脳の中の幽霊 The emerging Mind V.S.ラマチャンドラン Ramachandran
芸術とは?
「芸術とは、真実をあばきだす嘘である」パブロ・ピカソ
芸術家は絵画や彫刻で、自然な光景や写実的な像よりももっと効果的に、できるだけ多くの視覚領野を興奮させることによって、「アハ」信号をできるだけ多く生み出そうとしているのです。
「アハ」のクライマックス体験にいたる前の、一種の視覚の前戯。
芸術は自然の「バーチャル・リアリティ」です。内部シミュレーションを作り出してリハーサルして、本番に向かうための準備運動です。
そしてただの想像力だけでは、満足しないように生命体は進化してきました。満足してしまうようならば遺伝子を広めたり進化させたりする必要がなくなります。他者がいなくても完璧なオーガズムできるように想像力を身につけてしまえば、活動は止まってその先の子孫はいなくなってしまいます。生命体は「誤り」を必要とし、試行錯誤がこの世にい続ける条件です。
幻肢の患者がミラーボックスを使うと、実際に幻の腕を見て動かすことができたが、想像力を使うだけではそれができなかったのも、同じ話です。
芸術の普遍的法則
1ピークシフト 平均との差異を強調 知覚文法の原型の発見と強調
2グループ化
3コントラスト
4孤立
5知覚の問題解決
6対称性
7偶然の一致を嫌う 包括的観点
8反復、リズム、秩序性
9バランス
10メタファー
薄いベールの向こうにあるヌードは欲望をそそる
情報量の多い写真よりも魅力的である理由は、視覚中枢と情動中枢を結ぶ配線が、解を探すという行為そのものを喜ばしいものにしているためです。
人間の脳は、カモフラージュ度の高い環境の中で進化しました。例えば濃い霧の中で恋人を追っていると、彼女の一部分がチラッと見える度に喜びを感じ、さらに追いかけようと気持ちがかきたてられます。
なぜ人は笑うのか?
全てのジョークの共通点は、予想外の展開によって、解釈を直さなくてはならないことです。これが落ちです。そして結果がささいな出来事で、実害があまりないことも大切な条件です。
笑いは「危険ではなく大丈夫ですよ」と知らせる案内です。「大事のように見えて、実は貴重な時間や労力を使うほどのものではないですよ」とリズミカルな断続音で周囲の人や自分自身に知らせているのです。
「くすぐり」も同じメカニズムです。脅かすように両手を広げながら近づいて、恐ろしさが膨らんだところで、敏感な部分をやさしく刺激します。膨らんでいた脅威が、一度にしぼみます。
潜在的な脅威が本物ではないとわかった時に笑うことでリラックスできる。この脅威は本物ではない、大丈夫だ、すべて良し、という合図がリズミカルな笑い声というコミュニケーションになる。また逆に安心を得るために、笑いが頻繁におこる。
ブラインド・サイト 盲視
視覚大脳皮質(後頭部)を損傷した患者が、鼻を境に半分が見えなくなることがあります。見えない部分に、小さな点状の光を呈示しても、「何も見えません」と答えるだけですが、その光点に触るように頼むと、「本当に見えません」といいながら、正確に光点を指差すことができます。
なぜでしょうか?
視覚皮質は損傷して半分が見えなくなりはしましたが、もう一つの古い経路はまだあるからです。脳幹の上丘を通過する経路でこれで対象物の空間的な位置を割り出すことができます。このメッセージが頭頂葉にある中枢に送られ、そこから手の動きを正確に指示するので、本人は「見えない」のに、対象物を指すことができるのです。意識が捉えることができないのに、意識にのぼらない別の存在が、彼の手を導いているのです。
ラリー・ワイスクランツとアラン・コーウェイ(オックスフォード大学の神経研究者)
誰もが盲視である
車を運転しながら隣に座っている友人と活発に会話をしているとします。完全に注意は会話に向けられているのに、それと並行して車の流れに対応し、歩行者に注意を払い、信号に従いながら、2センチアクセルを踏みながら、いつでもブレーキを3センチ踏む準備をしています。会話には注意を払っていることを自覚して意識していますが、運転については意識することはありません。道路を運転することはまさに「盲視」であると言えます。
意識は必要なのか?
ならば全てが脳幹の経路である盲視であっていいのではないでしょうか?
わざわざ意識にのぼらせる必要とは何なんでしょうか?
宇宙には精神的なものと物的なものとの区別はない
バートランド・ラッセルも提唱した、両者は同一であるという見解です。中立的一元論Neutral monismです。精神と物質は、ちがって見えるけれども実は同じという、メビウスの輪の両面のようなものなのかもしれません。
物質と精神は世界を記述する別々の方法で、どちらもそれ自体で完結しています。それは光が粒子としても波動としても記述できるの同じようなものです。この二つは全く違うように思えるにもかかわらず、どちらも正しいので、どちらの記述が正しいかと問うのは無意味です。
矛盾に敏感な右脳
矛盾に直面した時に、右脳は極めて敏感に反応するので、私は「異常検出器」と呼んでいます。それに比べて左脳は取り繕うという対処法を取り、矛盾など存在しないというふりをして先に進みます。防衛機制の一例です。
珍奇な現象が一般に認知されるためには
1 確かに実在する現象であること
2 すでに知られている原理に基づいて説明できそうなメカニズムがあること
3 現象そのものだけではなく、重要な意味を持っていること
共感覚とメタファー
芸術家、詩人、小説家に共通しているのはメタファーをつくる技能です。脳の中で無関係に思えるものを結びつける技能です。
これが関係のない感覚を一つに結びつける共感覚との共通点です。
この共感覚は特殊なものではなく、だれもが持っているものです。
有名なkikiとboobaの実験があります。
どちらの図柄がkikiですかと尋ねると98%の人が後者がkikiであると答えるという実験結果があります。
厄介な問題は細部に宿る Devil is in the details.
言葉の意味と唇の形状
小さい i u o un peu teeny weeny deminutive
大きい a e enormous large
文の階層構造の発達
1 脳のTPO領域 抽象概念が統語構造の進化を導いた
2 道具使用 フリント石をヘッドに仕立て、それを柄につけ、それで枝を叩き割る
この3段階は、名詞句のセンテンスへの入れ込みは似ている。
精神病疾患に対してのアプローチ
脳内の神経伝達物質やレセプターに生じる変化を突きとめ、薬を使って変化を修正するアプローチ
育てられかたに起因するとされるフロイト的アプローチ
進化神経精神医学 脳機能や解剖学や神経構造から症状を説明するアプローチ
自由意志 freewill
急に手足が麻痺する患者をMRIで見ると情動中枢である辺縁系と密に結合している前部帯状回と眼窩前頭皮質の部位が光りました。これは情動的なトラウマが手足の動きを邪魔しているために起こると思われます。
実験 神経外科医ベンジャミン・リベット
10分以内の自分の決めたタイミングで指を動かすように指示をします。すると被験者が指を動かそうと意識した瞬間と、実際に指が動き出した瞬間はほぼ一致していたにもかかわらず、指が動く0.75秒以上前に、脳波の電位変化があらわれた。
主観的体験としては自分の意志で指を動かしていると感じるのに、指を動かそうという「意志」を自覚する一秒近くも前に、脳波でモニターされる脳内事象が発生しているからです。脳の指令が一秒も前から出ているのなら、意志が動かしていると言えるのでしょか?まるで実際に取り仕切っているのは脳で、「自由意志」は事後の合理化による、自己を納得させるための妄想や言い訳のようです。
これにはどんな進化的根拠があるのでしょうか?
