古典物理学の限界
都市 アリストテレス体系(正確に言うと 中世のインペートゥス理論)
郊外 古典力学 微分積分 ニュートン 測れるもの 幾何学 運動の結果
森 量子力学 確率でしかいえない 相対性理論 関係性
山 形にならないもの 変化し続ける恒常性 一(全体性)なので関係性がない
範囲 |
物理学 |
目的 |
測定 |
表記 |
分化 |
全体性 |
スポットライト |
地球上 |
インペートゥス |
経験則 |
測定不可 |
文字 |
分化 |
感性 |
距離・時間・気 |
モノ・宇宙 |
ニュートン力学 |
因果関係 |
測定化 |
数 |
優劣 |
理性 |
加速度 |
生命・宇宙 |
量子力学 |
関係性 |
確率のみ |
記号 |
劣優 |
智性 |
関係性 |
全宇宙 |
仮)全体物理学 |
全体性 |
変化の恒常性 |
非数文字 |
非分化 |
霊性 |
一なる全体 |
二分法 |
落下運動理論 |
天地 |
光子 |
時・空 |
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分化 |
重い |
天動説 |
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時間と空間 |
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優の選択 |
一緒 |
地動説 |
粒子 |
時間・空間 |
ガリレオ変換 |
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劣からの視点 |
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どちらでも |
波・粒子 |
時空一体 |
ローレンツ変換 |
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非分化 |
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天地一体 |
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ニュートン古典物理学
ニュートン カトリックからの離脱 中世哲学を打破して見える形(幾何学)へ
エネルギーなどすべての物理量は連続量である 量子力学ではとびとびの値しか取れない
光は波の一種、物質は粒子でできている
マクロで目に見える世界 この世の常識 量子力学 ミクロ
ニュートンが徹底的に”インペートゥス”を抹殺しようしたのは、中世の”思弁哲学的科学”、つまり”言葉だけを使った曖昧な理論”と決別するためだ。
[Latin, from impetere, to attack : in-, against. + petere, to go towards, seek.] 起動力・勢い・攻撃 慣性運動
ニュートンの有名な言葉に ”吾、仮説を立てず。” があるが、その”仮説”とは、”科学と仮説”のそれではなく、”憶説”つまり、現象を説明するために考え出した証明も出来ない思弁的な学説のことだ。 ニュートン以前の中世では、そんな学説ばかりが幅を利かせていて、どれが正しいの分からない、混乱の極みだった。
”曖昧な言葉”に代る手段として、彼は”ユークリッド幾何学”をまねて、公理、定理からなる”ニュートン力学”を作りあげた。
ニュートンの「作用・反作用の法則」は「遠隔力」の性質として述べたものが、現代物理では「力はすべて場を介して伝わる」と考えられており、「瞬時に伝わる遠隔力」は有り得ないため、「作用・反作用の法則」は「近接力」でのみ成立します。これが現在の物理学の立場です。
しかし、応力を伝える媒質(=力の場)の質量や、伝搬時間の遅れを無視した場合には力は媒質の端から端へ「遠隔力」として瞬時に伝わることになります。
(端が2物体の場合の図) これが、2物体間での「遠隔力の作用・反作用の法則」とよばれているものです。
古典物理学の限界 ニュートン以前
運動についての常識概念 イブライム・アボ・ハルーン、ダビッド・ヘステネス アリゾナ州立大学物理学部
( Am. J. Phys. 53 (11), Novenber 1985) Common sense concepts about motion Ibraim Abou Halloun and David Hestenes Depertment of Physics, Arizona State University, Temple, Arizona 85287
より抜粋
自由落下についてのアリストテレスの誤った概念は生徒達に共通で矯正しにくい。
アリストテレス物理学
アリストテレスは物理現象についての”常識”の正確な定式化を系統的に行い、首尾一貫した概 念体系に作り上げた最初の人物である。そうして彼は物理科学の発展に貢献する”常識”批判への 道を準備することになる。科学の誕生までに長い期間を要した事実はアリストテレスの体系の欠点を見つけ、それを直すのがどんなに困難だった。
アリストテレスは宇宙論を物理学のその他の部分と分離した。そして”ニュートン的統合”まで 分離されたままとなった。
アリストテレスの地球上の物理学にのみに限って議論しよう。
運動理論のみを考えることにする。 アリストテレスは運動を位置の変化と定義した。そして彼は運動を観測する基準座標の必要性を 認識していた。
アリストテレスは真空中の運動は非現実的であるとみなしていた。彼は他の議論でもこの考えで 一貫していた。彼は真空中の運動は不可能だと論じた。彼の運動理論は物質的な媒質(空気・水など)中に浸された物体についてのみ扱っているのが重要な点である。
アリストテレスでは、すべての物体にとって静止が”自然な状態”であって、すべての運動には その原因があるとしている。
(1)すべての 物体はその自然な場所を求める生来の傾向=力、
(2)ある外部の動因(物体あるいは媒質)から働く (押すか引く)接触力。
彼は長距離力を認めなかった。
物体が自然な場所へ向かおうとする生来の傾向は物体の組成による。
主に土と水からなる重い物 体は、宇宙の中心に移動しようとする求心性である重さという性質をもっている。
主に空気と火か ら出来ている軽い物体は、宇宙の中心からのがれようとする遠心性をもった軽さという性質をもっている。
明らかにこれらの考え方は、重さは重い物体が落ちようとする傾向であるとの概念を除いて、今日の学生の”常識”からとっくに取り払われている。
しかしながら、多くの学生は落ちる物体の速さはその重さに比例するというアリストテレスの考え方を共有している。
アリストテレスの運動の基準は平均の速さのみである。
v=D/T (1) 静止から時間Tに距離Dだけ落下した物体の速さv
速さは媒質の抵抗Rに反比例し、Rは媒質の密度と共に、物体の形や大きさに依存するとした。速さは質量Wに比例する
アリストテレスの落体の法則は v=W/R (2)
結果、同じ大きさ・形の2つの物体を同時に手を離して落したとき、どの時刻でもそれらの速度比は
v1/v2=D1/D2=W1/W2 (3) で与えられる。
言い換えると、重い物体は重さに比例してより速く(あるいはより先に)落ちる。
もちろんアリストテレスの法則は正しくないし、ガリレオの(媒質中での落体の)法則もそうである。
外力は、生命を持った動因によってのみ、接触してあるいは間接的にロープのようなものを通して物体に働きかけることができる。無生物は、物体を止めたり、それに沿って運動するように導いたりする障害物である。力は物体の慣性(イナーシア)、すなわち重さと同じものである固有の抵抗性(質量)、に打ち勝ってはじめてそれを動かすことができる。一定力は、媒質や慣性によって決まる抵抗性Rに逆比例する一定の速 さを物体に与える。代数式で表すと、v=F/R と書ける。
この法則に基づいて、アリストテレスの信奉者たちは、速さの増大(加速)は力が増え ることによって、あるいは自由運動(自由落下)の場合には物体がその自然な居場所に近づくに従って重さが増えることによってなされると考えた。
