元素変換とエネルギー
疑問
カルシウムをほとんど含まないエサを食べているニワトリから、どうしてカルシウム豊富な卵ができるのか?
断食していてもずっと元気でいられるのはなぜか?
渡り鳥が地球半周を飛べるのは何故?
キョクアジサシ4万km ハシボソミズナギドリは3万2000km ムナグロや ホウロクシギは 2万km 大洋上を群れをなして無着陸で飛行する
今の栄養学は酸素による燃焼エネルギーを測ることによって成り立っている。カール・フォイト(1831-1908)
機械をメタファーにした考え方で、炉の中で食物を燃やして発生する熱量を測定し、それと同じ熱量(エネルギー)が生体内で発生する、と理解した。熱力学第一法則から確立したので熱量という言い方をいまだしている。
自然界のエネルギーには、ミトコンドリアの有酸素運動と原子核が反応する核エネルギーなどもある。
その膨大さは化学反応エネルギーの比ではない。質量比では何十万、何百万倍ものエネルギーを発生させる。
カリウム40の中性子崩壊で発熱
ふつうのカリウムは原子量が39だが40もある。陽子の数は同じだけど、中性子の数が1個多い同位体で、自然界に存在するカリウム原子全体の0.012%だけ含まれている。
1個多い中性子が崩壊して電子を出しながら陽子になる。そのとき放射能が出て、元素周期律表で右隣に並んでいるカルシウムになる。その原子変換のときに核エネルギーが放出される。
ルイ・ケルヴラン(Corentin Louis Kervran, 1901年 - 1983年
生体内で原子変換を行っているというのは、古くから知られていた。有名なのは、ケルブランの実験で、彼は生体内での元素転換を証明している。ケルブランと小牧久時が、生体組織における原子転換が行われていることを実験で証明した。
彼らが転換を証明した元素は、
◆ナトリウム(→マグネシウムに転換)
◆カリウム〈→カルシウムに転換〉
◆マンガン(→鉄へ変換)・・・・・・である。
事実、200年近くも前に、原子変換が起こることが観察されていた。しかし、中世の異物としてカテゴライズされた錬金術と同列に見られ、ほとんど信用されなかった
この報告書は1978年、米軍物理技術研究所のより「生体内における原子転換のエネルギー生成」というタイトルで発表されている。(「生体における原子転換」に関するアメリカ軍部報告所より引用)
放射性同位体
陽子数と中性子数のバランスによって不安定化して崩壊する元素もある 例 14C カリウム40など
天然存在比は0.012%なので、体内カリウムは体重の0.2%なので体重が50kgならば12mgが放射性のカリウム40なので、人体は一秒間に数千個の放射線(γ線)を出している。
同位体の化学的性質
カリウム40は、放射線を放出するものの、体内において通常のカリウムと全く同じ挙動をしている。
通常のカリウムはカリウム39である。39と40の違いは、質量数の違いで、カリウム40の原子核には、中性子が一つ多く含まれている。
原子の『化学的』性格は、乱暴に言えば、原子に含まれている電子の状態で決まる。電子の数は、原子核の陽子の数で決まるので、陽子の数を原子番号と呼んで、これで元素種が決まる。
中性子が増えることによって大きく変わることがある。それは、原子核の安定性が悪くなる場合である。
そのため崩壊して、別の元素に変化することがあり、そのときには放射線(電子、陽電子、中性子、電磁波)を出して、原子核の調整が行われる。
カリウム40の崩壊経路は二つあり89%はβ崩壊でカルシウムに変わり、11%は電子を捕獲してアルゴン40に変わる。
原子核が崩壊する理由
陽子や中性子は核力で結びついているが(1個あたり8MeV)、陽子間の静電エネルギーは2.3×10−14J(0,14mev)なので、陽子が100個ならば静電エネルギーは100の自乗で1万倍となり(1.4GeV)核力に迫るために、原子番号が100に近づいた原子核は崩壊しやすい
