ホロン革命

アーサー・ケストラー Arthur Koestler   原題 Janus: A Summing Up

 

 

原題のJanusとはローマ時代のコインの図にもなった2つの顔を持つ神の名前である。

 

意識体が意識できるものすべては、ローマ神の両面ヤヌスのように、同時に2つの面がある。

その両面性のシステムをholarchy、構成要素をholonと名付け、どのホロンも同時に部分と全体の両面をもつものなので、各ホロンは常に大きなホロン(上位レベル)の構成要素であり、同時に下位レベルのシステムの構成要素でもある。

すべてのホロンは、片側(全体性)が下向き(または内側)に見え、反対側(部分性)は上向き(または外向き)につながっているのであり、換言すると、それぞれの全体性にスポットライトを当てると、その全体性はより大きな何ものかの一部であり、それぞれの部分性にスポットライトを当てると、その部分性はより小さな何ものかの全体の構成要素になって全体性を組織化している。

 

 

ホモサピエンスの4つの病状

クロマニヨ人からアウシュヴィッツまでの人間の歴史を一望すれば、ひどく病的な生物である。

進化論に適合しない病に冒された異常な生物種。

進化とは絶滅へ導く無数の袋小路である。 ジュリアン・ハクスリー

人口爆発で何かに狂いが生じた。

神経回路には致命的な工学上の欠陥が誤って組み込まれ、人類は妄像傾向に陥った。

人間は狂い続けてきた。狂人は自分の狂気に気がつかないというのは、壁の中に暮らすものの表の体験の一部でしかない。しかし事実は、狂人はつねに狂気の状態にあるのではない。精神病者は症状が和らいだ時に、自分の症状について驚くほど明確に話すことができる。

1 生贄の儀式   この妄想と人類究極の苦悩の関係を解く鍵である。

2 永遠に繰り返される種内戦争 過去を振り返れば、戦争が鎖のごとく連なっている。

3 理性と情緒、合理性と信念。これらの慢性的な分離。

4 驚くばかりの人類の技術的偉業と人類の社会運営の無能ぶり。この落差が人類の病いの特徴である。

局地戦争が全面戦争に拡大するのを阻止する唯一の安全装置が相互抑止力だ。

 

1 新皮質の爆発的成長と旧皮質に対する不完全な支配

2 新生児の長期的無力状態から生じる、権威への無批判な服従

3 妄想(恐怖)を生み民衆(情緒)扇動する言語

4 死の発見と死の恐怖

 

 

ワニとウマとヒトが同居する人間の脳の矛盾  大脳新皮質、大脳旧皮質、大脳辺縁系

ペイブス=マクリーンの神経整理学上の仮説      著者の「機械の中の幽霊」

3つの脳はそれぞれに独特な主観、時間、空間を持つ「生物学的コンピューター」でお互いを繋ぐ径路が不十分

古い脳と新しい脳、情緒と知性、信念と理性とが相剋する精神的にアンバランスな種

この二分法がおかしい。形あるものの中から二つを限定している。

宇宙のリズムや微生物(他者)を含有していない。

新旧両皮質の機能上の断絶は「進化の手ぬかり」で相剋の原因であり、感情的な行動は古い脳構造に支配されている。

 

脳の進化の誤解

原始的な脳が徐々に高度な脳に進化するのではないかという誤った推測

エラが肺に、ヒレが手足に進化したようにはならなかった。

変化するのは大脳皮質の分析力やスピードではあるが、脳の構造そのものではない。

辺縁系はそのまま残り、その上に新しい脳が追加された。

手足に爪がついたように、古い脳に新しい脳が付随した。爪によって手足がよりよく使えるように。

 

クモやサソリが吸血化したわけ

節足動物の進化は脳が食道で貫かれていたため、知能か消化かのジレンマに陥ってしまい、進化がとまった。

「脊椎動物の起源」ガスケル

 

有袋類の限界

脳梁がないために、左右で補うという活動ができないのが進化できない理由。

 

依存体質はゆりかごから

他の動物に比べてヒトの幼児は長期にわたり無力である。この依存体験が、後の権威にすすんで服従したり、教義や道徳規範に盲従したりすることに影響を与えていると考えられる。洗脳と呼んでもいい行動パターンと思考回路はゆりかごから始まっている。

既成の思想を進んで受け入れる人間に仕立てられる。生死を賭ける信条も自らが作り出したものでも選択したものでも体験したものではない。

 

戦争と献身

主義・主張が道理に反し、個人の利益に欠け、自己保存が危うくなっても、部族・国家・教派・大義に身を投じる。祖国愛、自由主義、十字軍、環境保護。

信条を無批判に熱狂的に受け入れてしまう人たち。

没我的な組織への忠誠心と献身が戦争を起こしている。

個人的利益よりも組織への献身のほうが統計的に多くの人を死に追いやっている。戦争をみよ。

己れの生命をかけた組織のための殺人こそが、歴史を支配する現象だ。

 

戦争が起こる理由の説得力のなさ

戦争は抑圧された闘争本能がはけ口を求めて引き起こされるとフロイトは主張した。

しかし現場の兵隊は戦闘行為を繰り返している間に敵に対する闘争心よりも、安心を求め怯えとホームシックにかかるが、他にどうしようもないから、諦めて気分を高めて闘うのである。

気分を高め情熱的になり戦場で敵と戦うが、それは憎悪ではなく、「忠誠心」だ。

悲劇は過剰な攻撃性ではなく、過剰な献身だ。

もう一つの説は、自分の領域を死守しようとする動物の本能的衝動である、というものだ。

しかし、戦に出向く兵士は自分が守るべき家を去り、はるか望郷の地で銃をにぎる。兵士をそうさせるのは、家や農地を守ることではなく、部族的信条や神聖なる戒律や政治的なスローガンへの献身のためである。縄張りのためではなく「言葉」ゆえに戦うのだ。

 

言語と戦争   最も恐るべき兵器「言語」

言語が情緒の爆発を引き起こし、人類の生存にとって不断の脅威になる。

現在も言語集団は3000あり、同一集団を統合する力を持っている。これは全人類から見ればそれぞれの集団に分離する力となっている。

言語は多様性の橋渡しをするのではなく、ますます壁を築き、差異を拡大していいく。

 

騙すことと、そしてそれを明かすこと

まずは信頼関係。次に暗示だ。

「わたしの言うことを素直に聞いてください」 催眠術師の最初の暗示だ。

先ずは騙されないと見えない景色がある。だが大切なのは被験者がそれを見たら、もとの状態に戻してあげることだ。そこまでやってくれる信頼がないといけない。

 

死の発見と拒絶   知性の発見と情緒の恐怖と本能の拒絶

理性から見ると、信念は力が強い。そこで両者が対立すると、「無に対する恐怖」を和らげるべく、やむをえず、苦心の合理的説明をはかる。しかし大脳皮質(意識)で成り立っている二分法の世界では、この問題を解くことができない。これが大脳の限界である。解くプログラムがはじめからないのだ。二分法を使ったためである。そして解けない問題と直面すると、大脳(理性)は沈黙するか混乱するかのどちらかである。

 

意識の創作と恐怖

無に直面して、パラドックスの混乱の中で大脳皮質ができることは形に名前をつけることで、自意識はわかった気になれ、辺縁系は安心できる。そこで死者の霊、神、天使、悪魔、妖怪などの魑魅魍魎で埋め尽くす戦略を取った。

そしてこの創作の主人公たちは想定外の行動をとるので、それを受け入れない限りは恐怖の対象になり、意識にとっては敵意や猜疑心や復讐心に満ちあふれた存在になった。

そしてこの恐怖から逃れるために、創作物を崇め、おだて、なだめる必要が生じてきた。それが生贄や聖戦や異教徒の火炙りや魔女狩りの儀式である。

 

無の拒絶と芸術

死という意識の終焉を拒絶することで、ピラミッドが建立され、偉大な文学作品や芸術が生まれた。

「進化」というコインは、表に創造力、裏に妄想を持つ

 

還元主義の限界 「すぎない」

測定できない力が互いに作用し合う中で価値が生じることを否定する

人間は複雑な生化学的メカニズムにすぎない。

コード化された情報を蓄える記憶装置つきのコンピューターとその動力を作る燃焼システム

究極的には人間は90%の水と10%の鉱物にすぎない。

しかし限られた適用範囲や切り取られた範囲では、この還元主義は精密科学として有効な手段である。

 

意識の限界

分解の過程で必ず本質的なものが失われるという事実確認が必要

全体は部分の総和以上であり、全体の属性は部分の属性より複雑である。それゆえ複雑な現象の分析は全体像の断片を明らかにするだけである。

宇宙を含め有機体は、構成する要素はその性質に依存しているが、要素が結合され上位に変じてはじめて全体の性質が姿をあらわす。

ところが、それでもって「すぎない」といいきり、独断することで、対象物を固く変化のしないものに押さえ込んでしまう世界観。

 

ホーリズム(全包括論)の限界

「バラはバラだからバラだ」

バラの化学成分式がバラについて何も述べていないのと同様、この文もバラについて何も述べていない。

実験的アプローチではなく哲学的アプローチをとるので、研究室での実験に適さない。

 

生命体をホロンでとらえる

Holon holos全体+on粒子(部分) 相反するものが一つであるということを意味する語句だ。

個人・家族・一族・部族・国家の「社会的ホロン」では、どの構成部分も統一のとれた全体であると同時に、より大きな社会的集団に対しては部分である。

 

「部分」は「それだけでは自律的存在とは言えない断片的で不完全なもの」を暗示する。

「全体」は「それ自体完全でそれ以上説明を要さないもの」と考えられる。

これらの二分法による思考習慣に反し、目の前にある「いのち」に関わるものは、絶対的な「部分」や「全体」は生物の領域でも、社会組織にも、宇宙全体にも、まったく存在しない。

目の前にある「いのち」は、「部分」も自律性を持ち、「全体」も次のレベルでは完全ではなく、断片的で不完全な部分でしかない。

 

植物根(樹状図)のような有機体ヒエラルキーはホロンの概念で理解する必要がある。

どの構成メンバーもホロンであるので、自己規制と自律性(自治性)を備えもち、安定した総合構造である。

細胞も神経も器官も上位に対しては「部分」となり従属しているが、同時に準自律的な「全体」としても機能している。上位に対しては大きな全体の一部として「統合傾向」として機能し、下位に対しては「自己主張傾向」として機能する。

まさに二面神ヤヌスである。上位には隷属的な部分の顔であり、下位には独立心に富んだ全体の顔だ。

アレクシス・カレル 孵化前のニワトリの心臓の一片の組織を培養液の中で何年も脈を打ち続けた。

 

ヒエラルキーのどの要素も各レベルでは一連の「不変のルール」に支配されている。ここに一貫性、安定性がある。

ホロンがサブ・ホール(亜全体)であるように、ヒエラルキーの全ての枝はサブ・ヒエラルキーである。そして切り取らない限りは、その両端は開いている。

 

+が− −が+に

全体として自律 −ライバルへの警戒心 個体維持のため内側に目を向け、自己完結的な独立の存在になる 

自己主張傾向  悪性腫瘍

抑圧された自己主張はアドレナリンと相関関係がある 相手と壁を作る攻撃的情緒になる。

飢え、性欲、所有欲、怒り、恐れ

激怒や蝋梅などで交感神経が働くと、上位のセンターに代わって抑制がきかなくなる

固くなって融通が利かなくなり、固着観念や強迫観念を生む

一面の心理をあたかも完全な真理とみなし、執拗にそれを追求する性向

個性的な歩き方、身振り、筆跡

 

        +自律性がなければ構造のない無定形なゼリーか異分子のいない専制集団

部分として従属 +統合的で自己超越的な動きをする 

柔軟な戦略、独創的適合、創造的統合

目を外に向ければ、自然や社会環境の従属的な部分になる

端が開いているため、下位に新しいレベルの層を付け加えていく

自己主張(自律性)を抑制する 

ストレスなどでこれが作用しなくなると部分は全体のコントロールから逃げてしまう

         自己の狭い領域を超え、包括的全体(共同体、宗教的信条、自然、霊界など)の部分を要求

         科学と芸術の栄光

        −適切な自己超越の場がないと、自己批判の能力を失い、盲目的崇拝や大義名分に身を投じる

         ヒトの残忍な破壊的傾向は自己主張ではなく、統合傾向に由来する

         大虐殺の歴史

         ストレスや危機が生じると、教訓や道徳規範を他者や組織に押し付け全体を損なう

 

