第三章 自己意識の使い方 柔軟な自己意識を育てる   脳は可愛がってあげなくっちゃ

 

目次

願望を実現するには

意識の図像

芸術は自然の深淵をみせる

意識の役目は誤りを起こすこと?

右脳と左脳  嘘の仕組み

 

実用編 集中力

記憶術

 

無意識だの潜在意識だの非意識だのと言っても、結局のところ意識によって始めなければどうにもならない。

このエッセイを読んでくれている貴方の意識のように。

この意識を柔らかく緩やかにゆったりと拡げるのがこの章の試みです。

 

願望を叶える仕組みを知りたい人ははじめから、

ただやり方を知りたい方は実用編のP8ぐらいからどうぞ。

 

 

意識と自己意識

意識は起きている時に活動している。

自己意識は、法則や因果関係をみつけようとしていて、法則化できると未来予測の確率が増える。ただし、いくら将来が予測ができて確率が分かっても、コインを投げて裏と表のどちらが出るかは決してわからない。

 

願望を実現する方法  無意識を理解してあげる、それが自己意識の役目

意識と無意識の両方を活性化させて、相互が交流を持ち、二つの方向性を一つにする。

これが願望が実現するコツです。

ここでも問題になるのは、やはり無意識です。

意識は、望みや夢を実現させたいと意志があるのでわかりやすいのですが、いくら意識がしたいことがあっても無意識がそれを望んでいないケースが多くあります。

無意識側から言わせれば、意識はいつも流行に踊らされて、ポジティブだの積極的な意味だの、自分自身を守るために作り上げた優しや正義だのを主張して、あまりにも宇宙の法則に逆らうことばかりしているので、いい加減に目を覚まして、無意識の中にある宇宙の深淵さを体験しなよ、というのが本音です。

それに対して意識は、いやいや、この世に一度の人生だから、したいことはする、というバカな若さで胸を張ります。

ここでのご提案は、意識がなにかを叶えたいのならばまずは無意識にアクセスして色々と知り学び、自分の望みが叶えやすいようにしてはどうか?ということです。

また無意識にアクセスして、願いが本当に必要なものでなければ当初の願いよりも他の望みに変えるのはどうでしょうか?

いや、それでもどうしても前々からの望みを一度は形にしないと気がすまないというのならば、無意識を説得しなければなりません。

これは無意識を一時的に書き換える、ことです。

例えば、条件反射の話にすると、梅干しを見るたびに自然に唾液が出るのを、酸っぱくない梅干しを食べ続けることで、梅干しを見ても唾液が出ないように変えることです。

このような方法を使って、意識していることと無意識のしたいことの方向を同じにすると願いは叶うようになります。

ただし、くれぐれも、多くの場合は意識の願いは自分勝手な独りよがりで、無意識の状態こそが宇宙の深淵につながる大切な智慧であることをお忘れなく。

もし無意識が心底から望んでいるのでなければ、夢はかなっても、それは一時的でしかなく、すぐに次の人や次の状況によってその夢は消え去るのが宿命ですから。

また願望を実現するということは、実はなにを実現しないか決めるということでもあります。ヒトには限られた時間と力しかないので、何かを実現するためには何かをすることを止めることが増えてくることも自覚する必要があります。

 

バラク・オバマが意思決定をするためにしていることの一つ

「私はグレーかブルーのスーツしか着ません。食べるものや着るもののことで迷いたくないのです。他に決めなくてはならないことがたくさんあるのですから。意思決定力を温存しなければなりません。そのために身の回りのことをルーティン化するのです。瑣末なことに気を取られていてはやっていけません」

Vánity Fáir誌 大統領になって4年目のインタビューにて

 

そうです、意思決定にはカロリーと集中力とその環境を整えなければならず、想像以上に大きなエネルギーが必要なのです。ですから毎日に多くの意思決定をしなくてはならない人は、できるだけ自己意識を使用する回数と時間を減らし、有効的に使うことで対処しています。

 

神経系が遺伝子を変更したケース

想いが現実になる、というとなんだかマジックやインチキだと思ってしまう人もいるかと思いますが、よくこの自然界を見渡せば、わりとあちこちであることです。

昆虫や動物には擬態というのがあります。動物が自己防衛のために、形を変えるケースです。

例えば、カッコウ(Cuculus canorus)は他の鳥のオナガやホオジロやモズの巣に外見を擬態した卵を産んで、その鳥に自分の卵を育せさせることがあります。これを托卵といいます。カッコウは他の鳥の卵に合わせて模様を変える力があります。

またカメレオンは周囲の環境に合わせて皮膚の色や形態を自由に変化させるのは有名です。

特に蛸ミミックオクトパスはもうアートです。

彼らは人間より下等な動物だと言われていますが、視覚からくる「想い」を皮膚の上皮を自由に変換させて、現実化しているのです。

こう考えると、そんなにすごいことではなく、当たり前にあることの一つなのかも、と思ってもらえるかもしれません。

例えば無毒の蝶が鳥に食われないように有毒の蝶とそっくりになる例があります。これは他者である鳥の神経系によって蝶の遺伝子が変わったとも言えます。また、メスの孔雀の好みでオスの綺羅びやかな羽の遺伝子が変わったとも言えます。

どちらも他者の想いで物理的な物質が変化した例です。

ヒト科以外の生物は、もうすでに脳の特徴を利用して具体化している専門家なのかもしれません。

参照エッセイ  想ったことは現実になる   無意識を整えてダイエットする方法

 

想い込みをする脳のメリット

後から新しく回路を作ることで、好き嫌いをはじめとしたそれまでの印象を変えることができる。

ネオトニーが色濃い霊長類ヒト科。この子供ぽっさからが進化の特徴で、想い込むことで次々と新たな進化をとげている。自らのカラダをあえて進化させず、必要なものは想うことで作り出すという戦略だ。カラダを進化させてしまうと新たな環境に適応するのに時間がかかってしまうが、想うことはすぐにカタチにして対応できる。

話はズレるが、こんなネオトニー志向が現代都会生活者の脱毛志向とつながっていると感じるのは私の勘違い?

