金運瞑想法のやり方(21世紀型)
まず最初に「気」の感じを身につける必要があります。
私の瞑想法は気の感じとシュルツの自律神経訓練法を組み合わせて、変成意識状態に入るものを特徴としています。 また、高藤総一郎氏の「超人気功法」にもありますので、参照してください。
これを簡単に言いますと、手をすり合わせて摩擦して、その感触(ピリピリしたりモワーっと言う感じ)を記憶するものです。
内部表現の理屈からいいますと、皮膚感覚を記憶して利用するものです。
内部表現の特徴として、触覚などの記憶は思い出しやすいので、それを使っています。
つぎにシュルツの自立訓練法ですが、ネットで検索すると詳しいやり方がありますので、そちらを見てください。
例えば
「手が温かくなる」などの自己暗示を使って、変成意識状態(催眠状態)に入る技術です。
これに気の感触を応用しますと、身体中のすべての部分で心身の緊張を解くことができるようになります。
具体的には、筋肉に力をギューッと入れて、それを緩めることを繰かえしますが、それに気の感触を加えます。
そして体の思う部分に気の感触を発生させて、筋肉に力をギューッと入れる要領で気を凝縮させます。その次にその凝縮感を、すーっと緩めるとその部分の緊張がとれるのです。
これを頭から始めて、足先まで行うのが「軟蘇の法」です。
さて、変成意識に入るためには、神経を鍛えることが必要です。
神経を鍛えるといっても難しい方法ではなくて、それは前屈です。まず足を伸ばしてそろえて座ってください。
次に手で両足の指先をつかんで、ふくらはぎの筋肉を伸ばす要領で引っ張ってください。体が固い人は、足を曲げても構いません。
また仰向けに寝て、片足を伸ばして天井に向けて、足の指先にベルトなどを引っかけて手で引っ張るという方法もあります。
これを行うと、ふくらはぎから太股の裏側の筋肉の中の神経がピリピリとなるのが、感じられます。
この動作を5回行ったら、仰向けに寝て(座禅しても構いません)、そのピリピリとなるの感じを思い出してください。
つまりこのピリピリ感を利用して、体の内部感覚に使うのです。
これに慣れたら、前屈しているときに肛門をきゅっきゅっと締めてください。
そして、太股からふくらはぎ、足の指先にまで、その神経がつながっている感触を、体のなかで探ってください。
そしてまた、寝ころんでその感触を思い出します。時には寝ころんだまま、きゅっきゅっとやって、ピリピリ感が足の指先まで伝わる感じを、覚えます。
最後にはきゅっきゅっとする感触を思い出す(肛門を意識する)だけで、ピリピリ感が足全体に伝わる感じを会得して下さい。
これが出来るようになると、足先のピリピリ感を思い出すだけで、変成意識状態に入れます。
なぜなら、変形意識状態とは無意識にアクセスできる状態ですが、体の前面の筋肉は意識して動かすことが多いので、意識野(交換神経系)に繋がっています。
それに対して、体の裏側の筋肉は無意識(副交換神経)と深い関係があります。
特に足は、頭からいちばん離れていて無意識に動かすことが多い筋肉なのです。しかも足につながる筋肉は、脊髄の末端(肛門近くにある)から出ていて、この神経を刺激すると、脊髄全体を刺激することに繋がります。
つまり大脳から脊髄までの脳全体を賦活させながら、意識野を鎮静することが、足の神経群を鍛えることで可能になるのです。
これは空手でいう立禅、気功や中国拳法での馬歩(ばほ)と同じ原理です。
さて、この瞑想は仰向けに寝て行います。
座禅を組む方法が一般的ですが、これではどこでもできる訳ではありません。それにたいして寝てやる方法は就寝前に行うことが可能で、毎晩の習慣にすることができます。
寝て行う方法の欠点として眠ってしまうことがありますが、私の方法は次から次へと行うことがあるので、眠る暇がありません。
こうして眠ってしまうことを防いでいます。
ではその方法を説明します。
仰向けに横たわって、逆腹式呼吸法を行います。逆腹式呼吸法とは、息を吸うときお腹をへこます呼吸法です。
しかしお腹を凹ますといっても、大げさに行う必要はありません。むしろ下腹部を少し動かす程度で呼吸を意識するぐらいで、ちょうどいいのです。
下腹部を上下させると、腰の部分の筋肉(腰痛が起きる起立筋)が引っ張られる感じが分かってきます。これがわかるようになるために、体内部の変化に注意を払ってください。その感じを保ちながら、逆腹式呼吸法を10回数えながら行います。
