体を使った慣用句  腹と胸

 

「目は口ほどにものを言う」「足がぼうになる」など、体の部分が入った慣用句、ことわざ、故事成語はたくさんある。

https://proverb-encyclopedia.com/karada/

https://www.weblio.jp/phrase/%E8%BA%AB%E4%BD%93_1

 

 

その中でも腹と胸を使った慣用句には、深い意味のあるものが多い。

深いとは、そこに心のはたらきや五感覚器官を使っていない認識が含まれているからである。

 

 

 

「腹を割って話す」は英語の場合、”have a heart to heart talk“と表現しますし、「腹黒い」は”black-hearted“となります。つまり、日本語では、「腹」に人の本心・本音があり、それをさらけ出して正直に話すときは「腹を割る」し、本心に邪念がある場合は「腹黒い」となるのです。

 

対して、英語では、その本心は、”heart”、つまり「心臓」にあるのです。

日本語では「心臓」に本心があるという感覚に違和感はありませんか。

 

私には、本心とは心臓の中の何かのようには思えず、お腹の中のほうがしっくりきます。

 

さらに、英語では、”heart”を使ったメタファーが数多くあり、"to lose one's heart" (恋に落ちる)、 "cold-hearted" (心の冷たい)、"heartbreaking" (胸が張り裂けるような)など、"heart"は「本心」だけでなく「心」も表し、感情や感覚的なものが「心臓」を使って多くたとえられています。

 

その一方、日本語では「心臓」を使った慣用句は非常に少なく「心臓が強い」「心臓に毛が生えた」で使われるくらいで、「厚かましさ」「ふてぶてしさ」を表しています。

また「胸」では「胸が熱くなる」「胸が裂ける」「胸が一杯になる」「胸がすく」など、「情」を表すときにたとえとして使われています。

 

このように、メタファーによる体の一部を使った慣用句を見れば、その文化で各部分がどのような場所として捉えられているかがわかります。

このようなメタファーを通して、知らないうちに、体の各部分がそのような働きをする場所だという感覚が、より強化されていくとも言えます。

 

 

 

胸がすく  いやな気持がなくなり、すっきりする。

胸に刻む  しっかり覚えて忘れまいとする。

 

胸を貸す  力が上の人が下の人の相手をしてやる。

胸をなで下ろす  不安がなくなりほっとする。

胸を張る  ほこりに思い自信のある様子をする。

 

背に腹は代えられない   大事なことのためには、他のことをあきらめるのも仕方がない。

腹が黒い 心の中で悪いことを考えている。

腹の虫が治まらない 腹が立ってどうしようもない。

腹をかかえる  おかしくて大笑いする。

腰を割る【意味】相撲で両足を開き、膝を曲げて、腰を低くした姿勢をとる。

腹を据える【意味】@心を落ち着けて覚悟を決める。決心する。A怒りを抑える

【類義語】・腹を括る(意味がの場合)・腹を固める・腹を決める

腹が立つ【意味】怒りの感情が生じること。

 

腹が立つなら親を思い出すが薬・・・「腹が立つ」とは、怒る・しゃくにさわるを意味する比喩です。そんな心の状態になったら、親を思い出せというわけです。つまり、怒りたいのを耐える───まさに自己対話のありさまを伝える消息が伺えます。東京堂の辞典では、<腹が立った時は、もし今ここで自分が短気を起して、けがをしたり、罪を犯したなら、親はどんなに心をいためるであろうと思って見れば、腹立ちも忍ぶことができる>と書いてあります。

腹がへっては軍(いくさ)が出来ぬ・・・よく知られた成句です。裏の意味は、<腹ごしらえをしてかからねば、よい働きはできない>です。軍をするには気力・体力が必要です。そんな生やさしいことではなく、命がかかっているわけですから獣に近い・自分を奮い立たせる・もの凄い闘争心が不可欠でしょう。それはやはり食べることによって可能だという経験知が昔からあったわけです。いくさに望むときの「猛々しさ」が想定できます。

腹黒き虫にくらわれる・・・東京堂の辞典では、<陰険な悪人のために、ひどい目にあう>と書いてあります。「虫にくらわれる」というのは、ひどい目にあうという意味ですが、ここにもイライラしている心のありようが想像できます。でも、これは触覚器官を通して得られる感覚の一つでしょうから内臓の働きには含めないことにします。腹は昔から当の人間が誠実な人間かどうかを知るための容器・手がかりでした。腹という入れものを覗いて見れば、誠実かどうかがわかると考えられていたわけです。とはいえ、腹に「誠実」や「悪事」という実体があると考えたわけではありません。それは色という属性を使ったのです。千葉徳爾さんの『日本人はなぜ切腹するのか』(1994)によれば、切腹するのは何らかの咎(とが:あやまち)があったから、そういう事態になったのでしょうが、だからこそ自ら腹をかっさばいて、血に染まった真っ赤な内臓を見せることで「赤心」をアピールした行為なのです。赤心とは、主君に対して偽りのない心や真心を意味します。反対に不誠実・狡猾などを表したのが「黒い腹」でした。───つまらないことですが、新鮮な血は深紅ですが、時間が経つと赤黒く・・・黒くなってしまいます。昔の人はこういう変化は気にならなかったのでしょうか。脱線しました。また、「クロかシロかはっきりさせろ」とか「あいつは灰色だよ」、などと言って、有罪・無罪・疑惑を表す物言いがありますが、これは行為の問題として語られているんですね。腹はあくまでも心と関係づけられているわけです。それにしても、士分の者はいいですけれど、貴族や庶民がおのれの真心を表すには、どのような方法があったんでしょうか。気になります。