脳から生じた信号が指に届くまでに遅延時間が生じるためです。テレビの衛星放送のインタビューの間のように。
自然淘汰は、意志という主観的感覚をあえて遅延させ、脳の指令と同時ではなく、指による指令の実行と同時にするような方向に働いたのです。
もし意志が脳内事象に伴っているだけの随伴現象だとしたら、なぜ進化はシグナルを遅らせて、動きと同時になるようにしたのでしょうか?
意志という主観的感覚は、私たちの動きに伴う影のようなもので、私たちを動かす原因ではないのでしょうか?
ここにパラドクスがあります。
実験が示すところでは、自由意志は錯覚です。自由意志よりも脳の事象のほうが一秒先行しているのですから、自由意志が脳内事象を起こしているはずがありません。
しかし一方では、その遅延はなんらかの機能を持っているはずです。
緊急時に人は、痛みや恐怖を感じないことが起こります。ライオンに腕を食いちぎられたリヴィングストンや戦場の兵士やレイプにあった女性やてんかん発作にもこのようなことが起こる場合があります
緊急時には、前部帯状回が極度に活性化します。これが扁桃体の情動中枢を抑制あるいは一時停止するために、不安や恐怖など、無力化を起こしうる情動が一時的に抑制されます。しかし同時に、前部帯状回の活動性は、極度の覚醒と警戒を生み出し、必要になるかもしれない防御反応に備えます。
このメカニズムが脳障害や脳内の化学物質のバランスによって誤って誘発されてしまったらどうでしょうか?
強く警戒して世界を見ているのに、情動的な回路が機能しない状態です。
この状態を意識はどのように解釈するのでしょうか?
「この世界は現実ではない」という、現実感の喪失。もしくは「私は現実ではない」という、離人症のどちらかです。この状態を体験している間はどんなものに対しても皮膚電気反応が全くありません。
統合失調症
自分の内部に生じたイメージや思考と、外界に実在する事物によって生じる知覚とを区別できない、ことから起きる症状です。これが幻覚、幻聴、妄想です。一時的な考えが、現実によって阻止されず、本格的な妄想になってしまいます。
自己の定義
自己とクオリア(主観的体験)は同じ効果の表と裏です。
感覚体験や記憶や情動が全く欠けた自己はありませんし、自己が欠けた自由な立場の体験はありません。
コタール症候群のように感覚と情動的な意味がすべて失われると、自己は解体します。
自己の特徴は以下の5つです。
1 連続性 私たちの体験全体を、過去・現在・未来感をともなった途切れのない糸が貫いているという認識
2 統一性 自己は一つであり、統一されているという観念です。
3 身体性 自分の皮膚を限界として、その内側を所有し、固定されている感覚です。
4 自由意志 自分の行動や運命を掌握しているという、行為主体の意識です。
5 観る者 内省の能力があり、自分自身を観て、観られ、そのことを認識しています。
脳疾患によってそれぞれ別個に損なわれるので、自己は一つではなく、複数からなっていると考えられます。「自己」という言葉の中に、さまざまな現象を一まとめにしているのです。愛や幸福のように。
「自己」は自己と他者のあいだに本質的な違いはなく、自己とは幻想だとするヒンドゥの哲学的な見解です。
クオリアや自己認識は人間に特有なものなのでしょうか?
クオリア
主観的体験の本質は「分ける」ことです。一つのものを二つに、全体を部分に分けるのが生業です。
波長は連続していますが、色を赤・黄・緑・青という質的に識別できる4つの感覚として経験します。
視覚のクオリアは波長を分断して色に変換します。
しかし聴覚のクオリアには分断はありません。
自己と他者
生まれたばかりの赤ちゃんが大人の行動を模倣するたびに互恵的関係が築かれます。赤ちゃんに向かって舌を突き出してみせると、赤ちゃんも舌を突き出して、自己と他者の間にある境界を、感動的に消滅させます。
自閉症の子供たちが、他者の心の理論を構築できないのも、共感に欠けるのも、自分が自分の体に固定されているという感覚を促進する自己刺激にふけるのも、ミラー・ニューロンのシステムの欠陥と関係があります。
赤面は困惑を示す外的な指標なので、自閉症の子供は他者の心のモデルを作り慣れていないために、他者と自己の差異で起こる困惑が発生しないので、赤面することができないでしょう。
生命とは何か?
多数のプロセスの集合に対して、大まかに用いられる言葉。
DNAの複製および転写、クレプス回路、乳酸回路などなど。
高度な辺縁系
辺縁系は系統発生的に歴史が古く、しばしば原始的なものとみなされますが、人間においては理性(大脳皮質)と同じくらいに高度です。
謙遜、傲慢、慈悲、欲望、自己憐憫の涙
脳はモデルを作る機械 他者を理解するには
有用なバーチャル・リアリティをシミュレーションする箱です。他者の心のモデルを構築できると、他者の行動を予測できます。これが「他者の心の理論」です。そしてより正確に予測するためには、TPOを考慮して、その人の属している世界、経験、記憶、条件反射、人格特性、能力の有無と限界も加味します。
模倣
模倣が遺伝子だけに基づく進化という制約から人間を解放しました。7万5千年前に起こった火・道具・儀式・芸術の偶発的な文化の「大躍進」は模倣によって、急速に広がりました。
ミラー・ニューロン
猿真似をする時に発火するニューロンのことで、サルがピーナッツを掴む時に発火するニューロンは、他のサルがピーナッツを掴んでも、同じニューロンが発火するのです。
他の人の動作を判断するのには、バーチャル・リアリティとして内的にシミュレーションする必要があるからです。これによって他者の行為や意図を解釈して理解することができます。
この機能が精巧になって複雑な行為を真似る能力が爆発的に進化をとげ、人間の文明に重要な役割を果たしました。マキャヴェリ的な霊長類として、他者の行動を予測することを得意とする理由です。
目的のためには手段を選ばない
ヒルガードの「隠れた観察者」
私たちの中には、本来もう一つの観察している部分があり、それは多重人格の症状をきたしているか否かに関係ないという見方がある。ヒルガードは、その古典的な「隠れた観察者」の実験を通して、これが通常の人にも存在するという可能性を示した。
被験者に催眠下で暗示を与える。「これから大きな音をたてますが、私があなたの右肩に触れるまでは、あなたには何も聞こえません」次に大きな音をたてて被験者が無反応であることを確かめる。
さらに被験者に「催眠中でも観察しているあなたがいて、声が聞こえています。この私の声が聞こえていれば、右人差し指を上げてください。」と指示する。(実際に指が持ち上がる)被験者が突然「大変です。私の指が誰かにより動かされました。なにか変なことが起きているようです。音が聞こえるように戻してください。」検者が被験者の右肩に触れ、催眠が解ける。
ちなみに私はこのHilgard の実験について始めて読んだ際、解離や人格の分離という現象の奥深さを非常に深く印象付けられたのを記憶している。
(Hilgard, E. R. (1994). Neodissociation theory. In S. J. Lynn & J. Rhue (Eds.),
Dissociation: Clinical and theoretical perspectives (pp. 32–51). New York: Guilford Press.)
