第二章 実は無意識が司令塔? 脳は可愛いがってあげなくっちゃ 脳の使い方マニュアル
無意識がめざしていること
無意識の謎をとく鍵
意識と無意識の図
不可思議な無意識にスポットライトを当てる
無意識と宗教体験
無意識から身を守る
この二章こそが、このエッセイを書く動機でありエッセイのテーマ。
「脳を可愛がる」というのは無意識のことをちゃんと分かってあげようということ。
人間の脳に関する研究は様々なされているものの、まだまだ未解明な部分が多い。人の脳は欺かれやすく、いとも簡単に記憶が改ざんされてしまうという事実がわかっていても、自分の意志ではどうにもならないほど、脳は自分自身をだますのである。
具体的には無意識は何をしているのだろう?
一言でいうと、自己を守り、個を維持し、種を保持しようとする。
言葉を変えると、「わたし」を主人公にしたてあげ、自分をサバイバルさせて、自分の子孫繁栄を目指している。
そのためには自己意識が納得しやすいように、感覚情報を自動編集したり、話を作り上げたりも無意識は勝手にする。
脳を持つ生命体はどれも「わたし」を主人公に生きるのに都合が良いようにプログラミング(設定)されているからだ。
意識って何?
物事を判断したり選択したり論理・分析・批評・未来予測できるのも意識のおかげです。
私たちが日常生活の中で認識できているのは意識が働いているからです。
上記のことをするためには、まずは意識が暗闇にスポットライトを当てないことには何事も始まりません。
パソコンでいえばマウスの操作の矢印とクリック。
それに対して、この矢印の指示に従って実行するのが無意識の働きです。
パソコンでいえばアプリケーション。
どんな仕組みだがよくわからないけれど、スイッチを入れると動き始めます。
では本当に意識が司令塔で、無意識はそれに操作されているのでしょうか?
実はそうとはかぎりません。
マウスの矢印をクリックするように「意識」が全て操作しているのではなく、その操作さえ、実は無意識によって誘導されていると言っても言い過ぎではありません。
そんな事があるのでしょうか?
これが本当かどうかなのか、をこのエッセイで確かめてみてください。
表層意識の欠点はえらく時間とエネルギーがかかることです。
何かを選択するのは面倒くさいと思うことはありませんか?
テレビを見るのと本を読むのとどちらが楽ですか?
テレビが楽なのは、選択しなくても向こうから次から次へと話題を提供してくれるからです。
それに比べて読書は自分で読み進めるにもイメージをわかせるにも選択をし続けなければならず、それにはカロリーと集中力とその環境が必要だからです。
実は自己意識を発動している時はとんでもないエネルギーが必要なのです。
だから非常事態などの大変な時以外はできるだけ、問題を表層意識の領域までは上げさぜずに、無意識の段階で自動的に判断して反応できるように生命体のカラダは作られているのです。
表層意識で考えなくても、意味が分からずとも反応するパターンを作っておけば、それで十分なプログラム(自動反応回路)を作り上げておくのです。
これが表層意識が知らないうちに多くのことをヒトをはじめ生命体が無意識のうちに実行している理由です。
また、意識の特徴は、同時に2つのことがいっぺんできない、ことです。
例えば、自転車に乗っている時に、複数のことをしようとします。
ペダルを漕ぎながら、これから何をするか計画を建てようとします。
しかし、表層意識は2つのことを同時にすることができないので、両方いっぺんにしたいこの場合は、無意識に習慣として学んだペダルとハンドルとバランスを保つ無意識で運転をしてもらい、予定を建てるタスクは表層意識が担当することになります。
「無意識」とは?
私たちは認識できていませんが、24時間365日休むことなく働き続けています。
「わたし」が日常生活では認知していない部分の全ては無意識です。
呼吸、血圧、体温調節、内臓の働きなどの生命維持のシステムや自律神経のホメオスタシスはこの無意識による働きです。 またそれだけではなく、想像力、イメージ、感情、条件反射、夢も担当しています。
過去の経験である記憶の貯蔵庫の管理も無意識の担当です。
また、自己意識は一度に一つの事しかできないので、その他のことを同時にしたいことは、無意識に任せるしかありません。
脳内の大脳辺縁系と脳幹が関わっている自動反応を、意識は認知することはできず、ただ推定したり察するだけです。
時にはfMRIを使って電磁波反応で変化を観察できますが、これも「推測」することしかできません。
こんな無意識の世界をすこしでも意識にとって分かりやすいように水先案内をするのが、このエッセイの役目です。
2016年ディズニーアニメの「インサイドヘッド」は意識と無意識や記憶と感情のしくみが楽しくわかりやすく描かれているので、異論反論も多くありますが参考のひとつになると思います。
喜び、悲しみ、怒り、恐れ、嫌悪の感情を担当する5つのキャラが、主人公の少女の行動や価値観や信念や習慣をつくっている話です。
幼少期に感じた体験を基にして、感情の回路は無意識下で作られ、それらによって「わたし」の判断や行動は左右されいるとするストーリです。
このようになんでも表層意識が自分の行動を決めているわけではないようです。
無意識が勝手に実行しているばかりではなく、意識の決定を導いているのが無意識の仕事です。
ですから、日中は表層意識が熟考し、選択を担当する時もありますが、多くは無意識が作り上げたパターンとその補助として働き、夜間は無意識だけになるので、感覚の探検を自由にして、優れたストリーメーカーになり新たなパターンを毎朝毎夜ごとに繰り返して、積み重ねるように作り上げています。
無意識の特徴
無意識は良いこと悪いことなんでも学ぶ
無意識は現実とイメージ(記憶の再生と空想、過去・未来・現在)したことの区別ができない
無意識は情報から合理的なエピソードを作り上げる。
無意識は空白を埋めることを任務のように世界観を作る
無意識は表層意識と並列して作動している
無意識と表層意識の並列が崩れると病になる
無意識と模倣 ミラーニューロンと共感性
無意識と記憶 記憶の保存と検索 大脳辺縁系の感情と小脳の回路が結びついて無意識の習慣となる
無意識は外界からの情報と自分の意識のギャップに反応する
無意識は電気信号で幻を見る
無意識は自己を守るために働いている
無意識の情報処理の速さと量
無意識とカミ
無意識は両刃の剣
無意識は扱い方次第で毒にもなれば薬にもなります。
よく効く薬が劇物・毒物であるように、無意識もよく効くゆえに危険でもあるわけです。
成功や夢を叶えるための宝の山であると同時に、心のブレーキやメンタルブロックと呼ばれる「前に進むのを阻む制限や障害」となることもあります。
思いと想い
思とは ひよめき(頭蓋骨の縫合部分を上から見た象形)プラス 心
心臓の体感(循環器系感覚)を大脳皮質(神経管系認識)で分別(言葉)であえて表現すると、という意味。
想とは 相(生い茂った木を見ることで生命力を盛んにする魂振りの儀礼)プラス 心
脳幹(消化器系を司る器官)の魂(生命力)を心臓の体感(循環器系感覚)としてイメージすると、という意味。
「想いは現実化する」というときの想いとは無意識のことです。
頭で考えている(大脳皮質で思考している)ことではなく、無意識に刻み込まれていること(心で強く感じていること)はそのイメージが目の前に現実として見えてきます。
心象されたものをベースにしてこの世を見るからです。
ちょうど四つ葉のクローバーや山菜やキノコを混沌した状況の中から浮かび上がらせて見つけ出す時のように。
無意識と意識をの方向を一緒にする
そこで、願いを現実にしたい時は、頭で考えていること(意識)と心で感じていること(無意識)を一致させていく必要があります。
一致していないと願いは実現しても一時的なものになる事が多いでしょう。
無意識にある想いが頭の願いと違うのであればその想いの内容をよく知ることで、願いと同じ方向になるように、両方を修正していきます。
願いがあまりにも想いと違うことがわかった時には、願いは一時的にしか実現しないことを再確認する機会になるでしょう。
その時には願いが叶うTPOを見つけることができれば、限定された範囲の中だけですが願いが実現化することができます。
また、無意識の想いをちゃんと知ることができると、今まで頭で願っていたことが「本当に望んでいたことではなかった」と気づくこともあります。
その時は願いを修正すればいいだけです。
参照エッセイ ダイエットの仕方
無意識の謎をとくヒント
錯覚や錯聴などの自動修正や、意識が気がつかないうちに無意識が行っていることや、催眠術や、脳に障害を持った人の言動には多くの分からない謎がある。
この謎を解く鍵は、意識の多層性という特徴にある。
自己意識は一時に一つのことにしかスポットライトを当てられない。だから複数のことを同時にしなければならない時は、他のことは無意識の自動操縦に任せている。
そしてこの自動操縦を「わたし」にいう表層意識とって都合の良いものにするためには、何度か練習を重ねて回路を作り上げて体に保存しておくことだ。
例えば、自転車の運転を小脳を使った練習で回路をつくりあげ、必要な時には小脳に保管してある無意識の自動反応回路に運転を任せてしまうように。
また、大脳には矛盾や違和感があったらそれを知らせる部位や、自分のことを客観的に見て判断する部位があるが、ある一つのことに意識が集中してしまうと、そちらの対象に大脳は夢中になってしまい、他からの電気信号がインプットされないという特徴もあるようなのだ。
この特徴を使って催眠術は利用し、医師は患者を治療している。
一つの信号と4つのパートの脳の仮説
私の推論なので、反証するデータが有ればすぐに撤回しなければならないが、4つのパートからなる脳はそれぞれが独立しており、各パートはそれぞれが末梢神経とつながっており、それぞれが矛盾していても、TPOに合わせて一瞬一瞬で、その内の一つを選択することで判断や行動を遂行することができるという仮説である。
しかし一つのパートからは一つの電気信号しかインプットできないので、例えば催眠療法のように、強く一つのことをイメージをさせてしまうと、同じパート、(例えば大脳皮質のグループ)の他の機能は使えなくなってしまうと推定できる。
しかし大脳辺縁系や小脳や脳幹などは無意識の作業を司り、いつもの練習や習慣に準じた範囲の中であれば自動操縦に任せることができる。という仮説である。
こう考えれば、盲視や、幻肢感覚や、脳梗塞で半身不随になった人がアクビをする時に限って動かない手が挙がるということも説明ができる。
これから、無意識の定義や、意識にも階層があることを再確認した後は、さまざまな無意識の面白い事象を列挙してみようと思う。
これらは自分の体験は少なく、神経学者たちの本や論文を引用させてもらったものがほとんだ。
無意識と潜在意識の違い
この二つを同じ意味で扱う人もいれば、分けて使う人もいる。
無意識とは自己意識(表層意識)が気が付かない状態のこと。
例えば突然に焼き芋の香りがするので思わずそこに注意を傾けてしまい、石焼き芋の車がないかあたりを見回したり、「イシヤーキイモ、オイモ」の声に耳を澄ませてしまい、これまでに飲んでいたお茶の風味については考えることができくなる。
一つのことに関心を向ければ、ちゃんと大脳皮質が働いていても、集中している事柄以外のことは無意識にまかせることになり、手に持つ茶や茶の風味などは自動操縦にゆだねることになる。
それに対して潜在意識とは、いつもの日常生活では意識の対象にはならないが、意識の下で常に働いている能力のことをいう。普段は無自覚になっている意識のこと。
たとえば意識をせずとも呼吸を繰り返しているように。しかし、いつもは意識をしていない呼吸を今度は意識しながらすると、潜在化している呼吸の持つ機能(緊張と緩和、脈拍や血圧の変化など)を意識することができる。
普段の日常生活では、無意識とは「意識が気が付かないこと」、潜在意識とは「心のなかの意識していない領域」として使っているようだ。無意識の一部が潜在意識という関係だ。
このエッセイでは基本的には、二つをまとめて無意識(中層意識・深層意識)として話を進めていく。
まずは無意識がどのようなことをやっているのか、見てみよう。
第一章での図をもう一度見てみよう。
図のように殆どが無意識が氷山の一角だけが意識、そしてこの海面は潮汐によって、よく意識の上まで海水に覆われる。ちょうど睡眠時に意識が働いていないように。
割合でいうと、無意識が97%に対し、意識はたったの3%しか占めていない、とか、いやいや無意識が70%で意識は30%はある、とか言われています。
どちらにしてもはじめてこの問題について考える人にとっては、意識の割合があまりにも少ないので、そんなことはないだろうと思っているかもしれません。
データの出し方や計算式はいろいろあるのですが、どんなことを無意識としてとらえているのかがわかると少しは納得するかもしれません。
例えば、歩く時に手を動かしてしまうのは意識していますか?
歩いている時に右足の後に左足の踵を30センチ先に置こうとしていますか?
血管の弛緩と収縮の運動を助けて血液が体の全体に循環するように努力していますか?
小腸の蠕動運動を促して腸内微生物の活動に貢献しようとしていますか?
