環境活動家のウソ八百
「沈黙の春」レイチェルカーソン著 の隠れた意図
人間の力で自然をねじ伏せることによる弊害が目についてきた時代背景ではタイムリーな本ではあったが、内容は一面的な記述が多く有った。ワニのメス化やDDTや食物連鎖など。しかし現状におけるDDTの必要悪、食物連鎖などに関係性が薄い人たちの存在や生き方などには言及していない。もししていても読者は自由に誤読できるので、都合の良いところだけにスポットライトを当てて換骨奪胎してしまうのだが。
著者の憤慨が社会への警告という形で現れたことにより、この本を多くの組織に逆利用させてしまう結果を招いてしまった。
また「正しさ」「善意」「真面目」「優秀」「誠実」「救い」を売り物にしているインテリ層がこの本を盾に「悪」をみつけてそれを「改善」するという行動に出たために、死者をうんだ。
「必要悪」の必要性、「毒と薬は量の違い」「善と悪の相対性」についての理解を深める教訓とし、怒りや警告や緊急事態といった手法は、逆利用されることを再認識する機会でもある。
インターネットのブログより抜粋 http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-119.html
私はわりとダマされやすい人間のような気がします。もちろん、イージーモード(常識的知識があれば対処出来る)の創造論やホメオパシーなんかにはダマされませんが、ノーマルモード(本などの解説はあるがやや専門的なトピック)やハードモード(現在進行中の問題で誰も答えを知らない)になると頼りない限りです。このブログもずっと捕鯨問題にフォーカスしていましたが、振り返ってみれば最初は私も日本に流布する通俗的捕鯨観を信じており、捕鯨に反対しているのは一部のエキセントリックな外人だけと思っていました。調査捕鯨の科学的意義に疑問を持った後も、捕鯨文化論はまだしばらく信じていました。その後ようやく、文化論も広告会社によって作られた歴史という事を理解しました。(参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-96.html)
平行して私はレイチェルカーソンの「沈黙の春」は間違っていたという話を信じていましたが、これもまたダマされていたようです(オレスケスらの「Merchants
of doubt」で解説されているのでノーマルモード)。どうにもおさまりが悪いので、私が「沈黙の春」に懐疑を抱くきっかけとなった記事をもう一度見直してみます。
「沈黙の春」の検証が進まない不思議な国ニッポン
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)の危険性をいち早く訴えたと世間では評価が高い「奪われし未来」(原題:Our Stolen Future)が出版されて、今年で10周年だという。わざわざ“世間では”と書いたのは、米国の科学者団体が最近出したこの10年の総括が、痛烈な内容だったからだ。同様に、40年以上前の名著 「沈黙の春」(Sirent Spring)もこの数年、欧米では批判の的。ところが、日本ではそんな見直し論はさっぱり紹介されない。議論のないヘンな国、ニッポン……。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
最初にこう書かれると、まるで「沈黙の春」に対する批判が一般的であり、それに同調しないものは非科学的で「ヘンな」人であるかのように思ってしまいます。なにしろライターは農業関係に造詣の深い人ですから。「欧米では批判の的」。もしそうなら科学誌にも記事があるはずですが、そんなに批判されてるかな?今の時点で検索すると、アグリ話よりも後に出てきたもので、WHOがマラリア対策にDDTの使用を決めたことを報じている記事が目につきます。WHOの決定はカーソンへの批判をうけてのものでしょうか?
DDT is back: let us spray!