メタ表象 Meta-representation
実物の「小道具」があれば完全なメタ表象をひねり出す必要がない。
感覚表象そのものにはクオリア(主観的体験)がなく、それが経済的に符号化される過程でクオリアを獲得して第一表象になり、そののちに高次の中央実行系に送られます。その結果、新たな計算目標となる高次の表象である第二表象になります。すなわちメタ表象です。
これは「寄生性」の第二の観察者のようなものです。脳の中にいる小人です。この小人が過去の記憶の体験を並べ見ているのです。
このようなメタ表象はなんのために作り出されるのでしょうか?
一次表象のある面を強調して共通項から作り出した抽象化されあたメタ表象は、次の新たな様式の計算を円滑にします。計算とは脳内で行われる連続したシンボル操作のことで、「思考」のことです。
欲望
前頭葉の前部帯状回と辺縁系の関与が必要です。
ヒト リチャード・ファインマン
原子の塊が海から出て乾いた陸に上がり、今ここに立っている意識を持った原子、好奇心を持った物質。この私は原子の宇宙、宇宙のなかの原子だ。
名前
単なるラベルではなく、名前はそれに関係するものを喚起させる魔法の鍵です。その名前に関わることを一度に並べて提示させる力があります。
Phantoms in the brain
第九章 神と大脳辺縁系
視床下部(体の生存中枢)がコントロールする3つの出力
1.下垂体(内分泌オーケストラの指揮者)にホルモンと神経シグナルを送る
2.自律神経系に指令を送る 涙・唾液・汗・血圧・心拍数・体温・呼吸・膀胱・排便 古い脳
3.緊急事態の準備と実際の行動 闘争・逃走・摂食・性行動
辺縁系に起こる局所発作 ジャクソンてんかん
顕著な感情には強い恍惚感、深い絶望、破滅の到来、極度の燃え盛る恐怖と怒り、女性のオーガズム
霊的体験 神聖な存在を感じたり、直接のコミュニケーション
悟りの体験 周囲のあらゆるものが宇宙的な意味に満たされている真実がついに啓示されたという絶対的な確信
(大脳皮質は、真実と偽物を識別する領域)
発作と降臨は一度に数秒しか続かないが、側頭葉に嵐が訪れ、人格が変わることもある。
理由はキンドリングと呼ばれる辺縁系の中の神経インパルスの衝撃が大量かつ頻繁に通過したためである。大雨によって丘に新しい水路を作るように。こうして新しい山と谷ができて、永久的な変化が生じる。
「側頭葉人格」と呼ばれ、情動が強まり、ささいな出来事に宇宙的意味を見いだす。毎日の出来事を事細やかに日記に記録(過書字)し、神秘的なシンボルで書物を書く。
患者の一部は、自分本位で、傲慢で、理屈っぽく、細かいことにうるさく、哲学的なことに没頭する。
真剣で、自分の考えに夢中で、信者としての尊大さはあるが、深い宗教心の謙虚さはまるでない。
性欲が欠如しているのに、性的な儀式に夢中になるという矛盾
側頭葉の特定の部分が宗教体験に直接的な役割をはたしているのは明らかである。
Trimble1992 Crick1993
宗教的体験をするのはなぜか?
不可解な感情を体験するので、宗教的な静謐を求めてバランスを取ろうとしている。
また、世界の不確かさに対処するためにも有効だ。キンドリングによって強化された回路が、分割されたものを全体性の一部として捉えることにスポットライトを当てれるようになるので、「一粒の砂の中に宇宙を見る」ことになる。これによって宗教的恍惚の海にただよい、宇宙の潮にのって涅槃の岸に運ばれていく。
最後に、ヒトは宗教的経験を伝達することを唯一の目的とする、特別な神経回路を進化させてきたのではないかという推論だ。
超自然的な存在を信じる傾向が古今東西の社会に見られるので、生物学的には「どのような種類の選択圧が、宗教を信仰する機構(システム)を引き起こすのか、考えてみたい。そのような遺伝子があるのだろうか?
宗教(霊性を信じること)は、文化という必然性から発された合理的な形なのか、それとも遺伝子が導くものなのか?集団の利益を優先させる文化なのか、それとも個の生存を優先させる遺伝子なのか?
進化心理学とは、人間の特性は「文化」でさえも、適応的な価値により自然選択に導かれたとする教義である。
進化心理学者は宗教の起源をどのように説明するのか?
