錯聴(auditory illusion

 

視覚と同様、聴覚にもさまざまな錯覚があります。それを錯聴(auditory illusion)といいます。周波数の高い音が低く聞こえたり、右にある音が左に聞こえたり、同じ音に対する聞こえ方が変化したり、存在していない音が聞こえたり、いろいろと不思議なことが起こります。あるものは視覚の錯覚に似ていたり、しかし聴覚独特の部分もあったりします。

  まず、私たちが知覚している音の世界は、耳に入ってくる音そのものではないということ。しかし、これは必ずしも、私たちの聴覚システムが不正確であることを意味しません。むしろ逆で、そこにあらわれているのは、聞きたい音やそれを妨害する音が混在する日常の環境で、安定して効率よく音を聞き取るための数々の巧妙なしくみです。このようなしくみが無自覚のうちに働いているからこそ、耳に入ってくる音「以上の」ものが聞こえるのです。

  裏を返せば、「耳」だけでは音は聞こえないということです。耳はあくまでも聴覚システムの入り口であって、その後に続く脳での膨大な情報処理が、錯聴の背後に見え隠れする巧妙なしくみを支えています。錯聴を詳しく分析すれば、脳での音の処理メカニズムについての手がかりが得られます。

  ところで、こんなに多種多様な錯聴があるのに、なぜ一般には錯視ほど知られていないのでしょうか。ひとつには、音は絵のように紙に書いて眺めることができないので、音の特性と聞こえ方とのずれが気づかれにくかったからかもしれません。しかし、音に対する関心は人類の文化発祥以来とも言えるもので、あえて錯聴と名付けなくとも、知覚特性を巧妙に利用した音の提示法はさまざまな分野で開発され、利用されてきました。例えばバロック音楽では、一度に複数の音を出せない楽器で、異なった音をすばやく交互に鳴らすことで、あたかも複数の旋律が同時に奏でられているように錯覚させる手法(音の流れの分凝)が使われました。オーディオも、限られたチャンネル(通常のステレオなら2チャンネル)による音の提示によって、あたかもその場で演奏されているような感覚をいかにして生じさせるかという錯覚の探求といえるかもしれません。今後さらに巧妙な錯聴の使い方が開発されれば、音に関わる芸術や技術はますます豊かになっていくでしょう。

  錯聴の研究は、1960年代から70年代にかけて第一次黄金期を迎えました。例えば連続聴効果や音階の錯覚、反復の変形などは、 この時代に発見されたものです。1990年代には、このような現象をより定量的に把握したり、計算モデルで説明したりしようという試みが盛んになりました。2000年代に入ると、 聴覚に関わる脳のメカニズムを解明する研究の中で、錯聴も格好の素材として取り上げられるようになりました。現在も日々新しい研究成果が報告されています。

 

私たちが知覚している音の世界は、耳に入ってくる音そのものではない

無限音階

Vol.1

http://www.noah.org/science/audio_paradox/endless.mp3

 

ずっと上がってるように聞こえる…

Vol.2

http://www.noah.org/science/audio_paradox/falling.mp3

 

頭がおかしくなりそう…

Vol.3

http://www.noah.org/science/audio_paradox/beat.mp3

 

リズムの無限ループかっ!

マガーク効果

音韻知覚が音声の聴覚情報だけで決まるのではなく、話者の口元の映像のような視覚情報など、他の感覚モダリティの情報にも影響を受ける

 

Vol.1

 

3:26

YouTube

35秒あたりからどうぞ。

全部同じ音が発声されているそうです。

目を閉じたり開いたりして聞いてみてもおもしろいですね。

Vol.2

 

2:52

 

テレビでも取り上げられましたダブルフラッシュ錯覚

1回の視覚フラッシュと同時に複数回の破裂音を提示すると,視覚フラッシュが複数回に知覚される現象

Vol.1

http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/doubleFlashIllusion/ja/

 

自分の視覚情報が信じられなくなります

 

