4つの直観 認識のメカニズム
直観はラテン語 intueri に由来し、直接的知識を意味する。
そして問題は直接的方法とはいろいろあることである。
大別すると4つのタイプがあり、
1経験によるパターン認識からの予知と確率 パターン化による予測
2自己が作ったエネルギー記録との遭遇 夢に出てくる話、サンカーラによる「カルマの種」
3魂にある非エネルギー記録にアクセス 前世や現世の経験にアクセスする
4「魂」からの離脱と、非エネルギー感覚 智を得て、エネルギーで構成された世界からの離脱
1のケース
日常生活で一番多いのは「直感」で、近未来に対する予測が現実の事実と合致するケースである。
たとえば、100円玉を10枚投げて表が全部でることを直感して、実践してみると、本当にそのような結果が起こることがある。
たしかに奇跡的なことのように思えるが、
もし地球上の人が同じように直感して実践してみると、日本だけで10万人が表だけのコインを出すことになり、世界では75万人の人に同じことが実際に起こることになる。
また、多いケースは、たとえば、
「あの角を左に曲がると大事な人に出会う」
という過去の経験から近未来のことを推測し、そこに起こるイベントを予知として受け入れることが日常生活で多々ある。
占いも先に因果あり、それを受け入れるという結果がある。
2のケース
次に日常生活の中でよくあるのが、「直感」で、自分の心の中に現れたり、頭の中に浮かんだイメージが実際に現実に起こったり、そのイメージを現実生活に投影して判断するケースである。
たとえば、夢に出てきたイメージである人たちとの間で起きたイベントを直観として捉えて、それを現実生活の判断の指針にすることが多くの人が日常生活において実践している。
これは自分の無意識がした作業を意識化されることを「直観」として捉える例である。
ヒトが対象を認識する過程で、臨場感のある経験をすると、それはサンカーラと呼ばれる自動反応回路のアプリケーションを作成し、この回路を使うと、アウトプットのエネルギーが集中するために、そこに「カルマの種」と呼ばれる活性化したエネルギー体が形成される。それらは無意識の領域である識蘊で待機しており、条件が揃うと、manaindriyaで感知され、それがイメージとして認識される。
自分で作り上げたものをまた自分で認知するとういリサイクル回路の現象であるが、本人はこのようなプロセスを自覚していないので、他領域からのメッセージの「直観」として捉えて信仰する。
3のケース
5感覚器官からの信号と脳からの信号は、メンタル界にある17ステップで一連となるプロセスによって本人によって認識される。
その結果はすべてnāmagottaと呼ばれる記録になり、それは魂の一部であるchittaに収納される。
この記録はこの世で唯一エネルギーのないものなので、自ら働くことはないが、マインドがスポットライトを当てることで、光の当たった対象は活性化され、色蘊で対象が再演され、本人はそのイメージを見ることになる。
これが記憶の想起であるが、本人が意図していないものや経験をしたもの以外にスポットライトを当てた場合は、自分の想定外のことが起こるので、これを「直覚」と呼ぶ。
過去の記録、前世の記録などの他に、
たとえば死の直前に近い人が枕元に立つという経験をした人もいると思うが、これはエネルギーは持つ記録なので、2のケースの「直観」に分類される。
4のケース
魂には「本来の自己ātman」と知る機能chittaと枠組みを作成するahankhāraの複合体であるが、
枠組みを作ることによって、エネルギーがカタチにあることを「直覚」し、
知る機能は「本来の自己」が「観照」することで「生命」として活動していることに気づき、
「本来の自己」と魂を混同していることに気づき、この2つを分離させ、ただ「観照」するだけのものがある。
これが本来のinspirationだが、初期の段階から誤用されて、1や2や3のケースとして使用されている。
領域 |
認識別直観 |
表現 |
誤謬の可能性 |
直観の源 |
識 |
器官のズレ |
感性 |
Instinct feeling |
Follow one's nose |
幻肢・幻覚 錯覚 |
hallucination illusion |
前五識 |
五感 大脳皮質 |
理性 |
Intuition Imagination |
Feel in bones a sixth sense |
勘 予感 虫の知らせ |
Use one's head unconscious |
六識 |
大脳皮質 大脳辺縁系 |
智性 |
Insight contemplation |
Follow one's heart |
自己犠牲 魂 全体性 |
third eye between eyes |
末那識 |
大脳辺縁系 心臓 内臓 |
魂性 |
Inspiration |
one's gut feeling |
悪魔、天使 無 絶対 |
Out of mind |
阿頼耶識 |
腸 微生物 |
領域 |
漢字 |
意識 |
特徴 |
生物学・個体発生 |
|
感性 |
直感 |
無意識 |
先験的 前提 |
外胚葉 |
|
理性 |
直観 |
意識 |
合理性とのズレ |
外胚葉 |
|
智性 |
直覚 |
意識・非意識 |
相反の間 |
中胚葉 |
|
魂性 |
観照 |
非意識 |
他者 |
内胚葉 |
|
虫の知らせ a hunch a premonition Something told me
Feel in one’s bone
I feel it in my bones. 確かにそう感じる。 - Arthur Conan Doyle『ノーウッドの建築家』
The train will be late. I feel it in my bones. I failed the test. I know it in my bones.