腹立てるより義理立てよ・・・これも、「怒り」を表すコトワザの派生形態ですが、「腹が立つなら親を思い出すが薬」と同じく、ここにも自分の怒りとどうつきあっていくかの知恵と言ってもいいでしょう。シャレ好きなので採録してみました。

腹鼓(はらづつみ)を打つ・・・食物を腹一杯食べたあと、腹を打って喜ぶ。これが表の意味です。裏の意味は、<泰平で人民の生活が安らかなさま>です。平安な心を喜ぶ状態をたとえています。たしかに食を確保することは、いまでも平和な世の中をつくる基本政策です。

腹の皮が張れば目の皮がたるむ・・・満腹になった内臓感覚が、心の平安状態をもたらすことのたとえです。

腹に一物・・・「胸に一物」に同じ。

腹が後(あと)へ寄ってくる・・・あんまりお腹がへって、腹の皮がうしろのほうにつくようになるという表の意味で、裏は要するに<空腹>の意味ですが。空腹が、「怒り」を招く原因になる経験はしばしば巷で聞くことがあります。また、戦時中や敗戦直後の食糧事情を体験した人々のなかには、空腹がもたらした「ひもじさ(なさけなさ)」や「苦しさ」を鮮明に覚えている方が少なくないようです。

腹は借物(かりもの)・・・東京堂の辞典には、<生母の腹は一時の借り物で、生まれる子は父の身分による。母の素性が卑しくても生まれる子にとって、問題でないこと>と記されています。「お家大切」の前では、生母の腹など道具に過ぎない、そう言いたいのでしょうが、ここには「無慈悲な心」が読み取れます。心の状態といっても、時代によって倫理が異なって来るんです。

腹八分に医者いらず・・・東京堂の辞典には、<満腹するまで大食せず、八分目程度でいつもやめておけば、健康でいられること>とあります。生理的・医学的な話であれば、これでいいのですが、「内臓の言葉」としてはもう少し先まで考えてみる必要があります。すなわち「腹八分目」とは、「節制」とか「慎み」といった心を伺うことができます。

腹も身の中(うち)・・・同じ辞典には、<腹もからだの一部であって見れば、無茶な大食をすれば、病気になるから注意せよ>と書いてあります。上と同様、節制や慎みのほかに、「自愛」とか「いたわり」という心を伺うことができます。この成句のあとに「食傷も病の中(うち)」と付け句されることもあります。

腹を剖(さ)き珠を蔵す・・・同じく、<命よりも品物をたいせつにする。命よりも欲のほうが主である。主客転倒のたとえ。官吏がわいろのために身を滅ぼすことにたとえて、唐の太宗が臣下を戒めたことば>だそうです。どうも日本のコトワザと比べて異質だと感じたのは出典が中国文献だったからですね。日本の場合だったら、「命より大切な刀」とか「命より大切な名誉」などと考えて切腹しちゃう御仁もいたでしょうから、古代中国とは逆です。伺えるのは、「命を大切にする心」ですかね。現代では、「命は地球より重い」などと言って命の大切さを盛んに言い立てる御仁もいます。でも、「人間、欲がなくなったらお終い」とか、「バカを言いなさんな、地球が滅びたらどこで生きるのか」と素朴な疑問や反論を抱く人もいます。・・・結論。言葉ですべてを言い尽くすことは出来ないのです。J.ディーツゲン(『人間の頭脳労働の本質』岩波書店)の言うように、真理は条件付きであり、コトワザも一面の真理を掬いとっただけなのです。

腹(はらわた)を断つ・・・意味は二つあります。<@悲しみにたえない。断腸の思い。 Aおかしくて腸がよじれるほど笑うこと>。@とAはまるで逆です。先にも書いたように条件を変えて考えれば、かんたんに言葉の意味は反対に転化します。@のほうから考えてみます。「断腸」とは腸(はらわた)が断ち切られること。だからそれほどの悲しみということ。これには故事(由来話)がついています。学研のには、<昔中国で、猿の子を捕らえて舟に乗せたところ、母猿が悲しそうにどこまでも追いかけてきて、ついには舟に飛び込んで息絶えてしまった。そこで母猿の腹を裂いてみたところ、子猿を思う悲しみのために腸がずたずたに断ち切られていたという>とあります。なるほど、我が子と分かれるほどの悲しみは、わからないことはありません。Aの「腸のよじれる痛さ」ならよくわかります。これが笑いという条件の下では「途方もないおかしさ」を、たとえば母子の離別などの条件下では「ひどい悲しみ」を表現していることがわかります。

 

内臓

肝が据わる  度胸があって、めったなことでは驚かない。

肝に銘じる  心に深く刻みつけて忘れないようにする。

肝を冷やす  危険を感じてぞっとする。ひやっとする。

腑に落ちない 納得がいかない様子。

はらわたがにえくり返る    激しい(はげしい)いかりを表す言葉。

肝胆相照らす かんたんあいてらす お互いに心の奥底まで打ち明けて、理解し合い親しくつきあうこと。

【語源・由来】

「肝胆(かんたん)」とは、肝臓(かんぞう)と胆嚢(たんのう)のこと。

どちらも生命を支える大事な器官ということから転じて、心の奥底、真心というたとえ。