フラジル fragile
はかなさ、本質はもろさ、その本質は壊れやすさ 尖端がシンボル
天体そのものがFRAGILE
無関心というはかなさ
堅い私にとらわれているかぎり、はかなさは閉じられている。
柔らかい私が必要
もろくて柔らかく、いたるところで消えかかり、同時にあちらこちらで繋がり拡がり、生長している偶然の連鎖。
体の声を聞く
二人分の私 頭と体
ごまかした健康
強い身体はフラジャイルな情報を遮断しかねない。 身体は強化されるべきではない。
自分の内なる探検家にならなければならない。 自分さがしをしても何も見つからない。
アブラハムをみよ、 外への旅は内なる旅と同じである。
生命体は 弱さから始まった、 失敗からのやり直しだ。いざなぎとイザナミ
葛藤とは生命のことだ、 推測と当てが外れたこと そこで取り返しがつかないと思ってしまうこと
弱さははずべきことではない、嘘で固めることでない
誇れることだ
遺伝子中心主義は情報中心主義の一部で、これは分析することが好きなものが、最後にはそれに囚われて、分析する本体である生命体の力を忘れ、分析されたものを中心にものを考えてしまうこと。
遺伝子を使っているのは生命体だ。
時間の流れにより単純が複雑なものを産んでいくと考える方法がある。一から二が生まれ、その二がまた分裂して四になる。細胞分裂やPCの二進法のように。
しかしそれだけではない、複雑なものを単純に修正し続けるというプログラムが生命体なのであり、それによって外から見たらますます複雑になっているのだ。
生きているとはフィードバックし続けるということだ。
カオス 乱れる世界 乱れていない状態、乱れはじめた状態、カオスの状態、ランダムの状態、
カオスは自己記述が苦手で、自己の主張をし続けている 自己同定を許さない自己
カオスは情報を分解したり加工や統合させたりしやすくする。エンジン、カオスは情報を出す
一般化できない、しかしひそむ臨界点を発見させる 可能性と限界
カオスには有為転変を超えて継続される本質的な記憶があるかもしれない
規則があったことが途中からその規則の中に収まらなくなる
正のフィードバックが変動を増幅させ、負のフィードバックが変動を安定させる
パイづくりとサーモスタット
分析で人体の物質的な要素リストはわかるが、体や心がはたらく秘密はわからない。
要素間の情報的相互作用がわからないからである。
生命の起源
のぶ説
結晶ができ、それが逆鋳型になり、そに有機物が入った。
形ができ、そこの風が吹けば、ものは動く、動くことにより、パターンができ、それは有機体の中に一本の線ができる、それが生命の始まりだ。
光エネルギーはCO2をCとO2に分ける。
でも考えてみればそんなことは宇宙がはじめからやっていることである。
宇宙が過融解の状態であるからだ、これを生きる、という。
DNAは情報を書き込んだ一枚の設計書ではなく、パターンの形を維持し、可能性をひろげ、活性化させるために、正負のフィードバックをして調整しづけるものである。
動いているのである、生きているのである、そのパターンならば動き続けるという形なのである。
それを生きているという。
動き続けるという現実があった。それは複雑でも単純でもない。どちらともいえる。
動き続けるものを模倣した時に単純なもので、それをはじめた。それが常に動き続けるためには修正が必要とされた。だからその単純なものは外から見ると次々と修正され続けるので複雑に見え、内から見ると単純なのである。
分裂症の本質が、強すぎる秩序状態(2つのリミットサイクルのあいだ)から逃げられなくなっていることに起因する
人間は失敗作である
失敗を今、生きる力にする
ヤル気のない、動機のない毎日
しなくちゃいけないこともない、うまくいかなかったことに目を向けよう
他の動物の違いの一つはずばぬけて学習する動物であるということ
ネオトニー は幼形成熟のこと
幼児化することによって進化する
ただこの進化は自己防衛であり、自己中心的であり、保身であり 思慮と時間であり、記憶であり、努力であり、遅れてくることである
他を守るものではない
ネオトニーの戦略は他があってはじめて成り立つものである。
エミール・シオラン
「生誕の災厄」人がひた隠しにしようとしているものしか、深さと真実はない
「悪しき造物主」
私たちの内部に最も深く根をおろし、しかも最も知覚しがたいものは、神々をも含めたすべてのものの秘密ともいうべき本質的挫折の感情である。
神もまた挫折していた、われわれはもともとにおいて挫かれていた存在だ。
はじめの意図にすべてがある。これが必要ないのである、あるから挫折するのだ。
