日本語に具体化して瞑想しよう
パーリ語と翻訳の違い 上座部仏教のHPより
釈迦の最期の言葉で「諸行は無常なり。不放逸に精進せよ」と訳されているものがあります。これはパーリ語では
「vayadammâ sankhâra,appamâdena sampâdetha」
Mahāparinibbānasutta Dīgha
Nikāya 16 大般涅槃経 英訳 The Discourse about the
Great Emancipation
で、直訳すると
「すべてはつくられたもの、つくられつつあるものであり、壊れる性質のものである。今の瞬間に気づくことを怠らずに(サティを切らさずに)完成しなさい」というような意味になります。
語 |
語根 |
品詞 |
語基 |
性 |
数 |
格 |
意味 |
vaya |
|
名 |
a |
男 |
有(属) |
衰、衰亡、消亡、壊 |
|
dhammā |
dhṛ |
名 |
a |
男中 |
複 |
主 |
法 |
saṅkhārā |
saṃ-kṛ |
名 |
a |
男 |
複 |
主 |
行、為作、現象 |
appamādena |
a-pra-mad |
名 |
a |
男 |
単 |
具 |
不放逸 |
sampādethā’’ |
saṃ-pad 使 |
動 |
願 |
能 |
複 |
二 |
得る、完遂する、現生する、つとめる |
ti. |
|
不変 |
‐ |
‐ |
‐ |
‐ |
と、といって、かく、このように、ゆえに |
『appamāda』は、上記のように、不放逸、や「怠らない」と訳されています。
放逸とは、勝手きままにふるまうことを意味するので、不が前につくことで、気ままに振る舞わない、注意する、そして怠らない、と解釈されてきました。
Pamāda,[cp.Vedic pramāda,pa+mad] carelessness,negligence,indolence,remissness
しかし、これだけでは、何に対して注意を怠らないのか、よくわかりませんので、後に、何に対しても一生懸命に精進するという解釈が出てきたと推察します。
しかし、もし「お釈迦さまは努力しなさいと説かれているのだから一生懸命にがんばって勉強しよう、寝る間も惜しんで働こう」などと解釈したとしたら、釈尊の意図とはまったく違うことになってしまいます。
「精進せよ」と説かれた場合は、何をどのように努力することが正しいのか、ということをきちんと明確にします。
ここでいう精進とは、長い時間にわたって強く集中するのではなく、ただ瞬間瞬間に気づいていることで、
自我が成立する時空がなくなり、対象物をまとめて混同(一般化、パターン化)することが少なくなり、
次第に自我という妄想も減り、無常を体感し続けることで、結ばれていた紐(自動反応回路)が次々と解けて、
ありのままを知る(覚る)ことになります。
同じ語句であっても瞑想者用語と日常生活用語では意味には違いがあり、
瞑想者のいう「注意を怠らない」とは、「今の瞬間に気づいている状態(覚醒している状態)を維持する」という意味で、釈尊は最後の最後まで sati (「いま・ここ」に対する気づき)の実践に励むことを説かれていました。
これは、過去に学習した想蘊や出来上がった行蘊に依存して一般化して認知することを避ける、ことも意味します。
換言すると、生きながらえることに執着すること(放逸)の無意味さに気づくこと、です。
このように経典や瞑想指導の言葉の意味を把握するには、原語、漢字に訳されたときの1500年前の意味を参考にしながら、いちばん大事なことは「釈尊が瞑想者に対して言った語句」として理解することです。
瞑想指導でよく使われている言葉の数々の意味を再考してみます。
Observe 見詰める 観察する
Gaze stare
Watch 動くもの(動きが予測されるもの) 見守る(動くので周囲も見る必要がある)
Look at
Wait and see 見守る
Stand next to the object 寄り添う
ob (接頭) = against (対して)
serve (保つ)serv1-, servat- : L.servare = to keep(保つ)、to protect(守る)