アリストテレスはどんな力でもそれが無くなれば、物体は直ちに止まると想像した。そこで、彼は矢が飛ぶというような現象を説明するために、媒質に抵抗する能力と一緒に動かす能力も与えざるを得なかった。したがって矢はその背後からぶつかる空気により推進する。弓を引いた生き物によって与えられた力が伝えられていくことになる。
空気や水の媒質がモノを動かす能力がある、とするのである。
これらが、中世においてアリストテレス説の見直しを引き起こすことになる。
インペートゥス物理
媒質は物を動かす能力を持っているというアリストテレスの考えは、外部の作用者なしに運動が持続することを説明するために導入された。
物体を投げたとき、作用を加えた者が物体にある非物質的な動的能力を与えて、それが媒質の抵抗によって失われるまで運動を維持すると考えた。この転移された動的能力をジャン・ビュリダンはインペー トゥス(起動力)と呼んだ。それを力と呼び、ニュートン力学の力と混同しがちである。
ビュリダンのインペートゥス概念の定式化は学生の間でよくみられる多少曖昧な直観をより明確に述べたものであり、引用に値する:
「物体を動かすとき、上向き下向き横向きあるいは円に沿ういずれの場合でも、行為者は、動かそう とする向きにこの物体を運動させる一定の能力であるインペートゥスを物体に与える。物体を動かす 速さに応じて、その物体に与えられたインペートゥスの強さが決まる。投げられた後も石が運動するのはこのインペートゥスのためである;しかし動かそうとする向きと反対方向に働く空気抵抗と物体の重さのために、このインペートゥスは徐々に弱くなる。それゆえ、石の運動は徐々に遅くなり、ついにインペートゥスは減少あるいは無くなって石の重さの方が打ち勝ち、石をその自然な居場所に向かわせることになる。」
またインペートゥスというアイデアは物体の真空中での運動を説明することができ、そして真空の存在を否定すると云うアリストテレス説の核心となる議論を克服できた。
インペートゥス概念は運動量や運動エネルギーの歴史的な先駆者でガリレオに大きな影響を与えた。
ガリレオは、「加速・減速の外的原因が取り去られている限り、いったん運動体に与えられたどんな速度も不変に保たれる」という考え方をするようになった。これは現代で言う慣性の法則に近いものではあるが、ただガリレイは、それは地上の物体にだけ通用する法則であって、天体には通用しないと考えていた。ガリレイも古代ギリシャ以来の考え方をなぞり、天体は天体で別の性質を持っている、円運動をする性質を持っているのだ、と考えていたのである。
図1.ザクセンのアルバートによる砲丸の軌跡 ザクセンのアルバートは砲丸の運動を説明するのにビュリダンの理論を使った。この運動はイン ペートゥス、重力、空気抵抗が絡んでいる。図1は彼が描いた水平へ飛んだ砲丸についての3つの 段階の軌跡を示している。彼の説明によれば、最初の段階(a)ではインペートゥスは重力の影響を押 さえこみ、空気抵抗によってそれが十分に弱められるまで砲丸を水平に推し進める。中間の段階(b) は、インペートゥスが使い尽くされるまでのインペートゥスと重力の折衷状態を示している。そし て最終の段階(c)では、砲丸は”自然な運動”として鉛直に落下する。
インペートゥス理論によって14世紀にいくつかの重要な運動学的アイデアが発展した:
(a)等速度、等加速度と、それが瞬間の速度や瞬間の加速度の概念を生み出すことになるところの非等加速度、の間の明瞭な区別がなされた。このことは、これらの概念が数学的定式化なしに、ある種の定 量的理解が可能であることを示しており、これは教育的に価値のある事項を示唆している。
(b)オレ ームは変化量を表すための図形的方法を発明した。
(c)これは、「ある時間内に等加速度運動で進む 距離は、その時間間隔の中央時刻でもつ瞬間の速さに等しい速さで等速運動した場合に進む距離、に等しい」というマートンの”平均速度の規則”を導くことになる。
これらすべてのアイデアはガリレオが砲丸の運動を解析するために必須な前準備となった。
A.「常識」運動の原理 中世の起動力 インペートゥス ニュートン力学以前の特徴
(1)運動の記述:”常識”の世界における運動学的概念は以下のように特徴づけられる。
(a)”時間間隔”としての時間と、”瞬間”としての時間の概念には区別がない。”瞬間”とは 非常に短い時間間隔だと考えている。
(b)速度は、距離を時間で割ったものと定義する。ゆえに平均速度と瞬間速度は区別されない。
(c)距離、速度、加速度の概念はうまく区別できない。
(2)力がなければ、すべての物体は(地面に対して)静止し続ける。 常識の体系では、この原理はニュートンの第1法則の役目をする。 基準座標として地面を暗黙に選んでいることは、疑いもなく直接的な知覚経験に基づいているので、特に重要である。人間の知覚体系の驚くべきことの一つは、さまざまな感覚刺激にもとづいて、 静止している背景と運動する注目物体を創り出し、その逆(背景が動き、物体が静止)ではないこ とである。もちろん、感覚で逆も有り得るが、むしろそれは、ニュートン理論が広範囲の経験を再解釈し直すやり方を我々に教えてくれているからである。この例から、特定の”常識”を扱うには、 その考え方がどんな知覚に根ざしているかによって教育デザインを変えなければならないことを示唆している。しかしこれは将来の研究課題である。
(3)運動原因の原理 (The causal principle of motion):すべての運動には原因がある。
これは ニュートンの第2法則の”常識”版である。
(a)運動を引き起こすのは
(i)外部の動因(agent)から物体に対して働きかける力。
(ii)重力、すなわち落ちようとする物体固有の傾向。
(b)運動を持続するのは
(i)加えられた力や重力による継続する働きかけ。
(ii)物体の内部に存在する力(すなわちインペートゥス)。
(c)運動を妨げるのは
(i)物体固有の抵抗性(すなわち重さあるいは質量)。
(ii)物体の周りの媒質による抵抗。
(iii)じゃまをする障害物。
抵抗する媒質や障害物による作用は、運動を引き起こしたり運動を維持したりしないから、能動的な力ではない。しかし、学生達がそれの考察から一般力の概念に考え至ることになるので、その観点から反作用的な力(reactive force)とも呼べるだろう。
(4)ニュートンの第3法則は常識的直観と一致しない。マロニーは、学生達が如何なるルールで第3法則が適用される状況を扱うか、を調べて分類した。彼は大部分の学生達が2物体間の相互作用をある種の優勢の原理 (dominance principle)により特徴づけていることに気づいた。その原理とは:
(a)大きな質量ほど大きな力を出す。あるいは、もっとよく見受けられるのは、
(b)他の物体を動かす方が、動かされる物体より、大きな力を出す。なぜなら動かす方が逆らう方に勝つから。
(5)ニュートンの重ね合わせの原理(力のベクトル合成)には2つの”常識”版がある:
(a)優勢 (Dominance):運動は競い合う2力のうちの強い方により決まる。 この原理は、重い物体を動かすには、その物体の抵抗力を圧倒するまで押す力を強めていく必要があり、動き出したら、運動を続けるにはそんなに力が要らない、という自然な経験に基づいている。学生達にとって、ニュートン理論を受け入れるためには、この経験を解釈し直す必要がある。”抵抗は無視できる”という教科書の記述を学生達はこの優勢の原理を意味していると捉えているかも知れない。
(b)妥協 (Compromise):運動は競い合う2力の妥協で決まる。 もちろん、重ね合わせの原理は妥協の一種ともみなせる。しかし学生達の考える”妥協”は曖昧で、インペートゥスを含んでいるよう見える。
図4で見たように、ときには優勢と妥協の原理は一緒に使われる。
B.運動に影響を及ぼすもの(Influences on motion) 中世の動因とは?