物質界の二面性

自己主張 ⇔ 統合傾向

慣性力、斥力 ⇔ 引力、結合力

ニュートン第一法則 慣性の法則 ⇔ ニュートン第二法則 万有引力の法則

物質粒子としての電子(素粒子) ⇔  形のない波動としての電子

現状指向⇔ 未来指向

自己保存⇔ 種保存

扇風機⇔ 換気扇

過去から現在へ吹く風⇔未来から引き寄せられる風

 

 

細胞のホロン

受精卵が完成品を定義するすべてのポテンシャルが存在している。この先に生まれてくる個体の「概念」であり、以後の一連の文化段階の中で明らかにされていく。

胚発生の初期の段階でいじればその周辺の全細胞の結果が変わる。

初期のイモリの胚の尾になるべき部分に脚になるべき部分を移植すると、尾にはならず脚になる。これは遺伝コードという規則の枠内で胚がとる「柔軟なん戦略」の例である。

後期の分化段階で、将来の器官の原形をを形成する組織を半分切り取っても、器官は半分だけ形成するのではなく、完全な器官を形成する。

ホロンは遺伝コードに定められた規則に従うが、同時に自由度も十分に有しており、環境の偶然性に左右されながら様々な発生経路を歩んでいく。

 

一般システム論    樹状図のヒエラルキー

これは、現象の流れの中の共通分母を探し、多様性の中の統一を探求する理論である。

一般システム論(ベルタランフィなどが提唱)と呼ばれるもので、理論モデルを構築し、普遍的に適用できる一般原理を発見すること。

生物のフィードバック機能をホメオスタシスと呼び、自己規制の機構を持つ。

標準から常にずれる「自由」とそれを修正する「規則」

遺伝子も、完結まで全て決められた青写真だという解釈ではなく、固定はされているが環境からのフィードバックをもとに適切な戦略を選択する余地を残すのが遺伝子のルール規範である、と解釈し直してみる。

 

遺伝コードから象徴的思考にいたるあらゆる生命体に関わるものは、秩序のある安定と柔軟性のある自由の両方を認めるゲームの規則に支配されている。このルールはヒエラルキーの全てのレベルにコード化された形で存在している。

 

ヒエラルキー最高部は低部のレベルと直接関係していない。

 

進化のホロン

自然はひとたび重要なパターンや構成部品やプロセスの特許を獲得すると、驚くほどそれに固執する。この固執が規則となり安定を担う。そしてこれが進化のホロンになる。規則と進化はコインの裏表である。

「脊椎動物はある一貫した計画のもとに造り上げられている。その計画とは、走り、登り、泳ぎ、飛ぶために骨の形を変えることはあっても配列は変えないということだ。」1818年ジョフルワ・ド・サンティレール 生物学

この基本配列が「進化の規範」であり、水や大地や木といった環境の違いの対応が「進化の戦略」である。

エラが肺になり、一番上の穴が耳になった。

ねずみも人間も細胞内小器官は同じ標準モデルが使われている。

アメーバとピアニストの指はどちらも、収縮性タンパク質を使ったラチェット機構である。

全ての生命体はたった4つの化学分子だけで遺伝情報をコード化している。

この「規則と戦略」が、進化の理論、自由意志・決定論、ヒトの心の病と創造性といった問題を解く鍵となる。

 

 

力と形

力→形  形→力

規則   自由(戦略)

時間   空間

樹状図  網状図

樹枝化  網状化

垂直   水平

外延   内包

分類   統合

自己主張 統合

全体性  部分性

自律性     従属性

遠心性  向心性

競合   協力

利己主義 利他主義

保守   革新

現状指向 未来指向

 

アブストラクト的記憶とスポットライト的記憶  経験と情緒

アブストラクト   ボトルの下に溜まったカス  古文書倉庫の本  ザルに残ったもの 骨組み

入力から外皮をはぎとり、骨組みだけにする。想起する時は外皮を装飾する。

経験を重ねることで、粗い目のザルから微細な目のザルに移行して、対象物の粗さを揃えることができる。

だんだんと微細なニュアンスを抽出する枝を作りだすことができる。

五感のヒエラルキーで立体的で記憶したり、

視覚のヒエラルキーだけでも、形、色、場所などの別々のヒエラルキーに分類されて立体的に記憶したりする。

色で言うと、多色刷り印刷のように、赤・青・黄のプレートが組み合わせられると、絵が構成される。各基準判断が重なると、新たな像が浮かび上がってくるのだ。

 

スポットライト   幻をみるかのようにエピソードを再現できる記憶

ペイプス=マクリーンの情緒理論

心に絵を刷り込む  子供や古代人  頭の内に実(絵)がある  思い出したのではない直観像的断片

 

自意識のハイパー・リフレクション   過剰内省ではなく順序無視

足の動かし方を意識してしまい苦境に陥ったムカデ  どういう順序で足を動かしているのかと問われ、痙攣を起こして飢え死にしたムカデ

一段ずつヒエラルキーを上下せず、中間レベルを省略すると起きてしまう問題

結腸痙攣 インポテンツ どもり     ヴィクトル・フランクル「ロゴセラピー」実存分析的精神治療法

 

フロイトの誤り

エロスとタナトス

理由無き破壊行為の隠れた動機  疎外感、嫉妬、プライドを傷つけられる 

残忍さや破壊性は、限度を超えた極端な自己主張であって、フロイトの唱える死の本能ではない。

生命体の特徴は熱力学第二法則に従わないことだ。

「老衰も自然死も生命の必然的結末ではない。」 F・パール

本来、原生動物に「死」はない。分裂と増殖の過程で、一切の死骸は残さない。

「自然死は生物学的には比較的新しいこと」 

自然死は、不完全な統合に起因する付帯現象であって、自然の法則ではない。

エロスもタナトスも進化の舞台にかなり遅く登場したもの。フロイトの説とは違い、「性欲は統合傾向が特殊な形であらわれたもの、攻撃性は自己主張の極端な例である。」

 

ルイス・トマスの共生進化説

シロアリと共生するミクソトリカの内部の様々な細胞内小器官とバクテリアは部分的に合体する過程が人体を形成する細胞の進化と同じであると説明した。

多数の生物を集団化し、それらとシロアリと連合させようとする根源的な力が存在する。

免疫反応も自己を化学的に記すための遺伝子も、攻撃と防御の反射的反応も、進化における二次的な産物である。

資力を共同出資し、可能なとき融合し合うのが生物の本性である。

 

同情と共感のメカニズム

第一の段階では、自己超越衝動が自己主張傾向を抑制し、自己中心的な状態から他者の立場へ移行することで、

浄化される。これを投影、同一視、参加という。

第二の段階では、投影した他者から世界を見ることで、今の自分がない出来ごとを体験し、そこに喜び、悲しみ、恐れ、憎しみなどの情感が起こる。それに伴い、心拍や脈拍の変化が起こる。

 

 

 

4段階の意識とホロン

脳機能学

身体論

意識

ホロン

良 開く

悪 閉じる

自分と他者

新皮質

意識

自意識

自己主張

司令部

ガン 

自分だけ

旧皮質

意識

自律

全体・独立

自分勝手

自分と他者

辺縁系

無意識

統合・他者

忠誠 役割

従属

全体の一部

脳幹

非意識

奴隷

部分

虐殺

部分

 

自己超越の昇華 芸術と歴史との違い

自己超越の衝動のはけ口を社会や政治に見出すと、ナチスの集会やボランティアやカミカゼや自爆テロやチャリティーとの共通点がある。ここに善悪を含んでいると思われるが、ホロンでは同じ「統合」の側面である。

閉じたものを開くことによって、芸術は衝動を昇華させて、偶像崇拝から審美眼に引き上げる。

閉じて思いつめていたものを開放して、排除ではなく、共生を選ぶのだ。

 

歴史の悲劇 閉じたヒエラルキー

閉じたヒエラルキーの舞台には英雄と悪党がいる。そしてこの舞台が強制されると、自己超越の衝動が、おとなしい観客が人殺しも辞さない狂信者に変えてしまう。

 

他者を破壊する根本原因は自我を越えるモノへの忠誠  利他主義

賢人の成功は、その時代にできることをして結果を出していることだ。

賢人の失敗は、たの時代の人間の本質をとらえていないからだ。

ヘブライの預言者、ギリシャの哲学者、中国の賢者、インドの神秘家、キリスト教の聖人、フランスのヒューマニスト、イギリスの功利主義者、ドイツの道徳家、アメリカの実用主義者、ヒンドゥー教の平和主義者。

彼らは戦争や暴力を非難し、人間の善性を訴えてきたが、努力の結果はいつまでも続くことはなかった。

 

悲惨な歴史の繰り返しを、人間のエゴ、貪欲、人間の破壊性を根本原因としてきたが、これらが見当はずれであることは人類史が証明している。

個人の貪欲による動機で他者の殺害人数   強盗、ギャング、ヤクザ

神・部族・王・国家・組織などに没我的忠誠を誓った者が異端者を粛清した人数 

レーニン、毛沢東、リンカーン、トルケマダ、

ロベスピエールなどのフランス革命家

恐怖政治での処刑者数は、ギロチン以外の方法が圧倒的に多くて、カリエがナントで溺死させた犠牲者だけで約1万人になり 、一斉射撃や大砲の散弾などの処刑、さらには手斧やその他の方法による殺害などがあり、恐怖政治全体の犠牲者が6080 万人と言われる

犠牲者の大半はヴァンデ地域の掃討戦、虐殺など内戦の結果ですが、そもそも恐怖政治は内戦の脅威に対抗するための非常処置でした。

 

大義名分、旗、カリスマ、信仰、信条への自己超越的献身が外側にいる異端者を破壊した。

またこの自己超越的献身で喜んで自らの命を絶ったりする。

 

人間は天使でもあくまでもない。しかし天使としてふるまおうとすれば、人間は悪魔に変わる。パスカル

 

 

頑強な個人主義、野望、競合などの自己主張は、動的な社会では必要なもので、これによって平衡は維持できている。

バランスが崩れた時に、社会革命者、芸術家、思想家は「聖なる不満」をガソリンとして、自己主張傾向を自己超越傾向に変換して、バランスの復活に対処しようとしてきた。

 

ところがこの自己超越傾向が行き過ぎると、人類史でおこった虐殺が行われる。

また自己超越を目指しているので、ここでは責任者がいないので、誰にも責任を問うことができなくなる。

ヒトの「所属」の衝動、つまり自己を集団あるいは信仰のシステムと同一視しようとする衝動である。

 

統合傾向の病状の三つの要因

父親の権威への降伏と服従     聖人、扇動家、賢人、狂人 大衆の共通分母(権威への服従)に訴える 

社会集団と自己の無条件の同一視  組織に属していなくてもグループに自己を情緒的に同一視する辺縁系

信仰のシステムの無批判な容認   考え方を共有して行動の規準にする。学歴、トーテム、旗、選民意識

 

自己と集団の同一視

二つを同一視すれば、集団共鳴によって同調傾向が強化され、個人の批判能力は消え失せる。

集団とはすべての社会的ホロンで、言語、伝統、慣習、信仰といった輪郭の内側と外側を作り出すものである。

個人として殺人は禁じられていても、部隊の精鋭としては人殺しが義務付けられている兵士

集団と自己を同一視すると、人間は殺し屋に変ずる。この自己超越行為が行われると、集団は自己主張傾向が強化される。ヒエラルキーの上位にある大きな全体の中の「部分性」にスポットライトを当てたので、自己の「全体性」を放棄してしまうことだ。自己が集団に献身をし、全面的降伏をし、忠実に服従したことだ。

集団のエゴイズムは自己の利他主義によって成り立つことができるのだ。

国を同一視すれば戦闘的愛国主義に、党派への忠誠は排他主義に、団結心は傲慢な徒党主義に、宗教的熱情は狂信に。

自己のメリットは何か?