 

還元主義の限界  Reductionism

脳はその構造を考慮することなしに脳の機能を理解することができない。ブラックボックスを開けない機能主義者は、分析的な見方だけで精神的な過程を理解できるという考え方にしがみついている。

脳科学も小さな部分を理解すれば、最後に全体の説明がつくという望みを持って物事を小さく分解してきた。

ここで還元主義ができることとできないことを見極めるのが大切である。現代では還元主義の濫用が問題である。

研究している対象の中に階層構造を見つけ出し、上位階層において成立する基本法則や基本概念が、「いつでも必ずそれより一つ下位の法則と概念で書き換えが可能」としてしまう考え方。これが還元主義。

複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方。これも還元主義。

還元の英訳は「削減」を意味するreductionであるが、これは概念や法則の多様性を減らすという意味。

「還元主義とは、全体を構成部分の関数として、部分の空間的・時間的な順序づけとそれらの正確な相互作用に関する関数としてあらわせるという信念belief conviction」ピーター・メダワー(イギリスの生物学者)

還元主義とは信仰の一つの形態でしかない。

 

フロイトの科学観

偉大な科学の革命は、宇宙の中心としての「人間」の誇りを傷つけたり、中心から周辺に追い落とす。

第一のコペルニクス革命が地球は宇宙の小さな塵にすぎないという考えに置き換えた。

第二のダーウィン革命が人間は弱々しい幼形成熟の類人猿だとみなした。

第三のフロイト革命が、コントロールしているはずの自己とは人間の観念である単なる幻想にすぎないという見解だ。

誇りを傷つけられて嬉々として、代わりに何を人間は得ているのだろうか?

実体のある責任を逃れて、影のような自由を得た。責任と自由は同じコインの裏表であるのに。

影のような自由は、ヒトに「いのち」の充実感を与えない。

 

進化は一直線に進んだのではなく、想定外の連続の積み重ねである。進化はゆるい。

進化とは、ある目的のために変化し、その後はそんなはずじゃなかったのに、それが利用されたものが多い。

例えば、鳥の羽の元は魚の鱗が進化したもの、そして羽は元は自己保温のために進化したが、後にそれが飛ぶために利用されるようになる。

哺乳類の肺は魚の浮き袋、水中で位置を上下に変える時に使ったもの。

 

ちいさなローテクな機械でも、大きな科学を打ち立てて、宇宙の法則を見つけることがある

ファデラーは、鉄くずと磁石でで磁場を発見。

ガリレオは、ピサの斜塔で重力の法則を発見。

物理学者は、電車のつり革が揺れるのを見て、地球を自転していることを証明できる。

 

現在から過去を見れば進化は決められたかのように直線だとする見方ができないこともないが、現在から未来を見れば、進化の指向性がまるでないかのように多様性に満ちている。

過去を見れば正解を導けるが、未来を見ればそんなものはない。

あえて上げるとすれば変化に対する対応力である。もしくは変化に対応するにはあまりに多くの意識のエネルギーを使うというデメリットがあるので、対応力そのものを諦めるという戦略もある。それでも無意識が勝手に対応してしまっているので、ただボーとして任せておいても充分だ。いざという時が来れば無意識に促されて意識は目覚める。またいざという時が来ないのもそれはそれで幸せなこと。

 

 

意識とは開いた穴、自己意識とは閉じた穴のこと

もし意識を図像にしてみたらどんな形になるのだろう、という試みを序章でしました。

それはちょうどゴムボールを指で押した凹みのようなものではないかと。

 

ボールがカラダ(全体)

凹みが意識

 

凹みの入り口が閉じたら自己意識が発動する

 

ボールの内側の内臓器官は無意識で、ここは自律神経の影響を受ける

 

ボールの中を貫く管は消化器官で、この中は他者である微生物(非意識)が暮らしています。

 

外からの刺激を凹みである意識が対処して判断し行動の有無が決まります。

凹みは外と繋がっているので流動性がありますが、思考したい時には入り口を閉じることで凹みの空間を固定化させることで分析することが可能になります。

 

自己(表層意識)は自分のことを見ることができません。

それで鏡を使ってみることにします。一面だけでは片側しか見えないので、背中の後ろにも鏡を置いて、二つの鏡で自分を見てみる。そうすると、鏡の中に鏡が写り、それが永遠に続いていく。

自分自身を見ることは永遠に無限に続き、中身は見えませんが、まあ、見えるところは見ることができます。

 

今回の大体は、外胚葉の細胞が成長していく過程の凹みが意識だというお話でした。

 

芸術は自然の深層を見せてくれる扉?

なぜ芸術は世間から評価されるのか?そして世間はなぜ芸術をありがたるのか?