このままですべてはいいのだ。はからいがいかん。
いつから「自分は普通だ」とおもうようになってしまったのか? 健康、民主的、個性、という平均的な人間像に近いもの。
まさかの葛藤にびくついている。 トラウマ、コンプレックス
もともと損なわれた存在なのに。
生物としては毛皮と走力を失い、動物としては視力と聴力と嗅覚を低下させ、あげくに、数年におよぶ育児そしてもらわなければ一人前になれない未熟児として生まれた「損なわれた存在」だ。おまけに、脳には残忍なワニの脳と狡猾なネズミの脳が同居し、エンドルフィンなどの麻薬物質が入っている。
できそこないの狂暴でできあがっている。
情報は弱さや欠如の方へ向かって流れる
「弱さ」の本来を知るためにも、最弱者としての幼児の世界を知ることは、身体に内蔵した未知の記憶だ。
赤ちゃんが眠り続けているのは、外から受ける刺激に耐えられないからである。まだ刺激に対応するしくみを準備できていないからである。
新生児の視力を弱くしておくことにより、外界の全体を必要としないようにしているわけだ。
弱々しいことが唯一の生存力である。
ダフニ・マウラ「赤ちゃんには世界がどう見えるか」
正高信男「0歳児がことばを獲得するとき」
言葉をメロディのように聞いている。 単語の意味はない。まんま、ばあば、たんたん、とんとん、ばー、ぶー、のようにリズムだ。
それに付属する単語はまんまの語尾変化として捉える。
手を押すと口が開く
人類は「弱さ」をめぐる大事な神話を持っている。強さばかりに目を向けられてた。だれによって?何故?
優生学 eugenics ゴールトン、ダーウインの親戚
生存に適した人種と血統をより効果的に繁殖させるための科学
進歩とは科学技術であるというヴィクトリア王朝の社会観念
アメリカ優生協会、優良家庭コンテスト、衛生博覧会、IQ、黄禍、人間の測りまちがい
断種政策 優生保護法
なんでも一番でないと気がすまないアメリカ
72年の「優生保護法」改悪とは
■1972年の優生保護法改悪案
改悪は3点ありました。人工妊娠中絶の要件について2つと、優生保護相談所の業務 について1つです。
人工妊娠中絶の要件から「経済的理由」を削除する−−中絶の件数を減らす
改訂の箇所:人工妊娠中絶の要件が書いてある第3章 母性保護 14条4項
「妊娠の継続または分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」を次のように変える。
「妊娠の継続または分娩が母体の精神又は身体の健康を著しく害するおそれのあるも の」
障害をもつ胎児を排除する「胎児条項」を導入する−−優生学的目的をさらに強化
改訂の箇所:第3章 母性保護14条
人工妊娠中絶の要件として、「その胎児が重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められるもの」を加える。
優生保護相談所が初回分娩の時期を指導−−問題が多いとされる高年齢初産を避ける
改訂の箇所:第5章 優生保護相談所 第20条
優生保護相談所の業務(優生保護の見地から結婚の相談・遺伝その他の知識の普及、受胎調節の普及指導)に、「適正な年齢において初回分娩が行われるようにするための助言及び指導その他妊娠及び分娩に関する助言及び指導」を加える
優生概念は品種改良と優秀なものを表彰する社会習慣がつづくかぎりは、とだえることはない。
優秀の観念は科学的な数値によって裏打ちされる。
そのたびに、劣性は強調され、いじめと非難の対象となる。
弱さが多様性を持っている。
欠如や喪失や挫折こそが歴史を作ってきた。
多くの現象は弱さと欠如を起源とする
弱さが階層のしるしとして刻印され、異端視され、排除される。
知の全体を網羅するという意図は、全体を固くして、自分の首を絞めることだ。
花を咲かそうと思うならば、芽を出すのではなく、地中に向かって根をはやせ。
自発とは芽を生やすことではない、根を発することだ。
それには自己意志に頼るのではない、むこうからやってくる妖精に身をまかすのだ。
そのためには妖精のスピードに合わせなくてはならない、だからしばらくは待つのだ。
そして慣れてくれば、その早さに合わせて身を任せ、ただ身をなげるのだ。
その時に、寂しくなる、これが大切だ。 それが未知の「向こう」と出合えた証であるから。
そこが弱音を聞く瞬間だから。
強さが決まると弱さも決まる。強弱が決まると、弱さは深い方へ引っ張られていく。深いのだ。地中の下なのだ。根っこなのだ。始まりなのだ。
弱さの研究、弱がりの文化、欠陥をいとおしむグループ、危惧、葛藤、遷移、敗者の物語