これらの多くは無自覚、無意識の内にしています。
また、感動、喜び、怒り、悲しみ、といった感情の変化も、無意識が司っています。刺激に対して大脳辺縁系が反応して、涙が出てきたり、おかしくて吹き出してしまったりします。それを表層意識は後から自覚するしかありません。嘘泣きだって意識ができるのは、きっかけのイメージを思い出して無意識が働くのを誘導しているだけであって、涙を流すのは無意識のお仕事です。
良い役者とは無意識をコントールできる人たちのことです。
意識と思考 時間のスパンや意識の層の違い
人の発言はその人の今まで生きてきた経験を表明している。
これまでに学んできたことを言葉というカタチにして表しているので、その表現された言葉から育ってきた環境や思考法や性向も推論することができます。
各自の言葉は各自の思考の仕方の現れであり、この思考方は、その人の意識のあり方や意識の段階と関連しています。
各自の思考の仕方はその人の関わる情報のインプットにより思考パターン回路が作られることで違ってくる。
このインプットする情報の性質を
法則として一般化するのかどうか、
目に見えていないものだけをインプットのデータにするのかどうか、
無意識のことも加えるのかどうか、
見えていないでも本質や本能である可能性を加えるのかどうか、
ということで、データの取り方も思考パターンの回路も違うので、思考の仕方も変わり、当然のごとくアウトプットである結果が各自によって違ってくる。
例えば時間という切り口で実験するのならば、調査の対象を眼の前で起きている「いま・ここ」のことだけにするのか、3秒にするのか、1日にするのか、10年にするのか、全生涯にわたるものなのか、前世や来世も含めるのかによって思考の仕方が変わるように。
具体例を見てみよう。
たとえば温暖化を防ぐためにタラを植林するプロジェクトを立ち上げようとする。
春に美味しいあのタラの芽を出す樹は伐採地でもはじめに生えてくるように荒れ地でも成長が早く植林しても失敗が少ない。
欠点は木肌に棘があるのと、5年から長くても20年で他の優勢な樹木の成長によって枯れてしまう。
このタラの樹の酸素の生成量と二酸化炭素の吸収量を4段階のスパンで測定します。
眼の前で起きている酸素生成量を測定する
1日の酸素供給量を測定する
10年の酸素供給量
枯れるまでの酸素供給量
これらを時間のスパンを生成量やあえて意識と関連付けると以下のようになる。
|
時間 |
スパン |
O2・CO2量 部分計 |
O2・CO2量 累計 |
結果 |
|
意識段階 |
1 |
任意の一時 |
瞬間 |
O2>CO2 大きく |
O2>CO2 大きく |
光合成の法則 |
|
自己意識 |
2 |
1日 |
短期 |
O2>CO2 やや |
O2>CO2 やや |
1日の実験結果 |
|
表層意識 |
3 |
10年 |
長期 |
O2≧CO2ほぼ同じ |
O2≧CO2ほぼ同じ |
測量可能な実験結果 |
|
中間意識 |
4 |
消滅するまで |
全期 |
O2<CO2 大きく |
O2=CO2 同じ |
全体性の法則 |
|
深層意識 |
光のない時間帯を除き、あらゆる実験結果をみても、タラの樹は二酸化炭素を吸収して酸素を排出しています。
タラの樹も呼吸をしているので、夜間は酸素を吸入して二酸化炭素を排出していますが、1日のトータルで観ると酸素の排出量のほうが二酸化炭素の排出量を上回っています。
これはあらゆる実験測定期間中でもこのような結果になります。
そこで科学者の中にはこれらを一般化して、樹木の植林は二酸化炭素の吸収に効果的だと判断する人もいます。
しかし、ここには樹木自身が消滅するまでの測定結果が入っていません。吸収した炭素は樹木の幹や根や枝と化したので、樹が枯れてしまうと葉もなくなるので測定は終わりますが、終末期の樹木が腐る過程(もしくは伐採)では酸素の生成は一切なく、これまでに貯め込んだ炭素は、燃焼や微生物による分解によって周囲の大気に還元されて二酸化炭素を排出するだけになってしまいます。
光合成とはヒトにとっては酸素の供給ですが、植物にとっては食べ物を空気中から取り入れる行為なので、炭素を一つ体内に取り入れるたびに、酸素を一つ排出することになります。
ですから植物の体が大きくなった分だけ、酸素を地球に排出(供給)したことになるので、植物の体重の変化を測れば、変化して増えた分だけ酸素を外側、すなわち地球の大気に排出(供給)したことになります。
こうなると始めの種から最期の消滅するまでの全体性で観た場合は、吸収した二酸化炭素と排出した二酸化炭素はちょうど同量となるので、植林によって酸素を供給するという説が誤りであることが分かると思います。
植林が悪いと言っているのではなく、林業や山の保全や涵水やタラの芽の収穫のために植林は有効ですが、二酸化炭素の吸収という一面だけはどの植林は有効ではないということです。一つの植物の一生を通して観ると酸素を一つも供給していないと言っているだけです。
私たちがある人の論理性や科学的根拠に関心を向けると、その根拠が示したことに間違いがないので提示された内容の全体が正しいと判断するように教育の中で訓練されてきました。しかし、もしかしたらこの正しさはある特殊のTPOだけに通用するごく限られた範囲の中での根拠であって、全体を通じた一般性には通用しないものかもしれません。
先に欲しい結果(因果関係)があり、これを合理的に支持するものを見つけることで「説明」するために根拠が利用されているのかもしれません。
例えば光合成の法則に意識を向けることで、植物が地球の酸素を供給していると言ってきたデマのように。
地球史において地上に植物が登場する前にほぼ0%だった大気の酸素量がすでに15%であったことは観測として証明されています。
もしくはコペルニクス的転回を信じてきてしまった歴史のように。
たしかに天動説から地動説は革命的に見えますが、地球を基準にすれば天が動いている実態はこれからも変わりませんし、地動説に傾いたために、その後の人類は自分自身の視点に信頼を置けなくなり、人工衛星の視点(意識という偽カミ)でこの世を見る視点を得たため、便利になった分だけ、苦しみも増えてしまいました。
ある誤謬を否定したからと言って、それによって得られた次の領域(パラダイム)の価値観がすべて正しい訳ではありません。
前回と同じようにこの正しさが通用するのはある限られたTPOの中だけであって、これを全体にまで拡張して一般性として語れるとはかぎりません。
地球を軸にして太陽系が回っているわけではありませんが、太陽を軸として銀河系が回っているわけでもありませんし、銀河系を軸にして天の河が動いているわけでもないように。
いくら光合成の法則が正しくても、この法則に沿って植物が一生を通していつも二酸化炭素を吸収したわけでも酸素を生成していわけではありません。動物に口から肛門までの消化器系器官があっても、いつも摂取していないように、植物に葉緑素があるからといって、いつも二酸化炭素を吸収しているわけではありません。
このことを意識世界の視点から見ると、意識の表層(一瞬・光合成の法則)だけで考えれば理にかなっていることでも、意識の中層(長期・計測可能な実験)の場合は、二酸化炭素は吸収されなくなっており、実験ができない意識の奥底にある層(全期・全体性の法則)も含めての全体で考慮をすると、最期の終末期は二酸化炭素を吸収するのではなくこれまで貯め込んでいた炭素を逆に排出しています。
このように表層の意識だけで組み立てた思考方法が通用しないことが多々あります。
明確にいうと表層の意識や理性で組み立てたものは全体性の中では通用しないのは、表層の意識だけを使った方法では、計測できない全体性というものがあることを考慮していないからです。
大学の博士課程を含む一般的な教育では、このような表層にある法則を見つけだし応用するアプローチに終始しているように見えます。これは、この世の本質や「いのちの根源」に触れようとするのではなく、意識にとって心地よいようにこの世界を理解したいがための方便を優先させているためです。
数値化できることを求められる学問や理路整然と説明することが求められる世界では仕方がないことです。
ですから、論理的にはいくら正しくても、実際のこの世ではこれらのアプローチだけでは予測どおりにはならないことで一杯です。この世は表層と同様に中間意識(前意識・無意識)や深層意識と呼ばれている層もあるためです。
表層意識はたしかに便利ですが、表層意識にできないことは「限りのないもの」や「枠がないもの」を認知することができないことです。
また、表層意識を基準にすると利便性が高まるというメリットはありますが、常に二項対立と差別と諍いと不安定と乱れがそこには表出してしまうデメリットも伴います。
蛇足になりますが、だからこそ、このような表層の意識を基準にしてこの世を理解しようとするタイプの人たちは、無意識の内に押し込められた力の反発(根深いコンプレックス)によって「一元論や平等や平和や自由や安定や平静」を求めてしまう言動をするのでしょう。
個人と意識の質
複数の思考パターンをつなげることで思考体系が出来上がります。そしてこれを使った経験の集積を各自の個人史が形成されます。その人の属している組織との関係性によって、選択する論理や科学的根拠も変化します。
役職や立場によっても使う根拠(言い訳)は変化するのです。また、この組織自体も変化するので、組織の論理も根拠も変化していくのは当然です。
また個人の経験や年代や時代や大きな事件によっても思考体系は変化していきます。
この常に変化している環境のどこにスポットライトを当てるのかによって体験することも違ってきます。
するとこの体験された因果関係によって作られる思考パターンや論理性にも違いができます。
この体験がどの時間のスパンのものなのか、またどの意識の層によるものかで、構成される思考パターンが違うのです。
各自の意識と対象と時間の関わりによって、各自の思考の関心とパターンとクセが形成されます。
やはり大事なのは、意識にはいろいろな段階があり、それぞれに質の違う特徴があることを体感することです。
意識の濃度
はたして意識に段階などあるのだろうか?
本当に性質が違うことなどあるのだろうか?
意識には濃度があるのか?
意識に色や形があるわけではないので、見ることもできず、数値化することができない。
しかし、なんとか何か数値化する方法はあるのだろうか?
例えば睡眠時には、レム睡眠 Rapid eye movement sleepと呼ばれる急速眼球運動が伴う睡眠と、その程度の低い睡眠をノンレム睡眠と名付けられたものがあるが、測定には脳波や眼球の運動回数が使われた。
意識は常に変化する。表層から深層までの間を。
そしてこの表層の意識を基準として「意識なるもの」が作られ、それが形として残っている世界がある。
そう、私たちの住んでいる文明社会である。
家、包丁、道路、ライフライン、コンピューター、人工衛星、そして象徴的な大都市。
これらの表層意識の化合創造物は、意識にとってより暮らしやすい物体やシステムや思考法を創造してきた。
形と回路とパターンとマニュアルを作っておけば、後はボタンを押すというインプットにより、オートマティックにアウトプットが出るプログラミングを目指して都市は今日も休みなく働いている。
人口密度の高いところではこの表層意識の化合創造物によって埋め尽くされ、そのルールに従うことによって、ヒトは余剰になったエネルギーをサバイバルから別のことに意識を使えるようになった。
その一つが自己意識のチューンアップだ。そこからアートも生まれ出す。
ビルの中では、天候の変化による影響や微生物の変化値を最小に抑える工夫が凝らされている。
話が個々の思考パターンの形成になる前に、この意識と街の相関関係や意識の濃度による分類にもすこし話を触れておく。
4段階の意識
意識の濃密度に注目して分類して分析すると、各自が持つ思考パターンの形成過程、背景、環境、そして理由がわかる。
意識の濃度 |
意識段階 |
覚醒睡眠 |
特性 |
H2O |
創造物 |
場所 |
時間 |
過密 |
自己意識 |
覚醒 |
自己主張 |
氷 |
ビル |
都市 |
時計 |
密 |
表層意識 |
目をさます |
分裂・自律 |
水 |
家 |
郊外 |
一日 |
疎 |
中間意識 |
レム睡眠 |
統合 |
水蒸気 |
四阿 |
田舎 |
一年 |
過疎 |
深層意識 |
ノンレム |
観照 |
大気 |
樹の下 |
山森・砂漠 |
地球誕生 |
なし |
非意識 |
生死の外側 |
ありのまま |
「空」 |
自然 |
この世の前・後 |
時空一致 |
意識の一生 過程と機能
意識とは、範囲を決めて、スポットライトを当て、そこを次々と分け続けるものである。そして各自の生命体の一生で見れば、生まれてから死ぬまでの過程の中で、意識の内容である機能が変化する。
一生を幼児期、青年期、成熟期、老年期と分けた時の特徴を表にして、他との関係性をみる。
ヒトの一生の視点
|
区分期 |
意識の可能性 |
意識の入口 |
意識機能 |
1と2 |
生活 |
他との繋 |
哲学 |
美学 |
観点 |
主要基準 |
1 |
幼児期 |
先験的 |
作成 開く |
分ける |
1→2 |
経験 |
共感 |
カオス |
成長 |
主観 |
感情 |
2 |
青年期 |
可能性 |
閉じる |
白を選択 |
2・選択 |
論理 |
言葉 |
二元論 |
正義 |
客観重視 |
理性 |
3 |
壮年期 成熟期 |
限界 |
開閉 |
黒の再評価 |
2→1 |
道 |
陰陽一致 |
相反一致 |
多層 |
主観=客観 |
智性 |
4 |
老年期 |
通用不可 |
開ける |
分けない |
1 |
ボケ |
非分化 |
一元論 |
往生 |
主客交代 |
老人力 |
5 |
生前死後 |
宇宙の 「意」 |
全体 |
始源 |
0 1も2も |
生死の 外側 |
一体と分離の同時 |
空論 |
再生 |
大きなもの |
「意」 |
近代以降は成熟期と老年期の「領域や世界観」を排除する歴史が繰り返され、ついに欧米ではカント以降はそれらは表層意識によって「無意識」という舞台の表から裏側の領域に追いやられることになってしまった。
しかしカラダ(脳でさえも実は内臓の器官の一つである)がないと自己意識も生まれてこない。
体は勿論のこと、脳自身も自然の一部である生命体なので、現代人の意志にかかわらず、死ぬ間際にはこの意識の届かない領域に突入してしまう。
そして、これまでこれらの領域をただ排除してきたために、まずは現代都市生活者の中でだんだんとこれらが原因となる社会問題が起きてきた。
例えば、分けないことの価値が理解できないと、老人力も老年性痴呆症の一つだと判断されてしまう。
各自が「分けないことの大切さ」を受け入れる準備をして、その利点にスポットライトを当てると、細かいことに煩わされず、大道をゆったりと歩き、安心のできる時間を過ごすことができる。
しかし、これを「分からない」「分けることができない」という価値観のままでいると、本来はできていたができなくなった劣性の出来事として捉え、「病気」というカテゴリーにいれられ、これを誰も望まぬ好ましくないアクシデントだとして理性は理解しようとする。
各自がこれまで選択してこなかった劣性や負性の中に「いのち」の意味を見つけることも、「脳を可愛がる」というテーマの一つである。
それには表面的な意識だけではなく、深みのある意識や、意識の届かない領域について体験するのが実践的だ。
どの意識(表層、中間層、深層、非意識)までを理解して、どの意識レベルを標準としてどこまで「スポットライト」を当てるのか?
