ブッダと脳 アルボムッレ・スマナサーラ長老
Buddha`s
Brain The Practical
Neuroscience of Happiness, Love, and Wisdom
科学の限界
データが取れることを基盤にしている。取れないものには関心が向かない。 たとえば、なぜ生きるのか?
欠点はデータ採集の途中で因果関係を出してしまう。科学の発展は新しいデータが出てくるたびに起こる。
医療品の歴史のように充分なデータがとれていないのに期間と予算と名声と自動回路と幻想のために飛躍してまずは結論を出してしまう。
仏教の特徴
結論に飛躍するのを禁じている。
推測して結論を作る必要がない。
実践によってデータを揃えることが結論
ココロはどこにある?
釈尊はHadayaにあると言った。 Hadayaとは心臓のこと?
ココロの定義
Arammana vijanana lakkhanam cittam
ココロは対象を知る(体感する)機能のこと。
60兆の細胞の一つ一つにココロと感覚がある。
生きているものの定義
生きているものは@内側である自分を知っている。A外側である環境を知っている。
命とココロの違い
命 生きていたいという一つの目的
ココロ 知る(体感する)機能 これが生きていたい気持ちを生む
命∈ココロ ココロの機能を調べると生きようと衝動する3つの渇愛がある。
生きていなくてはならない理由
Kama tanha 欲愛 肉体は常に刺激を欲しがるのが特徴
Bhava tanha 存在欲 細胞は刺激に依存しているので、これによって生きようとしてしまう
Vibhava tanha 破壊欲 肉体の依存の無いところに永遠があると思い、肉体を超越する怒りの感情
生命体は感覚にタグをつけて二つに分けてしまうので無明である
Avijja 無明 ありのままの現実を発見していないこと 無知のこと
Tanha 渇愛
細胞の仕事は、ココロに入力されるデータをフィルターにかけて、存在欲を支えるか、もしくは邪魔するかの二つに振り分ける。
ココロは二種類の色眼鏡を通して世界を知ろうとしている。これでは、ありのままに観察することができない。
すなわち、すべての生命に無明がある。
渇愛を消すのは諸行無常の体感だけ
生きていたい衝動である存在欲には終わりがない。
根本衝動は「この時点から起きたと、始原を設定することができない」 生きたいという根本衝動=無明。
つまり枠をつくることができないので、因果関係を使って解決することができない。
しかし終わりは、「内側の観察」によって可能である。
無明を消すにはありのままに観察するだけ
無明がある限り、三種類の渇愛が現れてくる。 無明がないことを智慧という。
そこで「生命はなぜ無明を根本原因にして限りなく輪廻転生していくのか?」と観察する。
するとこれだけで無明も、生きていたいという渇愛も消えてしまう、そして輪廻転生が終わる。
この世の支配者、命の創造者は無明と渇愛 別名はカミ、人格化された無明のこと
生命は無知の衝動で、無知に支配されて、無知のために、無知と渇愛の奴隷として、無知に追われて、無知に脅かされて、自由はなく、無知に束縛されて生きている。
生かされている目的は?
無明が目的、無明のために生かされている。
これを残酷と理解するか、無明の支配のためにそこから解放されて、ありのままの現実を知る喜びと理解するかは各自の解釈にかかっている。
ありのままの現実とは、宇宙の法則を体感し讃歌し、「わたし」もその宇宙全体の一部であることを実感すること。
生きていたい原始脳とお人好しないじめられっ子の大脳皮質
大脳 データの収集、保存、計算、予測、 二つの理性 真理と妄想
大脳辺縁系(原始脳) 無明 自動反応回路の作成 生きたいと死にたくない。
原始脳の無理な指令(欲と怒り 貪瞋)を断れない大脳は、悩み苦しみストレスが溜まる。
原始脳が判断の基準
虫と同じ能力の原始脳が大脳に指令を出している。これが悩みの原因。
指令の内容は@存在欲「生きていたい」A恐怖「死にたくない」
考えることはなく、感情が起こる自動回路をエンジンにしている。
調理とは毒づけのこと
健康にいい食材に腕をふるって調理して、ごちそうに変身させれば、健康に悪い代物になって、死を早める。
過剰な塩、砂糖、油。
食べ過ぎ
過度な熱処理
過度な欲望
過度な脳活動
副交感神経の不活性化
消化器系器官の活動低下
血管、血脈の硬化、プラークの生成
原始脳の良いところ
自動である
反応が早い
考える必要がない
大脳のストレス
環境と関係を断つ生命体は死ぬ 水、空気、食物
命は脆いもの、死ぬことは生きるよりも簡単で、確実に起こる。
しかし大脳辺縁系からの指示は「生き続けること」
どうやって不死を獲得するか、どうやって死を招くか原因を避けるか?