(1)外力(An applied force)とは、動因(agent)から物体に直接接触して働く、押すあるいは引く力である。ときには、生命をもつ物のみが力の動因とみなされる。外力の効果はいずれも以下の運動原因の原理を使って性格づけができる。
(a)内在抵抗 (Internal resistance):力は物体の重さ(weight)より大きくなってはじめて、 物体を動かすことができる。重さは質量(mass)と区別されない。
(b)一定力は一定速度を生み出す。 ときに、F=mvと表現される。
(c)加速は力の増加によって生じる。
(d)一定力の効果には限界があり、その限界は力の大きさ依存する。 限界は以下の2種類のいずれかである:
(i)運動は自らを消費しながら運動するために、あるいは抵抗体により消耗するために、力が弱ってくる。しかも、その効果は力の加わったしばらく後から現れるという意味で、原因と効果の関係は瞬時的ではない。
(ii)力Fは物体をFに比例した限界速度に達するまで加速する。物体はその後、その力が働き続けるか否かに係わらず、その速度を維持する。
(e)遠隔力は、物体と動かすものとを結ぶロープのような、媒体によって伝達されなければならない。それゆえ、真空中では物体に遠隔力は働き得ない。
(2)内在する力(あるいはインペートゥス)は、外部の動因に無関係に、物体の運動を持続させる。クレメントが観察したように、しばしばこの原理に基づいて、学生達は物体の運動方向に力が存在すると推論する。
(a)インペートゥスは働く力から分与され、物体間で受け渡しされる。
(b)物体のインペートゥスはその物体の質量と速度に比例する。ちょうど、式F=mvで表さ れるように。
(c)インペートゥスは、働く力の効果と同様に、消耗したり強まったりする。
(3)抵抗は働く力に対抗する。あるいは運動物体のインペートゥスを消費する。つぎの種類の抵抗はつねに区別されるわけではない:
(a)”慣性”(重さあるいは質量)は運動に対する物体固有の抵抗である。
(b)固体表面との接触によって生じる摩擦。
(c)流体抵抗は運動物体の大きさ、形状そして重さとともに、流体の密度によって決まる。
(4)障害物は運動の向きを変えたり止めたりするが、力を出す動因(agent)ではあり得ない。
ミンストレルは学生の反作用的力についての概念を分析している。
(5)重さ(gravity) は物体が落ちようとする傾向である。この考え方では重さは力である必要はない。それにもかかわらず、上述の働く力についての”原因の原理”は重さに対してうまく当てはまるだろう。アリストテレス物理学についての我々の以前の議論で見たように、この原理の重要な 結論が重い物体ほど速く落ちるという考えである。この考えは共通に見られるため、物理クラスの学生に対して注意深く調べる価値があるだろう。 以前の節で我々は重さ(gravity)についての他の考え方について言及したが、さらに多くの報告がガンストンとホワイトによってなされている。しかし重さについての個々の考え方よりもっと重要なことは、学生達が重さとは”本当は何か”を疑っていることである。そこで、最良の教育的戦略は学生達に「重さとは力で、しかも遠隔力である」と確信させることに的を絞って教える直接的方法である。多くの歴史上の偉大な知識人にとってそうであったように、学生達には遠隔力の考え方は理解し難く、受け入れるのは難しい。歴史的には、ギルバートの磁石の研究が人々に遠隔力は確かに存在すると最も確信させることができたのである。物理の教師はこれから教育的教訓を得るだろう。
W.大学生の常識概念
診断テストの多くの設問に対する選択肢は事前に、アリストテレス的か、インペートゥス的か、 ニュートン的かにより分類して作っておいた。学生の”常識”体系は曖昧で未分化な概念の結果である。
予備テストで82%の学生 は真空中での自由落下にも物体の固有な幾何学的・物理学的性質が影響を与えると考えていた。そういった学生のほとんどすべてはアリストテレス流とインペートゥス流の考えのごちゃまぜをもっている。
常識的考え方をもっと深く調べるために、22人の学生に彼らの診断テストの解答について詳しく面談を行った。学生達は彼らが以前にした答えを相変わらず繰り返した。そして、疑問点を非常 に深く議論しても、容易にその考えを変えなかった。学生達は彼らの解答や意見の正しさを説明するように求められた。面接官は学生達の信念がどの位強固であるかを調べるために、繰り返し反例をあげて、違った物理的設定ではどうなのか比較するよう求めた。 7 幾人かの学生と面談中に、診断テストについてのいくらかの議論に登場する物理的状況を示すために、典型的な教室演示実験を行った。演示実験を行っても、現象についての単なる議論以上に彼らの意見に影響を与えることはできなかった。たとえこれらの考えに矛盾する現象をつきつけられても、学生達は概して間違った考えを変えなかった。矛盾が認識されるか指摘されたとき、彼らは 最初、信念に問題を感じず、いま見た現象は別の法則あるいは原理に支配されており、彼らの使っ ている原理は少し違った場合に適用されると論じがちであった。
ほんの今、演示実験を見た学生達に注意深く面談を行った結果、典型的な物理演示実験が間違っ た物理的な考えを変えるという効果に疑問をもたざるを得なかった。我々は演示実験が、常識と科学的な概念との矛盾を明確にし、それを解決するのに役立つような形で行われない限り、効果があるか疑わしいように思う。 長い議論ののち、頑迷な信念を示していた大部分の学生達も、彼らの信念に矛盾するものを見せられたからではなくて、ほとんどは、彼らの議論を反省するよう求められ、彼らの考えが論理的に 矛盾していることに気づくことによって、正しい理由づけに思い至ることができたのであった。学生達に通常みられる考え方の多様性を調べるため、以下のA−Dで目録化を行った。
A.運動についての一般概念