自己意識
これを書いている私、これを読んでいるあなた、これによって私たちは今、つながることができている。
意識を観ている「観察者」として。
理性を信念(信仰)にする理念やナルシズムが活躍する表舞台である。
白黄色は570-590 nm黒色は380nm以下や750nm以上の電磁波として理解される。
表層意識
表層意識は「違い」にスポットライトを当てる
現状分析をして未来の計画行動をたてる
白と黒は別のもの
中間意識
中間深層意識は「違い」と「共通点」の両方にスポットライトを当てる
白と黒はコインの裏表、さらに白黒を「波」として捉える。
濃度や流れによって白黒と判定されていることを体感する。
深層意識
深層意識は「共通点」にスポットライトを当てる
カタチを微細にして全てを溶解して一つにする
白黒に分化される前の状態なので、白黒が溶け合っているので白と黒は同じといえば同じ、違うといえば違う。
非意識
非意識はスポットライトを当てることをしない。
「空」を通してすべてと繋がりながら、特有の役割を持つことで、全体性の一部になっている。
「空」とは、すべてがあるのにカタチがない、という理性から見ると矛盾している存在
思想体系と意識の相関関係
この段落はちょっと読みづらいので、パターンでこの世界を読み解こうとしない人は飛ばしてください、ややこしい表現になっています。
次の「無意識の特徴」から具体的で身の回りにあることで、実用できて面白くなっています。
人はなぜ、結論のない議論をお互い続けるのだろうか?
それは環境から作り上げられた思考のパターン回路が違うからです。そして思考パターン回路の数も多いので、優先順位や使用法が各自によって違うので、それぞれの「正しさ」は違ってきます。
ところが、自分の環境で通じたパターン回路を全体にも通用するのではと早合点してしまい、今度はこれを誰にでも通用するものとして過剰一般化してしまい、他人にもこれを押し付けてしまうことで、お互いの重なり合いのない時空が生まれる。
しかし、本人は自分の得た体感が限定された環境でしか成り立つものとは思っていないので、相手もこの体感を当然するはずなのにしていないのは相手がどこかで間違っているか、もしくはまだこの体感を味わっていないのだから、このことを教えなければと思い、お互いに議論が続いてしまうのだ。
異なるTPOでの体感によって異なる思考パターン回路ができあがると各自がとらえられるようになると、お互いに環境や話している「囲い」が違うことに気づくことができると、そこにはもう過剰一般化は起きなくなるので、議論は収まる。
そしてやっとお互いの環境の違いの確認にスポットライトは当てられるようになる。
思想体系とは各人の体験によって作られるので、各人のこれまでの環境が要因になり、また同じ環境でも各自が何に関心があるか、周囲とどのような関係性があるかによって違いができる。
思想体系は、要因である時代、場所、指向性によって特徴の違う、パターンができあがる。
ここでいう指向性とは、各人の目指す方向性のことで、たとえば周辺から中心、中心から周辺と二つの方向にスポットライトを当てると、
中心へのメタファーは表層意識、都会、エリート、学歴、支配組織、法、緊張、統合、実業、形の形成、成長
周辺へのメタファーは深層意識、村落、民草、手仕事、小グループ、掟、弛緩、自律、アート、形の融解、成熟
となる。
またこの指向性は意識の一部なのだが、これは「中心/周辺」との距離と加速度、だけではなく「人口密度」の増減とも密接な相関関係がある。
時空一致の非意識から意識への転換が時間と空間をうみだす。
1から4は「力」から「形」へ
宗教・哲学・主義
伝統宗教は変動率がない教条に価値をおき、新興宗教は変動率を上げる教条をもつ。
競争、誤読、対立を生み、動の歴史を創る。
二元論 組織化 学識化 悧巧 融合 成長
5から8は「形」から「力」へ
芸術・思考体系
平和、理解、統合を生み、静の歴史を創る
一元論 解体 体感 愚鈍 自律 退化
これから次々と無意識によって起こる事例を列挙していきます。ここでいう無意識とは、普段の意識が捉えていないもの、上の図で表すと、中間意識、深層意識、そして非意識のことです。
無意識の特徴
無意識は良いことも、悪いことも、どんなことでも学ぶ
繰り返されるとそれを学んでしまう
無意識は容量は1013のウェブカメラのようなもので、なんでも記録して、習慣的に考えていることは再現することができます。
無意識は繰り返すことで記憶が確かになります。正確に言うと記憶が作成されます。また恐怖のような強い感情が伴うと記憶され続ける回路が一発で形成される場合もあります。
繰り返すと学習するという性質がよくわかる例としては、自転車の運転や、ピアノやギターといった楽器の演奏など、何度も繰り返すとカラダが覚える、と言います。これは小脳に運動回路が作成されたものだと考えられています。英単語も繰り返すことで暗記できます。これは大脳皮質に回路が作成されたものだと考えられています。
繰り返されたものは、その学びがしっかりと記憶(プログラム)されます。
例えば、幼い頃の家の電話番号や、幼い頃に長く住んでいた住所と言われれば、それがスラスラ出てくると思います。繰り返すことを無意識は学びます。
このように無意識には、幼いころに体験したことから現在に到るまで、覚えたことが積み重なり、それが今の私たちの個性の一つになっています。
素直なので暗示に従う
無意識は刺激に対して無防備なので、命令に従います。例えば「あなたの体の筋肉のこわばりが一つづつほぐれてきますよ」とか「あなたの人生はどんどん良くなっていきますよ。」という暗示を無意識に与えれば、それを本当のことだと素直に受け止めます。例えば対人恐怖症の人に対して、「あなたはもっと人まえで堂々とできますよ。」といえば、それを素直に受け取って実行に移すことを学びます。
無意識は主語や人称の区別ができない
無意識は自分と他人を区別しません。イメージが浮かぶと、そこから話が始まるので、主語なんかもうどうにでもよくなり、なんでも自分のこととして捉えます。
例えば、人の悪口を言って憎んだり恨んだりしていたら、自分自身がもっと傷ついてしまったことに気づいたことはありませんか?
主語を理解できない無意識は人の悪口も自分のことと勘違いしてしまいセルフイメージを大きく低下させ、そのイメージ通りで自分の世界も創り始めてしまったのがその理由です。
否定形が理解できない無意識
たとえば、車の運転。ハンドルを握っている時に助手席の友人が「対向車に気をつけて」と言うと、ほんの一瞬だが、運転手の注意は対向車に向かってしまう、そこで今度は友人が「路肩に気をつけて」と言うと、次は注意は路肩に向かってしまう。
このように、外から言葉をかけられると、脳はそのイメージを第一に作り出してしまう。その時に表層意識は否定形を理解するが、その前に無意識ではイメージが先行するので、それと結びついた条件反射が自動的に行動に移される。無意識には、肯定も否定もなく、イメージされたものと直接に結び付いて反応する。
このように意識と無意識は並列のシステムで動作している。
どちらもが互いに影響を与えあっている。
この二つの関係がはっきりと表面化される状況をいろいろ見てみよう。
無意識は現実とイメージ(記憶の再生と空想)したことの区別ができない
現実と非現実の区別ができない
例えばレモンをイメージしてください。レモンが本当に手のひらの上にあるように、皮のブツブツ感や光のてかりや重さを生き生きとイメージしてください。そしてこのレモンをイメージのナイフでスライスして、その一片をガブッとかじるイメージをしてください。
さあ、体はどのように反応しましたか?
ジャック・ニクラウスの脳内実践メンタル・プラクティス
ゴルフのメジャー選手権のランキング歴代1位(優勝18回)の人の毎回の習慣です。
「ボールを打つ前に、私は必ず頭の中の映画館に行く。そこでまず、落としたい場所にあるボールを―――鮮やかな緑の芝に乗っている真っ白なボールを見る。そのあとで、そこへ向かうボールを見る―――道筋や着地の仕方なんかを。その次は、それまでの想像を現実に変えるスイングが見えてくる。このホームシアターのおかげで、私は集中し、すべてのショットに前向きに取り組める」 「ニクラウスのベターゴルフ」より
頭の中でシミュレーションすることは、意識的なシステムが無意識のシステムを操作する方法である。また逆に無意識のシステムが頭の中でシミュレーションを引き起こし、意識的なシステムに影響をあたえることもある。
筋力も強化するイメージ
片方の肘と小指を曲げる想像する実験で筋収縮の強さが肘で13.5%、小指では35%上昇した。
クリーブランド・クリニックのグアン・ユーらの実験
運動行為を頭の中で練習すると、筋細胞に到達する信号を増幅させ、より強い収縮を引き起こすという仮説が成り立った。
野球バッターとしてトップ・アスリートのための7つのイメージ
Physical バットを振るために必要なすべての動作を頭の中でシミュレーションする
Environment 球場を照らすライトや観客のざわめきを想像する。
Task スイングだけではなく、ボールも想像する
Timing 実際にバットを振るのにかかる時間をシミュレーションする。
Leaning 上達したらそのレベルに合わせてイメージを調整する
Emotion 決定的瞬間、緊張による心痛や高鳴る鼓動を感じる
Perspective 一人称でイメージする
記憶の再現と実際の行動とイメージ・トレーニングは脳内では一緒の働き
バスケットボールのフリースローの実験です。
学生を3つのグループに分けます。そして、一定の期間、バスケットボールのフリースローの練習をさせ、それぞれのグループがどれだけの伸び率があったのかを測る実験です。
Aというグループは一定期間、実際にフリースローの練習をさせます。
Bというグループは一定期間、イメージの中でフリースローの練習をさせます。
Cというグループは、全く練習をしません。
では、どのグループが最も良い伸び率を示したでしょうか?というものです。
答えは、Cは伸びず、AとBは同じ程度に伸びた。
脳内では現実と非現実を区別できないということはこのことを意味しています。
無意識は現実と非現実を区別できないのです。USJでデロリアンに乗ると目の前に急に現れた木の枝を体をよじらせて避けてしまうように。
訓練によって自動化ができる
特定の行動を自動化するためには練習が必要。
練習を重ねるほどにその行為は自動化され、より上手に複数のタスクを行うことができるようになる。
無意識は合理的な話をフィクションする
失明した本人がその事実に気がつかない症患 アントン症候群
目が見えないのにそれに気が付かないという、はじめて聞いたのであれば信じられない症候群ががある。
視覚に関する両側の後頭葉や左頭頂葉が損傷した時に起こる症状である。左頭頂葉は、視覚信号を蓄積し、合理的な世界像を構築できるように統合して解釈を助ける領域だ。
本人は損傷により、視覚系が損なわれたことに気づけないので、矛盾する情報(見えているはず・見えない)に直面した脳は、二つを一致させる論理的「理由」を考え出して言い訳をする。
「眼鏡をかけていなかった」「部屋が眩しすぎる」「部屋が暗すぎる」
記憶データをベースにして現在の知覚と自然法則を交えて思考して、物語を編集し、作り上げる。私たちはこのアントン症候群の患者と同じことが実は自分たちの生活の中でも起きているのかもしれない。何かを知覚できないが、目の前で起きていることと自然法則を踏まえて、物語を紡ぎ出ししまう。
この物語というものが、私たちの人生経験や自己意識に基づき、これがまた新たな自分の経験になっていく。
前記した温暖化や植物の酸素供給の問題も、権威者の意見(見えているはず)と答えのわからないモノ(見えない)の矛盾した情報を自分への言い訳を「一時的には酸素を供給していたのには間違いがない」「偉い人が言っていたんだから」「大した問題ではない」など見つけて、何食わぬ顔をして文化人やインテリとして世間様に御意見をして暮らしている。
これも無意識のおかげである。意識しかなければもう偉そうな顔をして表を歩くことができないはず。
自己保身する脳
無意識の内に脳は自己像を破壊しないように、都合の良いように事実の一面だけをつなぎ合わせて、ニセの記憶をつくりだす。自分を守るために。一生苦しまくてもいいように。
例えばレッドソックスのコニグリアロ選手に死球を当てたエンゼルスのハミルトン投手のように。
自己肯定する記憶は覚えているが、否定する記憶は都合よく忘れてしまう傾向がある。しかし、他人に関する負の行動については忘れやすいということはないようだ。
無意識のシステムは自分のこれまでの世界観と一致する事象や経験や記憶や未来を好む。自分が大事にしていることを基準にして物語を作り上げる。そして信じたい物語とうまく一致しないことは都合よく忘れたりする。
いままでうまくやってこれたのだから、明日も大丈夫だろうと。無意識は保守的だ。
金縛り(睡眠麻痺)のメカニズム 現代人が宇宙人に誘拐されるわけ
レム睡眠中は筋肉は麻痺する。起きた瞬間に再活性化されて筋肉は可動できるのだが、時間差が生じることもある。そんな場合は、目覚めても体は完全に麻痺している。たいていは数秒から数分の間だけだ。
アメリカでは8%の人がこの体験をするというデータがある。
不安に苦しんでいる場合に金縛りが起きやすいというデータも有り、ストレスが睡眠に持ち込まれるからだと推定されている。
またつねに他人に見られ、評価されていると感じる人にもこの症状が多い。逆に言うと本人が常に人の行動を見つめ、評価しているということでもある。
こんな時に「宇宙人に誘拐された」という経験をする人がいる。
宇宙人はどこからやってきたのだろうか?