放射性崩壊
放射性崩壊では全体の89 %はベータ崩壊(β-崩壊)により40Caとなる。その崩壊エネルギーは1.31107±0.00011 MeVである。
11%は電子捕獲により40Arになる。その崩壊エネルギーは1.50469±0.00019 MeVである。
さらに、極一部(0.001%)はβ+崩壊により陽電子を放出して、40Arになる。
人体での内部被曝線量
カリウム40は、岩石に大量に含まれるほか、動植物にとって必要不可欠な元素である。食品中にもカリウムが多く含まれ、白米1kg中の放射能は33Bq、乾燥昆布は1600Bq/kg、納豆は200Bq/kg、豚ひれ肉は120Bq/kg、牛乳は45Bq/kgほどになる。外洋の海水中には1リットルあたり12.1Bqが含まれる。カリウムは水に溶けやすくナトリウムと似た性質を持ち、経口摂取するとすみやかに全身に広がる。生物学的半減期は30日とされる。人体が持つ放射能は、体重60kgの成人男子で約4000ベクレルであり、これによる年間の内部被曝線量は、0.17ミリシーベルト(mSv)となる。飲食で人体中に取り込まれるカリウム40の放射能は1日あたり約50ベクレルであるが、通常の生活においては体内の蓄積量が平衡量まで達しているので、人体中の余分のカリウムが排出されるのに伴って同等の量が排出される。
放射能被曝とDNA
放射線は、細胞液を構成する水分子に衝突すれば活性酸素を生成し、この活性酸素によって、DNAの鎖は損傷を受ける。
しかし、この活性酸素に対する抵抗性がないと、現在の地球上では生物は生きることができない。それは、酸素を呼吸して取り入れる好気型の細胞の宿命でもある。好気性の細胞は、それまでの嫌気性の細胞に比べて圧倒的なエネルギーを使えるように進化したが、その代償として、活性酸素の存在に対処せざるをえない。
この対処法の一つが新陳代謝だ。
活性酸素の害の一つがDNAに傷を付けることで、1日にすべての細胞のDNAに3万個程度の傷が付くとされている。
この傷の修理ができないと、細胞が不安定になって、ガンを発生する可能性が高まる。そこで、その傷を修復する酵素が毎日毎日大活躍をしている。
しかし、100%修復できる訳ではないので、機能に影響を与えるような傷が残れば、その細胞は自殺を命じられる。
細胞が自殺することは別に不利益ではなく、その成分が再利用され、新しい部品ができるだけである。
ということで、DNAに傷が付けば、すぐにがんになるというものでもなく、傷が付いても細胞としては機能的に問題を発生することもなく、生き続ける。
セシウムをプラセオジウムに 2014/4/8 7:00
三菱重工業は重水素を使い、少ないエネルギーで元素の種類を変える元素変換の基盤技術を確立した。原子炉や大がかりな加速器を使わずに、例えばセシウムは元素番号が4つ多いプラセオジウムに変わることなどを実験で確認した。将来の実証装置設置に向け、実用化研究に入る。放射性セシウムや同ストロンチウムを、無害な非放射性元素に変換する放射性廃棄物の無害化処理に道を開くもので、原発メーカーとして実用化を急ぐ。
百数十時間で元素変換
3月下旬、米ボストンのマサチューセッツ工科大学の講義室。世界から集まった100人以上の研究者を前に、三菱重工・先進技術研究センターの岩村康弘インテリジェンスグループ長は「元素変換はマイクロ(100万分の1)グラム単位で確認できた」と報告した。多数の質問を受け、同社の実験を説明する理論の提案も数多く発表されたという。
三菱重工の横浜市の先進技術研究センター。700を超える幅広い製品群を擁する同社の次世代研究を一手に引き受ける秘密基地だ。研究棟の1階の約3分の1を占めるクリーンルームで研究者が白衣に身を包み、約25ミリ四方の薄膜の金属板を装置にセットする。超高温や超高圧をかけることなく、数日で内部で元素が変わり、新たな元素が生まれてくる。