二つの間の葛藤がストレスになる これがヒトとしての精神的な病気である。
大脳は矛盾が嫌い。
罪とは原始脳の要求を抑えられなくなった大脳管理システムの故障。
痴漢 原始脳 可愛いものを触りたい 大脳 相手は嫌がる
この葛藤がストレスなのだが、どうすれば管理システムが故障しないように気を付けることができるのか?
生きるとは疲れること
睡眠とは葛藤からの逃避 しかし夢は葛藤
夢の中で怯えや嫌なことがおこり、悩み苦しみが生まれる。
抑圧された欲望を実行する場合もある。
だから寝ていても安らぎはない。
葛藤で苦しんでいる人は寝ることに執着している。睡眠依存症。自己破壊の行為。
葛藤が減れば、夢にも悩まされず、短い時間の睡眠で十分。
葛藤を荒波からさざ波程度に変換する技が仏教にはある。
汚染された大脳を持つ人たち
原始脳が現実ではありえない神話世界でしか成り立たない感情を引き起こすことがある。
これに大脳が汚染されたら、大脳は病気になってしまう。
志向性が世界支配、セレブ、超能力、神のお告げ、
理性的に働くべき大脳を壊している。
原始脳をあやす大脳
猫と同じ原始脳は2∔2もわらない
そんな原始脳の無理な指令(欲と怒)をあやす大脳
そこで幻想を創り、妄想する。
死んでも魂は死なない、神様が迎えに来て永遠の命を与えてくれる。
これが自分自身の原始脳をあやすためだという事実が分かると、効果がなくなる。
だから、大脳は「妄想概念は本当なのだ」、と信じることになってしまう。
これが大脳の機能が壊れた、ということ。
大脳は原始脳の実行不可能な希望を、自らを騙すことで解決しようとしている。
迷信を作り、それを本気で信じることによって、苦しい人生がさらに悩み苦しみに陥る。
自我という錯覚が必要な理由 便利なツール
諸行無常を理解するため
もしくは常態を作り上げるため。
常に変化してデータを一束にまとめるためには基準点を必要とする。それで自我をつくった。信じたら錯覚だが、信じないのであれば役に立つツールである。
信じてしまった場合は、大脳は原始脳が理解できない無常を認めず一時的な命を管理していくのだが、無常の現実を無視するのは楽ではない。
無常を否定するたびに、大脳はストレスになって委縮する。
大脳はありのままに情報を知ることができるが、存在欲を司る原始脳をあやすために、自分の都合に合わせて、データを捏造したり、合成したりする。
ありのままではなく、あって欲しいままに、認識する。知識は増えても、真理を知らない。
なぜならば原始脳に怒りや恐怖の電気信号が流れると、これが大脳にも信号として流れて、ありのままにみることができる大脳ができなくなるように汚染されるからです。
欲や嫉妬や怒りなどの原始脳による感情が大脳を汚染する。
大脳はそれを気づいたり、気づかなかったりする。
そこで直ちに気づけるように訓練します。
気づくことが汚染を防ぐことができるからです。
汚染されてしまうと大脳は「怒るのは正しい」とか「敵を殺すのは当たり前である」と思ってしまうところまで壊れる。
大脳は怒りなどで一杯になって汚染されたら、認識能力、判断能力、思考能力が低下する。
罪も悪もすべて、大脳が原始脳の脅しで大脳自身を正当化した結果
正当化する前には葛藤、忍耐の時間があるが、一瞬の誘惑や脅しに耐えられない
原始脳も大脳にも刺激を与えなければならない。
脳も臓器であり肉体であるので以下の欲がある
Kama tanha 欲愛 肉体は常に刺激を欲しがるのが特徴
Bhava tanha 存在欲 細胞は刺激に依存しているので、これによって生きようとしてしまう
大脳辺縁系が常に存在欲の電気信号を流し、それが自動反応回路によって感情となり、それらが大脳皮質を汚染する。
悪感情を早く取り除かないと、大脳はそれに慣れてしまい、その悪感情があることが当たり前と感じてしまい、しまいには優等生の性質が加わって義務だと判断してしまう。こうなると大脳は悪事までも「正当化する」という作業をするようになる。
欲、怒り、嫉妬、憎しみを弁護しはじめる。 この弁護という理由付け、正当化は大脳の管轄です。
まずは「だって」からはじまり、結論は「悪いのは相手である」で終わります。
大脳の本来の仕事は細胞を生かすこと。
それなのに正当化し始めると、自分が生きることが難しくなるように働いてしまう。
ウツは大脳が機能低下する病気。 なぜ低下する必要があったのか?