この刺激は本当に外部からやってきたのであろうか?
このような経験のほとんどのケースは、刺激は自分の内部から来たものであるという追跡調査の結果がある。
刺激の発信元の犯人は側頭葉だ。
自分自身の脳の刺激を自分ではなく他者からのものだと感じ判定してしまったのだ。
すると、この刺激は内なる宇宙からやってくる未知なる訪問者となる。
金縛りの状況を、単純で論理的な手段で説明しようとする。
未知なる無意識(側頭葉)からの刺激を未知なる外部、すなわち宇宙人に当てはめ、
筋肉麻痺という通常では体験しない事態を自分の意思に反する拘束、すなわち誘拐に当てはめる。
すると現代アメリカという文化背景では、宇宙人による誘拐が一番しっくりとくるのだそうだ。
アメリカ人の皆さん、本当にそんな文化の中で暮らしているんでしょうか?
まだ私にはピンとはこないが、オカルト好きな友人が金星に連れて行かれた話は聞いたことがある。
天使の槍 聖人アヴィラのテレサが1565年に記述した内容
「私は左側のすぐ近くに、肉体を持った天使の姿を見た。それを見るのに慣れておらず、非常に稀に・・・
その天使は大きくはなく、背が低くて、最高に美しかった―――最上位の天使であるかのように顔が燃えていた。手に長い金の槍を持っていて、鉄製の先端が小さい炎のように見えた。その槍をときおり私の心臓や腸に突き刺した。そして槍と一緒に内臓も引き抜くと、私は神の大きな愛で燃えていた」
今日のところまでの筆者の解釈は、
天使とはまだ成長途中の内なる自己意識と理念
燃えているのはクリスタルな魂、
長い槍とは側頭葉の刺激、
小さい炎とは過剰な電気信号、
心臓や腸とは中間意識、深層意識
引き抜くとは共鳴
神の大きな愛とは自我の消滅による内なる神エマニエルとの合一感。
都市文明社会が始まる前は、先述の宇宙人に誘拐されるのでは、このような世界観だったのではないだろうか?
これに類似した体験は、ヴィパッサナー瞑想の最中に体の流れの悪いところを「気づいて寄り添う」のではなく、その箇所を「見詰め」続けた時にしたことがある。
心臓発作生存者の臨死体験サンプル オランダの344人のデータ
死んでいるという認識 50%
多幸感 56%
死者と会う 32%
トンネルを通る 31%
天上の風景を見る 29%
体外離脱 24%
瀕死状態になると脳内で何かが起こり幻想を生み出す。酸欠と幻想には関連が深いようだ。
個人的な体験では、登山、念仏、ランニングハイ、スウェットバス、神輿かつぎ、潜水、ダイビングによって。
無意識は空白を嫌い、そこを埋めるためにフィクションする
記憶とは必ずしも信頼できる情報源ではない。しかしそれでも無意識は記憶に頼ってシミュレーションを行う。
無意識は記憶に信頼をおいているのだ。
眠りについて知覚が失われと、表の意識から裏の無意識へと舞台が変わる。脳はそこで夢を語ろうとする。幻覚を産み出してまで世界を再構築するのだ。完全な物語を作り出そうと些細なディテールにまで気を配る。無意識のルールは、記憶や空想の断片を使って文脈の流れに沿うように情報の空白を埋めることだ。
脳は自分自身で話を創って、ストーリーにある穴を勝手に埋めてしまうのが無意識の怖ろしさ、いや楽しさである。
脳は勝手に記憶を作る
被験者に一枚の絵を見せる。その後、新しい絵を見せながら、被験者の後頭部に電気を流すと、新しい絵の真ん中に穴があいているような錯覚を与えることができた。そして、その穴にはじめの絵が写っているように被験者には見えるという結果を、下條教授は得た。
情報に空白が生じると、脳は空間的もしくは時間的周辺からデータを勝手に持ってきて埋めてしまう、という実験結果だ。
変化する記憶
ビデオは正確な記録だが、記憶は記録違いをするし、時間とともに変化する。
記憶がその後の経験によって如何に操作され得るかを証明する実験をしたのはエリザベス・ロフタス。
被験者の身内や知り合いに、被験者の幼児期になかったエピソードを話すことによって、被験者はそのエピソードを自分の体験として記憶するかどうかという実験である。多くケースで行われたニセの記憶実験とは「ショッピングセンターで迷子になった話」だ。このような話をされた被験者は信頼できる人からの疑うことがない事実だと思ったため、迷子になった時の心像を鮮明にさせるために過去の他の記憶の断片をより集め、新しいエピソードを具体化させた。
薄いベールの向こうにあるヌードは欲望をそそる
情報量の多い写真よりも隠された部分がある写真のほうが魅力的である理由は、視覚中枢と情動中枢を結ぶ配線が、解を探すという行為そのものを喜ばしいものにしているためだと解釈されている。
ぼやけているからそこに関心が向かい、そこをなんとかしたいという意識のスイッチが入ってしまう。
人間の脳は、カモフラージュ度の高い環境の中で進化した。
例えば濃い霧の中で恋人を追っていると、彼女の一部分がチラッと見える度に喜びを感じ、さらに追いかけようと気持ちがかきたてられる。いわゆるチラリズムというものです。
耳の悪い人は幻聴で沈黙を埋める
小さい音だと、聴覚伝導路は退屈して脳内の無意識のシステムが幻聴のスイッチを入れて沈黙を埋めてしまう。
このような幻聴は学習されたものでいつもスイッチは切られているが、聴覚の回路が遮断されることで、スイッチがオンになり、これが何度も繰り返して使用することで回路が太くなる。
旅の先輩である組原さんのメールより引用
私の場合、最初は琉大病院の音のしないところではじめて人工内耳をつけたら、自分の声も含めて人の声が普通の声として非常によく聞き取れた。その後上京したのだが、飛行機の中や電車の中や駅だと、もう耳がはじけるぐらいに大きな雑音が入ってくる。頭がクラクラッとなって、これはとてもじゃないが、外では使えないなと思ったのである。ちょっとの間そういう状態だったのだが、やがて気がついたのは、雑音がひどくても我慢していると、すぐにその雑音が消えてしまうということである。これは、人工内耳をつけて3年になる今でもそうなのである。つけた瞬間はワーッと悲鳴を上げたくなるような雑音でいっぱいなのだが、せいぜい10秒か20秒我慢すると、その雑音が消えてしまうのである。そして、人の声がちゃんと耳にはいるのである。雑音がなくなったわけじゃないだろう。ただそれを音として脳が拾わないような、そんな仕組みになっていると考えられる。不思議に思い続けているのだが、魔法のように雑音は消えてしまうのである。
補聴器を買ってつけても、雑音が入ってくるばかりで、肝心の人の声は聞こえない、という苦情はよく耳にする。雑音がいつまで経っても大きくて我慢出来なくて、使わないままになっているという話も、特に、高齢になって難聴者となった人からはよく聞く。
新田医師らが、どうすれば難聴者に補聴器が適合するのか、と取り組んでいたら、耳鳴りがしなくなったという患者さんがチラホラ出始めたというのである。
その理由について新田医師らは次のように推論した。
「カクテルパーティー効果」といわれる現象があり、カクテルパーティー会場のようにいろんな人の話し声や音楽が混じり合って騒がしいところでも、関心を持っていることだと少し離れていても、小さな声でも自然と耳に入ってくる。これはつまり、脳が働いて、あらゆる音の中から聞きたい音だけをピックアップして聞いているということである。換言すれば、人間は耳ではなく脳で聞いている。
ところで、原因不明の耳鳴りで悩む人のうち9割以上が難聴であるとされている。 たとえば、内耳の蝸牛内の高音域を感じ取る有毛細胞が損傷したりしていると、高音域の振動が電気信号に変換されにくくなり、高音域の音の信号は脳にあまり送られなくなる。高音域の電気信号が十分に送られていないことが脳に分かると、脳はその音をがんばって聞こうとする。がんばっても高音域が送られてこない。なお一層脳ががんばる。こうして脳が過度に興奮状態になり(脳が不足部分を補おうとして活性を高め)、電気信号を増幅する結果、自分にだけ聞こえるのが耳鳴りではないか、というふうに新田医師らは推論したのである。
無意識は意識と並列して作動している。
ブラインド・サイト 盲視
視覚大脳皮質(後頭部)を損傷した患者が、鼻を境に左右のどちらかの半分が見えなくなることがあります。見えない部分に、小さな点状の光を呈示しても、「何も見えません」と答えるだけですが、その光点に触るように頼むと、「本当に見えませんよ」といいながら、正確に光点を指差すことができます。
なぜでしょうか?
視覚皮質は損傷して半分が見えなくなりはしましたが、もう一つの古い経路はまだ使えるからです。これは脳幹の上丘を通過する経路で対象物の空間的な位置を割り出すことができます。このメッセージが頭頂葉にある中枢に送られ、そこから手の動きを正確に指示するので、本人は「見えない」のに、対象物を指すことができるのです。意識が捉えることができないのに、意識にのぼらない別の存在が、彼の手を導いているのです。
ラリー・ワイスクランツとアラン・コーウェイ(オックスフォード大学の神経研究者)の論文より
別の存在とは「自己」に統合されていない意識の断片、これも無意識と呼んでもいいものだと思う。
盲視と無意識
上記と同じような症状は他にもある。右後頭葉を除去した手術を受けたダレンは左側にあるものが見えなくなるのだが、光を点滅させるとそれを言い当てることができた。意識には上がらないのだが、認知はできているのだ。
これと同じようなことが私たちにも起こりえる。例えば放心したドライバーとして。
助手席の人と話が夢中になっていても、目や耳から入ってくる車の外からの情報を脳は適切に処理してアクセルやブレーキやハンドルをコントールすることができる。なにも意識が自覚していないのにである。これは条件反射や小脳でマスターした運動反復能力なので、以前に学習したことを繰り返す自動的なアウトプットなので、インプットの些細な変化を見極められない時には、以前に学習したことをそのままアウトプットしてしまう。
これを習慣と呼ぶ。またこれは人間特有のものではなく、他の動物や虫もこのようなメカニズムで使って行動することは様々な実験を通して推定されている。
誰もが盲視である
車を運転しながら隣に座っている友人と活発に会話をしているとします。完全に注意は会話に向けられているのに、それと並行して車の流れに対応し、横断歩道では歩行者に注意を払い、四つ角にある信号に従いながら、2センチアクセルを踏みながら、いつでもブレーキを3センチ踏む準備をしています。会話には注意を払っていることを自覚して意識していますが、運転については意識することはありません。道路を運転することはまさに「盲視」であるとも言えます、いやちょっと言い過ぎかな、やっぱり。でも意識と無意識が並列しているとは言いきれるでしょう。
無意識に車の運転ができるのは何故? トップ・アスリートは集中しないことで集中する。
NBAボストン・セルティックのレイ・アレン選手
「もし狙いをつけようとしたら(バスケットボールは)右か左にそれてしまう」
考えるんではなく、「筋肉の記憶」とも言われる習慣のシステムに任せて、訓練してきたことをやらせたほうが、
シュートの成功率が高まる。
応用 優れたアスリートの動きを見るだけで、スポーツは上達する
ただし、過去に同じ動きをした実体験があり、リアルに追体験できるだけの経験が必要である。
人は他者の行動を見ると、ミラーニューロンのネットワークが起動し、同じ行動を自分が行ったらどうなるかを脳内でシミュレーションが行われる。
ミラーニューロン(Mirror neuron)とは、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞のことで、他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。
かたい椅子効果 ハーバード、イェール、MIT 2010 「オード」誌
クッションよりもかたい椅子に座ったほうが値下げ交渉に有利である、という実験データがある。
逆に言うと、相手にクッションに座らせると値下げ交渉に応じてくれる確率が高まるということだ。
ソフトな姿勢で交渉に臨む人は、相手を友人とみなし、合意に達したいと考える傾向がある。そうなれば自らの最初の主張を変えることも多い。それに対し、ハードな姿勢で交渉に臨む人は、相手を敵とみなし、たいていは信用しないもの。そして自らの主張を変えようとはせず、妥協を拒む。だとすれば、硬い/やわらかいという触感は、こうした交渉姿勢の違いに結びつくのであろうというのです。
実験では、硬い木の椅子とやわらかいソファのいずれかに被験者を座らせ、自動車を買うために販売店を訪れている状況を思い浮かべさせた。そのうえで、まずは購入希望価格を販売員に対して提示させる。次に、その提案が拒絶されたという前提で再提案をさせる。その結果、ソファに座った人は、硬い椅子に座った人より大幅に価格を引き下げる傾向があった。人はやわらかいソファに腰かけると、交渉姿勢も柔軟になるということがわかったわけです。(『赤を身につけるとなぜもてるのか?』タルマ・ローベル著 38ページより)
何故こんなことが起こるのか?
