡を気がめぐり大周天となり、意識が静まっていくと真息という極めて微弱な呼吸の状態に入る。静の極致に至ると一転して眼耳鼻舌身意の六根が内的な幻の刺激を感じる「六根震動」を生じ、「大薬」という丹が生成するという。更に修煉を続けていくと意識は深くなり真息は胎息となり、精・気・神の三花は聚頂して、大薬は聖胎(陽神)に変容する。
煉神還虚は、「陽神」を体外に出し、虚空に還す段階である。(一 → 〇)
未だ安定していない本来の自己[4]である聖胎は長く養い三年ほどかけて育てる。陽神(聖胎)は『老子』に基づいて嬰児とも呼称されるが、通常は形や質を備えたものではなく元神である先天の一気そのものである。聚(あつ)まれば形となり散ずれば気となるのが陽神である。時が至れば頭の頂門から外に出し(出神)、少しずつ遠くまで遊ばせる。そして陽神を虚空に還していく[37]。
還虚合道は、陽神と肉体を「道」と合一させる最終段階である。(〇)
完成した聖胎を肉体に戻して意識をかけ続けると、肉体と本来の面目[21]である陽神はついに形神合一が成って先天の一気と化し、一気は〇に象徴される虚空へ返本還源して、永遠の生命の根源たる「道」に復帰する。
周天を表現した『六候圖』
人間は、目に見える物質としての肉体と、目に見えない精神という二つの要素が密接に関連し合うことにより生命活動が営まれている。性(意識)と命(身体)は根源である道が具現化した先天の一気から作られたものであり、二つは別々のものではなく本は一つであり、性と命は本来分かち難く必ず併せて修煉しなければならない。これを性命双修という。
内丹術や気功の重視する精・気・神[4]は広義には同じ気で様態の違いとしており、他の修行体系にある複数の身体が層や次元をなして存在する身体観とは異なった、中国伝統の一切を気とする一元的身体観である[16]。
修煉は、一般的に個人で行い「禁欲」を原則とする「清修」である。基本的には結跏趺坐などの「坐法」で脊柱を上へ伸ばし、命門を開き、臍下に手を重ね置くスタイルを取る。この際、内視(半眼微笑で丹田を内側から見下ろす)を行うことや、男性は左手を、女性は右手を上に重ねておくなどといった細かい要訣がある。男女の身心の違いから修煉法が異なるという(男丹・女丹)。本来は意念を使わず、入静状態の中で僅かに丹田を診る(聞く)のみだが、近代にはイメージ等を使って功を早める方法をとる流派が多く誕生している。しかしイメージ等を使う場合は偏差になる危険性が多く、伝統的流派では否定されている。
内丹術は一般に静かに心を落ち着けて坐禅のような静的姿勢で修煉を行う。これを「静功」と呼ぶ。心と体は静かで、気は動いていなければならないとして「外静内動」という。静功は心を静かにさせ意念を高めやすいが、気を強化することは難しい面がある。一方、身体を動かすことを主体とする気功や導引は、動作によって内気の運行を促進する。筋骨は精気から形づくられたものであり、経絡を構成して気血を流通させる。筋骨を鍛えることは精気を強め、肢体を動かすことは経絡をよく開いて気の疎通をはかどらせる効果がある。この時、体は動いても心は静かであることを求めるので「外動内静」という。静を主体とする功法と、動を主体するものは単独では不足する面があり、両者を修煉することで効果を高めることができる。陳泥丸の丹書『翠虚篇』は、動中に静を求めて、静中には為すこと有り、として動静を共に行い掌握することを説いており、内丹術での「動静結合」を要求している[56]。
「道」とは気の根源であり、「気」を媒介にして道は感じ取るものとしており、「道」とは「自力」で究めていくものであるとして、禅や気功の修行と同様に信仰は必要とされていない[57]。
仙道:房中術・体交法1 伍柳派,煉丹,還虚,丹派,小周天,大薬,修行法,錬金術,流派
房中術のエッセンス
仙道錬金術 房中の法―真の達人(アデプト)へと変身する究極の仙道最奥義! 高藤 聡一郎
独創的で名著
p40 房中術は、その接触形態から体交と神交に分かれる。
「錬金術」の最後に3つの道がある、と書いてある。
乾いた道(神交)、湿った道(体交)、電光法(クンダリーニ・ヨーガ)である。
p44
神交法 ともに修行していって、ともに利益を得る
上乗法 相手の体を損ねないまでも、己のみが利益を得て、相手の気をどっさり奪う
体交法 中乗法 たまたま相手を損ねることがあっても、自分は接した分の利益を得る。
本物の房中術を知っているのは竹下のみ
房中術
中国古来の養生術の一種。房事すなわち性生活における技法で、男女和合の道である。
房中術は古代中国から続く養生術の1つである。中国の宇宙観を表す『易経』の繋辞上伝には「易に太極あり。太極から両儀が生じた」とあり、宇宙の根源である太極から両儀(陰陽)が生じたとしている。
「易」という漢字は日(陽)と月(陰)を組み合わせた会意文字で、昼と夜の移り変わり、変化を表すとともに陰陽も象徴している。陰陽は陰あっての陽、陽あっての陰、一対であり両儀(連れ合い)で切り離すことができないとされる。繋辞下伝には、「男女(陰陽)の精が一つになって万物が生まれ出る」と書かれており、万物の生成論を説いている。
中国の自然哲学である陰陽思想と五行思想が一体化した陰陽五行思想は、宇宙の森羅万象のあらゆる現象は陰と陽の結びつきによって成り立つと説明する。陰陽が平衡を欠けば消長盛衰し、調和すれば秩序が保たれる。天地万物の一つである人間もまた同じ陰陽の原理に従っている。一箇の人間もその中に陰陽があり、陰陽の調和があれば秩序ある生活ができ、平衡を欠けば病となる。男女においては男を陽に女を陰とする。天地万物の陰陽が調和して万物が生成されるのと同様に、男女の交わりが陰陽の規律にのっとることは、自然の理にかなうと考えられた。
『漢書』「芸文志」方技略に付されている房中の解説に、房中術の要点が記されている。「楽しみに節度があれば、心は穏やかで長生きできる。おぼれて顧みなくなれば病が生じ、いのちが損なわれる」[4]。房中術には様々な性行為の技法が含まれているが、女性が十分に興奮した状態で交わること、男性は快楽に身を任せず精(精液のことではなく気の一種)を漏らさないように交わることが随所で説かれている。
本来の房中術は、性という人間の必須の行為に対して節制を保ち、おぼれることなく適度な楽しみとし、無用に精をもらさないことで身体を保養し、男女の身心の和合を目指すものであった。
歴史
1973年、中国湖南省長沙市の郊外、馬王堆三号漢墓から、大半の書名すら現代に伝わっていなかった貴重な文献が発掘された。その中には、房中術と性医学を主題にした書物が六点含まれていた。『十問』、『合陰陽』、『天下至道談』、『胎産書』、『養生方』、『雑療法』である。馬王堆から出土した文物類には、戦国の七雄、楚の特色が見られる。このため馬王堆文献の成立年代は、埋葬当時の前漢初期より古く、戦国時代と推定されているが、更にさかのぼり春秋前期(前700年頃)、あるいはそれ以前かもしれないと言われている[3]。
房中術は後漢末の張道陵の五斗米道(天師道)に取り込まれ、唐代編纂の『隋書』「経籍志」に経典が道経に属するものとされた[5]。以降、道教の不老長生のための養生術の一つにされた。
古代中国の性典のほとんどは中国では散逸したが、日本で編纂された平安時代の医書『医心方』「房内篇」には『素女経』『洞玄子』『玉房秘訣』などの中国の房中書が引かれている。葉徳輝はそれらの房中書の復元を試み、1907年に『双梅景闇叢書』として刊行した。オランダのファン・フーリックは中国古代の房中・性医学の文献をまとめ1951年に『秘戯図考』、1971年に『中国古代房内考』を出版した[6]。海外の研究や馬王堆漢墓からの古代資料の発見などを契機として、中国での学術的研究が始まったのは比較的近年のことである[3]。
房中術と儒家
『漢書』「芸文志」の「方技略」には房中八家の書、八種類が挙げられている。『容成陰道』、『務成(堯の師)子陰道』、『堯舜(堯・舜は儒家の聖人天子)陰道』、『湯・盤庚(湯は殷の初代天子、盤庚は同十九代天子)陰道』、『天老(黄帝の七輔の一人)雑子(雑多な諸子)陰道』、『天一(天乙に同じ、湯王のこと)陰道』、『黄帝(上古の聖人天子)三王(夏の禹王・殷の湯王・周の文王)養陽方』、『三家(三皇か、三皇は天皇・地皇・人皇ほか諸説あり)内房有子方』。これらの書名には人名を冠しており、そのほとんどが儒家の理想とする聖人である。
