アインシュタインの誤謬

 

 

神はサイコロを振らない

 

アインシュタインの相対性理論は、数式の考察の過程で0次元の点の大きさしかないブラックホールの中心や宇宙の始まりには適応しないと分った。

 

その問題点に気づき、解決の糸口を掴みかけた一人がロシアの若い天才ブロンスタインだった。彼は貧しい家庭に生まれ、独学で物理を勉強した。彼は19歳で当時の殆どの物理学者が理解していなかった相対性理論と素粒子の数式を完璧に理解した。そして、二つを合わせて計算すると矛盾が生じることに気づいた。

 

その解決の糸口を掴みかけた31歳の時、突然、ソヴィエトの秘密警察に逮捕された。そして彼は銃殺され、遺体は森の奥に密かに埋められた。その真相は今も謎だが、神の数式の解明はソヴエトに綻びを生じさせる危険思想に繋がると、スターリンに邪推されたからと言われている。

 

物理学の天才はアインシュタインを含め独学が多い。それは教えてくれる教師のいない未知の世界を行く学問だからかもしれない。

 

相対性理論と素粒子の数式の矛盾の解決へは、長い年月、多くの学者によって続けられ、その中の優秀な物理学者シャークは自殺してしまった。

 

しかし、困難な解明はシュワルツとグリーンによって粘り強く続けられた。

ある日、彼らが相対性理論と素粒子の数式を結びつけようと計算していると、重要な計算結果に突然、完全数496が現れた。完全数496は古代ギリシア人が天地創造の神の数字としてあがめていた神秘的な数字だ。この496が計算結果に現れたその時、実際に雷鳴が響き、そこに神の存在を実感したと彼らは話していた。

 

--完全数とはその数自身を除く約数の和がその数自身と等しい自然数のこと。例えば完全数6は、約数の和は1+2+3=6だから完全数となる。

 

その完全数496を数式に当てはめてみると相対性理論から素粒子の数式まで矛盾なく氷解して答えが現れ、超弦理論として神の数式に近づいた。

 

超弦理論とは物理学の仮説の1つ。 物質の基本を小さな0次元の点粒子ではなく、超対称性を持つひものような一次元の弦と想定したもの。別名、超ひも理論と呼ばれている。この理論形成にも南部陽一郎は重要な役割を果たしている。この仮説の解明には、これからも多くの天才たちのひらめきや共同作業が必要で、その努力は終わることなく続きそうだ。

 

しかし、なぜ、古代ギリシア人は完全数496を宇宙創造の数と直感したのか。先端物理学が、古代ギリシアの神々と繋がることに神の意志のような深い真理を感じる。湯川秀樹が仏教に帰依していたように、なぜか物理学者の多くが、研究を極めるにつれ宗教に帰依する。完全数496が象徴するように、宗教や哲学と物理学の間には人の根源に関わる深い関係があるのかもしれない。

 

天才たちが導き出した理論はどれも、常人の理解を遥かに超越している。

50年前、テルアビブ大の天才物理学者ヤキール・アハラノフと量子力学の祖ボームが共に予言した「アハラノフ・ボーム効果」など、とてつもなく不思議な世界だ。それによると、時間は遠い未来の宇宙の終末から現在へ逆に流れて、今の宇宙を形作っているらしい。過去から未来へだけでなく、未来から現代へも時間が流れているとは、実にロマンチックだ。

 

現代物理学が神の数式を見つけた、と拍手したのは、我々凡人の早とちりかもしれない。すでに天才物理学者たちは、その先に更に広大な未知の世界を予感していたはずだ。物理学の天才たちが宗教的になるのは、人の小ささと限界を直感しているからかもしれない。

 

 

驚くのは、宇宙の誕生のビッグバンの始まりは原子より小さな極小の点であったことだ。想像を絶する広大な宇宙が一点から始まるとは、いくら考えても理解し難い。

それは、我々が認識できる4次元の思考で考えているから1点に見えるだけのことで、実は宇宙の始まりは10次元の世界だと説明されている。

 

次元が無数にあること以上に驚くのは、マルチバース=多元宇宙論の概念では、我々が属しているような宇宙が少なくとも10500乗個は生まれたと想定されていることだ。それら膨大な宇宙の殆どはダークエネルギーが大きすぎて、ビックバン直後、急速に膨張して星は生まれなかった。

反対にダークエネルギーがほとんどなく引力を持つダークマターが多すぎると、宇宙は収縮しブラックホールになった。

我々が属する宇宙は膨張エネルギーのダークエネルギーが程よく少なくてゆっくりと膨張し、物質を集めるダークマターが程よくあったので星が生まれた。

 

その貴重な我々の宇宙もやがて全ての星が燃え尽きて冷たく凍りつくか、あるいは、粉々に素粒子までに分解されてしまう。だとすると我々の属する今の宇宙は、広大無辺な大宇宙から見れば砂粒ほどに小さく貴重な存在となる。

 

確かなことは、大宇宙は人の思惑のために存在しているのではない。

人としては宇宙は再生を繰り返す、永遠な存在であってほしい。

しかし、宇宙は人の痕跡を完璧に消し去り、暗黒の闇のまま永遠に眠り続けるかもしれない。

いずれにせよ、我々はとてつもなく貴重な一瞬に生きているわけだ。

 

 

 

 

日本生命倫理学会冊子、2013年の表紙。

パンと水とリンゴは命を、

虹と空に浮かぶ卵は智慧を象徴するものとして描いた。

 

宇宙から見れば限りなく0に近い存在の人が壮大な宇宙を考える。

そして、宇宙を認識している自分が消えれば宇宙も消える。

この矛盾を解決する方法として、人は神を想定したのかもしれない。