脳のシステムを見出すキーポイントは意識と無意識の並列。
触感という無意識のインプットが意識に影響を与えて、それにより交渉の心構えが変化した、というのが仮説です。
無意識と模倣 ミラーニューロンと共感性
模倣の力
模倣が遺伝子だけに基づく進化という制約から人間を解放した。
7万5千年前に起こった火・道具・儀式・芸術の偶発的な文化の「大躍進」は遺伝子ではなく、脳内のミラーニューロンによる模倣という技によって、急速に広がった。
ミラー・ニューロン
猿真似をする時に発火するニューロンのことで、サルがピーナッツを掴む時に発火するニューロンは、他のサルがピーナッツを掴んでも、同じニューロンが発火するのです。
他の人の動作を判断するのには、バーチャル・リアリティとして内的にシミュレーションする必要があるからです。これによって他者の行為や意図を解釈して理解することができます。
この機能が精巧になっていくと複雑な行為も真似ることができるようになり、爆発的な進化をとげ、人間の文明に重要な役割を果たしました。これが、サルやヒトが他者の行動を予測することが得意な理由です。
しかし気をつけなければならないのは、この猿真似は、あくまでも自分にとって都合の良い解釈でしかなく、相手の本意を汲み取っていない可能性が多くあります。これが高じてしまうと、相手のココロやカラダに寄り添う真似ではなく、自分の解釈を優先させて、自分の目的のためには相手の都合を大事にしないものになる可能性があります。
感情とミラーニューロン
ミラーニューロンは他人に同情した時にも活性化するというデータがある。
感情が示された友人の顔を見ると、人は自分の顔のと同じ筋肉も活性化させる。
感情移入できない人や表情を真似することができない状態では、他人の表情が識別できないことが研究によって証明されている。
共感とは、他者の経験を頭の中でシミュレーションすることでも生まれる。
脳内シミュレーションは意識と無意識の架け橋でもある。
運動系列予測学習仮説 乾敏郎
模倣学習 運動中枢によって理解する、真似することはモデルの脳と同じ活動をする
予測学習 ある単語が出てきたら、次にどんな単語が来るか、いくつかの可能性を予測する
正直なミラー・ニューロンと嘘つきの自己意識
言ったとことを模倣して、繰り返して言うのは正直な脳の働きであるが、記憶や考えたものから何かを書くというのは嘘つきの脳の行為だ。 岩田誠
他人を好きになると自分が好きになれる
ヒトは自分のことが可愛くて自分(自我)に都合の良いように生きている。
それだけでは他人とは上手くいかないので、ヒトは他人を経由してしか自分(自己)を知る。
すると、自分(自己)はそんな都合の良い自分(自我)を好きになれない、でも他人のことは好きになる。
他人を好きになった自分(自我)の分だけ、ヒトは新たな自分(自己)を好きになれる。
他者や社会を通じてしか自分(自己)のことがわからないのであれば、
他者を経過してしか自分を好きになることができない。
他人への共感が自分(自己)を作っている。
ドラえもんを好きになるのはあのカタチ。あれに共感しちゃうからなんだろう。
まずは共感、他者を真似て、他者と響きあうミラーニューロン。
そして同じ動作をしていると共感力が発動して、ココロが和む。
エグザイル、AKB48、恋ダンス、ちちんぶいぶい、どれも脳の中のミラーニュートンが元気な時に踊りを模倣し、そしてココロが緩み、自分自身のことも好きになるのではないだろうか?
自我が自己に変わるには他人が必要だ。
だから人の成長期には「得体の知れない」人を好きになってしまうのかもしれない。どうでしょうか?
共感性
共感性とは最初のうちは並行経路を通じて処理されていた感覚信号がやがて一つに結びつき、合体して合理化された知覚を形成する。
共感覚といって、数字や文字や音程に色が結びついた感覚をもっている人もいる。
共感覚とメタファー
芸術家、詩人、小説家に共通しているのはメタファーをつくる技能です。脳の中で無関係に思えるものを結びつける技能です。
これが関係のない感覚を一つに結びつける共感覚との共通点です。
この共感覚は特殊なものではなく、だれもが持っているものです。
有名なkikiとboobaの実験があります。
どちらの図柄がkikiですかと尋ねると98%の人が右側の絵がkikiであると答えるという実験結果があります。
名前一つでカタチまでイメージされてしまう。それも文化的背景が違っているのにである。
神は細部に宿っている God is in the detail もしくは厄介な問題は細部に宿る Devil is in the details.
無意識と記憶
記憶の保存と検索
記憶にはいろいろな種類があり分類法もさまざまである。その中の一つにスクワイアの記憶分類というのがあるのだが、記憶を感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3つに大きく分類している。
この長期記憶の中に「手続き記憶」と「エピソード記憶」が含まれている。
手続き記憶 手順を繰り返すことで強くなる記憶で、タイピングや車の運転など小脳との関係が強い
外側線条体で生じる
エピソード記憶 過去の経験や感情や場所や考えなどがつながる自分(ある人)が主人公の出来事の記憶
海馬に保存されるが、習慣的行動の最中には海馬の働きは静止する
習慣活動中は記憶できないだけではなく、情報を検索し引き出すこともできない。
習慣活動中をメインにすると手続き記憶に支配されるために、ぼんやりしてしまう。
エピソード記憶をメインにして、他のことは手続き記憶にまかせて自動操縦させるやり方もある
エピソード記憶と情緒的な記憶
海馬傍回 エピソード記憶 911ミドルタウンにいた人 その時に何をしていたか コーヒーを注文
扁桃体 情緒的な記憶 911ダウンタウンにいた人 感情が伴わない細部はあやふや 例えば靴
海馬傍回は空間処理だけではなく皮肉に対しても発火する。
皮肉とは重層の意味の両方を理解する必要があるので、感情的な主観的な視点だけではなく、第三者的な客観視できる視点を持っていないと、皮肉の多重的意味が理解できないからである。
同じ記憶でも使われてる脳の部位の違いによって特徴が異なってくる。
意識と関わりの深い大脳皮質とエピソード記憶
無意識と関わりの深い大脳辺縁系と情緒的な記憶や手続き記憶
この意識と無意識が並列することによって記憶にバリエーションがおきる。
自分との関わりの深い記憶が人格、そして自己史に
記憶は自分(わたし)がスポットライトを当てた経験によって作成される。その瞬間の感情や自分との関わりが重要で、後に検索する時のフック(記憶と結びついている「きっかけ」になるもの)にもなる。これらの一つ一つの出来事に基づいて脳は物語を書きはじめる。スポットライトを当てる場所、特徴的な記憶の仕方、個性的な検索の仕方で、集めた情報から自己像を作り出し、これが個人の歴史(記憶の集積)になり、人格が形成される。
これらは意識していなくても無意識のシステムが人生の様々な感情が付随した記憶をつくり、まいど検索して、自由に断片を結びつけ、一つの物語を作る。これが自分史であり個人の人生となる。
記憶と危機感
記憶の生成には優先順位があり、もっとも重要なことにポイントを当て、後は省力する傾向がある。水も食物もないサバイバル状況を想像する時の記憶が定着しやすいという実験を40人の大学生でした例がある。
テレビを見ながら食べると過食する
受動的にテレビを見ていると、意識的なシステムはテレビに独占されてしまう。ゆえに意識がテレビに関心がいったままの状態で食べると、この時の摂食行動はその人の意志ではなくこれまでの習慣システムにコントロールされることになる。
無意識に車の運転をするように、特に何も考えないでポテトチップスを食べ続けてしまうかもしれない。
習慣の行動はエピソード記憶(意識)をコントロール出来ないため、限度という単純な考えさえ持たない。
意識は外部のことに気を取られていると、脳は自分の行動さえ意識的にコントロールする能力を失い、予め決められていたコース(習慣)だけをたどる。決められてように2本の指でチップを袋から出し、半開きの口に入れ、歯をこすり合わせる。ある意味で自制心を失った状態になる。
習慣で行動している時は、食べた満腹感のフィードバック・ループが断ち切られているので、脳が食べ続けることを阻止し損ね、報酬信号を出し続けることによって食べ続けることを積極的に促進した実験がある。
習慣のシステムに支配され、機械的に(自動的に)食べ続けた。
これも意識と無意識の並列することで、私たちが生きていけている例である。
ではこの意識と無意識の相互関係がなくなっときにはどんな事が起きてしまうのだろう?
無意識が意識と並列しなくなると起きてしまうこと
ミラーニューロンが共感の根源
右脳に障害があり、このミラーニューロンが麻痺している患者がいて、その人は左半身不随の状態になっているのに、己の病体を認めない例がある。
事実を認めるには共感が必要なのだろうか?
他者の痛みを理解できないいじめを、病気として捉え、脳生理学として取り上げるのはどうだろう?
物まねタレントは世界で人気者だ。ミラーニューロンが優勢であるからできる芸である。
歌舞伎も物真似であるし、多くの伝統芸能は真似からはじまる。
ミラーニューロンによって脳内シミュレーションすることができ、それによって他者に共感し、理解することができる。これが活動しなくなると、自分の体のことでさえも共感できなくなり、そのできていないという信号が脳に届かいことから、自分の体が動かないことを認めることができないのだろうか?
意識と無意識の並列ができないと、自分のことさえも共感できなくなってしまうのかもしれない。
自閉症とはミラーニューロンの不調ではないのか?
周囲との世界を拒否して、自傷行為をもとってしまう自閉症患者がいる。
ミラーニューロンが不調だと、他人の真似ができないので、気持ちを察することができなくなり、周囲とのコミュニケーションが取りにくくなる。
脳内シミュレーションがコミュニケーションの始源だとすれば、これが機能しないのであれば、脳内というヴァーチャル・リアリティではなく、直接に体感して理解するしかない。実際に自分で体感して、それで他者の感覚を推定する。
これが自傷行為と深層でつながっているのではないだろうか?
統合失調症のサブボーカル・ボイス(独り言・思ったこと)
独り言の声が自分の耳に届いても、脳に欠陥がある時にこれを自分のものとは不一致であると誤判定し、自身の声だと認識できないことがある。
耳が感知した声とこれは自身の声ではないという二つの情報を両立させるためには、「他の誰かの声に違いない」と論理的な推定に結論づける。
思考吹入という妄想
独り言だけではなく、自分の考えを自分のものではないと誤判定することで、思考にも同じようなことが起こる。
患者は自分の思考が自分のものではなく、外から吹き込まれたものだと信じ、時にこれが強い妄想になる。
幻聴と同様に、不可解な力によって思考が吹き込まれていると患者は信じ込むケースがある。
自己監視障害
統合失調症とは自己と非自己の区別ができなくなる病気なので、自己で行ったことでも、それは他者によってなされたことだと思ってしまうため、他人の思考や感情が自分のアタマに植え付けられて行動が制御されると考えるようになる。
これを基にして、自我や個性を形成してしまうと、妄想が患者の日常となる。
自分をくすぐることができないのは何故?