危険に対して無頓着でいられ、自分の行動に対して無責任でいられる。

判断を集団に任せることができるので、悩みがなくなり、非情でいられる。

自己犠牲から利他的英雄気分を味わえる。

自己の判断なしに、集団に外を与えるものに排除でき、そのためには自己は死ぬことができる。

 

 

集団の規準

集団は一つの準自律的ホロンであり、個人の部分集合体ではない。

緊張でバランスが崩れると、一つの集団は、他の集団に全体性を押し付けたり、逆に全体性を奪ったりする。常に緊張、対立、闘争が繰り返される。

集団の行動を律する規範は、メンバーの行動を支配する規則だけではなく、普遍性を標榜する道徳的教訓や命令が含まれている。この統合力のある情緒性を脅かすものには激しく反応する。

 

信条に従ってしまう人間

エール大学心理学部スタンリー・ミルグラムの実験。 「服従の心理」Milgram

教授の指示に従い、学習者に15Vから450V30段階の電気ショックで罰を与える実験。

学習者には、75Vで軽い不平、150Vで「ここから出してくれ」315Vで激しい悲鳴、330V以上は気を失っているかのように何も言わないように演技してもらった。

 

精神科医は450Vの電気ショックを与える人は1000人に1人だと予想したが、結果は600人だった。

この差はなぜか?

原因をフロイトの「破壊の衝動」やローレンツの「殺戮本能」といった伝統解釈を取りたがった。これは、被験者に水を飲むように指示してその水を飲んだことで、被験者が喉が渇いていたからというようなものだ。

しかし被験者が一個の社会構造に統合され、そこから抜け出られなくなっていることが原因だととらえる解釈がある。

理由は、被験者はいわれるままのことをしたにすぎないからである。本人の動機や意図ではなく、社会的ヒエラルキーにおける高位の動機システムがそうした行動を引き起こした服従の本質だからである。

証明実験は、被験者の自由意志に任せて電気ショックを学習者に与えてみると、40名中38名が150V以下で1名が325V、もう一名が450Vであった。命令にもとづいた時は62%である40名中25名が最高の450Vのショックを与えた。

なぜ日頃は上品で礼儀正しい被験者が命令者の言うことを聞き冷酷にふるまうのか?

閉じた社会ホロンの中で起きたためである。ここでの枠(旗、規範、理念)は、「科学的真実の追求」すなわち社会のためであるという大義名分だ。この中で自分の行為を捉えているからだ。

場所も大学の心理学研究所といえばアカデミーの権威であり、合法的な場所である。

被験者の道徳観念が消失するのではなく、彼の意識がショックをうけて苦痛する学習者から、組織の高邁な目的に移ったためだ。他者の痛みを自分のものにする「心」から、人類の理念を追求する「頭」にスポットライトが移ったので、心としては冷酷な行為であっても、頭としては、権威が要求する行為をいかにこなすことによって、誇りを感じたり、恥じ入ったりするのだ。スポットライトの移動によって、この方が価値観が高いからだ。

情緒から理性の価値判断を出すようになったためだ。これを理性による隷属化という。過度な忠誠、過度な義務、これらがこれらを評する道徳観である。

人間は必要とあらばいつでも人間性を放棄して、集団構造に溶け込ませるには、そうせざるを得ないのである。

病原菌と同じように、知らないうちに忠誠心に感染する。そして知らないうちに、人類は次から次へと悲惨な歴史を繰り返していく。

 

脱人格には3つの可能性がある。理性に中心が移ること、無意識に移ること、もう一つは非意識に移ることだ。

理性に中心が移った時は、重層の地底から表層に顔を現し、その顔は聖者のごとくうっとりと

無意識の時は、賢人のごとく遠くを見つめ、

非意識の時は、精神薄弱のごとくぼんやりと、上を眺めている。

Moral  [Middle English, from Old French, from Latin morâlis, from mos, mor-, custom.]

Ethics ルール スタンダード 道徳価値規準体系 

    A set of principles of right conduct

. b. A theory or a system of moral values: “An ethic of service is at war with a craving for gain” (Gregg Easterbrook

[Middle English ethik, from Old French ethique (from Late Latin êthica, from Greek êthika, ethics) and from Latin êthicê (from Greek êthikê), both from Greek êthikos, ethical, from êthos, character.]

 

『殺戮しない類人猿』(山極寿一)

個々のサルたちにとって攻撃とは自己主張し、互いの関係を認知し双方の主張に沿って行動を変えるための共存の手段だ。類人猿のけんかの際における、弱者の仲裁や、ゴリラの胸たたきはそうした平和的行動なのである。

現代の戦争は、仲間と共存するのではなく、相手を抹殺するための攻撃だ。それは、人間が進化の過程で必然的に得た能力ではない。抹殺によって自分を守れるという誤った考えや幻想を捨て、類人猿の社会を見習い、過去に通ってきた精神世界を見つめ直すべきだ。

 

ヒトは偶然に属した集団のために戦争をする

なぜ教養も理性もある若者がかくも容易に、激怒した大群ではなく、訓練された隊列をなして、隊の外にいる若者を殺しに行くのか?

ブリストルの学童を二つのグループ名を与える実験をした。   ヘンリー・ターフェル社会心理学者

ポイントは「集団」の内側にいるということを告げること。それだけである。

もし行動を強化させるには、その「集団」の意味を加えてあげればいい。でっち上げでもいいから。

ヒトは帰属することによって安心できるので、共通点や同じグループに属していることを告げると、相手に好意を示し、他のグループのメンバーには不利な立場に追いこもうとする。

ヒトはたまたま割り当てられた集団を強く支持する。その集団に誰がいるのか、集団の質がどのようなものか、には一切知らされないまま。  「人間、この共謀するもの」Calder 「Human Conspiracy

ヒトは属した集団と自己を積極的かつ迅速に同一視する性質がある。これが敵意の源を探す基盤になる。

 

自己超越の欲求

少数がこれを想像の水路に運河化した。

多数は部族、国家、教派、党派と自己を同一視し、所属の欲求を満たした。そしてその中の者が、象徴を拝み、指導者に服し、その組織を無批判に受け入れた。このような「純な」同一視はその組織を固くして、形骸化させていった。その組織の中で、自己主張をする者は、組織的制裁を受け、アウトローとなり、社会的ヒエラルキーから逸脱する。

 

理想的な社会ホロン

二面性がある

組織の外に開いている

ヒエラルキーの自覚がある ヒエラルキーを否定しない

全体の義務と部分の権利を自覚している

 

内蔵と信条

信条は情緒で飽和している。

信じるとは、「内蔵で知る」と言われてきた。ここには古い脳が介在している。感情的判断するところだ。

集団精神の盲目的な激情は理性と和解し得ない情緒的な行動で、新皮質を拒否する。これを撲滅できれば人類は安泰である。

 

 

救済は生物学研究所から

唯一の望みは、古い脳の働きを抑えて、生き延びることである。生物学的進化を待っていられない。

敵は、人類の妄想的傾向であり、これが人類を絶滅へと追いやる。

ホルモンと酵素の化学的な力で、古いセンターを新皮質で統括する力を与えることだ。この時の支配とは、ヒエラルキーの二面性を持つというホロン的な統治である。

これが大脳の新旧両構造の対立を解消し、狂人から人間への移行を促進させる。

「精神のコントロール」エーテボリ大学のホルガー・ハイデン教授  RNAでタンパク質を変容させる

トリシアノ=アミノプロペンを投与すると、ヒトは暗示にかかりやすくなる。

イヴァノフにルバショフをもてなさせておくよりも安上がりだ。  Hydenn control of mind

新たな薬を開発し、それはLSDや素晴らしい新世界のソーマ・ピルによって得られる「大衆ニルヴァーナ」ではなく、信仰と理性とが分離した脳を再統合し、ヒエラルキー的秩序を回復するダイナミックな平衡を目指すものだ。

 

 

繁殖のフィードバック

ハナムグリからヒヒに至るまで、動物は本能的な個体数の抑制力を有しており、たとえエサが豊富な時であっても、過剰繁殖を抑え、縄張り内の頭数を一定に保っているという。その数が限界に達するとストレスが生じ、それがホルモン・バランスに影響し、寿命を縮め、生殖行動を妨げるのである。これが繁殖率を調整し、自己規制的な社会ホロンとしてふるまっている。

 

生化学者にできることは除外すること

脳に新たな機能を付け加えることはできないので、できることは、機能を妨げている障害を適切に「除外」することである。

 

 

ユーモア論

笑いという反射作用

瞬きのように生命維持と直接に関係ある反射

笑いのようにストレスを解放する間接的に生命と関係のある反射

 

予言可能な反応と反射をおこすコミュニケーションはユーモアだけだ。

崇高を滑稽に、滑稽を崇高にできるのがユーモアだ。

メカニズムは互いに相容れない二つの規範が予期せぬ衝突をおこす。それでひとつの平面から他の平面へ瞬間的に飛び移ることができ、愉快な心のゆらぎが起こる。

二つの思考基準の中にいることに気づくことが笑いの共通点だ。

専門家の論理と一般の論理、高尚と平凡、

二つのことを選んで、繋いで、そこに悪意の雫(評価の裏表)を注げば、そこに喜劇が生まれる。

また高尚と奇抜のように、並べるだけ滑稽になるものもある。

喜劇の情況は、偶然の一致、人違い、時と場合の混同である。連想できるが異なった出来事が同時に衝突する時空だ。

 

ユーモアが面白い3つの基準

独創性 

強調   大げさ、繰り返し、下ネタ、猥褻  同じ状況とセリフを何度も繰り返す  条件反射に刷り込む

節約   それとなく匂わせる。遠まわしに言及する。

食べ物を無理に口に押し込めが強調になり、じらせて食欲を刺激すれば節約になる。

 

 

笑いは攻撃性と恐れの衝動  悪意、軽蔑、謙遜の衣をまとっている。

解き放たれた情緒には攻撃性がある。自己主張のはけ口。

 

皮肉は独りよがりの義憤から生まれ、相手の不条理や悪意を暴き出すために、その論理を受け入れたように装う。

ジョーク 粗野で攻撃的 抑圧されたサディズム 犠牲者に対する同情心の欠如 残虐性と幼児性と自己主張

ユーモア 攻撃性は隠し味で、分析しないと気づかない。悪意を刺激し、無害なはけ口を提供している。

ウィット しゃれ 工夫 道化師も探検家の命で、創造性のプロセスの表出

風刺   故意に的を外すために、無害であり、寓話を使って、生贄の特徴を誇張し、他を排する。

イタズラ 権威が重力に、精神が現実に置き換わることを助けること ゼンマイ仕掛けの兵隊、ロボット博士

モノマネ 品がない場合に限り観衆は笑う。対のパターンと誇張

喜劇   二つの規範が交錯する曖昧さが舞台で、片方の誤解とはきちがえと混乱がガソリンだ。

風俗喜劇 二つの規範の衝突と双方のルールブックの偽善をあばくこと。登場人物の二つの内面

上品とはしゃれの結晶化。   粗野→繊細 嘲笑→皮肉 逸話→風刺

文明人はこの攻撃性を意識の外に追いやってみないようにしている。

 

笑いの格言

アリストテレス 笑いは醜悪や下品と密接に関係している

キケロ     滑稽の本質は下劣と奇形の中にある

デカルト    驚き、または憎悪、時に両方が入り混じった喜びの表現

フランシス・ベーコン  笑いを引き起こす原因の第一位は奇形

ホッブス    他の欠点と比較して、唐突に自己の優越性を認識するために生じる突然の勝利感

カント     張りつめた期待感が突然無に

フロイト    笑いのゆがみとひきつりは飽食した赤ちゃんが乳房から口を放す時の表情  緊張開放

        Chistmas  alcoholholidaysを足してalcoholidaysと呼んだ

ベルグソン   繊細な精神と無力な肉体の二重性がユーモアである。人間と機械

 

 

喜劇から悲劇へ  攻撃性を同情心に変換する。  自己主張を共通点にする

酔っぱらいがひっくり返って顔をぶつける。他者としては笑うが、仲間だと悲しみや哀れさになる。

喜劇に必要なのは、超然とした悪意である。

笑うためには的はずれである必要がある。的が当たると喜劇ではなく憐れを誘う悲劇である。

 

爆笑とは緊張と解放

聞き手に緊張状態を作り上げ、期待した結果を与えず、論理破綻させる。するとそのやり場のない緊張が溢れ出して爆笑になる。

意識(残忍、ねたみ、卑猥)の緊張が、体(生理)で解消される。

不安から安心

 