大脳は活性化して、望んだ結果を出している時に喜びを感じる。
喜びが大脳の動機(ガソリン)になる。
大脳が低下したら喜びが生まれない環境になる。
働き者の大脳は仕事ができないことが苦しみ。
ウツになると、本人の楽しみが消えてしまう。
自動反応回路から解放されるためには
まずは支配している原始脳の機能を発見する。
自分の意識的な行為に関係なく、勝手に働くのが原始脳の特徴
・わかっちゃいるけど、やめられない
・怒ってはいけないが、怒ってしまう
・努力しなければならないが、怠けてしまう。
・嫌われることを知っているのに自我を張る
感情の一つである掉挙(じょうこ)とは、心が昂ぶり頭に血が上った状態を指し、対義語である昏沈(心が深く沈んだ状態)とともに、平静な心を失っているため煩悩とされている。
anuaya潜在煩悩 ココロにある7つの本能 原始脳の根本的特徴 気づくことができない貪瞋痴
欲愛
怒り
見解 TPOにより解釈が変わってしまう 時代、文化、地域、関係性 象を触る6人の盲人
共通点は「触って」知ろうとする見解 触ることで知れると思う事 これが潜在煩悩
疑い 聖職者も無意識のレベルで「疑い」を持っている人が多い 真理を発見すると疑いが消える
慢 自分という自我 生命とは自分を意識する組織 存在価値がないという自意識、偉いと思う自意識
自意識に脳細胞は必要ない ゾウリムシも自分と他者を区別する自意識がある。
脳がなくても心臓がなくても、すべての生命体は自意識を持っている。すなわちココロがある。
真理を発見しても、これは残る。 消滅するのは阿羅漢から。
存在欲 命が現れたということは、存在欲もついている。すべての生命に本能としてあり、起源は成り立たない
無明 煩悩の親分 生命があるところでは無明がある。 こころの本能。
自意識、命、存在欲はさまざまな原因の組み合わせによって一時的に現れる現象。
これらを常にあると思ってしまうのが無明。
宗教 魂の存在に気づかないこと
イスラム教 絶対的な神の存在に気づかないこと
ヒンズー教 梵我一如であることに気づかないこと 気づくとは「命は脆い」ことを誤魔化す慰め
ヨーガによって体験しても存在欲を強化した結果になる
仏教の解放
生きるとは、存在とは、私とは、自意識とは何かと4つの段階の無明を破る必要がある。
無明の反対語が智慧
自意識+「わたし」+存在欲+肉体=生命体
縁起と無明の英語とパーリ語
縁起 Paṭicca-samuppāda The Chain of Conditioned Arising; causal genesis. The process, beginning with ignorance, by which one keeps making life after life of suffering for oneself
無明 avidy´ 真理を知らないという無知。縁起の理を知らないことが無明である
まずは精神mindと肉体を分離させ、
Mindから存在欲を分離させ、 どうやって?