集団のルールに従い守る遵奉的な特性Observanceを促進することで、同じ遺伝子を共有する血縁集団の安定性に寄与し、繁栄し増加する。具体的には、組織的な祭司職制、詠唱や舞踊、儀式への参加、道徳規範を忠実に守ることだ。守らない人は排斥され、処罰される。
この安定性を確実にする一番簡単な方法は、人の運命をコントロールする超越された力を信じることだろう。
以上のことから、側頭葉てんかんの患者が、無限の力と壮大さを感じ、「私は選ばれた者だ。あなたたち劣った存在に神の偉業を伝えるのは私の義務であり特権でもある」と思うのではないか。
細かいことにうるさくて理屈っぽく、饒舌で、自己中心的な傾向が見られる。また「抽象的な思考」にとりつかれる傾向もある。
ヒトの脳には宗教体験に関与する回路があり、一部のてんかん患者ではこれが過活動になるというのは明白である。
進化論ダーウィニズムの三つの要素
1.子の数が利用できる資源をはるかに上まわるので、自然界にはたえず生存闘争があるはずだ。
2.同種の個体はどれも全く同一ではない。(ex一卵性双生児)
3.偶然におこる遺伝子の組み合わせにより、ある環境にほんの少し適応する個体が生じると、生存と繁殖が高められ、個体群の中で増加して広まっていく。
ダーウィンはこの自然選択の原理で、脳の構造である精神的能力である音楽や美術や文学の才能も説明できると考えていた。
ウォレスは進化の過程で「文化」と呼ばれる新しい力に遭遇したと考えた。文化や言語により、蓄積した知恵を子に伝えることができるようになった。脳と文化は共生関係にある。裸のヤドカリと貝殻のように。核細胞とミトコンドリアのように、相互に依存している。
この「文化」のおかげで私たちがさらに特殊化する必要を回避するのに役立っている。これも脳という一器官を進化させることで、他の部分を特殊化させず回避する能力を得たためだ。
ホッキョクグマが何百万年かかって毛皮を進化させたのに、イヌイットはホッキョクグマを殺して毛皮をなめし、身につけ、それを子や孫に与えてやることを選択できた。
潜在能力の進化とは
アボリジニやクロマニヨン人をタイムマシンで現代の大都会に連れてきて教育すれば、他の子供とは違わない知能を得る。このような潜在能力はコンピュータ言語や受験や出生のために進化したはずはない。ではこの能力はどのような仕組みなのだろうか?実際に表出していない能力なので、自然選択では説明ができないからだ。
潜在力という道具が所有者の必要に先立って発達してきた。まるで進化が予知力を持っているかのように。
なぜだ?
ウォレスはこのパラドックスに取り組んだ。出した答えは神の御業だった。「より高い知的存在が人間の本性の発達過程を導いたにちがいない」。
現代の生物学者ならば、音楽や数学の能力といった高等な人間の特性は脳が暴走して大きく複雑にあったことによる特殊な発現であると言うだろう。
サヴァン症候群のように、精神遅滞者も特殊化した能力を発揮することから、一般的知能から自然発生的に出てくるものではないことは分かっている。天才も限られた分野では並外れた才能を持っているが、その他の面ではごく普通なのだ。
他者が見つけることができなかった方程式を発見した数学の天才ラマヌジャンは、「村を統轄する女神ナマギリが、完全にできあがった方程式を夢の中でささやく」といった。
他にもアインシュタインのように方程式を「視覚化」させたり、モーツァルトのように音を心の眼で見たりする天賦の才能がある。
しかしサヴァン症候群の場合はどのように説明すればいいのだろうか?
胎児期や幼児期に左半球の角回が大きくなっているという仮説を立てることができる。
還元主義の限界 Reductionism
脳は構造を理解することなしに機能を理解することができない。ブラックボックスを開けない機能主義者は、分析的な見方だけで精神的な過程を理解できるという考え方にしがみついている。
脳科学も小さな部分を理解すれば、最後に全体の説明がつくという望みを持って物事を小さく分解してきた。
還元主義ができることとできないことを見極めるのが大切である。還元主義の濫用が問題である。
研究している対象の中に階層構造を見つけ出し、上位階層において成立する基本法則や基本概念が、「いつでも必ずそれより一つ下位の法則と概念で書き換えが可能」としてしまう考え方のこと。
複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方
還元の英訳は「削減」を意味するreductionであるが、これは概念や法則の多様性を減らすという意味
ピーター・メダワー(イギリスの生物学者)
「還元主義とは、全体を構成部分の関数として、部分の空間的・時間的な順序づけとそれらの正確な相互作用に関する関数としてあらわせるという信念belief conviction」
視覚と規則 左脳と規則性
視覚はいつも規則を発見しようと奮闘している。
形態、動き、陰影、色彩にそって特徴を束ねることで共通性を見出すことに喜びの感情を生み出すようになった。
すぐれた絵画が写真よりも心を動かすのは、写真の詳細さが根底にある規則を遮断してしまうためだ。それを取り除くのが芸術家と左脳の脳卒中者だ。
第一章 内なる幻
右脳と左脳
左脳 合理的な抑制的なメッセージ 左脳に卒中を起こすと不安に陥る
右脳 情緒的に不安定な傾向 右脳に卒中を起こすと困った立場に無頓着になる
脳梁を通して左右が「会話」をしている。
第七章
嘘のメカニズム
嘘が露呈してしまうのは、自発的な表情が辺縁系に支配されているのに対して、嘘をつくときの表情は皮質に支配されているためだ。微笑みながら嘘をつくとそれは作り笑いになり、真顔を保とうとしても、辺縁系が虚偽の形跡をもらしてしまう。辺縁系は非随意で本当のことを表す傾向があり、皮質は随意で嘘を考え出す場所であるためだ。
この問題の解決法は自分の辺縁系に嘘を本当のことだと信じ込ませばいい。虚像のイメージを脳内で再現し、俳優が演じるというよりも、もう一人の自分がパラレルワールドを生きればいい。
信念は左右の脳が同じ考えを持たなくても成り立つのではないだろうか?自己欺瞞とは左半球の機能の一つで、他者には伝えるべき「信念」を話すが、右脳はずっと事実を知っているが言語化しないのである。もしくは多重人格者のように、いつもの自己の横に新たな人格を置いてやり、その人格に皮質のストーリーとその人格にとって当然の辺縁系を新たに創出し、その人格にリアルな劇場の仕切りを任せればいい。
この自己欺瞞は他者には有効なので、詐欺師やホラ吹きはこのシステムを活用する。
なぜ嘘をつくのか? 左脳と右脳
1 正常な人はなぜ様々な心理的防衛機制をするのか?
2 この機制が疾病失認の患者(感覚入力の矛盾に対する処理方法が損なわれている人)では誇張されるのか?
