量子レベルでは、観測するまで現実は存在しないのか?
過去は未来に影響するが、その逆はない。
しかしミクロの世界では、実験によって実証したのは、未来の出来事が過去の事象に影響を与えているという可能性があるとする。
しかしこれは過剰一般化によっておこす、思考パターンによる誤謬である。
だが観測によって結果が変わるという事実はそのまま残る。
ホイーラーの遅延選択実験
1978年の思考実験
二重スリット実験の派生版
光子や原子は波動であり同時に粒子である。
光子をスリットの向こう側に発射する実験で、
一つのスリットでは光子は粒子のような振る舞いをするが、
もう一つのスリットを加えて二重スリットににすると、そこに干渉縞が現われる。
そこでホイーラーは光子のぶつかったスクリーンの後ろにもう一枚のスクリーンを置くことを提案した。
意図は2枚のスクリーンを通過しても、光子の状態が一貫しているかどうか?を確認すること。
しかしこれは思考実験であって現実的に実現することはできなかった。
ホイーラーの遅延選択実験の不思議さは、ハーフミラーがある場合は光子は必ず波としてやって来て、ハーフミラーがない場合はは必ず粒子としてやって来るので、人間の意志で遠くからやって来る光子の状態を事後的に決定出来る事になるという事である。
換言すると、遠くの天体からやって来た光子の途中にブラックホールや大きな重力があるとき、
光子が波と仮定すると、光子がブラックホールの右側と左側の両方を波として通過して来たことになるが、
光子が粒子と仮定すると、光子がブラックホールの右側と左側のどちらかを通過して来たことになり、
観察者が光子の経路を事後的に決定出来る事になってしまい、不思議だということになる。
この実験結果の解釈については、
(1) 観測するまで状態は存在しない
(2) 観測自体が過去の状態を遡って変更する
(3) 宇宙の全ての振る舞いは予め矛盾が起きないように完全に決定されている
の三パターンがあると思われ、
(1)については、電磁波を扱う実験で、観測前の電磁波の状態が存在しないという解釈となり、
(2)については、観測前の電磁波の状態を遡って変更する事になるため、
(3)が一番有望ではないかと推察される。
しかし、アンドゥリュー・トラスコット博士は光子の代わりにヘリウム原子を、
スクリーンの代わりにレザー光線で作った格子を使って実験可能なものになった。
その結果、
2番めの格子がない場合、
原子は粒子のように一つの経路を移動するが、
2番めの格子がある場合は
原子は波のように様々な経路を移動することが判明した。
これが示唆するのは
原子が実際に特定の経路をとった場合、
未来の測定が原子の経路に影響を与えている、ということ。
「未来の測定」という行為が、まるで時間を遡るかのように、「過去の事象」に影響を与えてしまう、ということだ。
つまり、他者(意識、ヒト)によって観測しない限りは、この世の現実は存在しないということだ。
「ネイチャー・フィジックス」からの抜粋
観察は何かを測定するだけではなく、観測するものを生み出します。
私たちは電子が明確な位置を取るように強制して、観察者が測定の結果を作り出している。
つまり二重スリット実験の結果は、
観察者の「超能力」が引き起こしている。
実験を行うと、
・観測Aを行うと、粒子状態を観測
・観測Bを行うと、波状態を観測
そこで、観測Aの途中(=観測中)に観測Bに切り替える
そうすると、
”粒子状態であったものが波状態として観測される(=変わる)”
よって、現在(即ち、観測を行っている今・現在)が過去の状態を変えている。
そもそも、観測Aは粒子状態であることしか観測ができない。
観測Bは、波状態であることしか観測出来ない。
つまり、粒子(実験では、ヘリウム原子)自体が2面性を持つため、どっちかで見ればどっちかであり、片方で見れば片方の結果しか返さないという2面性があるものを、表から見るか、裏から見るのかことでしかない。
ウィーラーの遅延選択実験を「歴史はあとから変えられる」という解釈の可能性は過剰一般化による
しかし、このパラドックスは,「ウィーラーの説明が量子言語でなされていない」からである。
量子言語による説明では,パラドックス的なことは現れない.