対象に対して注意を保つ
cf. preserve [pre-= before](前もって保つ) →保存する reserve [re-= back](後ろで保つ) → 取っておく
語義 目の前に保つ、守る、見守る、観察する、「仕えるために注意深く」
傍聴人をオブザーバー(observer)といいますが、控えて見守る人のことを指します。注意深く気づいている人のことです。
日本語訳の例
見つめる→「感じる」、見守る、気づく、寄り添う
「わたし」が見つめるというよりも、カラダのことに気づいている自分を一歩引いて内側から「見守って」いる感覚にobserveは近いのかもしれません。
もし「わたし」が見守ると感じてしまうのならば、もっと柔らかく微細な「気づく」として受け取った方がゴエンカ師の言うobserveに近いのではないでしょうか?もしくは見守っている対象物に「寄り添う」感覚のほうが見詰めるよりも近いと思います。
私が道を誤ったのは瞑想の最中にカラダの部位を見つめすぎて、そこが対象物となり、閉じてしまい凝縮して固まってしまったことではないかと推測しています。
それから数ヶ月をかけて、固まった体の各部位を、「気づいてコツコツゆったりと」と続けてあげていると、だんだんとそのコリがなくなっていきました。
私の場合は、「見つめる」や「観察する」となると主語の「わたし」が全面に出てくるので、
「気づく」というように理解すると、カラダの部位を見守っている「わたし」を一皮ですが内側からそれに寄り添っている「自分=意識(大脳皮質と大脳辺縁系)+無意識(脳幹と循環器系器官と消化器系器官)」という感覚になれました。
Diligently 懸命に 命を懸ける 熱心に
中期英語<ラテン語 dīligēns(dīligere「選ぶ,好む」の現在分詞)
dīligere=dī- +-ligere(legere「選ぶ,読む」の連結形)
di=dis(=apart) 分解する. 離れて(⇔together);(時間的に)ずれて
leg-, -lig-, lect-, lextus(pp), lect- : L.legere = choose(選ぶ), gether(集める) 「選ぶ、集める、読む」
collect(集める)はcol(一緒に)lect(集める)、つまり一か所に集めるイメージ。
election(選挙)は候補者の中から選んで(lect)外に取り出す(e=ex)こと。
select(選ぶ)はいくつかの中から分別(sel)して選ぶ(lect)こと。
neglect(怠る、無視する)は選別を(lect)しない(neg)で、怠る。
日本語訳の例
→判断するのではなく、選ぶことなく、凝縮させる(集める)のではなく、
あるがままに、自然の法則に従って、はからいなく、クセになるまで、安らかな心境で、
こつこつと、ゆったりと、淡々と、ゆっくりとしかし決して止まることなく、夜空にきらめく星のように。
Atapi Diligence means bringing the mind back to the
object of meditation again and again no matter how many times it slips away.
ヴィパッサナー・センターではDiligentlyをパーリ語のAtapiの訳と捉えているようだが、
Atapiはtapi(熱い)の否定形、すなわち熱くならない、冷える、涼しくなる、というニッバーナの初期段階で感じる冷静な気持ちよさであるという解釈もある。(ウェブサイトpure dhamma)
Equanimity 平静
Surface analysis is equ- + animus + -ity.
From French équanimité, from Latin aequanimitās (“calmness, equanimity”), from
aequus (“even; calm; fair”) + cf. equal;equation;equivalent.
animus (“mind, soul”) + -itās.