Weissman, The FASEB Journal 20:2427-2429 (2006)
http://www.fasebj.org/content/20/14/2427
「沈黙の春」が最も多くの人を殺した本であるとする新聞記事を冒頭に引用して、WHOがマラリア対策のDDT散布にゴーサインを出したことを歓迎する一方で、レイチェル・カーソンは正しかったし、もし彼女が生きていればWHOの決定を積極的に支持しただろうとも述べています。また、チフスを例に、こうした病気は所得や教育といった社会的要因が大きく影響するとも。
Health agency backs use of DDT against malaria
Mandavilli, Nature 443: 250-251 (2006)
ネイチャーのニュース記事にはレイチェル・カーソンへの批判は特に書かれていません。WHOがDDTを再び使用すると決めたことと「沈黙の春」にどういう関係があるのでしょうか。
これを受けて、米国がEPA(環境保護庁)を設立するなど各国は農薬への規制を強化し、DDTなども使用禁止となった。しかし、欧米の研究者やメディアの間では最近、「どうも違うよ」ということになっているのだ。大きな理由は、次の二つである。(1)DDTの評価が誤っている(2)農薬など化学物質が、それほど生物に蓄積していない
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
また欧米か。
(1)DDTの評価の誤り 「沈黙の春」出版後、各国はDDTを禁止した。その結果、何が起きたか?発展途上国でマラリア感染が爆発的に増えてしまった。例えば、スリランカではDDT使用開始以前は年間280万人もの患者がいたのに対してDDTが使われていた1963年には患者は110人にまで減少した。しかし、使用禁止後の68年には再び100万人もの患者が発生し、現在も患者は年間200万人を超えるという。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
「沈黙の春が世に出てからDDTは規制された」「スリランカではDDT使用中止の後、マラリアが急増した」この二つは事実ですが、ここから直ちに沈黙の春のせいでスリランカのマラリアが増えたと結論できるでしょうか。こう言うと論理学みたいですが、私は現実のものごとが論理学的にどうこうというよりも、事実の捉え方や、事実と事実の関連が大事と思っています。スリランカのマラリア流行が「沈黙の春」の影響を受けてのことかどうかはすでに論じられていました。カーソンとは無関係という見方です。
マラリアとDDTとWHO
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/27558673.html
WHO(世界保健機構)によれば、マラリアにかかる患者は世界で年間3億人。そして、100万人以上が死亡しその多くが体力のない子どもだ。マラリアを媒介する蚊にもっとも効くのがDDT。ほかの農薬は、蚊が耐性を獲得しやすく、すぐに効き目が薄れるのだという。また、WHOなどは蚊帳を使うように呼びかけているが、蚊帳になじみのない国も多くなかなか普及しない。そのため、発展途上国の一部では現在も、DDTがマラリアを防ぐ「特効薬」として使われ続けている。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
農薬として大量に使用されたDDTは耐性蚊を1950年代には生み出していました。その後も耐性蚊の報告は続きます。最近のでは、室内散布だけでも蚊がDDT耐性を獲得するのではないかという議論すらあるようです。
Multiple Insecticide Resistance: An Impediment to Insecticide-Based Malaria
Vector Control Program.
Yewhalaw et al. PLoS ONE
6(1): e16066. (2011)
また、DDTの室内散布の効果を充分なものにするためには住民の理解と適切な行動が欠かせません。こうなると蚊帳を奨励する努力と大して変わらないのではないでしょうか。DDTさえ撒けばマラリアを防げるという単純な話ではないはずです。
一方で、英国の医学誌「The Lancet」は05年8月27日付けでDDTに関する総説を掲載した(ウェブサイトで登録すれば、無料で論文を読める)。ヒトへの発がん性を示す確たる証拠がないこと、神経系や内分泌系への影響も実験結果がさまざまで、はっきりしたことがまだ言えないことなどを書いている。つまり、「『沈黙の春』は、真実ではない恐怖を煽ってDDTを禁止させ、大勢の子どもの命をマラリアで失わせたのではないか」という批判が、浮上しているのだ。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