教訓として
パラドックス的文言があったら,それを量子言語で記述しようとすると、 記述できないことがしばしばある。
そうだとしたら、 それは「過剰一般化」の説明であることがわかれば、パラドックスが解消されたことになる。
過去は変えられる?思考実験『ホイーラーの遅延選択実験』が実際に行われた –
量子における『観測』
ホイーラーの遅延選択実験
実験1
ヘリウム原子(赤丸)を一個だけ飛ばす。
上図のような実験装置を用意します(実験1)。黒い板はヘリウム原子を必ず反射し、白い板はスリットになっていてヘリウム原子が粒子であるとすれば50%の確率で隙間を通ってそのまままっすぐ向かいますが、もう50%の確率で隙間に入らずに壁にぶつかり90度反射をします。ヘリウム原子が波であれば高さが半分になった波がまっすぐと90度方向が変わったものの二つに分かれて進んでいきます。
白い板の簡単なイメージ図
50%の確率で隙間を通り、もう50%の確率で90度ヘリウム原子が跳ね返る板を用意する。
観測が行われるのは右下の二つの検出器のどちらかにぶつかった時だけです。観測が行われるまでは量子は重ねあわせの状態、つまり空間的な広がりを持った波のまま進むので板の距離を上手く調節すると、波が干渉を起こしてほぼ必ず下の検出器からしか原子が検出されなくなります。
右側の検出器は二つの波が逆位相で重なりあいヘリウム原子が存在する確率を打ち消してしまう。
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実験2
右下の白い板を黒い板に変えただけ。
次に、右下の白い板を黒い板に換えます(実験2)。以下のようにするとそれぞれの検出器から原子が検出される確率はそれぞれ1/2ずつなので、両方から原子が検出される、と言いたいところなのですが、飛ばしている原子は1つなので、どちらかからしか検出されません。
ヘリウム原子が検出されないが、赤い波と青い波はそれぞれの検出器まで届いていると考えることができる。
どちらかからしか検出されないというのはやはり『どちらかにあるのだがそれがわからないだけ』と思われるかもしれない。しかし、二重スリット実験と似たような設備、ただしスリットの向こう側に敷居を設けていると考えると『どちらかにあるのだがわからない』というわけではないということが納得しやすくなるだろう。
さて、それでは原子を飛ばしてから検出器に届くまでの間にこの実験1と2をランダムに切り替える、つまり白い板と黒い板を換えたらどうなるでしょうか。
先ほどまで説明した『観測を行うことで確率の分布の波が収縮する』ことを考えるなら観測が行われていない以上、途中で1から2に切り替わったら2の結果が出て、2から1に切り替わったら1の結果が出るように思えます。実際に実験を行ってもそのような結果が出ます。それだけの話です。
今までの考え方だと途中で換えようが最初から同じだろうが結果が変わらないのは当たり前。
しかし、この原子を飛ばしている最中に実験の内容を切り替える実験がホイーラーの遅延選択実験なのです。
『観測』とは
こうして考えるとずいぶんと当たり前のことを確認しているだけにしか思えません。実際、このホイーラーの遅延選択実験は元々はこの『本当に観測によって分布の波が収縮しているのか』を確認するための実験であったようです。それが一部の他の解釈をしていた人が実験の意図を取り違え『現在が過去を決定することを示す実験』と解釈され、その解釈が広まってしまったようです。
しかしなぜ一つの実験に対してこのように様々な解釈がなされてしまうのでしょう。元を正せば量子の世界の法則が未だにしっかりとした説明ができていないゆえに多様な解釈が許されてしまうからなのですが、主な誤解の原因は『観測』という行為の定義することの難しさにあります。
『観測を行うと波のようにふるまっていた量子が一点に収縮する』という言葉は、まるで私たちが見るのに合わせてあたかも量子が意志を持って動いている、あるいはホイーラーの遅延選択実験の考え方に従うのならば『人間の意識が量子を波から粒子に変えている』ようにも見えるかもしれません。
しかし、もう少し『観測』という行為をつきつめて考えてみましょう。観測という言葉は『見る』という言葉を連想させますが、『見る』という行為を噛み砕く前に、もう少しわかりやすい例から観測という行為を考えましょう。
コップに入った水の温度を測るために温度計を入れます。温度計は18℃を示しました。しかし、それは温度計を入れた水の温度であり、温度計を入れる前の水の温度ではありません。極端な話、温度計が1000℃の熱を持っていたとしたら温度は温度計を入れる前と後で大きく違っているでしょう。あるいはコップに入った水の温度ではなく、たった一滴の水の温度を測ろうとすれば、たとえ水と温度計の温度の差が1℃だとしても大きな問題になります。このように、『観測』という行為は観測対象に必ず影響を及ぼすものなのです。