自分をくすぐろうとしても、意図された行動行為のコピーが感覚系に送られ、随伴発射が発生する。随伴とは、セットになって伴なうということなので、行為を行う寸前には感覚器官にも信号が届いている、ということである。
これによって、身体は予測ができるので、くすぐられる予定の皮膚の感覚は守る準備をして、構える心持ちが予めできているので、くすぐりの効果は低減される。
しかし、統合失調症患者は、自分自身をくすぐることができる。自己と非自己の区別ができないと、自分の指でくすぐるとしてもそれが不意だと感じ、くすぐられる準備や心持ちができていないためだ。くすぐりとは「笑い」の共通点は、予知できぬ突然の行為に対する緊張と安心だ。
アフリカの電気サカナ
アロワナ目モルミルス科の魚はコミュニケーションを取る時に電気信号を周囲の水に放つ能力を有している。
電気パルスを発射することを決めると、二つの指令を同時に出す。電気器官に、信号を発射せよ、と同時に感覚系には、これから信号を発射するがこれは自身の信号だから無視するように、と。
このような機能がヒトにもあってこれがうまく機能していないのが統合失調症だと推定される。
催眠術 無意識と意識の分離
催眠状態は、集中力によって起こる。空想や放心(ぼんやりしていること)のように、意識が一つのアイディアや思考だけに集中されるとことで、一時的に、その他のことが意識できなくなる。
催眠術をかけられると、特定の思考に集中するあまり、外部から他の情報が入らなくなり、はじめの暗示を受けつづけることになる。
催眠術による誘導とは、かけられた本人が無意識の状態になっているから暗示にかかっているのではなく、自身が行っている想像に対して極度に集中しているためである。
催眠術の暗示とは、脳内シミュレーションを他者によって押し付けられ、そのイメージに意識が独占されることである。暗示によって集中して一心に何かを想像すると、それはちょうどアスリートのイメージトレーニングのように、本人の脳内ではイメージとしてシミュレーションの再生が行われている。
前帯状皮質Anterior cingulate cortex (ACC)
脳梁を取り巻く"襟"のような形をした領域
血圧や心拍数の調節のような自律的機能や報酬予測、意思決定、共感や情動といった認知機能に関わっている
前帯状皮質は矛盾を解決する時に活性化する領域だ。言葉を変えると矛盾を監視して察知する領域である。
ここが無意識の内に対立する信号を感知し、意識的な分析によって矛盾を解決するため、それを前頭葉に報告するのだと推定される。これでストループ課題(色と意味が違う文字ホワイトやブラックで書かれた文章を音読する)を実行する時には反応時間が増加する。色と意味の矛盾をこの領域が察知して異常を知らせるために時間がかかると推定されている。
催眠術をかけられると、前頭葉(意識的現状分析)は活動せず、前帯状皮質だけが異常に活性化されることがMRIの電気信号検査でわかっている。
睡眠状態の時には前帯状皮質が無意識で行っている矛盾の監視と、前頭葉の意識的分析が切り離されることをジョン・グルゼリアが発見した。
催眠術は矛盾の監視を阻んでいるのではなく、二つを分離して矛盾の報告を前頭葉に伝わらないように妨害することでストループ効果を失わせていた。
催眠術によるトランス状態に入っている間に受けた暗示は、前頭葉の意識的な精査の対象とはならない。そのため、催眠術をかけられた人は、突飛なことをするのだと推定される。
広告マンがしていること
外からの影響力(情報)を無意識の情報処理の背景ノイズに溶け込ませることに努力している。
そうすれば、後は、顧客の無意識のシステムが勝手に、顧客自身の意識に対して納得のいく説明を考え出してくれる。
具体的には、
現状に問題があることを提示し、売りたい商品の必要性にスポットライトを当てて、欲望を生み出す。
広告の中の人物と視聴者を同一視させる。
CMの主人公と同じように使えば問題を解決できることを確認させる。
最後には、輝き、快適に、○○らしくなる、という主人公の使用後のイメージを見せる。
その結果、視聴者の無意識が主人公の使用後の状況と同調させるようになると・・・。
催眠術から抜ける方法
脳内の無意識システムが即座に注意を払うような重要な情報を感知しさえすればいい。
たとえば本人の名前、火事、地震、憧れのアイドルの裸のイメージなどなど、感情が大きく動く刺激。
無意識で人を殺して無罪
オンタリオ州トロントのケネス・パークス(当時23才)は義理の両親を殺したが、半意識の状態にあったと判断されて無罪になる。
判決文は、
「コモン・ローでは、他の場合ならば犯罪となる行為を行った人物が、無意識または半無意識の状態であった場合には無罪である。精神の病気または理性の欠如のために、その行為の性質やそれを実行するのが間違っていることを認識できなかった場合も責任を問われない。
人は意識的、意図的行為に対してのみ責任を負うというのが刑法の指針である。」
ゾンビと徐波催眠
ヒトは深い眠り(ノンレム睡眠)の最中には、筋肉が麻痺し、この間に鮮やかな夢を見る。筋肉が麻痺しているため、夢が現実世界で行動に移されることはない。
一方、徐波睡眠(レム睡眠)時には、夢遊病のように無意識で行動をする例がある。
頭の中は夢が占めていて、まるで夢を実行に移すロボットのように体は自動的に動く。ゾンビはノンレム催眠ではなく徐波催眠の時に行動するのだ。
眠れなかったり、熟睡できなかったり、衰弱した精神状態の時に危険な空想が頭に忍び込む可能性が増える。
ノンレム睡眠時に夢を見た場合はそれを記憶している確率は75%だが、徐波睡眠では60%以下になる。
昼間にしっかりと体を動かして熟睡するのがいい。
感情とは外界からの情報に対する無意識の判断
感情は無意識の領域(大脳辺縁系)で司られ、嬉しさや悲しさは、意識がコントロールする前に「外界や記憶や空想」からの刺激に無意識のうちに反応した結果である。
なぜ人は笑うのか?
全てのジョークの共通点は、予想外の展開によって、解釈をし直さなくてはならないことです。これが落ちです。そして結果がささいな出来事で、実害があまりないことも大切な条件です。
笑いは「危険ではなく大丈夫ですよ」と知らせる標識だという私にとって斬新だった解釈があります。
「大事のように見えて、実は貴重な時間や労力を使うほどのものではないですよ」とリズミカルな断続音で周囲の人や自分自身に知らせているのです。
「くすぐり」も同じメカニズムで笑います。脅かすように両手を広げながら近づいて、恐ろしさが膨らんだところで、敏感な部分をやさしく刺激します。膨らんでいた脅威が、一度にしぼみます、緊張して止めていた息が一気に解放されて吐き出されます。
潜在的な脅威が本物ではないとわかった時に笑うことで緊張が弛緩に変化します。この脅威は本物ではない、大丈夫だ、すべて良し、という合図がリズミカルな笑い声というコミュニケーションになる。
また逆に安心を得るために、笑いが頻繁におこる場合もあります。
笑顔の起源?
歯ぐきを見せるのはどんな時でしょうか?
攻撃や威嚇する時にサルは歯ぐきを見せます。そしてヒトは笑う時に歯ぐきを見せます。
この二つには共通点はあるのでしょうか?
笑顔とは、攻撃しようと思ってやめた時の顔である、という解釈があります。
脅しの顔で一瞬の緊張を作りますが、そこに威嚇の意図がないと分かるやいなや緊張は緩和の前触れであるサイン、すなわち笑顔になるということです。
攻撃しようとしたのは、うーそだよ。 というのが笑顔の表現。
そして、攻撃してくると思ってびっくりした。のが笑顔のお返し。
脳の混乱が緊張と緩和というカタチをとったのが笑顔の起源?だという説もあります。
悲しみと怒り
外界(もしくは記憶)から自分の嫌な情報を受け入れると悲しみになり、
その情報を受け入れないのならば怒りとなる。
涙の快感
涙は悲しくて出るだけではない。
ささくれだった自我が溶ける時にも涙が出る。
孤立した自己が他者によって理解されたり、全体性の中の一部になる時にヒトは感動を覚える。
本や音楽や映画でも涙がでるのは、そこにあるテーマに共鳴し同調することで、孤立している自分が一時的に全体性の中に解放されるからである。
視るとは対象を分別することなので、意識を生み出すことになる。
そこで涙によって対象物を見えなくすることで、分別することを止めて孤立した自我が他者と共有されるという作用が補助される。
涙とは全体性の中に溶解する浄化作用の一つである。
普段の生活では合理性を優先させてしまったことで、理解されていない「わたし」が積み重なっている時に、その状況の共有をヒトは今日も求めている。
笑いが分別なのに対して涙は溶解だ。
涙には悲しさだけではなく、他者との共有という深い喜びもある。
無意識は電気信号で幻を見る
幻肢感覚 神経学者ラマチャンドラン
失った手足が痒い場合は、できるだけその場所をリアルに想像して掻いてあげると、痒みが収まることがある。
頭の中でシミュレーションすることは、意識的なシステムが無意識のシステムを操作する方法である。また逆に無意識のシステムが頭の中でシミュレーションを引き起こし、意識的なシステムに影響をあたえることもある。
失った手足の部分を触ってあげると、被験者は撫でられているように感じて気味悪がった。
無意識のシステムが意識的なシステムをだまし、見えない手に触れられている感覚をうみ出したからだ。
幻肢 失った腕が痛む幻痛
左のほほを触れた時に、左の手のない患者が「あ、今、わたしの左親指に触っています。」
あごの下をこすると、「とがったものが左小指に触っています。」
触覚と脳との配線が混乱しているためだ。失われた手と顔面は脳内で隣り合わせの領域にある。
脳内の手の領域の配線が、脳内の隣にある頬や顎の領域からの電気信号を受け取り、それであたかもまだ自分の手があるかのように感じているのだ。
幻肢の痛みの直し方
鏡を体の真ん中に置いて右手を写し、あたかも左手があるかのように見えるようにした。そして右手でグーチョキパーをしてもらい、それが映った鏡をずっと見てもらっていた。。これを1週間つづけると痛みが消えた。
脳はこれ以上混乱したくないから痛みの信号を送るのをやめたのではないか、と推定されている。
左手が切断された時に、これ以上左手を動かさないために、脳は痛みの信号を強調させ、これ以上左手を動かさないようにした。この激痛の情報は強く石に溝を作るように刻印された。その後、左手を動かそうとしても手がないのだから、感覚と動作を結ぶ再構築をすることはできなかった。だが時々痛みの信号は何かをきっかけにして再発して、再構築を試みていた。これが幻肢の痛みではなかろうか?
鏡に映った左手らしきもの(実は右手)と自分の感覚を結びつけようと何度も試してみたが、当たり前だが二つがつながることはない。何度も試してダメだったので、この経験で脳にある左手の領域の感覚や痛みの記憶を再構築する試みを脳はあきらめ、やっと理解できたのではないか、そして、左手はもうなかったことにしよう、と。
余談であるが、ペニスと右足のひざ下も脳内で隣りあわせなので、混線しやすい。
そういえば、2011年のフランス映画Intouchables(邦題は最強のふたり)では、下半身不随の主人公の耳が性感帯になっていた。
夢の作られ方
夢は日常の要素を組み入れ、つなぎ合わせて物語を作ることもある。多くの場合は外部からの情報を遮断されるが、次のような例もある。
寝ている時に霧吹きで水をかけると、水に関する夢を見る例がある。
夢の伝導路は、目を閉じていて外界が見えない状態でも、視覚と同様の像の知覚を可能にすることから、視覚経路とは別の経路があることを示唆している。
例えば家族の誰かが寝ている時に、目を閉じたままで蚊を追い払っている姿を見たことがないだろうか?