確かにRoganらによるランセットの総説は健康への影響を断言していません(参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-116.html)が、DDTが有害という報告と、そうでないという報告が混在している現状を鑑みれば、健康被害の可能性はあるのだからDDT散布は健康調査とセットで慎重に扱うべきという話です。都合のいい所だけ切り出した直後に、「沈黙の春」のせいで大勢の子どもがマラリアにかかって死んで行ったのではないか、と言われるとまるでランセットの総説が沈黙の春を批判しているように見えます。
英国の新聞「Gurdian」で、関連記事が読める。このほかのメディアも取り上げており、私が見た中には「Rachel Carsonの生態学的大虐殺」という見出しの記事まであった。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
わざわざ扇情的な見出しを紹介し、間接的にレイチェル・カーソンを攻撃する手法です。今起きている原発事故の報道に対する姿勢とは正反対です。
一番肝心なのはレイチェル・カーソンが「沈黙の春」を発表したこと、DDTが禁止された事と、マラリアの蔓延に直接の関係があるのか?ということです。マスコミの扇情的な報道に流されてはいけません。公衆衛生や社会学の専門家は何と言っているのか?「沈黙の春」が多くのマラリア患者の死の引き金というのが事実なら、科学と政策決定を論じる上で非常に重要な事例となります。
前掲のブログで論じられているとおり、DDTの使用停止には時期や場所ごとの理由があり、これらを全て「沈黙の春」のせいに単純化することは出来ません。イタリアなどでマラリアを撲滅出来たのは社会の豊かさがDDTの効果を十全たらしめたからで、薬剤散布だけではマラリア根絶には不十分です。DDTの効果を引き出すためにはそれなりのインフラが必要なのです。Roganらによるランセットの総説でも、貧困こそがサハラ以南の乳幼児死亡の主たる原因であり、DDTが唯一無二の解決策ではない事が指摘されています。オレスケスらの「Merchants of doubt」によれば、サハラ以南のDDT散布は効果がなかったために1969年に中止されています。ちなみに米国でDDTが禁止されたのは1972年です。
(2)農薬など化学物質は、それほど生物に蓄積していない 昨年、CDC(米疾病管理センター)が、米国民の尿や血液から検出された148化学物質をリストにして発表した。99-2000年の調査結果で、DDTをはじめとする農薬は、検出されないか検出されても微量。多かったのは鉛とコチニン(ニコチンの代謝物)だった。もちろんこれは、「沈黙の春」などの警告に基づき、化学物質管理が進んだ結果でもある。ただ、「沈黙の春」が、化学物質を排出したり分解したりする生物の機能を軽視し過ぎたことは否めない。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
「生物に蓄積していない」といいつつ、挙げるのは人間のデータだけですか。この記事が発表された2006年の段階でも、野生動物を対象にした調査で、海獣類ではそれほど減少していないという報告を見つけられます(一方で鳥のDDT蓄積量が減っているという報告も確かにある)。PCBやDDTの蓄積を懸念する報告が複数ある以上、「農薬など化学物質は、それほど生物に蓄積していない」というのは楽観的すぎるのではないでしょうか。アグリ話発表以降のものもいくつか見てみましたが、一部ではまだ注意が必要なようです。
Contamination status of persistent organochlorines in
human breast milk from Japan: Recent levels and temporal trend
Kunisue et al., Chemosphere 64: 1601-1608 (2006)
福岡で行われた調査では1998-2004年の間で母乳中のDDTなどの量は減っておらず、おそらく魚介を通じて継続的にこれらの化学物質が取り込まれているのだろう、と。また母乳を介して、特に第一子にこうした化合物が蓄積するとも。
DDT strikes back: Galapagos sea lions face increasing health risks
Alava et al., AMBIO 40: 425-430 (2011)
こちらの方は査読を経たものではありませんが、海洋生態系の上位に位置する海獣類が海洋汚染の指標となること、こうした海獣類の研究が、環境保護活動などの関係者に科学的助言を行えることを論じています。日本から大量の放射能が海に流れ出している最中ですが、有機化合物と放射能の違いはあれ、環境中に放出された汚染物質が生態系の中でどういう挙動をとるか、興味深いところです。
英国の学術誌「Outlooks