この小節は学生達が彼らの力、重さ、そして運動の概念を主にどう”定義”するかに関するものである。それに続く小節は彼らがそれらの概念を力学現象を説明するのにどう使うかに関するものである。 ほとんどの面談した学生達は、その時点で取っている物理科目にせよ、過去に取った科目からに せよ、そこから機械的な知識としてニュートン力学を身に付けていた。彼らは求められると、ニュ ートンの法則をはっきり述べることができたが、特定の質問にどう適用したらよいのか分からなかった。なぜ砲丸は放物軌道を描くのか説明しなさいと言われたとき、ある学生は、”知りません。私 はそれが放物線に沿って運動すると教えられたのですが、だけど、どうしてなのかは全く理解できません。”と答えた。 日常生活において、”力”という言葉は、文脈的に−警察力、経済力とか、議論の中しばしば曖昧 で不明瞭な連想を伴って使われる力など、混沌とした多様さで使われる。このように、初歩の学生 は”力”という用語を、そのうちのいくつかは力学的ですらない様々な概念として、いいかげんに 使うと思ってよい。 ある学生は”加速度は力である。それは一種の力のように思える。”と主張した。予備テストでは、65%の学生は”どんな運動にも原因がある”という前科学的な考えを持ち続けていた。彼らに運動の原因を探させたところ、面談した学生は、原因と称するものとして以下のような名前をあげた:
”慣性の力”
”潜在力”
”速度の力”
”速さは力を創り出す”
”撃ったエネルギーまたは力”
”内部にまだいくらかの力を持っていて、”
”背後にある力が・・・投げたことに由来して”
”パワーも一種の力を持っており、”
幾人かの学生は力の大きさを運動学的概念の大きさに例えた:
”その速さはその引力に等しい。”
”その初速度はその力より大きい。”
”噴射のエネルギーはその力より大きくなければならない。”
学生たちはニュートン的な力の分類を用いない。むしろ、彼らは力を区別するのに:
”ただ運動を開始させるだけ”、か ”ただ運動の向きを変化させる”、か ”速さ[を変ること]と無関係で、ただボールの運動を保つ働き”か 幾人かの学生にとっては、力の効果はそれが働いた瞬間には表れない、または効果は自然消滅する、あるいは外部の抵抗により打ち消される:
”その力はその後になって作用して・・・その力は初速度を圧倒する。”
”この力が永久に残ることはありえない・・・どんなものでも永久に残ることはない。”
”大砲は[砲丸を]それだけ遠くへ飛ばす十分な力をもっている。”
”力は減少する・・・その[逆]向きに重力が働くから、”
多くの学生達は生命をもたない物体は運動を止めたり、向きを変えさせたりする障害物として働き、力の作用因とはならないと信じている。
ある学生が説明したように:
”[ボールを]手に持っているときには力は存在するが・・・[そのボールが机の上に置かれている ときには]、ボールに力が働かない・・・これは別なんだ。ボールは落ちようとする、しかし机はボ ールを保持しているだけであって・・・動かないようにしているだけなんだ。”
”物体が落下するのに力はいらない。なぜなら物体は常に落ちようとしているのだから。”
彼が説明するには、 ”[落ちるボールには]力は働いていない・・・あなたがボールを持っているときには力が存在するが、手を離したときには、もはや力は存在しなくて、ボールは勝手に落下する・・・そう、自由に させたとき、ボールは地上に帰って行くんです、重さ(gravity)があるんです。ここで面談者が話をさえぎって重さ(gravity)は力なのかと尋ねた;その学生は答えた:
”いいえ、知りません・・・たぶんそうではないと思います。なぜなら[ボールは離されてから] ほんの少しの間はスピードアップして・・・落下の速さに達する。それからボールはそれを止める ような力が働かないから一定の速さで行くに違いありません。そうでなければ加速し続けてしまう。・・・それで私の答えは否です。重さは力ではありません。
学生の何人かは、重力(gravity)は落下物体が獲得したある種のインペートゥスだと考えていた。 ある学生が言うには、”物体が落ちるに従って重力は増える・・・なぜなら速さがだんだん大きくな って行くから。”我々は後でもっと多く、こうした考え方を聞くだろう。 面談した学生たち全員が真空の存在を認めていた。しかし何人かは、物質的な媒質がなければ運動は不可能だろうと考えていた。ある学生がいうには: ”もし真空で物体を離したなら、物体はそのままでいる・・・真空中では運動しない・・・なぜなら重力は真空中では働かないから。重力は空気があってはじめて働く・・・物体は下向きに押す空気のせいで下へ落ちる・・・空気はまたあらゆる方向に押す;これがまさつ力なんです・・・しかし下向きに押す力の方がまさつ力より大きい。これが物体が落ちる理由です。” 運動学的見地に関連して、学生たちに最も共通してみられ、しかも重大な問題は様々な運動学的量の区別ができないことである。大部分の学生はすでに物理の授業で運動学を学んでいたにもかかわらず、こうしたことは面談した学生達の中ではっきりと見られた。
ある学生は課題(] T)の木片Xは外力が働かなくなるとすぐ止まるだろうと言った、なぜなら”動き続けるためには 車輪が必要でしょう。”インペートゥスの考えをもつ者の議論はもっともらしい。学生GTとSTは 課題(X)のチューブから飛び出したボールは直線を描くと言った。しかし、彼らはそれが軌道上でもつ速さの本質について2つの典型的な誤解をしていた。
GT:”・・・チューブに入る前にはボールは真直ぐ進もうとしていた、だけどチューブがそうさせ ないので、[ボールがチューブから飛び出すときには、]ボールはグイッとパワーを与えられて、以前より大きな速さを得ることになる・・・このパワーはボールがどれだけ長くチューブを回ってい たかによって決まる・・・このパワーが弱ってくるまでボールを加速するんだ。”
ST:[チューブの中をボールが動いていたとき]、”放たれるときをじっと待つパワーを得るんだ。 [チューブの中で]回転する速さが力やパワーを創り出し・・・それが最初はボールを加速し、そしてパワーなくなって、[ボールは]減速をはじめる。”
インペートゥス派の大部分の学生は、ボールがチューブを離れたときからインペートゥスは弱りはじめると考えているのに対し、その内の一部の学生はこのインペートゥスは何らかの抵抗に会うまで維持されると考えている。このインペートゥスを学生達は、パワーだとか、力、加速、速度、運 動量、慣性、あるいはエネルギーだとか、いい加減な名前でよんでいる。
別の2人の学生、ACとSCは課題(X)でボールは曲線軌道を描くとし、運動は一種の回転インペートゥスを維持するとした。
AC:”あるものに繰り返し繰り返し同じことを訓練すると・・・このもの[今の場合はボール] は訓練された同じこと[この場合、曲線軌道を動くということ]を自分でするようになるだろう。”