道徳的な印象の強い儒家において、房中術が結びつくのは儒家の「孝」の論理からである。『孟子』「離婁上篇」に「不幸に三あり。後(のち)無きを大となす」[7](親不孝には三つある。そのうち子孫がないというのが最も重大な不孝である)とある。儒家は子孫が絶えることは、祖先に対する祭祀が絶えることであり、父母への孝養が尽くせなくなることを意味する。そうならないためには、子をもうけることが大切であるとされ、房中術は儒家において本来は否定されるものではないとされた[8]。古代から現在に至る中国の人間関係と社会組織の基盤をなす宗族制においても、健全な嫡子を生むことが宗族のなお一層の繁栄につながることも房中術の存在する根拠の一つであった[4]。
宋代になると、儒家に理学(朱子学)という新しい哲学大系が生まれ、宇宙(天)の原理と人間の本性を究明しようとした。ところがこの理学の「存天理、滅人欲」(天の理にしたがい、人の欲をなくす)の思想は、房中術を誨淫の書とみなすようになり、それまで存在した房中書の大半は散佚していった。房中術は単に快楽だけを求める淫猥な性の技巧だと誤解を受けるようになり、一般に知られる房中術は実際にそのように変化していき、世間から影を潜めた。本来の房中術は道教のいくつかの流派に秘術として受け継がれるだけになった。理学のこの思想の社会的影響は現在にまで続き、中国ではみだらな文物に対する厳しい目が存在する[3]。
房中術と道教
『漢書』「芸文志」では医術と神仙術の中間に位置するものとして房中術は一家をなしていたが、そのあとを受け継ぐ図書目録である『隋書』「経籍志」では一家を立てておらず、付録されている道教書の解説「道経」に「房中十三部、三十八巻」と記載されており、後漢末の頃から次第に房中術を含む方術は、道教に属するものとみなされるようになっていった[4]。道教における房中術は長生術のひとつである。その目的は精を愛(お)しみ気を蓄えることで延年益寿・不老長寿を目指すことにあった[9]。
後漢から三国・晋にかけて房中術は方術の一つとして流行しており、『後漢書』には方士の伝記が集められている。そこにみられる左慈は『全三国文』(『典論』)8巻論郤倹等事[10]、曹植の『弁道論』[11]においては房中術をよくしたとされている。方士は初期道教が成立すると次第にそこに受け入れられることとなった。後漢末には最初の道教教団である太平道と五斗米道が興り、太平道はすぐに滅びたが五斗米道は方術による教化をはかった。五斗米道では房中術は黄赤の道とも呼ばれ、入信儀礼であると同時に男女陰陽の気の交流と天地の気を交わらせることによる一種の救済儀礼でもあった[4]。東晋の葛洪は『抱朴子』で不老長生の術を著し、外丹の服用に最上の価値を置いた。行気や房中術は外丹には及ばないが治病長生の効果があるとした。房中術については、人は陰陽の交わりを絶ってはならず、陰陽が交わらなくなると気が滞り病気になりやすく長生できなくなると、その効果を説いている。『抱朴子』に引かれている十種類の房中書は散佚してしまったが、その一部が馬王堆文献や日本の『医心方』と六朝期の道士である陶弘景の養生書『養性延命録』に引用されている。唐代の医家・道士の孫思邈が百九歳の時に書いたとされる医薬養生書『千金要方』は薬の処方や養生術を説いており、房中については特に四十歳以上の人には欠かせないものだとしている。その要点は、淫蕩に耽って快楽を追い求めるようなことはせず、節制して養生と体力の強化に努め、交わるには女性を心ゆくまで楽しませ補益することであると書かれている[3]。
道教内では新天師道を創始した北魏の寇謙之は房中術を否定するなど、その扱いは一様ではなく[4]、本来の意図から外れて淫猥に流れやすいことから実際にそのような行動を起こすこともあったらしく[9]、肉体を不浄として性欲に否定的な仏教側からの批判や宋代の儒家の認識の変化などの社会情勢によって、房中術は道教でも表立って行われなくなっていき一部に秘術として残るだけになっていった[3]。
房中術と内丹術
唐代以降、行気や存思などの道教の養生術から、従来の煉丹術である外丹術とは異なる内丹術という修行法が発達したが、これと房中術の還精補脳の技法との関連性を指摘する研究者もいる。房中術は陰丹とも呼ばれた[12]。
後代の内丹法は、清修派と双修派の丹法に大別される。「禁欲的」で一人で行う単修法が「清修派」で、中国の修行者のほとんどはこの丹法である。そして「房中術」を取り入れたのが、男女の二人で修行する「双修派」の丹法である[13]。双修派の丹法は、その接触形態から二つに分かれる。男女が「肉体的」に交接することで気を循環させる「体交法」と、肉体の交接をせず「神(意識)」のみで行う「神交法」である。
「体交法」は、「肉体的」交接により気のやりとりを行い、気の循環を図る。気のやりとりの無いものは通常の性的行為であり、内丹法としての房中術ではないとされる。体交法は、交接により男女の「双方」で気のやりとりを行うが、効果を出すためには双方ともみだりに精を漏らしてはならないとする。他に、男女の片方が一方的に気を奪い取る「玉女採戦」があるが、奪われる側は体をひどく損ねるとされ問題視された。
「神交法」は、隔体神交法とも呼び、肉体での交わりはせずに離れた所から互いに「神(意識)」だけで気のやりとりを行う。要点は、男は衣をゆるめず、女は帯をとかず「男不寛衣、女不解帯」。神明のごとく敬い、父母のごとく愛せ「敬如神明、愛如父母」。つまり、厳粛実直の気持ちで、相手に対し父母に対するがごとく淫念を持たず愛し、相手から離れて静かに向かい合って意識で気を交わらせる、とされ体交法よりも効果が高いという[13]。
歴史的に、金代の王重陽に始まる北宗は、禁欲を説く清修派の丹法である。北宋の張伯端に始まる南宗は、清修派を主流とし双修派神交法の系統もある。明清代の双修派の丹法は陸西星の東派、李西月の西派が代表的であり、神交法である[13]。その他に、男性のみが一方的に女性の気で自らを補う単修法の房中術もある。この玉女採戦の技法は三峯採戦の術とも呼ばれた房中術の方法と結びつけられ、三峯派と称される。三峯派の開祖は張三峯とされるが、太極拳の創始者に仮託された張三丰とは別人だという[12]。
中医学と性養生
歴史的に道教と関連しながら発展してきた[14]中医学は現代医学とは異なる生命観、医療観を持っている。病気を治療する「治療医学」に加えて、病になる前の段階で治療すべきであるという予防を主体とした「未病を治す」医学思想を主張してその特徴の一つに挙げている。それは養生(生を養う)を行うことで自然と調和した生活を送り、年齢に見合わない老化を防ぎ寿命を全うすることを目的とする。具体的方法は、一つ目は医食同源という言葉のある「食養生」で、食物から得られるものは、精になり気となって体を巡りながら身心を形づくり保養するため、この食事の摂り方を改善するものである。二つ目は「気功」であり、一定の動作を伴った功法などによって気血の流れを改善し身心の好調を保つ方法である。そして三つ目が「性養生」で、中医学では性生活と健康との関係を重視しており、理にかなった性生活は身心を健康に保つが、誤った性生活は精を浪費し、気を消耗して、健康を大きく損ねるとされる。それを防ぐための技法や精の衰えを防ぐ漢方薬などの手段を持っている[15]。
脚注
^ 繋辞上伝「易有太極、是生兩儀」。本田済『易』朝日新聞社〈朝日選書〉、1997年。
^ 繋辞下伝「男女構精、萬物化生」。本田済『易』朝日新聞社〈朝日選書〉、1997年。
^ a b c d e f 土屋英明『道教の房中術』文藝春秋〈文春新書〉、2003年。
^ a b c d e 坂出祥伸『道教とはなにか』中央公論新社〈中公叢書〉、2005年。
^ 天師道と房中術 Tianshi-dao and the Sexual Art
^ ファン・フーリック『古代中国の性生活』せりか書房、1988年。
^ 離婁上篇「孟子曰、不孝有三、無後爲大」。小林勝人・訳注『孟子 (下)』岩波書店〈岩波文庫〉、1979年。
^ 大形徹『不老不死 仙人の誕生と神仙術』講談社〈講談社現代新書 1108〉、1992年。
^ a b 野口鐵郎、坂出祥伸、福井文雅、山田利明『道教事典』平河出版社、1994年。
^ Wikisource reference 曹丕. 全三國文/卷8#.E8.AB.96.E9.83.A4.E5.84.89.E7.AD.89.E4.BA.8B. - ウィキソース.
^ Wikisource reference 曹植. 曹子建集/卷十#.E8.BE.AF.E9.81.93.E8.AB.96. - ウィキソース.