on Pest Management」05年12月号も、「毒性のある化合物の負荷について、摂取と排出の動態的なプロセスではなく、生命の終焉のように印象づけた」と「沈黙の春」を批判している。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
Outlooks on Pest Managementの論文はこれですね。
Reviewing some origins of pesticide perceptions
Krieger, Outlooks on Pest Management 16: 244-248 (2005)
Google scholarによる被引用件数は2012年4月の時点でも3で、お世辞にも多くはありません。マニアック過ぎます。5頁の論文の中で挙げられているリファレンスはたったの14。Krieger論文には「DDT」と「Rachel
Carson」の段落が設けられていますが、カーソンのどこが間違っていたのか、具体的な研究との比較はありません。それに肝心の「Silent spring」が参考文献の中に入っていません。これが本当に「沈黙の春」批判の体裁をなしているのでしょうか?まるで学術誌が特集を組んで「沈黙の春」を批判したかのような印象を受けましたが、実際にはKriegerの単なる個人的信念の表明にしかみえません。こっちの方がカーソン攻撃の体裁は整っています。
DDT: A case study in scientific fraud
Edwards, Journal of American Physicians and Surgeons 9 : 83-88 (2004)
ただ、上のようなものを見つけるのは結構苦労します。たぶん、現在のマラリア対策をまじめに論じたら「沈黙の春」に言及する必然性がないからでしょう。
問題なのは、そうした批判がさっぱり聞かれない日本の状況だ。欧米でこんなに批判が巻き起こっているというのに、日本ではメディアがそのことを紹介しない。相変わらず環境問題のバイブル扱いで、農薬は悪と思い込んでいる人が多い。わずかに、日本の専門紙「新農林技術新聞」が今年5月5日号で、「沈黙の春に疑問符 農薬などへの評価新展開」として前述のCDCリポートや学術誌を紹介している。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
また欧米か。これで何度目?日本で修正主義に与するものがあまりいないというのは喜ばしい事です。
『踊る「食の安全」〜農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)を上梓したので、関心のある方は手に取っていただきたい。多岐にわたる内容で、素朴に、でも深く、農薬の真の姿に迫ったつもりだ。今回紹介した「沈黙の春」批判も書いた。どれほどよいものでも、批判と議論が起きないのは不健全だ。微力ながら一石を投じたいと願った。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/
真っ当な批判ならともかく、不当にゆがめられた事実に基づく攻撃に何の健全性もありません。
自分が読んで信じた記事は、要するに、一部の意見が主流であるかのように見せかけ、自分の主張の根拠に本来使えない資料さえ根拠として使い、都合の悪い事実は無視して、不当にゆがめられた事実をもとに定説を攻撃するという、修正主義テクニックの見本みたいなものでした。「レイチェル・カーソンは「沈黙の春」を書いて農薬の毒性を訴えた」という程度の知識しかない私に、あれこれもっともらしい話をちりばめて「沈黙の春」への疑いを抱かせる。まさに歴史修正主義の手口です。
カーソンへの攻撃は「俺たちの活動を規制すると人が死ぬぞ」という化学業界のこけ脅しです。マラリア根絶よりも、カーソンへの攻撃が最優先事項だからこそ、rachelwaswrong.orgというドメインを臆面もなく使うのでしょう。「DDTの適切な使用はマラリア防止にある程度有効」というマイルドな言い方では彼らは満足できないのです。なぜなら「沈黙の春」のせいで多くの子ども達が死んだという事にしないと、「環境保護のために産業活動を規制すると人が死ぬ」という考えを社会に浸透させられないからです。「原発を止めると弱者が死ぬ」という話とまるっきり同じです。DDTに一定の効果はあるものの決してマラリアの特効薬ではないのと同様、原発さえ動かしていれば弱者を救えるということはありません。(というか原発が稼働していた時の日本てそんなに弱者に優しかったの?)
歴史修正主義者が自国至上主義の信念を持っているのと同様に、カーソンを攻撃する科学者もある信仰に基づいて行動しています。その信仰とはたぶん、科学技術の発展が人間の生活を豊かにしてきたという科学技術直線進歩史観です。旧き迷妄の神々を討ち滅ぼした科学と理性の神に彼らは仕えているのでしょう。あるいは共産主義の悪魔を倒した自由主義経済の神なのかもしれません。彼らは現代の社会が持続可能なものではないという事実をウソという事にしたいから、酸性雨や気候変動に懐疑を呈し、環境保護論者を軽蔑するのです。グールドによれば、進化論を根拠に人種差別を推進したのは社会主義者と社会民主主義者であったそうですが、進歩的な考え方が妙な方向に行く点はよく似ています。