次に肛門を締める感触を使って、お尻(尾てい骨付近)から神経が足先までピリピリしている感触を、思い出します。お尻からピリピリ感が発生して、足先に伝わる感じを掴んでください。
そしてこのピリピリ感が伝わる感じを、10回数えながら行って下さい。
つぎにピリピリ感が伝わった足の指先で気の感じを使って、緊張と緩和する感じを発生させて下さい。この時、足の指の骨から、気が緩んでぼわーっと広がるイメージで行うとうまくできます。
慣れてきたら、足の骨から生暖かいお湯が発生して足の指が温まる・そして足の回りも温かいお湯で満たされていて、足の内部と外部が同じ温度になって、境目の感触が消えてしまう、そういうイメージを持ってください。
これも、10回、ぼわー(いーち)・ぼわー(にーっ)・・・・という感じで行ってく
ださい。
これが出来ると、10回数えたあとには足の感触が消えています。
つまりこれが変成意識状態なのです。
足の神経と手の神経は繋がっているので、同様に手の指先にぼわー感を発生させて、10回行うと手の感触が消えていきます。
手と足の感触が消えると、手の感触は脳の意識の多くの部分を占めていますので、目をつぶっていれば、外部の感覚の大部分がこれで消滅します。
すると暗闇の中で生暖かい空間に浮かんでいるような、とても気持ちがよい状態になります。
これはかなり深い、催眠状態だと言えます。
さてに次に横たわっていて、その目の前に鉄あれいがあると想像してください。鉄あれい(亜鈴)とは、運動で腕を鍛えるときに使用する重たい道具です。ダンベルもありますが、あれいの方がいいです。買う必要はありませんから、スポーツ用品店で触って、感触と重さを確かめてください。
そしてそのあれいの丸い部分に触っていると想像します。
ざらざらした感じと、鉄の冷たさを手のひらに感じてください。(感じるのは現実の手ではなくて目の前の鉄あれいに触っている想像の手です!)
そして想像の手で想像の鉄あれいを(右手だけ)持ち上げて、力こぶを作る運動をします。この時指先の筋肉の感じ方を思い出すのではなく、右胸や肩の筋肉のような大きな筋肉の動きの感じ方を思い出すようにします。思いあれいを持ったときの重力によって肩の筋肉が引っ張られる感触を思い出すようにします。
同時に指先には、ざらざらした感じと、鉄の冷たさを感じます。
この動作を10回、数えながら行います。
次に左手に持ち替えて、同じことを10回行います。
これが終了したら、右手に鉛筆を持っている感じを想像してください。目の前の空間に固い画用紙のようなものが浮かんでいると想像して、そこへ右手の鉛筆でぐるぐるとまるを描いてください。
この時、鉛筆特有の描くときの触感、ザラザラした感じが指先に伝わる様を、思い出してください。うまく行かないときは、現実に鉛筆で描いて、直後に目をつむってその感触を思い出すといいでしょう。
これも10回、空間に丸を数えながら行います。
つぎに左手で同様に、丸を10回描きます。
鉛筆のざらざらした触感がよみがえったら、成功です。
そして自分が今いる状態を思い出します。
自分は、今自分の部屋で横になっていますね。
その状態から、想像のなかで腹筋運動を行います。
腹筋に力が入る状態を想像しながら、100回行ってください。これは別にうまくできなくてもいいのです。
瞑想状態にある時には、脳の血流が減少することが知られています。またお腹の太陽神経叢が興奮することも知られています。
お腹の神経を刺激することで、このより深い瞑想状態に近づくことができるのです。
実際に想像の中で腹筋を使えれば(想像の体の腹筋)、それは内部表現へのアクセスです。実際の肉体の腹筋に力が入ったとしても、それはそれでお腹の神経を刺激し、血流をお腹に集めることができます。
つまりとちらに転んでも、変成意識を深めることが可能になるのです。
この想像の中で腹筋運動をするというのは、じつに強力なやり方です。(私が発明しました。)
また実際の自分の部屋で寝ている、その状態を想像して、その状態から想像での腹筋運動をを行っています。
こうすることで、現実と想像の境目がなくなり、脳が混乱してスムーズに深い瞑想状態に移行できます。
さらに数字を数えるということには、変成意識に移行する効果があるのです。催眠術で数をかぞえるということがありますが、あれはこの効果を利用しています。
つまり単純に数をかぞえるだけで、眠くなる効果と同じです。さらに現実世界で100回も腹筋をすると、疲れ果ててしまい他のことを何も考えられなくなりますね。想像の中で同じことをしても、疲れ果ててしまうことを、脳が思い出すのです。