次にMindから「わたし」を分離させる
最後に外と内を区別する意識が消え去る。
「生きると何か?」がわからないのに必死に生きようとしている私。
感情という衝動で生きている生命体。
無明が私たちを生かす衝動である。
生命体ははじめからココロの病気に陥っている。
生きるとは何?
いくら頑張っても苦が増えることがあっても減ることはない。
現代情報文明のように利便性を追求して苦をなくして楽に生きようとしたら、想定外の新たな苦がたくさん生まれ呑み込まれる。
生きるのは何のためなのか?
ブッダの脳開発プログラム
原始脳は成長も退化もしないので、開発の対象外。
細胞は存在欲がなくても、生まれ、穏やかに消滅していく。
原始脳はこれが悔しく、消滅に怯え、心配し、悩む。
この余計な感情のせいで細胞組織の寿命は縮む。
存在欲があると寿命が縮み、ないと細胞組織は寿命をまっとうできる。
これを大脳に理解させるのが第一。
そしていくら原始脳が生きたいと必死であっても、大脳が働かないと、原始脳はなにもすることができない。
大脳が原始脳の指令を遂行しないことで、支配権を大脳に移すことで、原始脳はおとなしく自分に与えられた仕事をまじめにこなすことになる。
脳のプログラムを上書きする。 本来のものから新しいものに置き換える。
1 脳の働きを一旦止めてみる 生きることに取り憑かれた脳
2 道徳
3 慈しみ
4 妄想・雑念を制御する
5 集中力を高める
6 ありのままに観察する能力を育てる
先に言っておきます、厳しい戦いになります。
1新たな回路を上書きするために一度システムを止める
いままでの負の感情が作動してしまう大脳の動きを止めてみます。すると新しい回路が作られます。
呪文は「おのれのこころを清らかにしなさい。それがブッダたちの教えです。」
別の大胆な目的をセットする。
生きる目的をサバイバルではなく心の清らかにする。
目的の名前は何でもいいので、大脳にこれまでと違う仕事をさせるのがポイント。
自分で自分の大脳の回路を上書きする必要があります。
存在欲を乗り越える回路なので過去に試したことがない。
それで誤った回路を作ってしまう。これが宗派。
2道徳
原始脳がやりたがらない項目を「道徳」とした。
これでは大脳に新たな回路を使わざるを得ない。
原始脳がやりたがらないといっても、「幸福に生きたい」という原始脳の切望は叶うので反対はできない。
原始脳からの無理な要求もなくなり、抑圧か無視する必要もなくなり、大脳は安らぎ、葛藤がなくなる。
気分や感情の原始脳では五戒を守ることはできないので、五戒を守るためには理性と大脳を使わなければならないので大脳に新しい回路が開発される。
道徳を守ると大脳が強くなるので、原始脳から起こる感情を抑えることができるようになる。
やがて、道徳的に生きることが自然である、という大脳の回路に書き換えられる。
原始脳は「生きていたい、死にたくない、なにがなんでも生き続ける」という恐怖感と存在欲はそのままあるが、道徳的に生きるとその感情と欲の信号を発する機会が減り、大脳は「いま正しく生きているから、死んでからも良い結果になるに違いない」と自信をもって自分を肯定するので、原始脳からの信号がきても葛藤も抑圧もしないで肯定的にその信号を選択しないようになる。
3慈悲
「自我」の錯覚を破ることを目的にプログラミングします。
慈悲の実践をすると自我の錯覚は傷だらけになります
やったほうがいい、と思うだけで実行しなければ、大脳に新しい回路は書き込めません。
原始脳は「手段を選ばず自分だけ生きていればいい」というわかりやすい指令を出します。
その原始脳に大脳から微妙なニュースを配信します。
それは原始脳と同じように「他の生命体も同じ気持ちである」という当たり前のことです。
新しい回路を強く太くするためには、自然界の法則である繰り返しです。
原始脳の感情が弱くなるまで繰り返します。
「誰でも生きていたい」というのは嘘ではなく正しい情報なので大脳にとってもストレスにはなりません。
「生きていたい、死にたくない」というのには主語があったほうが、その後の「ありのまま」の状態が見やすくなります。
37兆の細胞の中のどの細胞や組織が生きたい、死にたくないといっているのであろうか?