観測によって与えられる誤差はほんのわずかな誤差のように思えるかもしれませんが、1億分の1センチよりさらに小さな物質を扱う量子の分野では、このわずかな誤差は非常に大きな誤差になります。『見る』という行為でさえその例外ではありません。
『見る』という行為は、物質から放たれた、あるいは反射された光子が網膜に入ってくるのを認識することを指します。なので、原子を見ようとすれば、原子に光子をぶつけなければなりません。しかし、光子一個が持つエネルギーは原子という非常に小さな物質にとっては非常に大きなもので、結果、原子に光子をぶつければ、その軌道は大きく変わってしまいます。どのくらい軌道が変わったのか確かめるためにはぶつかった光子の軌道を確かめる必要がありますが、そのためにもまた何かしらをぶつける必要があります。これでは永久に原子の正確な情報を得ることができません。
不確定な要素を確かめるために観測を行うとそのせいで他に不確定な要素が現れてしまう。
さて、観測することは観測対象に必ず影響を及ぼし、観測前の状態を正確に測ることはできない、ということは理解をしていただけたと思います。では、観測とは一体なんなのか、という話に戻しましょう。結論から言えば、何をもって観測とするのかはわかりません。ただ速度、質量あるいは位置などのどれかの数値を精密に特定しようとすればするほど他の数値が曖昧になり、測定が困難になる、という事実だけがあります。
観測という言葉を定義しないままに観測が行われているというのは引っかかりを覚える話ですが、考えてみれば観測することそのものはそれほど重要ではないのです。先ほど『観測することで波が一点に収縮する』と言いましたが、実はそれさえも本当のところはわかりません。なぜなら観測する前の状態は当たり前の話ですが観測がされていないので、観測する前から原子がすでに収縮していたのかそれとも観測を行ったから収縮したのかわからず、観測という行為が波の収縮に因果関係があるかどうかがわかっていないからです。
しかし因果関係がわからないからといって定義を放っておくのもなんとなく気持ちが悪い話です。ではひとまず観測の定義を『物質の速度と位置を大まかに測る行為』としてみましょう。飛んでいる原子の動きを観測するために光子をぶつけると測定が困難になるので、今度は光子のような小さなものをぶつけるのではなく、逆に原子を大きな壁などにぶつけてみることにしましょう。電子をスクリーンにぶつけるのと同じ要領です。少なくともその時は電子がどこにぶつかったかという位置はわかるでしょう。
そのように考えていけば『観測対象を大きなものにぶつける』ことを観測と呼ぶことができるかもしれませんが、光子のような小さな物体をぶつけても波の収縮が起きることは確認できます。『観測』の定義を決めると『観測することで波の収縮が起きる』という意味で使われる『観測』と不一致を起こし、結果、定義を決めた『観測』は波の収縮とは大して関係のない言葉となってしまいます。
さらには波の収縮が起きる現象を観測と呼ぶためには波の収縮が起きる現象を観測しなければならず、結果、観測を観測し、それを観測するために観測しなければならなくなる。
あちらを立てればこちらが立たず。どうやら、量子を真に観測し、この世界の法則を理解するためにはその法則を超えた何かによって観測がなされないといけないようです。それは私たちがこの世界に生きている限り、不可能なことです。
さて、そのように考えれば、過去が現在によって決められているということも、それをたしかめる方法がない以上、ありえない話ではないのかもしれません。真実をたしかめられない以上、どの理論も反証することはできません。過去は現在によって決められているのかもしれない、確率の波が飛んでいるのかもしれない、量子は波か粒子のどちらかを自らの意志で決めているのかもしれない。どれもそれを否定する証拠を観測することはできません。しかし、どれが正解であったとしても、私たちが観測できるのはただの現象だけです。巨大な宇宙は私たちの解答にYesともNoとも言わずにただひたすらに現象だけを提示し、何も変わらず続いていきます。それだけはたしかな事実です。
ジョン・アーチボルト・ホイーラー(John Archibald Wheeler, 1911年7月9日 - 2008年4月13日)は、アメリカ合衆国の物理学者である。
経歴