変成意識状態ではいろいろなことを考えることはできません。頭の中が寝ぼけたような状態になります。
そのため私の瞑想法では、単純な繰り返しを数をかぞえながら、行うということをしています。
腹筋を100回行ったなら、あなたは瞑想状態のつくり出した自分の部屋の中で横たわっているのを実感できるでしょう。
そこで立ち上がって、自分の部屋を1周します。
1周しながら部屋の中の備品を、次々に触って行きます。
たとえば、私は最初にテレビの触感を思い出しています。テレビの角のとれたプラスチックの触感を思い出しながら、5回右手で撫でます。次にガラス面のつるつるした冷たい感じを5回声を出しながら撫でます。
その横にガラスサッシがあるので、そのクレセント錠を5回、クイックイッと言う感じで回す感じを思い出しながら、想像上の右手で操作します。
つぎにそのサッシの開け閉めを、5回行います。
こういう感じで、部屋の中をつぎつぎに横へ伝っていきます。
冷蔵庫の上に電気ポットがあるのでマグカップにインスタントコーヒーを入れてお湯を入れます。その時、熱いお湯が出てくる感じ、コーヒーの匂いが立ちのぼる感じを思い出します。冷凍室の扉を開けて凍ったジュースを取り出し、頬に当てて冷たい感じを思い出します。冷蔵室のドアを開けて、いちごジャムのチューブを取り出し口に含み、ジャムの
感触と味を思い出します。
換気扇の紐のスイッチを、5回引っ張ります。
ドアのノブを、5回まわします。
パソコンのスイッチを入れて「ギュイーン」という、開始音を思い出します。マウスを持って回線を入れて、インターネットにアクセスします。
キーボードに1から5まで入力します。
そして、最後に「いつも自分がお金を入れているところに行き、そこの引き出しを開けて、分厚い封筒を取り出してください」。
さあ、いよいよここからが、金運瞑想法の本番です。
高藤総一朗氏の金運瞑想法では、金色の川をありありとイメージすることが、必要条件です。ところがこのようなビジュアルイメージをありありとイメージすることは、初心者には中々できません。
しかもそのような操作を1時間以上行うことが必要ですが、1分もあれば足りる単純を操作を「飽きる」ことを考えれば不可能に近いのです。
これが、元の金運瞑想法の欠点でした。
これらの欠点を、ことごとく無くす方法が次からの核心です。
さて、机の前に座って、その紙袋から「1万円札型の白い紙」1枚だけとりだして下さい。手ではお札を触ったときのざらざらした、特有の感触を思い出します。
そして福沢諭吉の印刷されている部分を触りながら、福沢諭吉の顔を紙の上に思い出します。これは難しいので一瞬で構いません。
そして角の部分を触り、感触を思い出します。
その他、工夫してその紙が1万円札であるように、触ったり想像したりしてください。
そして紙袋から、お札を一杯取りだして、机の上に数えながら置いていきます。この時も数を数えますが、幾らでも数えてください。
10なら10万円で、100なら100万円ですね。
自分の欲の数だけ、数をかぞえてみて下さい。
その行為に疲れたら、そこに横たわります。
そして空間に鉛筆を持って、丸を10回描きます。
左手に持ち替えて、また10回書きます。
次に腹筋を行います。
そして、部屋の備品を操作しながら、部屋を1周します。
お金を取り出して数えます。
これを延々と繰り返すのです。
繰り返せば、繰り返すほど、催眠状態は深くなっていきます。
そして、毎日繰り返せば、イメージ力はどんどん強くなっていって、数カ月で現実感を伴ったイメージを得ることが可能になります。
これが21世紀の、「金運瞑想法」です。
また現実にこの瞑想法が効果を上げているか、確かめる方法もあります。
それには、鉛筆で空間に丸を書くときに、丸を書いたあとで自分の名前を書いてみます。それも左手で書きます(右利きの人の場合です)。
つまりこれで、左手で文字を書くイメージトレーニングが、できるわけです。
そうして、トレーニングを開始する前と何週間か経ったあとで、左手で文字を書く能力が上がっているか検証します。
運動能力という人体の根本的能力の向上が出来ないのなら、金運という目に見えない「能力」の期待は出来ないかもしれません。
また、こうやってトレーニングに一定の成果が出ていることを確認することで、自分の
しているトレーニングの結果に自信を持つことが可能になります。
さて、このような金運瞑想法に本当に効果があるのてしょうか?