無音部が作るメロディー

7つの音を同時に鳴らし、それぞれの成分音の間に、時間をずらして無音区間をつけたものである。あるメロディーが聞こえるが、これは、(音)と(無音区間) が反転したためと考えられる。実際、この音刺激では、無音部の始めではなく終わり (音の立ち上がり部分) が浮かび上がって、それがはっきりとしたメロディーとして聞こえる。それぞれのメロディー音は、次の音の立ち上がり直前まで継続しているように聞こるが、鳴り終わったことを示す直接的な音響的手がかりはない。

Vol.1

http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~ynhome/Wav/Ken2/03-AMM/14.wav

 

耳がおかしくなりそう…

 

モザイク音声(劣化雑音音声)

最初は雑音にしかきこえない音でも、ノイズ除去した音声をきかせることによって雑音が雑音でなくなります。

Vol.1

http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/noise_vocodedSpeech/ja/index.html

 

 

次のVol.2AB2つあります

まず最初にAをお聞き下さい。その次にBをきいてからAをお聞き下さい。聴覚のすごさがわかるはずです。

Vol.2 A

http://www.asj.gr.jp/2005/data/61050273/nv_kaeru-orig.wav

 

Vol.2 B

http://www.asj.gr.jp/2005/data/61050273/kaeru-orig.wav

 

 

Vol.3もさきほどと同じです。

Vol.3 A

http://www.asj.gr.jp/2005/data/61050273/bokuwa_nvs2.wav

 

Vol.3 B

http://www.asj.gr.jp/2005/data/61050273/bokuwa.wav

 

 

立体音響

 

 

 

 

 

 

物理情報システム専攻 柏野 牧夫

仕掛けがわかっていても、無意識にそう見えて しまう。これは錯覚の醍醐味である。テレビ番組 や書籍などで錯覚を体験したことがある人も多い だろう。私たちの脳を巧妙にだます錯覚だが、そ もそも錯覚とはどのような現象なのだろうか。  

 

脳がしている無意識の処理

錯覚とは、感覚器に異常がないにもかかわらず 実際とは異なる知覚を得てしまう現象を指す。例 えば、欠けたチーズ片のような黒い図形と、灰色 の水玉のような図形がある(図1)。黒い図形は、 単体では何を意味しているのかよくわからない。 しかし、灰色の図形と重ねるとABCDと読むこと ができる。本来読めないはずのABCDの文字がこ のように読める現象は錯覚の一例だと言える1)。  

 

 

 

 

 

 

 

脳は視覚情報の処理を行うことで、図形を知覚 する。この過程は自動的かつ無意識的なものだ。 情報処理した結果が視覚に入ったものからずれる と、脳は錯覚をおこすのである。  錯覚以外にも、脳が無意識的な処理を行なって いるものがある。例えば音楽を聴いているときが そうだ。オーケストラの演奏を聴いて鳥肌が立っ たり、赤ちゃんが子守唄を聴いて眠りに落ちてし まったりすることがある。こういった光景は日常 的によく見られるが、このような心身の反応は意 識しなくとも感じられる。これは、実際に音楽を 聴いているときにも錯覚のときと同じく、脳が無 意識的な処理を行なっているからである。  

 

