宇宙は生きている

 

はじめにあった。カタチがないものがあった、それがすべてだった、であり、であり続ける。

それは「神」とも「Something Great」とも呼ばれていた。

それが目覚めると、「空」とも「ゆらぎ」とも「根源」とも呼ばれるものがカタチをもつことになった、

こうしてあの世のほんの一片がこの世の宇宙としてうまれた。

「このあってないものであり、同時にすべてであるものは生きている」と、この世の「わちき」はいう。

いのちは無始からあり、そこに「空」が宇宙に満たし、それ自体の存在を生きている。

 

カタチになった宇宙では水素とヘリウムが拡がり、その集まった星は次々と大きな元素を生み出していった。次々と炭素や酸素などの元素を生み出した。

そして星は大爆発して、また鉄やケイ素などの新たな元素を作って宇宙に拡がった。

命の終わった星の元素が集まってまた新たな星が生まれた。

そしてまた大爆発して、金やプラトニウムなど新たな元素を生み出した。

星星は爆発を繰り返し命を終え、次の新たな星星を生み続けた。

はじめの水素が高次な元素に変わっていく。

星は爆発して、その残骸は星だけではなく、惑星や衛星となった。

 

その一つ、地球では生命が生まれ、炭素や水素や酸素などの元素を地球から貰い植物が大きくなった。

その植物を動物がたべて、私達ヒトも生きている。

宇宙が次々と単純なものから複雑な元素を生み出すことを生命といっても良いのだろうか?

ヒトの体の構成成分である元素は、宇宙が始まり、星が作り上げていった元素と同じ。星や太陽と同じの元素からできている。 宇宙生命といえる大きな命でつながっている。

私とほこりも元は同じところからつながっている。

宇宙から見ればどちらも同じ全体の一部。

同じ、とてつもない大切さ。

どちらもどことも太く繋がっている。

ひとつに。

そして同時に、宇宙の向こう側と「いのち」はしっかりと別れている。

 

 

 

 

 

生命体の定義 

生命活動の本質というものは、わかりやすくまとめていえば「自己維持」と「成長」と「複製」

バナール、シュレーディンガー、ウィグナーらが揃って到達した結論は「生命体とは周囲の環境から物質あるいは自由エネルギーを採り入れることによって内的なエントロピーを減少させ、その結果、変衰したかたちの物質やエネルギーを排出する開放または持続システムの現象である」この定義に即して宇宙間のどこかにひそんでいるかもしれない生命体をなんらかの方法で探知しようとすると、うまくいかない。なぜならエントロピーの減少とエネルギーの排出するシステムは、流水中の渦巻にもハリケーンにも炎燃現象にも電気冷蔵庫にも認められるからである。これでは生命体の特定探知は進まない。

 

 

 

成長の不思議

人は何もできない

ただあるのみ

それが分かった時にこの世界の前と後ろにあるすべてがわかる。

それを人は神とよんだ。

 

 

宇宙誕生から今日まで約137億年といわれている。

秒で数えると1017乗  

 

Something Great

生命のない世界では秩序のあるものが秩序のない方向へ

生命の世界は秩序のないものが秩序のあるものへ常に行われている

混沌、拡散が秩序の世界へ

遺伝子を動かしているのは誰なのか、遺伝子を書いたのは誰なのか、

 

生命体は他の宇宙の動きと同じように、秩序を持って形をつくりあげる。そしてもとに戻っていく。

 

 

プランク長 10のマイナス33乗センチメートルの一点からビッグバンという宇宙の始まりが始まった。

137億年前。

この一点から始まった宇宙から無数の銀河系小宇宙が生まれ、その一つから地球が誕生した。

そこに38億年前に、生物が誕生して私達がいる。

全ての物質も、全ての生物も、一点から始まった。

 

266日の胎内を経て誕生、38億年の地球史を胎内で再現する。一週間で一億年。

 

 

 

 

星の物質循環   恒星は元素の工場

ビッグバンで宇宙が誕生した時には、宇宙には水素とヘリウム、ごくわずかのリチウムとベリリウムしか元素は存在しませんでした。しかし現在、私たちの周りには、酸素や窒素、炭素や鉄といった様々な元素がある。これらの元素はいつ、どこで作られたのでしょう。実はこれら身の回りの元素は、宇宙が生まれてから現在までの137億年間に星の中で作られたものなのである。

 

一人前に輝く主系列星の中心では、水素原子核4つからヘリウム原子核1つが作られる核融合反応が進んでいる。中心部の水素がなくなるとヘリウムからなる核ができ、やがてこのヘリウムも核融合反応を起こして炭素や酸素といった元素が作られます。太陽よりも約10倍以上重い星の中心部では、炭素や酸素からケイ素、鉄といったさらに重い元素も作られていきます。

 

元素をまき散らす惑星状星雲と超新星爆発

このように、星の中ではさまざまな元素が作られていきますが、それを宇宙空間に放出するのは恒星の一生の最後の姿、惑星状星雲や超新星爆発である。超新星爆発を起こさない比較的質量の小さな星の場合には、中心部で作られた炭素や酸素の一部は恒星内部の対流によって外側まで運ばれ、恒星風となって宇宙空間に流れ出し惑星状星雲となる。それよりも重い星の場合は、超新星爆発によって大量の元素を高速で宇宙空間にまきちらします。さらに、非常に高温になる超新星爆発の瞬間にはさまざまな元素合成反応が進み、金や銀といった鉄よりも重い元素が作られ、他の元素と一緒に宇宙空間に散らばります。

 

次の世代に引き継がれてゆく元素

こうして宇宙空間にばらまかれた元素は、やがて周囲の星間物質と混ざり合い、次の世代の星の材料となる。このようなプロセスを何度もたどることで、宇宙の中にいろいろな元素が少しずつ蓄積されていきます。私たちの体を作る炭素や酸素、身近なところにある鉄や金や銀などすべての元素は、太陽系が生まれる前に宇宙に輝いていた星の中で作られたものなのである。

 

 

 