効果があるとして、それに科学的根拠はあるのでしょうか?
人間の意識と脳の研究をすると、脳は、知れば知るほど、コンピューターに近いことが分かります。
私たちは人間であることに一種の誇りを持っていますが、じつはそれは大脳が人間というソフトを獲得したという感覚に基づいています。
ところが人間の脳というコンピューターは、このソフトを走らせているOSは猿と同じものなのです。
深いところでは爬虫類から、魚類に至るOSを使っています。
しかし、鳥のOSはありません。
なぜなら鳥は爬虫類(恐竜)から別れて進化したもので、哺乳類である人類とは別系統の進化をした生物だからです。
さて猿のOSとはなにかと、いうことを説明します。
これは人間が集団で社会を創っている、根本原理だと言ってもよいでしょう。
私は学生時代に日本史の授業を受けて不思議に思ったことがあります。それは豊臣秀吉です。
秀吉は非力で小男でした。
その男が、一介の貧農から天下を掌握する人間になったのです。その際に何度も命を狙われたことが想像できます。
その時にそんな非力な男がなぜ生き残れたのでしょうか?
しかも時代は、下克上と呼ばれた戦国時代です。下のものが上のものを倒すことに、なんの躊躇いもない時代なのです。
その答えは、人間世界の規範で考えたのでは分からないことを、私は脳の研究から知りました。
つまりその答えは、猿の社会構造にあったのです。
たとえば群れをつくる猿(日本猿のような)社会では、それぞれの猿の社会的地位は固定しています。そして、下位の猿は上位の猿に逆らうことができません。
逆らうためには、社会的地位の逆転の手順を踏んでからでないと、できないのです。
これが「猿の社会の掟」であり、猿の本能・「猿のOS」なのです。
つまり秀吉には、猿の社会であるような「その社会の上位者であるような雰囲気」があったと思われるのです。
それがあったがために、暗殺者から命を狙われにくい存在であったと、推測することができます。
また、これを持たなかった他の戦国武将たちの多くは部下に、寝首を掻かれて舞台から去っていったのでした。
つまり「猿の社会を形創るための本能」に訴えかけることで、社会生活を有利に生きることが出来る、ということがこの秀吉の例では推察できます。
そして現代において「金持ち」は1種のステイタスであり、つまり猿社会のボス猿的雰囲気を持っているのです。
もし、あなたが貧乏人なら理解できると思いますが、お金持ちの人にあったときに、なぜか圧倒される雰囲気を感じるものです。そのお金持ちの人になんの借りがなくても、そういう雰囲気を感じてしまうのです。
その雰囲気というのは、暴力団関係者が持つあの圧倒的な感じに良く似ています。つまりこれが「猿のOS」のなせる技なのです。
今日では、金持ちであるだけで圧倒的社会ステイタスですから、その雰囲気だけで周囲の貧乏人を圧倒できます。
前述の高藤総一郎氏は、この感じを金持ちの人からは「気」が圧倒的な感じで、押し寄せてくるのを感じると言っています。
私たちは、無意識的にこのような感じを受けて、金持ちの持つ雰囲気に圧倒されているのです。いわゆる「芸能人オーラ」も同様な現象です。
つまりこの「猿のOS」が働けば、貧乏人はお金持ちの人に逆らえない・尽くしたいというような感覚を自動的に持ってしまうのです。
逆に言うと、たとえあなたが本当は貧乏人であっても、この「猿のOS」に訴えかける「お金持ち的雰囲気」さえ持っていれば、周囲の貧乏人は自動的にあなたを本当のお金持ちに変えてしまうように、動いてしまうことが可能になります。
これを本人から見ると、さまざまな偶然が働いてあっというまに金持ちになってしまった!という感覚にあります。
つまりシンクロニシテイとか、金運がついた状態というのには、こういう理由があったのです。
こういう雰囲気というのは、音声を使わない言語や無意識の身振り・つまりノンバーバルランゲージが使われると考えられています。
白隠禅師が罹っていた病気は、「禅病」というものであったと言われています。若い頃、あまりにも熱心に修行に励んだ禅師は、修行を始めてからわずか三年で、「悟り」の境地を体験します。ところがその後、しばらくしてから次のような症状が現われたということです。
「 ・・・頭痛、胸痛がはなはだしく、肺と心臓がやけ焦げるようで、両手両足は氷雪のように凍え、耳はガンガン鳴りつづけ、なにごとに対しても臆病になり、神経過敏に、かつ恐怖に駆られ、心身困憊し、夜は眠ることもできず、夢と現(うつつ)の境を行き交い、両脇はつねに汗ばみ、両眼は涙が流れつづけるようになってしまったのである。
