現代人の思考法の問題

 

意識の高さ

リベラル

サンカーラ

正しさ

排除

ハリネズミ

優しさと残酷さ

シンギュラリティ

などを理解するために。

 

 

はじめに

他者から自我を守るために、簡単な方法はずっと判断をし続けることである。

無意識では自分の自我の力が弱いことを現代人は承知しているので、自我の限界に関わる話を聴いてしまうと、他者との関係性においてのバランスが保てないので、自我は「他」を評価することで、自我の主体の優位性を保っている。

たとえば2010年においては、「キモい」「イミわからない」「ヤバい」「ウケる」の4つの単語を使いまわしていれば自分が常に他を評価することができるので、誰からも評価されることがない。

換言すれば、常に消費者になって文句を言っていればよいので、生産者の立場になって批評されることがないのだ。そのためには常に消費者でいられるお金が必要になるので、お金を求める生活に縛れてしまうことになり、目的と手段が逆になってしまうので、そこに苦しみを感じている。

 

2020年には上記の若者言葉が流布しておらず理解できていない可能性もあるので、それらの意味がわかっていると、次のジェネレーションの言葉を理解するコツにもなるので、記しておく。

「ヤバい」       感動する  自分の経験の中で最上級

「ウケる」       楽しい   自分の経験の中で快感に属する

「キモい」       嫌い    自分の経験の中で不快に属する

「イミわからない」   無関心   自分の経験の中で思考することがなかったので無視する

 

 

 

 

 

 

汚染された大脳を持つ人たち

原始脳が現実ではありえない神話世界でしか成り立たない感情を引き起こすことがある。

これに大脳が汚染されたら、大脳は病気になってしまう。

志向性が世界支配、セレブ、超能力、神のお告げ、

理性的に働くべき大脳を壊している。

原始脳をあやす大脳

猫がわからないように原始脳は2∔2もわらない  

そんな原始脳の無理な指令(欲と怒)をあやす大脳

そこで幻想を創り、妄想する。

死んでも魂は死なない、神様が迎えに来て永遠の命を与えてくれる。

これが自分自身の原始脳をあやすためだという事実が分かると、効果がなくなる。

だから、大脳は「妄想概念は本当なのだ」、と信じることになってしまう。

これが大脳の機能が壊れた、ということ。

 

 

 

統計に依存する病

合理化に怖さがない。

統計で意思を決定する。

ヒトには必ずあるサンカーラという自動回路を知らず、その解除方法を試さない。

自動回路がある限りは自由な選択はできない。

無意識の中に選択を任せている。

数値的にはパーセンテージで表現できるが、実際の行動は過去のデータで割合が多いものに依存することである。

サイコロの目を統計的にはとらえられるが、次の賽の目は予想できない。

 

 

意識が高い病

意識の高い人は自動回路を多く作り上げてしまうので、その自動回路によって操られる傾向が高い。

小さい善を積み重ねて判断することで世界が良くなっていくと考えている。

 

 

 

 

 

喜ばせたい病

人の要求に応えるために生じるストレス

自分の時間を奪う人々のために日々奮闘する。

親切でありたいという思いと自分の余暇を確保したいという思いの板挟み。

 

ベターを求める思考

ベターを求めるように生命体はプログラミングされている。

もっと早く、もっと安定を、もっと合理的に、もっと強く、もっと上手に、もっと、もっと、と。

より良い選択肢を求め、前に進んでいく。

しかし、ベターには欠点もある。

ベターを目指し、ベターを選択し、ベターの状態になったことで、失うものもある。

 

ベターによって切り捨てたもの。

そこにはワースにはワースの良いところがあったのだ。

その状況でワースであることによって、得ていたものがある。

ワースにも価値がある。

劣悪な環境に対する適応力、環境に対する親和力、忍耐、

「足るを知る」

 

 

 

認識システムの限界       相対を必要とする

宇宙の法則を知ろうとしない

錯覚

 

観念で物事を判断

例えば感情はコントロールできないと判断している人。

実践もしないで、決めつけや思い込みや感情で判断してしまう。

 

生死について

誕生はハッピー、死は苦しいというのは私たちの大脳の錯覚です。

生と死は、まったく同じものです、自然の側から見れば。

動物は誕生も喜ばず、死も悲しみません。

ただ動物はどちらの時も変性意識状態である恍惚の中にいます。

人間だけがじたばたしますが、それは誕生と死を妄想観念に勝手にしてしまっているからです。

 

誕生した目的は、自分自身がここにいることを知るため、自分自身について学ぶために、この世に生まれてきました。

この目的に向けて生きていないかぎりは、魂としてはいきていることになりません。

だから満足も得られないのです。

 

 

 

過剰一般化

因果関係をつくれば満足できる脳

私の錯覚   同一化の功罪   便利さと過剰一般化

私は病気だ  身体が病気

私は悲しい  思いが悲しいのであって、私ではない

私はのぶ   呼称であって私ではない

同一化してしまうことで生まれる錯覚

このような錯覚を無知、無明と仏教やヒンズー教では呼ぶ。

○○を知らないという意味ではなく、

知らないことを知ったふうにしてしまう、という大変深刻な問題点です。

 

象を触る盲人

一つの季節だけでカテゴライズして固定化するヒトの習性

キンスカ樹の変身ぶりは、激しいものです。冬は焼け焦げた柱のようで、生きている感じもしない。春になると真っ赤な花が咲き乱れ、肉屋で肉の切り身がぶら下がっているような感じです。花が落ちると、緑の葉に覆われるのです。秋になると葉が落ちて、鞘だけぶら下がっているのです。一側面だけ見た人は、決して同じ樹だとは思わないでしょう。

 

ものごとを理解するときは、疑ってみることは必要です。「これがキンスカです」と言われただけであっさりと納得してしまったことを、このエピソードでは批判しています。何かについて知識を得るときには、あらゆる側面から疑問を解決して全体的な知識を得る必要があるのです。中途半端な知識では、何の役にもたたないのです。

 

仏教は何かを勉強するときには、納得いくところまで努力するように勧めます。経典の中でも、修行するときは少々上手くいっただけで満足してはいけないと戒めています。完全に納得いくところまで、完全な悟りをひらくところまで、妥協せずに努力する人が完全な解脱を得るのです。

 

不完全な知識を恥じるのではない。隠す必要もない。こつこつと努力して、完成すれば良いのです。世の中で驕慢な人々は、僅かな知識を得てもこの分野について詳しく知っているように振る舞うのです。そういう人々は、他人にも間違った知識を与えるし、自分でも知識を完成しようとはしないのです。世の人々は、曖昧な知識しか持たない人々のリーダーシップのお陰で、嫌になるほど苦労しているのです。

「騙された、詐欺にあった、損害を被った」というような被害報告はしょっちゅう耳に入ります。それは、十分検討しないで、言われただけであっさりと納得する人の問題です。仏教はこのような曖昧な生き方は否定しているのです。

 

 

 

 

人工衛星の視点

ローマカトリック教会  天動説

コペルニクス      地動説

どちらも間違っていない。

ただ地動説を唱える時には自分は常に動いていることと現実の感覚のギャップを考慮しなければならない。

 

次に大きな問題になるのは、天動説が間違っていて地動説が正しいと判断する考え方。

これが人工衛星の視点につながっている。

宇宙船を手に入れるのか、はたまた静止人工衛星で終わってしまうのか?

 

 

 

 

 

目的地までのショートカット   1234  214

4を3にして、関連をバラバラにして、いきなり結論だけを言う

調食 調体 調息 調意の順番なのに、いきなり瞑想しようとする。

 

 

金子みすゞ

 

自我の確立

無心

魂とつながっている自我意識   私が存在しなければすべては存在しない

自我意識はない、宇宙もない、すべては存在していない   すべては無い、けれども有る

この宇宙も時間も空間もあらゆる概念もすべては無い。けれどもすべては有る。という認識。

 

 

 

()を中心にすれば、この世の中の一切が魂の所産だという事が出来るし、物質的なものだという考え方をすれば、全部が物質的なものとして理解できる。心だと考えることも、物質だと考えることも、見方としては決して間違っていないけれども、一つの考え方の中で心と体とを別々にして、心は永遠だけれども体は滅びるという考え方をすることは仏道ではない。

しかるにこの唯一の実在に関して、体(物質)と心(魂)というものに分けて、我々の生き死にの生活と釈尊が説かれた幸福に満ち満ちた世界とを別々にすることがあってよかろうか。

私も、若いころ初めて「正法眼蔵」を読んだ時に、ここのところに来てビックリした。

それまでは、仏教というのは魂を尊重する考え方だとばかり思い込んでいた。

ちょうど私が二十歳を少し前、日本がこれからいよいよ大東亜戦争、第二次世界大戦に突入しようとして、国全体が精神主義に凝り固まっていた。

だから、個人の生命なぞは鳥の羽よりももっと軽い、お国のために尽くすことが大切だという事で一所懸命そういう考え方を朝から晩まで教えられた。

我々も「なるほど、そうかなあ」と思っておって「正法眼蔵」を読んだところが、いや、魂というのはそんなものじゃない、体と心は全く同じだと教えられてびっくりした。

それと同時に、仏教という考え方を勉強してみなきゃならんと思った。

当時、世の中の状況を見ると、各人、口で言う事は立派だ。

「お国のために尽くさなきゃならん」「物資は私物化したらいかん、すべて国に献納して」いう事を言うんだけれども、現実に国家の偉い人がどういう事をやっているかというと、あるべきでない物資がどんどん上流社会に入って行って、楽な生活をしていると言う様なこともあったわけです。

そうすると、「魂というのは本当に当てになるのかなあ」という考え方もせざるを得なかった。

そういう時にこの「物心一如」の考え方にぶつかった。

 

 

 

釈迦は、苦しんでいる人の役に立たない観念の遊戯に陥ることを良しとせず、身体とジーヴァ(命)の関係、如来が死後に存在するのかどうかといった問いは、解脱のためには意義のないものであり、問題として論じてはならない(無記)として、問われても答えなかった。[12]この十難無記をもって釈迦が死後を否定したとする説もある。

 

 

宇宙の進化をヒトの自我意識の進化よりも優先させる。

 

 

 

合理性

合理化が冷たいわけ

この世は常に変化する。あらゆる方向へ、あらゆる可能性へ。

すると予測することが難しくなる。

そこで簡略化するために合理化をつかって、現象の可能性をパターンとして捉えることで、変化を限定して、予測することを可能にさせる道具である。

多くの可能性があったのに、それを切り取るという行為を合理化と呼ぶために、可能性の芽を摘み取るこの行為が機械的でオートマティックで相手に寄り添わず、上から目線で、相手を踏みにじり、理屈で有機体の自然状態を抑えることなので、「冷たい」と感じられる。

 

 

 

 

 

合理化とはいろいろな可能性が現実に対して、

 

 

 

理性の優しさは、自分に向き合わない逃げ道

 

アメリカの中国に対する憧れ

 

パール・バック「大地」

ジェームズ・ヒルトン「失われた地平線」映画化

エドガー・スノー 「中国の赤い星」

ヘンリー・ルース タイム、ライフを創刊 親中・反日

  

ド=ゴールはアメリカの性癖をこう言った。

「自分の物質的な力に浮かれ、もはや自分の精力の充分なはけ口が自身の中にないと感じ、どこかで屈従の身にある者を助けたいと思い、支配欲をひそませた、あの干渉趣味。

 

 

 

解決策

逃げ場もなく、待ったも利かない時間の進行とどう折り合いをつけるか?