^ a b 野口鐵郎・主編『講座 道教 第三巻 道教の生命観と身体論』雄山閣出版、2000年。
^ a b c 李遠国『道教と気功』人文書院、1995年。
^ 福井康順、山崎宏、木村英一、酒井忠夫『道教 第二巻 道教の展開』平河出版社、1983年。
^ 張有寯主編『実用中国養生全科』地湧社、1991年。
仙道:房中術・体交法2 仙女,クンダリニー,小周天,仙人,不老不死,赤化,白化,陽神,大周天
仙道錬金術 房中の法―真の達人(アデプト)へと変身する究極の仙道最奥義! 高藤 聡一郎
ムーダラーダ・チャクラにクンダリーニが3回半とぐろを巻いて眠っている。
小周天を30分で3回まわせるようになったら次の半周で天頂で大周天が起こる。
大周天が終わるとチャクラをムーダラーダまで下ろすとチャクラが開きエクスタシーを感じる。
これがコクカ止火?
クンダリーニ上昇過程で現れる仙女・仙人
p170 虚空より仙人・仙女が現れて仙道を伝授する。
小周天
大周天
小薬 採薬といい、気を練って丸い気の塊をつくる ム―ダラーダ・チャクラしか開かない
大薬 採薬といい、気を練って丸い気の塊をつくる アナーハタまで開く
陽神 大薬を練り内丹をつくる 後はクンダリーニが覚醒して勝手にサハスラーラに到達する 1.0→2.0
出神 肉体から陽神を出す 幽体離脱のように旅することができる。
還虚 タオとひとつになる
小薬の発生
ある程度の期間小周天を行って気を回していると、ある日下丹田に気のボールのような塊ができます。
これが小薬です。この小薬が出来たら、この塊を小周天ルートに再度回し、下丹田に修めます。
調薬
意念と呼吸の力でぼんやりとした感覚の気の固まりをはっきりと感じられるものにしていきます。
煉薬
小周天のルートを日々通すことで強化します。各関所に意念を収集することがポイントです。
採薬
下丹田をスタートとして小周天ルートを回していると、ある日目の前が突然明るく光るようになります。
これは小薬が成熟した合図です。この合図が来たら意念の集中と呼吸の力は必要なくなります。
止火 意念の集中と呼吸での誘導を止めて、出来た気の固まりを下丹田で静かに温養します。
ここまでくれば小周天は完成、煉精化気の段階は終了し、次はいよいよ煉気化神へと進みます。
陽神の段階でアージュニャーのチャクラまで昇ってくると仙女が見えるようになる。
第1チャクラ:ムーダラーダ・赤・地のエネルギーで、
安定や忍耐に関わる。尾てい骨にあり、内分泌腺や生殖機能をつかさどる。
第2チャクラ:スワディシュターナ・橙・水のエネルギー。
性器(仙骨)の位置にあり、副腎や腎臓、生殖器や免疫、代謝に影響を与える。
第3チャクラ:マニプーラ・黄・火のエネルギーで、消化力に関わる。
みぞおちにあり、胃や肝臓、胆のう、膵臓、消化器系などに関係する。
第4チャクラ: アナーハータ・緑・風のエネルギーで、与え、いただく力に関わる。
胸にあり、心臓や循環器系、胸腺に深く関わる。
第5チャクラ :ヴィシュッダ・青緑・空のエネルギーで、のどに関連し、コミュニケーションに関わる。
のどにあり、甲状腺や気管支、肺機能をつかさどる。
第6チャクラ:アージュニャー・青・第六感や総合力に関わる。
眉間にあり、左目、耳、鼻、神経系に影響を与える。
第7チャクラ:サハスラーラ・紫・第六感や総合力に関わる。
頭頂にあり、大脳と右目を支配している。
男女の融合から現れる陽神の
p218 房中術あるいは錬金術をやっている人において、徐々に2つの原理の統合が始まる。
あるに人においてそれは、単なる意識の変容だけかもしれない。しかし、ある人においては、まさしく男女の姿を持ったイメージが出現し、統合が行われる。
房中術・男女双修功1 性エネルギー,道家
房中術の体交法の秘伝開示 男女双修功
房中術 南風老師 男女双修功
権力者だけに密かに伝授された性の技法
中国8千年の歴史の中で、今日までまったく世に出ることがなかったものがある。
それは「性功夫」と呼ばれる性交時に射精を抑制する方法である。宮廷に使える道教の聖人が考案し、皇帝と権力者だけに密かに伝えられ採用されてきたために、一般には伝わることがなかった。
奥義は言うまでもなく、射精の快感にまさる長時間持続可能な性の高まりの間中、一滴の精液の喪失もないということである。
性の満足を感じる度に、性エネルギーが蓄えられて、生殖器官から湧いて流れるエネルギーの流れを意識できるようになる。
男女の肉体が発電機の働きをして、幸福の瞑想の内に、異性との間に陰と陽とのエネルギーの循環と交換が成立する。人類の愛情の表現である生殖活動を保証するこの性エネルギーは人類の進化の原動力である。
房中術
南風老師 南風老師のHP 翻訳によるテキスト。
交接法によるものなので仙道で大周天目指す人には修行の妨げになります。
精力絶倫を目指す人はやってみてください。
1回5時間20日連続とかが可能になるそうです。
チベット密教 行法,灌頂
タントラ密教の説明
神秘 チベット密教入門 高藤聡一郎
p118-125
チベット密教の体系
大きく分けて次の4つの体系から成る
事部 作密→所作マントラ 初期の成立期の民間の呪術
行部 修密→行タントラ 体系化
瑜伽部 瑜伽密→瑜伽タントラ 金剛頂経などのようにさらに詳細に体系化
無上瑜伽部 無上瑜伽密→無上瑜伽タントラ チベット密教 性タントラを扱っている
作密は直訳すると「行為の伝承」のこと
「壇を設け、仏、菩薩、神、鬼などを招来し、経や咒を誦え、印を結んで儀式を行う」
呪術的なものだけが中心課題だった時代の密教、と考えたらよい。日本の密教でいう雑密に相当する。
修密は大日経で説かれている世界を行の体系としたものをいう。呪術的密教が大乗仏教の哲学で体系づけられたものと考えたらよい。胎蔵曼荼羅
無上瑜伽密はインドのシャクティー派からもってきたもの、男女が交合してクンダリーニを覚醒して悟りを得る
時代が下ると一般からは隠すものになっていく
現在、無上瑜伽の行は、生起次第系、円満次第系(究竟次第系)の2つに分かれる。
生起次第系とは、日本の密教でもやっている曼荼羅の観想法に非常に似た行である。 円満次第の前行。
円満次第系は道教、仙道と同じで、肉体の中に気脈・明点(チャクラ)という不思議なものを開発していく。
氣の流れのコントロール法である。
チベット密教の最奥義が道教の初歩(睾丸呼吸法や陰嚢圧縮法)になる。
立体曼荼羅の正体
チベット密教はできれば関わらないほうがいい。
理由は、大日経の曼荼羅瞑想法を外から見たり、内側に入って王様になった気持ちで外側の様子を臨場感とともにありありと視覚イメージ化する。
実際にやっていることは、死後にその世界に入り込むためである。
視覚イメージ化することで、この世の権力者(政治・宗教)の宮殿に転生する方向につながり、 この地球、すなわち地球の輪廻から離れることができなくなり、絶対に解脱できなくなるからです。
チャンダーリーの火 チベット密教,ナーローの六ヨーガ,呼吸法,観想
チャンダーリーの火 チベット密教はこれをクンダリーニと誤解している
しかし内容は南風老師の教えそのもの
無上瑜伽の究竟次第のプロセスは、まずは左右の氣道を流れる氣を中央氣道(督脈)に入れるための方法である。
臍のニルマーナ・チャクラにあるチャンダーリー火を燃やし、覚醒した生命力を中央氣道に入れるのである。
チャンダーリーの火の修業によって、覚醒した生命力が中央氣道(督脈)に入り、とどまり、チャクラに溶け込むというプロセスによく熟達したならば、それによってボーディチッタ(精液)を漏らすことなく留めることができるようになる。
意図的に独習できないようにわかりにくく書かれている。
エネルギーを丹田から会陰に降ろすことは意図的に書かれていない。
壺の呼吸法
ララナーとラサナーの2つの管を通してプラーナを吸い込み、この2つの管がプラーナでいっぱいになったと観想する。そしてその2つの管のプラーナが、臍の少し下の3本の氣道の合流点から、中央氣道に入ったと観想する。
ツァンダリー チベット密教
ツァンダリーとは無上ヨーガ瞑想法の一つ。もともとは「熱」を表す言葉、クンダリーニのこと。
チベット密教の最奥義
チャンダーリーの火の点火
4つのチャクラに文字を観想します。これによって氣を集めます。
性器のチャクラの気が臍のチャクラのア字に光明をともらせます。
つまり、臍の部分の気を増大・圧縮するようにします。
光明が上昇し、3つのチャクラの種子、心臓(フーム)、喉(オーム)、頭頂(ハム)を溶かします。
融解した文字は下降して、臍のア字と一つになります。つまりチャクラ(心滴)を融解し、その液を臍に集めるようにします。
臍のチャクラの中にある「赤い心滴」に集中すると、炎がともります。炎は中央管を上昇し、頭頂のチャクラの中にある「白い菩提心の心滴」を溶かします。
その融解液(甘露)は下降して、4つのチャクラを通る時に歓喜を感じます。
これは順観の「四歓喜」と呼ばれる。
臍のチャクラのア字に集中すると、チャンダーリーの火はますます燃え上がり、再上昇して4つのチャクラで逆観の「四歓喜」を体験します。
歓喜を体験する時、言葉のない意識状態になるので、「空」の認識と結びつけて、「楽空無別の智慧」と呼ばれる知恵を得ます。