これら身の回りの元素、例えば生物の細胞に含まれる炭素、空気中の酸素はもちろんのこと、岩石やコンピューターのチップを構成するケイ素や、血液や機械の材料になる鉄などは、宇宙が生まれてから現在までの137億年間に星の中で作られたものである。

星の内部で形成された元素を宇宙空間に放出するのは、「数十億年前に起こった恒星の『爆発』」である。

 

比較的質量の小さな星(太陽くらい)の場合には、中心部で作られた炭素や酸素の一部は恒星内部の対流によって外側まで運ばれ、恒星風となって宇宙空間に流れ出し(爆発はしません)『惑星状星雲』となる。

それよりも重い星の場合は、『超新星爆発』によって大量の元素を高速で宇宙空間にまきちらします。

さらに、『非常に高温になる超新星爆発』の瞬間にはさまざまな元素合成反応が進み、金や銀といった鉄よりも重い元素が作られ、他の元素と一緒に宇宙空間に散らばります。

 

 

星は生まれ、そのなかで新たな元素をつくり、それを宇宙空間に戻すことで、宇宙をより豊かな場所にしている。

私たちの地球はそうしてつくられ、私たちは死んでいった星のおかげで生まれることができたのである。

 

光り輝く大イベント超新星爆発が、広大な宇宙では『1秒に1度』の頻度で起こっている。

これほどの爆発が地球の周囲でめったに起こらないのは幸運と言えます。

われわれの銀河で最後に超新星爆発があったのは1604年(地球からおよそ2万光年離れたところ)のことである。

そんな超新星爆発が、もし数光年程度の近距離で起これば、地球は死の放射能に包まれることになる。

 

「これまでの無数の超新星でそうだったように、この爆発で放出された成分もやがては新しい星になる。中には惑星に育つものだってあるかもしれない。それを観測できるのは幸せだよ」(学者談)

 

私たちの銀河系のすぐ隣にある大マゼラン雲では、1987年に超新星1987Aが出現しました。

大マゼラン雲は南天の天体なので日本から見ることはできないでしたが、東京大学の小柴昌俊名誉教授はこの超新星爆発で発生したニュートリノを検出しニュートリノ天文学を切り開いた功績が認められ、2002年のノーベル物理学賞を受賞しました。

 

ニュートリノ(Neutrino)は、素粒子のうちの中性レプトンの名称。中性微子とも書く。(ウィキペディアより)

ニュートリノ天文学は、太陽や超新星爆発で生成されるニュートリノを観測し、天文現象の解明に役立てることを目的とする。

日本の観測装置としてはカミオカンデ(解体済み)、スーパーカミオカンデ、カムランドがある。(ウィキペディアより)

 

天文学者が経験している宇宙の神秘に対する畏敬の念と興奮を、一般の人と分かちあいたいと考え、撮影された天体を最新かつ細心の技術により画像処理し、自然な色の天体の姿を再合成したもの

 

 

宇宙マイクロ波背景放

cosmic microwave background (radiation); CMB

 

CMBの放射は、ビッグバン理論について現在得られる最も良い証拠であると考えられている。1960年代中頃に CMBが発見されると、定常宇宙論など、ビッグバン理論に対立する説への興味は失われていった。標準的な宇宙論によると、CMBは宇宙の温度が下がって電子陽子が結合して水素原子を生成し、宇宙が放射に対して透明になった時代のスナップショットであると考えられる。これはビッグバンの約40万年後で、この時期を「宇宙の晴れ上がり」あるいは「再結合期」などと呼ぶ。この頃の宇宙の温度は約3,000Kであった。この時以来、輻射の温度は宇宙膨張によって約1/1,100にまで下がったことになる。宇宙が膨張するに従って CMB光子赤方偏移を受け、宇宙のスケール長に比例して波長が延び、結果的に輻射は冷える。この背景放射がビッグバンの証拠とされる理由について、詳しくはビッグバンを参照のこと。

CMBが生まれた後、いくつかの重要な事件が起こった。CMBが放射された時期に中性水素原子が作られたが、銀河の観測から、銀河間物質の大部分は電離していることが明らかになっている(すなわち、遠くの銀河のスペクトルに中性水素原子による吸収線がほとんど見られない)。このことは、宇宙の物質が再び水素イオンに電離した再電離の時代があったことを示唆している。これについてよくなされる説明は、初期宇宙で生まれた大量の大質量星からの光によって再電離が起こった、とするものだが、再電離自体は宇宙に恒星が大量に存在する時代より昔に始まったという証拠もある。

CMBが放射された後、最初の恒星が観測されるまでの間、観測可能な天体が存在しないことから、宇宙論研究者はこの時代をユーモア混じりに暗黒時代(dark age)と呼ぶ。この時代については多くの天文学者によって精力的に研究されている。

特徴 

CMBの特徴の一つに、エネルギー分布が黒体放射と非常に良く一致しているという点がある。CMBの温度は場所ごとに異なっている(すなわちわずかに非等方性がある)が、ある方向でのスペクトルは黒体放射にほとんど一致するといって良いほど似ている。

CMBのもう一つの顕著な特徴は、非常に高い精度で等方的であるという点である。ごくわずかな非等方性は見られるが、最も大きな非等方成分は双極成分(180度スケールのずれ)であり、その大きさは単極成分(全体の平均)の 10-3 程度である。この特徴は地球CMBに対して約370km/sで運動していることを示している。

外的な物理過程によるCMBの変化も存在する。スニヤエフ・ゼルドビッチ効果はこのような物理過程の主な要素の一つである。宇宙空間に高エネルギーの電子を含む雲が存在し、このような雲によってCMBの放射が散乱されると、CMBの光子はいくらかエネルギーを得て、散乱前よりも温度の高い放射として観測される。

もっと興味深いのは、約数十分角から数度のスケールで見られる約10-5程度の非等方性である。この非常に小さな変動はザックス・ヴォルフェ効果の結果である。これはCMBの光子が重力赤方偏移を受けて生じるものである。インフレーション理論によれば、この変動の起源は量子ゆらぎがインフレーションによって引き伸ばされたものであり、宇宙の初期ゆらぎそのものである。この変動の角度に関するパワースペクトルは(多重極モーメント成分の振幅として)理論的に計算することができ、パワースペクトルにいくつかのピークや谷が存在することが分かる。このピークや谷の位置はハッブル定数などの宇宙論パラメータや宇宙の幾何学に依存するため、これを実際の観測と比較することで宇宙モデルを決めることができる。