脳の無意識的な処理といっても、処理を行う脳 の部位や処理の段階、連鎖的な反応は非常に多岐 にわたっている。これらの処理に関するメカニズ ムには未解明な部分が多い。柏野先生はこうした 脳の無意識的な処理のメカニズムを、主に聴覚の 側面から解明しようと考えている。  先生は人間の脳の無意識的な情報処理のメカニズムを明らかにしようとしている。特に聴覚について、 錯覚を利用することでどのようにして主観的な聴こえというものが形成されるのか追究している。また先 生は音楽を聴いたときの心地よさや魅力の形成についても、数理科学・神経生理学的なアプローチからモ デルを立てて解析を進めている。 聞こえと無意識の科学 柏野 牧夫 連携教授 1964年岡山県生まれ。東京大学大 学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。現 在、NTTコミュニケーション科学基礎研究所上席特別研 究員・人間情報研究部長、東京工業大学大学院総合理工 学研究科物理情報システム専攻連携教授。 物理情報システム専攻 柏野 牧夫 研究室 脳の無意識的な処理 1) http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/v/findLetter1/ja/index.html 再生にはAdobe Flash Player環境を必要とする) Autumn 2013 3 聞こえと無意識の科学 ABCDの錯覚の例で、どのような原因で錯覚が 起こるのか考えてみよう。重ねる前の図と重ねた 後の図はどこが違うのだろうか。チーズのような 黒い欠片と灰色の水玉、どちらも構成しているも のは変わらない。しかし図形の位置関係は異な る。特に重ねた後の図は、チーズ片と水玉の図形 がそれぞれの縁で接している。  縁というものは一般に物体の境界線を指す。今 眺めている本誌や動いている人間といったどんな ものでも、視覚的にその縁を認識することができ る。縁を認識することによって、初めて背景から 物体を切り取って区別できるのだ。 ここで縁が一定の長さで接している二つの物体 が目の前にあるとしよう。このとき私たちには一 方が他方を部分的に隠しているように見える。例 えば、両手の人差し指をクロスさせて見てみる。 このとき誰も後ろにある方の指が二つに分断され ているとは思わないだろう。後ろの物体が部分的 に隠されているために、一つの物体として繋がっ ていると無意識的に判断するのである。  縁は見る人に対して形状を補完する余地を与え る。これに加えて見え方の経験則などから、脳は 水玉に隠された本来の形状を補完する。結果アル ファベットが浮かび上がって見えるのである。  錯覚の例としてほかにも、「婦人と老婆」という だまし絵がある(図2)。後ろを向いた婦人、もし くは左向きの老婆として見ることができる。 この絵には見え方が二つあるが、重ね合わせる ように婦人と老婆を同時に見ることは困難だ。婦 人であれば婦人としか、老婆であれば老婆としか 見ることができない。ただし、見え方を次々に変 えることは可能である。こういった複数の解釈を もつ図形のことを多義図形と呼ぶ。また、このよ うな見え方の解釈の選択性は一つの視覚的特性と 言える。 さて、ここまで取り上げてきた錯覚、これらは すべて視覚についてのものであった。専門的には これらの錯覚を錯視と呼ぶ。実は錯覚というもの は錯味や錯嗅というように、人間の五感それぞれ について存在している。その中の一つが聴覚にお ける錯覚、錯聴である。 これから登場する錯聴現象は、脳がどのように して音の解析や分析を行なっているのか、先生が 実際に研究を進めているテーマである。 錯覚と視覚的特性 バラバラでは何かわからないが 重ねていくと… ABCD と読める! 左側の図では黒色の図形と灰色の図形が分かれており、このままでは何を表しているかわからない。中心の図のように徐々に二つの図形を重 ねていき、右側の図のように完全に重ねると、初めて ABCDと読むことができる。 図1 錯視の一例 図2 婦人と老婆 19世紀からある多義図形の一例である。

錯聴とメカニズム

錯聴に関する脳のメカニズムを明らかにする前 に、そもそも聴覚情報はどのように神経や脳で処 理されるのかを説明する。  耳に入った音声はまず鼓膜を震わせる。鼓膜の 振動は内耳の蝸牛に伝わり、そこで音声の周波数 の分析がなされる。電気信号に置き換えられた 後、神経細胞によって脳幹、内側膝状体のある視 床を通り、最終的に聴覚野に届く(図3)。  

 

 

聴覚情報は神経系の上記の経路を進んでいくに つれて、より細かく処理される。一般に神経系の 経路を進んでいけばいくほど、前の段階で処理さ れた情報を調整する側の部位となる。つまり聴覚 野は視床の機能を調整し、視床は脳幹の機能を調 整する役割を果たしているのだ。

連続聴効果

 駅のホームを電車が通過するとき、電車がホー ムに近づくにつれて音が徐々に大きくなり、遠ざ かるにつれて徐々に小さくなる。このような音の 特徴として連続性が挙げられる。音の連続性につ いての聴覚的特性の一つに、連続聴効果がある。  

 

 