SC:”ボールはこの[曲がった軌道]の形を真似て進むんだ。どうしてかと言うとそれを円周上 で回したとき、ボールはある運動量を持ったからなんだ、加えて直線に沿って進もうともしている。 そこでボールは円[チューブに戻る]を描かないし、直線に沿っても進まない。そうじゃなくて、 ボールはその運動量が弱るまで[曲線]を描いて、・・・そうしてから、真っすぐに進むようになる んだ。”
ボールは真っすぐ進むという「自然な傾向」と、受けた訓練にもとづく運動とが混じった別の考え方が1%以下の割合でみられた。これらの学生たちはチューブ内での回転運動の結果、課題(X)でのボールは半径の外側への運動、すなわち遠心方向へチューブから飛び出そうとする傾向をもつようになると考えた。ボールの実際の軌跡は得られた遠心傾向とボールがもつ自然な接線方向への傾向の合わさったものになるだろう。このような折衷的な軌跡を答えたある学生が言うには、 ”ボールは回転の加速[チューブの接線方向へ進もうとする傾向]とボールを[半径の外側へ]向 かわせる遠心力の両方が合成された向きへ飛び出すことになる。” ちなみに、同じ学生は、課題(X)のボールがもし空中に吊されたチューブから出るとするなら、しかも重力がなかったなら、そのボールは”その場に留まるだろう。最初にボールを放した地点よ り向こうへは行かないんだ。”と言った。しかし、そのチューブが水平な机の上に置かれていたなら、 しっかりした支え、あるいは導き(=机)があるのだから、チューブから出たボールは直線運動で きるようになる。他方では、この学生は、もしチューブやチューブが置かれていた机によって”十 分長く・・・ボールをそう運動するように訓練するなら”、チューブを離れても、あるいは机の端を 離れても、薄い空気中で直線運動することができるだろうと言った。
一定の起動力では物理的物体をある有限の距離を動かすだけであるとするアリストテレスの考えをもった学生は一人もいなかった。しかし学生の27%は、力は物体を無限に加速させ続けることはできないし、物体は力の大きさと物体の質量によって決まる限界速度に到達すると考えていた。
課題(]T)に関しては、学生CMは”もし木片Xの質量がYの[引く]力より大きければ、木片Xはじっとしている・・・動くことはない。”と言った。アリストテレスと同様に、学生CMにとっては、物体の質量はたとえ摩擦のない面上でもある種の抵抗力とみなせる。こういった考えをもっている学生に対しては面接中に、様々な面上、たとえば、磨いた面上、磨いていない木の面上、 砂上、氷上、等々で木片を引いたと想像してみなさい、そうしたときの木片の運動を比較しなさい と問いかけてみた。若干の学生と同様に、CMは木片の質量は氷上以外では常に同じように運動の抵抗になると考えた。ただ”氷だけは滑りやすい”からと。 一定力の下では粒子は常にある限界速度に達すると考えている学生たちは、それに関して種々多 様な考え方をもっていた。
GT:”木片Xは最初、Yの引っ張りと等しい速さに達するまでは加速します・・・それからはその速さで進み続ける・・・その最高の速さというのはいつでも加えられた力に等しいんだ。[たとえ ば、10ポンドの力が木片Xに加わったなら、]最高の速さは10フィート/秒になるでしょう。
BM:”一定力は物体を加速します・・・ただし物体が力のパワーのすべてを使った速さに達する まではね。[その後、物体は等速で運動する。]
AP:”どんなものにも限界というものはないですか? ・・・どうして物体が常に速くなり続ける ことができるんですか・・・きっと限界があるはずです。
PA:”[自由落下で物体に対して]重力は下向きに引っ張ります。しかし、増加を横ばい状態にする何かがあるんです。それは何かは分かりません。無限に速さが増加し続けるなんて理屈にあわな いでしょう。
AL:”ガリレオはピサで[自由落下]の実験をして、それら[落下物体]はある限界速度に達すると言った。たぶん・・・ガリレオがやったのだし、少なくとも彼について知っていることが本当なら、これは真実に違いない。
KC:”友だちが私に言ったことを根拠にして、[自由落下では]最高速度があるんだと答えたんです。彼は落下傘部隊員なんです。彼が言うには、空気があるから限界速度に達することができると。” 最後の2つの発言から、彼らのどちらも考えを権威に訴えること、それは受け身で機械的な知識を 教えることの成果のひとつなんだが、で極めて安易に正当化していることに気づかされる。
自由落下での最高速度について議論した6名の面接した学生たちは、この速さは”重力に等し く・・・32フィート/秒だ。”他方幾人かは、”重力は[手を離した]瞬間から働くのではなくて、 ちょっと時間がかかるんだ。”と考えていた。JSとCMは同様な考えを述べた:
JS:”[手を離した瞬間は]ボールに働く力はゼロだ。落下するにしたがって、重力が増えていく んだ。・・・これが速さの増える理由です。
CM:[自由落下するボールは]”落下するにしたがい、重力がどんどん強く引っ張るのでますます 速くなる。これはちょうど磁石みたいです。物体が磁石に近づくほど、磁石に強く引きつけられ る・・・ボールが地面に近づくほど、重力が強く引っ張る。” 他方、幾人かは、自由落下と束縛された落下運動では重力が同じようには働かないと考えていた。 その区別は、しかし明確ではない。PDのように、幾人かは、斜面上ではなく、自由落下では物体 はその物理的性質に関係なく同じ加速度で落下すると考えていた。
PD:”重い物体ほど速く斜面を滑り降りる・・・たとえ摩擦や空気抵抗を無視したとしても・・・ 斜面上では、[自由落下と違って]重力は同じようには働かない・・・なにがしかの違いがある。し かしそれが何なのかは僕にはわからないが。” 何人かの学生とって、重力は一定力として現れてくるが一定加速度としては現れてこない。それ で、違う質量の物体は同じ加速度で落ち得ない。
CM:”重力とはどんな物体にも働く同じ力である・・・同じ強さで引っ張る・・・同じやり方で・・・ すべての物体に働く等しい力ということなんだ。
PM:”重力とは異なる物体に働く同じ力のことです・・・僕は重力はどんな物体に対しても9.8であることを知ってます。
JM:”重力加速度は一定です。そこで、質量を2倍にすると・・・そして同じ加速度になるのだから・・・2単位質量は1単位質量の半分の速さで進むことになる。
” 何人かの学生は重さと”重力”とは2種の異なった力であるとさえ考えていた。
KBは”[自由落下の]速度は重さと重力に依存している。それは両者の結果によって決まるんだ。”と言った。KBのような学生にとって、重さは落体の質量と一緒に増えるが、”重力はすべての物体で一定だ”。