検出、予言、発見 [編集]

CMBジョージ・ガモフラルフ・アルファーロバート・ハーマンによって1940年代に予言され、1964アメリカ合衆国ベル電話研究所(現ベル研究所)のアーノ・ペンジアスロバート・W・ウィルソンによってアンテナ雑音を減らす研究中に偶然に発見された。ペンジアスとウィルソンはこの発見によって1978ノーベル物理学賞を受賞した。この CMBの解釈をめぐっては、1960年代に「CMBは遠方銀河の恒星からの光が散乱されたものである」とする定常宇宙論の支持者との間に激しい議論が巻き起こった。1941アンドリュー・マッケラーがこの散乱光モデルを採用し、恒星の幅の狭い吸収線の研究に基づいて、「星間空間の'回転'の温度は2Kになる」とする論文を発表しており、同時期にエディントンなども同様の説を提案していた。ガモフらは当初、背景輻射の温度として約5K程度を予想していた一方で、散乱光モデルを支持する研究者たちは2 - 3Kになるというモデルを提案し、輻射の温度の予測値だけを見ると散乱光モデルの方が現実の値に近いものであった。しかし1970年代に入ると、研究者たちのコンセンサスはCMBがビッグバンの名残であるとする説に傾いていった。天文学者たちのコミュニティがCMBの成因としてビッグバンを支持するようになったのは、星の光の散乱光というモデルから期待されるよりもCMBがずっと滑らかである(非等方性が小さい)という観測結果が積み重ねられたためである。

電子レンジの原理から分かるようにはマイクロ波を吸収するため、CMBを地上の観測機器で観測するのは非常に難しい。そのため、CMBの研究では大気圏または宇宙空間で観測装置を用いることが多くなっている。地上でのCMBの観測は、チリアンである山脈南極といった高度の高い場所や極地で行われている。

観測実験 [編集]

上記のような観測実験の中でも、1989から1996にかけて行われたCOBE衛星ミッションはおそらく最も有名なものである。この衛星によって初めて、双極成分以外の大スケールでの非等方性が検出された。COBEの結果に触発されて、続く10年間に一連の地上もしくは気球を使ったCMB観測実験が行われ、より小さな角度スケールでの非等方性が測定された。これら実験の初期目標は、COBEで十分に分解できなかったパワースペクトルの最初のピークのスケールを測定することだった。これらの測定によって、宇宙における構造形成の理論として宇宙ひもを考える説は棄却され、インフレーション宇宙が正しい理論であることが示唆された。パワースペクトルの最初のピークは年々高い感度で測定され、2000には南極の大気圏上層部での気球によるBOOMERanG実験によって、1度というスケールでゆらぎのパワーが最も高くなることが報告された。この結果と他の宇宙論の観測データを総合すると、ヒトの宇宙は平坦であるという結果が示唆された。その後2003までに、カリフォルニア大学バークレー校のチームによるMAXIMAVery Small ArrayCosmic Background Imagerといった多くの地上の干渉計によって、より高精度のゆらぎの観測が行われた。

20016月、NASA2機目のCMB観測ミッションであるWMAPを打ち上げた。これは全天にわたって大スケールの非等方性を、それまでよりも遥かに正確な測定を行なうことが目的であった。2003に公開されたこのミッションの成果は、パワースペクトルを1度以下のスケールまで詳細に測定したもので、これによって数多くの宇宙論パラメータに強い制限が与えられることとなった。この観測の結果は、多くの理論の中でもインフレーション宇宙論から期待される結果と広い範囲で良く合うものである。例えば、宇宙年齢は137±2億年、宇宙の物質・エネルギーの組成はダークエネルギー73%ダークマター23%バリオン4%などと求められている。WMAPCMBの大きな角スケール(の大きさ程度の構造)でのゆらぎについて非常に精密な測定を行ったが、地上の干渉計で行われた小さなスケールでのゆらぎについては測定していない。

3機目の宇宙ミッションであるプランク衛星20095月に打ち上げられた。この人工衛星はボロメータを搭載し、WMAPよりも小さなスケールでCMBを測定する。前の2機とは異なり、PlanckミッションはNASAESAの共同ミッションである。プランク衛星による初期観測結果は、2013321日に公開された。この結果、宇宙年齢は138億年、宇宙の物質・エネルギーの組成はダークエネルギー68.3%ダークマター26.8%バリオン4.9%であると求められた[1]

 

 

レプトン (lepton) は、素粒子のグループの一つであり、クォークとともに物質の基本的な構成要素

クォーク (quark) とは、素粒子のグループの一つである。レプトンとともに物質の基本的な構成要素であり、クォークはハドロンを構成する。クオークと表記することもある[1]

 

クォークどうしは結合してハドロンと呼ばれる複合粒子を形成する。最も安定なハドロンは、原子核の構成要素である陽子および中性子である[2]クォークの閉じ込めとして知られる現象により、クォークは相当な高エネルギー状態でなければ単独で観測されることはなく、ハドロンの中においてのみ観測することができる[3][4]。この理由により、クォークについて知られていることはハドロンの状態から分かることがほとんどであり、裸のクォークの性質はまだよく分かっていない。NASAの発表によると、天体が超新星爆発を起こした後に、クォークが裸の状態で存在する「クォーク星」と呼ぶべきものが発見されたとのことである(クォークグルーオンプラズマも参照)。

クォークは、6種類(フレーバーと呼ばれる)存在し、三つの世代を形成する。すなわち、第一世代のアップダウン、第二世代のチャームストレンジ、および第三世代のトップボトムである[5]。各世代は、電荷が正のものと負のもので対を作っている。クォークの質量は世代が上がるごとに増加する。より重たいクォークは粒子崩壊(高質量状態から低質量状態への変換)の過程を経てすぐにアップおよびダウンクォークに変化する。このようにアップおよびダウンクォークは安定であり、宇宙の中で最も多く存在するクォークである。一方のチャーム、ストレンジ、トップおよびボトムは、宇宙線粒子加速器の中で起こるような高エネルギー衝突の中でしか生成されない。