錯聴現象は具体的に紙面に記載できないため ウェブページを利用する2)。URLのリンク先は連 続聴効果についてのページである。リンク先のサ イト、Illusion Forumには先生が制作した錯聴のデ モンストレーションが多数公開されている。 Illusion Forumでは、日常では体験しにくい錯聴現 象を実際に体験することができる。  連続聴効果のページにある再生ボタンCの音で は「エリーゼのために」というピアノ楽曲が流れ るが、音量がゼロになっているところが周期的に あり、途切れ途切れで聴き取りにくい。一方、再 生ボタンDの音では同じく「エリーゼのために」 が流れるが、周期的にノイズが入っている。今度 は、Cの音に比べ全体を通してなめらかに聴くこ とができる。両者の違いは楽曲と無関係なノイズ があるかどうかだけである(図4)。よって「エ リーゼのために」が再生されている部分の音の情 報はまったく変わらない。  滑らかに聴こえる理由は、ノイズがいわばABCD の錯視の例における水玉と同じ役目を果たすため である。錯視の例と同様、空白をほかのもので補 完することでなめらかに聴くことができるのだ。  錯聴と錯視は時間的な現象、空間的な現象とい う点で異なっている。また、音と光の性質の違い もある。つまり錯聴の方はノイズ部分においてノ イズと補完された音が同時に聴こえているが、錯 視の方はABCDの文字の補完された部分が透過し て見えているわけではない。けれども連続性とい う点で両者にはきれいな対応があることがわかる。  先ほど多義図形の錯視の例を紹介した。以下 は、これに対応づけられる錯聴の例である選択的 聴取と音脈分凝である。 2) http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/continuityIllusion/ja/index.html 再生にはAdobe Flash Player環境を必要とする)  耳 蝸牛 視床 聴覚野 脳幹 図3 聴覚情報処理のしくみ 元の音源 一部無音 にする 途切れて聴こえづらい ノイズはあるが、繋がって聞こえる ノイズを 入れる 図4 連続聴効果の例 ある楽曲の一部を規則的に無音にしたものとノイズを挿入したも のを聴き比べることで、連続聴効果を実感することができる。聞こえと無意識の科学

 

 

 

選択的聴取

同時に10人の話を聞き分けることができたとい う聖徳太子の伝説を知っている読者は多いかと思 う。一般的に多人数の声を同時に聞くのは難し い。しかしながら話し声の絶えない人混みの中で、 隣の友人の声を聞き、会話するようなことは、不 自由なく行うことができる。ここでの聴覚の特性 を選択的聴取という。 この現象は以下の簡単な実験として再現でき る。多数の人が同時に別々の内容を話している音 声を再生する。その中に数字を読み上げる女性が いる。被験者にはその人の声に注意を向けて音声 を聴いてもらう。音声を聴いてもらった後に、音 声で話していた合計の人数を尋ねるというものだ。  実験では被験者は読み上げられた数字の声を聴 き取ることはできた。だが話者の人数については 多くの場合、実際の人数が5人でも10人でも34 人と答えた。  被験者は話者が2人までならその人数を正確に 当てることができる。それは自分が聴いている声 の話者に対して、注意を向けていない方の話者が 排他的に定まるからだ。ところが3人以上の場合、 注意を向けていない話者をそれぞれ特定すること ができない。すると被験者が答える人数と実際の 人数とが合わなくなってくる。5人以上になると ほとんどの被験者は注意を向けていない話者の声 をさばくことができない。だから34人と答えて しまうのだ。 この現象における脳の処理のメカニズムについ て、ほかの研究室で行われた実験がある。聴覚野 を含む側頭葉に数十本の電極を挿したうえで声を 聴かせ、本人の注意の向け方で神経活動パターン に違いがあるかどうか確かめるというものだ。 まず被験者にAさんとBさんの声をそれぞれ単 独で聴かせ、側頭葉の神経活動パターンを画像と して可視化する。次にAさんの声に注意した状態 で、2人の声を合わせた音声を聴かせ、同じく可 視化して見てみる。  結果、2人の声を単独で聴かせた場合は、聴覚 野の活性化している部位や割合というものは双方 で異なって表示された。また2人の声を合わせた 音声を聴かせた場合は、Aさん単独で聴かせた際 の模様と似たような模様が表示された。 この実験から、聴覚野では注意の向け方に対応 した神経活動、つまり聴覚情報の処理が起きてい ることがわかった。最近では、聴覚野の前段階で ある視床でも、注意の向け方に対応した神経活動 があるのではないかと注目されている。注意の向 け方が聴覚情報を処理する神経に与えている影響 は非常に大きいと先生は話す。 これらの実験結果は、聞くという単純な行為が 実は能動的な行為であるということを強く訴えて いる。聞き手の能動的な注意の向け方、つまりは 聞き手の興味の方向によって、耳に入り認識され る音は違ってくるのである。 さらにいえば聴覚とそれに連なる神経回路は、 入ってきた音すべてを忠実に処理しているわけで はない。その時々の興味に応じて必要でなさそう なところは処理を飛ばし、必要そうなところは重 点的に処理を行う。こういった処理のされ方の一 つが、選択的聴取という例で浮き彫りになったと 言えるのだ。  音声処理の問題としても、人間の選択的聴取の 特性は注目されている。現代の音声処理技術は、 話者となる音源の位置情報を頼りにすることで、 音源相互の区別をしている。したがって、一つの 場所から発せられた複数人の声について、話者の 声を区別することは現代の技術では非常に難し い。一方で人間は話者の位置情報がなくとも、重 複した音声から一人の声を拾い上げることができ る。そこに既存の音声処理技術とは違った処理技 術の原理の解明を期待する目が向けられている。