ヘーヴァジュラ・タントラが出典。
4つのチャクラは上から順に
大楽輪 mahāsukha cakra (頭)
受用輪 sambhoga cakra (喉)
法性輪 dharma cakra (胸)
変化輪 nirmāna cakra (臍)
という名前をつけています。
このおのおのに
大楽輪(頭) → 倶生歓喜 sahaja ānanda 倶生歓喜 「それらとは異なっている」
受用輪(喉) → 離歓喜 virama ānanda 離喜歓喜「すべての欲望を離れることによる歓喜」
法性輪(胸) → 最上歓喜 parama ānanda 最勝歓喜
変化輪(臍) → 最初歓喜 prathama ānanda 歓喜 性的な快感に似ている
「倶生」というのは「生まれながら」という意味で
法身 dharmakāya
真如 tathatā
無住処涅槃 apratisthita nirvāna
と同義語だと書かれている。
秘伝 チベット密教奥義 高藤聡一郎 p98-100
宝瓶気法
ガーギュ派では内火発生に欠かせないものとみなす。
吸法 吸った息を下腹の密(丹田)部まで意識で導いていく。下腹まで下ろしたら意識で上から圧力のようなイメージをかける。次いで体の最下部から気が上昇してきて、下から圧力がかかるとイメージしていく。
満法 体内に取り入れた気を止めておくことを指す。止めておく時間は我慢できるまでである。
消法
矢法
月液への変化と降下段階
1 頂輪において発生する月液 頂輪にフーム字をイメージする。
この字が火の熱により溶けて、液体状のものに変化する。これは上昇してきた火とは違い、涼しくスカーッとした感じがする。液体が頭頂から下がっていく様をイメージしていく。
2 喉輪への月液の降下 さらなる10息とともに、月液は喉輪に下ってそこを清涼感で満たす
3 心輪への月液の降下 さらなる10息とともに、月液は心輪に下ってそこを清涼感で満たす
4 臍輪への月液の降下 さらなる10息とともに、月液は臍輪に下ってそこを清涼感で満たす
5 全身への月液の降下 さらなる10息とともに、月液は全身に広がり、手足の末端まで清涼感で満たす
サンスクリット語の「hūṃ」で、漢訳では「吽」等と書かれる。『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』にも見える呪句で、「h」はシヴァ、「ū」はバイラヴァを、「ṃ」は、不幸や苦痛を駆逐することを意味する語、または「hetu(因縁)」+「ū(損減)」+「ṃ(空点)」からなり、菩提心の損減を空ずるつまり菩提心堅固をあらわし、それによって魔を畏怖させる意をあらわす語とされる。「大力」・「警覚」・「恐怖」・「忿怒」、「清浄」や「満願」など様々な意味で用いられるため解釈が困難な語である。忿怒尊の真言において「ウン・ハッタ(hūṃ phaṭ)」と組み合わせて用いられる場合は、「叱咤」・「恐怖」・「忿怒」の意味と解釈される。
第246回 宗教学(初級246):秘密伝承(幻身・ポワ)
チベット密教,転識
チベット密教の到達点
秘伝 チベット密教奥義 高藤聡一郎 p39-44
ガーギュ派にはナーローの六法という究竟次第系の行が伝わっている。
1 内火(トゥンモ)の行 体内にチャンダリニーの火と呼ばれるエネルギーを発生させる。
2 幻身(ギュリュ)の行 わが身を幻とするテクニック。幻の体が出現する。
3 夢見(ニラム)の行 夢の中で修行するテクニック
4 光明(オェサェ)の行 内的光、つまり瞑想状態で見える光をコントロールするテクニック
5 転識(ポワ)の行 体外離脱体験テクニック。頭頂から意識を抜け出させる行
6 中有(バルド)の行 仏教でいう中有の境地に陥らないためのテクニック。輪廻転生から抜け出す法
1 内火(トゥンモ)の行 スワディスターナチャクラに対応 入門レベル
2 幻身(ギュリュ)の行 ビシュッタチャクラ 第5チャクラに対応する幻身 中級
3 夢見(ニラム)の行 中級
4 光明(オェサェ)の行 眉間? 中級
5 転識(ポワ)の行 頭頂 生きている間から次の次元の世界で生きる 星にも行ける 最終レベル
6 中有(バルド)の行 死の間際に行う 最終レベル
|
チャクラ |
元素 |
六法 |
内容 |
|
7 |
サハスラーラチャクラ |
|
ポワ 転識 |
|
|
6 |
アジュナチャクラ 知識を超えるという意味 |
|
|
|
眉間 |
5 |
ビシュッタチャクラ 浄化、純粋という意味 |
空 |
幻身 |
5つの元素 |
喉 |
4 |
アナハタチャクラ 痛みがない、という意味 |
風 |
|
愛がある場所 |
胸 |
3 |
マニプーラ マニ=宝石 プル=とどまる |
火 |
|
消化 体の調子をよく保つ |
へその後ろ側 |
2 |
スワディスターナ 自分自身の住居 |
水 |
|
欲求 |
生殖器の辺り |
1 |
ムーラダーラ ムーラ=ベースの意味 |
地 |
|
人生の旅路の土台となる部分 物質 |
肛門と会陰の間 |
房中術・神交法
仙道錬金術房中の法 高橋総一朗p58
神交法による房中術 正式には隔体神交という。
体交法は肉体の交わりであるのに対して、神交法は心と精神のレベルでの交わりによる術である。
神とは意識のことをさす。
性欲を昇華することができる神交法。
体交法に対して疑問を持っているカップルにとっては福音になる。
まずは神交法をし、肉体による交わりが罪や汚らわしいものでなければ体交法に切り替えればいい。
この派のテクニックの特徴は「取坎填離」につきる。
虚している男性が女性から陽気をもらい、過不足のない気の状態にしろ、というのが骨子である。
男女ともに相手の気と交感し、陰陽のバランスを取る技のことである。
隔体神交第1段階のテクニック 成立条件
鼎とは容器のことで、この場合は房中術だから、ヒトつまり男女を指す。
「それ、これ(鼎器)を用いるとき、神交わりて、体交わらず、男は衣を寛めず、女は帯を解かず、敬うこと神明の如く、愛すること父母の如く、寂然不動、感じて遂に通ずるものは比なり」 「金丹真伝」修身入門
神交の場合、どのくらい離れて座ったらいいかというと、数メートルぐらいがよい。普通は座って何もしないのでは気など感じないのだが、房中術の場合は、やがて奇妙な感じを漠然と感じだす。
一種の圧力感のような、微風のような、あるいは流動感のようなものだ。
「遂に通ずる」とは、このかすかな気の感じが、相互の間でやりとりされだしたことを指す。
2段階のテクニック
凝神聚気とは意識(神)を集中し、気を集めるという意味
男女のパートナーは漠然ではなく、はっきりと感じあっている。
3段階のテクニック
常に相手のことに思いがいっているときにあえて瞑想をして相手のことを考えないようにする
するとあるときに突然に、瞑想者は天地と一つになり、永久に壊れない「虚空の体」をはっきりと持ちます。
「道家養生学概要」 蕭天石
内丹術の基本的なやり方は、「取坎填離[坎から取って離に充填する]」と言われるもので、ヒトのバイタリティー(生命力)を奮い起こすことである。
丹家は離()と坎(
)の二つの卦を男と女に例え、後天の離と坎の二つの卦は先天の乾(
)と坤(
)の二つの卦の真ん中の陰と陽の二つの爻が交換されて出来たものであると考えている。
離と坎は、心と腎、火 と水、汞と鉛、龍と虎、日と月、烏と兎、神と炁などの代表でもある。
内丹仙学では離を乾に変え、坎を坤に変え、後天を先天に戻す。
丹功の 修練は、坎卦の真ん中の陽爻を抜き取って、離卦の真ん中の陰爻の位置に充填し、先天の乾卦の純陽の体に戻ることを要求する。
内丹家はそれぞれ「取坎填離」、「抽鉛添汞[鉛を取り出し水銀を添える]」、水火既済[水と火が助け合う]、還精補脳[精を還し脳を補う]などと呼ばれる基本功法を行い内丹の工程を実践する。
坎卦の真ん中の陽爻は「嬰児」と呼ばれ、離卦の真ん中の陰爻は「姹女」と呼ばれる。
嬰児は腎にあり、姹女は心にあるので、坎と離が交わることは心と腎が交わることである。
これを現代の言葉で説明すると、内丹の修練法によって人体の性腺を間脳のフィードバック機能と協調させ、腎機能を強化して脳機能を改善し、性ホルモン、成長ホルモン、甲状腺ホルモンなどの内分泌系統を調整して神経系統を調和のとれた状態にするということである。その結果、バイタリティーを増進させることができるのである。内丹功法 を修習した人は、顔が少年のようで、いつまでも若く、身体は力強く、脳の働きは緻密で盛んである。内丹仙学には、老いを返上し童に還るという効果がある。
ミラレパの十万歌
神交法の具体例 ミラレパの十万歌 おおえ まさのり訳
p419-431 悪魔の攻撃 瞑想の中での体験
女神ツェリンマの攻撃
壬辰の年、真夜中過ぎのこと。18大悪魔たちが、全世界のありとあらゆる幽霊や悪鬼たちを率いて、ミラレパの修行の邪魔をしようと攻撃を仕掛けて来た。
「もしおまえたち、神霊や悪魔たちが、わたしの体を奪うことに興味があるというなら、いますぐこの体を与えよう。この功徳によって、一切の悪魔と悪霊が心の中の敵意や悪意から解放されよう。かれらの完全な幸福と善と満足のために捧げよう」
それまで恐ろしい形相を現していた非常に獰猛な血肉を食らう5人のダーキニーたちが叫んだ。