クォークは、電荷色荷スピンおよび質量などさまざまな固有の性質を持つ。クォークは標準模型において唯一、四つの基本相互作用全ての影響を受ける素粒子のグループである。基本的な相互作用は、基本的な力として知られ、電磁力重力強い力および弱い力がある。また、電荷が素電荷整数倍ではない唯一の知られている粒子である。全てのクォークのフレーバーについて、対応する反粒子が存在する。この反クォークは、クォークのいくつかの性質が大きさは等しいが符号が逆になった値(反数)を持つ。

クォークモデルは、二人の物理学者、マレー・ゲルマンおよびジョージ・ツワイクによって独立に1964年に提唱された[6]。クォークはハドロンを系統立てる枠組みの一部として導入され、SLACにおける深非弾性散乱実験で1968年に物理的な存在の証拠が発見された[7][8]。クォークのフレーバの6つが全て加速器実験により観測されている。最後にトップクォークが1995年にフェルミラボで見つかった[6]

ハドロンとクォーク [編集]

クォークモデルが確立するまではハドロンが強い相互作用を行う粒子であり、また素粒子であると考えられていた。しかし異常磁気モーメントの問題、特に電荷を持たない中性子が強い磁気モーメントを持つ事は未解決問題であるとされていた。加えて新たなハドロンの発見が続き、結局は核子について、より小さい構成要素による構造を仮定せざるを得なくなった(クォークモデル参照)。現在では、ハドロンは、6種類のクォークとハドロン内部で強い相互作用を伝播する8種類のグルーオンとから構成されるものとして考えられている。

ハドロンは、バリオン中間子(メソン)に分けられる。バリオンはクォーク3個、中間子はクォークと反クォークの2個で構成される。例えば、

·                    バリオンである陽子はアップクォーク2個とダウンクォーク1

·                    バリオンである中性子はアップクォーク1個とダウンクォーク2

·                    中間子であるK中間子はストレンジクォーク1個と反アップクォーク1

からなる。

クォークの質量 [編集]

クォーク1個の質量は、例えばアップクォーク (u) は電子の10倍、ダウンクォーク (d) 20倍程度だが、これらが集まると質量は普通とは違った結果になる。例えば、

·                    uudの組み合わせは陽子を構成するが、質量は10+10+20=40とはならず電子の1836倍程

·                    uddでは中性子だが、10+20+20=50とはならず1839倍程

となる。これはカイラル対称性の破れに起因する。

多クォーク粒子 [編集]

これまでは、ハドロンは上記のようにクォーク2個の中間子または3個のバリオンの組み合わせでしか見つかっていなかった。しかし、理論上予測されていたクォーク4個の組合わせからなるテトラクォークおよび5個の組み合わせからなるペンタクォークが発見された可能性がある。

 

アップクォーク (up quark, 記号:u) は、物質を構成する主要な素粒子の一つで、第一世代のクォークである。

アップクォークは、+2/3e 電荷を持つ最も軽いクォークであり、裸の質量 1.5 - 4 MeVである。素粒子物理学標準模型では、陽子はアップクォーク2個とダウンクォーク1個、中性子はアップクォーク1個とダウンクォーク2個で構成されていて、アップクォークはダウンクォークとともに核子を作るクォークとなっている[2]

クォークは、マレー・ゲルマンジョージ・ツワイク1964クォークモデルを提唱したことで存在が予言された。1968には、 SLAC 深非弾性散乱実験で、核子がより小さい物体から構成されていることを示す初めての証拠がみつかった。

 

クォークの一覧 [編集]

クォークの性質[9]

世代

名前

記号

質量 (MeV/c2)*

J

B

Q

I3

C

S

T

B′

反粒子

反粒子記号

第一
世代

アップ

u

1.7 - 3.1

12

+13

+23

+12

0

0

0

0

反アップ

u

ダウン

d

4.1 - 5.7

12

+13

13

12

0

0

0

0

反ダウン

d

第二
世代

チャーム

c

1,290+50
−110

12

+13

+23

0

+1

0

0

0

反チャーム

c

ストレンジ

s

100+30
−20

12

+13

13

0

0

−1

0

0

反ストレンジ

s

第三
世代

トップ

t

172,900±600  ±900 

12

+13

+23

0

0

0

+1

0

反トップ

t

ボトム

b

4,190+180
−60

12

+13

13

0

0

0

0

−1

反ボトム

b

脚注 

レプトンの一覧表 [編集]

レプトンの性質

粒子/反粒子名

記号

世代

Q (e)

S

Le

Lμ

Lτ

質量 (MeV/c2)

平均寿命 (s)

崩壊生成物

荷電レプトン

電子陽電子[15]

e
 
/e+
 

第一世代

−1/+1

12

+1/−1

0

0

0.510998910(13)

安定

安定

ミュー粒子反ミュー粒子[16]

μ
 
/μ+
 

第二世代

−1/+1

12

0

+1/−1

0

105.6583668(38)

2.197019(21)×10−6

e
 
 +ν 
e
 +ν 
μ

タウ粒子反タウ粒子[17]

τ
 
/τ+
 

第三世代

−1/+1

12

0

0

+1/−1

1,776.84(17)

2.906(10)×10−13

τ
 崩壊モード参照

ニュートリノ

電子ニュートリノ
反電子ニュートリ[18]

ν 
e
/ν 
e

第一世代

0

12

+1/−1

0

0

< 0.0000022[19]

未知

ミューニュートリノ
反ミューニュートリノ[18]

ν 
μ
/ν 
μ

第二世代

0

12

0

+1/−1

0

< 0.17[19]

未知

タウニュートリノ
反タウニュートリノ[18]

ν 
τ
/ν 
τ

第三世代

0

12

0

0

+1/−1

< 15.5[19]