具体的には厚さが数十ナノ(ナノは10億分の1)と極めて薄い金属のパラジウムと酸化カルシウムの薄膜を交互に積層した多層膜に変換したい金属を付ける。この膜に重水素を透過させると百数十時間で元素番号がそれぞれ2から4、6多い元素に変わった。
セシウムはプラセオジウムに、ストロンチウムはモリブデン、カルシウムはチタン、タングステンは白金に変わることを確認した。特殊な薄膜に重水素を透過させる独自技術は日本での特許に続き2013年、欧州でも特許を取得した。
先進研の石出孝センター長は「ここ数年で研究が大きく加速した」という。様々な手法で重水素の濃度を高めることで、新しい元素の収量がナノグラムからマイクログラムへ3桁増えた。測定精度も上がり、1平方センチメートル当たり最大数マイクログラムの元素変換を確認したとしている。
セシウムの元素変換率は、ばらつきはあるものの100%近いものもあるという。元素変換を示唆するガンマ線も微量ながら検出している。同社はセシウムの場合、パラジウム多層膜の内部で4個の重水素が1個のセシウムの原子核に十分近づき、陽子4個と中性子4個が加わりプラセオジウムになったとの仮説を立てている。ただ、詳しいメカニズムや理論は分かっていない。
元素変換は「エネルギー収支が合わず、従来の物理学の常識では説明できない」などの指摘がある。新しい元素の量が少なく「外から混入した可能性も完全には排除できない」との声もある。
元素変換現代版<錬金術>のフロンティア (角川EPUB選書) 単行本 – 2014/10/9
C・ルイ・ケルヴラン(C.Louis.Kervran)。「最後の錬金術師」
ケルヴランの研究は1975年のノーベル賞(医学・生理学賞)にノミネート。
「生物学的元素転換」
生体内における酵素やバクテリアの介在によって一つの元素がまったく別の元素に転換するという現象
たとえば人体にはアミラーゼやプロテアーゼなどの様々な酵素が存在しており、生体内の代謝物質を処理する多様な化学反応を行なっている。こうした酵素のあるものは温度やpHなどの特殊な条件の下では原子核レベルの反応を生じることがあり、それは原子核物理学でいうところの核融合・核分裂に相当する現象
「微量エネルギー元素転換」
元素転換の概念が地質学における変成作用や続成作用、鉱物の相転移などに適用されたもの。
地表面では主に微生物による元素転換が岩石の変質作用などを生じ、地殻深部では高温・高圧による花崗岩化作用や変成作用として微量エネルギー元素転換が生じている。
事の発端は、労働医療の現場で生じた不可解な事件にあった。
1955年、一連の異常な一酸化炭素中毒の事故調査に携わっていた。このような事故は酸素アセチレンバーナーを使って板金作業を行なう工場でよく起こっていたが、不思議なことにその空気中からは一酸化炭素が検出されなかったのである。 一酸化炭素がないところで一酸化炭素中毒が起こる・・・。原因の究明がなされないまま、同じような中毒事故の犠牲者は増える一方だった。低い音を立てて燃えるバーナーの青白い炎が映っていた。それはみるみるうちに鉄板を赤く熱していったのである。この赤く熱せられた鉄が何か関係しているのではないだろうか・・。
バーナーによって鉄板がある一定の温度以上に加熱されたときにのみ一酸化炭素中毒が生じることがわかってきた。
これらの調査から大胆な結論を導き出した。高い温度に加熱された鉄がその固有振動数に相当する輻射熱を放出し、それが周辺の空気中に含まれる窒素分子に吸収される。窒素分子の固有振動は鉄と近接した位相をもつ波長のために非常に低い「うなり」を生じ、この不安定な共振エネルギーが窒素分子の原子核に作用する。そしてバーナーの燃焼によって酸素不足になった空気が人体に吸入されると、ヘモグロビンに含まれる鉄が酸素の代わりに不安定な窒素分子と結合して触媒作用の「誤作動」を起こす。こうして窒素分子が人体の中で一酸化炭素に転換されるというのである。
「原子転換」に対して「元素転換」