それは芸術が自然の奥に隠れている深層をほんの一瞬ですが、表にみせてくれる魔術の技を持つ芸だからです。

そしてこの秘術が垣間見せた奥底は、いつもの意識の二分法で淀んでしまっている脳内をさっと消滅させて、新しく生まれ変わらせてくれます。そう、生の復活、再生、新生です。こんなことを向こうから進んでしてくれるものはそうそうないので、皆が有り難たく思うわけです。

 

芸術は自然の「バーチャル・リアリティ」です。脳内で内部シミュレーションを作り出してリハーサルして、ビルの外にある自然に向かうための準備運動です。言葉を変えると無意識に形を与えて意識にでもわかるようにしてくれるのが芸術の素晴らしいところ。

 

芸術家は絵画や彫刻で、自然な光景や写実的な像よりももっと効果的に、できるだけ多くの視覚領野を興奮させることによって、「アハ」信号をできるだけ多く生み出そうとしています。

「アハ」とは、脳腫瘍を取り出すことを想像する実験していた時にレーザーを一点に集中させる方法を「あっAh」という思いつきで結論を導き出したことから、Ah Experienceと名前がつけられました。

論理の欠片(かけら)もないのに「いきなり」考えが飛躍して結論を導き出すところが特徴です。

この「アハ体験」の仕組みは議論の真っ最中です。ただどうやらその瞬間にばらばらに散らばっていた知識がいきなり繋がるようだ、というのが今のところ有力な説のようです。

「芸術とは、真実をあばきだす嘘である」パブロ・ピカソ

 

誤りをおこすことが意識の役目? 想像力は完璧ではいけない理由

意識は何故必要なのか?

想像力が何故、完璧ではないのか?

いくら想像力が素晴らしいくても、これだけでは、満足しないように生命体は進化してきました。

他者がいなくても完璧なオーガズムできるような体験を身につけてしまえば、活動は止まってその先の子孫はいなくなってしまいます。

もし想像力だけで満足してしまうようならば遺伝子を広めたり進化させたりする必要がなくなります。

これも生命体は「誤り」を必要とし、試行錯誤がこの世にあり続ける理由の一つです。この誤りを作ってくれるのが意識や自己意識の役割の一つだとは思いませんか?

ちょっと強引な説でしょうか?

でもブッダのように悟ってしまい、常に「無我」の境地にいるのだとらしたら、上座部仏教の僧のように結婚もせず子孫を残すことはありません。

いや、誰もがブッダのように悟れるわけではないようなので、問題はないのかな?

 

幻肢症患者がミラーボックスを使うと実際に幻の腕を見て動かすことができたが、想像力を使うだけではそれができなかったのも、同じ話なのかもしれません。実際にやってみることに大いなる意味があるようです。

 

理解すること   他者を理解するために、脳は他者を頭の中で再現する 

他人の動作を理解するというのは、視覚や聴覚だけじゃなくて、自分の運動中枢、言ってみれば自分の身体を理解するということです。

本当の理解は運動に近い。例えば、自分が発音できる音声でないと、ちゃんと理解できない、ように。

 

サルの目の前で人間が手でモノを握ると、サルの脳のブローカ領域の部位が働いた実験がありました。サルは自身の手を動かさないにもかかわらずです。人間の行為を見ているだけで、そのときの人間の脳で働いているのと同じ部位のニューロンが活動したという実験結果です。  

脳はバーチャル・リアリティをシミュレーションする有用な器です。他者の心のモデルを自分の心の中で構築できると、他者の行動を予測できます。

そしてより正確に予測するためには、TPOを考慮して、その人の属している世界、経験、記憶、条件反射、人格特性、意識の表層だけではなく中間層や深層との共鳴、そして能力の有無と限界も加味します。こうして他者の心を自分が体験します。

 

右脳と左脳

右目は具体的に細部をじっくり見ることを、左目は全体の輪郭を見て把握するという実験はあちこちで行われており、今では、神経学の教科書にも載っている。

しかし、左脳が言語や規則性に関係が深いからといって分析力の源であると言ったり、右脳が創造力や全体意識を司る、というように導くのは飛躍を通り越して、過剰一般化とも言えず、たんなる捏造である。

ここでは臨床例をみて、どのような特徴があるのかを見てみよう。

 

矛盾に敏感な右脳  取り繕う左脳

矛盾に直面した時に、右脳は極めて敏感に反応するので、ラマチャンドランは「異常検出器」と呼んでいる。それに比べて左脳は取り繕うという対処法を取り、矛盾など存在しないというふりをして先に進みます。防衛機制の一例です。

 

視覚と規則   左脳と規則性

視覚はいつも規則を発見しようと奮闘している。

あまりに多くのデータが飛び込んでくるので、これをパターンで識別しないと処理が追いつかなくなってしまうからだ。

ルールによって分けることができないと視覚に映るデータはただの莫大なビット(信号)の集合体でしかない。

視覚は常に規則というパターンに沿って分割するという無自覚の作業を無意識の内に行っている。

目を開けているだけで無意識に操られているといったら言い過ぎであろうか?

ヒトは形態、動き、陰影、色彩にそって特徴を束ねることで共通性を見出すことに喜びの感情までも生み出すようになった。

すぐれた絵画が写真よりも心を動かすのは、写真の詳細さが表層の規則性の発見に無意識の注意を向けさせるのに対して、絵画は表層にある規則性を省略して簡略化させることによって、関心を根底(深層)にあるものに向けさせることができるからだ。

表層の「規則性による分割の作業」を取り除くのが芸術家と左脳に障害を持つ脳卒中者だ。

左脳は共通性や規則やパターンを見つけようと好奇心を持ってこの世を見つめている。

 

機能障害と脳

左脳には、合理的で抑制的な機能があり、左脳に卒中を起こすと不安に陥る傾向がある。

右脳には、情緒的に不安定な傾向を持つ機能があり、右脳に卒中を起こすと困った立場に無頓着になる。

そして脳梁を通して左右が「会話」をしている。

 

なぜヒトは嘘をつくのか?  左脳が右脳を言語化できない時

1 正常な人はなぜ様々な心理的防衛機制をするのか?