交通渋滞

「いま・ここ」に真剣に注意を向ける。

 

時間間隔

一直線の時間  いつも前進し続ける    過去・現在・未来

ある時間    ここにある        「いま・ここ」

 

「いま・ここ」   チベット語でシチャ 永遠の今

 

 

善悪をほとんど問題にしない時代        功利が価値の基準   利とは何か?

なぜそういう時代が生まれたかと言うと、昭和20815日以前までは日本の国には国家主義という一つの基準があったんです。ですから国家主義にかなうものは善であり、国家主義に反するものは悪であると、こういう基準があったから、明治維新以降昭和20年までは日本国内の考え方は善悪が非常に徹底しておった。

 

ところが昭和20年の8月15日に今までの基準は全部ウソだと、こういうことになったということは、国家主義の基準が全部崩れてしまったわけです。そのことは、善悪の基準は全くなかったということを意味するわけですから、そこで善悪の基準として何が残ったかと言うと、功利主義の道徳が残ったんです。つまり損をすることは悪であり、得をすることは善であると、こういう功利主義の考え方が昭和20年以降、国民の信仰として強固な形で今日でも生きているわけです。

 

そのことは、昭和20815日以降日本国民の99%までが唯物論者になったということを意味するわけです。唯物論の立場に立つならば、善悪の問題というのは全部損得の問題に解釈し直されるわけです。ただ善悪の問題を考えてみた場合に、損得だけで善悪の全てが説明できるかと言うと、これは本当の意味での善悪の説明にならない。ただ唯物論の立場からするならば、善悪は、すべて損得の立場で考えるべきものだという原則がありますから、今日私たちの社会思想は損をすることが悪であって、得をすることが善であると、こういう考え方で一切が運営されておると言っても間違いではない。

 

だから五億円を机の上に置かれた場合に「あ、ありがとう」と言って受け取るというふうなことも、昭和20年以降、日本国民の間に行われている倫理道徳観からするならば、一向に悪くないんです。倫理道徳の問題ではない。ただ日本に法律があったから、法律に引っかかるか引っかからないかということで問題になったというに過ぎないと、こういう問題があると思います。

 

 

 

自我を守る病

自我を守るためには自分の体も子供も犠牲にする。

 

心は病気    アルボムッレ・スマナサーラ長老 Alubomulle Sumanasara Thero

 

心は自分の偉さを実感している。

この生命は、自分がしたいこと、欲しいものを、死んでも手に入れてくれる。必ず言う通りに動く。

ということを体験して知っているから、「私が偉い。」と思っているのです。

 

人を簡単に壊す

自我すなわちプライドを決して認めずに、徹底的に傷つける。

相手の立場を壊す。

死ぬまで忘れないし傷つく。

 

精神的な病気は自分を守るカラクリ

競争して負けそうな時に、ココロが精神的な病気を作ることがある。

勝負をしたら自分の自信が消えるとわかったら、体や精神状態に異常を感じて、寝込んだり引きこもりになったりすることがある。

こうなると、「病気だからしょうがない」「競争したくてもできないのだから仕方がない」

こうやって自分のプライドをそのまま傷つけることなく守る方法です。

「私こそ偉い」という自我はそのままに保つことができます。

 

自分に自信がなくなって、うつ病になったとすれば、それは自分で自分の命を守っていることになります。

病気なのだから、私のせいではないという論理を作ることで、プライドを守っているのです。

どれも逃げです。自分を否定される事態から逃げているのです。

自分の体を犠牲に差し出してでも、自我の優越を守るために、目の前の事実を捻じ曲げて、妄想のストーリーを作り、それに同調するように、自分自身の意識に、自分の体に、周囲の人に強要する。

 

 

 

正義感と自律神経と相違点

「人間の理性は絶対だ、普遍妥当だ」と言う考え方を探る事が欧米の哲学思想の一つの基本。

欧米の思想では人間の体の状態がどうであろうとも、人間の考える事は正しいと言う主張があるわけです。

これは数学の様な問題についてはまさににそのとおりです。酒に酔っていてもそうひどく酔っていなければ、112で通用すると思います。ただそれと同時に自律神経がバランスしている状態とバランスしていない状態では、価値の判断について結論が違うと言う問題があります。交感神経が非常に強くなっていて世の中を批判的に見るという立場に立って生きている場合には、何を見ても批判が起きて腹が立つのです。そう言う考え方が正しいかと言うと、その人はそう思っているかもしれないが、世間一般に通用するかと言うと必ずしもそうとは言えない。

 

この世の中に不満を持って「あれもけしからん、これもけしからん」と言って、朝から晩まで腹を立てている方は意外にいるんじゃないかと思われます。その人達は自分自身では「私は正義感が強い」と思っている。ただそういう正義感が社会全般に適用する正しい判断かと言うとこれは疑問です。

 

釈尊はその事に気づかれた。

だから人間のものの判断も、自律神経がバランスしていないと正しいとは言えないと主張されたわけです。これが仏教哲学では非常に重要な特徴であります。

このものの考え方は、欧米思想の中では見つけにくい。欧米思想では体と心とは別ものだという考え方が普通です。たとえ体の状態がどんな状態によって正しさの判断がかわることです。

どちらが正しいかと言う事ではなしに、欧米思想の到達し得なかった領域に仏教思想は踏み込んでいる。

したがって今後欧米思想がさらに進歩発展を遂げるとするならば、仏教思想がとりあげている様な領域に入りこんでいかざるを得ないと言う事が現在の欧米の文化の実情だと思います。

 

 

 

 

自我意識とエゴ

自我意識はそれ自身で意味があり大事なことなのだが、それが増長するとエゴになる。

自分にしか通じないエゴのルールを他人に強要し始めると、もうどうしようもない。

自分のことをよく見ずに考えて判断してしまうと、とたんにエゴが出てきます。

強いエゴの塊になると、その人は柔軟性を失ってしまいます。

自我とは自分のことを気が付くことができない状態のことです。

つまりエゴの時には「確固たる私がいる」と信じて疑うことができません。

見たり、聞いたり、話したりする、変わらない自分がいる、存在していると思っている時です。

この状態では、瞬間瞬間に変わっていく環境に適応できなくなります。

これが精神的な病気になる原因です。

そして病気になると、「私はそういう病気だからしょうがない」と思うようにします。

体に病気がある時も同じように、○○病だからできないんだ、として自分を正当化します。

そしてますます精神的に弱くなります。

 

教育とはしっかりした人間をつくること。

両親、家族、親戚、地域の仕事。 みんなですること。

 

昔は現代ほど精神的な病気がなかった

自然の中で生きていたことで、「自然のルールを認める」ことをその人の意思にかかわらず生活の中でしていたから。

都会には都合の悪いことが少ないので宇宙のルールを認識したり、納得したりする機会がないので、これらを何一つ認めない性格になります。

台風、地震、死。

病気が見つかると、これも認められないので、都合よく治そうとします。

自然のルールがあるところでは、「悲しいけれど仕方がない」という心構えでした。

自分にはどうしようもない現象はそのまま受け入れることが、当たり前にできていました。

受け入れられないだけではなく、「自分の手でコントロールできる」と思って行動します。

するとモグラたたきのように、抑えると今度はほかのところに抑えたものが出てきてしまいます。

 

完璧にコントロールできるという高慢さと妄想をすてれば精神的な問題も存在しないのです。

 

 

ココロを慈悲にする

相手の立場を自己に投影してみる。

相手を他人ではなく自分として見る。

 

 

慈悲の瞑想

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

 

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

 

 

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

 

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

 

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

 

そして最後にもう一度、

 

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

 

 

 

 

智慧が育つと

「怒りと欲の激しい波」ではなく「落ち着いた静かな波」

失敗も成功も仏教から見れば大した変わりはないことが実感できる。

 

ヴィパッサナーとは

ヴィ     ありのまま

パッサナー  寄り添う、見守る、ココロの目で見る

洞察の瞑想

心地よいことでも不快なことでも、ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観ます。

排除という解決策は新たな問題が起きるだけです。

葛藤やストレスを除外したり、コントロールしたり、改善したりしてするのではなく、ただ気づいているだけです。

すると、波立っていた心の水面が穏やかになって、そこから深い智慧と洞察力が生まれてきます。

そして原始脳から操られることなく、大脳の活性化により疲れてしまうことなく、太陽光バッテリーが充電されるようにエネルギーが充満してきます。

その状態を見つめてみれば、安穏し、緩み、平和なココロの状態になっているということです。

 

実践方法は

スローモーション

実況生中継

感覚の変化を感じ取る  変化を解釈せずにただ感じるだけです。

の3つの原則を守ることが瞑想です。

 

キーポイントは自分の体に「気づいている」ことです。

気づくことは「わたし」が自己や自我すなわち思考や感情に囚われていない純粋な状態にいるということです。

また時間と場所と行動することが重要です。

最後に慈悲のココロでいることがこの状態を長く保つコツです。

慈悲とは、エゴを弱める秘密兵器です。私と他人の区別が薄まれば、それだけエゴは弱くなっているのですから。

 

気づくとなぜ穏やかになるのか。

穏やかになると智慧が生まれるメカニズムとは?