夢を見ている間は、脳と脊髄をつなぐ脳幹の支配下に入る。正確には脳幹内の脳橋、視床の視覚領域、後頭葉にPGO波が生じることが確認されている。
夢の経路は、眼球に代わって脳幹が源になると推定されている。脳幹から電気信号を受信した視覚野は、目覚めている時と同様にそれらの情報を理解しようとし、記憶のデータを利用して、信号の断片を関連づけて一つの物語と光景を作り出す。この無意識の補足が記憶と感情と条件反射と理念と未来を点を結ぶと隠喩的な物語になる。
夜間には前頭前野の活動が休止する。例外が明晰夢で、夢の世界を自らの意志で探索することができる。
夢は分析という大脳皮質の意識が行う「分ける」行為から逃れることができるので、突飛で独創的な結びつきで物語を語ることが可能になる。
寝ている間はシナプスの結合が柔らかくなっており、記憶と学習した概念の結びつきをゆるめているという学説もある。
脳幹と幻覚 2008年ベルナルド少年とハリーポッターの幻覚
脳幹に炎症が起こると幻覚が生じ、炎症がおさまると幻覚も消える。
暗いところで幻覚が生じ、それは著しく鮮明なイメージであるが、明かりをつけると幻覚は消える。
暗さを知覚するとまだ昼間であっても視覚から脳幹へとデータの源が移動するスイッチを早まって入れてしまうので、目が醒めているときにも夢を見る、と推定されている。
不思議な国のアリス症候群 自分や周囲が拡大したり収縮する幻覚
2011年のポンゾ錯視を使ったfMRI測定実験で視覚野の活性が低いのが特徴である幻覚であることがわかった。
シャルル・ボネ症候群 目の見えない人の幻覚 ロンドンで行われたfMRIと幻覚の実験
幻覚が始まると後頭葉が活性化し、幻覚が終わると活性化が元に戻った。
一時的に失明したアルプス登山者(2004年)も、視覚入力が停止すると、脳は自ら視覚を生み出した。
仮説の一つは、退屈した神経細胞が自発的に放電するためではないかと推定されている。
もう一つの仮説では脳の可塑性が要因とされ、よく使われるニューロン回路は処理効率を高め、使われない回路は効率を下げるので、目が見えなくなると後頭葉からの入力がなくなり、非視覚的システム(例えば脳幹からのデータ)が活性化すると推定されている。
視力のない人は、目で見ることができなくても、感覚の交差点が著しく発達しており、無意識のシステムは感覚の道路網を再構築し、視覚以外の感覚を絡み合わせて外界を画素化することで、視覚野をプログラミングし直すと推定されている。
5歳になる前に失明した場合は、日中も夢の中でも視覚心象を経験していないことが調査で明らかになっていて、特例を除いては視覚的な夢を見ることはない。
アルファ・ブロッキング 生まれつき目の見えない人は異なる内的経験をしている。
生まれつきの盲人も夢の中では「見ることができる」
ポルトガルのエルデル・ベルトルらの睡眠研究者の実験で、目を閉じてリラックスした状態で視覚心象を必要とした時に被験者にアルファ脳波の変化が見られた。
瞑想中の人の脳にみられるように、雑念を払えばアルファ波が優勢になる。
ところが雑念や内的心像がおきるとアルファブロッキングといって、アルファ波が消えて低振幅の速波となる。
この状態は睡眠中も持続し、映画のような夢を見るレム睡眠にピークに達する。
幻覚を生み出すレム侵入の原因は血液と酸素の欠乏
ダン・フルガム米空軍大佐が戦闘機の飛行中のコックピットで体外離脱体験した。
海軍軍医ジェイムズ・ウィナリーは強大な遠心分離機を使ってパイロットを被験者とする調査を続けた。
脳と目への血液が妨害されると、脳は視覚を補足しようとする。これをレム侵入と呼ぶ。映像が意識に入り込むプロセスで、現実と空想の境目を曖昧にする。
境目は眠りに落ちる途中や目覚めた直後にあり、臨死体験者の60%がこの時間帯に体験している。
これらの幻覚は脳内の青斑核でノルエピネフリンを放出することで、ストレスやパニックを低減するための生理学的反応を助けるためだと推定されている。
酸素と血液の欠乏という身体的ストレスによって、恐怖や不安といった感情が起こり、それに対処するためにホルモンが放出されることにより幻想を見るのではないかと推定されている。
このような幻想を見ることで脳(無意識)はストレスの緩和を試み、表層意識がリラックスして落ち着きを取り戻すことができると推定される。
金縛りと心臓発作の共通点は血液の酸欠かもしれない。これを深い意識が死の可能性として察知し、これが引き金となり、幻覚を起こしやすくしている可能性はある。
幻覚を見る3つの特徴
闇に包まれている
身動きがとれないと感じ無力感におそわれている。 ロープなどに拘束されていることも幻覚を誘発する。
恐怖を感じていることは強い要因の一つである。
無意識の行動の目的は自我を守るため
無意識のシステムは、空白を補足したり、理にかなっていない行動を勝手に合理化させたり、でっち上げたりする。
なぜそんなことをするのか?矛盾した経験を首尾一貫させるような説明を創作する必要があるのだろうか?
答えは自我!
自我を支えるのに二つの系統がある。意識と無意識である。
意識的システム 熟考や決断を可能とする。 感覚や感情を覚える
無意識システム 自我の統合性や連続性を保持させる。しかし、そのために幻想を産み出したり、空白を埋めたりと極端なこともする。そしてこのような保持をあくまでも追求してしまうと、自我を守るためという目的であったのに逆に自我が分裂してしまうケースもある。
脳の自己防衛のメリットとデメリット
ヒトのストレスを緩和し、心の平穏を得るために発達させてきた脳の働きがある。
こうしたメカニズムが働くからこそ、ヒトは過度のプレッシャーやストレスから自分を守ってこれた。
しかし、デメリットはチャレンジを避け、目標に向かうことをあきらめ、現状維持を求めることにより、だんだんと体が退化し、心が弱くなり、頭が硬くなってしまい、現状維持さえできなくなっていってしまうこと。
変化の機会を放棄し、成長を取り入れないと、突然の外的要因によって窮地に陥る可能性が高まってしまう。
セルフ・ハンディキャピング
自我を守るための防衛機制の一つで、あらかじめ「言い訳」を用意しておく。
自分が不利な業況にあることを周囲に表明して、物事を進める上で障害をあらかじめ作っておくことで、うまくいかなかった時にはプライドが傷つくのを避けることができる。
例えば、
私バカだから
お金がないから
記憶と自己中心的な思考 海馬と内側前頭前野
記憶を作成する時に活性化する器官は海馬であるが、記憶が薄れ曖昧になり誤りが蓄積すると、海馬の活動が低下する。
それに反比例するように活性化するの内側前頭前野である。ここは、自己を中心軸とする思考をする時に活性化し、自己に密接に関連していることだとスイッチがオンになって働く。
自己中心でしかありえない脳
自己中心のストーリーテラーの前頭前野の脳は、個人の信念や見解、希望、恐怖を軸にして、プロットを書く。このような物語を書き続けることでしか自分の価値が無いと思っている人がいるとすれば、ストーリーに自分が欠けている記憶の空白があった場合は、そこを埋める自己の物語を紡いでいくとされる。これも自分を維持するための防衛作用だとされている。
自我と空白が作り話を創作する
自分から作り話はしない人もいる。しかし人から誘発された場合は、そんな人も作り話をすることは起こり得る。
第一章で例にした、幼い時にショッピングセンターで迷子になった作り話のように。
なぜ?記憶を空白のままにしておくわけには行かないのだろうか?
内側側頭葉を損傷すると作り話をする傾向がある。ここは自分を軸にして世界観を作り上げる時に発火するので、自分を中心にしながら、他者と融合したり関連性を作ったりする領域のようだ。
それが損傷によって、他者の行動を自分のことに置き換えることができなくなると、どうなるんだろう?
自分を軸にしてエピソードを作れなくなるとどうなるのか?
ここを損傷すると自我が脅威にさらされる。
自我とは、記憶、感覚と感情の経験、自己統制、内省が関わってできあがる一つの軸である。
ヒトはこの軸である自我が不安定になることが耐えられないのだろうか?
何が何でも自我を守りたい人がいる。
脳(無意識)はそんな人の自我のためにどんなウソでも作り上げてしまうのではないか?
記憶喪失や記憶の混乱やこの世を把握できない不安から自己を守っているのが作り話なのではないだろうか?
作り話は「自我」を守るための脳のメカニズムであり、防衛機構の一つなのだろう。
作り話によって記憶、すなわち人生の物語の連続性は維持される。だからこそ軸がずっとあることに自我は執着する。
自我の固執を避けるためには、作り話をさせないのが手っ取り早い。正直に語るのが難しければ、沈黙を守り通すのが自我に依存しない方法だ。
自己意識の存在意義は、モノを分けることだ。
この自己意識だけを自分の価値観にしてしまうと、全てのものを分けないと安心ができなくなる。分けるとは分類して名前をつけること、すなわち知る、ということ。だから自己意識だけが自分だ、という病気になると、何かを知らないということを認めなくなる傾向に陥る。
このような人は、自我(自己・自己意識)を守るために記憶に空白があることを無意識の内でも強く否定する。
そのためには別の記憶から瞬間的に盗用して、それらを継ぎ接ぎして空白を埋める。
もう個人の物語を失っているのだから、自分を失うことになっているのにかかわらず、これをやめることができない。
無意識は体を守る ホメオスタシス
まばたきは、とても無意識的な動きである。このように考えていくと、呼吸もそうだし、心臓が動いているのも無意識の働きとなる。
傷かできて血が流れていれば、血を固めて傷を治そうとする免疫システムも、無意識である。
身体を管理して保持するために無意識が私たちの体を保護しているのは明確である。私たちは意識しなくても呼吸をし、寝ている間も心臓が動いている。また車に轢かれそうになれば、意識しなくても勝手にびっくりして反射的に車をよけるだろう。これらもすべて無意識の性質と言える。
無意識の情報処理
直感とは無意識の記憶?
ヒトは経験をする時には必ず何らかの感情や体の状態を伴う。その感情が神経系に印象を残し体の「マーカー」となり、これが出来事と一緒になり、つながったままの一つの記憶となる。
この感情の生物学的な残物をントニオ・ダマシオはソマティック・マーカーと呼ぶ。
これが自分自身の過去の経験をシミュレーションする、ミラーニューロンのように。
ヒトは熟考する前に、ソマティック・マーカーがその効果を発揮し、それぞれのシナリオがどう展開するかシミュレーションする。どんな選択肢の可能性も決定される。選択肢のメリットを検討する前に、ソマティック・マーカーが数々の選択肢を除去していることに、私たちは全く気が付かないのかもしれない。無意識の内に行われるから。
ソマティック・マーカーは情動記憶の一種で、脳が過去に入手した情報を検索する時のホックになる。私たちはそれを「直感」として経験する。
この仮説にしたがうと、理性的判断には感情を排して取り組むべきだという従来の「常識」に反して、理性的判断に感情的要素はむしろ効率的に働くことになる。
早い情報処理スピード
私たちが1秒間に意識して読み取れる文字数が10〜20文字程度なのに対して、無意識下では質問を投げかけると毎秒A4用紙、約30ページ分の情報を検索し答えを探し出そうとする機能があると言われている。
名前
名前は単なるラベルではなく、それに関係するものを喚起させる魔法の鍵です。その名前に関わることを一度に並べて提示させる力があります。名前になるということは、いろいろな物理的、感情的、体感的な情報と結びついたということなのでしょう。
無意識と宗教 側頭葉とカミ
霊的体験
神聖な存在を感じたり、カミとの直接のコミュニケーションを感じることがある。
また、悟りの体験のように、周囲のあらゆるものが宇宙的な意味に満たされている真実がついに啓示されたという絶対的な確信を語る者もいる。
このような状態の時に、大脳辺縁系の電気信号が活発になる。
発作(啓示・悟り・つながり・降臨は)は一度につき数秒しか続かないが、側頭葉には電気信号の嵐が訪れており、人格が変わることさえもあるという。
理由はキンドリングと呼ばれる辺縁系の中の神経インパルスの衝撃が大量かつ頻繁に通過したためである。
大雨によって荒野の丘に新しい水路のわだちが作られるように。
衝撃が大きい場合は新たな深々とした窪みが掘られることによって、半永久的な変化が生じる。
するとこの記憶は常に維持されて、宗教的体験を含めた価値観をベースにした生き方に変化する。
(この時の大脳皮質の機能は、真実と偽物を識別している)
側頭葉人格
と呼ばれ、情動が強まり、ささいな出来事に宇宙的意味を見いだす人格がある。
毎日の出来事を事細やかに日記に記録(過書字)し、神秘的なシンボルで書物を書く。
患者の一部は、自分本位で、傲慢で、理屈っぽく、細かいことにうるさく、哲学的なことに没頭する。
真剣で、自分の考えに夢中で、信者としての社会に対しての尊大さはあるが、深い宗教心を持つ者の共通点である謙虚さはない例が多いそうだ。
性欲が欠如しているのに、性的な儀式に夢中になるという矛盾もある。
側頭葉の特定の部分が宗教体験に直接的な役割をはたしているのは明らかである。
Trimble1992 Crick1993
宗教的体験をするのはなぜか?
私たちは世界の不確かさに対処したり、不可解な感情を体験するので、宗教的な静謐を求めてバランスを取ることができるので、宗教には確かにストレスに対して効果はある。
古今東西の社会に超自然的な存在を信じる傾向が見られるので、生物学的には「どのような種類の選択圧が、宗教を信仰する機構(システム)を引き起こすのだろうか?
宗教(霊性を信じること)は、文化という必然性から発された合理的な形なのか?
集団の利益を優先させる文化なのか?
それとも遺伝子が導くものなのか?そして、そのような遺伝子があるのだろうか?
進化心理学evolutionary psychologyでは、人間の特性は自然選択によって導かれるとし、「文化」でさえも適応的な価値であるとするのが教義だ。
進化心理学者は宗教の起源をどのように説明するのか?