彼らは彼らの理論を、人間の現実に基づいた理性的で科学的な社会を実現するための先兵と考えていた
スティーブン・グールド著「ダーウィン以来」より
うっかりダマされないために何をするべきだったかといえば、地道に話の裏を取る位しか思いつきません。あるいは、懐疑の対象となっているものを自分が本当に知っているのか自問してみるか(私は「沈黙の春」を読んだこともなければDDT使用中止の背景も知らなかった)。知識が中途半端だと、まんまと術中にはまるのでしょう。進化論攻撃や歴史修正主義は、出所がそもそも専門家でないので相手の足もとを見ればいいだけですが、サウンドサイエンスはそれなりの専門家が出所なので、専門家への信頼が裏目に出ることもありそうです。誰だってダマされたくもなければ間違いもしたくはありませんが、今後も心もとない限りです。ここでみたのは、大部分は科学的に正しいことを言う人が、たまに自分の信仰に無自覚なまま垂れ流してしまう非科学的なことを、受け取る側が科学的事実と思ってしまう例かもしれません。
マラリアと「沈黙の春」についてさらに詳しくはこちらへ
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-131.html
6月23日 追記
上で紹介したEdwardsの論文についてですが、「Merchants
of doubt」のConclusionに雑誌Journal of
American Physicians and Surgeonsについての記述がありました。Merchants of doubtの原文では"Journal of Physicians and Surgeons"となっていますが、1)"Journal
of Physicians and Surgeons"という雑誌は検索する限りで見当たらない事と、2)WikipediaのAssociation of American Physicians and Surgeonsの記述がMerchants
of doubtの解説と一致することから、"Journal
of Physicians and Surgeons"=Journal of American Physicians and Surgeonsと考えて間違いないでしょう。
「懐疑の商人」やウィキペディアによれば、Journal of American Physicians and Surgeonsは、HIVとエイズの関係や人為的気候変動に懐疑を投げかける論文を載せるような、保守系団体の息のかかった雑誌です。「レイチェルカーソンのせいでマラリア蔓延」という話は、こうしたひも付きの雑誌にしか載らないという事です。
また、松永氏や畝山氏がネタ元とするACSHは、サウンドサイエンスを推進すると言明し、「レイチェルカーソンのせいでマラリア蔓延」という詐術をもって執拗にカーソンを攻撃しています。「ジャンクサイエンス」は「サウンドサイエンス」と対をなすものですが、「ジャンクサイエンス」であると攻撃されたものの代表が受動喫煙の有害性の研究です。そして「元祖ジャンクサイエンス」である受動喫煙についてのACSHの態度は意味深に見えます。副流煙は全くの無害と主張できなくなったため、出来るだけ害を低く見積もることにしたのでしょう。
http://www.acsh.org/publications/pubID.346/pub_detail.asp
http://www.acsh.org/factsfears/newsID.215/news_detail.asp
以上の事から私はACSHをサウンドサイエンスイデオローグの集団と見なしています。
レイチェル・カーソンはアフリカ人を毎年100万人を殺している【環境活動家のウソ八百】
レイチェル・カーソンといえば、『沈黙の春』という本が有名だ。レイチェル・カーソンが著書でDDTの危険性を大きく取り上げたことで、アジアやアフリカの人たちがたくさん死んだ。その数は1000万人を越えるという。カーソンはレーニンやポルポトに匹敵する大量殺戮者なのだろうか。
環境保護団体の大きなところには
グリーンピース、WWF(世界自然保護基金)があり、うるさい団体にPeTA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)がある。環境保護を訴える団体は本当に環境保護のために運動をしているのかという疑念を取り上げた本が『環境活動家のウソ八百』である。
100817-01.jpg 環境団体の偽善は大きく言って二つに分けて考えることができそうだ。1つは、白人主導の環境団体の思想のバックボーンである。ヒトラーがユダヤ人を虐殺したときの優生学、つまり白人は優越人種であるという思い上がりと、マルサスの人口論が組み合わさって、環境保護が唱えられているのだ。