どちらも、生存に不利益のように見えるのに。しかしダーウィンが指摘したように、生物で不適応と思われるものを見たら、もっとよく調べてみることだ。そこにはしばしば隠れた意図があるからだ。
左脳が右脳からのメッセージを読み取って解釈しようとするとき、もう一つの根本的な問題が生じる。右脳はアナログの表象媒体を使い、身体イメージや空間視などの「いかに」経路(頭頂葉)の機能を強調する傾向がある。これに対して左脳は言語と関連する、より論理的なスタイルを好み、対象を認識、分類し、対象に言語のラベルを貼り論理的な配列で表象する(これは主として「何」経路(側頭葉)で行われる)
これが深刻な翻訳の障壁を生む。左脳が右脳から入ってくる情報を言語で表そうとする。例えば、言語では表現し難い音楽や美の性質を言葉にするように。左脳は解釈しようとするのだが、予期している右脳からの情報を得られない時は、左脳が長話をはじめ、そのために少なくともある種の作り話が生じるものと思われる。こうした翻訳の失敗で説明がつけられるのではないか。
左右の脳の機能を「二分」するのは未熟な意識が行ってしまう判断である。前後や上下にも脳はある。特化とは絶対的なものではなく相対的なものである。しかし顕著な非対称の特徴もある。
左脳は言語を生成し、話し言葉を統語的な構成にし、意味の解釈を専門にする。
視覚の分析的な視点で、一つの信念体系を作って入力情報を判断することだ。
途轍もない外からの情報をある一貫性のある自分のシステムに区分けして取り入れる左脳の働き。
過剰な細部を整理して、意味のあるストーリーにするためには、一貫性を持つ安定した価値基準システムが必要だ。
頑固な保守主義者で現状に固執する。矛盾に無関心な順応主義者。どんな犠牲を払ってでも一貫性のある世界観を保持しようと試み、左脳を脅かす可能性のある情報を締め出そうとする。
筋立てにないものが入ってきたときは、システムを壊して新しいモデルを含めたものに作り直すか、無視するか、保留にするかの選択肢がある。
この無視をすることでシステムを安定させるのが、否認や抑圧や作り話や自己欺瞞といった防衛機制である。
つまり自分自身に嘘をつくということだ。この嘘をつく司令官が左脳で、フロイトの言う「自我」である。脳が方向性のない優柔不断に追い込まれるのを防止しているのだ。信念体系を守るためにはなんでもするかのように。
システム全体の一貫性と安定性を得るためには嘘をつくことはわずかな代償でしかない。
漠然とした不安に駆り立てられるのを避けるために、具体的に何かのせいにするという戦略をとることもある。
右脳はメタファーや寓意や多義的ニュアンスに関与している。
木々を森として見る、顔の表情を読み取る、状況に適切な感情で反応する。
視覚の全体観的な視点で、現状に疑問を投げかけ、全体的な不整合性を探す。混乱に対して非常に敏感。
閾値を超えると左脳の作った体系全体を改革する左翼革命主義者でパラダイムシフトを作る。
右脳障害は、窮地に気がつかなず、軽い多幸症の傾向がある。矛盾を検出する右脳が働かないので、左脳の作った体系を否定することができず、現実をチェックすることができなくなるのだ。
「情動の右脳」を欠いているので、失ったものの大切さを把握できないため。
右脳の腹内側前頭葉に損傷が起こると、否認が広範囲かつ多様になり、異常に自己防衛になる。
左の耳に冷水を注入すると、左脳は休み、右脳が「喚起」される。P195
矛盾に敏感な右脳
矛盾に直面した時に、右脳は極めて敏感に反応するので、私は「異常検出器」と呼んでいます。それに比べて左脳は取り繕うという対処法を取り、矛盾など存在しないというふりをして先に進みます。防衛機制の一例です。
多重人格
自己という機構が、異常を禁じて統一のとれた信念体系を保持するように働くことで、自己の一貫性と安定というメリットを得ている。
しかし、もとの信念体系では処理できない非常事態に直面した時は、解決策のない自己に任せておくわけにはいかない。そこで登場するのが、新たな人格だ。思考停止して緊急事態の中に立ち止まるよりも、分裂してでもそこから離れて新たな対応をすることを選択するだろう。
夢と右脳
REM(急速眼球運動)睡眠の時に夢を見ている。この時に意識の外に押し出されていた記憶が表面化する。この時は左脳の信念体系の機能である検閲と削除の活動をしなくなり、右脳の全体性を基準とした解釈をはじめる。全体性の中には、左脳が選択しなかった劣性や不快な事実が含まれる。ネガティブなことを含めた解釈が有効であれば、翌日の作戦に組み込む判断をする。難しい場合は引き出しにしまって忘れようとする。夢のほとんどを思い出せないのは、全体性を基準とした解釈を必要とはせず、防衛機制で見ないことにしたいからではないのか?
自己は幻想である
脳の中には、事故に相当する単一の存在はないという意味だ。
神経プロセスをDNAやクレスプ回路の生化学的メカニズムのようにわかれば、自己とは何かということに一つの答えを提供することができる。
人格に、一貫性や連続性や安定性を付加して、より効率よく機能できるようにするための組織原理ではないか?
自己は驚く程の持続性を持っている。オリヴァー・サックスの説を参照。
クレプスサイクル【Krebs cycle】
クエン酸回路とも言われ、糖質や脂肪酸やアミノ酸などが代謝の結果,最終的に分解されて二酸化炭素を生成する循環的な代謝回路。好気的代謝に関する最も重要な生化学反応回路であり、酸素呼吸を行う生物全般に見られる。アミノ酸などの生合成に係る物質を生産し、効率の良いエネルギー生産を可能にしている。
一貫性のある自己があるかのように思ってしまうわけ
そのほうが、生存するのに効率的で便利であるから
フロイトの科学観
偉大な科学の革命は、宇宙の中心としての「人間」の誇りを傷つけたり、中心から周辺に追い落とす。
第一のコペルニクス革命が地球は宇宙の小さな塵にすぎないという考えに置き換えた。
第二のダーウィン革命が人間は弱々しい幼形成熟の類人猿だとみなした。
第三のフロイト革命が、コントロールしているはずの自己は人間の観念であるの幻想にすぎないという見解だ。
誇りを傷つけられて嬉々として、代わりに何を人間は得ているのだろうか?