物理学でいう「原子転換」とは、シンクロトロンやサイクロトロンの中で自然界にはほとんど存在しない超ウラン元素などの重い原子に、高いエネルギーを加えることで生じる反応である。現代の原子核物理学はこのような手法で構築された高エネルギーの原子理論に基づいている。
ところが自然界には圧倒的に軽い元素が多く、特に動物や植物といった生体の内部では、エントロピーが減少するという熱力学的に特殊な環境の中で、生体に必要とされる反応が低いエネルギーで効率よく行なわれている。
そこには原子物理学のような機械的かつ暴力的なプロセスはどこにもなく、生命を育むための営みが有機的に連動しているのである。かつて錬金術師たちが夢想し、かつ求めた<賢者の石>が、まさに生命そのものであることを認識する。生命という<賢者の石>だ。
そして自然界には、まだわれわれが知らない作用プロセスを通じて、酸素や水素、あるいは炭素といった基本的な元素をやりとりする、元素転換の現象が普遍的に存在することを強く確信していった。
1962年、彼はそれまでの研究調査をまとめ、一冊の本を公表した。その著書の『生体による元素転換』には様々な元素転換の実例が収録されている。
また、翌年の1963年には『自然の中の元素転換』が出版され、その中でケルヴランはみずから行なったバクテリアによる元素転換の証拠写真を公表した。
無機物で培養した特定のバクテリアにマンガンの微粉末を与えると、急速にバクテリアが繁殖を始め、マンガンは黒い鉄分に転換されていったという。これが元素転換を撮影した世界最初の写真とされている。
海底資源として知られるマンガン・ノジュールもこのような元素転換によって形成されたものと示唆している。
マクロビオティックとケルヴラン
桜沢如一著 無双原理・易 p198より
その実例(一)カルシューム不足のため、カラのない卵しか生まなくなり、ノイローゼになったニワトリに、雲母を少し与えるとニワトリは生まれて初めてお目にかかつた雲母をまたたく間にたべつくし、二十四時間後には立派に固い殻のある卵を生む。ニワトリの血液が原子転換能力をもつている証拠である。雲母の主成分たるKやCaに転換したのである。
ルイ・ケルヴラン著/桜沢如一訳 『自然の中の原子転換』 日本CI協会。
桜沢如一著『無双原理・易』 日本CI協会、1971年2月。
金をつくる 長岡半太郎の錬金術
1924年3月、東京帝国大学教授・長岡半太郎率いるチームが、水銀から金を創り出す可能性を見いだすことに「成功」したと発表した。そして同年5月、そのための技術的な詳細が明らかにされたことで学界は騒然となった。
長岡半太郎は、日本を代表する物理学者の1人で、土星型原子モデル提唱などの学問的業績を残しており、多くの弟子を指導した。初代大阪帝国大学総長や帝国学士院院長などの要職も歴任し、1937年には初代の文化勲章を受章している。このような物理学界の重鎮が錬金術紛いのことを言い出し、技術的な詳細を示したから、騒ぎになった。
こうした発明・発見は、シンクロニシティで他の場所でも同時になされることがよくある。同じ年の7月に、ドイツ・ベルリン工科大学教授のアドルフ・ミーテのチームが、同じく水銀から金を創り出すことに成功した。
当時、理化学研究所の所長であった大河内正敏は、長岡半太郎の錬金術について述べている。
「…水銀を変じて金となす事その事が、長岡博士の目的の全部ではない、それは博士の理論のほんの一部分に過ぎないのであって、亜鉛を銅に、カドミュムを銀にという風に、一つの原子を他の原子にかえること、或は放射原子の壊散する速度を促進すること等にして特に原子核を打ち壊すことが博士の実験の一つの目的であって…」
理化学研究所でも、長岡博士の理論を認めていた。しかも、単なる錬金術ではなく、元素転換を目指していたことが判る。
現代物理化学は、「元素はその元素であり続ける」ことを基本原理としている。長岡半太郎やミーテの研究は、これを否定する。すると、この元素転換の研究はその後どうなったか?