そこで名医という名医を訪ね、あらゆる治療をうけたが、すべての鍼灸医薬もなんら効果をしめさず、絶望の淵にしずんだのであった。」
( 『白隠禅師 健康法と逸話』直木公彦著 日本教文社 夜船閑話 本文(意訳) より )
症状的には、一般的に言われるノイローゼの激しいものです。現代医学で使われる病名では、心身症、自律神経失調症といったところかもしれません。
そして、この症状が内観の秘法を毎日、時間を決めて行ったところ、
『三年にもならぬあいだに、いままでの病気は芯から全快してしまった』というのです。
上のような症状の病気を現代医学で治すとしたら、果たしてどれくらいの年月がかかるでしょう。そもそも完治したというところまで、行き着くかどうかさえ怪しいところです。それが三年で、「完治した」という事実に注目する必要があります。
ところで、この呼吸法の効果を、さらに具体的に証明する資料がありますので、下に紹介しておきます。
白隠禅師の寺では、かなり厳しい修行が行われたために、心身の均衡を崩す若い僧が続出したようです。それを治すために、この呼吸法が取り入れられたということです。その結果、どのような結果が生じたかが、下の引用文の中に記されています。
( 『夜船閑話』は、短い書物です。その序文を、白隠禅師の弟子の一人であった窮乏庵主(きゅうぼうあんしゅ)、キトウセンという人が書いています。その中に、「内観の秘法」の実際のやり方や、その治療効果について、分かりやすく記されている部分があります。そこから引用します。)
これについて、禅師はつぎのように申しておられます。
「 もし、学問の道にすすみ、懸命に一心に真理の道をもとめ悟道にこころざすものが、勉学身に過ぎ、頭脳が逆上し、心身疲労はなはだしく、内臓の調和がみだれてきたならば、鍼灸や医薬などで、この病をなおそうとおもっても、癒るものではない。
/ ーー 中 略 ーー /
この秘法を実習しようとするときは、すべからく人間界の思いわずらいや工夫をすて、小智才覚の一切を放下し、かんがえること、見ること、話すこと、感ずること、一切の雑念など心の外部への活動を追いはらってしまい、からっぽになってこの『内観の秘法』をおこない、深く眠り込み、そのあとで、肉体の眼とともに心の目をさますというようでなければならない。すなわち、床に入り、眠りに入るまえに、両脚を長く踏みそろえ、一身の元気を臍(へそ)のまわりから気海丹田(きかいたんでん)、腰、股や両脚から足のうらに下し充して、つぎのように何回も繰り返し繰り返し内観するのである。
(1) わが気海丹田腰脚足心(きかいたんでんようきゃくそくしん)、まさに是(こ)れわが本来の面目(めんもく)、面目なんの鼻孔(びくう)かある。
(2) わがこの気海丹田、まさに是(こ)れわが本分(ほんぶん)の家郷(かきょう)、家郷なんの消息かある。
(3) わがこの気海丹田、まさに是(こ)れわが唯心(ゆいしん)の浄土(じょうど)、浄土なんの荘厳かある。
(4) わがこの気海丹田、まさに是(こ)れわが己身(こしん)の弥陀(みだ)、弥陀なんの法をか説く。
このようになんどもなんども打ち返し、繰り返し、想像し観念し、想像力を集中するがよい。観念想像力構造の効果がつもってあらわれてきたならば、一身の元気はいつしか、腰や脚部や足のうらに充ち満ちて下腹部の丹田はヒョウタンのように、かたくなってくるのである。
右のように『内観の秘法』を一心に、真剣に、切に修するときは、二、三週間にしていままでの苦悩、不快、神経衰弱、肺病、などあらゆる難治の病の症状が、底をはらったように全治するものである。もしも、これが偽りならば、この老僧の首を斬りとって持ち去るがよい」と。
そこで、弟子ら一同はたいへんよろこび、懸命に精進修行したところ、各人ことごとく不思議なる効果が現われ、ほとんど病の症状は消えて、やがて全快してしまったのであります。修行精進の深い浅いによって快復の遅い、早いはあったけれども、全員完治してしまったのであります。いまさらながら、この「内観の秘法」の効果の偉大さにおどろき、かつ賛嘆してやむところを知らなかったのであります。
( 同上 夜船閑話 序文(意訳) より )