死の恐れから逃れるには
宇宙の研究は、時間を超越した感覚や、自分はより大きなものの一部であるという気持ちを与えてくれる。永遠に展開する宇宙のドラマの一部として自分をとらえれば、限りある自分の命という事実の恐ろしさが軽減される。
または死ぬことの意味を理解することで、はじめてちゃんと生きていける。
人間をこの世界の特別な存在だとみなし、無比の高みから宇宙を検分していると考えるなら、自分の消滅は受け入れがたい。しかし単なる観察者ではなく、偉大な宇宙ダンスの一部であるとしたら、避けられない死も悲劇ではなく、宇宙との喜ばしい再結合とみなせる。
ブラフマンを理解するには、心の中にあるブラフマンを体験しなくてはならない。人間はそうすることで初めて悲しみや死に囚われず、すべての知識を超越する。精緻な真髄をそなえた存在になれる。 ウパニシャッド
第十二章 クオリア 火星人は赤を見るか
ヒトは自分の「実在性」を情報の断片からつくりだしている。
そして「あなた(意識のある)」の行動は、意識だけではなく、「無意識のあなた」によっても実行されていて、「あなた」と「無意識のあなた」は平和的に共存している。
いきいきとした主観的な意識の回路は脳全体ではなく、側頭葉の扁桃体、中隔、視床下部、島と、前頭葉の帯状回に存在する。
クオリアの定義
クオリアとは、「痛い!」「赤い」「旨い!」といった主観的性質を感じる生の感覚のこと。
クオリアとは、私の立場から見た時に、科学的な記述を不完全なものにする私の脳の局面(形勢situation)である。
科学の問題ではないのだ。全色盲の人が科学的に正しい記述をしたとしても、認識論的には不完全であり、彼には赤を感じるとはどんなことか決してわからないからだ。
分けるクオリア
クオリアという主観的体験の本質は「分ける」ことです。一つのものを二つに、全体を部分に分けるのが生業です。
波長は連続していますが、色を赤・黄・緑・青という質的に識別できる4つの感覚として経験します。
視覚のクオリアは波長を分断して色に変換します。しかし聴覚のクオリアには分断はありません。
クオリアと物質
赤を見るという体験を言語化したら、その瞬間に体験は失われてしまう。実際の赤さは永久に他者には伝わらない。
どちらも情報である。
どちらも波である。片方は緩でもう片方は急。
かつ、粒子である。片方は疎でもう片方は密。
体験と言語の問題は、心と体に特有の問題ではない。どこにでもある翻訳の問題である。力を形にする。見えないものを見えるものにする。一つであった力を二つに分ければ形が現れる。それぞれの特性で表現すると其々の形になり、違う特性なのだから、お互いに欠けるところがある。一つのものを特性によって分けたためだから当然のことだ。
生まれつき目の悪い人の視覚中枢に刺激を与え、言葉を介せずに直接に働きかけ、視覚体験をしてもらうという実験方法がある。これならば言葉という翻訳は必要がない。
クオリア(主観的感覚)が進化した理由 決断の確信
一つのことにスポットライトを当てると、広範囲の別々の脳領域の神経インパルスのパターンが「同期化」するという説がある。synchoronízein(同時である)(syn同じに+chronos時+ize
逆から言うと「同期化」そのものが認識である。
現実の知覚が生き生きとした主観的なクオリアを必要とするのは、それが決断の動因になり、ためらっている余裕はないからだ。
これに対して信念や内部の対話は変更できる仮のものでなくてはならないので、クオリアは持たないほうがいい。
クオリアを持つと、決断の動因となり、確信を持たせてしまうからである。
クオリアのある知覚 三つの特徴 意識(自由意志)の条件
「入力側の変更不能性」と「出力側の融通性」と「処理している間は表象を記憶していること」
一つ目は、クオリアの伴う知覚は高次の中枢によって変更されないため「改ざんのおそれがない」のに対し、
クオリアのない知覚は融通がきき、想像力を使って可能性から一つを選び変更ができる。
しかしクオリアを伴う知覚がいったん生み出されると、ヒトはそれに固執する。
この固執が「勉強したらバカになる」根拠だ。
変更不能にすることに、どんな機能的な利点があるのだろうか?
出力が無限にあるので、入力は絞っておかないと、あまりの選択肢の多さで何もできなくなってしまうからだ。何かを始める時は、旗を立てる必要がある。これがクオリアだ。まずは旗を立てないと、次の段階を選択することができなくなる。抽象的な信念にしてしまうと、決断ができず動けなくなる。
変更不能であるのは、ためらいを排除して決断に確信を持たせるためなのだ。
二つ目は、反射や条件反射が出力が一つに限定されているのに対して、クオリアの伴う知覚は出力を思いつくものから選択することができる。植物のハエジゴクの感覚毛が二度続けて刺激されると素早く閉じるのはどんな状況でも同じ一つの出力しかないので、植物はクオリアは持っていないと判断される。
三つ目は、スポットライトを当てている間は、バーチャルな作業場が生まれ、そこに各領域から記憶や感覚や推論や空想が寄せ集められるという特徴である。
この作業が選択だ。選択には時間がかかるために作業場が必要となるのだ。「なにを」するのかにはクオリアが伴うわなければならない。それに比べて「いかに」するかは、条件反射のように閉じたループの中で連続的にリアルタイムで処理されるので記憶や時間や作業台は必要ないし、選択する必要もない。入力が決まれば出力が決まっているメカニズムだからである。
以上のことから、クオリアが存在するためには、短期記憶の中に、潜在的に無限の含意を持ちながら、変更不能な表象を出発点として持つことが条件である。
ワールドカップの感動のゴールは、私はそのただ一つしかない実際のシーンを記憶の中で再現させ、プレイヤーはあらゆる可能性の中で一つのプレイを選択してゴールを決めた。
宇宙の中心的な謎 私と他者 観る者と観られる者 一人称と三人称
森羅万象の記述は一人称の記述「私は赤を見ている」と三人称の記述「彼は脳内のシナプスが600ナノメートルの波長に遭遇した時に赤を見ているという」がなぜ相補的になるのか?という問題だ。
三人称の記述だけを使うのは「客観科学」と呼ばれ、これだけを実在としないのを「行動主義者」と呼ぶ。
恋人と情熱的に愛しあった後で、「君がよかったのはあきらかだね、しかし僕にはどうだったんだろう?」
私の観点と他者の観点を調和させる必要性は科学の最重要の未解決問題である。この障壁を取り除けば、自己と非自己の隔たりが幻想であることが分かる。「あなたは宇宙と一つなのだ」 by賢者
心とモノ、精神と物質、感覚と言語、力と形を隔てる障壁はない。この障壁は単なる見せかけであり、言語の結果として生じるだけだ。この種の障壁は、一つの言語を別の言語に翻訳するときに必ず生じる。
クオリアの場所
知覚処理の中間段階にあって、知覚表象(黄色、サル)の意味(無限の含意と可能性)を選択(自由意志)する段階である。
意識の活動の大半は側頭葉にある。
意識に最も深い混乱を起こす脳障害は、側頭葉てんかんから生じ、他の脳部位の障害は意識に小さな乱れを起こすだけである。
扁桃体を刺激すると、自伝的な記憶や、いきいきとした匂いや音も伴う幻覚が確実に再現される。
特に左側頭葉が意識の場であると考えるもう一つの理由は、ここが言語のほとんどが表象される場であることだ。
「意識」から連想する属性は、幻視、幻聴、体外離脱体験、全能感、全知感などがあるが、これらは相互関係を持っている。
側頭葉てんかんの患者が「私はついに真実を知りました。もう疑念はいっさいありません。」