1935年に彦坂忠義東北大助手(当時)の核模型理論が、国際金融資本に近い家系出身の物理学の世界的権威であったボーアによって否定された。原田武夫氏は、このことを取り上げ、金本位制の中心であったロスチャイルド家などの国際金融資本が、「金」錬金術である元素転換が世界に知られるのを許さなかったのだろうと、結論している
その後、米欧では研究が続けられるが、表だった報道はなかった。元素転換のことは一般社会から忘れさられる。
電気分解による常温核融合
1989年3月23日、英サウサンプトン大学のマルティン・フライシュマン教授と米ユタ大学のスタンレー・ポンズ教授が共同で記者会見し、重水(重水素と酸素で構成される水)をパラジウム電極により電気分解した際、異常な発熱現象が起きることを発表した。これは、重水素が融合し、熱エネルギーが放出される「核融合」の発生を示唆するもの。つまり「常温核融合」の可能性が示された。
固体常温核融合
その後、電気分解を施さなくても、水素を吸蔵する合金に重水素又は水素を吸蔵させ、これに電圧・熱・機械的ストレスを与えることによって同じ現象が生じることが判った。
また重水でなくても、水素と酸素からなる「軽水」でも同じ反応が見られることも明らかになっている。
大阪大学名誉教授の荒田吉明氏の、固体常温核融合成功のニュースは有名だが、それによれば、特殊加工されたパラジウムの格子状超微細金属粒子内に、重水素ガスを取り込ませることで凝集し、これにレーザーを照射することで、通常の空気中の10万倍のヘリウムの発生を観測した。と同時に、熱エネルギーも発生している。
すでに、日本人は、いくつかの特許を取得している
実は我国は「元素転換」の先進国で、革新的な技術開発がなされ、特許を取得しているものもある。
その一つが、三菱重工が進めている「Pd多層膜の重水素透過による元素転換」というもの。
常温・常圧、いってみれば「通常の環境」において重水素ガスを、元素を添加した(独自開発による)ナノ構造反応膜に流すだけで「元素転換」を可能にしたのが三菱重工である。
…実際、実験においてはセシウム(Cs)がプラセオジム(Pr)へと「元素転換」
し、原子番号が4、質量が8増加したことが確認できたと。
また同社はこの「元素転換」実験の成功によって考えられる今後の影響として、
@物性物理と核物理という異分野が融合したフロンティア領域の創成、
A日本で産出しない戦略的貴重元素の生成、さらには産業に不可欠だが輸入
依存度の高い貴重元素(白金等)の創成、の主に二つを掲げている。
元素転換の超先進国、ソ連ロシアのルートで研究、日本人科学者が「金」の錬金術の特許。
日本では既に、錬金術の特許が登録されている。
特許名は「常温核融合用電極並びにその核変換による放射性、非放射性元素及び貴金属の製造方法」、特許公開日は「1997年7月31日」、公開番号は「特開平9-197077」。
発明者は「能登谷玲子」となっている。
これによれば、「常温核融合用電極並びにその電極の核変換」により貴金属を製造することが可能で、実際にこの発明によって「197Auが生成された」と記されている。「197Au」は金。
文字どおり錬金術の特許。
能登谷玲子氏は、1970-1971年にモスクワ大学化学部電気化学科、1974-1975年にFrumkin Inst. Electrochem. AS USSRに、文部省及び学術振興会の派遣によって研究に従事している。
ともに旧ソ連の偉大な化学者であったフルムキンが指導者であった研究施設である。彼女とフルムキンの交流は1966年から死去までの10年間。フルムキンの業績は電気化学、電極表面での物理現象がメインテーマである。
能登谷玲子氏の研究もこれに沿ったものであり、常温核融合を彼女が1989年以降に手がけてわずか4年で特許申請に至ったのは当然とも言えるだろう。