 

気づいているとは、「わたし」が脳幹に寄り添っている時の自分なので、「わたし」が大脳に寄り添うことで思考している状態でもないし、「わたし」が大脳辺縁系に寄り添うことで感情に支配されている状態でもありません。

固定化してしまった自己でも中に入り込んで操られている自我でもない、純粋な「わたし(観察者、スポットライトを当てる人、知る者)」でいられるのです。

この「わたし」の状態でいられることは、思考や感情に振り回されないで、静かに穏やかにいられるわけです。

 

では穏やかでいられるとどのように智慧は発生するのでしょうか?

智慧とは漢字では日(宇宙)の法則を知り、知識や思考を箒で掃うことを意味します。

穏やかになるとは、自分の中の感情や自動反応回路の条件反射や情報の判断をしていない状態のことなので、これまではココロの中の騒音で聞こえなかった宇宙の法則が感じられるようになるのです。

宇宙の法則はいつもあるのですが、微細で、繊細で、微妙で、幽玄なので、ココロの波が荒い時には気が付かないだけなのです。

 

パーリ語ではパンニャPaññāのことで、経典や師匠から教わるもの、大脳で分析して理解するもの、個々の己の体験から直接に獲得するものがあります。

大事なのは3つ目の直接の体験ですが、これも思考や感情がある時空ではそちらの信号や刺激や決めつけや習慣やルーティンや法則が強すぎて、ココロが穏やかな状態でないと生まれては消えていく微妙な変化の感覚を体験することができません。

 

 

頭の中のガラクタを片付ける

わたしたちは無意識の中に一瞬一瞬に入ってくる情報に対して評価という反応をしてしまっています。

これに莫大なエネルギーを使い、疲れ、思考が作り上げた世界の中で彷徨っています。

これらの思考や感情の自動反応回路をかたづけないと、智慧の入る場所がないので、成長することができません。

 

考えることで人はバカになる

人間がバカなのは考えるからです。

人の問題は考えること自体にあります。

思考とは妄想です。

思考をやめるとすごく穏やかに生きていけます。

 

 

 

 

 

 

分析による間違いの例

 

平成31年の常識:「味噌汁は高血圧に良い」

平成元年の常識:「塩分の多い味噌汁は、高血圧に良くない」だった。

 

〇平成元年の常識:「塩分の多い味噌汁は、高血圧に良くない」

平成元年の頃から、「塩分の多い味噌汁は、高血圧に良くない」と言われていましたが、30年後の「平成最後の年」には、こう変わった!

なんと平成31年現在は、逆に「味噌汁は高血圧に良い」と言われている。

 

〇平成31年の常識:「味噌汁は高血圧に良い」

なぜ、高血圧に良くないとされていた味噌汁が、逆に今では高血圧に良いとなったのか?実は、「味噌」の中に、「腎臓から食塩を出しやすくする成分」と「血管を広げて血圧を下げる成分」があるということが分かってきた。つまり、最近「味噌」には、血圧を下げる効果があることが分かった。

 

〇血圧を下げる効果がある「味噌汁でよく使われる具材」とは?

味噌汁に入れる具材の中で、高血圧の予防に効果があるモノは、「わかめ」、「じゃがいも」、「たまねぎ」、「かぼちゃ」の全部。「ワカメ」などの海藻類に含まれる「アルギン酸」という成分は、「塩分」と一緒になることで、体の外に排出する働きがある。そして、「じゃがいも」や「たまねぎ」、「かぼちゃ」に含まれる「カリウム」も、「塩分の吸収を抑える効果」がある。

さらに「平成最後の年」、より高血圧予防に効果的な「味噌汁の具材」が発見された。それが「レモン」。「レモン」を入れると高血圧への効果がより高まる。「レモン」に含まれる「クエン酸」、これが血圧を上げるホルモンを抑える効果がある。そして「レモン」に含まれる「レモンフラボノイド」という成分が、血管を柔らかくし、血流を良くしてくれる。

 

4)「平成元年」と「平成31年」の健康食材の差

「骨粗しょう症」に関する健康食材の差

(写真)

 

専門家:内山明好(パークサイド広尾 レディスクリニック 院長)

 

この差は…

平成31年の常識:「牛乳だけ飲んでいても、骨粗しょう症への効果は薄い」

平成元年の常識:「牛乳はカルシウムが豊富だから、骨粗しょう症にいい」だった。

 

〇平成元年の常識:「牛乳はカルシウムが豊富だから、骨粗しょう症にいい」

平成元年の頃から、「牛乳はカルシウムが豊富だから、骨粗しょう症にいい」と言われていましたが、30年後の「平成最後の年」には、こう変わった!

なんと平成31年現在は、逆に「牛乳だけ飲んでいても、骨粗しょう症への効果は薄い」と言われている。

 

〇平成31年の常識:「牛乳だけ飲んでいても、骨粗しょう症への効果は薄い」

最近の研究では、骨粗しょう症対策には、「カルシウム」だけではなくて、「マグネシウム」も必要だと分かった。つまり、骨を強くするには、「カルシウム」だけでなく「マグネシウム」も重要。実は「カルシウム」は、それだけでは骨に吸収されにくく、「マグネシウム」と一緒に摂ることで吸収されやすくなる。

 

〇牛乳からカルシウムを摂ろうとするならば、どうすればいい?

牛乳にも、マグネシウムの豊富な「抹茶」や「黒ゴマ」などを溶かして飲めば、骨粗しょう症に効果的。

さらに「平成最後の年」の現在、「カルシウム」と「マグネシウム」の両方を兼ね備えた「最強食材」が見つかった。それが「大豆」。

実は「大豆」には、100g中に「カルシウム」が180mg含まれており、「マグネシウム」も220mgと豊富に含まれている。また「大豆」に含まれる「イソフラボン」には、「骨の減少」を抑えてくれる効果もあるので、「骨粗しょう症予防」にはうってつけの「最強食材」といえる。

 

5)「平成元年」と「平成31年」の健康食材の差

「冷え性」に関する健康食材の差

(写真)

 

専門家:平柳要(食品医学研究所 医学博士)

 

この差は…

平成31年の常識:「冷え性に唐辛子は逆効果」

平成元年の常識:「冷え性には唐辛子がいい」だった。

 

〇平成元年の常識:「冷え性には 唐辛子がいい」

平成元年の頃から、「冷え性には 唐辛子がいい」と言われていましたが、30年後の「平成最後の年」には、こう変わった!

なんと平成31年現在は、逆に「冷え性に唐辛子は逆効果!」と言われている。

 

〇平成31年の常識:「冷え性に唐辛子は逆効果」

唐辛子に含まれる「カプサイシン」は、確かに体温を上げる働きがあるが、実は一時的に上昇させるだけ。「唐辛子」を食べることで一時的に体温は上昇するが、すぐに下がってしまう。「唐辛子」を食べると急激に汗をかくが、これは「カプサイシン」による反応。「唐辛子」を食べた時にかく汗は、暑いからではなく、「カプサイシン」が脳を刺激することで、「無理やりに、かいている汗」!

つまり、体温の上昇は一時的で、体はすでに冷えているのに、汗をかき続けてしまうため、「唐辛子」を食べる前よりも体が冷えてしまう。そのため、本来は夏など、体を冷やしたい時に「唐辛子」は効果的といえる

 

〇「平成最後の年」の現在「冷え性に効果的」だと言われている食材とは?

現在、「冷え性に効果的」だと言われている食材は、「生姜」。「生姜」に含まれる「ショウガオール」という成分は、「胃」や「腸」を刺激することで血流を促進し、体を芯から温める効果がある。ただし、食べ方次第で、この「ショウガオール」を全く摂取できない。

体温を上げる「ショウガオール」は、加熱することで発生する成分なので、「生の生姜」を食べても「冷え性」にはあまり効果がない。さらに、生姜を加熱する「温度」と「時間」も重要で、「ショウガオール」というのは、調理時間が長ければ長い程増えるので、30分くらいは80度〜100度の状態で保つことがポイント。

その条件をクリアした、冷え性にオススメのレシピが「生姜緑茶」。作り方は簡単、「1Lのお湯が入ったポット」に、スライスした「生の生姜」を、およそ35g入れて、30分程保温する。その「生姜湯」を使って、お茶を入れたら完成。

 

6)「平成元年」と「平成31年」の健康食材の差

「便秘」に関する健康食材の差

(写真)

 

専門家:松生恒夫(松生クリニック 胃腸科医 院長)

 

この差は…

平成31年の常識:「“硬い”バナナは食物繊維が豊富だから、便秘解消に効果的」

平成元年の常識:「バナナは食物繊維が豊富だから、便秘解消に効果的」だった。

 

〇平成元年の常識:「バナナは食物繊維が豊富だから、便秘解消に効果的」

平成元年の頃から、「バナナは食物繊維が豊富だから便秘解消に効果的」と言われていましたが、30年後の「平成最後の年」には、こう変わった!

なんと平成31年現在は、逆に「“硬い”バナナは、便秘解消に効果的」と言われている。

 

〇平成31年の常識:「“硬い”バナナは食物繊維が豊富だから、便秘解消に効果的」

「便秘解消に効果的」な食物繊維。バナナの場合、熟し度合いによって、食物繊維に変化が起きる。それでは、より食物繊維が豊富なバナナとは、どのようなバナナなのか?

食物繊維がより豊富なバナナは、「“硬い”バナナ」。バナナの硬さは、熟し度合いに比例している。木にバナナが実った時は、1番硬く、成熟するごとに柔らかくなっていく。食物繊維の量を比較したところ、成熟が進むに連れて、食物繊維の量が少なくなることが分かった。

「バナナ」の食物繊維は、熟すにつれ「糖分」へと変化し、減ってしまう。実際に「まだ青く硬いバナナ」と「熟した柔らかいバナナ」の食物繊維を比べてみると、なんと、「“硬い”バナナ」の方が2倍以上も食物繊維が多い。つまり、少し青みがかった、より「“硬い”バナナ」を選ぶことが便秘解消には効果的といえる。

 

7)「平成元年」と「平成31年」の健康食材の差

「貧血」に関する健康食材の差

(写真)

 

専門家:日笠志津(女子栄養大学 准教授)

 

この差は…

平成31年の常識:「ひじきには、そんなに鉄分が含まれていない」

平成元年の常識:「貧血には鉄分豊富なひじきが良い」だった。

 

〇平成元年の常識:「貧血には鉄分豊富なひじきが良い」

平成元年の頃から、「貧血には鉄分豊富なひじきが良い」と言われていましたが、30年後の「平成最後の年」には、こう変わった!