「あなたがご自身の体に執着されず、まったく気にされないという事実はまことに素晴らしいことです。われらは実は、あなたを傷つけようという敵意や目的を持ってここに来たのではなかったのです。われらはただあなたの現成と理解を試しにやってきたのです。
cf.この悪魔たちは仏教に帰依した悪霊たちなので害がない。
p443-480 ミラレパを訪ねてきた5人の娘
癸巳の年の夏の夜に、魅するような愛らしい5人の娘たちがミラレパを訪ねてきた。
「われら5人の娘は、あなたに受け入れられて菩提(ボーディ)を求める誓願をするお許しを与えて下さるようにお願い申し上げます」
P446
仏教徒の廻る礼拝のやり方は
左から右へ
だがおまえたちのやりかたは右から左
だからおまえたちは神霊か妖精に違いない
おまえたちは頷き首を振る
天女だけをがそのように振る舞うもの
だが真似てはいてもおまえたちは本当は天女でないらしい
cf.菩提とは真実の智慧、悟りのこと
5人の娘とは血肉を食らう5人のダーキニーたちのこと
p505-510
ツェリンマとムドラーの修行
丁酉の月の8日目の夜更け、長寿の吉祥女天(ツェリンマ)が正装し、美しい飾りを身につけて、姉妹たちとともに現れた。
快い言葉と調べ良い声で
あなたを誉め歌うため
われら5人の娘はやって参りました
われらは蓮女、貝女、芸女、象女と呼ばれる
女の4つの典型
どうかわれらとカルマムドラー(羯磨印)を行じたまえ
われらの願いを叶えたまえ
落ちる、保つ、逆流、撒き散らすと呼ばれる
カルマムドラーの4つの技を
あなたはよくご存知ですか
ならば、さあ行じたまえ
あなたの僕は用意できております
わたしはナーローパの法統の門人
気(プラーナ)と心滴(ピンドゥー)に熟達した者
一切の供物の中で
カルマムドラーが最高だという真実
まことに絶妙最もたるものは4つの円満のムドラー
cf.干支(かんし、えと)は、十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞。古代中国にはじまる暦法上の用語[2]。 暦を始めとして、時間、方位、ことがらの順序などに用いられる[1]。六十干支(ろくじっかんし)、十干十二支(じっかんじゅうにし)、天干地支(てんかんちし)ともいう
カルマムドラー(羯磨印) 交合すること 射精を表す
落ちる、 エネルギーを督脈を通しして頭頂に上げた後に、任脈を通して落としていく
保つ、 エネルギーが放出された後に会陰に溜まったものを、スワディスターナに上げてそこで保つ
逆流、 そのエネルギーを頭頂まで上げていく
撒き散らす 頭頂に上がったエネルギーを噴水のように下に滴り落ちる cf.ツァンダリーのこと
ヤブユム(チベット語: Yab-yum、逐語的には「父上-母上」)は、インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教美術においてよく見られる、男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルである。男女両尊[1]、父母仏[2]、男女合体尊[3]とも。
チャクラサンヴァラとヴァジュラヴァーラーヒー
男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である。この交合の表現をもって空性の智慧(女性原理、自利)と慈悲の方便(男性原理、利他)との一致を体現した仏陀の境地=大楽を表している。
ヤブユムは無上瑜伽タントラと象徴主義が結びついたものであり、男性像は「慈悲」 (karuṇā カルナー) を与える男性原理である「方便」 (upāya ウパーヤ やり方) 、そしてその伴侶は女性原理である「般若」 (prajñā プラジュニャー) と結びつけられる[4][5]。
方便と般若(智慧)の象徴的交合は、特にチベットのタントラ仏教における中心的な教えである。この交合は、実践者その人の身体における神秘的な体験として実現される[6]。
チベット仏教では、同じ思想をガンター(金剛鈴)とドルジェ(金剛杵)にみることができる。この2つはヤブヤムと同様に、仏陀の体現する悟りの二側面を象徴化するためにある。また、この形象はしばしば彫刻やレリーフ、タンカ(掛け軸の一種)の題材となる[7]。
成就法
かつてヤブユムを主尊に据えた修行法(成就法)としては、主に在家行者達の間では身体を持ったパートナーと行うタントラ的なヨーガという一面があった。女性パートナーは印女(ムドラー)と呼ばれ、「羯磨印」(カルマムドラー)は肉体をもった実際の女性パートナー、「智印」(ジュニャーナムドラー)は実際の女性を伴わない観想上のそれを指した[8]。ただしゲルク派を興したツォンカパは性ヨーガの実践による仏教信仰の頽廃を強く戒めて禁じ、それが現実に行われる事は事実上無くなった。実際の正統な成就法においては本尊ヨーガ(本尊の境地をイメージし追体験する)を修しつつティクレ・ビンドゥ・ツァ・ルンといった肉体の微細要素を瞑想して自身の心相続を変容させていくという内容であり、パートナーを伴うような要素は存在しない。
現代においてヤブユムを性ヨーガという観点のみで取り上げるのは、オウム真理教等のカルト団体か在家研究者しかいない。
チベット死者の書1 中有,バルドゥ,再生
チベット密教の死後の世界
「チベット死者の書」p11−15
チカエ・バルドゥ (死の瞬間の中有)
第一の光明の体験
外に吐く息が途絶えてしまって生命の風が叡智の中枢脈管に帰入すると、心は無用の働き(戯論)を離れた光明としてひときわ輝く。
生命の風が右・左のナーディ(脈管)に流入しないうちに、死におもむく者にお導きを授けるべきである。
「ああ、善い人○○よ、今こそ、汝が道を求めるときが到来した。汝の呼吸が途絶えるや否や、汝には第一のバルドゥの「根源の光明」というもの、以前に汝のラマ(師僧)が授けた、あの同じものが現れるであろう。虚空のように赫々として空である存在本来の姿(法性)が現れるであろう。
汝自身でこれの本体を覚るべきである。そしてその覚った状態に留まるべきである。」
中有 バルドゥ
臨死体験をした者が光明と出会った話を聞くことがある。
3つのバルドゥ
・チカエ・バルドゥ 無色界
第1の光明 非想非非想処善心 無所有処善心 識無辺処善心
第2の光明 肉体から離れていることに気づき、空無辺処善を体験する
・チョエニ・バルドゥ 色界
寂静尊の現出 5日〜11日
忿怒尊の現出 12日〜18日
ヤマ王の現出 19日〜21日
・シパ・バルドゥ 欲界
輪廻に転生する。22日〜33日
死んだ時に気絶をして、無色界の第二亜界(識無辺処善心、無所有処善心、非想非非想処善心)に3日間いて、その後に体から魂が抜け出て空無辺処善を体験する。
次に色界のチョエニ・バルドゥ、そして欲界のシパ・バルドゥに降りていく。
チベット死者の書2
界層表で辿る死後の世界
三界を経験する
「チベット死者の書」p107-109
シパ・バルドゥの恐ろしい幻想と苦しみ
罪深い人たちは次のような光景を見るであろう。カルマン(業kamma)によって作り出された多数の肉を食らう鬼(羅刹)たちが、「殺せ、殺してしまえ」「打ちのめせ、打ちのめせ」等々の叫び声を発し、とりどりの武器を手にしてガチャガチャと音を立てながら現れてくる。
また、仏になる準備(資糧)を積み、善いことを行い、仏の教えを真面目に実践してきた人たちもいる。彼らは大変に楽しい経験をいろいろに味わって、完全な喜びを色々と享楽するであろう。
善いことと罪なこととのどちらを行うでもないような、愚かで鈍感な人々には、楽しみと苦しみのどちらを味わうでもないような、ただ愚かで鈍感な状態が現れるであろう。
ヤマ王の裁き、ヤマ王の現出との違い
p112−113
「ああ、善い人〇〇よ、汝はよく聴くがよい。汝が生前に行った善い行いの数々がすべて集められ、白い小石で数え上げれるであろう。汝が生前に行った悪い行いの数々がすべて集められ、黒い石で数え上げられるあろう。
この白い小石が数えられているときにも汝は恐れてはならない。ヤマ王におびえてはならない。汝自身の錯乱によって現れた幻影以外に、ヤマ王や善神やピシャーチャ鬼や牛頭の鬼(羅刹)等が実際に存在するのではないことを覚るべきである。」
ヤマ王の現出とは、色界における梵天(梵衆天、梵輔天、大梵天)の体験であり、
ヤマ王の裁きとは、欲界における夜摩天による裁きのことなので、この2つは次元の違うまったくの別物である。
チベット密教の囚われ
チベット密教の美学
一般的には一つでも高い次元に生まれ変わったほうがよいという考え方があるが、
チベット仏教では、生涯の中で解脱ができないのであれば、欲界の天界に生まれ変わるのではなく、もう一度人間に生まれ変わり、転生したときには仏道を歩んで解脱を目指すべきである、という考え方にとらわれている。
地球は波動が悪いので、できるだけ地球では転生しないほうがよいと竹下氏は思っている。
スウェデンボルグの霊界1
欧州歴史最大の霊能者1688−1772 「霊界日記」
生まれながにしての天性のヨーガ行者で、ある時期が来ると自然と肉体から離れて、霊界の体験をしてこの世に真実を伝えるという役割を背負って生まれてきた。まるで前世はヨーガ行者?
エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈1〉死後の世界は実在する (著), Emanuel Swedenbolg
死後3日間の気絶と目覚め
死は霊界への旅立ちにすぎない
肉体の死は、肉体をこの世の道具として使用してきた霊が、肉体を支配する力を失ったということにすぎない。霊はその後、霊界へと旅立っていく。霊界に旅立つまでには、この世の時間にして2.3日の間がある。
死と同時に肉体の中の霊は目覚めるが、霊界からは導きの霊が死者の霊のところにやってくる。
cf.死ぬと心臓にすべての意識が集まる。生前に高い精神レベルまで到達した人は死の直後から「光明clearLight」を意識できるが、多くの人はこの光の眩しさ耐えられず気絶してしまう。そして3日後に目覚める。
スウェデンボルグは死者が3日後に目覚める、と表現している。
導きの霊とともに精霊界へ
人間が死んでいく場所が精霊界である。その後霊界に入って、そこで永遠の生を送る霊となる。
この世の家族も精霊ではバラバラに
この世における不慮の災難などの時には、家族がそろって精霊界に入ることがある。このような家族も、精霊界で過ごすにしたがってバラバラに離れていくのが普通である。
霊界と地獄界、および精霊界の関係 浮き彫りになる心の本性と死後の世界
精霊界は、中間地帯といえる特別な世界であり、霊界と地獄界は、それぞれ性質を異にする霊たちが住んでいる2つの違った世界である。
地獄界は霊界の地面の下にある。
現世で悪いこと、不道徳な生涯を送った者は、死後は地獄に投げ入れられ、そこで永遠の罰を受ける。これは、世界中の宗教が説いている「地獄の教え」だ。しかし、これは宗教上の必要から作った架空の話である。
地獄は霊界の一つの世界として、現実に存在する。
彼らは彼らの欲するところによって、自ら地獄に行く。
地獄に行く精霊は現世にあったとき、たとえば物質的欲望、色欲、世間的名誉欲とか支配欲などといった人間の外面的、表面的感覚を喜ばすことばかりに心を用い、本当の霊的な事柄を極端にないがしろにした者である。
cf多くの宗教では生前の善行と悪行により裁きの神が死後を判断するとされているが、スウェデンボルグは死後は自らの好み、すなわち自分の波動にあった世界を選んでいる、と記している。
スウェデンボルグによると死者の霊が精霊界にいる時に、次の世界に導く使いの霊がやってくると、死者の霊の頭上に死者の記録がパノラマのように映し出されて周囲の人がそれを見ることができるようになる。これによって生前の行いを反省する機会になり、自分の心の本性がむき出しになって、浮き彫りになる。
そしてその浮き彫りになった心に相応しいところに移動(転生)する。
エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg 1688−1772
スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家。スウェーデンボルグ、スエデンボルグとも表記される。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名。
父イェスペル・スヴェードバリ(Jesper Swedberg)は、ルーテル教会の牧師であり、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した人物である。その次男としてストックホルムで生まれる。11歳のときウプサラ大学入学。22歳で大学卒業後イギリス、フランス、オランダへ遊学。28歳のときカール12世により王立鉱山局の監督官になる。31歳のとき貴族に叙され、スヴェーデンボリと改姓。数々の発明、研究を行ないイギリス、オランダなどへ頻繁にでかける。
1745年57歳のときに、イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まり、以後神秘主義的な重要な著作物を当初匿名で、続いて本名で多量に出版し、出版で得た全報酬は寄付(『スヴェーデンボリ その生涯と教え』トロブリッジ著より)した。ただし、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、王室の庇護により、回避された。イエス・キリストからの啓示をその僕として書き記す霊覚者への転向はあったものの、その後国会議員にまでなった。
スヴェーデンボリは神学の書籍の発刊をはじめてからしばしばイギリスに滞在した。1771年の夏にロンドンに旅し、その地で翌1772年3月29日に没した。
神学・神秘主義思想
スヴェーデンボリの神学論は伝統的な三位一体を「三神論(三人格を持った神が一つの神)」であるとして退けているが、「三一性」という考え方で、「父を意味する創造神、子を意味するイエス・キリスト(神人)、聖霊を意味するイエス・キリストの霊の働きという三つの性質が一つの人格神のうちにある」ということを認めている。また、伝統的なプロテスタント聖書主義と同じく「天地の創造神が、時空の観念を超え、イエス・キリストという人間となって救いのために降臨された」としている。
スヴェーデンボリが生前公開しなかった『霊界日記』において、聖書中の主要な登場人物使徒パウロが地獄に堕ちていると主張したり[1]、ダビデを「ドラゴン」と呼び彼も地獄に堕ちているとしたり[2]、同様にプロテスタントの著名な創始者の一人フィリップ・メランヒトンが地獄に堕ちたと主張した。だが、それらが書かれているのは、スヴェーデンボリがこの世にいながら霊界に出入りするようになった最初の時期にあたる非公開の日記であるため、スヴェーデンボリが自身で刊行した本の内容との相違点も若干見られる。主イエスの母マリアはその日記[3]に白衣を着た天国の天使としてあらわれており、「現在、私(マリア)は彼(イエス)を神として礼拝している。」と発言している。
スヴェーデンボリが霊能力を発揮した事件は公式に二件程存在し、一つは、ストックホルム大火事件、もう一つはスウェーデン王室のユルリカ王妃に関する事件である。
スヴェーデンボリは聖書中に予言された「最後の審判」を1757年に目撃したと主張した。しかし、「世界の政治・宗教・神学上で、その年を境になんらかの変化が起こったとは言えないため安直である」と彼を批判する声もある。
スウェーデンボリによる霊界の描写は、現代人に起こる臨死体験と共通点が多いとされる。両者に共通する点は、広大なトンネルを抜ける体験や光体験、人生回顧や時空を超えた領域を訪れる体験などである[4]。
自然科学
スヴェーデンボリは当時、ヨーロッパ有数の学者として知られ、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などである。結晶学についてはスヴェーデンボリが開拓者の一人である。
動力さえあれば実際に飛行可能と見られている飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いたのはスヴェーデンボリが26歳の時であり、現在アメリカ合衆国のスミソニアン博物館に、この設計図が展示保管されている。
霊界では地球人の他に火星人や、金星人、土星人や月人が存在し、月人は月の大気が薄いため、胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって言葉を発するなどと説き、いまだに未知なる部分も多い。
評価
スヴェーデンボリへの反応は当時の知識人の中にも散見され、例えば哲学者イマヌエル・カントは『視霊者の夢』中で彼について多数の批判を試みている。一方で、カントは限定的に「スヴェーデンボリの考え方はこの点において崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である」(K・ ペーリツ編『カントの形而上学講義』から)と評価も下し、後のカントは「彼の不思議な能力の非常に多くが確実であり、彼は道理をわきまえ、礼儀正しく、隠しだてのない人物であり、学者である」と率直に語った(『スヴェーデンボリ その生涯と教え』トロブリッジ著より)という。また、哲学者ラルフ・ワルド・エマソンは、スヴェーデンボリを霊的に巨大と評価し、他にフリードリヒ・シェリングの『クラーラ』など、スヴェーデンボリの霊的体験を扱った思想書も存在する。
また、ヘレン・ケラーは「私にとってスヴェーデンボリの神学教義がない人生など考えられない。もしそれが可能であるとすれば、心臓がなくても生きていられる人間の肉体を想像する事ができよう。」と発言し、他に影響を受けた著名人としては、ゲーテ、オノレ・ド・バルザック、フョードル・ドストエフスキー、ヴィクトル・ユーゴー、エドガー・アラン・ポー、ストリントベリ、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなど挙げられ、特にバルザックは、その母親ともに熱心なスヴェーデンボリ神学の読者であった。
スヴェーデンボリは著作『結婚愛』の中で未婚の男性の買春、すなわち必要悪としての公娼がいる現状を消極的に認める記述をしている。基本的にスヴェーデンボリは不倫などの「姦淫」を認めておらず、一夫多妻制などは、キリスト教徒の間では許されないとその著述に書いている。しかし、これらは多くの近代国家の法律として広く認められ成立していることでもあり、彼だけに特有な考え方ではない。