2 この機制が疾病失認の患者(感覚入力の矛盾に対する処理方法が損なわれている人)では誇張されるのか?

どちらも、生存(サバイバル)の目的から見ると不利益のように見えるのに。

しかしダーウィンが指摘したように、生物で不適応と思われるものを見たら、もっとよく調べてみることだ。そこにはしばしば隠れた意図があるからだ。

 

左脳が右脳からのメッセージを読み取って解釈しようとするとき、一つの根本的な問題が生じる。

右脳はアナログの表象媒体を使い、身体イメージや空間視などのHow(いかに)経路(頭頂葉)の機能を強調する傾向がある。

これに対して左脳は言語と関連する、より論理的なスタイルを好み、対象を認識、分類し、対象に言語のラベルを貼り論理的な配列で表象する(これは主としてWhat(何)経路(側頭葉)で行われる)

これが深刻な翻訳の障壁を生む。左脳が右脳から入ってくる情報を言語で表そうとする。例えば、言語では表現し難い音楽や美の性質を言葉にするように。左脳は解釈しようとするのだが、予期している右脳からの情報を得られない時は、左脳が長話をはじめ、そのために少なくともある種の作り話が生じるものと思われる。

こうした翻訳の失敗もしくはチャレンジもしくは「わび」が嘘となる一面である。

 

左右の脳の機能を「二分」するのは未熟な意識が行ってしまう判断である。前後や上下にも脳はある。たしかに顕著な非対称の特徴もあるが、特化とは絶対的なものではなく相対的なものでしかない。中には左と右の機能が逆になっているような例や左脳の機能の多くが右脳に見られる例は少なくない。

 

左脳は言語を生成し、話し言葉を統語的な構成にし、意味の解釈を専門にする。

視覚の部分的で分析的な視点で、一つのパターン(信念)体系を作って入力情報を判断することだ。

外からの途轍もない情報量を一貫性のあるシステムに区分けして自分の中に取り入れる左脳の働き。

過剰な細部を整理して、意味のあるストーリーにするためには、一貫性を持つ安定した価値基準システムが必要だ。

左脳は現状に固執する頑固な保守主義者、もしくは矛盾に無関心な順応主義者にたとえてみる。

左脳は、どんな犠牲を払ってでも一貫性のある世界観を保持しようと試み、左脳を脅かす可能性のある情報を締め出そうとする。

筋立てにないものが入ってきたときは、システムを壊して新しいモデルを含めたものに作り直すか、無視するか、保留にするかの選択肢がある。

「無視」を選択することでシステムは安定させているのが、否認や抑圧や作り話や自己欺瞞といった防衛機制である。

つまり自分自身に嘘をつくということだ。この嘘をつく司令官が左脳で、フロイトの言う「自我」である。脳が方向性のない優柔不断の状態に追い込まれるのを防止しているのだ。信念体系を守るためにはなんでもするかのように。

システム全体の一貫性と安定性を得るためには嘘をつくことはわずかな代償でしかない。

漠然とした不安に駆り立てられるのを避けるために、具体的に何かのせいにするという戦略をとることもある。

 

保留という新たなカゴの作成

古いモデルを壊して新しいモデルを作るには経験や必然性が必要となり時間がかかるので、「嘘」に疲れた人は、「保留」という方法をマスターするのがオススメ。

これまでの筋立てに分類できない情報がはいってきた時に、否定や無視したり不快や嫌悪の感情を付加するのをやめて、新たに保留という「カゴ」を脳内に作ってあげて、その中に置いておく、という作業の練習をすることです。

 

右脳はメタファーや寓意や多義的ニュアンスに関与している。

木々を森として見る、顔の表情を読み取る、状況に適切な感情で反応する、皮肉を理解する。

視覚の全体観的な視点で、現状に疑問を投げかけ、全体的な不整合性を探す。

混乱や矛盾にに対して非常に敏感である。

閾値を超えると(耐えられなくなると)左脳の作った体系全体を改革する左翼的革命主義者でパラダイムシフトを実行する。

右脳に障害があると、窮地に気がつかず、軽い多幸症の傾向がある。矛盾を検出する右脳が働かないので、左脳の作った体系を否定することができず、現実をチェックすることができなくなるのだ。  

「情動の右脳」を欠いているので、失ったものの大切さを把握できないためだと推定される。

右脳の腹内側前頭葉に損傷が起こると、否認することが広範囲かつ多様になり、異常に自己防衛になる。

左の耳に冷水を注入すると、左脳は休み、右脳が「喚起」されるので、各自いろいろと遊んでみるのも楽しいかも。

 

嘘のメカニズム 詐欺師の脳内現象   目を見ればわかる!