上の内容を読めば分かるように、この呼吸法を実践したところ、弟子たち全員の病気が治ってしまったということです。しかも『苦悩、不快、神経衰弱、肺病、などあらゆる難治の病の症状が』とあるように、一つの病気だけでなく、様々な種類の病気に対して効果があったということです。
これは先ほどの気功の場合と同様に、それらの病気を創り出すそもそもの原因が、自動的に取り除かれるためであろうと考えられます。つまり原始的なプログラムによって創り出される病気だからこそ、この方法で治せるのであるということです。ただしここに肺病とあるのが、結核をも含むとすると、もう少し別の角度からも考える必要があるかも知れません。
ところで、一口に呼吸法と言っても、ただ息をすることと、何が、どう違うのかが分からないと、せっかくの効果を導き出すことができません。『夜船閑話』の本文の中には、この呼吸法を行う際の要領や、コツのようなものが、過去の偉人たちの言葉として紹介されています。以下のようなものです。
八百歳まで生きた有名なホウソはつぎのように説いている
『心をやわらげ、元気を全身に満たすようにみちびく方法は、はなれた密室に入り、床をのべて、その上にあおむけによこたわり、枕の高さ二寸五分のものをして正しく上をむいて身体をねかせ、しずかに目をつむり、心気を丹田におさめ、鼻孔の上にやわらかい鳥の羽毛をつけてあるものと想像し、この羽毛の動かぬようにしずかに息をすること三百回に至れば、耳にはなにも聞こえず、目はひらくともなにも見えないようになる。このようになったならば、いかなるはげしい寒暑をも身体を害することができず、熊蜂が刺してもいたみ毒することができず、
以下、略 』と。
またソナイカンはこういっています。
『まさに空腹をおぼえて食し、つかれるまえにやすむ。なるべく散歩逍遥して、腹をすかせるようにつとめ、腹のすこしすいたときに、しずかなる小部屋に入り、端座し、無念無想に入り、呼吸する息の数を数えるがよい。一よりしずかにかぞえ出し、・・・十・・百・・千までかぞえれば、この身のこの心は寂然こつ然として、天地宇宙一切のものと溶けあって一体となり心身の清浄なることを感ずるであろう。このような状態になることひさしくして、呼吸はいつしかやみ、<息出でず、入らず、しずかにしてやむ>の境地に入るものである。このとき、体中の息は、八万四千の毛孔より雲霞のように、自然に蒸発していくように感じられて、いかなる難病もたちまち全快するのをはっきり自覚するであろう。
以下、略』と。
( 同上 夜船閑話 本文(意訳) より )
この技法は、呼吸法のコツを修得するまでが、けっこうたいへんなような気がします。私自身も試みに何度かやってみたのですが、さっぱり要領がつかめませんでした。なぜかすぐに眠ってしまいました。熱心さが足りないためかもしれません。ぜひ指導者が欲しいと思った次第です。しかし、一度コツさえつかめば、その効果が絶大であることは上のような弟子たちの事例からも、まず間違いないでしょう。
以上が、「内観の秘法」という呼吸法です。
白隠禅師は、この時いっしょに「軟酥の法」という呼吸法も伝授されました。これは白幽仙人自身がかつて様々な病気に苦しめられ、ついには医者からも見離されて、最後の手段として天地の神々に祈ったところ授けられたというものです。そして、これを熱心に実行したところ、それほどの大病が、一ヶ月ほどで治ってしまったというのです。
こちらはどうやら胃腸、内臓の諸機関の働きを活発にし、内分泌機能を盛んにさせ、心身を壮健にする呼吸法のようです。
まず、頭の上に、丸い仙薬が乗っている状態をイメージします。その仙薬が少しずつ溶け出して、全身の隅々にまで行き渡るように想像します。それを何度も繰り返すだけです。
興味のある方は、ぜひ一度、原典をお読みになることをおすすめします。「内観の秘法」と「軟酥の法」を組み合わせて行うことで、より効果が高まることもあるはずです。それにより現代の難病も治せるかも知れません。もしガンや糖尿病が治せたら、多くの医者がいらなくなりそうです。しかもそれだけでなく、もしかしたら仙人になれるかも知れません。21世紀の現代に生きる仙人というのも、なかなか存在感がありそうです。
*** ○ ○ ***
ところで、この白隠禅師が伝えた呼吸法に関しては、私自身にも、その治療効果を確認した実例がありますので、ついでに紹介しておきます。
以前、パソコン通信のある会議室で、この方法を紹介したところ、一ヶ月もたたないうちに、病気が良くなったという返事が返ってきました。その時の経緯を説明すると、つぎのようなものです。