未知

 

 

宇宙はほぼ100億年ないしは200億年前には最小の大きさで、そこでは虚時間の経歴の半径は最大だったにちがいない。そこは有限であるが、境界がなく、したがって特異点はなかった。やがて宇宙に実時間が動きだし、そこからカオス的なインフレーションによる急速な膨張がおこっていく。宇宙は再崩壊を避けられる臨界速度にごく近い速度で膨張し、きわめて長い期間の再崩壊をおこさなくなった。

しかし、これではホーキングのヴィジョンはおさまらない。これだけの話では、宇宙の片隅になぜ知的生命が偶発的に発現したかがわからない。それがわからないと、なぜ人間が考える宇宙の全貌がこのようなものになってきたかという最後の説明の辻褄があわないからである。
 ホーキングは本書の最後で、この問題を説明する。そして、実は時間の矢には3つの種類があったのではないかと仮説する。
 第1のものは「宇宙が膨張する方向に進む時間の矢」、第2のものは「無秩序を増大させる熱力学的な時間の矢」、そして第3のものは「われわれが未来ではなく過去を憶えている方向にある時間の矢」というものだ。第2の矢と第3の矢はほぼ重なっている。
 もし、時間の矢がこのようになっているとすれば、宇宙の膨張が無秩序の増大をひきおこしているのではなく、むしろ無境界条件が無秩序を増大させたのだ。そして、宇宙における知的生命は宇宙の膨張期だけに出現するということになる。そして、われわれが宇宙をこのように見てきたという理由にもおおざっぱな説明がつくことになる‥。

 

 

 

剣術と天理

八面玲、物外独立の心妙というのである。そもそも天地は、これ(自然の霊妙な働き)を得て開け、日月星辰もこれによって動いて昼夜をつくり、山川草木、森羅万象、蠢動含霊など一切の天地の働きがみな、この霊妙な働きによって存在している。天地は同根であり万物は一体である。すべて、その霊妙な働きから受け得た自然の性質そのものに任せれば、なにも不足はなく、働きも自由自在である。その不足のない自由なままに手足身体を働かせ、理(天理)に叶うところを修業することが、当流━無住心剣術━の教えの原点である。

 

 

 

 

宇宙が存在する奇跡、たとえば核力ε 0.0007 

陽子と原子をまとめて原子核を作り上げる力 

水素が核融合してヘリウムになるとき、質量の0.7%がエネルギーに転換される。

0.6ならば陽子が中性子に接着されず、原子核が安定せず、水素からヘリウムが合成されない。

0.8ならば2個の陽子が中性子の介在なく結合してしまうため、水素が全てヘリウムに転化してしまう。

 

 

宇宙の意志

すべてのものが消えていくようにみえる

それが命のないもののたどる道

こうしてカタチは生まれては消え、消えては生まれる

よくみれば川に流れる泡も同じ

雲も同じ

地球も同じ

太陽系も同じ

太陽がなくなっても他にもエネルギーがある

宇宙も同じ

星が爆発し、そのエネルギーでまた新たな原子を放出して、新たな星を作る

生まれて消え、消えてはまた生まれている

宇宙の法則とは生まれ続けること

エントロピーはその中の夜の表情

ところがその内側にいのちがあることに変わりはない。

 

 

 

 

宇宙で止まっているもの

宇宙で「止まっている物」ってあるのであるか?

逆の言い方のほうが良かったかもしれませんが、

なぜ、宇宙の物は全部動いていると決めてあるのであるか?

 

何かを基準に、動き(移動)が存在すると思うので、

基準こそが「動いていない物」だと思いまして、、

ソレが何なのか知りたいな、と思いました。

 

 

もしくは、

とにかく全部が全部、動いているんだ。として、

ぶつかって跳ね返ったり、色々、みんな、てんでばらばらに動いていると思うのであるが、

運良く?ちょうどうまい具合に動きを殺し合って、止まったままの物もあると思うのである。

 

表現が下手であるが、

例えば、洗濯機の中に、水とボールを入れて、グルグル回した時、

運良く、全く動かない確立が、ゼロではない(気がする)以上、宇宙の中で止まっている物もあるのでは?と思うのである。

だけど、それは何を基準に?とも思うのである。

投稿日時 - 2004-01-26 23:38:48

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回答No.11

 

maris_stella

 

>何かを基準に、動き(移動)が存在すると思うので

 

これはその通りで、「運動している」「静止している」ということは、「何かの基準座標系」に対し、運動している、静止している、という意味である。

 

こう言った観点から大きく宇宙物理学的な視点で考えると、「静止している物体・系」は存在するという結論が出てきます。まず、結論を書きます。何故、そうなのか、どういう系がそうなのか以下で説明します。

 

ただ、こういう問題は、先端の物理学・宇宙物理学の理論や観測事実に密接に関連しているので、以下に述べることは、わたしの認識している範囲での物理的な理論においてである。これ以外の考えもまた何かあるのかも知れません。

 

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ニュートンの運動の概念は、ニュートンの古典力学が、アインシュタインの特殊及び一般相対性理論において、光速よりもずっと小さな速度の運動系について成り立つ、「近似理論」とされましたが、しかし、「ニュートンの運動の概念」は、現在でも有効である。

 

ニュートンは、物体の運動とは、何か基準となる座標系に対する、時間と共に変化する変位の存在(物体の移動)であるとし、この「基準座標系」として、「絶対空間」とも言える基準を仮定しました。空間には、ニュートンの時代だと、目印など付けることができないのであるが、理論的にニュートンは、「空間は固定されている・静止している」という理論前提を立てました。

 

しかし、ニュートンの時代には、すでに、地球が自転していること、月が地球の周りを公転していること、更に、地球と月の連動システムが更に、太陽の周りを公転していることが知られていました。

 

そうだとすると、「静止系」とはどこにあるのか、地球の中心が静止しているとは言えない訳で、では、太陽が静止系で、その中心がこの静止系の原点なのか、というと、ニュートンの力学からすれば、そうではないと言うことになる。地球は太陽の周りを公転し、諸惑星も、ケプラーの法則に従って、太陽の周りを、楕円軌道を描いて公転していることが分かっていました。