嘘がバレるのは、自然な表情は辺縁系が司るのに対して、嘘をつくときの表情は皮質が司っているため。

微笑みながら嘘をつくとそれは作り笑いになり、真顔を保とうとしても、辺縁系が虚偽の形跡をもらしてしまう。辺縁系は非随意で本当のことを表す傾向があり、大脳皮質は随意で嘘を考え出す場所であるためだ。

簡単に見分けるには目の周りの筋肉の収縮をみればいい。口元の随意筋が笑っていても、意図された笑顔の場合は目元の非随意筋は笑っていないのである。

 

詐欺師の戦略

この問題に詐欺師は困ってしまった。そこでこれを解決するには、詐欺師自身の辺縁系に嘘を本当のことだと信じ込ませることだった。一種の自己催眠だ。虚像のイメージを脳内で再現し、俳優が演じるというよりも、もう一人の自分がパラレルワールドを生きればいい、と実演しているのがタチの悪い本物の詐欺師である。

 

信念とは左右の脳が同じ考えを持たなくても成り立つもののようだ。

自己欺瞞とは左半球の機能の一つで、他者には伝えるべき「信念(信じたい想念)」を話すが、右脳はずっと事実を知っているが言語化しないのである。もしくは多重人格者のように、いつもの主導格の人格の横に新たな人格を置いてやり、それに「信念」のストーリーと新たな辺縁系(感情)を創出し、その新しい人格にリアルな劇場の仕切りを任せればいい。

この自己欺瞞は他者には有効なので、詐欺師やホラ吹きはこのシステムを活用する。

 

夢と右脳

REM(急速眼球運動)睡眠の時に夢を見る。この時に意識の外に押し出されていた記憶が浮かび上がってくる。この時は左脳の信念体系の機能である部分性の検閲と削除の活動は停止し、右脳の全体性を基準とした解釈をはじめる。全体性の中には、左脳が選択しなかった劣性や不快な事実も含まれる。ネガティブなことを含めた解釈が有効であれば、翌日の作戦に組み込むかどうかの判断もする。難しい場合は引き出しにしまっておいて忘れようとする。

夢のほとんどを思い出せないのは、全体性を基準とした解釈を必要とはせず、見ないことにしたいという防衛機制のためではないのか?

どう思われますか?ただ夢の内容に関心がなく、記憶する必要がないためなのだろうか?それとも?

 

 

 

 

実用編

集中力   スコトーマを利用しよう

予めにあるイメージを強く作り上げて、そのイメージから外れるモノは遮断するというクセをつけると、見たいと思っていることしか眼に入らなくなります。

これは先行したイメージがスコトーマscotoma(ギリシャ語源Sukotomaで盲点)になってしまい、目の前にあるものでさえ見えなくなってしまうという事例です。

ですからスコトーマに囚われるのではなく利用するのです。

例えば、山菜眼とかキノコ眼と私は勝手に呼んでいるのですが、見つけたいコゴミやクロハツを脳内でイメージしてから山に行くと他の野草には注意が向かず、コゴミだけが眼に飛び込んでくるのです。

私は四つ葉のクローバーを見つける時も同じようにしています。

そして、自己意識の特技である「自分のすることに集中するために 外の世界の情報を遮断できる」能力を使った後には、閉じた扉をまたオープンにしてあげるのがポイントです。

そうしないと、「待つ」ことができなくなるし、新しい変化を感じる機会が減ってしまい、物事を一面性だけでとらえて危険にさらされてしまうかも知れませんから。

 

集中力を高める環境

無意識は危険を察知するために集中力が発揮されないように、逆に注意力が発揮できないように散漫にしている。

都会生活や学校とは違って、集中力とはカラダにとっては危険な状態であるからです。

大自然の中で一つのことに集中していると、マムシを踏みつけてしまうかもしれないし、緊張していては循環器系や消化器系の内臓は活性化されないし、ホルモンやエンザイムや免疫細胞は体内で生成しにくくなるからです。

 

大脳の帯状回は異常の検知をする部位で、周囲の状態を常に監視し続け、それまでとは違ったおかしなことがあれば発見するシステムになっています。

そこで、無意識の目的に反してでも、集中力を高めたい時には、帯状回に刺激を与えない環境を人為的に作る必要があります。

ただ単純に脳を鍛えたら、帯状回が敏感になってしまうかもしれません。だから脳を鍛えるのではなく、脳が散漫にならない環境を整えることが集中力を高めるコツです。

 

散漫になるものを視界から排除する

インターネット、スマホ、雑誌、メモ、テレビ。

外部から入ってくる情報は集中力を妨害します。

特にスマホのようにこちらの集中している時にでも強引に介入してくるものは、一時的に機能しないようにサイレントモードやオフにすることがオススメです。

次に集中しようとしている部屋の中にあって、どうも気にしてしまうモノは何でも片付ける。

しかし、いくら散らかっていても本当に気にならないのならば別に片付ける必要はありません。

 

帯状回をリラックスさせて快適な状況をつくる

Description: ダウンロード焦ると帯状回は緊張してしまうので、力を抜くこと。

部屋を適温にする。温度は少し低めに設定するのがよい。

好みの香りにするのもいいかも。一説には柑橘系がよいとも。

刺激の少ない音も効果的、例えば環境音楽。

目標はアタマもココロもカラダも「ゆるめる」こと。

 

中断する時は切りが悪いところで止める ツァイガルニク効果

休憩している時も無意識で次の展開を考えてしまうので、次の作業に繋がる。

休憩するのは、集中力(脳内快楽物質)のタイマーが切れるまで、それまでは続ける。  

 