「プラウダ」の2005年9月30日付
「日本は代替エネルギー開発では世界で最も先陣を切っている国の一つである。日本の科学者たちが石油を購入したり、それを使ったりすることから日本を解放することがあり得ないわけではない。・・・現段階で日本が世界最大の金準備を持っていると自慢出来ることは知るに値することである」
眉唾考慮必要情報
アメリカは、中華と日本の王族の莫大な簿外の金塊を吐き出させるために、日本に米国債とドルをたらふく喰わせて、次に米国債とドルを暴落させれば、それができる、と考えている。
アベノミクスと日銀のバズーカ砲金融緩和は、まさにその通りに、米国債とドルの買いになだれこんでいる。
この仕組みの仕掛けは、1985年のプラザ会議で、日本の保有する金の総量は外貨準備の1%とする、と決められていて、以来、新たな金購入はできず、自動的に米国債とドルの買いになってしまう、ということにある。
ブラザ合意後、円高を進行させ、日本のバブル経済を生み出し、一気に破裂させ、暴落した日本株を外資が買い漁っていった。すでに、米国債とドルを使って、日本の資産と天皇家の金塊を収奪する仕組みを、ブラザ合意で作ってしまっている、ということになる。
元素転換のはなしが、金融マーケットのはなしになってしまった。
生物学的元素転換(Biological Transmutations)
生物の内部で特定の元素が別の元素に転換する現象を示す言葉である。様々な科学者がその存在を示唆する研究を古くから行っていたが、1960年代にフランスの科学者のルイ・ケルヴランがそれを明確な概念として確立した。ただし、現在に至るまで肯定的な証拠が得られたことはなく、ほとんどの科学者はその存在を疑問視している。
研究の沿革
元素転換に類似する概念は原子に関する知識が確立されていなかった中世の錬金術の時代に遡られる。
1600年頃にフランドルの化学者J・P・ヘルモントは、水だけを与えて生育させた樹木の重さが数年後には大きく変化していたことを見出している。
1822年にイギリスのウイリアム・プラウト(en:William Prout)は、鶏の卵から産まれたヒヨコに含まれる石灰分が卵の4倍も増加していることを報告している。また同じ時期にフランスの化学者L・N・ヴォークランは、鶏の卵の殻に含まれる石灰分が餌として与えたオート麦の石灰分をはるかに超える量であったことを確認している。
1849年、ドイツのフォーゲルはクレソンの種子を発芽させる実験を行ったが、その実生には種子よりも多くの硫黄分が検出されたことを記している。
1856年から1873年にかけてイギリスの農学者のローズ(en:John Bennet Lawes)とギルバート(en:Joseph Henry Gilbert)は、植物が土壌に含まれている量より多くのマグネシウムを吸収していることを示すいくつかの実験を行っている。
1875年以降、ドイツのフォン・ヘルツィーレ(de:Albrecht von Herzeele)はローズとギルバートの実験を追試し、また独自の実験により硫酸塩を含んだ水で栽培した植物にはリンが増加していることを見出している。
20世紀に入るとオーストリアの神秘思想家R・シュタイナーがバイオダイナミック農法を提唱し、その農業講座の中で一つの元素から別の元素に転換する現象が生じうることに言及している。 この思想は後継者E・プァイファーによって受け継がれ、彼はその著書「大地の生産性」の中で石灰分の乏しい芝生に生育したデイジーが多量のカルシウムを含んでいるといった実例を記している。
フランスでの再発見
20世紀初頭以降、原子核の構造に関する研究も進展していたが、それにもかかわらず元素転換を示唆する観察例は様々な形で報告されている。