笑いの感情と理性

感情は理性に歩調を合わせることができない。理性のようにすぐに方向転換ができないのだ。

アドレナリンを排出させる交感神経は自己主張的情緒を発生させる。恐れや怒りなどの情緒は原因が除かれてもなお持続する。

笑いの中に解放されるものこそ、思考に見捨てられた情緒なのである。

笑いのオチは二つある。理性に落ちるのか、感情に落ちるのか。二つを対比して、想定外の世界で落ちることで「やられた」とわかり、にっこりするのだ。

 

 

笑いとアドレナリン

旧石器時代の生活に適合した分泌腺がある。生存競争は今より厳しく、動静のリズムが大きく、逃げたり、捕まえたりする時もあれば、ずっとボーとしている時もあった。

今日の生活には合ってはいない。安全と快適な社会空間で暮らしているからだ。そこで想像力と呼ばれる妄想力でアドレナリンを次々と作り出す世界を作り上げた。そして必要以上のアドレナリンが分泌させるのだ。そこで私たちの問題はそのアドレナリンをどうするかだ。体を動かすか、血液の中に放っておくのか。

はけ口の一つが笑いだ。しかし笑いには、理性と情緒の分離が必要だ。

 

子犬の愛くるしく思う理由

ひょうきんで、頼りなく、可愛い、当惑した表情は成犬よりも人間味を感じさせる。

無垢なものが持つ、大人に対する計らないのないパロディーだからだ。 

人間が子犬よりも優位にいてずっと優秀な生き物であるからだ。これがないと笑えない。

 

奇形を好んだ理由  同化できない対象

ルネッサンス時代の地主の人々は、こびと、せむし、ニグロを集めて喜んだ。彼らと同化するのは難しいから、笑いの対象であった。同情は不要となり、良心に恥じることなく、子供のように笑い転げることことができるのだ。

 

くすぐり

くすぐられた部分を硬直させて、身体的に弱いところを守る防御反応である。ダーウィン

イタズラ攻撃をする人との信頼関係があることが前提で、楽しめる程度に緊張開放してくださいということ。

 

科学と芸術の共通点

科学の発見とは、今までになかったアナロジーを見つけることだ。

無から有を生み出すものではなく、雑種交配によって生まれるものだ。Cogito(考える)の語源はcogitarseで混ぜてよく振るだ。両立しがたいものを統合すると発見になる。

 

文学の永遠のテーマは、精神と無力な肉体の二重性である。人間は神あるいは染色体に操られたあやつり人形だからだ。

二つの共通点は、結合のプロセスだということだ。

 

芸術と喜劇

ドーミエ

ヴァルキュリア

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」

ハイドンの「驚愕シンフォニー」

モーツァルトのスケルツォ

 

Aha反応  ゲシュタルト心理学用語

Ah    統合  弛緩  神秘主義  自己超越 感情的浄化 副交感神経  畏怖   瞑想

Aha

Haha   分裂  緊張  現実主義  自己主張 爆発的解放 交感神経   探究心

 

探求衝動

食欲や性欲よりも優先される本能。目的は他者(自然・体・自意識以外)を理解することで、それらを支配するため。この探求により、知識と力を得ることができる。

報酬がなくても実行される。探求こそが報酬なのである。

未知なるものを既知にする本能

好奇心とも呼ばれる

科学者の言い訳  自然の神秘を覆い隠しているベールを剥ぐことで、動機は畏怖と驚き アリストテレス

アインシュタイン 宇宙の神秘に驚きを感じぬものは・・・、死んでいるに等しい。

 

科学の発見と凶悪な結果

しかし彼らはベールをはぐことがエネルギーを集中させることの怖さを予測しなかった。

人間のサガ、もっといえば人間を大脳皮質を中心にした生命体だと勝手に誤解していたからである。

発見したものが凶悪な魔法になるとは予測できなかった。

 

芸術や科学で起こる対局性の一致

創造力という自己超越的な力に創造的作品の生命をかける芸術家

他人を犠牲にするウィットを飛ばすことで、自己主張的の悪意を受ける道化師

アインシュタイン  「魅せられた魂の深いおののき」と「探究心」が重なると「わかった!」

 

科学の革命的発見や芸術の革命的変革とは、その破壊的な側面を意味している。いままで神聖さや伝統や習慣で介入することがなかった教義や、思考習慣の職人的ルーチンを見直させる作用がある。

創造のプロセスという苦しみは、真実の道案内も、美の道案内と同じように不確かで、主観的なものである。

 

「式が実験と一致することより、式に美しさがあることのほうが重要だ。」ポール・ディラック

「わたしの作品に詩があるという。とんでもない。わたしは自分の手法(光学理論にもとにした点描画)を使う、それだけだ。」 スーラー

 

科学の進歩は、芸術の進歩と同じく、安定したものでも絶対的なものでもない。長く安定した曲線ではなく、ギザギザしたジグザクの線である。

比較的平和な進化の長い期間と、革命的な変化の短い期間がリズミカルに変動している。

革命的な大躍進の直後の平和な期間が唯一の連続的な累積の進歩が見られる。

次の革命的な大躍進のための地固めのような期間だ。躍進したものとの統合の確認、吸収、洗練、拡張の期間だ。

連続的な進歩の時には学派ができ、マトリックスは硬化して閉鎖系になる。

変動がある時は、これに対して激しい反乱と拒絶がはじまる。

そして新しい領域へ向かう。この時代は楽観主義と多幸感がある。

そして変動を起こした改革者の模倣者と従者が大勢でてくる。富を求めて。

そして緩やかな進歩が始まると同時に、飽和がはじまり、欲求不満と行き詰まりがおこる。

そして革命前の危機的期間に突入する。「すべてはバラバラだ。一貫性はすべて消えてしまった。」

同じサイクルやジグザグの線について、トーマス・クーンの「科学革命の構造」で述べている。

 

 

科学と芸術の違い

科学は知性の融合

芸術は二つの世界を並置すること

 

 

科学の主観性

科学は、理論を実験と照らし合わせることで「客観的な真実」にいたるという捉え方があり、それが一般的信念である。しかし、実際は実験のデータによって、理論に基づいた予測が確認されることがあっても、理論それ自体が確認されることはない。実験データは、いろいろに解釈できるからである。これが科学史が文学批評と同じだけの悪意で満ちている理由である。科学は主観なるものであるが、文学と比べると相対的に客観的だということである。

アリストテレスから中世科学、ニュートン、アインシュタインという権威的「中核的」な科学の変化を見ても、文学史や絵画史と同じようなジグザグなコースが科学の進行を特徴づけていることがわかる。

徐々におこる変化は、パラダイムの変化のための地固めの期間においてのみ連続的である。そしてこの地固めは凝り固まった権威主義の増大をもたらし、過度の特殊化の袋小路へと導いていく。

 

 

 

 

笑うことと泣くこと  Laugh & Weep

笑い 交感神経 体の緊張

泣き 副交感  体の弛緩 血圧低下 体内不要物の排泄を促進 静穏 カタルシス浄化 目が覆い隠される

 

泣きと神秘体験

利他的、自己超越的 上位の実在と共生的なコミュニケーションをもちたいと願望すること 部分性

高位なヒエラルキー・レベルの包括的な構成単位に依存して関わりたいという傾向

人格喪失をして意識は広がる(理性→智性)が、それを超えると、「限りなく広がって宇宙と一体になる大洋の感覚」

動作を引き起こさない方向に自己超越的情緒は働き、受動的な静穏をもたらし、降伏状態になる。

呼吸や脈拍は低下する。

「我を忘れる」

畏怖や驚きに圧倒される

ほほえみにうっとりする

 

創造性

天才の独創性は、科学でも芸術でも、ありふれた対象に新しい光で眺め、隠れた結び付きを発見し、それまで無視されてきたリアリティの側面に注意を移行させることである。

隠れた類似を追求すれば、詩的隠喩、科学的発見、喜劇的なほほえみが生まれる。

悲劇作家は幻想を創り、

喜劇作家やコメディアンは幻想をあばきだし、

医者は明確な目的のために幻想を使い分ける。

 

独創性には知識の破壊と再学習、ご破産とやり直しがある。石化した精神構造やマトリックスの粉砕と、別の精神構造やマトリックスの再統合がある。ヒエラルキーのいくつかのレベルで分離と統合を押し付ける複合作用である。

 

創造性の秘密と源泉

理性の下面にある、意識のトワイライト・ゾーンにある。抽象されていない支離滅裂で魑魅魍魎が跋扈する具体的なつながりの世界だ。

言語的思考から前言語的、前理性的なイメージや音律や触感の世界への退行である。

業績を残した科学者は、自然発生的な直観や未知の力を強調し、創造のプロセスには不合理が深く関わっていることを言明している。

「話し言葉も書き言葉も、私の思考のメカニズムにおいては何の役割も果たしていない。・・・わたしの思考法は明確なヴィジュアル・イメージに頼っている。・・・いわゆる全意識とは、意識そのものが狭量なものであるから、けっして達成し得ない極限状態であるように、私には思える。」 アインシュタイン

 

ものごとを明確に考えるために、言葉から離れなければならないことがよくある。言葉をつかった推論は高い抽象性と関わっているので有効な時もあるが、堅いペダンティックなものになる弱点がある。これがリアリティと推論者のあいだに壁を打ち立てる。

 

創造するためには一歩退いてジャンプするという奥義がある。

Reculer pour mieux sauter 一歩後退二歩前進

崩壊と再統合

ヨセフは井戸にほうり込まれて出てきた

ヨナは鯨にのまれて再生した

イエスは土に入り墓から復活した

 

 

 

夢と創造性

眠りから覚める時に、ふるいの目から落ちる砂のように、夢は意識の手から逃げていく。夢は理性の結びが解かれ、時空や論理や因果の制限に囚われていない。だから言葉でとらえようとすると消えてしまうのだ。

しかし、無意識のヒエラルキーの全てのレベルがひとつのテーマで覆われている時には、そのテーマは融解せずに逆に統合されることがある。別々にあったものが結びつき、イメージになっているのだ。

それはハムレットの雲のように、ラクダからイタチに変わっていくものだったり、ファラデーが幻なかにはっきりと見た、磁石を取り巻く電気の力線かもしれない。

 

 

治療者と幻想

俳優以上に、ひとりの人間であると同時に他の人間にもなるという人間の能力を、意図的に用いるのが治療者である。医者は患者の心に自分を投影すると同時に、ヌースの賢者としても振舞う。

はじめは感情移入だ。自分の皮膚から外に出て、相手の皮膚に入る。自分の左目から相手の右目に入り、相手の脳で自分を見つめ直す技だ。他人との精神的共生のプロセスである。

これにより、言葉よりも直接的に相手の考えと感覚を理解する。

次に行うのが賢者の儀式だ。

患者の状態が悪くなった点まで一緒に戻り、そこでの認識パターンと条件反射の結び付きを解き、新たな情感(好き嫌い)と結びつけることで、再生をはかる。

シャーマニズムから現代医学にいたるまでのサイコセラピーはつねに、解体と再編成のプロセスを行う。強迫観念やスキゾフレニックを持つ患者は、自己を防衛するために、一風変わって堅苦しい「ゲームの規則」に支配されている。そこでこの規則が生まれた背景と経緯の理由を理解し、この規則に代わる安心を作り出して与え、そして最後に、刺激に対して新たな反応を結びつけることで一般的で柔軟なルールに則った条件反射を作らなければならない。

幻想をあばきだし、次に新たな幻想を与えるのだ。コメディアンと悲劇作家の両方の資質が必要である。

 

リズム

韻律的な詩がシャーマンの太鼓の響きをもち、心をなごませ、恍惚とさせる。 イエイツ

心臓の収縮と拡張

 

他人との喧嘩から生まれるのは華麗な文だが、自分自身との喧嘩から生まれるのが詩である。 イエイツ

 

無限を理解する方法

無限は有限の世界と混ぜ合わせない限り、あまりにも非人間的で、つかまえどころがない。無限という絶対は、何か具体的なものとバイソシエートされてはじめて、情緒的に実感される。これが科学者や芸術家がめざしていることだ。絶対を日常生活に取り込み、日常生活を神秘と驚異の光輪に取り囲む。