日本においては、仏教学者、禅学者の鈴木大拙がスヴェーデンボリから影響を受け日本語訳を行い、明治42年から大正4年まで数年間にスヴェーデンボリ『天国と地獄』[5]ほか主要な著作を出版している。没後出版された『鈴木大拙全集』(岩波書店)に、スヴェーデンボリの日本語訳は収録している。
ニューエイジ運動関係者、神道系の信者ら[注 1]の中にある程度の支持者層があり、その経典中で言及されることも多く、キリスト教関係者では、内村鑑三もスヴェーデンボリの著作物を読んでいる。
一方で、東京神学校助教授・牧師の尾形守は、『ニューエイジムーブメントの危険』の中で、キリスト教的には異端、思想的にはニューエイジムーブメントのはしりとしてスヴェーデンボリの千里眼事件を批判的に紹介し[7]、「霊だからといって、みな信じてはいけません、それが神からのものかどうか試しなさい」(Tヨハネ4‐1)、「あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。」(レビ記19・31)等、新約聖書の字句を引用して、こうした傾向全体をキリスト教的には不健全で危険な発想と評し、悪霊による影響の可能性を指摘している[8]。
また、米国の福音派キリスト教弁護団体であるCARMは、スヴェーデンボリを危険な非キリスト教的神秘主義であると評し、その特徴として、三位一体やキリスト教で言う聖霊の働き、キリストの十字架の贖罪の否定を挙げている[9]。
しかし、19世紀の早期、イギリス国教会の教区牧師ジョン・クルーズは、スヴェーデンボリの著作を直ちに受け入れ、説教の中で会衆に自ら読むように熱心に勧めており(『スヴェーデンボリの主張』フランク・S・ローズ著より)、このように、既存教派の中にも支持者は実在している。
なお、思想体系としての現代への影響を見るなら、このスヴェーデンボリとメスメルの思想を背景として、19世紀にはスピリチュアル思想が起こり、これはブラヴァツキー夫人の霊媒論や神智学と相互に影響を授受し合いながら、現代のさまざまなオカルトや新しい宗教の源泉となった[10]。
しかし、スヴェーデンボリの著作に実際に記されているのは、聖書ヤコブの手紙等にあるように、「唯一なる神に心を向け、観念の遊戯や思い込みでなく、聖霊の力を借りた隣人愛の実践、不倫などの悪を罪・害悪として避けること、誠実に人と接し、仕事や役立ちに熱心に取り組むこと」であり、世で噂されている現実から乖離した狂人・変人、オカルティスト、神秘主義者などではない、とされる
スウェデンボルグの霊界2
エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈2〉人間は、霊界に支配されている
エマニュエル・スウェデンボルグの霊界〈3〉人類の未来はどうなるのか
霊との関わりと警告
霊は人体にどんな影響を与えるか
誰にでもわかるのが、降霊術で知られる霊の憑依という形である。病気の中には、霊がからんでいる病気も少なくない。霊が人間に与える影響の中で、人々に一番わかりにくく、影響としては最も大きいのは、彼らが人間の考えを支配するという現象である。
自動書記とは、霊に支配された人が、霊の言葉を紙の上に書き出すという現象である。古代の宗教文書などの多くは、そのようにしてできあがったものが多い。
私は「人間の考えなんて、自由自在に左右できる。人間の頭脳を占領することなどたやすいことだ」という霊にたくさん会っている。彼らは、人間に夢を見させて、まったく想像もできない光景(霊界の光景)を表象という能力によって見せることができる。
天国に招かれる人間の条件
天国は「天の理」を悟り、それに無垢な信頼を寄せているものの国にほかならない。
あるとき、未開民族の霊たちが集まっている天国の団体に行った。彼らはさかんにこう強調した。
「隣人に対する愛情はとても大事なことだ」
「信」とは「天の理」の本質を理解するということだが、それは次に「意志」の中に流れ入って「善行」という行動になって初めて本物になる。
彼らは人間だったときから、単純明快にそういう生き方をしていた人間だったのだ。
これに対して、天国に入りにくいタイプの人間がいる。それは人間だったときに自分の内面に関することには無関心で外面的なこと、この世的なことばかりに熱心だった霊だ。
内面を耕すのに必要なのが、実は善行という行為なのだ。これは「善を知って実践する」ということにほかならない。
cf.「天の理」の本質とは、「愛の秩序」によって宇宙が成立している、ということ。
これを理解するだけではなく、具体的な行動にならなければ、天国に招かれることにならない。
まずは教育で頭で理解し、次に頭ではなく行動として自然にできていることを体現している、と呼ぶ。
善行とは道徳的に人から褒められることではない。端的に善を知って実践すること、である。
徳目(ヤマ・二ヤマ)を守って生きること。
ヨガの八支則とは? Ashtanga
ヨガの教えには、アシュタンガ=八支則(はっしそく)という8つの段階・行法があります。
ヨガの聖典、聖者パタンジャリが説いた「ヨーガ・スートラ」の中に出てくる、ヨガ哲学の基本的な教えになります。
その中でも、 「ヤマ」・「ニヤマ」は、日々の社会的・個人的行動規範となり、もっとも基本的かつ実践するのが難しいとも言える教えとなります。本場インドのアシュラムでは、「ヤマ」、「ニヤマ」を実践できなければ、アーサナ(ポーズ)の練習をするスタート地点にさえ立ってない、とされる。
@ヤマ(Yama)/禁戒 日常生活で行なってはいけない5つの心得。
●アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生
いかなる生きとし生けるものも殺してはいけない。行動、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけない。
誰に対しても怒りを抱かないこと。もとの語源は、”苦痛を引き起こさないこと”。自分自身を大切にすることから始まる。
●サティヤ(Satya)/嘘をつかないこと
自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるようなことであれば、真実であっても言わ ない。
その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒムサ(非暴力)が優先される。
嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければなりません。
●アスティヤ(Asteya)/不盗
他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめなさいという教え。
自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着が生じたり、名声やよい評判を得ようというエゴが生まれる。
約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも他人の時間を盗んでいることとされ、アスティヤ(不盗)に反します。
物やお金、地位、名声など、常に変化し続ける外の世界には真の幸福はありません。
どのようなものごとにも、人間関係や楽しかった思い出さえも、執着しない状態でいることが一つの鍵です。
●ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲
もともとは、性欲に代表されるような、エネルギーの無駄使いをしてはならないことをせず、生涯を独身で過ごすことが説かれていた。
現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を満たそうとするのは避ける こととされている。
生命エネルギーは必要なところに集中させることが禁欲の本質。
●アパリグラハ(Aparigraha)/不貪
貪欲さを捨てること。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。
程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えることでもあります。必要以上に所有すると、執着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生みます。
アパリグラハの実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、寛容になり他者から奪うのではなく、与えることにつながります。
Aニヤマ(Niyama)/勧戒 日常生活で実践すべき5つの行い。
●シャウチャ(Saucha)/清浄
自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろんのこと。
身の回りの空間をに清潔に保つことも含まれる。心の清浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブ な感情と思考を排除するよう心がける。
慈悲喜捨の精神。
不幸な人には、憐憫の情を立派な人がいたら自分もそうありたいと精進し、嫉妬するのではなく敬う。受け入れ難いひとがいたら、攻撃するのではなく、距離を置き、反面教師として自分の精進にする。
●サントーシャ(Santosha)/満足、知足
今あるものに、常に満足すること。自分の周りにあるもの(環境、今置かれている状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なものすべて)