aequus 平衡の状態。 平均値ではなく山と谷がある波のあるバランスのこと。
anim - 呼吸することを表す。animalなどの由来として生命。
-ity 接尾辞 状態・性格・程度などを表す抽象名詞語尾
Anim 途中遷移語 animaラテン語 息、生命、魂、精霊、→ animusラテン語 気持ち、霊魂
古代ギリシア語のプシュケー(: Ψυχή、Psyche)と同義
日本語訳の例
平静さは良い訳語とは思いますが、これに並行して、
深い安らぎ、
深く落ち着いた心境、
委ねてただ待つという心持ち
あるがままを受けとめる安らか状態
大きな波のようなゆるやかな安心
仏教の諦観である運命の甘受や「自分の意志をあきらめて自己というはからいがなくなった境地」
ゆったりとした周期的な呼吸、ありのままの呼吸、大きな波のようなゆるやかなで静かな息づかい
「平静」という言葉を聞いた時に、自分のはからいを持って平たく抑えて精神状態を動態から静態にしようとする意図が働いてしまったので、文脈によっては平静だけではなく、他の表現も並列するのも効果的ではないかと思いました。
Sweep 掃く
日本語訳の例
はくように→
体の表面を上から下に刷毛で掃くように
耳で「掃く」と聴いただけでは、言葉の意味がよくわからず、皮膚などの体の表面よりも先に内側の筋肉や内臓の動きを感覚してしまい、そこから反応が勝手に始まってしまう人もいるので具体的な表現として、
「刷毛で体の表面をはくように」と一番はじめから言ってもらえればミスリードのリスクが減るのではないかと感じました。
Vigilant 油断がない,警戒を怠らない、用心深い Keeping careful watch for possible danger or difficulties
Latin vigilans, present participle of vigilare (“stay awake”), from vigil (“awake”).
vig-、veg- : L.vigere = to be lively(生き生きとした), to be vigorous(生命のある)
vigilant(用心深い)はvigil(寝ずの番)やvivid(生き生きした)と同根のvig(生命)
生きるということは、ゴエンカ師の教えの中では生成と消滅であるアニッチャ (パーリ(Pali)<サンスクリット語 anitya 永遠でない =a- 否定+nitya 永遠の)を体感することが含まれていると思うので、注意する対象である「無常」を明確にすることで、その他の必要のない情報が流入するのが減少し、警戒することよりも気づくことのほうが、瞑想により深い呼吸が感じられるようになりました。
日本語訳の例
油断がなく、用心深く→
変化するもの(無常)に敏感に注意深く門番(gatekeeper)のように「気づいている」
私の場合は、油断なく警戒してしまうと「わたし」が全面に出てしまい、無常ではないことに関心が移ってしまう傾向がありました。
Intensity 集中して
ラテン語intendere(伸ばしきる)+sity
・in=中へ
・tense=tens(tend,tent)=のばす、引張るto
stretch、extend
→中へ引張る→弓を中へ引張ると強烈な力が出る→強烈さ→震度激しいこと、(光)彩度、地震の震度
【intense】強烈な【intensify】強烈にする【intensive】強烈な→集中的な
日本語訳の例
集中して→
外ではなく内に向かいなさい、内に向かって関心を向けなさい。
Intendはextendとの対語なので、ここを強調して、気づく対象を外側ではなく内側に向けることを言葉にしてもらえればわかりやすいのではないか?
Practice 修行
修行→実践、 実際にやってみましょう、まずはやってみてそれを続けていきましょう。
文脈において日本人の気質からして修行も良いと思いますが、ゴエンカ師の講話の中では、実践として理解するほうがわかりやすいところもあります。
はじめての新しい生徒にとっての10日間コースでは言葉通りの「テクニックを実践(プラクティス)」するという方が違和感が減る人がいるかもしれないと思いました。
Objectively 客観的に
主観性はsubjective で別の英語でいうと、the personal opinions 個人的な考え、もう一つは
of a mental act performed entirely within the mindという基準の中心(主体・主題)からの意識という二つの意味があると思います。
客観性はobjective で英英辞典は、 something that one's efforts or actions are intended to attain or accomplish; purpose; goal; target:the true state 目的、目標から実在するものへの転換、
というように捉えているのが一般的な欧米人だと思います。
ここには日本語の「主」や「客」という概念はありません。
目的を達成する(瞑想法をマスターする)ために過去の記憶やイメージや空想を使うのではなく、「今」このカラダで起きていることを体験(感覚)するのがこの瞑想法を指導する文脈で言うobjectivelyではないでしょうか?