遺伝子の「安定」と「繁栄」が進化のベースにあるとして説明を試みようとするのが特徴である。
集団のルールに従い守る遵奉的Observanceな特性を促進することで、同じ遺伝子を共有する血縁集団の安定性に寄与し、繁栄し増加する。具体的には、組織的な祭司職制、詠唱や舞踊、儀式への参加、道徳規範を忠実に守ることだ。守らない人は排斥され、処罰される。
この安定性を確実にする一番簡単な方法は、人の運命をコントロールする超越された力を信じることだろう。
というのが進化心理学一つの見解だ。
神経学ではキンドリング(繰り返された脳内の電気刺激)によって強化された、「分割されたものを全体性の一部として捉えることにスポットライトを当てる」回路ができあがり、「一粒の砂の中に宇宙を見る」ことになる、という見解もある。これによって宗教的恍惚の海の中をただよい、宇宙の潮にのって涅槃の岸に運ばれていき、最後に、ヒトは宗教的経験を伝達することを優先させる特別な神経回路を進化させてきたのではないかという推論だ。
また、神経学の臨床例からは、側頭葉てんかんの患者が、無限の力と壮大さを感じ、「私は選ばれた者だ。あなたたち劣った存在に神の偉業を伝えるのは私の義務であり特権でもある」と思い込む例があげられている。
また患者には、細かいことにうるさくて理屈っぽく、饒舌で、自己中心的な傾向が見られ、「抽象的な思考」にとりつかれる傾向もある。
ヒトの脳には宗教体験に関与する回路があり、一部の側頭葉てんかん患者ではこの回路が過活動になると推定されている。
霊的啓示と側頭葉てんかん
ゴッホのようにモーセやムハンマドや釈迦も側頭葉に疾患を抱えており、そここそが予言の源であると仮説する。
マイケル・ガザニガMichael S. Gazzanigaカリフォルニア大学サンタバーバラ校心理学教授
辺縁系に起こる局所発作
ジャクソンてんかんには、大きな感情の変化が伴う。顕著な感情には強い恍惚感、深い絶望、破滅の到来、極度の燃え盛る恐怖と怒り、女性のオーガズムなどがある。
これらの発作は、視床下部からの信号によって、辺縁系や側頭葉に刺激が与えられていると推定されている。
視床下部(体の生存中枢)がコントロールする3つの出力がある。
1.下垂体(内分泌オーケストラの指揮者)にホルモンと神経シグナルを送る
2.自律神経系に指令を送る 涙・唾液・汗・血圧・心拍数・体温・呼吸・胃腸・膀胱・排便など
3.緊急事態の準備と実際の行動 闘争・逃走・摂食・性行動
無意識のシステムは単純でかつ論理性を求めてしまう
一番楽な道を取るのが無意識の特徴だという説がある。
障害物を迂回しながら上から下へと流れる小川のように。
矛盾した刺激(信号)に対しては、手元にある情報を駆使して、矛盾のない意味を探し求めて、最高の物語を作る。
それがどう他者から評価されるのかという論理性ではなく、無意識に入力された情報から解を導くという論理性なので、社会(他者)から見るとあまりに現実性のない話の場合は精神の病だと判断されることもある。
側頭頭頂接合部の刺激
この接合部に過度な刺激を与えると、ゴーストという他者の気配を呼び起こす。
逆に刺激が足りないと、自分が存在しないという感覚が呼び起こし、自分自身がゴーストになる。
また刺激が足りないと、人に対して感情的になれなくなる。そして、これが進行すると、感覚が鈍くなり、何も感じなくなる。その時は扁桃体、海馬、側頭葉の領域が萎縮している例がみられる。
矛盾する刺激を一致させる時の物語の作り方の違い 二つのパターン
ある患者は接合部に過度な刺激があり、他者の気配を感じるが他者はいない。そこで妻を知らない別人と思い込んでしまう症例がある。聞いただけでは信じられない症例である。
他のある患者は、接合部に刺激がなく、自分の気配が感じられないが私はいる。そこで自分は死人(ゴースト)であると思う症例がある。
症状 |
心情 |
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無意識と死 死の恐れから逃れるには?
生命体は自分の死を体験することはできない。
意識は、一度も体験することができないことは不安に感じるしかない。これは当然のことで、意識の視点から見ると、死ぬと意識は消滅してしまい、同じ意識は二度と蘇ることはないのだから。
これが脳の産物である意識が捉える死である。意識で死を考える限りはそれは消滅であり恐怖であり、もしこのように思考できないのであれば意識がちゃんと機能していないことなのでそれはそれで恐ろしい。
それに対して生と死は一体であるという体感の仕方がある。
カラダの中で毎刹那に行われている新陳代謝からの視点だ。これは生死が同時にないと、この世にはいられないという奇蹟で、どの生命体にも共通しているルールである。
死とは生とセットになっているという体感だ。
またカラダが死によって分解しても、これは残された世界の一部になるというカラダの視点からみた解釈もある。
脳は一度死ぬと再生できない(これまでの実例では)が、カラダは大脳皮質や大脳辺縁系が死んで植物状態になっても新陳代謝を続けているように、アタマとカラダは生きている層(世界)が違うのだ。
といってもまずは意識を使って、生死の壁を柔らかくするのも一興である。
宇宙の研究は、時間を超越した感覚や、自分はより大きなものの一部であるという気持ちを与えてくれる。永遠に展開する宇宙のドラマの一部として自分をとらえれば、限りある自分の命という事実の恐ろしさが軽減される人もいるだろう。
しかし、死ぬことの意味を理解することで、はじめてちゃんと生きていける、ということを実践している人たちもいる。
人間をこの世界の特別な存在だとみなし、無比の高みから宇宙を検分していると考えるなら、自分の消滅は受け入れがたい。しかし単なる観察者ではなく、偉大な宇宙のダンスの一部であるとしたら、避けられない死も悲劇ではなく、宇宙との喜ばしい再結合とみなせる、という体感をしている人たちもいる。
ヒンドゥー教のシバ神(破壊と創造)の宇宙観があるラマチャンドランのように。
ブラフマンを理解するには、心の中にあるブラフマンを体験しなくてはならない。人間はそうすることで初めて悲しみや死に囚われず、すべての知識を超越する。精緻な真髄をそなえた存在になれる。「ウパニシャッド」
原子の塊が海から出て乾いた陸に上がり、今ここに立っている意識を持った原子、好奇心を持った物質。
この私は原子の宇宙、宇宙のなかの原子だ。 リチャード・ファインマン
人間の脳の不完全さ 同類を殺してしまうほどに。
錯覚をし続ける脳は、事実の半分しか見ることができなくなっているのではないか?
「自分」をカラダとアタマの二つに分断して、アタマを「わたし」という主体と「キャラ」という役割に分割し、この「わたし」を今度は「本当のわたし」と「あるべき姿のわたし」に分類し・・・次には「本当のわたし」を「本来のわたし」と「嘘のわたし」に分類し・・・。これが続くと精神病者と社会から判定される。
なんでも知識(分けて分類して名前をつけること)を基準にして、分け続けていくことで、全体像の立ち位置(TPO)がわからなくなっている。
脳は電気信号を使って、この世を分断することによってしか把握することができない器官である。
だから脳は利己的で、屁理屈を通し、分断的で、冷たく客観的で、先入観にあふれている。
特殊な事実(TPO)を法則までにして過剰一般化してしまい、それを過剰具象化して運用してしまい、それに正義という自己肯定の価値観までも付随させてしまう。
これは何も悪いことではない。これが脳の役割であり、機能であり、できることだからだ。
なんと便利で大切な器官なんだろう。
だが、すべてを脳の力で網羅できるわけではない。
なんでもできることとできないことがあるのだ。
できないことを脳に背負わせて任せているのが間違いの元である。
無意識から身を守るコツ
脳は全体をわからなくてはならない、という病気にかかっている。
「分からなくていいじゃない」「分けられないものはそのままでいいじゃん」とは言えない病気だ。
すると、嘘をつくしかなくなる、それも自覚のないものなので始末に悪い。
なぜ自覚がないかというと、ある視点から見ると整合性と一貫性があるからだ。
ではどんなウソがあるのだろう。
大きくいって2つあり、一つのことから全体をつくりあげるのと、先に結論が合ってそれに合う部分を拾ってくる手法だ。
一つ目はインプットされた情報から無意識が合理的なエピソードを作り上げる。
例えば植物が光合成をするという事実から、植物は二酸化炭素を吸入して酸素を供給するので、酸素を供給するために植林事業をはじめるというストーリーを捏造してしまう。科学的事実にこだわる人が陥りやすい。
もう一つは、先に結論の答えがあるので、そこに至るまでの空白を埋めるために無意識が世界観を創作する。
例えば911の陰謀説やアポロ計画陰謀論の捏造説 (Moon Hoax)は先に陰謀だという結論があり、次にたしかに整合性がない疑問点がいろいろとあるので、それらを探してしてきてはそれらを列挙して、陰謀という一貫性のあるテーマで全体に及ぶ話を無理矢理に作り上げてしまう手法だ。一貫性にこだわる人が陥りやすい。
科学的論理性をもとう、そして一貫性を保とうとするのは意識だけではない、どちらも無意識の特徴でもある。
蛇足だが、謀略説を好む人には共通点があるように思える。常に事実に即しているとは限らない信念を保持し続けて暮らしていると現実の世界と自分の信念との間に矛盾が現れてしまう。そこで矛盾が起きてしまう理由をそれらを裏に押し込んでいる闇の組織のせいにすることにより謀略を説く一貫性を保つことができている。
例えば911。矛盾は各自の信念によっていろいろとある。
あんな大きな事件は小さいテロ組織には起こせない。
ビルはあのように崩壊しないはずだ。
アメリカ政府は常に敵がいることで保持できている、
などとどれか一つでも信じ込んでいれば、
911事件でも確かに政府が事実を隠蔽している事項もあるので、これは政府が裏で謀略した事件であると結論づけてしまう傾向の人も現れてくる。
確かに大きな組織は敵対する相手がいることで統合しやすく、政府は必ずしもすべての情報を公開できず、政府が謀略を指導や誘導することも過去にはあったので、一つづつの根拠には事実が含まれているが、これらを直線で安直に結びつけて結論を出すには疑問点が多すぎる。この911事件に手を貸した政府関係者はいるかもしれないが、だからといって大統領を含めた政府上層部が謀略を指導したというには証拠がない。それにもかかわらず、先に謀略説という結論から唱えるのは、無意識に誘導されているとも言える。
無意識から一番簡単に身を守るコツは「自分の本当にしたいことしかしない」こと。
自分に関心があることを人に聞く時には良い情報が入りやすいが、他人から入ってくる情報は金がらみや宗教がらみで精度が落ちる。
そして次にはその情報は自分の無意識にも語りかけているので、今度は自分の無意識からも次々とお誘いがくるので一度聞いてしまった以上は今度は自分の無意識ともお相手をしなくてはいけない。
営業マンは以下のことを学んできて、貴方の前に立っている
もう一度書く。できるかぎり自分の行動をよく観察して、自分の本当にしたいことを見極めることだ。
ゴルディロックス効果 値段は6対4対3の割合にすると真ん中が人気商品に 本当にそれが欲しいのか?
返報性の法則 不適切な親切は受け取らない
単純接触効果 親近感と信頼感は別物だと戒める
混乱法 判断するのが面倒になり、差し出されたものに賛同する。 いったん持ち帰る。
社会的証明 周りと同じことをしたい 本当にそうしたいのか自問する。
クロスセル 購入を選択したら、勧められると関連商品も買ってしまう。 決めた以外は買わない。
コントラスト原理 はじめに高い商品のあとに、安い商品をすすめる
一貫性の原理 自分の選択したものの価値が高まっていく心理 第三者の意見を聞く
リスクリバーサル 返金保証などで購入の不安を売る側が引き受けて、買いやすい環境を作るテックニック
ローボールテクニック 旨みのある提案をして承諾させたあとに、徐々に売り手有利に変えていく
ピーク・エンド・セオリー ピークとエンドの出来事を深く記憶に刻み込む
理由付け 「なので」に強く反応し、理由の内容に関わらす、相手を手助けしたほうがいいと判断させる。 比較して理由の正当性について検証する。
権威付け 権威が信じるに足るものかどうか調べる
ハロー効果 相手の目立つ表面上の特徴に魅惑される その特長がなくても付き合うか?想像する。
エビングハウスの忘却曲線 20分で58%が忘却。
復習曲線 20分後に復習、後には1日後、1週間後、一ヶ月後
ウィンザー効果 当人から聞くよりも、第三者からの方が信ぴょう性があると信じる。裏をとること。
承認欲求 人に認められたい、褒められたいという欲求 相手を積極的に承認してバランスをとる
自己開示の法則 内面の弱い部分を見せてくれた相手に心を開く 返報性が働き親近感が深まる
サンクコスト効果 既に支払ったコストにこだわってしまう。 今の状況から合理的に判断する
恐怖管理 恐ろしい情報の後に楽しい情報を与えられると影響を受ける。
カリギュラ効果 禁止されるとやってみたくなる心理 禁止ではなく後回しにすると欲求が落ち着く
付録
芸術の普遍的法則 ラマチャンドラン「脳の中の幽霊」より抜粋
1ピークシフト 平均との差異を強調 知覚文法の原型の発見と強調
2グループ化
3コントラスト
4孤立
5知覚の問題解決
6対称性
7偶然の一致を嫌う 包括的観点
8反復、リズム、秩序性
9バランス
10メタファー
唇の形状と言葉の意味には関係があるのか?
小さい i u o un peu teeny weeny deminutive
大きい a e enormous large