 

そしてニュートンの力学からは、このケプラーの法則も正しくないということが出てきます。空間のどこかに原点を置き、静止座標系を仮定して、地球と太陽のあいだの運動を計算すると、地球と太陽は、「共通重心の周りを相互回転している」という解が出てきます。実は、地球と太陽は、このような運動関係にあるので、「地球が太陽の周りを公転している」は、厳密には違うのである。

 

太陽が仮に静止しているとすると、地球の見かけの運動は、ケプラーの法則に従う、ほぼ円に近い楕円軌道を公転しているというのが、ニュートンの力学での解である。

 

ニュートンは「絶対空間」を考えましたが、絶対空間における「静止系」つまり、止まっていると系とは、具体的には、どういう系なのか、どの系または天体が、静止していると言えるのか、それは分からない、考えないという理論だったのである(分からないが、天体の運動の問題では、色々と静止系を取ってみて、運動の姿を計算できるという理論である)。

 

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アインシュタインの特殊相対性理論そして一般相対性理論は、ニュートンの絶対空間を否定したと一般に表現されますが、厳密には、そうとは言えないのである。

 

ニュートンの運動学では、静止系はあるが、どれが静止系とは言えない。逆に言えば、どの系でも静止系と見做して、運動方程式を立てることが可能だということになる。それに対し、特殊相対性理論では、「静止系と見なせる系」について、条件が付きます。それは、「慣性系が静止系である」と考えられるということである。速度の異なる慣性系は無数にあるので、無数の静止系がある、ということになる。

 

ところが、一般相対性理論になると、「天文学的メゾレベル」で、「静止系」が実際に決まるという結果が出てきます。「天文学的メゾレベル」は、例えば、半径50万光年の空間の規模では、あるいは、1千万光年の空間距離規模では、というような話である。

 

一般に、特殊相対性理論の方が、分かりやすいので、「運動は相対性を持つ」ということを言うが、一般相対性理論になると、理論の原理前提に「相対性原理」は含まれているが、「重力と加速度は等価である」という、もう一つの重要な理論原理から、上で述べた、天文学的メゾレベル規模では、「静止系」が決められるという結果が出てくる。

 

分かりやすい話をすると、地球から宇宙船が宇宙空間に出発して、光速近くまで加速し、そのまま飛行を続けて、遙かな星までたどり着き、そこでUターンで地球へ、また還って来たとします。このとき、特殊相対性理論で考えると、光速に近い速度で運動する系は、相対的に静止している系に対し、時間の進行が遅くなり、その結果、地球では、百年が経過して宇宙船が還って来たとき、宇宙船の乗員たちは、その宇宙旅行に要した時間は、10年であった、などという時間の間延び現象が起こる。

 

この時間の進行の遅延は、素粒子物理学などでは、普通に観察されていることで、物理学的に妥当である。しかし、この話は、実は、一種の誤魔化しがある。どういうことかと言えば、このような加速度運動をして、その後、巡航慣性運動をし、また減速し、再度、加速し、というような運動は、特殊相対性理論では、扱えないのである。こういう運動は、一般相対性理論が扱いうる。

 

何故、特殊相対性理論では扱えないかは、「加速度」が働くからである。単に、特殊相対性理論の「運動相対性」だけを当てはめると、地球に対し、宇宙船が出発し、別の星に向かって飛行して、百年経過して帰って来たと考えることもできるが、逆に、宇宙船は静止していて、地球の方が、宇宙船から遠ざかる運動をし、百年後に、再び、宇宙船のところに帰って来たとも考えられる。

 

この場合、宇宙船のなかでは、百年の時間が経過したが、地球では、10年しか時間が経過していないとも考えられる。しかし、実際は、そんなことはないのである。やはり、地球で百年の時間の経過、宇宙船では、10年の時間の経過で、その逆は成り立たない。

 

地球の方が、宇宙船より圧倒的に大きな天体であるので、こういうことが起こるのか、というと、違う。それは、宇宙空間に、同じ宇宙船を二基置いて、一方の宇宙船は何もせず、乗員が、そこに搭乗しているとし、他方の同じ大きさ、形の宇宙船が、加速度運動をして、旅に出、運動しなかった宇宙船において、百年の時間が経過した後、帰って来たとしても、やはり、運動した宇宙船の時間経過は10年になるのである。

 

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相対性理論は、「運動の相対性」を原理とするが、以上の話で見ると、加速度運動をするかしないかで、明らかに、違いが出てきていることが分かる。二基の宇宙船のうちで、加速度運動などしなかった一方の方が、「静止している」とも言える。

 

マッハの思考実験は、例えば、人間がバケツを持って、それを振り回したときに、もし「運動が相対的」であるなら、人間がバケツを持って回転しているのではなく、バケツを持った人間の周りで、宇宙全体が、回転していると考えても良いのではないか、という疑問である。

 

「この宇宙」では、人間がバケツを持って回転しているのであって、宇宙がバケツを持った人間の周りを回転しているのでは「ない」ということが言える(そういう逆のことが成り立つ空間も、思考実験上は、「ありえる」が、この「宇宙」は、そういう空間ではない)。

 

バケツを持って人間が回転するは(別にバケツを持たなくとも、そのまま回転しても同じであるが)、「加速度運動」である。そして、加速度運動があると、「運動」と「静止」のあいだで、何かの「区別が可能」になる。

 

それは先に、光速近くに加速する宇宙船の話をしたとき、加速度運動した方の時間が、相対的には、進行が遅くなるのであって、その逆は成り立たないと言ったのと同じ原理である。

 

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一般相対性理論においては、「重力」と「加速度」は、本質的に同じものだとされる。これは理論原理で、「等価原理」と言うが、果たしてこれが正しいのかどうか、不明であるが、現在までの物理学の現象では、加速度や重力が関係する場合、この「等価原理」は妥当であって、矛盾は出てきていない、という観測結果がある。

 