フロリダ州ジャクソンビルで生まれ、1933年にジョンズ・ホプキンス大学を卒業し、プリンストン大学の助教授となった。第二次世界大戦の間、マンハッタン計画に参加した。 ニールス・ボーアと共同で「核分裂メカニズム」を書き上げ、水爆計画推進に貢献した。
アルベルト・アインシュタインの共同研究者として、統一場理論の構築に取り組んだ。そして、一般相対性理論、量子重力理論の理論研究で多くの足跡を残した。1960年代には、中性子星と重力崩壊の理論的分析を行ない、相対論的天体物理学の先駆者となった。宇宙の波動関数を記述するホイーラー・ドウィット方程式は、量子重力研究の先駆的成果の一つである。また、ワームホール(1957年)の命名者として、また用語としてのブラックホールを広く定着させた[注釈 1]ことでも知られている。1976年からテキサス大学オースティン校の理論物理学研究所長を務めた。
受賞歴
アルベルト・アインシュタイン賞(1965年)
エンリコ・フェルミ賞(1968年)
フランクリン・メダル(1969年)
アメリカ国家科学賞(1970年)
エルステッド・メダル(1983年)
アルベルト・アインシュタイン・メダル(1988年)
オスカル・クラインメダル(1992年)
マテウチ・メダル(1993年)
ウルフ賞物理学部門(1997年)
アインシュタイン賞(2003年)
著作
Wheeler, John Archibald (1962). Geometrodynamics. New York: Academic Press. doi:10.1103.
Misner, Charles W.; Kip S. Thorne, John Archibald Wheeler (September 1973). Gravitation. San Francisco: W. H. Freeman. ISBN 0-7167-0344-0.
Some Men and Moments in the History of Nuclear Physics: The Interplay of Colleagues and Motivations (1979). University of Minnesota Press
A Journey Into Gravity and Spacetime (1990). Scientific American Library. W.H. Freeman & Company 1999 reprint: ISBN 0-7167-6034-7
(邦訳)『時間・空間・重力―相体論的世界への旅』 戎崎 俊一(訳) 東京化学同人 1991年 ISBN 4807912232
Spacetime Physics: Introduction to Special Relativity (1992). W. H. Freeman, ISBN 0-7167-2327-1
(邦訳)『時空の物理学―相対性理論への招待』曽我見 郁夫(訳), 林 浩一(訳) 現代数学社 1991年 ISBN 4768702511
At Home in the Universe (1994). American Institute of Physics 1995 reprint: ISBN 1-56396-500-3
Geons, Black Holes, and Quantum Foam: A Life in Physics (1998). New York: W.W. Norton & Co, hardcover: ISBN 0-393-04642-7, paperback: ISBN 0-393-31991-1 — autobiography and memoir.
Exploring Black Holes: Introduction to General Relativity (2000). Addison Wesley, ISBN 0-201-38423-X
(邦訳)『一般相対性理論入門』牧野 伸義(訳) ピアソン・デュケーション 2004年 ISBN 4894714272
脚注
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注釈
^ 「ブラックホール」の語は、1964年に発行された科学雑誌に「宇宙にできた黒い穴」と形容され始めていた。1967年にホイーラーがパルサーの解釈をめぐる講演中で「英語: gravitationally completely collapsed object」と繰り返していたのを聴衆が「それはブラックホールでは?」と言ったのをきっかけにその後に使い出したことから広まったとされている。[1]
出典
^ 佐藤文隆『佐藤文隆先生の量子論』講談社、2017年、175頁。ISBN 978-4-06-502032-6。