PA:”これは経験から言うのだが、重い物体ほど速く落ちる。・・・僕に2人のちびがいるんだが・・・ ほとんど摩擦のないウォータ・スライダーで滑るとき・・・僕の肩にちびを一人担いだときには、 担がないときに比べて速く滑る・・・重力はすべての物体で同じだ・・・違った物体でも同じ引力 だ・・・しかし重力以外に重さというものがあって・・・ [また、異なった質量の2物体が一緒に落ちる場合]、はじめ、ある地点までは重い方が速く落ち て・・・そして他方が追いつき、両者が安定運動に達する・・・そして両者は残りの時間すべて同 じ速さで一緒に落ちる。” この”追いつき”過程はW節でもっとはっきりする。それがどうして起きるのかに関しては、学生 たちは、”そうなるんだから”とか”その方が理屈にあっている”とか以上のうまい説明をすること ができなかった。
D.一定力の下での2次元運動 多くの学生たちは、放物運動についていくらか知ってはいたが、それが一定力の結果であると認識 しているものはほとんどいなかった。
図2.どのようにインペートゥスが与えられるかに依存する投射体の軌跡:
(a)手で投げた物体、
(b)飛行機から投下された物体、
(c)机の端から飛び出した物体
大部分の学生はインペートゥス概念をもっているが、投射体についての彼らの論評からその概念の違いが明らかになる。何人かは、投射体の運動は初速度だけでなく、その速度が如何に与えられたかによっても決まると考えていた。JTは、初速度vで空中に投げ出されたボールはしばらくは水 平に運動するが、水平運動する距離は手で投げられた場合が最も長くて、その速度で飛ぶ飛行機か ら切り離された場合は短くなり、机の端から速度vで飛び出した場合にはさらに短くなると主張し た
(図2)。同じく3つの軌道を述べた他の学生はその違いを以下のように説明しようとした。
AC:”[(a)の場合は]ボールに真っすぐな向きに速さを与えたんだ・・より強く投げれば投げる ほど、より真っすぐ飛ぶだろう。[(b)や(c)の場合は]ボールにパワーを与えていない、[(a)の場合 のように]直線に沿って行くようにボールにパワーを与えなかった。・・・ここ[(a)の場合]では、 ボールにエネルギー、真っすぐ行くようなあるエネルギー、を与えている・・・他方は、飛行機は ボールを運んでいるだけだ[し、机はボールを導いているだけだ]から・・・飛行機は真っすぐ行 くパワーを[ボールに]与えていないんだ。” 学生RSとDLは、図2のボールは(a)と(c)の場合は図のようだが、(b)の場合は違うと言った。 後者の場合は図3に示すように、ボールは水平とある角をなす向きに真っすぐ行くだろう。 DL:[ボールの描く軌跡は]”飛行機と重力が与えた速度の合成になる・・・[しかし飛行機のエン ジンが突然止まるとか、ボールが手で投げられるとか、机から投げ出されるとかだったら、]速度の 水平成分が重力に打ち勝つことになるから、飛行機/ボールは[図2の(a)のように]運動する・・・ しかしこの場合[飛んでいる飛行機からボールが切り離されるとき]には、ボールはまさしく落下 する・・・はじめは飛行機に運ばれていて、そして落とされたんだ。そこでは何ら衝撃などは受け ていない。” AL:[投射体は、あるレベル以上の大きさの速度でもって発射されない限り、どんな角度で発射し ようとも、真っすぐに落下すると言った。さらに彼は、どのように発射しようとも、初速度の接線 方向へ運動し始めることはないと言った。それは]”重力が物体を下向きに引っ張り続けているんだ から。” 図3. 重力gのもとで初速度uで放たれた投射体の” 折衷(合成)”速度vとその軌跡 RSのように、幾人かの学生たちは、投射体は初速度の向きに運動できるだろうが、ただしその 初速度が”重力より大きい”場合に限ると言った。(図4) 15 図4 ”重力g”の下、初速度uで投射された物体の 軌跡。初速度が(a)”g以下”、(b)"”g以上” どうインペートゥスは変化するのかについて、図2の軌跡を議論した学生たちは、意見が分かれ た。何人かはRSのように、インペートゥスの水平成分が、それゆえ力を加えられた投射体の速さ の水平成分が、一定に保たれるとした。他方は、JSのように、インペートゥスは投射体がその起 動者から離れた瞬間から弱くなり始めると考えていた。結果、投射体の速さは軌道の直線部分、す なわち初速度の方向に沿って減少する。 RS:”その速さは一定に保たれる・・・そのパワーのため・・・つまり背後にある力のために・・・ そのパワーが弱ってくるまでは・・・そして初速度は重力に負けてしまう。だから[ボールは曲が り始めて]その速度はgの所為で増え続ける・・・そのパワーが無くなるまで[あるいはALが言 ったように、”水平の速度がゼロになるまで”]曲がり続ける・・・そして重力にバトンタッチし・・・ そしてボールは一定の速さで真っすぐに落下する。” JS:”ボールは最初、その背後に潜む力のために直線を描く・・・この力は一定で・・・いや違 う!ボールはここ[軌道の水平部分]で遅くなるんだから、そんなことはありえないね。だから、 力はここ[曲がりはじめるところ]までに減少するはずだ。だって重力が下向きに働くんだから・・・ [軌道が鉛直に真直ぐになる]ここからは、もはや背後に潜む力がなくなり・・・重力だけが下へ 引っ張るんだ。” 幾人かの学生たちはSLのように、インペートゥスは一定で残る、あるいはTSのようにインペ ートゥスは運動中に増加することができると考えていた。 SL:”発射したエネルギーあるいは力のために・・・発射の衝撃がボールを直線に沿って進み続 けさせる・・・しかし重力はボールを下へ引く・・・さらにさらに引く・・・[重力が]この力[イ ンペートゥス]と等しくなるまで。そしてボールは下向きに曲がりだす・・・ボールは、まだ前へ 推進させるエネルギーがあるから曲がり続けて・・・しかし、今や重力はどんどん大きくなってい く。” TS:”ボールが下向きに落下するとき、力[インペートゥス]は増えます。なぜなら、このとき には、重力は運動と同じ向きになって引くから・・・そして重力は落下するにしたがい、ボールに どんどん力を与える・・・しかし、引力である重力は一定です。” 16 上述に似た議論は、水平に対しある角度で発射された投射体についても行われた。