 

音脈分凝  

選択的聴取の例から明らかなように、一つのス ピーカーから聞こえてくる複数人の声が重複した 音声は、本来一つの流れでまとめて聞き取れるも のではない。全員の人数はわからないにせよ、そ れぞれの話者の声を音の流れとして選択的に聴く ことはできる。  声が楽器に置き換わっても同じことが起こる。 ロックサウンドであればギターとドラム、ベース などの音は単一の音色さえわかっていれば、特定 の音色を聴き取ることが可能である。これはクラ シックサウンドでも同様であり、音楽のジャンル を問わず同じことが言える。  一つの楽器の音色で構成された楽曲について、 音の流れを区別することは可能だろうか。例えば オクターブを超える跳躍がある楽曲の旋律は、跳 躍の直前と直後で別の流れとして解釈されるだろ う。けれどもドとミの音など、音程が小さい場合 は単なる音の上昇や下降の旋律として聞こえ、一 つの流れとして解釈されると考えられる。 URL先のページにあるスライダーを動かすと繰 り返しの音が鳴り始める3)。より下へ動かしてい くと、繰り返しの上下の音程がより大きくなる。 2の位置では、ソとラの2半音差の音が流れる。 ソとラは一つの音の流れとして聞こえ、馬が駆け ているような音に聞こえる。

 

 

 

5の位置ではソとド 6半音差の音が流れる。すると今度は流れが 分かれたように聞こえ、下の音が細かいリズムで 木魚を叩いているように聞こえる(図5)。この音 を連続して聞いていると、途中で馬の駆ける音が 木魚を叩く音に変わったり、逆に木魚を叩く音が 馬の駆ける音になったりする。この現象が、多義 的知覚の一つの音脈分凝である。 この音の流れについての変化は、音に対する脳 の解釈の変化を意味している。先生はこの例のよ うな一定の音程の2つの音を規則的に鳴らしたと きに、音の流れの解釈が変わるタイミングと、タ イミングに前後して脳のどの部位が反応したかを 調べる実験を行なった。ここから音脈分凝に関す る脳のメカニズムを読み解くことができる。  先ほどの例の通り、一般に2半音差では1つの流 れの方が聞きやすく、6半音差では2つの流れの方 が聞きやすい。 つまり2半音差での音の流れが2つから1つにな る変化および6半音差での音の流れが1つから2 になる変化は、聞きやすくなる向きの変化だと言 うことができる。逆に、2半音差での音の流れが1 つから2つになる変化および6半音差での音の流れ 2つから1つになる変化は、聞きにくくなる向き の変化だと言うことができる。  実験した結果、聞きやすくなる向きの変化では、 内側膝状体から聴覚野の順で反応が起こり、聞き にくくなる向きの変化では、聴覚野から内側膝状 体の順で反応が起こった。つまり、聞きやすくな る向きの変化では、下位の内側膝状体が主導して おり、聞きにくくなる向きの変化では、上位の聴 覚野が主導していると言うことができる。 2000年代前半、音のまとまりの解釈は聴覚野お よびそれ以降の大脳皮質が行なっているという考 え方が、学会を始めとする専門家グループの主流 の考え方であった。ところが、この柏野研究室の 実験によって、内側膝状体が聴覚野と相互的に関 わっていることが明らかになり、従来の考え方は 大きく覆った。 2011年にも、より下位に位置する脳幹の下丘と の関係を指摘する研究成果が外国の研究室によっ て報告されている。柏野研究室でも2013年、音の まとまりの知覚に対応した脳幹での神経活動を確 認しており、聴覚野と脳のほかの部位とのさらな る関係性が指摘されている。 3) http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/frequencyDifference/ja/index.html 時間 周波数 2 半音差 1 つの音の流れとして聞こえる 2 半音差のとき 時間 周波数 6 半音差 2 つの音の流れとして聞こえる 6 半音差のとき 図5 音脈分凝の例 2半音差ではリズミカルに馬が駆けるような音、6半音差では規則 的に打たれる木魚のような音が聞きやすい。 再生にはAdobe Flash Player環境を必要とする)