ある考え方が絶対の真実である、あるいは誤りであるという確信は、論理性と命題的な言語系ではなく、はるかに原始的な辺縁系に依存している。皮質の思考に辺縁系の情動のクオリアを付与して「真実味」を与えるのだ。
聖職者や科学者の独断的な主張が、知的な論証による訂正を受け付けないことで悪名高いのは、このせいかもしれない。
自己とは
クオリアと自己は同じコインの表裏である。
自分自身とは、さまざまな感覚の印象と記憶を統合し、私の人生を「管理」することを要求し、自由意志で選択をし、空間的・時間的に単一の存在として存続しているもの。
体現化された自己 体という自分
一つの体に固定されている。しかし自己が体の「所有者」だというのは幻想にすぎない。意識という自己に関わらず、体は状況に合わせて臨機応変、変幻自在、融通無碍に活動している。 膝蓋腱反射
感情の自己 内臓という自分 辺縁系
扁桃体は最高次の知覚表象をモニターし、自律神経系のキーボードに指をおいている。情動的に反応するかどうかの判断や、どんな種類の情動が適切かの判断を下す。(ヘビに対する恐怖、上司に対する怒り、子供に対する愛情)
内蔵からの感覚入力に反応する内蔵的自己がある。 気分が悪くなって無意識に吐いてしまった時
人格も同じ辺縁系や腹内側前頭葉との結合に関係している。
側頭葉てんかんの患者が、無限の力と壮大さを感じ、「私は選ばれた者だ。あなたたち劣った存在に神の偉業を伝えるのは私の義務であり特権でもある」と思う。
細かいことにうるさくて理屈っぽく、饒舌で、自己中心的な傾向が見られる。また「抽象的な思考」にとりつかれる傾向もある。
実行の自己 意識の自己 大脳皮質 前部帯状回
自由意志(複数から選択し実行する)を持つ自己
行動に対する条件的readiness(用意ができている)
前部帯状回が損傷されると「無動無言症」になり、ベッドに横たわっている。
前部帯状回の一部に損傷があると、体が勝手に動作してしまいコントロールできなくなる。
他者(親友・家族)を「自分の体」と同一化して、共感や愛の根底にも同じメカニズムがある。
記憶の自己 意識の自己 大脳皮質
アイデンティティとは個人的な長い記憶を一貫性のあるストーリーにまとめあげることは自己の構築にとって不可欠。
記憶の自己が大きく乱れると多重人格障害になってしまう。自分自身について、両立しない二つの信念と記憶があると、混乱や際限のない衝突を回避するために一つの体に二つの人格を作り出すしかない。
自己の本質には、二つの相反するルールを回避する性質がある。
矛盾した世界の中で暮らす場合は、矛盾した世界に立ち入らないか、多重人格になるか、条件反射に対応させて無意識のままでいるか、自伝をつくりだして維持するか、一貫性の矛盾を認めながらも一貫性であろうとする(相反一致)
過書字は、誤った信念や記憶を保持するために、書く事により事象に深い意味を持たせ脳内シナプスの結合連合体を形成させ続け、扁桃体にキンドリングを起こした状態。 謀略説を好むのは、事実に即さない信念を保持したため矛盾が現れてしまうので、それらを裏に押し込んで闇の組織のせいだととすることにより合理性を保つことができている。
物思いそのものが妄念や確立した信念となり、文章で繰り返すことで確信になる。これと同じ現象が、熱狂や狂信的行為の神経基盤になっている。
統合された自己 皮質と辺縁系の仲介者
様々な属性の一貫性を持つために、統合が必要となる。
クオリアはモノではなくプロセスのために書き込まれている。例えば盲点の書き込みの時などは。
前部帯状回を含む辺縁系と結びついた実行プロセスとしてだ。このプロセスは知覚クオリアを特定の情動や目的と結びつけて、あなたが選択することを可能にする。
例えば、私が紅茶をたくさん飲んだあと、おしっこをしたいという感覚(クオリア)が起きたとする。講義をしている最中なので、トイレには行かないとという選択をして、最後まで話を終える。そしてその時に、「最後に質問はありませんか」と言わずに退室する選択をする。
知覚や動機に関与している脳領域が、運動出力の組立に関与している領域などに影響を及ぼすというプロセスのためにクオリア(尿意・後で行く・質問はしない)は書き込まれることにより、全体がうまくいくようにを統合している。
書き込みは、知覚や運動の領域と辺縁系が相互作用できるようにするためにクオリアを用意していると言える。
クオリアが書き込まれる必要があるのは、皮質と辺縁系の命令系統に違いがあると、実行系の働きがじゃまされて、適切な反応をする効率と能力が減少するからだと考えられる。
左脳(講義を続けたい)と体からの知覚(尿意がする)のギャップ(違った実行行動)を避けるために、両立しないクオリアが書き込まれた時に、司令官(辺縁系)は「我慢」と「簡易化」という方法を選択したのだ。
このコントロールのプロセスは扁桃体が情動に中心的な役割を持ち、前部帯状回が実行の役割を持っている。
この二つの連絡が絶たれると、無道無言症やエイリアンの手のシンドロームなどの「自由意志」の障害が起こることから以上のことが推論される。
こうしたプロセスが脳の中に自己が実際に存在するという神話を生んだことは容易に理解できる。
警戒の自己 幻覚を見る自己 脳幹からの伝達情報
視床にあるニューロン集団(髄板内核)は脳幹の複数の核によって駆動され、脳脚幻覚症(幻視)を起こす場合がある。統合失調症もまったく同じ脳幹の核のニューロンの数が倍増していることがわかっているので、統合失調症の幻覚の一因ではないかと考えられている。
脳幹と視床の回路が意識やクオリアの重要な役割を果たしているのは確かだが、ただ支えているのか、もしくは意識やクオリアを組み込んでいる回路の構成部分なのかは、まだ分かっていない。
概念の自己 左脳の司令官 矛盾を無視して行動を決断するため 自己の中心にいたがる「語り手」
作り話は、二つの相反する事実の辻褄を合わせるために、自己が創作するものである。
たとえば、神経経路が遮断されて左半身を動かすことができない患者でも、彼の自己概念は左半身の情報を自動的に組み入れるようにできている。この最終結果が疾病失認あるいは否認シンドロームとなる。自己は、腕は大丈夫だと「推断」し、腕の動きを「書き込む」。
概念の自己(自己表象系)の特性の一つは、欠点をカバーしようとして作り話をすることだ。
理由は決断できない状態が続くことを防止し、行動に安定性を与えることだ。もうひとつの別の重要な機能は、物語を語れる自己(つくりだされた自己)を支えるためだ。
つまり、自分を統一されたものとして前面に出す(社会にアピールする)のは、他者から理解される存在になるためかもしれない。
過去の功績や責任を認めることは、組織が個人をその制度に効率よく取り込むのに役立ち、その結果として組織人としての私の遺伝子や生存や継続を高める。
社会的自己 自分よりも他者からの評判や死後の評価 左脳?
私たちは死んだあとでさえ、自分の評判を守りたいと思う。死後の名声が欲しいという思いに一生とりつかれてしまった自己である。そして壮大な建造物日本の小さな削り跡を残すために全てを犠牲にする。
身の回りでたとえれば、病院で3日後の死を宣告された者が、家の机の上のコンピューターの中にある自分のSMや不倫動画を娘や孫に隠すためにその証拠を隠滅するかどうか?ということだ。
この例えから、多くの人は社会的自己を強くもっていることを理解できるだろう。
自己とはプライベートなものであるのに、実は、他者(社会)のために作り上げた物語であり虚構なのである。
作り話や自己欺瞞が、自己の整合性や行動の一貫性を無理に持たせるために進化してきたのだが、その源は、他者の眼から真実を隠す必要から生まれてきたのではないのだろうか?