なんと平成31年現在は、逆に「ひじきには、そんなに鉄分が含まれていない」ことが分かった。

 

〇平成31年の常識:「ひじきには、そんなに鉄分が含まれていない」

現在、発行されている最新の「食品成分表」を見てみると、「ひじき」の鉄分量は、「平成元年」と比べて、なんと9分の1まで減った。

その理由は、現在の「国産ひじき」の場合、「生のひじき」を加工する際の釜の材質が「鉄製」から「ステンレス製」に変わったため。「生のひじき」は、えぐみが強いので、どうしても加工の段階で、数時間煮るとか蒸すなどの加工処理が必要になる。当時は、その加工処理を鉄釜で行っていたため、「鉄釜」から溶け出してきた「鉄分」が、「ひじき」の方に移り、鉄分豊富な食材になった。つまり、「平成元年」の「ひじき」に鉄分が豊富だった理由は、加工で使う「鉄釜」の「鉄分」が移っていたから!

しかし、劣化しにくい「ステンレス」の釜が普及した結果、「ひじき」の鉄分量はガクッと落ちてしまった。そのため、最新の「食品成分表」では、「ステンレス釜」の場合と、「鉄釜」の場合の「鉄分量」を分けて表記している。

 

〇「ひじき」はスーパーフード!?

「鉄分」が減ってしまい「貧血予防の効果」が薄くなってしまった「ひじき」。しかし、そもそも「ひじき」は、それ以外の栄養価がものすごく高い食材といえる。「ひじき」は、「鉄分」以外に「カルシウム」、「マグネシウム」、「カリウム」、「食物繊維」を多く含んでいるため、「高血圧」、「便秘」、「骨粗しょう症」に効果的な「スーパーフード」である。

 

 

 

今の健康常識は…

◯「睡眠のゴールデンタイム」は、「眠り始めてから最初の4時間」。

◯「寝つき」をより良くするには、寝る前に「冷たい飲み物」を飲み、エアコンで、寝室の温度を「他の部屋より1℃下げ」、タイマーなどで消さないようにする。

◯昼寝をするほうが、むしろ夜「寝つき」が良くなる。

◯「目覚め」をより良くするためには、10分前に「テレビ」や「ラジオ」のタイマーをかける。

◯「枕」や「マット」は、硬い方がいい。

最新常識をチェックして、良い「寝つき」と「目覚め」を!

 

◯「睡眠のゴールデンタイム」は何時?

体の疲労回復やお肌の新陳代謝を促す「睡眠のゴールデンタイム」。その時間帯は「午後10時〜午前2時」という睡眠の健康常識。実はこれ「昔の健康常識」で、今となっては、間違いだとわかった!

「今の健康常識」では、睡眠のゴールデンタイムに時刻は関係なく、「眠り始めてから最初の4時間」と、変わっている!

 

◯なぜ「睡眠のゴールデンタイム」は「午後10時から午前2時」と言われていたのか?

なぜ「睡眠のゴールデンタイム」は、「午後10時から午前2時」と言われていたかというと、海外のある研究機関が1991年に「睡眠時間と成長ホルモンの分泌の関係」を調べたところ、確かに午後10時から午前2時の間に「成長ホルモン」が多く分泌されていた。

しかし、そもそもこの実験は、寝る時間は午後10時〜午前7時に設定されており、最初の4時間に「成長ホルモン」が多く分泌されていただけだった!それが、いつしか「睡眠のゴールデンタイム」は、「午後10時から午前2時」と誤解されて広まってしまった。

 

◯「睡眠のゴールデンタイム」の新常識は「眠り始めてから最初の4時間」!

「成長ホルモン」の分泌は、時刻に関係なく、寝始めて最初の4時間が最も多い!つまり、午前0時に寝ると午前4時までが「睡眠のゴールデンタイム」ということになる。

 

◯【健康常識チェック】「ホットミルクを飲むと、寝つきが良くなる」は?

昔から睡眠の健康常識で、寝る前に「ホットミルクを飲むと、寝つきが良くなる」といわれていた。これは、今でも「正しい健康常識」なのか?それとも今となっては「間違った健康常識」なのか?

実は、この常識は、今となっては「間違った健康常識」。「今の健康常識」は、「ホットミルクを飲むとかえって寝つきが悪くなる」。

この常識は、専門家曰く、「たぶんですけど、赤ちゃんがミルクを飲んだら自然に寝ることから、あったかいミルクを飲んで寝ている様子をみて、大人もそうだろうと勝手に思い込んだのでは?」とのこと。でも赤ちゃんの場合は、ホットミルクが良いのではなく、お腹がいっぱいになったから寝ている」とのこと。つまり、科学的根拠は全くない。

 

◯なぜ「ホットミルクを飲むかえって寝つきが悪くなる」のか?

「ホットミルク」だけではなく、実は「アツアツの飲料」は、決して寝つきをよくするものではなくて、むしろ悪くするもの、ということ。

「睡眠」は、眠るときに、「体の内臓」や「脳」の温度を下げる。これ「深部体温」というが、この「深部体温」を下げることによって、「寝つき」がよくなる。簡単な例でいうと、よく冬山で遭難した時に体が冷えてくると眠くなってきて、よく「起こしてあげる」シーンがある。「寝るな!寝るな!」といったシーン。まさに「体が冷えてくると眠くなる」ということを表現しているといえる。

つまり、体を逆に温めてしまうと、「寝つき」が悪くなるということ。「温かい飲料」で、体を温めてしまうよりは、むしろ冷たい「冷えたドリンク」のほうが、「深部体温」を下げることができて、「寝つき」をよくする!ただし、「氷」や「冷たすぎる飲み物」は刺激になるので、「冷蔵庫の飲み物」、あるいは「常温の水」が良い。

 

◯「飲み物」だけじゃない!より「寝つき」を良くする方法とは?

さらに、「冷たい飲み物」だけではなく、寝室にある工夫をすることによって、「深部体温」が下がり、より寝つきが良くなる。

実は、寝室の環境っていうのが非常に大切!「寝室の温度」を、あらかじめ1℃だけ下げておくだけで、寝つきがよくなるとのこと。「深部体温」を少し下げてあげることで、良い睡眠を得ることができて、寝つきもよくなる。男性の方では25℃、女性の方では27℃くらいが理想的。

 

◯「エアコン」はつけっぱなし!?「切りタイマー」は使わない!

「エアコン」は、「朝まで絶対に消さない」がポイント!寝汗をかいて眠っているようであれば、それはもう「体」や「脳」が一生懸命体温調節しようとしている証拠。つまり、「脳」が眠れてないということ!

寝るときに、例えば「3時間で切れる」ようにタイマーかけて寝る方が多い。しかし、「絶対それは避けて欲しい!」とのこと。実際、「エアコン」のタイマーをかけて、「熱中症」とか「脱水症」の原因になる例も。「寝汗」をかいている状況は、運動しているのと同じで、「自律神経」が一生懸命頑張っているということで、非常に危険。特に高齢者の方では、夜の就寝の間に「熱中症」で亡くなる方も結構多いとのこと。

 

◯「寝つき」をより良くするためには?

夜、「寝つき」をより良くするためには、まず寝る前に、「冷たい飲み物」を飲む!さらに、寝室の温度を「他の部屋より1度下げ」。「エアコン」は、オンのままで、タイマーで消さないようにしておく!

 

◯【健康常識チェック】「昼寝をすると、夜寝つきが悪くなる」は?

昔から睡眠の健康常識で、「昼寝をすると、夜寝つきが悪くなる」といわれていた。これは、今でも「正しい健康常識」なのか?それとも今となっては「間違った健康常識」なのか?

実は、この常識は、今となっては「間違った健康常識」。「今の健康常識」は、「昼寝をする方がむしろ夜寝つきが良くなる」。

この常識は、実は、1時間以上長く寝てしまうと、夜の睡眠時間が短くなったり、寝つきが悪くなったりする。ポイントは、「30分以内の昼寝」。実際、「30分以内に昼寝をすると、むしろ夜、寝つきがよくなる」というデータもある。

 

◯【検証】本当に「昼寝をすると、寝つきが良くなる」のか?

今回、実際に「30分昼寝」をした時としない時では、寝付くまでの時間に、どれくらいの差が出るのかを、4人に睡眠状態に入ったかどうかを測る装置をつけてもらい検証。

1日目は、昼寝をせず。2日目は、午後0時から3時の間に「30分間昼寝」をしてもらった。まず1人目の方は、昼寝をしなかった1日目は30分かかったが、昼寝をした2日目は、なんと15分と半分に縮まった。2人目の方も、30分から、5分に縮まった。そして、4人全員が昼寝をしただけで寝付くまでの時間が短くなった。長短はあるが短くなっていることがわかった。

 

◯なぜ「昼寝をすると、寝つきが良くなる」のか?

夜、寝つきが悪くなる最大の理由は、「ストレス」。人間14時間、16時間くらいずっと朝から活動していると、かなり脳にストレスがたまってしまう。実は、「睡眠のリズム」を作っているのも、「脳」の一番の働きでもある。それが疲れてしまうと、「睡眠のリズム」が作れずに寝つきが悪くなってしまう。そのため、一度「昼寝」をして、「脳のストレス」を軽減させてあげ、睡眠のリズムを良好にさせることで、結果として寝つきがよくなるということ!

 

◯「昼寝」を効果的にする飲み物とは?

「昼寝」は、途中で「あと30分寝たい」と思っても、起きることが必要。ただ、起きた時に、体が怠いとか言うケースもよく聞く。そんなケースには、オススメ方法がある。

実は、寝る前に「コーヒー」を飲むことによって、昼寝をしてから30分後、スッキリと目覚めることができる。この「コーヒー」の中には「カフェイン」という物質が含まれていて、非常に強い覚醒作用を持っている。ただし、この作用が発現するまでに30分時間かかる。つまり、飲んですぐは寝ることができる。そして、30分後に「コーヒー」の覚醒作用が発現するため、パッと起きられるということ。

 

◯「寝つき」をより良くするためには?

夜、「寝つき」をより良くするためには、昼間、「コーヒー」を飲んで、5分以上、30分以内の「昼寝」をした方が良い!