マルサスの人口論は、地球の資源は有限であり、人口が爆発すると資源が足らなくなるという趣旨の理論。人口が増加するのは白人社会ではなく、アジアやアフリカなどの白人以外の地域なので、これらの地域の人口が増えて本来白人のものであるべき地球の資源が使われるのは「けしからん」ということが背景にある。
ローマクラブが発表した『成長の限界』は、マルサスの人口論に添った論を展開して、オイル・ショックの素地を形成した。資源が枯渇するというローマクラブの論は全く読みが外れ、資源の枯渇は起こらなかった。石油の値段は上がったが、値段が上がったことでいままで採掘できなかった場所にも油井が掘られて、需要を満たす石油が供給されるようになった。ローマクラブを設立したアウレリオ・ペッチェイはイタリアの石油王。オイル・ショックでしこたま儲けたに違いない。
もう1つは環境保護の美名に隠された秘密結社的で独裁的な組織運営である。環境保護団体が環境のためといって寄付金を募るが実際には、環境保護のために使われるより、幹部のふところに入ってしまうものが少なくない。とくにグリーンピースは不明朗な資金移動が多くあり、カナダで設立されたにもかかわらず、カナダ政府はグリーンピースを「公共の利益にはならない」と断じて慈善団体として認可していない。
さらにFBIはグリーンピースを「エコテロリスト」として監視している。「エコテロリスト」という言葉は日本人にはピンとこないが、わかりやすく言うとグリーンピースのような過激な行動を伴う環境団体は環境やくざ
といった方がわかりやすい。スローガンは立派だが、やっていることはやくざと紙一重。行き過ぎたイデオロギーで環境問題を針小棒大に見せかけ寄付金を集める。世間の耳目を集めるために、シー・シェパードのような違法行為も平然と行う。そして集めた金は幹部で分け合う。幹部というのは、主にヨーロッパの超セレブたちである。
ヨーロッパの超セレブたちにとって環境保護団体の運営はビジネスの手法なのである。経済はアメリカに牛耳られているので、環境保護という美名にカモフラージュしその影でビジネスするわけである。ハリウッド映画『007/慰めの報酬』では、ジェームズ・ボンドと敵対する環境保護団体の仮面を被った秘密組織が暗躍する。環境保護団体の化けの皮も剥がれつつあるようだ。
環境保護団体のエゴイズムは、第三世界で悲惨な要求を行う。人間の命より環境保護の方が大事だと平気でいうのである。もっとも有名なのは、イギリスのエディンバラ公フィリップだろう。WWF(世界自然保護基金)の初代総裁だったが、「生まれ変わったら、死のウイルスになって人口問題を解決させたい」などのセリフを平然と宣った。
オランダの王配であったベルンハルトは、WWF(世界自然保護基金)の設立に関わったが、彼は同時にヨーロッパの武器に売買に深く関与しており「死の商人」とも呼ばれた。環境保護という表の仮面と、武器売買という素顔を使い分けていたのである。
レイチェル・カーソンは著書『沈黙の春』で殺虫剤DDTの毒性を大きくアピールした。DDTは環境汚染物質として広く認知された。しかしマラリア蚊の駆逐にはDDTがもっとも効率的だったのである。『沈黙の春』以前は日本も含めて欧米ではDDTの散布によって、マラリア蚊を絶滅させている。しかし『沈黙の春』以後、DDTが過剰に危険視されたため第三世界でのDDTの使用は実質的に禁止された。
DDTは当初発ガン物質して疑われたが、現在ではその根拠は確認されてない。つまり、レイチェル・カーソンの根拠のない思いこみがアジアやアフリカでのDDTの使用を制限し、不要なマラリア患者を増大させたのである。そして環境保護団体の思慮ない活動のためにDDTが散布できず、アフリカではマラリアで毎年100万人の若い命が失われているという(P223)。環境保護団体は、マラリアで失われる命より、根拠のないDDTでの環境汚染の方が重要だと言ってはばからないのである。
環境保護団体の主張はたいていは根拠の薄弱なものが多い。さらにデータを改竄したり、都合のいい部分だけを取り上げたりする。地球温暖化などは、100年もたって振り返れば、地球温暖化議論が世間をミスリードしたことに後世の人は首をかしげるに違いない。
いずれにしても、環境保護をまじめに取り込んでいる人たちは、ヨーロッパの古狸に化かされているのではないか。行き過ぎた主張はわかりやすいので、群集心理をコントロールできるにしても、真実はそこにはない。環境問題も全体のバランスのなかで考えるべきだろう。環境保護団体が地球の環境保全に役立っているというのは、誤った幻想に過ぎないのである。
ちなみにこの本のバックには、ローマカトリックがいる。最近の環境保護団体はアニミズムに傾斜しつつあり、それがカトリックの脅威になっているらしい。
◆環境活動家のウソ八百 (新書y) [新書]
「沈黙の春」レイチェルカーソン著 の隠れた意図
金融破綻を契機として、国際金融資本家たちの実態が暴かれつつある今、sinsinさんの記事にもあるように、環境運動と彼らの思想背景がつながってきました。
歴史的にセンセーションを巻き起こした「沈黙の春」の場合どうだったのでしょうか?