これによって、時間と空間が交わる点が窓となり、そこに永遠がちらりと姿を見せる。

中世のステンドグラス、もしくはニュートンの万有引力として。

もしくは瞑想。これは宗教家が実践していることだ。

 

マトリックス

決められた規則に支配されているが、内外の環境からのフィードバックに左右されている世界。

思考習慣や技をとらえ直す時に持ち出す概念。

規範しながら許容する。

垂直の鎖は抽象力のヒエラルキーで水平の鎖は網状のネットワークだ。

 

ネオ・ダーウィニズムと行動心理学の限界

19世紀の前半の思潮であった還元主義の哲学からインスピレーションを受けている。

行動主義はジョン・プローダス・ワトソンによって創始され、「意識」や「精神」は現実の基盤を持たない空虚な語であると言明した。

ハーバード大学のスキナーが同じ見解を「科学と人間行動」の中で、「精神や観念は実質を持たず、みせかけの解釈のために考え出されたにすぎない」と述べている。

1957年「言語行動」 「ごはんですよ」という言語的刺激の場合は、食卓に行って腰を下せばたいていの食物によって強化される。そこでこの刺激はその行動の確率を増大させるのに有効なものとなる。だから話し手はこうした言葉を口にする。

強化とは、本人に努力を続けさせるものを意味する。強化の概念は同語反復トートロジーの上に成り立っている。したがってその説明は無意味である。

Tautology  Late Latin tautologia, from Greek, from tautologos, redundant : tauto-, tauto- saying + logos,

 

 

二人の共通点は

A ランダムな思考の後で、「偶然」に解決に「行きあたる」

B 是認という「報酬をえる」ことから作業が続けられる

彼らがいう「生物」とは、条件づけ実験から得られた事実をネズミとハトに限定される。

 

これをネオ・ダーウィニズムでいうと

生物学的進化とは

A タイプライターを打つサルのような突然変異の所産が、

B 自然選択(適応がその報酬である)でそんぞくしたもに「すぎない」

文化的進化とは

A ランダム試行の結果が

B 強化(アメとムチ)で存続したもに「すぎない」

進化論者の共通の過ち  不適格者の絶滅を、進化の過程が「適応」の理想を目指しているとして、混同しているところ。

 

ネオ・ダーウィニズムの自然選択とは最適者の生存と繁殖に気を配ることであり、最適者とは繁殖率がもっとも高いものということになる。

これをはっきり言わないので、論争をしても論点を避けた議論になってしまう。

「ウサギやニシンやバクテリアの増殖能力に長けた種を置きざりにして、進化が先に進んでしまったのか理解しがたい。」 フォン・ベルタランフィー

 

自然の事実は同じ一つの環境に対しても、無数の順応法がある。

ところが、GGシンプソンたち権威の説明は、

タスマニアオオカミ(有袋類)とオオカミ(有胎盤類)の適応の類似性は、構造と機能の類似性を伴う。このような進化のメカニズムが自然選択である。ランダムな突然変異の選択であると言い張るのだ。

島と大陸で、進化の過程がそれぞれ別個に再現してそれが類似しているのは奇跡に等しい。

 

メンデルの実験結果を喜んだネオ・ダーウィニズムとその浅はかさ

喜んだ理由は、エンドウ豆の色や形を決める遺伝子は、混じり合って薄まるのではなく、しっかりと安定した大理石のようなものであり、独自性は保持し損なわれずに元のままで次の世代に伝わる。特に「劣性」は「優性」がある環境下で滅びたとしても、潜伏していたので、生き延びることができる。

しかし、事実は変異と進化とはまったく別のものである。

豆の色は一つの特徴を扱っており、遺伝子に基づくものであるが、進化の見地から言えば「取るに足らない」できごとである。

 

二重螺旋を喜んだネオ・ダーウィニズムとその浅はかさ

遺伝子の二重螺旋は天からの授かりものとしてネオ・ダーウィニズムは喜び、メンデル遺伝学となった。

しかし彼らの過ちは、遺伝子を原子論的概念でとらえている点であった。あるひとつの遺伝子が直毛か巻き毛を決定し、これらの寄せ集めによるモザイクが生命体であると思ってしまったのである。

ところが、実際には、ひとつの遺伝子が広範囲の異なる性質に影響を及ぼしうることが理解された。また多数の遺伝子が相互に作用し合って一つの性質を作り出すこともある。多形質発現とポリジーン遺伝だ。

ひとつひとつの遺伝子が一つのパッチをコントロールするといったパッチワークではなく、協調性に作用する一連の遺伝子全体によって成長を制御され、同時に統合された全体なのである。

 

遺伝のヒエラルキー

複数のレベルにわたって作用する生物体内における選択的で調節的な制御。

最下位のレベルは遺伝物質中の有害な変異の「排除」にかかわり、またより上位のレベルは許容しうる変異がもたらす影響の「調整」に関与する。両生類の卵を爬虫類の卵に変え、爬虫類を鳥類となすといった変化の調整(編成)をする上位のレベルにおける作用は神秘的である。これが「いのち」の根源であり、宇宙のリズムであり、この世の意味である。

人間の眼のような複雑な器官の進化では、ひとつの偶然の突然変異が「器官全体に調和した影響を及ぼす」。

たとえば水晶体に影響を与える突然変異は、調和した方法で反応するようにあらかじめセットされた複雑なシステムの引き金として作動するにすぎず、このプログラムもまた遺伝することを意味する。さらに一見関連がなさそうな翼と気嚢と消化系統の調和のとれた進化は、よりいっそう上位のレベルヒエラルキーの頂端にある「偉大な中心になる何か」によって編成されている。

ジャック・モノーは合目的性teleonomyを想定することで、偶然以外の進化の原理を説明した。

すると今度は、物理科学の機械論的な説明は,どのようなメカニズムによってそうなっているかに答えるだけであって,なぜそうなっているかには答えてくれない。

そこで「偉大な中心になる何か」の存在を認めざるを得なくなった。

 

 

偽善が美徳に仕えるのと同じく、擬似目的論や合目的性は究極性をたたえているのである。

Grasse  L`ivolution du vivant    具体例は?

文明社会では、様々な規則があり、それに加えて紙に書かれていない約束事、あるいは常識がある。葬式の時には、内心嫌な奴が死んだと思っていても、沈痛な表情をしなければならない。それで無用な争いは避けられる。

中韓両国との関係でも、反省とお詫びの姿勢を取ることがアジアの平和と繁栄につながるのであるから、個人としての見解は別として、外見だけでも謙虚な姿勢を取って、相手に攻撃材料を与えないのか賢い政治家である。

政治家にとって偽善こそ美徳だ

加藤周一 「政治家に望み得る最大の美徳は偽善である」と。

言うこととやっていることが違うにしても、正しいことを言わなくてはいけないということは、多かれ少なかれ、それを言った人の居直りが出来ない状況をつくり出しますから、仮に偽善だったとしても、政治家に限らず、それはそれで大切なこと。

偽善でいいじゃありませんか。

 

 

獲得形質  ラマルクの否定と一部復活

種に不可欠な需要に対応する改良であり、親から子孫へと遺伝によって継承されてゆく。

進化は生物の目的を持った奮闘の所産(合目的性)であり、累積的過程である。それに比べてネオ・ダーウィニズムは進化は偶然的過程であり、祖先の努力は無効だととらえる。またいかなる獲得形質も、遺伝性性質を変えられないという学説を、現在でもクリックとワトソンが名づけた「セントラル・ドグマ」としてある。これは染色体の中のDNA鎖は体の他の部分から隔離されており、潜在的に不滅の分子構造を持つ。放射能などの妨害がない限り、世代から世代へと果てしなく不変のまま継承されるとした。

しかし、事実はそうではなかった。

ワインズマンは22世代にわたるネズミの尻尾を切断し、尻尾のないネズミは生まれてこなかったので、ラマルキズムを論破したと判断した。しかしラマルキズムから見れば、それは生存に不可欠なものとして自然に発達させた獲得形質のみ遺伝すると主張したので、ネズミの尻尾切りは人間の義足切りのようなものだと判断した。

進化のドグマに大転換があったのは1970年だった。テミンたちの研究により、バクテリアはウイルスを取り入れることで、遺伝の青写真に変化が起きることを実験で証明した。

ヒトの足裏の肥厚と硬化は胚の段階で出現する。これらは遺伝形質である。

ダーウィン・フィンチが枝で虫をほじくり出す技能は、「有用であるために」まだ発見されていない未知のプロセスで染色体に押し付けられたと考えるとネオ・ダーウィニズムの呪文から解放される。すなわちラマルク説の遺伝である。

 

なぜ生物学者たちはどのような無知蒙昧からネオ・ダーウィニズムの虜になったのだろうか?

証明することもできない教義を頑なに守り、批判を抑え、逆らう仮説を排除することに多くの時間と能力を費やした。なぜか?

盲目的偶然に支配された「無目的な唯物過程」と進化をとらえることは19世紀の唯物主義の一部であった。

生命現象にある「目的」の徴候に対する断固たる拒否はなぜだろう?

力を形に還元しなければ落ち着かなかった背景とは何だったのだろうか?

見えないものを物理の法則にしなくては問題が解決できていないと感じたメンタリティーはどこから来ているのだろうか?

 

ネオ・ダーウィニズムや行動心理学がなぜ教条になれたのか?

これほどまでに曖昧で不完全なものでしかなく、「厳格な」科学に適応される基準がまったく満たされていない理論がなぜこれほど支持を受けていたのだろうか?

それは社会が機械論や功利主義といった観念(考え方)や自由競争という経済学上の概念にスポットライトを当てすぎてしまい、その思考パターンを使って、領域外のものまでも同じ基準で判断しようとする機械的な未熟さの喜びに酔っていたからであろう。

それが、「神」(宇宙の摂理、自然の法則、生命体の原理、日常の生活)の代わりに「選択」が究極的実在という王座を占めたのである。

 

教条の条件は閉じた回路である。オープンになっていれば教条は変化してしまう。

そこで生物学者は「非透過性の壁」とそれによって守られている「不変の発生経路」という説に固執した。

 

二つのうちどちらかだけでこの世を見ようとする人たち

何故、両方いっぺんではなく、片方だけに固執する必要があるのか?

生まれは、背景は、事件は、その合理化は?

 

無意識の脳の仕事    入力量を減らして分類・統合する

脳は濾過装置と分類装置であり、入力のほとんどを「雑音」として切り捨て整理して統一性を持ったパターンにする。これを意識に差し出している。      「カクテル・パーティー現象」

 

多様性と一様性

意識を中心に生きる者は、意識の役割が分割であることから、生命体の多様性に眩惑され、この生命体の基本単位である一様性と限界について目を向けることはできない。意識だけを重要視している限りは。

 

進化とは

飛び入り自由(偶然)のゲームではなく、35億年にわたって行われてきた、不変の規則と柔軟な戦略を有するゲームである。固定された規則と無限の変異が展開される舞台である。

偶然のみに依存するゲームでもなければ、プログラミングされた法則でもない。

定められたルールに従うが、同時に無限の変化を伴うチェスのようなものだ。ただコンピューターでプログラミングされたチェスと違うのは、チェックメイトが目的とは限らず、ときにポーンの数だったり、全部取られることを目的とするなど、決められた目標が無数にあるということだ。その現場に合わせて、目的が変化する。この変化にプログラミングが想定外であった場合は、ゴールにたどり着くことができず、ゲームオーバーになってしまう。

地球という特定の惑星上において、重力と温度、(質量と太陽)、待機・海洋・土壌の組成、エネルギーと素材の性質といった条件が決まれば、生命は命ある粘液の一滴から出発して、限られたやり方で、限られた方向へと進化するしかなかった。

有袋類と有胎盤類の狼の基本パターンは、彼らの共通の祖先の中に潜在的に存在しており、遡ってゆくと祖先原生生物、そして自己複製する核酸の糸まで行き着く。

 

 

 

進化の目的と設定

個体発生は目的を持ち、記憶と学習とに導かれるが、進化の歴史である系統発生は盲目的である、とネオ・ダーウィニズムたちは言う。しかしこの二つに橋をかける作業も行われてきた。