(図5) 図5.斜めに発射された投射体に関する典型的なインペートゥス軌跡 JT:[上昇中は、]”ボールは力のために真直ぐ上昇して・・・その力は発射の際に受け取ったもの だが・・・この力は上昇中に減少するんだが・・・しかしボールは一定の速さで運動する・・・そ の力は速さと無関係で、ただボールの運動を保つ役目だけ・・・[下降中は、]もはや力は要らない・・・ ボールは落ちるんだ、力がなければ落ちるということだ。そう、ボールを上に動かすには力がなけ ればならない。しかしこのとき、ボールは落ちようとするから、上に動かす力は不変ではない・・・ 上昇するには力からある種のパワーを奪うので、力はボールを持ち上げるのに必要な値以下に減少 する[大きくないある値まで]・・・しかし[真直ぐ下に落ちる]代わりに、横に運ぶのに十分な値 まで” JTによれば、ボールはその運動中ずっと一定の速さを保つという。 RS:[図5の軌跡(c)に関して]、”その背後にある力は減少する・・・しかし完全に無くなるので はなくて・・・そのボールは定速で落下する・・・[下りの]軌跡が両者[インペートゥスと重力] の合成となるように、最初に与えたパワーはボールを[水平に]運ぼうとし、力は[鉛直に]落と そうとするんだ。” 大部分の学生の意見では、インペートゥスは投射した速度の向きに、あるいは、初速度と他の存 在する力を合成した向きに、運動を保つとした。しかし15%の学生によれば、あたかも投げられ た物体が、”何かをする訓練をされて”その記憶を持ったり、”訓練されたことをすべく”運命づけ られたかのように、インペートゥスはまた運動の軌跡も保つとしている。
X.運動についての常識概念の分類
”常識”概念についての我々の知識を系統立てるため、またそのことを教育に活用する指針を提供するために、この節ではもっとも重要な”常識”概念を取り上げて簡単な注釈的分類を行いたい。 学生達に見られるすべての多様な概念を分類するのは実際的ではないだろう。そこで我々は、もっ とも共通に見られる考えを表現するために概念の公式化を試みることにした。 分類を行うためには、類別するための原則を決めなければならない。幸い、ニュートン力学その ものがすでに類別する枠組みを提供してくれているので、我々は特定のニュートン的概念を、代わ りに運動についての”常識”概念で置き換えることにより、分類することが可能である。そこでま ず我々は、次の2つに大きく類別することにした:「運動の原理」、これはニュートンの運動の法則に対応するもの。と「運動に影響を与えるもの」、これはニュートン力学での力の法則に対応するものである。
A.常識とは何か 「常識」運動の原理 中世の起動力 インペートゥス ニュートン力学以前の特徴
(1)運動の記述:”常識”の世界における運動学的概念は以下のように特徴づけられる。
(a)”時間間隔”としての時間と、”瞬間”としての時間の概念には区別がない。”瞬間”とは 非常に短い時間間隔だと考えている。
(b)速度は、距離を時間で割ったものと定義する。ゆえに平均速度と瞬間速度は区別されない。
(c)距離、速度、加速度の概念はうまく区別できない。
(2)力がなければ、すべての物体は(地面に対して)静止し続ける。 常識の体系では、この原理はニュートンの第1法則の役目をする。 基準座標として地面を暗黙に選んでいることは、疑いもなく直接的な知覚経験に基づいているので、特に重要である。人間の知覚体系の驚くべきことの一つは、さまざまな感覚刺激にもとづいて、 静止している背景と運動する注目物体を創り出し、その逆(背景が動き、物体が静止)ではないこ とである。もちろん、感覚で逆も有り得るが、むしろそれは、ニュートン理論が広範囲の経験を再解釈し直すやり方を我々に教えてくれているからである。この例から、特定の”常識”を扱うには、 その考え方がどんな知覚に根ざしているかによって教育デザインを変えなければならないことを示唆している。しかしこれは将来の研究課題である。
(3)運動原因の原理 (The causal principle of motion):すべての運動には原因がある。
これは ニュートンの第2法則の”常識”版である。
(a)運動を引き起こすのは
(i)外部の動因(agent)から物体に対して働きかける力。
(ii)重力、すなわち落ちようとする物体固有の傾向。
(b)運動を持続するのは
(i)加えられた力や重力による継続する働きかけ。
(ii)物体の内部に存在する力(すなわちインペートゥス)。
(c)運動を妨げるのは
(i)物体固有の抵抗性(すなわち重さあるいは質量)。
(ii)物体の周りの媒質による抵抗。
(iii)じゃまをする障害物。
抵抗する媒質や障害物による作用は、運動を引き起こしたり運動を維持したりしないから、能動的な力ではない。しかし、学生達がそれの考察から一般力の概念に考え至ることになるので、その観点から反作用的な力(reactive force)とも呼べるだろう。
(4)ニュートンの第3法則は常識的直観と一致しない。マロニーは、学生達が如何なるルールで第3法則が適用される状況を扱うか、を調べて分類した。彼は大部分の学生達が2物体間の相互作用をある種の優勢の原理 (dominance principle)により特徴づけていることに気づいた。その原理とは:
(a)大きな質量ほど大きな力を出す。あるいは、もっとよく見受けられるのは、
(b)他の物体を動かす方が、動かされる物体より、大きな力を出す。なぜなら動かす方が逆らう方に勝つから。
(5)ニュートンの重ね合わせの原理(力のベクトル合成)には2つの”常識”版がある:
(a)優勢 (Dominance):運動は競い合う2力のうちの強い方により決まる。 この原理は、重い物体を動かすには、その物体の抵抗力を圧倒するまで押す力を強めていく必要があり、動き出したら、運動を続けるにはそんなに力が要らない、という自然な経験に基づいている。学生達にとって、ニュートン理論を受け入れるためには、この経験を解釈し直す必要がある。”抵抗は無視できる”という教科書の記述を学生達はこの優勢の原理を意味していると捉えているかも知れない。
(b)妥協 (Compromise):運動は競い合う2力の妥協で決まる。 もちろん、重ね合わせの原理は妥協の一種ともみなせる。しかし学生達の考える”妥協”は曖昧で、インペートゥスを含んでいるよう見える。
図4で見たように、ときには優勢と妥協の原理は一緒に使われる。
B.運動に影響を及ぼすもの(Influences on motion) 中世の動因とは?