細胞の実体は新陳代謝によって、次々に死んで、また生まれることを繰り返しているだけです。
どの細胞も生きたいとも死にたいとも思っていません。
存在欲をもっている細胞も最高司令官もなく、ただ生成しては消滅しているだけです。
ここで「自我」が登場します。このわたしが生きたい、死にたくないと言っているのだ、と。
このモノノケを生む錯覚がある限り、大脳に新たな回路を取り付けることはできません。
そこで慈悲の実践です。
「私だけではなく一切の生命は幸福に生きていきたいのだ」というニュースを発信し続けるのです。
するとこれまでに大脳にあった「私だけ、他と違った特有な私です」という回路を常時使うことができなくなるので徐々に弱ってきます。使わないものは退化するという自然の法則です。
これが進むと、「みな同じだ、平等だ」という気持ちに変わり、「特有な自我」という錯覚が機能しなくなる。
都会文明人の信じる壁の中の平等と特化した自我になる危険性 瞑想ビジネスと乙女の悟り
最初は「すべての生命が幸福でありますように」という言葉を念じても「偽善ではないか?」と疑うが、繰り返すと、回路は強く太くなります。
慈悲の実践者は賛同者の協力を簡単に得られます。
敵の数は減り、仲間の範疇が拡がります。
すると「生きること」は当たり前の現実になります。これは原始脳の目的であるので、反対する理由がありません。
原始脳が「生きていたい、死にたくない」と叫ばなければ、大脳は安泰な状態を保ち続け、これは主導権が原始脳から大脳に移行したことになります。
2の道徳と3の慈悲は同時に実践するのが効率的です。どちらも試行錯誤あるので時間がかかるからです。
ここで理性を使い、形から入るのではなく、なぜ殺生はいけないかということを言われたからではなく、自分自身で理解しなくてはならない。
なぜ慈しみの実践が必要なのか自分で理性を使って学んでいく。どの生命体も必死に生きたがっている。
すると道徳と慈悲は一貫した実践であることを発見します。
どちらか一つであると大脳に新しい回路はできません。
4妄想
自動反応回路 PTSD サンカーラ 条件反射 が妄想と雑念を作り出す。
目の前のありのままの状態を正しく体感できないようにしている。
生命体は原始脳だけではなく、細胞レベルでもこの自動反応回路をつくりつづけています。
植物のように脳がなくても、触れば葉が閉じるオジキソウがあるように。
この妄想に大事な時間が浪費されている。
原因は貪瞋痴の感情です。これらの感情が大脳を刺激するので、大脳は仕方なしに雑念を始めます。
この雑念が貪瞋痴の感情を掻き立ててしまえば、連鎖反応が起こります。
精神病の大本は貪瞋痴の刺激により起こる妄想です。
大脳に新たな回路を加えない限りはこの妄想から逃げることはできません。
ヴィパッサナーはこの妄想を制御するところから始まります。
徐々に妄想が弱くなって代わりに智慧が現れます。
智慧が完成すると、ありのままの状態だけが見え、そこから思考をすることができるようになります。
「いま・ここ」の自分に気づく訓練です。
5集中力
原始脳は長時間の集中力よりも、あちこちの変化に気づくことを優先します。
突然の敵や木の実に気が付くことが「生きていたい」「死にたくない」目的のためには重要です。
変化の多いところで原始脳は落ち着かないので、大脳は落ち着いて集中するのは苦痛になります。
大脳に集中力を経験させたいのならば、呼吸など一つの行為を意図的に集中してみることです。
原始脳の感情や妄想の刺激の入らないものなど、原始脳を作動させないのが、集中するコツです。
集中力が起きると、大脳が落ち着き、ドーパミンが出て、良い気持ちになります。
6 ありのままに観察する能力を育てる 大脳の捏造をやめる
始めに自覚する必要は、脳は常に捏造している、という事実です。
入力された信号を、無意識が望んでいる都合に合わせて瞬時に変換して、新たなイメージを捏造します。
同じネズミの死骸を見ても、見る主体にとって都合の良いように編集して情報を捏造します。
カラスにとってはご馳走、ヒトにとっては嫌悪の対象です。
すべての情報は編集されイメージになります。概念とも呼ばれ、仏教の五蘊の想SANNAです。
思考のすべては編集(捏造)された概念なので、大脳に新しい回路を加える人は、思考(妄想・雑念)を控える訓練をする必要があります。
この思考の障害をある程度までは抑えることは可能です。
これができれば捏造の問題に取り掛かることが可能になります。
どのようにして捏造をやめるか?