モノーのteleonomyや遺伝的変化を濾過し編成する遺伝のミクロ・ヒエラルキーだ。

設定者は生命の始まりから、限られた中で最善を尽くそうと試みてきた各生物個体にほかならない。そしてこの個体発生の総体が、地球上において可能な限り最適な進化の実現を目指す。

 

進化の要因   環境への能動  

生物は環境に対して反応する前に、環境に働きかける。

アメーバーは這い、アリは巣を作り、ヒトは都市を作り上げた。自分の要求に合うように適応させる。

進化を推進する要素は、環境の選択的圧力ではなく、生命体の独創力である。  ハーディ

 

幼形進化  幼形成熟  ネオテニー

ネオトニー は幼形成熟のこと  幼児化することによって進化する

ただこの進化は自己防衛であり、自己中心的であり、保身であり 思慮と時間であり、記憶であり、努力であり、遅れてくることである   他を守るものではない

ネオトニーの戦略は他があってはじめて成り立つものである。

 

ヒトの特殊化が進みすぎた範例は、学者ぶった人物、凝り固まった思考と行動しかしない教育者、習慣だけを守る奴隷。どれも正統派的信念で作り上げられた奴隷者だ。

コアラはある特定の変種のユーカリしか食べないし、カギ爪は樹皮をよじ登る時にしか使えない。

これを打破するのが、幼形進化だ。

進化の袋小路に行き当たった時に道を引き返して、前途のある方向へ再度スタートすることだ。

例えば海底に沈むナマコの成体とは違い、幼生は魚のように自由に泳ぎ回り、その段階で性的に成熟するにいたった。こうして新しいタイプの動物の誕生がもたらされた。

幼生段階がその子孫の形状を決定し、祖先の成熟形質は路傍に忘れ去られてしまう。別名は「若返り」と「脱特殊化」である。

脊椎動物はどのようにナマコから生じたのか?ではなく、脊椎動物はどのようにして成熟したナマコの段階を生活史から消し去ったかにある。

サルとヒトとの間にミッシング・リンクは見つからないだろう。なぜならばそれは胚だからである。

進化の主要な新形質は退行である。成体から胚レベルへの退行をアナロジーとした。

 

 

再生する生命体

ヒラムシ、ヒドラ、ホヤ、ヒトデは半分に切っても、6つに切っても各片から完全な個体が再生する。

ヒトは「進化の歴史」を退行して、修復操作して、適応不全な構造をご破算にして作り直すことによって袋小路から脱出してきた。「個人発生的自己」ではなく「系統発生的自己」である。

 

ご破算とやり直し

幼形進化、科学・芸術のターニングポイント、退行による精神の再生、神話の死と復活

 

エントロピーとシントロピー

エントロピーとは、無駄になったエネルギーの尺度である。閉鎖系という特殊なケースにのみ適用される

閉鎖系のエントロピーは全てのエネルギーが気体分子の無秩序な運動へと浪費されるような最大値に向かって増大する傾向である。

もし宇宙が閉鎖系であれば、最後には自分を「ほどいて」しまって、コスモスをカオスとなす。死の神であるタナトスのべつめいであり、フロイトの「死への願望」である。

 

シントロピーとは、生物が単純な要素から複雑な構造を、無形のものから統合されたパターンを、カオスからコスモスを作り出す「構築」に向かう能力である。

環境からの遊離と環境への支配とをもたらす。

総合や成長や全体性や自己完了に向けての要因

 

生気論 バイタリズムの復活

アリストテレス「エンテレキー」生命の原理または機能 20cドリーシュ

ガレノスやカプラー 形態形成力

ガルバーニ 生命力

ライプニッツ モナド

ゲーテ 形態学

ベルグソン 生命躍動 ニラン・ヴィタル

シュレディンガー 負のエントロピー

ヴォルトレック 漸進的進化 アナモルフォーシス

ホワイト 形態原理

 

素粒子を集めて原子核を形成すれば、もはや素粒子では説明できない新しいものが創造される。この核の周囲に電子を配置して原子を作り上げたり、原子を集めて分子を形成した場合等にも、同じことが繰り返される。無生物界は、単純な分子といった低レベルの編成で止まっている。しかし生物界ではこれが続行して、分子が集まって巨大分子となり、巨大分子が細胞内小器官(ミトコンドリア、葉緑体、細胞膜、リボソーム、細胞核など)を形成し、ついにはこれらがすべて集まって、偉大な想像の神秘である、びっくりするような内部規制を備えた細胞を形成する。つぎにこの細胞が寄り集まって「高等動物」やますます複雑な個体(たとえば、あなた!)を作り出す。各段階ごとに、より複雑で繊細な性質が産みだされ、最終的には、基本的な(物理学と化学)規則は不変であるが、無生物界には例を見ない特性がうまれる。セント・ジェルジ  Szent-Gyorgyi 「in Synthesis1974

 

進化のメカニズムと合目的性

精巧なメカニズムは古生物学と分子生物学によって見出される。

しかし進化の方向や機能や合目的性は学問では判明されない。形而上的な表現しか表すことができない。

 

意識と自動  人間とロボット 思考と習慣 浪費と節約 ハレとケ 自由と制約

ベルグソンの汎神論 意識とはキャベツから人の自意識までつながっている連続体

デカルトの二元論  意識は人間特有なもので、物質と精神の間にある鉄壁のカーテン

ヒエラルキー論   汎神論の意識曲線を階段に、二元論の壁をドアにしたもの。

有孔虫は眼も神経系も持たないが、精巧なミクロの家をつくる工学的技能の奇跡を持っている。

 

学習から習慣への凝縮は、精神活動を機械的活動に移し変えるプロセスである。

習慣という自動化は、「節約」の原理に従っている。これによって複数のことが同時にできる。

ヒトは機械ではないが、一日の大半は機械のように振舞っている。箸、飲食、散歩、自動車

意識とは、習慣に反比例して立ち顕れる緊急事態。

自由意思とは意識ヒエラルキーの下位レベルで習慣として無意識下でじ作動していたことが、突然の環境変化によって上位レベルに跳躍する必要(例えば危険)が生じて、自動操縦から意識操縦に委ねられたこと。

参照 量子跳躍quantum jumpとは、原子内の一つの電子が、一時的に重ね合わせ状態にあった後、あるエネルギー準位から別の準位へ非常に短時間で「跳躍」して電磁放射線の放出を引き起こす。

ジョン・エクルズ卿 神経細胞の量子力学的不確定性が、自由意思を行使する余地を作り出していると唱えた。

 

 

詩人の仕事

想像力が

未知のものをあれこれ作り出すように

詩人の筆は

未知のものを形あるものに変え

空気のごとく目に見えぬものに

住まいと名前を授ける     「真夏の夜の夢」

 

精神と物質の相補性の原理

物質の基本構成要素(電子、陽子など)は二面的な実在で、ある条件下では硬い微粒子のようにふるまうが、べつの条件下では非物質的な媒質中の波のようにふるまう。

「波」とはなにか? 波立つものによって存在する。空気、水などの媒体が周波を生む。

しかしここで「言葉」の限界にぶつかる。言葉は意識の役目である「分割して住まいと名前を名付ける」ことなので、一つのことを二つに分けてその違いにスポットライトを当てることを生業にしている。

しかし「形のないもの」に「波」と名付ける時点で、媒体の物質を含んでしまうのが言葉の宿命だ。そこで言葉にするときは仕方がないので、水という媒体のない波、とかいうような面倒くさくて難しく意味がわからない表現になってしまう。

また、「物質のない波」を定義したとしても、「物質波」というような相反する語句を並べると、分けた二つを並置すると元の一つである「全部、いつも、完全、常時」を意味してしまい、ここで表現したい二つの間を行き来するバイブレーションや影やつながりの関係にスポットライトを当てることができなくなる。

 

 

 

 

相補性とは、まったく同一の事象を二つの異なった基準の枠組みをとおして見ることが可能であるような情況を、記述しようとするもの。この二つの枠組みはたがいに排除しあうものだが、たがいに相補的でもあり、この正反対の枠組みを並置してはじめて、完全な見方がうまれてくる。

Heisenberg,W      1971 Der teil und das ganze   The part and the whole

 

習慣と責任

責任とは選択の自由のことだ。自由を体験すると責任をおうことができる。

しかし単なる体験だと、それは習慣の機械的ルーティンなのかもしれない。

習慣は創造性を否定し、自由を打ち消す。本人が着ていることに気がついていない拘束着だ。

習慣になったものは、自由意思による選択をしないので、そこで責任を問われることがない。

では究極の責任がヒエラルキーの頂点にあると思いがちだが、頂点は静止しているのではなく、常に無限に向けて遠のいている。

自己はそれ自身の意識の手を逃れているのである。上下どちらの方向にも。

一つの判断に対して責任を持ったとしても、行動ヒエラルキーの下位に降りると、それは習慣のルーティンの中に消えていってしまう。最後には内臓や生命体の無意識の中に。

また上位にいっても、責任の背後にある動因が次々と続いていく。意識があり責任を取るべき自己は無限に後退していくのだ。

それでも自己に近づいて世界を閉じてこの世を見ると、理不尽で怒りを含めた感情に襲われる。そしてその感情を中止ににして行動をすると、「カッときてしまった」「どうかしてたんだ」という状況になってしまう。

 

ジレンマdilemmaの対処法

ギリシャ語で「di」は「2つ」を、「lemma」は「仮設」「前提」を意味しています。

つまり、日本語でいうところの「板ばさみ状態」

この時の安全策は、二つの異なった基準を適用させることです。

相手の最小の自由意志、自分には最大の自由意志を持つことです。もしくはこの逆です。

もうひとつの解決策はジレンマの異なる仮設の共通点を探ることです。

 

閉じないと思考できない しかし事実は閉じていない。

そこで思考するためにはヒエラルキーを閉じて、「自分」を作り出す必要があるが、思考した後は、その内容も仮のものとして扱い、固定化したドグマとせず、閉じたヒエラルキーの両端を開放して、いきていく。

 

外宇宙の内在モデル、そして自己は知覚できない

ヒトは知ることによって外部の出来事を脳内に小宇宙のモデルとして作る。しかしそれは完全ではない、何故ならば、モデルは常に一歩遅れをとっているからである。外宇宙ヒエラルキーの頂点や小宇宙ヒエラルキーの頂点である統合全体の自己に近づいても、その分だけヒエラルキーは遠ざかってしまうからだ。

例えば、暗闇を宇宙や自己の喩えとして知ろうとしてライトを当てると、そこは可視化できて詳細について語ることができるようになるが、知りたい暗闇はもうそこではなく、その奥に追いやられてしまっている。

だから五感や意識を使って「汝自身を知れ」と言ってトライしても、決してたどり着くことができない。

常に一歩先に肝心なものがあるのだが、知ることができないのだ。

 

鏡という自己意識

自分の行動を内省する鏡として自己意識をメタファーにすることがあるが、実際は、二枚の鏡の中で永遠に映り続ける像の方が実在に近い。視覚では自己見ることができないが、無限の方からはこちらの姿をじっと見つめている。

 

ニュートン力学の限界と感覚体験

物理学はニュートン力学とほぼ18世紀から20世紀の二世紀にわたり同義であった。

これらの古典物理学は古代ギリシャのデモクリトスのモデルを基準として、あらゆる現象を硬くて破壊できない原子の運動と相互作用に還元した。ニュートンの機械論的宇宙モデルもこれを前提にした。

こうした原子の特徴は、ビリヤード・ボールという感覚的体験から抽出された。この体験が、本当に原子の世界で適応されるかどうかは、一切問われなかった。 Capra,F.   1975 The Tao of Physics

 

原初的な粒子は硬く摩滅することも砕け散ることもない。ニュートン

 

硬くて小さな塊があって、それが電子や陽子であるとする考え方は、触感から導かれた常識を不法に押し付けるものである。  バートランド・ラッセル

 

物質とはエネルギーの凝縮である   E=mc

高エネルギーの粒子が互いに衝突して消滅したり、べつの粒子を生成したりしながら新たな自称の連鎖を引き起こしている。この幻想的な出来事は、シヴァ神の想像と破壊の踊りだ。

 

視覚では捉えられないもの

素粒子の姿を想像で現出させようとしたり、視覚的にとらえようとしたりするから、素粒子を誤解してしまう。

原子は「もの」ではない。原子の殻を形成する電子は、もはや古典物理学的な意味での「もの」、つまり位置、速度、エネルギー、大きさ、といった概念で確定的に記述できるものではない。原子のレベルでは、時間と空間の中の客観的世界など、もはや存在しないのである。