著者は純粋に環境破壊を告発しようとしたとおもわれますが、当時の金融史資本家にとってはすこし異なった捉え方をしていたようです。
この本は1962年、アメリカで出版されました。論点をおさらいしますと、
■当時のアメリカの現状
広大な農地に単一作物を植えること自体がある種の害虫を発生させた
↓
害虫駆除の必要
↓
化学合成殺虫剤を誰かれかまわずにやたらと使用(飛行機による無差別な空中散布など)
↓
多くの地域で、動植物が死滅(分析の結果、高濃度のDDT検出などによる)
■その化学合成殺虫剤とは
・塩化炭化水素系
DDT:1874年ドイツで合成したが殺虫効果がわかったのはスイスのパウル・ミューラーが1939年に発見。粉末状では経皮吸収しないが、油脂に溶けると浸透し脂肪に蓄積される。肝臓などの器官を破壊。
クロールデン:固着性が強く、また揮発性があり呼吸器官からも吸収される。
ヘプタクロール:クロールデンの4倍の毒性
ディルドリン:DDTの5倍の毒性(生物種によっては50倍) マラリアがDDT適応した後、一時利用したが中毒症状、死者が出た。
アルドリン:ディルドリンに変化する。
エンドリン:ディルドリンの5倍の毒性(DDTの15倍の毒性)
・有機リン酸系
パラチオンなど:酵素を破壊。神経系がやられる。世界で中毒死多数。
■化学合成殺虫剤の問題性
生命原理は全体が精緻なシステムとした機能しているので、見た目には関係のない器官や組織に影響がある。病気や死亡の原因と結果は単純につながっていないので、いろんな分野の研究成果を集めてようやくわかることとなる。
この化学合成殺虫剤は、生物のATP回路の酵素を破壊して酸化作用をとめるものが多い。発ガン性や生殖機能に影響を与えている。(生殖機能への影響はロックフェラー医学研究所にて実験された)
■化学合成殺虫剤を使って何がわかったか
1.自然(生命の適応原理)そのもののコントロールこそ害虫駆除に効果的である。
害虫の天敵による駆除
2.ひとたび環境抵抗が弱まると(化学合成殺虫剤の使用を停止すると)爆発的な増殖力を示す。
皮肉にも、ウガンダでは対象とする害虫のために使ったDDTが、害虫には耐性ができてしまい、その天敵がDDTによって死滅してしまったため、大繁殖してしまった。アメリカでも、使用後6年たった1951年にはDDT耐性をもつ害虫が発生している。
■その他の生物学的害虫駆除方法について
・雄不妊化:放射線照射により雄を不妊化させて放ち、自己崩壊へ導く方法。
by合衆国農務省昆虫研究所長エドワード・クニプリング 1954年キュラソー島にてハエの絶滅に成功。
・性誘引物質や誘引音反応、微生物の活用による駆除
■著者来歴
レイチェルカーソン女史は、1907年ペンシルヴァニアで農場主の娘として生まれ、ペンシルヴァニア大学の動物学を専攻。25歳で学位を得て、合衆国漁業局、魚類・野生生物局に勤務しその生態の情報収集に関わる。45歳から文筆(生物ジャーナリスト)に専念し、1964年没。
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この環境問題の古典的書物を改めて読返すと、カーソン女史は、心底には自然の摂理に則っていない現状に憤りを感じていたと推察されます。一方で、時の支配者とその代理人たる行政による市場原理優先の事業戦略、政策が浮かび上ります。
当時はこれに共感したひとがかなり多かったのもうなづけますが、その後、発展途上国を中心に世界銀行やIMF主導でDDT が廃止されると、逆にマラリアによる犠牲者が増大したことも見逃せません。このことは、その背景にある支配者(国際金融資本家)の価値観が、究極的には途上国などの非白人などの大多数を人口抑制する戦略の布石としてセンセーショナルに奉られた疑いを持ってしまいます。
それに気づかず、環境問題に専念させられてしまう構造自体、支配者の思う壺であり、実は、経済や福祉、教育などあらゆる面で支配されていること、そのシステム自体が問題であることが現在一番の課題なのだと気づきました。
カーソン女史の遺志をひきつぐならば、まず、根本原因たる市場経済システムによる世界的な支配構造を転換していくべきなのだと帰結します。かれらの欺瞞の核心を暴くことが不可欠です。