やる気はやり始めてから出るのが脳の構造

脳は燃費の悪い臓器で、多くの酸素と栄養を必要とするので、現在の状態を継続させ、新しいことをしようする時には言い訳を見つけてブレーキをかけるクセがある。それはまだタスク(やろうとしていること・やっていること)の魅力やその結果のイメージが明確化できていないため。

そこで、脳は騙されやすい性質があるので、苦痛をも楽しくできる方法を探してみる。

例えば単純作業のリズムの心地よさ、複雑作業のパズル感覚の楽しみなどなど。

とにかくまずは手足(末梢部位)を動かしはじめることで、徐々にやる気は目を覚ましはじめます。

はじめにやる気を上昇させるのではなく、先に体を動かしてモチベーションがあがってくる準備をするのがいいかも。

 

人目につく場所でする 

寝たりサボったりしないという緩やかな環境圧力があるため。

場所は閉ざされたベッドの中よりも外界とのつながりがあるバルコニー。

図書館、片付けた机のある部屋、電車の中など。

 

集中する前にセロトニンを分泌させる   足りないとウツぽくなる

湯船につかる。これが手っ取り早い。でも浸かりすぎると眠くなるので、長い場合は半身浴が効果的。

セロトニンを合成するトリプトファンを食事で摂取する。カツオ、レバー、チーズ、豆もやし。

ウォーキングや体操などのリズミカルな運動もセロトニンの分泌を促す。  

 

 

記憶術

記憶の仕組みを知る

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Declaration Memory    意味記憶(言葉の意味についての記憶や暗記物)、エピソード記憶

Non-statement memory   手続き記憶、いわゆる「体で覚える」記憶、

 

Cf.「プライミング」とは、関連性の記憶のことで、例えば「医者」という言葉を聞くと、その後「看護師」、「あかひげ」などという言葉の読みが、「富士山」や「帰郷」という言葉の読みよりも早くなるのはプライミング効果があったという。

「意味記憶」とは、いわゆる受験勉強の歴史年号暗記。

「自伝的記憶」とは、自分を主人公にした自分が体験したことについての記憶。

「手続き記憶、プライミング記憶、意味記憶、短期記憶、エピソード記憶」

の順に、左の記憶ほど生命維持に直接に関わる無意識と関連があり、右の記憶ほど生きていくために有用だと脳が判断した意図的な記憶になる。

 

意味記憶をエピソード記憶に  意味記憶が大きなウェイトを占める現代

現代は情報量を誇るのが特徴で優位になることが多いですが、意味記憶の弱点は忘却率が高い記憶方法だということです。

そこでなんでも自分を軸にした記憶に置き換えると、そこに感情のホックもかかり記憶が定着しやすくなります。

名前と五感と(ビジュアル・音)と情感(心拍数や印象や感情をともなう臨場感)を結びつける。

口に出す。音読しながら書き写す。

名前と感情を結びつけてセットにして覚える。

たしかにこれで記憶の定着率は上がるが、「自我」を軸にした記憶術なので、その分だけ自我への執着や依存、または条件反射の使用が増えるのがデメリットである。

 

記憶を定着させるには後の検索の反復が効果的

3回復習すると定着率は3倍に。

エビングハウスの忘却曲線では、記憶した20分後には58%が忘却されてしまいます。

そこで復習曲線にそって、20分後に復習、後には1日後、1週間後、一ヶ月後にすると定着率が増えます。

参照エッセイ  記憶術・テスト勉強の仕方

 

判断力    

判断力が早いことがいいとは限らない。

場合により、決断力は蛮勇、優柔不断は慧眼にもなる。

反射システムは反応は早いがパターン化していてるのでTPOを吟味できずアウトプットの選択肢は貧弱になる。

Description: ダウンロード熟考システムは反応は遅いが、その場にあった判断ができる可能性が高まる。その時は背外側前頭前野が活性化。  

先延ばしも場合によっては有効な一手なので、すぐに判断するだけが能ではない。

先述の「保留」という方法のメリットです。

判断力を劣化させるのは睡眠不足、アルコール、焦り、恋愛?

だから休息を取り、何かに依存せずに、安心した状態にいるのが大切。

 

後々の大きな利益を選択するには    ダイエット、資格取得、長いスパンのプロジェクト

長くかかることはどうしても気が向かないことが多い。短期間における快楽が少ないためだ。

そこで目先の利益に注意を向けるのではなく、目先の嫌なことに目を向けてみる。

なぜならば長期のプランは目先のメリットはあまりないので、逆に嫌なところを見つけるのが動機につながる。

目先の感じの良くない情報に耳を傾けると、目先のメリットに関心が向かなくなり、必然的に、長期のスパンでものを考えられるようになる。

そして次に、長いスパンの利益を鮮明に感情や五感も交えてイメージできると、今日のやる気がアップする。

Description: ダウンロード

決断力を持つ人は信用できるとは限らない   たとえば織田信長

共感する能力    眼窩前頭皮質

良心を持つ能力   内側前頭前野    

 

直感と熟考、二つの判断力

直感(ヒューリスティック)には理由がないが決断がつくというのが利点

参照エッセイ 4つの直観

 

信頼される力

愚痴を聞く  相談者はアドバイスを全く求めていないので、ツッコミを入れない。

「そうなんだね」「そんなことがあったんだ」と相槌をうつだけでいい。

ジョハリの窓

他人は知らないが本人だけ知っている部分を言葉にして、その長所を指摘する。

 