科学やロボットの視点である客観性で感覚を体感するのではなく、実際に常に移り変わっていく感覚をありのままに気づいていなさい、という意味だと思います。
ですから例えでいうと、赤と緑が見分けられない色盲の人にとっては、subjectivelyとは信号機のルールに従い、科学的に周波数によって色が分析されることを理解して、事故を起こさないためには信号機の右端が赤色、左端が青色だと「想像」していることで、objectivelyとは色盲によってどちらの違いも分からずどちらも同じ色に見えるありのままの状態のことを指すと思います。
日本語訳の例
はじめは「客観的に」でいいと思うのですが、2回目以降は他のわかり易い言葉も付け加えるのもよいかと感じました。はじめての人もメソッドを間違いなく実践できるようになるのが目的だと思うので、言葉を辞書の直訳だけにするのではなく、ゴエンカ師の真意を具体的に添えることにより勘違いすることが少なくなるのではないかと思いました。
→
これまでに学習した過去の記憶を使うのでなく、目の前にあるありまままの様子(すがた)をそのまま感じてみてください。
作り上げてしまったパターンとして感覚を見るのではなく、一歩引いて内側から見守ってあげてください。
新たな出来事として体の表面の感覚を柔らかく見守ってあげてください、気づいてあげてください。
名前をつけてしまった過去の記憶で見るのではなく、今、この瞬間に感じている感覚を大事にしてください。
Pali |
English |
Hindu |
Tipitaka sutta |
dukka |
Misery (mental) Pain (physical) not perfect unsatisfactoriness soulless? gate? pleasure chance? |
|
Sabbe saṅkhārā dukkhā'ti yadā paññāya passati Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā. Dhammapada 20 Magga-vaggo 法句経 |
upekkhā |
Equanimity as it is (wave)? ekka gata? |
|
関係性は? ・一境性(いっきょうせい):ekaggata(エカーガッター)⇒一体感。 |
Avijjā avidy´ |
Ignorance Origin of desires Instinct of unconscious Impulse to exist To survive No know itself No known cover over dhamma? Purpose to be lived Belief of delusion Life? god? |
|
|
annatā |
Not self, egoless, without essence without substance harmony “I” & objects all connection? Dissolution? |
|
|
Dhamma |
phenomenon contents character, quality nature teaching law of nature Law of the earth? Law of cosmos |
|
Sabbe dhammā anattā Dhammapada 20 Magga-vaggo 法句経 dhamma of fire |
Pali |
English |
Hindu |
Meaning Reference |
pratLtya- samutpDda |
The Chain of Conditioned Arising |
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Vedanā |
Feeling、sensation Three tags |
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Saṅkhāra pratikriya |
Action reaction phenomenon (H2O) shaped by will Shape maker Paticca-samuppāda Reflex circuit recognition system |
|
Sabbe saṅkhārā aniccā, sabbe dhammā anattāti. 35 Cūḷasaccaka Sutta パーリ仏典 中部 Vinaya Pitaka Mahā-vibhanga1,1,2 律蔵 大分別,1,1,2 |
viññâna |
Consciousness |
|
識 |
vā? dekh? niharati? dekhate? dekha? savadarsana? |
Observe Stare at one point see Watch stand next to it See and wait Look after |
keval janana |
, |
ātāpī |
Diligence |
lagen se |
|
|
Vigilant |
|
油断なく警戒してしまうと「わたし」が全面に 出てanicca に関心が向かない傾向 |
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Intensity |
|
Toward inside? 外ではなく内に向かって関心を向けなさい。 |
|
Practice |
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Objectively |
|
|
pītī |
rapture |
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歓喜の程度を知りたい 対語? |
Sukha |
joy happy bliss |
|
幸せ 対語dukkha |
|
|
|
物質と意識が一体 主体と現象は一体 |
|
|
|
世界はつながってる |
sammā- sambuddhassā |
perfectly enlightened one Fully Enlightened One perfectly self-enlightened one |
|
rightly self-awakened |