Heisenberg,W      1971 Der teil und das ganze   The part and the whole

 

確率的世界像

不確定性原理は現代物理学の基礎である。

 

視覚の限界は水晶体の構造にある。水晶体はカメラのレンズと同じように、焦点距離を一つに選択しなければならない。距離が違うものを同時にはっきりと見ることができないメカニズムになっている。三次元のこの世界では一つに焦点を合わせると、他はぼやけてしまうのである。ルネッサンス絵画は人物と背景の両方に焦点を与えることで、現実にはない錯覚を与えることに成功した。これがニュートン力学の秘密と限界である。

 

古典物理学では粒子は常に位置と速度を有していなければならなかったが、素粒子のレベルでは状況が一変した。

たとえば、電子の位置を正確に測定しようとすればするほど、速度は不確定になり、逆に速度を正確に測定すれば位置がぼやけてしまった。

「粒子」であり「波」である電子固有の二重性が、位置と速度の同時測定を、現実にも、理論的にも不可能なものにした。

素粒子レベルではどんな瞬間でも未決定の状態に有り、つまり「自由」である。何も確定的ではなく、ただ確率的でしかない。極致の世界では、確率の法則が因果律に取って代わった。「自然は予言できない」のである。

 

隠れたる変数

アインシュタインの「神はサイコロ遊びはなさらない」

素粒子レベルの下にある種の実体が存在し、それが一見不確定と思われる過程を支配していると考えた。

 

「非物質的であるが真の実在」として意識とむすばれている、そしてそれは時間と空間から独立していて、量子力学の波動関数によって物質界とつながっている。Walker E. Harris 1973 I, for the study of Consciousness

 

超心理学の原理 エクルズ

精神という意志の作用が、物質である自分自身の大脳に影響し、その物質的大脳が意識的経験を生じる。

ESP  extra sensory perception超感覚的知覚(telepathyPK psychokineticなど)

 

精神は電気とか重力と同じレベルの普遍的な実在または相互作用であり、E=mc2と類似した変換式が存在するはずだ。V.A.ファーソフ Firsoff 1967 Life, Mind and Galaxies

 

反物質と時間の逆流

宇宙に反物質からなる銀河があるならば、そこでは時間の流れが逆になっている

ファインマンの粒子図では時間の流れが逆になる瞬間がある。ごく小さな時間間隔のなかでは、「以前」と「以後」の概念は適切に定義できない。 Heisenberg 1958 The Physicist’s Conception of Nature

 

中性子のベータ崩壊 ファインマンダイアグラム

Description: Beta Negative Decay.svg

直線はフェルミオンを表し、波線はゲージボソンを示す。ダウンクォーク d がアップクォーク u に変換されるときウィークボゾンW-を放出し、不安定なボゾンは電子e-と反ニュートリノに崩壊することを表している。

この図の場合は時間の流れを縦にとり、下が始状態(initial state)、上が終状態(final state)となっている。

 

時間の不可逆性は意識の窓を通して見ているから

時間は過去から未来に向かって一定の速さで進んでいると考えられている。理由は時間の不可逆性は主観的な幻想に由来するからだ。主観とは意識ヒエラルキーを閉じた時に発動するので、閉じた時に限って時間は過去から未来に流れているように表現される。これは間違っていないが、いつもそうだと断定するのはお人好しにつけこむ詐欺師の犠牲者になってしまうことだ。

 

超空間  平行宇宙 時間の逆流 多次元時間

アインシュタインの時空は、時間とともに変化する空間の履歴でしかないので、宇宙自身が動くにはそれよりも大きな舞台が必要となる。それが超空間で、三次元でも四次元でもない「無限」の次元であり、どの点をとってもひとつの完全な三次元世界を構成しており、すぐ隣の点は、これとわずかに異なるべつの三次元を構成している。 Chase, L.B.  1972  University A Princeton Quarterly

電波望遠鏡や粒子加速器を使うとデータがニュートン力学では奇妙になり、これを説明するためには理論も奇妙になってしまう。

 

ジオメトロダイナミクスの空間は、ゆったりとうねっている風景の一面に敷きつめられた泡の絨毯のイメージだ。

新しい泡が生まれては古い泡が消えていく。これが空間の量子的ゆらぎを象徴している。

特質は「多重結合」である。素朴な三次元ではたがいに遠く離れてみえる二点がトンネルのような「穴」を通して、一時的に直接つながることがある。この穴はwormholeと呼ばれ、現れては消え、消えては現れ、絶え間なく形態を変える。宇宙の万華鏡である。

Wheeler,J.A. 1967 Battelle rencontres

ブラックホールとホワイトホール

超空間のワームホールをとおして遠い宇宙とコンタクトができるのならば、テレパシー程度がはたして不可解であろうか?

 

マッハの原理

地球上の物体の慣性質量は宇宙の全物質によって決定される。説明はまだ未熟。

慣性は物体に固有なものではなく、物体が全宇宙に取り囲まれているという状況によって引きおこされる。

この公式化はほとんど望みがない。

宇宙全体が局所的な事象に影響を与え、同時にいかなる小さいものでも宇宙全体に影響を及ぼしている。

 

ベルの定理

アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス

二個の粒子が衝突して反対に飛び去ったあと、どちらかが一方の粒子に何らかの外的影響を加えると、距離がどれだけ離れていても、その影響は直ちにもう一方の粒子にもおよぶ。

空間的に繋がっていない複数の系が互いに密にむすぼれているということ。

世界は個々に独立した部分に分解できるとする古典的な発想を否定する「不可分な全体」

 

パウリの排他律

原子内の電子軌道は一度に一個の電子しか収容できない。これが原子が崩壊せず秩序がある理由である。

自然で起きている統合的な動きは、このパウリの原理からきている。これは対称性の原理であり、これが原子を分子に、分子を結晶に結合する力が生まれている。

物質の不可分性と安定性はこの排他律によって成り立っている。

しかしこの原理は力のようにふるまうが、力ではない。ただの数学的な対称性である。

 

20世紀のインテリの現状

因果律と決定論をベースにした唯物主義的科学の教義とタブーの硬くした枠組みの中で、空間・時間・物質・エネルギーを扱っている。この外にあるものをオカルトとして扱ってきた。

 

シンクロニシティー同時性 非因果的な連結の原理

意味の上ではつながっているが、因果関係には繋がっていない、複数のできごとが同時に起こること。

全く無関係な二つの因果の鎖が富豪的な出来事の中で、一見偶然のように絡み合う現象。

一つの所に同時に集中する 

カメラーはcoincidenceは、たんに氷山の一角であり、いたるところで見られる連続性の現象のうち、たまたま目に留まるもの、とした。

宇宙には物理的な因果律と共存しながら、多様性のなかに統一をもたらそうとする非因果的な原理が作用している。これは万有引力があらゆる物質に無差別に作用するのに対して、連続性の法則は、選択的に作用し、似た者同士を空間的、時間的に一点に集合させる。形は類似性によって結ばれ結晶となり、時間的周期を繰り返し反復運動を起こす。

たえずかき混ぜられた再配列されているにもかかわらず、似た者同士を集めていく。

 

         「空」 不滅のエネルギー 

 

 

 


因果性             同時性

 

 

 

 


 

 

       時空連続体

 

 

因果性ではない宇宙観  部分は全体 全体は部分

時間的に進行していく因果的な鎖一本一本を地球の経線とすれば、同時に起こるできごとは平行した緯線の数々だ。この異なった二つの線の結びつきがヒトの人生だ。 Schopenhauer  1859 sämtliche Werke vol8 全集

多様にして一様

ピタゴラスの「天球の音楽」

ヒポクラテスの「万物の調和」ひとつの共通の流れ・息づかいがあり、万物は調和している。

ひとつひとつは、部分的には物理的な原因によって、大部分は隠れたる親和力によって互いに結ばれている。

催眠的魔術、占星術、錬金術の礎

タオイズム、仏教、新プラトン派の中心思想

 

まずはじめに、物ごとには、それ自身と一体であり、それ自身で構成され、それ自身と結合している統一性がある。

つぎに、ひとつの被造物が他の被造物と結合しつつ、この世の部分一つ一つが一個の世界を構築していくという統一性がある。  

宇宙のどんな部分も他と切り離すことはできない。

Pico della Mirandola  1557 Opera Omnia  全歌劇

 

無秩序が秩序を生み出す秘密  ブラックマジック

確率の理論 大数の法則 コイン投げを数多く繰り返すことによって表の出る回数が1/2に近づく

これがマジックだと言われるパラドックスとは、確率の理論をつかえば、多くの出来事について、薄気味わるいほど正確に結果を予測できるのに、個々の出来事は予測不可能である。全体では確定性だが、個々では不確定性である。法則性を持った全体的結果だが、この法則を生み出しているのは無秩序な出来事の集積である。

確率の法則(大数の法則)は現実に働く。 物理学、遺伝学、経営計画、保険会社、賭博場、世論調査

では、なぜなのだろうか?偶然と必然、自由と運命

実はだれもこの「なぜ」を説明できない。

この「無秩序から秩序へ」の原理はそれ以上の何かに還元できるものではなく、ただ「そこにある」だけだ。

なぜと問うことが、「なぜ宇宙があるのか?」「なぜ空間に三次元があるのか?」を問うことに相似する。

 

放射物質の崩壊もこのマジックの一つだ。

一個一個は予測不可能な放射性原子だが、全体としては完全に予測可能なものだ。シュレディンガーは「無秩序から秩序への原理」と呼んだ。

 

崩壊する時間点は、その原子の過去の履歴や現在の環境に依存しないのである。温度や圧力といった化学的や物理的な要因に影響されない。環境といっさいの因果関係なくこの世に存在する。すなわち気まぐれである。

それでもなお、そこには目に見えない非因果性の関係があるので、結果を予測できる。

放射能性物質の半減期はいかなる状況下で完全に一定しているからである。

例えばトリウムC60.5分、ウラニウムは450万年

一体何の力が、この制御と確率的結果への修正をしているのだろう。

わからないので、ここで仮の法則を用いて、この現実を合理的説明を与えるしかない。

それが「非因果的な結合力」である。これは粒子と波、機械と精神が相補性があるように、「物理的な因果性」と保管性がある。別名は「同時性」「隠れた変数」「連続性」「合流的な事象」「サイ場」だ。あの似た者同士をくっつけてしまう力だ。

この力の目的と意図は不明である。探しても見つからないというのがこの結合力の定義なので、何をどうやっても見つからない。それがポイントなのだ。見つかるようなものであればこの世は始まらないし、いまこの世も存在しない。これをヒトは神秘と呼ぶ。いのち、カミ、空、一、無、大いなるもの、量子の泡、宇宙、などその人が属している世界で呼び名は変わる。

この、進化、高次の秩序と統一、意識と直接の濃い相関関係がある法則を賢人は各自の表現を使って表している。

シュレディンガー 負のエントロピー

セント・ジェルジ シントロピー

ベルグソン   漸進的進化

L.L.ホワイト   形態原理  パターンの発展と根本原理  日本では三木成夫

共通点は、混沌から調和を生み出そうとする宇宙の不可分の力だ。

ワームホールや同時性や思念コミュニケーションなどの非因果的な双方を通して作用する統合傾向だ。

意識を使った分別によってできた言葉とは逆に、分けずに統合することで体感できるものなので、意識ではとらえることができないのが、このような言葉では伝えることができない理由である。

だからこの現象を立証するには十二分の莫大な統計的証拠があっても、これを認可しようとしない。再現性がないからだ。

物理的な因果関係(運動、ポテンシャル、熱、電気、核、輻射、位置などの相互に換金できる貨幣のように変換できる)とは対をなしている。

 

テレパシーを遮断する脳

テレパシーで感受された印象は、知覚の刺激量が小さいので、それが信号となって意識に伝わるのがむずかしいのではないかと推測される。

生命体の生存にかかわる情報が最優先されるので、他の情報を拒絶もしくは無視する。

神経、とくに中枢神経と脳は、五官から入ってくる莫大な情報量を整理するために、情報を画素に分解し、フィルターをかけ、必要なものだけを次には統合化して意識の舞台にのぼらせる。そう多くは不適応なノイズとして遮断するのだ。この遮断する意識化のおかげで、理性は安全に守られている。逆に言うと、ノイズと判断されてしまったメッセージやイメージや直観や符号的なできごとは感知したり認識したりすることができないのだ。

しかし、そこでテレパシー的刺激は感覚刺激に交じることで電気信号化されるのではないか?それはいつもと違う信号で意識に届くので、変わった感じとして認識される。特に意識で通用する形式をもつ必要のない、意識の弱い無意識的な状態、例えば白昼夢や瞑想や夢の時に認識されやすい。

またラジオのように、近接周波数として歪んだ形で捉えることはできる。

ノイズは違う次元の周期的なメッセージの可能性がある。ここではノイズになるが、読解するコードを変えれば(エンコード)そこに規則性があることが分かる時がある。

 

大脳皮質の発達の弊害

自然選択ではほんの少し上等な脳を授けることしかできなかったはずなのに、所有者がその必要性を感じる以前にすでに発達を終えている。ラッセルの言葉だ。

腫癌のような異常成長と評した急速な進化  Herrich.C.J. The Evolution of Human Nature1961

に対してダーウィンや弟子たちは納得のゆく答えを出すことができなかった。

ネオダーウィニズムでは、進化は小刻みに進行し、その各過程で突然変異をおこした生物は、自然選択による有利な性質を何がしか獲得するという理論であるが、これが当てはまらない。そこで沈黙を決めた。

 

使い方のわからない機械、すなわち脳を与えられたヒトが使いこなすには数千年の時間が必要だった。

 

征服されるべき開拓地は大脳皮質

大脳の使い方のプロセスがこれほど緩慢で発作的で不運に付きまとわれている理由は?