宇宙と意識
脳科学は、人間は宇宙で特権的な地位を占めてなどいない、そして「世界を見つめる」非物質的な魂を持っているという観念は幻想に過ぎないと告げている。
自分は観察者などではなく、実は永遠に盛衰をくり返す宇宙の事象の一部であるといったん悟れば、幻想から大きく解放される。また謙虚さも養われる。
宇宙の中で、ヒトに心が存在するという事実は、まちがいなく根源的な意味を持つ。
宇宙の意識のある生物を通して自己認識を生み出した。これがささいなことであるはずがない。私たちはそうあるべくして、ここに存在しているのだ。
養老孟司の解説
あなたの体そのものが幻であり、脳がまったくの便宜上、一時的に構築したものだ。
体の代わりに、科学や哲学を代入してみてもいい。これを実感しても、科学の価値が減ずるわけでもなければ、日常生活における体の状況が変化するわけでもない。
実感の前と後では微妙な違いが出る。ある客観性の出現である。それが対象との距離、あるいは余裕を生み出す。
クオリアつまり主観が存在することは、いくら客観が進んだところで、変わりはしない。客観が強くなれば、主観も同様に強くなる。脳から見た世界が「つまらない」と思う人は、現代の「悪しき客観主義」に無意識に影響されているだけのことであろう。
脳の中の天使
ヒンドゥー教のシバ神(破壊と創造)の宇宙観があるラマチャンドラン
進化は一直線に行ったのではなく、想定外の連続の積み重ねである。進化はゆるい。
進化とは、ある目的のために変化し、その後はそんなはずじゃなかったのに、それが利用されたものが多い。
例えば、鳥の羽の元は魚の鱗が進化したもの、そして羽は元は自己保温のために進化したが、後にそれが飛ぶために利用されるようになる。
哺乳類の肺は魚の浮き袋、水中で位置を上下に変える時に使った。
ラマチャンドラが幼少の頃に、チェンナイでサンショウウオで遊んでいたら、幼形成熟 鰓が出てしまっている、別の生き物になる
ちいさなローテクな機械で、大きな科学を打ち立てる 宇宙の真理
ファデラー 鉄くずと磁石でで磁場を発見
ガリレオ ピサの斜塔で重力の法則を発見
電車のつり革が揺れるのを見て、物理学者は地球を自転しているのを証明できる。
自然界は「総転移」に満ちている
人間界では株、
ある瞬間からバナナの向こうの星が取れないかなと思うようになった。
サルとヒトの脳の違いはほんの少し
ウエルニッケ領域、前頭葉、
ミラー・ニューロン 物まね
幻肢 失った腕が痛む幻痛
左のほほを触れた時に、左の手のない患者が「あ、今、親指に触っています。」
あごの下をこすると、とがったものが小指に触っています。
配線が混乱している。失われた手と顔面は脳内で隣り合わせの領域にある。
幻肢の痛みの直し方
鏡を使って右手を写し、グーチョキパー。これを1週間つづけると痛みが消えた。
脳はこれ以上混乱したくないから痛みの信号を送るのをやめる。
左手が切断された時に、これ以上左手を動かさないために、脳は痛みの信号を強調させ、激痛によって動かさない。この情報が強くて刻印される。その後、手を動かそうとしても手がないのだから、感覚と動作を結ぶ再構築することはできない。鏡でみて、なかったことにしよう。
ペニスと右足のひざ下も脳内で隣りあわせなので、混線しやすい
思い込みをする脳
後から新しく回路を作ることで、変わる
ネオトニーが色濃いヒト こどもぽっさからが進化の特徴
笑顔の起源
攻撃する歯ぐきを見せる脅しの顔が笑顔に 攻撃しようと思ってやめた顔。
攻撃しようとしたのは、うそーだ。
攻撃してくると思ってびっくりした。のが笑顔のお返し。
脳の混乱が笑顔の起源であった。
自己意識は幻 自己意識はカラダを借りる霊体
年を取るとうぬぼれが薄らいでいく
普通のおばあさんになるのが如何に難しいか。
自分というものが全部自分のものだとなのかと思うバカがいる。
借りているな、という実感。
あの時にあの自分が好きになった奥さん
まだ好きなのか、そして、なぜ好きになったのか分からない
エロスが訪ねてきた、キューピッドが矢を射れば恋愛が始まる。しかし恋愛は矢と共に去っていくもの
自分は干潟のようなもので、満ちていた潮は自分のものではなく、外にいる霊体
前半の人生にいただいた潮を後半は元に返していることに充実感と感謝を覚える
見るとは何か
百聞は一見にしかず 見る領域は3倍
ヒトはスクリーンを見るようではなく、脳内では40の領域を合わせて「見た」という感覚をつくる
見るとは、対象物に名を与え、記憶、感情 どうしよう(闘争と逃走)、何、方向性、色、形、好き嫌いなど
このうちに一つでも機能しないと「失認」する たとえば友人の顔が思い出せない これを容貌失認という。
見たことと記憶の中にある感情が結びつかないと「見た」ことにならない。
見た、とは、感覚ではなく学習の結果。空をみてキレイと感じるのは以前にキレイなものを学習したから。
カヌーしか見たことのないヒトは目の前に帆船が見えない。
共感覚 数字や文字に色が見える
ミラーニューロンが学び、共感の根源
左半身不随 己の病体を認めない人がいる 右脳が障害 ミラーニューロン麻痺しているので見えない
映画を見て痛覚ニューロンが発火する ガンジーニューロン ヒトの痛みが分かる 分からない人もいる
他者の痛みを理解できないいじめ 病気として脳生理学として取り上げるのはどうだろう?
物まねタレントの人気 日本の特徴 ミラーニューロンが優勢 歌舞伎も物真似 伝統芸能
自閉症とはミラーニューロンの不調じゃないか? 周囲との世界を拒否 自傷行為もとる
社会的嫌悪を受け止める、側頭葉に多くあるミラーニュートン
情感喚起
自閉症者はパニックを起こす。 世界の終わりを確信する。
他人を好きになると自分が好きになれる
他人を経由してしか自分を知ることができない。 ヒトは自分のことは好きになれない、でも他人を好きになる。 他人を好きになった自分だけは自分を好きになれる。他者を経過してしか自分を好きになれない。
他人への共感が自分を作っている。
ドラえもんがすきなのはあのカタチ。
他者を真似て、他者と響きあうニューロン、手順は共感する能力 まずは共感
同じ動作をしていると和む エグザイル AKB48 脳の中のミラーニュートン