(1)外力(An applied force)とは、動因(agent)から物体に直接接触して働く、押すあるいは引く力である。ときには、生命をもつ物のみが力の動因とみなされる。外力の効果はいずれも以下の運動原因の原理を使って性格づけができる。
(a)内在抵抗 (Internal resistance):力は物体の重さ(weight)より大きくなってはじめて、 物体を動かすことができる。重さは質量(mass)と区別されない。
(b)一定力は一定速度を生み出す。 ときに、F=mvと表現される。
(c)加速は力の増加によって生じる。
(d)一定力の効果には限界があり、その限界は力の大きさ依存する。 限界は以下の2種類のいずれかである:
(i)運動は自らを消費しながら運動するために、あるいは抵抗体により消耗するために、力が弱ってくる。しかも、その効果は力の加わったしばらく後から現れるという意味で、原因と効果の関係は瞬時的ではない。
(ii)力Fは物体をFに比例した限界速度に達するまで加速する。物体はその後、その力が働き続けるか否かに係わらず、その速度を維持する。
(e)遠隔力は、物体と動かすものとを結ぶロープのような、媒体によって伝達されなければならない。それゆえ、真空中では物体に遠隔力は働き得ない。
(2)内在する力(あるいはインペートゥス)は、外部の動因に無関係に、物体の運動を持続させる。クレメントが観察したように、しばしばこの原理に基づいて、学生達は物体の運動方向に力が存在すると推論する。
(a)インペートゥスは働く力から分与され、物体間で受け渡しされる。
(b)物体のインペートゥスはその物体の質量と速度に比例する。ちょうど、式F=mvで表さ れるように。
(c)インペートゥスは、働く力の効果と同様に、消耗したり強まったりする。
(3)抵抗は働く力に対抗する。あるいは運動物体のインペートゥスを消費する。つぎの種類の抵抗はつねに区別されるわけではない:
(a)”慣性”(重さあるいは質量)は運動に対する物体固有の抵抗である。
(b)固体表面との接触によって生じる摩擦。
(c)流体抵抗は運動物体の大きさ、形状そして重さとともに、流体の密度によって決まる。
(4)障害物は運動の向きを変えたり止めたりするが、力を出す動因(agent)ではあり得ない。
ミンストレルは学生の反作用的力についての概念を分析している。
(5)重さ(gravity) は物体が落ちようとする傾向である。この考え方では重さは力である必要はない。それにもかかわらず、上述の働く力についての”原因の原理”は重さに対してうまく当てはまるだろう。アリストテレス物理学についての我々の以前の議論で見たように、この原理の重要な 結論が重い物体ほど速く落ちるという考えである。この考えは共通に見られるため、物理クラスの学生に対して注意深く調べる価値があるだろう。 以前の節で我々は重さ(gravity)についての他の考え方について言及したが、さらに多くの報告がガンストンとホワイトによってなされている。しかし重さについての個々の考え方よりもっと重要なことは、学生達が重さとは”本当は何か”を疑っていることである。そこで、最良の教育的戦略は学生達に「重さとは力で、しかも遠隔力である」と確信させることに的を絞って教える直接的方法である。多くの歴史上の偉大な知識人にとってそうであったように、学生達には遠隔力の考え方は理解し難く、受け入れるのは難しい。歴史的には、ギルバートの磁石の研究が人々に遠隔力は確かに存在すると最も確信させることができたのである。物理の教師はこれから教育的教訓を得るだろう。
古典物理学
ニュートン カトリックからの離脱 中世哲学を打破して見える形(幾何学)へ
エネルギーなどすべての物理量は連続量である 量子力学ではとびとびの値しか取れない
光は波の一種、物質は粒子でできている
マクロで目に見える世界 この世の常識 量子力学 ミクロ
量子力学
古典物理学は単なる近似値でしかない。
万有引力
ニュートンの万有引力理論において、それぞれ m1、m2 の質量を持つ2つの物体が、距離 r だけ離れて存在しているとき、これらの間に働く万有引力 Fg は
相対性理論の基準では引力とは空間と時間の歪みである。
ローレンツ変換
ヤングの実験 波と粒子
ボーア対アインシュタイン 量子のもつれ 遠隔作用
quantum entanglement
LOCC(局所量子操作及び古典通信)で増加しない多体間の相関
純粋状態のエンタングル状態
部分系Aと部分系Bから構成される複合系を考える。部分系Aの純粋状態を、部分系Bの純粋状態を
と表すことにする。どのような
、
を用いても複合系の純粋状態
を
の形で表すことができないとき、はエンタングル状態であるという。ここで、
はテンソル積である。
混合状態のエンタングル状態
純粋状態の場合と同様に、部分系Aと部分系Bから構成される複合系を考える。A、Bの混合状態を密度行列 、
で表すことにする。複合系の混合状態
が、
の形で表すことができないとき、混合状態 はエンタングル状態であるという。
光速を超えて伝播できないのは、「情報」だけであり、量子力学的相関は光速を超えて成立していることが下に述べたBellの不等式の破れの実験で確認されました。この検証までは、あらゆるものが光速を超えて相関を持つことができないと思われていたがために、EPR(アインシュタイン、ポドロフスキー、ローゼン)パラドックスとよばれていたわけですが、アインシュタインらの予想が間違っていたことが実証されたため、今ではパラドックスとは呼ばず、EPR相関とよばれたりします。
空間とは何か?
ニュートン 何も無い舞台 絶対的で不変なもの、 物質の運動と空間は互いに影響しない 絶対空間
予測可能な世界
実態がある世界 見たり触ったりできない しかしある。 例えば遠心力。
重力 月は地球に引っ張られている
アインシュタイン
空間は自由自在に歪むもの ゴムシートのようにしなやか 伸縮自在
空間は舞台ではなく役者
重力とは、物体の質量によって生じる時空の歪み。時空の歪みが質量。 時空の形が重力。
地球の質量によって作られた時空の中を月が進むと、円運動になる
質量はどのようにできたのか?
ヒッグス場の考え方
粒子は海の中を漂うように人気のある粒子にはヒッグス粒子がまとわりついて質量が生まれる。