アインシュタインは、特殊相対性理論で、いわば、空間と時間が運動において、独立変数ではないとして、時空(ミンコフスキー時空)の幾何学に、運動学を還元したとも言えるのであるが、一般相対性理論では、「重力=万有引力」という「力」を、加速度と等価だと考え、これを、「空間の歪み」として表現した。

 

「歪んだ空間」は、実際に存在するのかどうか、その検証は、「水星の近日点移動」という観測と、もう一つ、日蝕の際、太陽の表面すれすれのところに見える背後の星が、理論的には、「見えない」はずが観測されるということで、実証された。

 

二次元的に絵を描いてみると、太陽の丸い円を描いて、地球から太陽の表面に接する線を引くと、この線より太陽側にある星は、光が、もしまっすぐに進むなら、太陽に隠されて見えないはずである。しかし、見えないはずの背後の星が観測できるということは、太陽の表面で、太陽の重力によって空間が歪んでいて、直進するはずの光が、折れ曲がって進んでいるので、見えないはずの星からの光が、地球に届くのである。

 

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結論は、天文学的メゾレベルの規模では、銀河系の重心、または、銀河系、アンドロメダ星雲、三角座過剰星雲、大小マゼラン雲などが構成する、大体、1千万光年ぐらいの空間領域で、これらの星雲や天体の「重心」が、「静止系」と言える。

 

上の「重心」に対し、運動していない天体・物体は、「静止している」と言える。

 

重力は空間の歪みであるので、銀河系やアンドロメダ星雲などの巨大な質量は空間の歪みとなり、ある点において、物体が、この「歪み」に対し、加速度運動を行っておらず、かつ、これらの星雲群の重心に対し、相対的に静止している場合、この物体・天体は、「静止している」と言える。

 

宇宙は、「ハッブルのスペクトル赤色偏位」や空間の絶対温度4度ほどの等方等質「背景輻射」の存在から、ビッグバンまたはそれに類した何かの宇宙物理学的事態で、「空間膨張」していると考えらる。

 

そして、上で述べた「静止している天体」があるとしても、銀河系を1億光年も離れる空間における、「静止系」は、「この空間近傍の静止系」とはまた異なり、更に、たとえば1億光年と10億光年離れた局所空間での静止天体の二つが、ハッブルの膨張膨張により、互いの距離が段々開いて行くということは、現在の観測事実と理論からすれば妥当である。

 

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しかし、この10億光年ほど離れた、二つの「静止天体」は、宇宙の膨張と共に、そのあいだの距離が、段々大きくなるのが事実としても、両者は、それぞれにやはり「静止している」のである。

 

そもそも、運動とは、何かの基準に対しての運動である訳で、ニュートンは、どれが空間の基準座標か不明だが、「絶対静止系」を設定(措定)できるとした。運動とは、「空間を移動する」ことなのである。少なくとも、物理学の力学・運動学ではそうである。

 

十億光年離れた二つの「静止天体」のあいだの距離が開いて行くとしても、この二つの天体は、「空間を移動していない」のである。ただ膨張により、二つの天体のあいだの空間で、「空間の生成・増殖」とも言えるような事態が起こっている。

 

「空間の生成・増殖」とは現在の物理学では、メカニズムを説明できないが、観測事実として、宇宙が膨張しており、「宇宙の観測的地平線」で、それは「光速」となり、更にそれより遠い天体は、「光速以上の速度」で、例えば、銀河系などから離れていっている。

 

一般相対性理論が成立する、または、既存の物理学理論の空間では「光速を越える速度」は空間には存在しないのであるが、それが存在するのは、膨張宇宙の「膨張」は、観測事実で確認されているだけで、それを説明する理論は、いまだ未完成である。

 

ハッブル膨張により離れた銀河とのあいだの「距離の開き」は、普通の空間での「運動による移動」とは異なった原理によるので、「超光速」の動きではない、という。

 

 

 

 

 

 

 

参考資料

脳の意思と判断、心のかがやきと変化

遺伝子というカタチ、本能というプログラミング、生きるという生命体の意志

 

ヒトの脳内に現象として発生する「意志」には、その「性質」はある。何でもそうであるが、まず構造や性質が明らかにされなければ、その「存在意義や理由」を知ることはできない。

意志は「行動選択の動機」であるとすると、「要因」という入力によって成立する。

すると不必要な要因を全て取り除いたものが「意志」の本質的な性質となる。

「人間が」「主体的に」「意識された」といった何が付加されましても、その本質に全く変わりはない。

 

「エントロピーの法則」に従うだけであるならば、そこに選択枝はないが、意志の本質は「要因」である。

生物や鉱物の結晶をはじめとしたこの世の全ての自己組織化現象がエントロピーの減少に逆行するという選択枝を持っている。

「エントロピーの必然的減少」が宇宙の大原則であるならば、滅びるはずのものが滅びない、絶滅するはずのものが絶滅しない、生まれるはずのないものが生まれてくる、ここに作用しているのは全てが「意志」となる。

文学者は「自然界の意志」とか「宇宙の意志」といった言葉を使うが、このようなものは主体に人格はなく、結果はTPOの条件によるのだが、で、このような比喩的な表現を使うように「意志」は持つ性質があると感じる。

エントロピーに逆行し、散逸構造を持つ自己組織化現象には、必ず意志と同じ性質が現れる。

この内、生命現象の場合に限り、それは主体にとっての「生物学的価値判断」として働く。しかしながら、その価値判断が生得的に定められた本能行動であるならば、それは個体の意志ではない。ならば、生後学習によって獲得された反応特性による生物学的価値判断が自分の意志ということになる。それは条件反射や感情にように学習によって作られた自動反応回路であって、意識的な理性的な判断ではない。

これは意志と呼ぶないのが一般的な語用である。

それが「生物学的価値判断」であるとするならば、生物以外の現象に発生する意志と同様の選択とはいったい何のためにあるのか?どうして宇宙はエントロピーの法則に従って滅びてゆくのでしょう。そして、全ての散逸系は、いったい何のためにエントロピーに逆行して自己組織化しなければならないのでしょうか。

 