ヨガの基本的な思想の一つは因果律。今置かれている状況は先に何か原因があり、ここに理由があって必然であると考える。
なので、あるがままそれ自体で、すでに完璧である。
そして、今、どんなに苦しく思える状況でさえも、実は何か成長のためのステップアップの機会かもしれず、今そこに何かしらの判断を加える
ことは無意味である。人は身の回りのものごとは当たり前だと思い感謝を忘れ、無くしてみて初めてそれが、かけがえのないものだったことに
気が付く。健康も愛する人の存在も同様に。
また、人の欲望は尽きることがなく、外の状況や変化してしまう諸々のことに幸福を求める限り、真の幸福は見つからない。
自分自身で、今あることに感謝をし満足することが真の幸福への近道だ。
●タパス(Tapas)/苦行、自制
精神鍛錬のために困難なことを実行すること。または、人間として生きていく限り避けられない人生のさまざまな問題や試練を受け入れる
強さを培うこと。
ただし、ただ単に自分を痛めつけたり、我慢す ることはアヒムサ(非暴力」に反する。
どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養うために実践する。
●スヴァディアーヤ(Svadhyaya)/読誦、学習、向上心
心を調える働きを持つ書物(聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれている本など)を読むこと。
自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むこと。得た知識を実生活を通じて、智慧に昇華させ、人格を成長させることを 意味しています。
●イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)/自在神記念、信仰
唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)に信仰心を持ち、それに祈りを捧げること。
自らに備わっている神性を信じること。
万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすること。
自分ではどうすることもできないこと(自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委ねること。
Bアーサナ(Asana)/坐法
瞑想を深めるための座法。もともとは単なるポーズではなく、瞑想を行なうための姿勢や道具を指すアースが語源である。
様々なポーズの実践により、体を鍛錬し、長時間の瞑想に耐えうる状態をつくる。また、心と体はつながっているので、身体能力の向上は、心の調整にもつながる。
ポーズは、安定していること、快適であることが理想形。そして、冷静かつ客観的に、自分の身体感覚や心の状態を観察し、他者と自分を比べたり判断することなく、こだわりをなくし、その空間と一つとなる ような感覚で集中していく。
Cプラーナヤーマ(Pranayama)/呼吸法・調気法
瞑想を深めるために呼吸を整えること。「プラーナ」は生命エネルギーのこと。「プラーナヤーマ」は、呼吸をコントロールすることによって、体内の見えないエネルギーを調整することを指す。呼吸と心と体の状態はつながっていて、呼吸が落ち着いて安定してれば心も穏やかで、体はリラックスする。呼吸のもうひとつの目的は、血液や脳により酸素や影響を与えること。
理想的に呼吸を深めていくためには、正しい姿勢を心がけることが必要。つまりアーサナの実践を通じ、身体を鍛錬することが必要になる。
Dプラティヤハーラ(Pratyahara)/感覚の制御
感覚への意識を深め、繊細に感じること。外側に向いている五感の知覚を、内側に方向づけ、内的感覚を高める。
感覚を内側に向ける練習をしなければ、瞑想の境地に到達することはできない。感覚に意識を向け続ける。
アーサナを実践していても、決して、感覚を我慢したり抑えつけたりするのではなく、それを感じている自分を常に冷静・客観視していく。
これは、日々起きてくる様々な出来事や問題に、感情を振り回されるのではなく、何が起ころうともブレない自分を作る精神の鍛錬につながっていく。
この先の「ダーラナ」「ディアーナ」「サマーディ」の3段階は、区切りの付けられない一連の心の流れとなる。
それぞれ、瞑想状態の深さの程度が異なります。
Eダーラナ(Dharana)/集中・精神統一
意識を特定の対象物に長時間留めておくこと。心が集中すればするほど、一点に向かう大きなパワーが生まれます。
Fディアナ(Dhyana)/瞑想
仏教の〈禅〉は、サンスクリット語で〈瞑想)を意味する、このDhyanaが語源だ。意識が積極的な努力なしに一方向に深く集中している状態。
プラティヤハーラ(感覚制御)とダーラナ(集中)が深まっている状態。自分と他を分け隔てなくなった意識の状態。
Gサマーディ(Samadhi)/三昧、超意識、悟り
ヨガの最終目標。悟り。梵我一如。煩悩からの解放。解脱。
瞑想がさらに深まり、集中の対象との一体感を感じている状態。
瞑想の状態をかなり長い時間維持できるようになったらサマーディの状態に入ります。
竹下雅敏の講義を要約したものです。
第211回 宗教学(初級211):秘密伝承(イエスの結婚)
第212回 宗教学(初級212):秘密伝承(磔刑)
第213回 宗教学(初級213):秘密伝承(シモン・マゴス)
第214回 宗教学(初級214):秘密伝承(ヨハネ教団とマンダ教)
第215回 宗教学(初級215):秘密伝承(サロメ)〜イエスの真実、洗礼者ヨハネ殺害の犯人、陰謀と神智学
第216回 宗教学(初級216):洗礼者ヨハネの頭〜聖杯伝説、テンプル騎士団、マグダラのマリア、イエス
第217回 異端と十字軍、カタリ派、ラングドック、モンセギュール伝説、マグダラのマリア、洗礼者ヨハネ
第218回 宗教学(初級218) 秘密伝承(カタリ派の思想)
第219回 宗教学(初級219):秘密伝承(テンプル騎士団の創設)
第220回 宗教学(初級220):秘密伝承(テンプル騎士団と聖杯物語)
第221回 宗教学(初級221):秘密伝承(テンプル騎士団と秘密文書)
第222回 宗教学(初級222):秘密伝承(聖杯と血脈)
第223回 宗教学(初級223):秘密伝承(レンヌ・ル・シャトー)
第224回 宗教学(初級224):秘密伝承(レンヌ・ル・シャトーU)
第225回 宗教学(初級225):秘密伝承(テンプル騎士団とアメリカ大陸)
第226回 アーサー王伝説:創作意図,原典,ブリタニア列王史,聖杯探求,聖杯物語,原作者,エピソード,改変
第227回 アーサー王伝説:キャメロット,正統性,モデル,意図,工作,カドベリー・カースル,ブリトン人
第228回 アーサー王伝説:ド・トロワ,聖杯物語,マロリー,サンザシ,アリマタヤのヨセフ,エッシェンバッハ
第229回 アリマタヤのヨセフ グラストンベリー,聖杯物語,ド・トロワ,横山安由美,聖書,アーサー王伝説
第230回 パルチヴァール 系図,洗礼者ヨハネ,アルトゥース,アーサー王,聖杯,マグダラのマリア,
第231回 ペルスヴァル パルチヴァール,エヴラウクの息子ペレドゥル,ブランシュフルール,シャトー
第232回 ペレドゥルの物語 エヴラウクの息子,パルチヴァール,ペルスヴァル,聖杯伝説
第233回 錬金術 性錬金術,クンダリーニ,覚醒,大いなる作業,第一原質
第234回 仙道 内丹派,清浄法,伍柳派,煉丹,還虚,小周天,大薬,クンダリニー,丹鼎派,大周天,内丹術,清修派
第235回
仙道:房中術・体交法1
伍柳派,煉丹,還虚,丹派,小周天,大薬,修行法,錬金術,流派
第236回 仙道:房中術・体交法2 仙女,クンダリニー,小周天,仙人,不老不死,赤化,白化,陽神,大周天
第237回 宗教学(初級237):秘密伝承(房中術・男女双修功1)
性エネルギー,道家
第238回 宗教学(初級238):秘密伝承(房中術・男女双修功2)
第239回 宗教学(初級239):秘密伝承(房中術・男女双修功3)
性交渉,チャクラ,行法,小周天,射精,仙人
性の実践編
第240回 宗教学(初級240):秘密伝承(房中術・男女双修功4)谷間のオルガズム,タオ性科学,男女双修功
第241回 宗教学(初級241):秘密伝承(房中術・男女双修功5)ツァンダリー,煉丹術,南風老師,錬金術
第242回 宗教学(初級242):秘密伝承(男女双修功の周辺)チベット密教,クンダリニー・ヨーガ,危険性
第243回 宗教学(初級243):秘密伝承(チベット密教) 行法,灌頂
第244回宗教学(初級244):秘密伝承(チャンダーリーの火)チベット密教,ナーローの六ヨーガ,呼吸法,観想
第245回 宗教学(初級245):秘密伝承(ツァンダリー)チベット密教
第246回 宗教学(初級246):秘密伝承(幻身・ポワ)
チベット密教,転識
第247回 宗教学(初級247):秘密伝承(房中術・神交法)
第248回 宗教学(初級248):秘密伝承(ミラレパの十万歌)
第249回 宗教学(初級249):秘密伝承(チベット死者の書1)
中有,バルドゥ,再生
第250回 宗教学(初級250):秘密伝承(チベット死者の書2)
第251回 宗教学(初級251):秘密伝承(スウェデンボルグの霊界1)
第252回 宗教学(初級252):秘密伝承(スウェデンボルグの霊界2)