 

音楽の心地よさの研究

さて、脳が音楽の情報を無意識のうちに処理し ていると本稿の冒頭で述べたが、一体音楽はどの ように情報として処理され、その結果として心地 よさや魅力などを感じるのであろうか。  音楽の心地よさといっても、個人や文化圏によっ て好むジャンルやテンポは異なる。また、楽器演 奏などの音楽経験の有無や、その習熟度によって も同じ一つの楽曲に対する評価は変わってくる。 私たちが日常的に耳にするような音楽に対して、 いきなりその心地よさを判断するというのは困難 である。 しかし、例えば子守唄と軍歌の曲調の違いは聴 き手によらず歴然としているように、この二つを 聞いた際の魅力や心地よさというものは大きく分 けられる。このことから音楽の魅力や心地よさの 中には、共通認識をもてるものがあると考えるこ とができる。

 

情動と不随意的な体の反応

心地よさといったものはまとめて、情動と呼ば れる。情動は、喜怒哀楽で喩えられる感情より基 本的なものであり、快や不快、興奮や鎮静などに 分類される。では、私たちが音楽を聴いていると きの情動は、どのような経路を経ることで形成さ れるのだろうか。  音楽に関する聴覚情報は内耳を通り、脳幹や視 床、聴覚野で処理される。処理された聴覚情報は、 視床または聴覚野から扁桃体へと届けられる。扁 桃体は情動に関する処理を行なっており、聴覚情 報は扁桃体を通って情動情報に変わる。  情動情報は自律神経の興奮やさまざまなホルモ ン分泌に繋がっている。例えば自律神経の一部を なす交感神経に伝わることで、発汗・動悸・震え・ 瞳孔の拡張などの体の反応が無意識的に起こる (図6)。体の反応自体が扁桃体に刺激を与えるこ ともある。このように不随意的な体の反応という のは情動と密接に関わっている。ゆえに不随意的 な体の反応を分析することで、気持ちの快や不快、 興奮や鎮静といったものをある程度推定できると 言える。

 

具体的な取り組み  

先生は音楽の心地よさ、快や不快を評価するに あたってこの関係性を応用している。被験者に音 楽を聴かせ、その人の瞳孔の大きさの変化をリア ルタイムで計測することで、その人がどの程度快 や不快を感じているのかを読み取ろうとする試み である。 しかし、瞳孔が拡張すれば快、収縮すれば不快 という単純な関係にはならない。そこで先生はま ず、被験者の主観に基づく快や不快についてのリ アルタイムでの評価と、瞳孔の大きさの変化を比 較する実験を行なった。電子機器のダイヤルを被 験者に触れさせ、快だと感じたら左に、不快だと 感じたら右に回してもらい、これを主観に基づく 評価とした。ここから瞳孔の大きさの変化に対応 する被験者の快や不快を推定することができた。  音楽を聴くことによって生じる快や不快を評価 するためには、音楽に対する快や不快についての 客観的な指標が必要になる。この指標を決めるに あたって、先生は聴いている人が予想する曲の展 開と実際の曲の展開とのギャップに着目した。旋 律、曲調、テンポなどが新たな展開に入ったとき、 人はその前後のギャップに快感を覚えたり、逆に 不快に感じたりする。先生はこのギャップの大き さをサプライズと呼び、楽曲のリアルタイムでの 展開の度合いを指標とした。  何に基づいて計算するかによっていろいろなサ プライズを決めることができる。音程の時々刻々 の変化から、各楽章の曲色の変化に至るまで、多  発汗 震え 動悸 瞳孔の拡張 不随意的な体の反応 自律神経反応 ホルモン分泌 視床 聴覚野 扁桃体 情動 6 扁桃体と情動情報の流れ