アイディア力

重要なのは新しいアイディアではなく、周囲の人にとって斬新に見えることを提案する。

みんなが理解できて人の少し先(半歩先)を行くアイディアは歴史を精査すると浮かび上がってくる。

思いつくものではなく、過去から拾ってきてそれを現代に応用するものが周囲には説得力がある。

側頭葉の言語性知能を使用すると考えがまとまるのでアイディアは実際に口に出していってみる

参照ビデオ  TV番組のTED

Description: ダウンロード (1)

努力する力   努力をどのように楽しみや快感に変換できるかどうかがポイント

1 線条体(快楽を感じる報酬系の一部)の活性化

Description: ダウンロード (2)努力をゲーム化する  記録する 人に公言する 仲間内で競い合う

 

2 腹内側部の活性化 

この領域は恐怖などの感情反応と関連し、判断力や自己抑制や道徳のプロセスに関係する。

実験により「勇気」を奮い立たせたり、共感や同情や恥や罪の意識を持つことが活性化につながるデータがある。

 

Description: ダウンロード (4)3 やる気にブレーキをかける島皮質が鎮静化させる

得られるご褒美を具体化し、映像化すると、嫌がる島皮質を黙らせやすくなる。

また黙らせるにはネガティブ感情のパワーを利用する。  

周囲の鼻を明かす、ギャフンと言わせるなどの強い感情は島皮質を抑制するパワーになる。

 

ただあまり努力が過ぎると中毒になるので、陥らないためにはメタ認知を活用する。

メタ認知とは自分のやっていることを第三者の視線で見てみる視点を持つこと。

一言でいうと、「そもそも、なんのためにそんなことしているの?」と自分自身に聞いてあげること。

 

強運力  勝ち癖のついている人

マルコフ過程(これまでの過去とは無関係に、次に起こる確立は決定される)が必ずしも当てはまらないのが生命体の世界。

一度プラスが出れば、その次もプラスが出る確率が高くなり、運と不運の格差はどんどん拡大する。

一度勝負に勝った人は、その勝ちのリソース(資源)を使って次の勝負に臨むことができるので、有利になる。

まずは自分のしたいことではなく、みんなに必要とされていることをして、結果を出して勝ち癖がついてから、自分のしたいことへと移行していくのは安定したプロセス。

 

「自分探し」で自分が探すものは、自分が何をしたいかではなく、自分がどんなサービスを提供できるのか、自分がどの分野で必要とされいるのかを分析し見つけ出すということ。

背外側前頭前野がメタ認知を司り、自分自身を第三者の視点で客観的に見ることができる。

メタ認知を鍛えるには「内観日記」が有効、例えば○○さんに☓☓と言われてイラッとした、など感情が動いた記録をとって、後でこれを観ると客観性を養える。

 

ついていない時期は長期的な視点を導入すること

ゲームを直ぐには降りたりしないで、大きな勝負は避けながら、向かい風が追い風に変わる時の準備をしておく

 

愛する力

愛とは自分よりも他者や共同体を優先させる判断や行動も含まれるので、自己生命維持を第一優先にする回路をオフにする必要がある。

 

本能的に一夫一婦制を取る哺乳類は3%だけで、後は雑婚。

アメリカハタネズミの脳下垂体で分泌されるアルギニンバソプレッシンAVPというホルモンの受容体を遺伝子操作で強制的に増やしてみると乱婚制が一夫一婦制になった。

AVPと乱婚制と一夫一婦制と愛にはどのような関連性があるのだろうか?

将来は女性が男性にだす結婚する条件の中に、AVPの注射をすること、っていうことになるかも?

 

愛するためのトレーニング  

オキシトシンが増えると幸福感、癒やし、安心感、記憶力向上するので、分泌を意図的に増やす?

共感力が活性化することで、利他行動を選択する回数が増加し、誰かの為に尽くすことで大きな快感を得る回路ができる可能性が増える。

そのための練習は、

映画を見たり、小説を読んで感情を大きく動かす

人に親切にする

同じ空間でスキンシップをはかる

できれば自分は全体性(家族・仲間・生命体)と繋がっており、その一部であるという体感をする。

 

脳の性質を使ってカラダの不調をよくする方法

ケガや不調が少し良くなってきた時に「どこが痛いのかな?」と動かしたくなりませんか?

もう治ったかな?

こうしても痛くないかな?

と色々と動かしてついチェックしてしまいがちです。

 

でも、もし本当に治したいのならば、こうやってチェックするのは止めるのが得策です。

なぜなら、痛みを探す人はケガや不調の治りが遅くなるからです。

 

痛みを探すとどうして治りが遅くなるのか?

理由は3つあります。

@  痛みの感覚を増幅させてしまう

A痛みを目的地に設定してしまう

B痛い動きを無意識が覚えてしまう 

 

@  を増幅させてしまう

脳はとても優秀なので、入ってきた情報を選別して、そこに意識を集中させて、問題を都合の良いように解決しようとします。

例えば、騒がしい場所でも人の会話って聞き取ることができます。(カクテル・パーティ現象)

これは脳が無意識の内に雑音を除外して、関心のある周波数だけを選び取る機能があるからです。

ただし、このような能力は良い方向にばかり働くわけではありません。

マイナスにも脳は同じ働きをします。例えば痛みのように。

 

どこが痛いかな?と探そうとすると脳は痛みに対して敏感になってしまいます。

すると、どうでしょう?