 

◯【健康常識チェック】「90分の倍数で目覚ましを合わせると、スッキリ目覚めることができる」は??

昔から睡眠の健康常識で、「90分の倍数で目覚ましを合わせると、スッキリ目覚めることができる」といわれていた。これは、今でも「正しい健康常識」なのか?それとも今となっては「間違った健康常識」なのか?

実は、この常識は、今となっては「間違った健康常識」。「今の健康常識」は、「90分の倍数でもスッキリ目覚めるとは限らない」とのこと。

人は、浅い眠りの「レム睡眠」と、深い眠りの「ノンレム睡眠」っていうのを繰り返している。それを、そのまま「睡眠サイクル」と一般的に言われている。ある機関が、「睡眠サイクル」がどれくらい時間の切り替えをしているのか調べたら、平均的に言うと約90分くらいだった。そこから今、まことしやかに「90分周期」といわれている。

ところが、実際には、「個人差が非常に激しく」て、60分の方もいれば、120分の方もいる。さらに、個人の中でも、その日の体調によって、実は70分だったり、110分だったり、バラバラ。あくまで平均であって、「90分に合わせる」というのは、全くナンセンスとのこと!

 

◯「スッキリ目覚める」ためのオススメ法とは?

実は、「スッキリ目覚める」ためのオススメ法がある。まず、寝ているときに「目覚まし時計」の「アラーム音」や「大きな爆音」で目覚めるというのは、「強制覚醒」で、「驚かせて起きる」起き方。ただし、この場合、深い睡眠に入っている時に、いきなり起こされてしまうこともある。その場合、ビックリして、驚かされるため、非常に「恐怖心」を覚えて、「血圧」とか「心拍」が一気に上がってしまう。何より、「目覚め」が非常に悪い方法といえる。

そこで、「目覚まし時計」の代わりに、「テレビのタイマー」を使うことで、毎朝スッキリ起きることができるので、オススメ!「テレビの音」は、普段「寝室で聞かれているくらいの音」。大きな音での「強制覚醒」ではなく、「テレビの音」を聞かせると、ゆっくりとこうやって目覚めていくことができる。

起きたい時間の10分くらい前に「テレビのタイマー」かけると、その間、徐々に目が覚めていくので、自然に目が覚めることができ、「血圧」とか「心拍」の上昇も抑えられることができる。特に高齢の方には、オススメ!

 

◯なぜ「テレビの音だと毎朝スッキリ起きられる」のか?

なぜ「テレビの音だと脳が徐々に覚醒し、スッキリと目覚めること」ができるのか?大事なのは、実は「テレビから流れてくる会話」。この場合の「テレビの音」は、その決してボリュームを大きくして、物理的に起こしているわけではない。「朝の情報番組」などは、「自分に関心、興味のある話題」を提供してくれる。興味関心があればあるほど、耳の機能はちゃんと生きているので、頭の中に入ってきて、どんどんどんどん、自然に目が覚めていく。そして、会話を聞き取ろうと、徐々に脳が覚醒していくのが、実は大切。そうした点で、「会話」というのが非常に重要といえる。

 

◯【検証】本当に「テレビのタイマー」でスッキリ起きられるのか?

今回、1名の方に、「アラーム」を使った時と「テレビのタイマー」を使った時の差を検証。

1日目は、アラームで起きたてもらう。この時は、このように深い睡眠の時に無理やり目覚めた「強制覚醒」。被験者の方も「ああ起きなきゃって感じで、スッキリではない感じ」とのコメント。

2日目は、「テレビのタイマー」を使って起きた時は、徐々に覚醒し、およそ10分後にスッキリと目覚めたことが分かった!被験者の方も「自然と目が覚める、みたいな感じで、良かったです」と感想を語っていた。

 

◯「テレビ」がない場合は?

寝室にテレビがない場合などは、「歌詞の入ったボーカルの音の入った歌」をタイマーセットする方法もある。ポイントは、「歌詞がしっかりと聞き取れるような曲」が良い!

 

◯「目覚め」をより良くするためには?

朝、「目覚め」をより良くするためには、「目覚まし」は「90分の倍数」で合わせるのではなく、起きたい時間の10分前に「テレビ」や「ラジオ」のタイマーをかけたり、「スマホ」などで「ボーカル入りの音楽」のタイマーをかけることで、徐々に脳が覚醒し、スッキリと目覚めることができる!

 

◯【健康常識チェック】「枕やマットは自分の体にフィットするものがいい」は?

昔から睡眠の健康常識で、「枕やマットは自分の体にフィットするものがいい」といわれていた。これは、今でも「正しい健康常識」なのか?それとも今となっては「間違った健康常識」なのか?

実は、この常識は、今となっては「間違った健康常識」。「今の健康常識」は、「枕やマットは硬い方がいい」。

 

◯なぜ「枕やマットは硬い方がいい」のか?

これまでは、「枕」や「マット」が硬いと、「体に悪い」、「首がゆがむ」、「体がこる」等といわれることもあった。しかし、実際には「硬いマット」を使われている方のほうが、「寝ている途中に目が覚めにくい」というデータがある!逆に、寝た時にフィットする「枕」や「マット」は、かなり柔らかい場合が多いが、実は「寝返りができない」場合が多い。その結果、「熱がこもって」しまい、「夜中に何度も目が覚めてしまう」。

さらに、「マット」を硬くすることで、深い眠りを得ることができる!実は、「寝がえり」は、一晩のうちに、だいたい10回から20回くらいする。「寝返り」は、血流を維持したり、あるいは「体温を放熱させる「深部体温」を下げるうえで、非常に重要!よって、「やわらかいマット」を使って寝る時は、どうしても熱がこもって、「寝つき」が悪かったり、「深い睡眠」を得ることができないということ!そのため、是非、「硬いマット」を使うのが、ポイント!

 

◯「枕」や「マット」を選ぶ時のポイントとは?

「枕」や「マット」には、「低反発なモノ」と、様々なタイプのものがあるが、選ぶ際は、「体が沈みこみすぎず、しっかりと寝返りをサポートしてくれるモノ」を選ぶのが良い!

 

◯なぜ「低反発」な「枕」や「マット」が良いと言われてきたのか?

専門家は、「沈む感じが気持ちいい」や「やわらかいのが気持ちいい」等の快適性が理由ではないか?と分析。ただ、最初は良いが、「低反発」だと沈み込んでしまって、寝返りした時に「へこみ」がまだ残ってしまっていることがある。すると、「寝返り」した時に、違和感があるのでオススメしない。「枕」は、「高反発」がオススメ!

 

◯ホテルでの「枕」や「マット」の対応方法とは?

「ホテル」などで、「枕」が「フワフワ」だけの場合は、「バスタオル」を重ねて使うかたちでもOKとのこと。

 

今の健康常識は…

◯「お酒を飲む前に牛乳を飲んでも、酔いにくくはならない」。

◯「ちゃんぽんをすると酔いやすくなるわけではなく、アルコールを取り過ぎてしまう」。

◯「しじみ汁はお酒と一緒に飲まないと効果はない」。

一番酔いやすい飲み方は「炭酸割」!

 

◯胃に膜ができるから「お酒を飲む前に牛乳を飲む」と酔いにくい?

胃に膜ができるから「お酒を飲む前に牛乳を飲む」と酔いにくいという、お酒にまつわる健康常識。実はこれ「昔の健康常識」で、今となっては、間違いだとわかった!

「今の健康常識」では、「お酒を飲む前に牛乳を飲んでも、酔いにくくはならない」と、変わっている!

 

◯なぜ「お酒を飲む前に牛乳を飲むと酔いにくい」と言われていたのか?

そもそも、昔は、「牛乳」を飲むことで、「胃」に膜が張られ、アルコールの吸収が遅くなり、酔いにくくなると言われていた。確かに、「牛乳」を飲むことで、「胃」に薄い膜ができることもあるが、最新の研究では、そのような「膜」は、すぐに剥がれてしまうと、分かっている!

しかも、アルコールのほとんどは、「胃」でなく、「腸」で吸収されるので、「胃」に膜ができたところで意味がない!

 

 

◯お酒は「ちゃんぽん」で飲むと酔いやすい?

お酒は「ちゃんぽん」で飲むと酔いやすいという、お酒にまつわる健康常識。実はこれ「昔の健康常識」で、今となっては、間違いだとわかった!

「今の健康常識」では、「ちゃんぽんをすると酔いやすくなるわけではなく、結局ちゃんぽんをすると、アルコールを取り過ぎてしまう」と、変わっている!

 

◯なぜ「お酒はちゃんぽんで飲むと酔いやすい」と言われていたのか?

確かに、体内で混じり合って化学反応を起こして、悪酔いするなどと言っている人がいるが、実はこれには全く根拠がない。

お酒を飲まれる方の多くは、例えば、ビールならジョッキ5杯とか、自分である程度、どれくらいようか目安を知っている。

つまり、ビールだけだと、自分は本来だったら、ビールは5杯までとか決めていた方でも、そこにワインを飲んだ、焼酎を飲んだなど足していっちゃうと、計算ができなくなっていって、目安が分からなくなり、結果的に酔って、飲みすぎてしまう。「ちゃんぽん」が悪いわけではなくて、自分の目安がわからなくなってしまうということ。

お酒をちゃんぽんで飲むと、酔いやすくなるが、それは、「複数の種類のお酒が体内で混ざる」ことが原因ではなく、「どの位、アルコールを飲んだか」が分かりづらくなり、普段より、多く飲んでしまうことが原因!

 

◯お酒は、どのように飲むかによって、酔い方が変わってくる?

実は、「水」や「炭酸水」などで、割って飲むことの多い「梅酒」や「焼酎」、「ウイスキー」などのお酒は、どのように飲むかによって、酔い方が変わってくる!

 

◯一番酔いやすいのは、どの飲み方とは?

「焼酎」や「梅酒」を飲む際に、どの飲み方が、「一番酔いやすい」か?「A 水割り」、「B 炭酸割り」、「C ロック」。全部アルコール濃度は一緒で、アルコール量は同じとして測る。

正解は、「B 炭酸割り」。

 

◯なぜ、「梅酒」や「焼酎」、「ウイスキー」などは、「炭酸割り」で飲むと、酔いやすくなる?