古い脳が新しい脳の邪魔をした。そして、古い脳が制動装置として働いたからである。

 

コンピューター主義者の背景と限界

コンピューターの潜在能力にいたく感動し、大喜びした。ここまでは普通の反応だ。問題は次だ。彼らはあまりに田舎から来た非文明人だったので、文明に対する嫉妬、ねたみ、憧憬が強く、そこで文明人に対する武器としてコンピューターを利用することを考えた。それがコンピューターが無尽蔵の潜在能力を持ち、全知全能だと信じてしまった理由だ。無意識の話なので本人は意識していない。しかしコンピューター主義者たちのことを思い浮かべてみて欲しい。彼らは決まって良い人を演じており、負の情感は意識の下に押さえ込んでいるので、実際にそういうキャラで生きている。

つぎに彼らの移動経路を見て欲しい。人口密度の低いところから高いところに移動した共通点があることに気がつく。上昇志向は強いが、正統な上昇気流に乗り切れなかった悔しさとコンプレックスを覆い隠し、自分がやっていることが、最先端のことや未来や地球や歴史に重大なことであるというレッテルを貼ることで、コンプレックスとプライドのバランスを保っている。プライドを文明に負けない武器として考え方(ここではコンピューター全能主義)にしたので、彼らは自分のコンプレックスがなくなるまでは考えるパターンをやめることはしない。

これが歴史の中で何度も繰り返されている歴史の推進力の一つである。

エイリアンといわれる外国人、学位や金や支配する者を憧れる人たち。みんなコンプレックスを大脳皮質の力で解決しようとするものである。周辺は中心を目指すのだ。

 

 

つぎに脳の機能の基本法則をそのままコピーして外部装置化したコンピューターから、その基になった脳についてみてみよう。

 

脳が持っている学習・分析・未来予測の能力が桁外れに大きいので、目の前にあるどのようなケースの解決できたので、脳の所有者であるヒトは、このまだ未開発な能力が無尽蔵で推進力は無制限であると確信してしまうようになった。だれかにその確信の根拠を問われたので、脳の限界について知ろうとしたが、この問題に答えるプログラムはないので、コンピューターには答えられない。なんでも限界はその外から見ないと限界だと気づくことはできないのだ。それ自身の内側から限界を知ることはできない。そこで脳を信じ、コンピューターを信じ、理性を信じ、合理性を信じ、意識を信じるようになる。これが合意主義者の幻想であり限界であり背景だ。

だから脳の限りなき分析・推理・予測の力によって、いつかは宇宙の究極の神秘が解かれるという信仰を持つ理念を持つ。信念だ。いままでの成功体験から生まれた座右の銘だ。脳の外にあることで試すことがないので、今までうまくやってきたので信頼性があるというのは間違いではないが、だからといって全能であると仮定してそこを基準にして考えを進めていくのは過剰一般化である。

アリストテレスは宇宙について発見に値するものはなく、未解決の問題は残されていないと考えた。

デカルトは自分の考え方で新しい物理学の全体系を完成できると信じた。

この幻想は還元主義者の考え方は同根である。脳を使ってもできないことを考えようとはせず、その外にある世界を知ろうとしないので、外にある問題も脳で答えられると信じてしまって、それを声高に吠えてしまい断定してしまったのである。天のことまでも人間で行ってしまった結果である。天人地を人地に変えてしまって解釈した結果である。それによって天からの視点は形がないので表現できないので、地の法則でこの世を表現したのが、還元主義者の共通点だ。

宇宙を「たんなる」電子と陽子とクォークの相互作用に還元し、これで究極的に宇宙の謎を解明するものと信じている。

因果関係のない同時性の現象を表現するプログラムは脳やそれを模したコンピューターにはないのだ。

これが無限と永久のパラドックスには答えられない理由である。

分析することでメカニズムは推定できるが、その本意には答えることができない。

「もし宇宙がビック・バンで始まったとするなら、ビッグ・バンの前は何だったのか?」

 

負の時間を理解できない神経系

新たな時間の尺度を生み出さないと、時間が逆向きに進むことを受け入れることができない。時間軸の負の流れとは原因の前に結果が起こるということである。

長さ、幅、高さ以外の空間的次元を想像することも、明日から昨日に向かって流れる時間を頭に描くこともできない。人間の神経系がそれに対応するようにプログラミングされていないからである。

「井の中の蛙、大海を知らず」  盲者の国 Herbert George Wells

心霊的感覚を使わなくなってしまった人類は、あたかもそれが事実ではなく、ないことを我慢して生きていかなければならないのだろうか。

 

地球愛国主義

特別な地球で生命のない化合物から生命が発生することがただ一度起こり、この太陽系も奇跡の連続でしかない。生命を維持できる惑星はこの地球しかないという考え方は天体物理学の発展によって論破された。

 

NASAゴダード宇宙センターのMichael Callahan氏らによる今回の研究では、7個の南極隕石を含む12個の隕石を分析した。これらの隕石のサンプルをギ酸溶液に溶かし、その成分を液体クロマトグラフという装置や質量分析計を用いて、どのような有機物が含まれているか調べた。その結果、DNAを構成する4つの塩基のうちアデニンとグアニンの2つ、そしてDNAの構成物質ではないが生命活動で重要な役割を果たすヒポキサンチンとキサンチンという有機物を発見した。

1969年、オーストラリアのメルボルン北方に落下したマーチンソン隕石(炭素質コンドライトと呼ばれる)から、アミノ酸、炭化水素、核酸塩基などの有機化合物、脂質で包まれた細胞膜に似た泡が発見されている(池谷仙之・北里洋著『地球生物学 ー地球と生命の進化ー』)東京大学出版会 2004 81ページ)

 

1977フレッド・ホイル オリオン星雲の星になる前の分子雲は、もっとも自然な生命のゆりかごである。

 

第一次のリアリティ 感覚的に認識される狭い世界

第二次のリアリティ 原子、電磁場、湾曲した空間、など直接知覚しえない現象を包含する概念的世界

第三次のリアリティ 霊的な流れ星のような「オカルト」現象   時間・空間・因果関係を暴く

上位のリアリティが下位の因果関係の正体を暴き出し、同時に包み込む

 

 

意図、目的の存在、存在の意味は「仮定」されるものであって、「証明」されるものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

著者が自殺したわけ

世界観が、理性の枠から出ない二分法であるため矛盾にとらわれている。

化石は創造主に見放された種のあわれな姿である。

新皮質の価値観で生命体をみようとして、矛盾を感じてしまう。「生命のリズム」である辺縁系の価値観からヒトを見て、進化した新皮質を喜んでいればいいのに。実体がないのに、主体を勝手に移動させてしまい、はしごを外され虚無を感じて悩むのが好きな方々である。

「万人共通の言語を持つことが、相互理解の最も単純な方策である」と著者が信じているところ。

「古い脳に対する新皮質の不完全な支配」と不完全性にスポットライトを当てている。

 

致命的な解釈の間違いは、大脳新皮質の理性が、辺縁系の情緒の前では力が及ばず、情緒の奴隷として人間は行動してしまう生物だと判断しているところである。

私説では、条件反射やホルモンや自律神経などを制御する辺縁系こそがヒトの中心であり、これで間に合わない危機が来た時に、分析と予測行動が得意な新皮質の機能を使っているに過ぎない。辺縁系は条件反射などの大雑把な処理をするという欠点はあるが、身体(宇宙リズム)と無意識の価値判断と結びついているために、ここが中心なのである。最終決定の価値判断こそがその人の行動を決定する。

ところが、著者は自意識の中心は大脳皮質だと思ってそこからしか世界を見ることをやめようとしない。だから人間のサガがわからないのだ。意識を中心にしてしまっているから、理念主義やユートピア志向のお花畑に住む人間になってしまうのだ。

ミルグラムの実験でも、精神科医たちの予測の誤差は、「ヒトには理性的な予測をはるかにこえた高い情緒性が宿っている。それゆえに大きな食い違いをみせたのである。」と著者は思っている。ここが誤謬が生まれた地点だ。

彼はヒトが残酷なまでに集団の価値観を踏襲して、学習者に苦痛を与えるという非人間的な行為を続けたのは、古い脳に由来する情緒性だと断じている。このような誤解をしてしまったのは情緒性には集団の空気(周囲に同意を求める過剰一般化された価値観)に同調する性質があることからだ。だが問題点は、目の前の被害者と同じ痛みを感じるという情感の世界にあたっていたスポットライトを、社会や科学のためにという理性が作り出した信念の世界に当てたことだ。そしてそこにライトを固定することに殉じたことが、冷酷な行動を続けることができた理由である。問題は情緒ではなく理性であったことに気がつこうとしなかったためだ。気がつかない理由はヨーロッパ史の中で理性を利用して他者を踏みにじって利権を奪い続けて当たり前と思う事実の積み重ねからきている。

 

純なものを勝手に設定してそこに価値をおき、混ざり物を低評価する。青は原色だが緑は青と黄の混ぜ物。

 

情緒と理性が分離していることを問題にして、この統合を目指した。著者の統合とは理性が情緒を支配することである。

だが間違いは、

正解は統合しないこと、二つの価値観をTPOに合わせて両立させることだ。意識は一つしか選べない。ではかわりばんこにするのが良いだろう。海の波のように、潮汐にように。

 

シングル・マインドはシンプル・マインドになる。と著者はいうが、シングル・マインドは一つに見えるが、これが形成されている実情は相反する多数の意見が一致した時にしか成り立たない。

 

古い脳は危険で、新しい脳は信用できる。新しいものがいいと思ってしまう著者。

 

集団のヒステリー的殺人集団に比べれば、医学や精神医学の愚行は大した問題ではない。

矯正は必要なもので、それを治す薬を水道水に加える方法がある。

 

大脳の使い方のプロセスがこれほど緩慢で発作的で不運に付きまとわれている理由は?

古い脳が新しい脳の邪魔をした。そして、古い脳が制動装置として働いたからである。

理性の仕事は、信仰の召使としてふるまうことであった。あらゆる信仰の間違いは、我々の環境にあったのではなく、頭蓋骨の中に運び込まれたウマやワニにあったのだ。

 

 

宇宙の除草剤(自然選択)の作用によって、生物学的な不調和によって生じた病める文明は、いずれ自らの死刑執行人としての役回りを演じ、汚染された惑星から消滅していく。

文明のうち「善玉」だけが生き残り、「悪玉」は消滅するというのは、心安らぐ思想である。

宇宙は善玉の場所であり、我々人類はその善玉に取り囲まれている。実に結構な話ではないか。

こうして善玉はみずからのいのちを抹殺する。