1925年、パリ大学理学部のP・フロンドラーは海底の岩石に着生している藻類がヨウ素を作り出していることを報告している。 同様の研究をしていたフランスのH・スピンドラーはフォン・ヘルツィーレの研究に着目し、パリ理工科学校の化学者P・バランジェにその確証を促した。
バランジェ教授はソラマメの発芽実験を行い、カルシウムを含んだ水で栽培した種子が成長すると、カリウムが10%増加することを実験的に確認している。これはフランスの科学誌 "Science & Vie"に「原子物理学を覆すフランス人科学者」という記事として紹介され、大きな波紋を引き起こした。そして1960年、後に「生命の錬金術師」と呼ばれたルイ・ケルヴランが登場する。
元素転換説の確立
ケルヴランが生物学的元素転換に関する論考を初めて公表したのは1960年7月の『レヴュー・ゼネラル・ド・シアンセ』の「異常な代謝収支と生物学的元素転換」という論文である。この中で彼は、生体の内部では特殊な酵素作用によって核反応に相当する現象、すなわち元素転換が生じている可能性を指摘した。
その後彼は1962年の『生体による元素転換』を初めとする著作を次々と公表し、当時の学会に大きな波紋を巻き起こした。さらにはラットやロブスターを使用した検証実験を行い、その成果をフランス農学アカデミー(fr:Académie d'Agriculture)に報告している。
ケルヴランの検証実験は「ノン・ゼロ・バランス」という代謝収支の変動を示す方法をとるものだった。すなわち実験処理によってある元素が減少し、別の元素が増加したことを定量的に示すことによって、見かけ上アンバランスなその変動を元素転換反応の結果として捉えるものである。
このような手法による元素転換説の肯定は実験上かなりの制約条件が付随するものであり、当然のことながら後に数多くの批判を受けることにもつながったのである。
元素転換説に対する反響と論争
いくつかの専門誌に論文を公表したケルヴランは1962年に『生体による元素転換』、1963年に『自然の中の元素転換』を出版した。 前者の著作にはフランス医学アカデミー総裁のL・タノン、後者の著作には国際地球科学連合の副総裁であるG・ロンバールが序文を寄稿しており、生物学的元素転換を「革命的発見」として紹介している。 続く1964年には『微量エネルギー元素転換』が出版された。これらの著作により元素転換説は広く普及され、当時の知識層に大きな影響を与えた。
たとえばJ・ミネレ、A・シモネトンといった研究者は自らの著作の序文をケルヴランに依頼し、E・プリスニエはその著作の中で元素転換のメカニズムをホメオパシーの作用と関連づけている。またB・シューベルやH・カンベフォールは地質学における微量エネルギー元素転換についてそれぞれの著作の中で記述している。そしてフランス最初の有機農法のレマール・ブーシェ法では生物学的元素転換を栽培技術の理論的根拠として採用し、「カルマゴル」と呼ばれる元素転換の活性剤を普及・販売したのである。
こうした反響に付随して元素転換説を批判する人物も各方面から現れた。G・レストラとJ・ロワゾーは1962年11月の『カイエ・ラショナリステ』に批判記事を公表しており、1965年にはフランス化学協会のE・カハネとA・シノレがエンドウマメを使用した実験を行い、否定的な結果を報告している。
これに対しケルヴランは決して自説を取り下げるようなことはしなかった。1967年12月に彼はラットを使用した実験をフランス農学アカデミーに報告しているが、マグネシウムを多く与えられたラットにはカルシウムと燐の増加が観察されたことを報告している。 また1969年1月にはロブスターを使用した実験を農学アカデミーに報告したが、収支の精度に関する批判を受け、再実験を勧告された。そしてその論文と議論の全容はアカデミーの公式記録から抹消されたのである。