それでは、なぜ、「梅酒」や「焼酎」、「ウイスキー」などは、「炭酸割り」で飲むと、酔いやすくなるのか?

まず前提として、全て、アルコールの量が同じであることが基準。アルコールの量が同じ場合、「炭酸割り」が一番酔いやすいのは、炭酸に含まれる「二酸化炭素」に血管を刺激して拡張し、血流を良くする効果があるため、アルコールと一緒にとると、アルコールが脳へ到達するまで時間が早まり、酔いやすくなってしまう。

 

 

◯「二日酔い」の朝は「しじみ汁」を飲めばスッキリする?

「二日酔いの朝はしじみ汁を飲めばスッキリする」という、お酒にまつわる健康常識。実はこれ「昔の健康常識」で、今となっては、間違いだとわかった!

「今の健康常識」では、「しじみ汁はお酒と一緒に飲まないと効果はない」と、変わっている!

 

◯なぜ「二日酔い」になってしまうのか?

「アルコール」が体内に吸収されると、「肝臓」へと送られて、「アセトアルデヒド」という物質に分解される。実は、この「アセトアルデヒド」は、有害なので、「肝臓」は「アセトアルデヒド」をさらに分解し、害のない「酢酸」に変え、その「酢酸」が、血管に入り、体中をめぐっていく。

しかし、お酒を飲みすぎてしまった場合、「肝臓の代謝する能力」を超えてしまうと、「酢酸」への分解が間に合わなくなる。そのため、分解されない有害な「アセドアルデヒド」が、体をめぐり、「脳」にまわることによって、「頭痛」とか「吐き気」、「気持ち悪さ」といった、いわゆる「二日酔い」という状態になる!

 

◯なぜ、「二日酔い」の朝に「しじみ汁」を飲んでも効果が無いのか?

それでは、なぜ翌日、「二日酔い」になった朝に、「しじみ汁」を飲んでも効果がないかというと、「しじみ」に含まれている「オルニチン」が、「肝臓の機能」を高めて、「アセドアルデヒド」の分解を高めてくれる。ただ、もう「二日酔い」になっている時点で、飲んでもあまり意味がない!

「肝臓」で分解している最中に「しじみ」をとれば、ある程度分解の手助けをできるけど、血管をまわっているときに、「肝臓」の手助けをしたところで、もう遅いということ。

 

◯お酒と一緒に「二日酔い」を軽減してくれる食べ物とは?

実は、「居酒屋さん」で よく見るおつまみの中には、「しじみ汁」のように「お酒」を飲む時に一緒に食べると、「二日酔い」を軽減してくれる食べ物がある。

まず「玉子焼き」には、「二日酔い」を軽減する効果がある!「玉子」には、「Lシステイン」という成分が多く含まれていて、この「システイン」には、「アルコールを分解する酵素」を活性化する作用がある。「二日酔い」の根本的な原因の「アセトアルデヒド」を分解するという効果がある。

次に「枝豆」には、「二日酔い」を軽減する効果がある!「メチオニン」という成分がアルコールの分解を促進して、これは肝臓の負担を軽くして「二日酔い」を軽減することができる。

「焼きそば」には、「二日酔い」を軽減する効果がない。「焼きそば」は、基本的に「塩分」が多く「脱水状態」になりやすいので、あまりお勧めできない、強い効果はないといえる。

「唐揚げ」には、「二日酔い」を軽減する効果がある!「揚げ物」は、「脂分」を非常に多く含んでいるので、「腸」でなかなか吸収されず、「腸」に止まっている時間が長くなる。そのために、「お酒」を飲んでいる時に一緒に食べることで、アルコールの吸収スピードは遅くなる。

「チーズ」には、「二日酔い」を軽減する効果がない。「チーズ」は、食べ過ぎることによって、「チラミン」という「頭痛」を起こすようなものがある。

そのほかにも、アルコールを飲むときは、「キャベツ」や「ミックスナッツ」、「タコ」や「トマト」なども、アルコールの分解を助けてくれるので、是非お試し下さい!

 

 

都会文明人の陥る罠

 

 

何もしなくても変化はしています。

あとはそれを受け入れるか、受け入れないかは個人の選択かと感じます。

 

 

 

環境の変化や自分の変化を受け入れる感度が下がる場所がこの世にはあります。

厳しい自然がないところ、先進技術界隈、自己(思考、理念、感情、自動反応回路、妄想、合理性)を大切にする人

 

逆に受け入れやすいところがあります。

都会の都合が通じないところ、自然と関わる伝統的な職業、多くの人とコミュニケーションをとる環境、体。

ですから必要な状況を把握して、TPOを生かすのが楽しいかな、と思います。

この世は、自分は、細胞は、どれも常に変化し続けていますから。

 

 

環境だけではなく人類の変化を知り、人の未来を予測し、それをデザインするには、無意識の自動反応回路を軸にしてプログラミングするのが、わかりやすくて確実である、と思っていますが如何でしょうか?

五感器官からの信号を元にしたデータから因果関係をみつけて法則化するのが科学の方法論ですが、2千年前からその限界は説明されています。

 

科学の限界と欠点の一つは

データが取れることを基盤にしているので、取れないものには関心が向きません。 たとえば、なぜ生きるのか?

私は何をしたいのか?何を生きがいにするのか?

あらゆる可能性をAIのように羅列してくれますが、答えはくれません。

またもう一つの欠点はデータ採集の途中で因果関係を出してしまうことです。

ですから科学は新しいデータが出てくるたびに発展する、と皮肉を言うにとどめておきます。

医療品の歴史のように充分なデータがとれていないのに期間と予算と名声と自動回路が肩を押して、まずは結論を飛躍して出してしまう。

暇人や金持ちは情報を更新できますが、一般人にとっては、もっと統計の確率が高くなるまではやめてほしいものです。

情報を更新しない一般人の自業自得とも言えますが、専門家に弱く、傷ついて損をするのはいつも庶民ですから。

 

原始脳に操られて正当化して自分自身に騙される大脳皮質

私たちの五感の信号は、意識にあがる前にココロ(ここでは大脳辺縁系)に都合がよいようにすでに勝手に編集されているということです。

 

ですから私たちが見聞きしているものは現実と違うのも一部の常識になっているのでしょう。

脳の把握とは、目の前の常に変動している現状を仮に静止させて固定化するというフィクションでしか、プロセスが進まないことも認識学の初めの章に書かれている事柄です。

そして心理学を指摘しているように、ヒトは原始脳(大脳辺縁系、脳幹、小脳など)とも呼ばれる脊椎動物脳の命令(信号)を大脳は無視することができず、まるで支配されているかのように、現実とは違うデータを原始脳の要求に合わせて合理化しているのが大脳の働きです。

理性的なはずの大脳は表面的には合理の皮をかぶっていますが、実際には原始脳の指令に合わせてそれを支持する屁理屈をカタチにしているにすぎません。

これが大脳の働きである正当化の現実です。

 

大脳は「命とは脆いもので、死ぬことは生きるよりも簡単で、死は確実に起こり、環境(水、空気、食物)と関係を断つと生命体は死ぬ。」ことを理解しています。

ところが原始脳(大脳辺縁系)からの指示は「生き続けること」。  

どうやって不死を獲得するとか、どうやって死を遠ざけるか、死の原因を回避する方法とか?の無理な指令に対してなんとか理由を作り出して合理化することで、やっとひとまず落ち着くことができます。

しかし、これは表面的だけのことです。大脳は矛盾が嫌いで受けつけられないので、二つの間の葛藤でストレスは発生し続けます。

原始脳の指令を忠実にこなそうとする人は、このストレスに大脳は耐えようとしないので、そのうち大脳みずからが作り上げたストーリーを信じるという戦略をとります。

部分的にしか通用しない理論を全体にも適応させて過剰一般化することで、大脳自身を騙すことを選択しています。

騙されているのならば、悪意はなかった、とか知らなかった、と子供じみた言い訳ができますから。

 

目の前にある事実を見るのをやめて法則に依存することで、原始脳の手を抜くというアバウトな効率化のプログラムに従っているからです。

相手の気持ちや環境の変化には関心がないので、狭いTPOにしか通用しない因果関係を全体にまで広げて法則化(一般化)するのです。

 

たとえば正規分布図についても同じことで、確率論を基準にすることで、現実の現象をパターン化することで現実とは違うグラフにまとめることができます。

しかしこれは現実を後から説明しようと努力しただけなので、そこに論証はないのです。

それが証拠にこのグラフを証明できる理論は存在しません。

たとえば日本の17歳の男子の身長は正規分布曲線に近いが、女子では誤差が多く、30歳の男子では綺麗な分布図にはなりません。

また体重の分布は、正規分布曲線は通用しません。どちらかというガンマ分布曲線の方が近いといえるでしょう。

しかしこれらについて論理的に説明している学術論文を私はお目にかかったことがありません。

https://macasakr.sakura.ne.jp/pictures/image1589.jpg

 

あるのはこのグラフのカタチを苦心して数式化したものだけで、何の根拠もなく、この数式の意味を説明できる人はまだこの世にあらわれていません。もしご存じでしたらご教示ください。勉強します。

 

法則に依存する文明の特徴は執着です。執着をすることで安心できるのではないかという誤りです。

そこにはまず渇望があります。

原始脳にプログラミングされている簡略化のシステムが働き、いつも欲しがっている「法則(原始脳が手を抜くために過去に学習したことから作り上げた一時的なモノ)」を優先させる欲です。

次にそれを大脳がカタチに、すなわち合理化することで正当化できると思って満足する人が何十パーセントかいるだけです。

それ以外の人は、細部にわたる検証には関心がないので、何かを強く主張している人に反対するのも面倒なので、聞いたふりをしているか、騙されたふりをしているか、もしくは根拠もなくなんとなく信じているだけです。

 

 

原始脳には現実ではありえない神話の世界を信じる感情や欲望があります。

自分は特殊な環境にいないのに、人類史上初めての発見、世界支配、セレブ、超能力、神のお告げ、神の方程式などなどを求めてしまう脳の働きです。

この原始脳に大脳が影響を受けてしまうと、理性的に働くべき大脳がただの合理化という正当化を行うだけになり、生きている意味を実感することができなくなります。 

大脳の本来の働きを自らが壊しているのです。

こうなると原始脳に支配されているこの社会といってもいいでしょう。

 

 