あるネットのある会議室に、知人の女性の病気がなかなか治らずに、いくら医者に罹っても一向に好くならない。かえって悪くなる一方である。もしかしたら「気」が原因の病ではないかということで、ある人がその会議室に、救いのための情報を求めてきました。
問題のその女性は、内科から精神科までのあらゆる病院を渡り歩いたそうです。症状は、どうやら白隠禅師の場合と同じように、自律神経失調症か心身症のようなものであったと思われます。
そして、その女性は以前、呪術的な要素のある呼吸法を習ったことがあるということでした。それでもしかしたら、それが原因なのではないかというものでした。つまり気功の「偏差」のようなものです。きちんとした指導者につかないで、自己流で気功の練習を行うと、一種の自律神経失調症か心身症のようなものが発生することが知られています。
そこで、この白隠禅師の呼吸法を紹介したところ、すぐに始めたそうです。間もなくして病気が、どんどん好くなって行くという書き込みがあました。そして、ついには病気が、ほとんど治ってしまったという報告がありました。そうなるまでに、一ヶ月ほどしか掛かりませんでした。医者も家族もびっくりだったようです。
その女性の場合は以前に、「呼吸法」というものに関して、ある程度の知識と経験があったために、要領やコツが分かっていたようです。それで、そんな短期間で病気を治すことが出来たのだと思います。
普通の人が、初めからそう簡単にコツがつかめるとは思えませんから、やはりそれなりの時間を掛けて、繰り返し鍛錬・訓練をするしかないだろうと思います。それでも白隠禅師の場合は、三年で完全に快復したということですし、弟子たちの場合は、もっと早く快復したように読み取れます。二、三週間で効果が現われるという禅師の言葉がありますし、また気功鍛錬の場合も、わずか30日間でほとんどの人が治っています。ですから一ヶ月というのは、一つの目安になりそうです。
とにかく医学の進歩した現代でも、すべての医者から見離される人がいるのです。これは言うなれば、現代の難病です。そうした病気の人が、たった一ヶ月で完治してしまったのです。そのことを励みとして努力を続ければ、必ず活路が見出せるような気がします。
* ○○ ** ** ○○ ** ** ○○ *
上に紹介した「気功」も、白隠禅師が伝えた「内観の秘法」「軟酥の法」も、ともに呼吸法の一種です。呼吸法というのは通常、「気」を操作する技術・技法であると考えられています。もちろん、ヨーガ、太極拳も同様です。
そして、そうしたものの一つである気功には、様々な精神障害を治す効果があり、また白隠禅師が伝えた呼吸法も、同様に様々な精神障害に対して効果があるというのです。上に紹介した資料は、そのことを示しているわけです。これは一体、どういうことなのかを考えてみる必要があります。
気功はきちんとした指導者につかないで、自己流で行うと、少々厄介なことが生じます。「偏差」と呼ばれていますが、一種の自律神経失調症か心身症のようなものが発生することがあります。禅も呼吸法の一種であると述べましたが、これからは「禅病」と言われるものが生じます。白隠禅師が罹った病気です。
呼吸法を自己流で行なったり過激に行ったりすると、なぜそうした障害が発生するのでしょう。きちんとした指導者についた場合と、そうでない場合とでは、何が違うのでしょうか。このあたりに、上の疑問を解く鍵がありそうです。
そして、この点に関しては、およそ次のように考えることが出来そうです。
きちんとした指導者がいる気功教室で気功を習うと、練習の最後に必ず「終功」というものを行います。それによって、一度上がった気を降ろすといわれています。そのために腹部の丹田という部位に、気を降ろす動作を行います。これは運動をした後の整理体操や、ストレッチ体操と同じ効果を持つと考えられます。
激しい運動をした後で翌日、筋肉痛を起こさないためには整理体操や、ストレッチ体操をやる必要があります。これは脳の興奮を、短時間で鎮める作用のあることが分かっています。脳波計で見ると、それまでは興奮状態であった脳が、急速に鎮まっていくのが分かります。つまり運動を止めてからも、脳の興奮状態はすぐには治まらないのです。その興奮状態が続くことで筋肉が休まらず、翌日の痛みの原因を創りだすのです。疲労が残る原因になります。