たとえば「蛇がいた。怖い!」「バラの花だ、美しい!」も、原始脳の無意識である存在欲と恐怖の感情の都合に合わせてデータを捏造しています。
五官にどのような信号が入っても、スポットライトをあてることなく、概念を作ることなく、評価することなく、ただ「見えている」「聞こえている」と言葉で確認して、その事実だけにする訓練をします。
きれいな音楽ではなく、音が聞こえている、
おいしい刺身ではなく、味がしている、と確認するだけなのですが、難しい訓練になります。
大脳に新しい回路を加える最終ステップなので、難しくても仕方ありません。
成功すれば解脱に達します。
これには指導者が必要です。自分では自分の捏造した概念がなんであるかわからないからです。
自分とは、肉体という物体と、感じるという働きです。
肉体も変化して流れ、感覚も変化して流れます。
自分とは決して、止まった個体ではありません。個体だと思うから存在欲が続くのです。
存在欲が貪瞋痴を起こして、それで原始脳に支配されてしまうのです。
瞑想実践は「瞬間瞬間、自分という体と感覚が変化していく」ことを発見する目的で始めます。
最初に実況中継をします。今の瞬間の自分を実況します。
実況することで、脳に妄想が現れなくなります。 なぜ?
経験が進むと、身体と感覚の流れが激しいことに気づきます。
それを実況しようとすると捏造する余裕がなくなります。
この訓練によって、ありのままにものごとを観察する能力が現れます。
それによって、真理を発見します。
その結果、執着するに値するものは何一つもないのだと発見します。
執着とはあり得ない無駄な努力だと発見します。
ココロは解放されて解脱します。
激しい戦いの覚悟を決めることで、何回失敗しても落ち込むことなく、あきらめることなく、精進できるようになります。
瞑想に成功すると脳の中に新しい神経回路が現れる。
ニーチェの超人を2600年前に釈迦は提案していました。
原始脳の指令を受けない大脳になる
原始脳も健康に活動しているが、存在欲、怯え、貪瞋痴などの感情はない。
大脳は穏やかに、安穏に、活動できるようになる。
大脳から原始脳に信号を送る
原始脳の信号を無視できるようになった大脳は妄想がなくなる。
妄想がなくなると貪瞋痴がなくなる。
すると反エネルギーを得ることができるので、これを原始脳に送信する。
すると原始脳の病である存在欲に関心をなくすことができるので、「細胞が生きているか、死んでいるか」の心配は原始脳から消える。
では、どんなアプローチで身体に対応するか?は大脳が判断して、その信号を原始脳に送信する。
新しい神経回路を持つ人の性格
自他の区別がなくなるので、他人の幸福のために空のこころで活動する。
欲がなく、怒りがなく、ありのままの状態を体感しているからです。
一般人は殺生をしたい原始脳としたくない大脳の葛藤で行動します。
神経回路を上書きできた人は、殺生する意欲が起きない。嘘をつけない人間になっている。怒れない人間になっている。
ENLIGHTMENTとは関心を外から自分の内側に向けて、ありのままの状態を見て、それに気づいていること。
解脱のプロセス 道のプロセス
まずは精神mindと肉体を分離させ、 体を動かさないことで痛みと自分を同一視しないようにする。
Mindから感情とKNOWERを分離させ、 歩行瞑想で感情と「わたし」が同一でないことを確認。
感情の原因が存在欲であることを理解し、 瞑想で感情の根底にあるものを潜在意識の中から探索
その存在欲とは貪瞋痴の3つがあることを分析し ヴィパッサナー瞑想でそれらの感情に気づきをいれる。
中層意識にある渇愛、怒り、無明を分離させる。
真理の発見 → ソーダパンナ預流果
1真理を発見すると疑いが消える 聖職者も無意識のレベルで「教えに対しての疑い」を持っている人が多い
2見解の執着が消える. 戒禁取(誤った戒律・禁制への執着)
TPOにより解釈が変わってしまう 時代、文化、地域、関係性 象を触る6人の盲人
共通点は「触って」知ろうとする見解 触ることで知れると思う事。これが潜在煩悩
サカダガーミ一来果 三毒(貪・瞋・癡)が薄まっている。
次にMindから「わたし(慢)」を分離させる 存在欲がなくなる
3アサーガーミ? 不還果 五下分結(三結+貪カーマラーガ・瞋パティガ)が絶たれている。