たとえ小さな痛みだったとしても、それを増幅して感じるようになっていきます。

もちろん、痛い場合はさらに痛く感じてしまいます。

時には、ただの『筋肉の張り』程度でも『痛い』と認識してしまうことすらあります。

つまり、大して悪くない状態であっても悪いと思い込んでしまう、ということになります。

 

A痛みを最終地点に設定してしまう

意識は目的地を設定すると、そちらに向かう特性があります。

例えば、何か問題があった時、考えていくうちに疑問の答えが見つかる、というのもこの意識の機能のためです。

「こうしたら痛いかな?」と探してしまう人は、頭の中で最終地点を「痛い場所と瞬間」に設定してしまっています。

するとどうなるか?

脳は『痛い』という目的地に辿り着こうとします。

具体的には、痛くなるような動きをわざとして痛みを作り出そうとしてしまう、ということです。

痛みを探す、というきっかけがさらなる痛みを呼ぶという、悪循環です。

その結果、日常生活ではしないような痛みが出る無茶な姿勢や、普段はしないような動きをしてしまう。

せっかく良くなってきても、そうやって筋肉にダメージを与えていては治るものも治らなくなってしまいます。

もし右手のしびれが治ったとしても、次には、全く違う場所の痛みを見付けてきては「全然良くなってないなぁ」と考えてしまうのです。

痛みを探す、という行動がエスカレートするとこのようなことが起こるので、気を付けてください。

 

B痛い動きを覚えてしまう

脳には同じ動きを再現しやすくするように動きを記憶する能力があります。

スポーツなどで反復練習をするのもこの脳の働きを利用しています。

動きをパターン化しておくと、脳が複雑な指令を出さなくても同じ動きがすぐできるようになるからです。

反復運動や条件反射です。小脳の働きを利用して決まった動きの回路を作り保存します。

これは便利です、しかし残念なことに『悪い動き』であっても脳はこのパターンを記憶してしまいます。

上手く動かせば痛くないのに、わざわざ痛みが出る動きをパターン化して悪い動きを反復してしまう。

しかも無意識にです。このようにヒトの意識やカラダは作られているのです。

無意識だから直そうという自覚さえ生まれません。

これでは治らなくても当たり前ですよね。

 

これらの理由を知ってどう思いますか?

ですから、痛みを探す、という行為は害はあっても利はありません。

 

そこでいちばん大切なのは、

『痛くない動きを探す』という方法です。

 

痛くない動きを探すと、今までの全てが逆になります。

痛みにフォーカスしないので、痛みを増やすこともなく、目的地を痛くないところに設定できます。

すると脳も痛くない動きを探し始めます。

それを繰り返すことによってパターン化され、痛くない動きが体に染み付いてくるのです。

 

結果として治りやすい体になる、ということです。

不調が治りやすい体になりたければ『痛くない動きを探す』ようにしてください、例えば股関節の動きも。

痛みを探すと、脳は痛みを増幅したり、痛い動きをしたくなったり、痛い動きのパターンを覚えたりしてしまうので、痛くない動きを探せば、痛くない動きがパターン化されて調子の良いい体に変化します。

 

ネガティブな面や完璧な地点に注目してしまう人が治りにくい理由    変化への関心が痛みを減少させる

ネガティブな面や変化のない面に焦点をあててみます。

例えば、お調子はいかがですか?と聞くと

『変わりないです』と答える時があります。

でもよくよく話を聞いてみると、前回訴えていた症状のうちの一つは良くなっていたりします。

意識は同時に2つのことができません。

悪い部分に目を向ける時は、良い部分に目を向けることが出来ないのです。

だからネガティブな面だけに注目している時は、完全に痛みがなくならない限りは「良くなった」と思うことはありません。

「良い」か「悪い」かの大雑把な判断基準だけでは、プロセスの変化に関心が向かないので、いつまで経っても感覚が研かれることがないのです。

 

良いか悪いかというのは、0100かでしか判断しないということなので、10良くなろうと20良くなろうとその点に対しては関心を持とうとしません。すると当然、少し良くなった(020)という変化にも気付けません。

これでは細やかな体の状態が分からず、常に変化しているカラダにどのように対処して良いかの判断がつかなくなります。

例えば動かした方が良い時期にも安静にしてしまって筋力が落ちたり……。

逆に動かしてはいけない時に無茶をして悪化させたり……という具合です。

その結果として治りが悪くなってしまうのですね。

もしネガティブな面や変化を感じない面だけにスポットライトを当てるのならば、少し良くなったとしても「まだ痛い」としか思えなくなり、それは治りにくい思考パターンだということになります。

 

では、変化に目を向けるとどうでしょうか?

自分の症状の「変化」に敏感になるとは痛みの減少に向かってポジティブなアプローチです。

治っていなくてもこう考えます。

「ああ、半分くらい良くなったな」や「昨日よりちょっとマシだな」と。

ささいな変化が分かるということは、どのような痛みでそれがどれくらいの強さなのか?という視点が持てます。

 

ズキズキ痛いなぁ……。じんわりと痛いなぁ……。痛いというよりは張りがあるな……etc

つまり痛みにも「種類」や「度合い」という尺度を持てているということです。

このように細やかな判断基準があると、体の中の感覚が研ぎ澄まされていくため、体の求める行動に従えるようになります。休むべき時は休み、動くべき時は動けるようになっていく。その結果として治りが早くなっていく、という訳です。

また平静に状況を見守ることができるので、そこに快や不快の欲求のレッテルを貼り付けないですみ、痛みと情感を結ぶつける条件反射を新たに作成することがなくなるので、カラダを緩めることができ、自己治癒力に心身ともに委ねることができます。