呼吸法でも、それと同じことが起きると考えられます。つまり呼吸法を行ったあとの興奮が、脳の中でいつまでも持続している状態が、気が上がった状態と言われるものです。放置すれば、その状態がいつまでも持続します。ストレッチ体操や整理体操のようなもので、興奮を鎮める必要があります。
運動終了後の整理体操やストレッチ体操は自己流で練習すると、最もおろそかになりやすい部分です。ですから偏差、禅病というのは、それをきちんとやらないための障害ではないかと考えられるわけです。
要するに気功の効果というのは、その終功によってもたらされるのではないかと考えられるわけです。これをやらないために偏差という精神障害が発生し、これをきちんとやることにより様々な精神障害を治すことが出来るというのは、この終功の効果の中に、すべての秘密が隠されていると考えるのが妥当です。つまり、それによって、精神神経回路の中に創られた例のプログラムの活動を停止させることが出来るのではないかということです。
禅の場合は、それが非常にゆっくりと進行するために、大抵の場合は禅病にならずに済むわけです。あまり過激に行うことがないように、危険防止のための機能が、座禅修行の行程の中に組み込まれているのです。つまり掃除や食事などの日常的な作業ともに、座禅修行が定期的に行われるようになっているのです。ここに古来よりの人々の知恵が取り入れられているわけです。
さて、この「呼吸法」の効果を、もう少し原理的に説明すると、およそ次のように整理することができそうです。
気功も禅も呼吸法の一種です。呼吸というのは、意識的に自律神経系に働きかけることが出来る唯一の方法です。そもそも自律神経系の機能は、発汗や心臓の鼓動のように、人が意識的に操作することの出来ないものです。ただし呼吸だけは自分の意志によって、早くしたり遅くしたりすることが出来ます。その呼吸に連動させる形で、他の臓器の機能を調節することが出来れば、結果的には、自分の意志で自律神経系を操作することになります。
たとえばヨーガの達人は、呼吸数を減らし、心臓の鼓動を遅くして体温を低下させ、一種の冬眠状態を創り出すことができます。それを意識的に行っているのです。つまり自分の意志で、自律神経系を操作しているわけです。
従って、「呼吸法」というのは、本来古い脳の支配下にある自律神経系に、意識的に介入することの出来る技術・技法ということになります。一方、精神障害を創りだすプログラムは、一種の「条件反射」のプログラムです。そのプログラムが自律神経系を操作して、様々な障害を創り出しているわけです。
その自律神経系に意識的に働きかけることが出来るということは、結果的に、精神障害を創り出すプログラムの活動を押さえることが出来るということです。きちんと終功を行うことで、自律神経系の興奮を鎮める作用が生じれば、病気は自然に治ることになります。要するに原因を創り出すプログラムさえ働かなくなければ、病気は発生しないということです。
上に紹介した気功や、白隠禅師が伝えた呼吸法には、もともとそうした効果があると考えられるわけです。つまり呼吸法というのは、自分の意思で病気を治す技術・技法であるということです。
ですから白隠禅師が、もしこれで病気が治らなかったら、私の首を差し上げますとまで言い切ったのは、それなりの根拠があったということです。要するに「呼吸法」には、現代科学が見逃している真理が隠されていたということです。或いは、解明されていないメカニズムが存在するということです。
科学的な思考法の原点は、起きている現象を正確に捉えることです。そして事実を事実として捉えて、正しく分析することです。そうした姿勢で臨めば、呼吸法の有効性が、科学的に証明されるはずです。
またこの方法を薬物療法と組み合わせて使えば、今までは完治させることのできなかった病気が、確実に治せるようになります。そうすれば患者も、家族も大いに救われます。
精神医療に携わる人たちは、ぜひこうした観点に立って研究を進めて戴きたいものです。他の分野では、予防医療の一環として、気功を取り入れている病院があります。その効果も確認されています。従って、精神病院で気功や、白隠禅師の呼吸法を取り入れても、決しておかしくはありません。
それどころか、今までは治せなかった病気が治せれば、精神病院のあり方が変わります。患者を世間から隔離するための病院から、病人を治すための病院になります。それこそが本来の病院のあり方です。