>つまりは私が存在の有無を確認したかったのは「不確定要素」、例えば概念としての「意志」もそうであるし、脳内・生命内に限らず、自然界のどこかに「完全な乱数計」的なものがあるとすればそれでもいいんであるが、そういうものだと思いる。

 

現在の科学では二つの理論によって「完全な不確定系」というものは必ず存在するとされている。

ひとつは複雑系科学に類する「カオス理論」あり、もうひとつは量子力学における「ハイゼンベルクの不確定性原理」である。

この二つは全く異なるものであるが、共にそれぞれが、

「過去の現象を正確に逆算すること」

「未来の結果を正確に算出すること」

このようなことはできないと否定している。

 

しかし、自分ではその都度迷ったり、決断したりしているつもりでも、それは錯覚(大脳皮質の無自覚?)で、実際はあらかじめ脳内で回答は決まっている、という考え方がある。。

 

運動の法則を解明した「ニュートン力学」では、「XYZ座標」に時間や運動量などの初期値が決定されるならば、その法則に基づいて運動の結果が求められます。つまり、ニュートン力学は「未来の結果」を計算によって導き出すことができるわけである。

では、未来の結果が全て決定されているとするならば、この世のあらゆる現象はただ時間と共に次々と出現するだけであり、ヒトが行う意思決定は何の意味も持たないことになる。そのため、17世紀に誕生したこのニュートン力学における「確定論」は、「ハイゼンベルクの不確定性原理」が提唱されるまでの間、ヒトの「自由意志」というものを250年間に渡って頑なに否定し続けることになる。これは皮相的なプロテスタントの預定説とつながるものだ。

 

21世紀を迎えた現在でも、人工衛星の軌道計算にはニュートン力学が用いられているが、分子・原子によって構成されるミクロの世界では「観測」という行為が成されることによって現象そのものが変化してしまうことがわかっている。このため量子力学では、観測が行われ、結果が確定するまでは、それがどのような現象として現れるかは確率でしか求めることができないとされている。未来は、「発生し得るありとあらゆる可能性の集合」であり、現在に結果以外の可能性が全てゼロになるまではそれを確定することができない。この「不確定性原理」により、量子力学では「未来は未確定である」と結論付けられた。

 

「何でも計算できる神の計算機があれば宇宙の誕生を明らかにすることができる」と言ったのは、ニュートン力学の熱狂的な崇拝者であるフランスの数学者ラプラスである。

サイコロの落下には如何なる空気抵抗が加わり、それがテーブルの上でどちらに転がるか。更に、そのサイコロを振ったひとの手や身体がどのような生理状態でどんな力を与えたのか。このようなことが分子・原子のレベルで全て計算可能であるならば、サイコロの目は予測することができるとするのだが、量子力学は分子・原子のレベルでそれを否定したことになる。

この世の全ての現象は無数の可能性から偶然によって選択されるものであり、未来は未確定である。これにより、ニュートン力学における「確定論」は20世紀(1927年)を以って崩壊し、ヒトの「自由意志」は晴れてその存在を許されることになった。といってもこの自由意志とは、各自が過去に学習した自動反応回路、すなわちインド哲学でいうサンスカーラ(仏教のサンカーラ)によって決定されてしまっているものにすぎないのであるが。

つまり理性かの確定論から逃げられても、自分が作り上げたパターン認識に囚われたままなのであるが。

 

複雑系科学では未来を確定できない根拠を現象の積み重ねによる「誤差の指数関数的増大」がの要素としている。

有名なのは「パン生地の折り畳み」という思考実験であるが、やわらかいパン生地に食紅を垂らし、二回、三回と折り畳みながらそれをこねてゆきますと、精々十数回当たりで食紅はパン生地全体に分布してしまい、もはやここから初期の状態を逆算することはできない。

逆算することができないならば、初期状態から未来の結果を予測することもできないということになる。ところが、絶対に予測できないにも拘わらず、これによって発生する未来は、よほど違ったやり方をしない限り、どれもこれも「パン生地に食紅が混ざった状態」というみな同じ結果として現れることになる。

これは、繰り返される作業によって発生する「現象の軌跡」が、ある時点からみな同じところを通るようになるからである。このような周期を持つ現象の軌跡を「アトラクター」といいる。

誤差は必ず発生するわけであるから、同じ軌道を通るということは絶対にあり得ないが、同じ周期で繰り返されので、時間が経てば、やがてそのアトラクターは特定の「フラクタル構造」を持つようになる。このアトラクターの性質が練り上がったパン生地の状態を決定しているから、何度やっても同じものが出来上がるというわけである。

台風は再現性のある現象であるし、波には「波の形」という約束事がある。無数に集まった空気や水の分子の営みには計り知れないほどの誤差が発生するにも拘わらず、それは初期状態に端を発する指数関数的な増大を経て台風となり、波となり、それら以外のものになることはない。これは、無数の因子によって構成される複雑系に形成されるアトラクターが「集団の性質」を決定しているからである。

 

1957年、ソビエトのスプートニクが人類初の人工衛星として軌道に乗ったとき湯川秀樹博士が言ったのは「これ以上のニュートン力学の証明はないね」

このとき、既にミクロの世界を扱う量子力学の分野では「ハイゼンベルクの不確定性原理」は発表されており、ニュートン力学における「確定論」は否定されていたが、やはりマクロの世界では人工衛星はニュートン力学でも十分に飛ぶのである。

ヒトの脳の最小単位である神経細胞も、更に突き詰めれば不確定性原理の適用されるミクロの世界の現象によって成り立っているが、脳は無数の因子によって構成される複雑系であり、指数関数的な誤差の下に特定の反応を幾度でも再現する。

そして、この性質はエントロピーの減少に逆行し、生命としての機能を司る役割も担っている。このため、そこで行われる情報処理の結果は必然的に生命活動の実現と適合することになる。そして、マクロの部分では様々なパターンの入力に対する論理的な演算処理によって具体的な結果が選択されている。

脳がコンピューターと違うのは、同じ反応を繰り返すことはできても、全く同じ結果を導き出すのは不可能であるということである。そして、人生が映画と違うのは、未来が未確定であるということである。