自我という錯覚が必要な理由  

諸行無常を理解するためには諸行無常ではないものを基準にすればいい。

常に変化してデータを一束にまとめるためには基準点を必要とする。

基準点を主体にすることで、外側にある現象を観察することができるようになる。

これが自我という仮定の基準点をあえて構築する理由です。

虚構の自我の存在を信じてしまうのならばそれは錯覚だが、信じないのであれば自我は役に立つツールである。

仮のカタチでしかない自我を固定化させることで主体の基準点にできるのはメリットだが、デメリットは、自我自身が無常であることを理解できないことである。

原始脳には無常が理解できる機能がないので問題はないが、大脳にとっては無常の現実を無視するのは楽なことではない。

無常を否定するたびに、大脳はストレスになって委縮する。

 

大脳はありのままに情報を知ることができるが、存在欲を司る原始脳をあやすためには、データを捏造したり、合成したりする。

自我は目の前にある現実を「ありのまま」ではなく、原始脳が望み、それを無意識のうちに大脳が合理化したカタチを経由して認識する。

なぜならば原始脳の怒りや恐怖の電気信号がひとたび流れると荒波が立ち、ありのままにみることができる大脳影響を受けて、その機能を発揮できないからである。

だからいくら知識が増えたとしても真理は体感することはできず、色眼鏡を外さない限りは、自分が見たい色にしか現象を見ることができない。

 

欲や嫉妬や怒りの感情が大脳を染める。

「気づく」ことで波を荒波から穏やかな波に変化させる。

大脳はこれらのことを気づいたり、気づかなかったりする。

そこで直ちに気づけるように訓練が必要となる。

気づくことで原始脳からの影響を防ぐことができる。

ただ気づき続けているだけで、感情や思考が起動しないように脳ははじめからプログラムされているからです。

スポットライト(注意、カーソル、観る人、観察者)は一時には一箇所しか当てることができません。

ですから荒波である自我や自己が立ち上がってきません。

 

 

罪も悪もすべて、大脳が原始脳の脅しで大脳自身を正当化した結果

大脳は、正当化する前には葛藤や忍耐の時間を持つことができるが、一瞬の誘惑や脅しには耐えられない

 

 

原始脳も大脳も臓器であり、肉体である以上には以下の欲がある

欲愛(Kama tanha)という、肉体は常に刺激を欲しがり続けるという本能と、

存在欲(Bhava tanha)という、細胞はその刺激に依存する本能である。

大脳辺縁系が常に存在欲の電気信号を流し、それが自動反応回路によって感情となり、それらが大脳皮質に影響を与えている。

悪感情を早く取り除かないと、大脳はそれに慣れてしまい、悪感情があることが当然と感じて習慣化してしまい、しまいには大脳のまじめで優等生の性質が加わってその悪感情を持ち続けることも義務だと判断してしまう。

こうなると大脳は悪事までも「正当化する」という作業をするようになる。

そして、欲、怒り、嫉妬、憎しみを弁護しはじめる。この弁護という理由付け、正当化は大脳の管轄。

まずは「だって」からはじまり、結論は「悪いのは相手や社会や肉体(自分の外側)である」で終わる。

こうして罪も悪も大脳とよって存在することになる。

 

大脳の本来の仕事は細胞を生かすこと。

それなのに正当化を始めてしまうと、逆に自分(細胞の集合体)が生きることが難しくなるように働いてしまう。

 

 

 

 

 

ここでもう一つの議題は、生きる戦略です。

人を馬鹿にすることで生きていけるのならばそのようなことがあってもいいかと思っています、私は関心がないし、他者にも勧めはしませんが。

しかし、それがその本人が自分の首を真綿で締め付けるように徐々に苦しくなっていくのであれば、それが身近な人であれば私は一言だけでも言っておきたいと思います。

しかし自覚しているのならば私は何も言いません。

 

 

「悟る」という基準で生きるのも一つの方法です。

基準を持つということは、そこにはヒエラルキーができるので、上に立つのが好きな人には、自分が優位に立てる「基準」は大好物です。

 

悟るにもメソッドがあります。

つまりステップがあるのです。野球をするにも、ストレッチ、走り込み、キャッチボール、練習試合というように順番があるように。

 

悟るにも道があり、順番の間違いは自分を苦しめるだけです。

 

道のプロセス

まずは精神(ココロ、mind)と肉体を分離させ、  痛みと自分を同一視しない訓練。

Mindから感情とKNOWERを分離させ、      感情と思考と「観察者」が同一でない訓練。

感情の原因が存在欲であることを理解し、      感情の根底にあるものを探索する訓練。

その存在欲とは貪瞋痴の3つがあることを分析し   気づき続けることでそれが活性化しない訓練る。

中層意識にある渇愛、怒り、無明を分離させる。 

 

1精神と肉体を分離させるのは頭では簡単ですが、実践するのは簡単ではありません。

数時間も坐っていると足が痛くなりますが、ちゃんと分離できていないと、痛いと思って足を組み替えることになります。

2ココロと感情と観察者を分離させるのも、実践するのは簡単ではありません。

一つのことに注意をずっと張り付けていないと観察者は現れないからです。

3そしてやっと感情の根底にある「存在欲」に対面することができます。

4貪瞋痴の3つがありますが、まずは取り除くは「執着」です。

先に渇望(欲望)からはじめてしまうと、生きる意欲がなくなって、この先の道を進むことができなくなるからです。

5次にSELFと言われる自己意識です。これを解体します。

6その次にゾウリムシも持っている自と他を区別する自意識の解体です。

この時にやっと渇望を完全に取り除かれることになります。

この後にも「分ける」こと自体の解体など「道」は続きますが、大事なのは、先に欲望(渇愛)に手を付けてこれを減少させようとしても、それは自己満足になるだけで、効果がないばかりか、ブレーキとアクスルを同時に踏むようなものなので、自分自身を傷つけることになります。

 

 

精神的な病気は自分を守る正当化とそのカラクリ

競争して負けそうな時に、ココロが精神的な病気を作ることがある。

勝負をしたら自分の自信が消えるとわかったら、体や精神状態に異常を感じて、寝込んだり引きこもりになったり仕事をやめたり架空の世界の住人になることがある。

こうなると、「病気だからしょうがない」「競争したくてもできないのだから仕方がない」

こうやって自分のプライドをそのまま傷つけることなく守ることができます。

「私こそ偉い」という自我はそのままに保つことができます。

 

自分に自信がなくなって、もしウツ病になったとすれば、それは自分で自分の命(自我)を守ってくれているとも言えます。

病気なのだから私のせいではない、という論理を作ることで、プライドを守っているのです。

うつ病までにはいたらなくても、自我のプライドを守るために、自分で気がつかないうちに身体やココロの不調をいつも口にします。

どれも逃げです。自分を否定される事態から逃げているのです。

自分の体を犠牲に差し出してでも、自我の優越を守るために、目の前の事実を捻じ曲げて、妄想のストーリーを作り、それに同調するように、自分自身の意識に、自分の体に、そして周囲の人に強要しています。

 

自我意識とエゴ

自我意識はそれ自身で意味があり大事なことなのだが、自分にしか通じないエゴのルールを他人に強要し始めると、もうどうしようもない。

自分のことをよく見ずに、ただたんに考えて判断してしまうと、とたんにエゴが出てきます。

強いエゴの塊になると、その人は柔軟性を失ってしまいます。

自我とは自分のことを気が付くことができない状態のことです。

つまりエゴが強い時には「確固たる私がいる」と信じて疑うことがありません。

見たり、聞いたり、話したりする「変わらない自分」が存在していると思っている時です。

この状態では、瞬間瞬間に変わっていく環境に適応できなくなります。

これが精神的な病気になる原因です。

そして病気になると、「私はそういう病気だからしょうがない」と思うようにします。

体に病気がある時も同じように、○○病だからできないんだ、として自分を正当化します。

そしてますます精神的に弱くなります。

 

昔や田舎では現代や都会ほど精神的な病気がなかった

自然の中で生きていたことで、「自然のルールを認める」ことをその人の意思にかかわらず生活の中でしていたから。

都会には都合の悪いことが少ないので宇宙のルールを認識したり、自然のルールに納得したりする機会が少ないので、これらを何一つ認めない性格になりがちです。

たとえば地震、台風、大雨、組織、家庭、老い、死。

病気が見つかると、これも認められないので、都合よく治そうとします。

自然のルールがあるところでは、厳しい自然は死は「悲しいけれど仕方がない」という心構えがはじめにあります。

自分にはどうしようもない現象はそのまま受け入れることを、当たり前にするしかないのです。

都合の悪いものが受け入れられないだけではなく、それらを「自分の手でコントロールできる」と思って文明人は行動します。

するとモグラたたきのように、問題の箇所を抑えると今度はほかのところに抑えたものが出てきてしまいます。

完璧にコントロールできるという高慢さと妄想を捨て去れば、精神的な問題などは存在しなくなるのですが、これには気づかず関心がありません。

 

まずは認識を疑い、思考の限界を知るのが一つの方法かと思います。

 

 

 

 

理論と現実の誤差について考える〜正規分布とベキ分布〜

金融取引の世界を見ると、「100年に1度の危機」と言われる大規模なマーケット変動が数年ごとに起こっている。

私たちはブラックスワンの存在に怯えながら、日々ポジション管理を行っている。

確率論に支配される正規分布の世界では、平均や変動、分散、標準偏差などの概念を使ってシミュレーションを行うと、平均からの距離に基づいて一定の確率で標本が分布していることがわかる。

その一方で、私たちが住んでいるこの世界はベキ分布に基づく複雑系世界である。

地震を例に考えれば、プレート同士がぶつかり合う活断層地帯では、私たちが体感できないような微小地震が頻発している。そして、ある日突然、東日本大震災のような壊滅的な地震が起きる。

正規分布を基にリスク管理を考えると、微小地震の寄与率があまりにも高すぎて、震度1にもカウントされないようなところに標本数が多く分布することになる。

つまり、正規分布の中心に標本数が最も多く分布するということだ(参考:「正規分布」)。

ところが、マグニチュード8とか9といった巨大地震が起こると標準偏差σ±23の想定域を一気に突き抜け、σ±56といった大規模な変動が起こる。


現実世界では、標準偏差が想定を超える事象が稀に起こる、しかし平均の位置は変わらないままだ。

山を崩し、谷を埋めれば、すべての事象は平均化され、標本の持つ本来の個性が失われてしまう。

標本の中には、想定を超えるブラックスワンも隠れている。

稀に起こる想定外の事象をいかにしてリスク管理に組み込むか?