最後に外と内を区別する意識が消え去る。 無明がなくなる
4アラハン阿羅漢
到達した境地(果) |
解放された結 |
苦しみが終わるまでの輪廻 |
|
最大7回、欲界と天界を輪廻する |
|||
一度だけ人として輪廻する |
|||
Source: Ñāṇamoli & Bodhi (2001), Middle-Length Discourses, pp. 41-43. |
anuaya潜在煩悩 ココロにある7つの本能 原始脳の根本的特徴 気づくことができない貪瞋痴
欲愛
怒り
見解 TPOにより解釈が変わってしまう 時代、文化、地域、関係性 象を触る6人の盲人
共通点は「触って」知ろうとする見解 触ることで知れると思う事 これが潜在煩悩
疑い 聖職者も無意識のレベルで「疑い」を持っている人が多い 真理を発見すると疑いが消える
慢 自分という自我 生命とは自分を意識する組織 存在価値がないという自意識、偉いと思う自意識
自意識に脳細胞は必要ない ゾウリムシも自分と他者を区別する自意識がある。
脳がなくても心臓がなくても、すべての生命体は自意識を持っている。すなわちココロがある。
真理を発見しても、これは残る。 消滅するのは阿羅漢から。
存在欲 命が現れたということは、存在欲もついている。すべての生命に本能としてあり、起源は成り立たない
無明 煩悩の親分 生命があるところでは無明がある。 こころの本能。
自意識、命、存在欲はさまざまな原因の組み合わせによって一時的に現れる現象。
これらを常にあると思ってしまうのが無明。
宗教 魂の存在に気づかないこと
イスラム教 絶対的な神の存在に気づかないこと
ヒンズー教 梵我一如であることに気づかないこと 気づくとは「命は脆い」ことを誤魔化す慰め
ヨーガによって体験しても存在欲を強化した結果になる
段階別の「わたし」 考察中
自分勝手な人 EGOIST 自我をいつも優先にする人
自己意識過剰 意識の高い人 自己を信じている人 科学や理念を鵜呑みにする傾向がある
自己意識 SELF 自己がないことを実感し行動する人
自分 慢 自意識 自分と他人の区別をする ゾウリムシも自他を区別する自意識がある
分ける 判断をする必要や関心がなくなり、判断から離脱する。
ココロの分析
|
neurology |
|
Mind |
characteristic |
海 |
大脳 |
cerebric |
観察者 |
knower |
|
|
辺縁系の影響下の大脳 |
|
思考 |
self |
|
|
辺縁系 |
limbic system |
感情 |
ego |
5つのクセ |
波 表層 |
脳幹・五官 |
the brain stem |
感覚 |
|
|
|
循環器系器官 |
|
|
|
|
|
消化器系器官 |
|
|
|
|
|
5つのクセ 渇望 嫌悪 怠け癖(眠気) 移り気Monkey mind 疑い
Mind=Knower + self + ego (thought + emotion + sensation) + vibration + dissolution
Mind = self= thought ideal knower+cerebric
Mind=ego = emotion anger knower+limbic system
Mind=ego = thought (memory, assumption) knower+ cerebric
Mind=ego = sensation hurt cold warm knower+the brain stem+ sense organs
Mind=knower sensation comes and go knower →limbic system
Mind=knower thought comes and go knower →cerebric
Mind=knower emotion comes, stay and go knower →the brain stem+ sense signal
Mind=knower vibration knower →
Mind=knower dissolution knower →
Mind=
Mind=