 

 

研究の近況と展望

近年、柏野先生は自閉症スペクトラム障害の患 者に関心をもち、被験者として研究の対象におい ている。自閉症スペクトラム障害とは、発達障害 の一種で、ここ数年、脳や遺伝子などの観点から 急速に研究が進んでいる。知能の良し悪しには関 係なく、一般に社会性やコミュニケーション能力 の獲得などの発達の遅れを特徴とする障害である。  数年前、聴覚の異常で先生のもとを訪ねてきた 自閉症スペクトラム障害の女性がいた。彼女は、 さほど混雑していない喫茶店程度の騒がしさの中 でさえ、会話することができないことを訴えてい た。騒音が無い二人だけの環境で会話することは できるが、そこに他人の声や雑音が入っただけで、 話している相手の声がかき消されてしまう、とい うのだ。彼女は、勤め先でもこの問題に直面して おり、仕事内容について上司の指示が聞こえない ということで上司から注意を受けていた。何回も 耳鼻科へ掛かりにいったが、聴覚能力には異常が ないと診断された。 ここでの聴覚能力に異常がないとは、高い音・ 低い音が聴き取れるかどうかという純音測定の結 果であり、耳鼻科で一般的に行われるテストで確 認されるものだ。彼女の場合、単独の音が聞こえ るかどうかという点では問題は見られなかった。 では、彼女の聴覚に関してどこに具体的な異常 があったのだろうか。先生は、自閉症スペクトラ ム障害では、選択的聴取に関わる神経機構が先天 的に欠損している場合があることを指摘する。選 択的聴取の能力をもっていないがために、会話す る相手の声を耳に入ってくる音声から取り出すこ とができないのではないか、ということだ。  自閉症スペクトラム障害の人の聴覚情報の処理 に関わる脳幹の細胞が異常な配列をしていたとい う研究成果も出てきている。これは例の女性の聴 覚特性に見受けられたような、自閉症スペクトラ ム障害の人がもつ独特な感覚特性が、情報処理回 路自体の異常によって説明される根拠となる。さ らに自閉症スペクトラム障害自体も、こういった 情報処理回路の異常によって説明される可能性が あると先生は話す。  人間の脳は物事すべてに対して意識的に判断で きているわけではない。加えて意識的な判断は、 無意識下のさまざまな固定概念に縛られている。 錯覚の例に見たように無意識による制約は人間の 不正確さとして映るが、その無意識的な脳のはた らきがあってこそ支障なく日常生活を送っていく ことができるのである。  先生は脳の無意識的なはたらきに着目し、認知 科学、脳科学などの多様な学問領域から、これか らも人間の感覚特性を明らかにしていく。 様な規模でサプライズを定義することができる。  具体的に先生は、ベイズ推定と呼ばれる統計学 の技法を用いた(図7)。

 

 

 

楽曲の展開におけるt 後とtΔt秒後のギャップを数学的に評価した。 音楽が始まって0秒後からt秒後までに登場する音 の周波数および頻度を確率分布の曲線で表し、そ れをtΔt秒後における曲線と比較する。この差 が大きいものをサプライズが大きい、差が小さい ものをサプライズが小さいと評価した。  実際に先生は、ベイズ推定で定めた音楽側の指 標と、情動と結びついている瞳孔の大きさの変化 との関係性を探っている。先生はさらに良い対応 を得るべく別のサプライズの定義を考案し、検討 を進めている。 t秒後 t秒後 出現頻度 周波数 2 つの確率分布の違いを 「サプライズの大きさ」と定義 図7 ベイズ推定  先生が話してくださった内容はどれも私自身の、 人間の感覚や認識にまつわる根本的な興味に訴え るものがありました。ありがとうございました。 (小沢 陽) 執筆者より