さて、この問題、どう解決したらよいのだろうか。


【正規分布とベキ分布】

sd

画像引用元:「Metrology: The Science of Measurement

正規分布はあくまでも、金融モデルをわかりやすい関数に置き換えて考えるための空想の確率モデルにすぎない。当然、現実の世界に当てはめて考えた場合、そこには必ず誤差が発生する。

というよりも、これはこれでどうしようもないことなのだが、問題なのはこの「誤差」だ。

株式や為替でも、マーケットの95%の変動については正規分布で説明できるような変動に収まるものの、残りの5%が壊滅的な大打撃を投資家に与えてしまい、めったに起こらないと言われている標準偏差σ±3でさえも遥かに上回る桁違いの変動が、マーケットの世界では数年ごとに見られる(少し前の事例としてはアジア通貨危機、ITバブル崩壊。最近の事例ではサブプライムショック、リーマンショック、東日本大震災、など)。

この時までは、マーケットに参加していた多くの投資家たちは、95%の確率(いわゆるσ±2)ではコツコツ利益を得ていたものの、残りの5%の大きな相場変動によって、今までの利益を一気に吹き飛ばすような莫大な損失を被ったと思う(※95%の確率でコツコツ利益を得る商品とはオプションの売りのこと)。

実は、正規分布の欠点はこの5%の部分にある(正規分布の概念を用いた指標に「ボリンジャーバンド」があるが、開発者であるジョン・ボリンジャー氏も実際の説明度は90%弱であると言っていた)。  

「初期の金融工学では、原資産の価格変化率の分布が対数正規分布に従い、裁定機会が存在しないなどの仮定の上で、オプションの理論価格を導くことができた(ブラック・ショールズ方程式)。

あくまで、数学的に扱いやすいから正規分布としている。

この段階での金融工学の理論は、時間が明示的に入っているため動学的ではあるが、実際の価格変化率の分布は正規分布ではなくパレート分布(ベキ分布)に従うため、現実的なモデルとはなっていない。」


(「経済物理学の発見」より)


上記の引用は、いわゆる「正規分布」を前提としている「金融工学」に関する批判というか限界の指摘なのだが、経済物理学の世界では、金融マーケットは「ベキ分布」に従うとされている。[1]

また、 

95%を占める小さな変動は、ランダムウォークの理論に近い変動なのですが、大きなスケールでの為替の変動にはほとんど寄与していないのです。

金融工学で中心的な役割を担っているブラックショールズのオプションの公式はノーベル賞の対象となり有名ですが、市場の変動を単純な確率モデルで近似して捉えているのは、この95%の小さな揺らぎの部分だけです。

一番大事な大きな変動の部分をすっぽり無視してしまっていることになりますから、
金融の現場では、この公式をそのまま使っている人はいません。

(「経済物理学の発見」より)

 

では、ベキ分布とはいったいどんな分布のことを言うのだろうか?
 

【ベキ分布】
 

以下の分布図を参照していただきたい。

 

cauchy_distribution
x0
:分布の最頻値を与える位置母数
γ:半値半幅を与える尺度母数


これは一見すると、正規分布のようにも見えるが、「正規分布」ではなく、ベキ分布の一種である「コーシー分布」と呼ばれる。

正規分布とは根本的に大きな違いがある。詳しい説明は、【期待値が定義されない理由】を参照いただきたい。

簡単に言えば、標本の「中心値(μ)」や「最頻値」は存在するものの、「算術平均」や「分散」の概念が存在しない。

それゆえに、データ分析を行う際、正規分布のように「分散」や「標準偏差」を算出するにはかなり強引な手法であるということだ。

ベキ分布のわかりやすい例としては、
 

「岩石に衝撃を与えて破砕するとその破片の大きさの分布はベキ分布になることが知られている。
ガラスのコップを固い床に落として割ったときに出来る破片も同じ。
大きな破片はほんの数個で、中くらいの破片はかなりの数になり、小さな破片は無数にある。

目に見えないような小さな破片の数はさらに多くて、顕微鏡で拡大してみても同じような分布が観察される。顕微鏡でも見えないくらいのほこりのような破片の数が最も多いので、1つずつの破片の大きさの平均値を求めると、事実上ゼロになってしまうのです。

破片の大きさの標準偏差を計算すると、今度は小数の大きな破片の寄与が無視できなくなり、非常に大きな値になる。
何桁も大きさの違う破片が混在しているのですからゆらぎの幅を表す標準偏差が大きな値になるのは当然といえる。」
 

つまり、ベキ分布では「平均はゼロの値をとり、標準偏差は非常に大きな値となる」ということだ。

なるほど、考えてみればインターネットの世界も同じようなものではないだろうか。

GoogleFacebookYahooAmazon...

膨大なアクセス数を誇る巨人がわずかに存在していて、無数のガラスの破片のようなほとんどアクセスのない(私のブログのような)サイトが膨大に存在していることがわかる(参考:AlexaThe top 500 sites on the web」より)。

これは、インターネットの世界では、検索エンジン、ポータルサイト、ソーシャルネットワークといった巨大な中継点(ハブ機能)を中心に、無数のサイトがぶら下がっている仕組みだからであろう。

確率論を基にした正規分布の世界では、身長1.7メートルくらいの人間を平均として、1.6メートルと1.8メートル、1.5メートルと1.9メートルのように分布が広がっていくのに対して、ベキ分布化する複雑世界では、身長1メートルくらいの小さな人間がほとんどを占めるのに対して、身長2メートルとか3メートルの人間が稀に存在しているということになる。

インターネットのような複雑世界は、ベキ分布に従って分布がなされていることがおわかりいただけるだろう。
 

 【まとめ】

株価変動や為替変動の分布も、「ベキ分布」に従うと考えられる[2]。マーケットの変動は、小さな変動が圧倒的に多く、大きな変動は少ないものの、実際のマーケットの世界では、大きな変動は、「正規分布」の場合に比べてかなり多く発生する

ボリンジャーバンドを逆張りで使っている投資家の方は、「バンドラインを超えたのに、移動平均線になかなか戻って来ない」という経験があると思うのだが、つまるところ、ベキ分布に近い分布をする実際のマーケットでは、理論として使っている正規分布との間に誤差が生じてしまうのが原因ということになる[3]

もし、誤差が小さければ、もっと勝率は高くなっているはずだからだ。

たしかに、考えてみれば、標準偏差という数字は、正規分布に対して非常に良くできている。

というより、むしろ話は逆で、正規分布に都合よくあてはまる数字として標準偏差が選ばれたというのが実情なのだろう(参考:「正規分布」)。

そう考えると、「正規分布」ではなく「ベキ分布」に従うとされる実際のマーケットでは、「正規分布」をもとに設計された金融工学の考え方でリスク・リターン分析をすること自体に、もはや限界が生じているのでは?と思ってしまう。

ただし、マーケットは「正規分布」を前提とした、「金融工学」によって作られた多くの方程式によって影響を受けていることもまた事実であるから、その意味では、標準偏差を基にしたボリンジャーバンドを逆張りに使うのも、ある意味では有効だろう(参考:「ボリンジャーバンド」)。

これを全部「ベキ分布」の仕組みに作り直したら、想像もつかないような大変な作業になると思う。

まず、「ベキ分布」に当てはめるもの(「正規分布」でいうところの「標準偏差」)を見つけて、「正規分布」→「標準偏差」→「分散」→「変動」→「偏差」→「平均」のように、前提条件を逆算して全部見直さなくてはならないからだ(参考:「統計学基礎まとめ@」)。

この意味がおわかりだろうか?

「正規分布」そのものの考え方を否定してしまうと、「標準偏差」の概念はもちろんのこと、金融取引に用いられる「分散投資」「ポートフォリオ理論」など、今まで私たちが常識だと信じていた概念そのものを根底から否定することになってしまうということだ。

で、どうするのか?

ベキ分布には「平均」や「分散」の概念が存在しないのだが。

「平均」や「分散」の概念を使わずにどうやってマーケット分析をするんだろうか??

それとも「平均」や「分散」の概念を前提としているマーケット分析がそもそもおかしいということなのか???
what
これ以上のことは、私にはわからない...


理論と現実の誤差について考える〜科学とエセ科学】へ

 

[1] [2] 正確に表現すれば、マーケットは「ベキ分布」にもならない。
[3] 
ボリンジャーバンドの場合、「トレンド相場」ならば「順張りが有効」で、「レンジ相場」ならば、「逆張りが有効」と言われているが、それは結局のところ、後になって見ないとわからない。これは間違えやすいのだが、株価が95%「収まる」のではなく、「95%」収めているといったほうが正しい表現だと思う。バンドラインは後から被せているにすぎない。この点を理解できていないと逆張りで痛い目を見ることになるので注意のこと。
 

(参考:高安 秀樹「経済物理学の発見」光文社,2004年)
(参考: ジョン・アレン・パウロス「天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方」ダイヤモンド社,2004年)
(参考:ベノワ・B・マンデルブロ、リチャード・L・ハドソン「禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン」東洋経済新報社 ,2008年)
(参考:マーク・ブキャナン「歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学」早川書房,2009)

 

 

 

 

 

 


部品の寸法のバラツキ、或いは学内試験における点数のバラツキに関して、正規分布が使われますが、正規分布とは一体何なのでしょう。

ためしにウィキペディアで調べてみると以下の様に書かれていますが、これを読んで分かる人は、恐らく誰もいないのではないでしょうか。

確率論や統計学で用いられる正規分布(せいきぶんぷ、英語: normal distribution)またはガウス分布(Gaussian distribution)とは、平均値の付近に集積するようなデータの分布を表した連続的な変数に関する確率分布である。



たとえば試験結果を集計すると、何故この様な釣鐘状の形状になるのでしょうか?

恐らく大多数の方は、いよいよここから難しい説明が始まるのだろなと期待されるのでしょうが、残念ながら答えは非常に簡単で期待外れのものです。
そしてここが正規分布の本質なのです。

答えを言いますと、実は誰にも分からないのです。
そして下にある正規分布に関する難しい式も、何とかこの釣鐘状のカーブを計算で求めようとして、長年数学者達が苦労して導き出したものなのです。
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