感性領域の直観 感覚にもとづく知が感性の直観だ。
例えば,眼前の机を机として認知するのは一つの直観である。
対象との直接的接触によって得られるもの、カントのいう〈直観の多様〉
理性領域の直観 人間が生まれながらにして具えている生得観念は理性の領域によって直観される
ア・プリオリや生具観念や本有観念と同義
すべての推論が前提にすべきもっとも基本的な命題、例えば、幾何学の公理、具体的には、例えば,デカルトは,〈同一の第三者に等しい二つのものは互いに等しい〉といった公理や〈三角形は三つの直線によって限られている〉とか,さらには〈私は存在する〉といった命題や〈演繹〉も理性的直観によって把握される。
例えば,カントは〈空間〉や〈時間〉の表象を,経験からの抽象以前に一挙に把握されているア・プリオリな直観とみなした。フッサールのいう〈本質直観〉もそのようなものだ。
智性領域の直観 パラドックスの中にあるリアリティは智性によって直感される。
言語化を拒むものを把握するのも、智性の直観
論理実証主義の先駆とされているウィトゲンシュタインが,言語使用の条件として,語の配置などのような内部構造や諸形式が〈示され〉ていることを要請している。そして、〈示される〉ものは〈語られ〉えず,ただ直観されるべきものだ、と彼は語る。
例えば20世紀の初めに出現した論理実証主義やある種の分析哲学では,直観としては経験的直観だけが認められ,概念の本質などに関する問題は,語が各体系の中で整合的に使われているかどうかという言語使用の問題に還元されるに至った。言語の意味とはその使用規則なのであり,言語の理解も,意味の直観といった心的過程ではなく,一定の規則に従った言語の使用能力と解されるわけである。
魂性領域の直観 意識できないものを把握する直観
時空の一体感、同一性、同時性、全体性、時間の逆流と空間の出を把握する直観
カミ、始源の闇、非意識、いのち、と直接に結びつく方法である。
対象化ではなく同化して把握する方法でもある。
ベルグソンにとって,時間的な〈持続〉は,われわれがみずから直接に体験しうるだけで,言語による固定化を嫌う「流動」である。
intuition
1 直観(力),(…に関する;…という)直覚《 about...; that節 》;明察[洞(どう)察](力)
have an 〜 about [that] …について[ということを]直観的に知る
know... by 〜 …を直観でわかる.
2 直観[直覚]的真実[真理].
3〔哲〕直観;直観的知識;純粋直観.
[Middle English intuicioun, insight, from Late Latin intuitio, intuition-, a looking at, from Latin intuitus, a look, from past participle of intuêrì, to look at, contemplate : in-, on. See in-2 + tuêrì, to look at.]
後ラテン語intuitiR (in-上に+tuIrL見る+-iR-ION=直接に見る).TUITION
1.a. The act or faculty of knowing or sensing without the use of rational processes; immediate cognition. See synonyms at reason. b. Knowledge gained by the use of this faculty; a perceptive insight.
2.A sense of something not evident or deducible; an impression.
image
ラテン語imDgR (imitDriまねる+-Dgo=まねたもの→類似物[1]
ラテン語imDginDri(IMAGE+Dri不定詞語尾=同類を考える→想像する)Imagine
contemplate
ラテン語contemplDtus (con-十分に+templum吉凶を占うための天空の開けた場所+-Dtus -ATE1占いの場所で十分観察する
Inspiration
ラテン語inspirDre (in-中に+spLrDre呼吸する=吸い込む).SPIRIT, EXPIRE, RESPIRE
直観主義 intuitionism
L. E. J. ブローエルによって提唱された数学基礎論における立場をいう。数学を単に形式的な論理的演繹の体系と考える形式主義や論理主義に対して,直観に基づく精神活動によって直接にとらえられるものとして数学を再構築しようというもの。たとえば,〈性質 p(x)を満たすような x の存在〉を示すのに,〈いかなる x に対しても,p(x)ではない〉ことを仮定して矛盾を導くという論法が数学でしばしば用いられるが,x が無限の対象を動く場合には必ずしも明白なものとは認められない。p(x)を満たす x が具体的に与えられるか,あるいはそのような x が原理的に見いだせることが確認されてはじめて〈p(x)を満たす x が存在する〉ことが確かめられるのである。このように,直観主義においては数学で通常用いられる論理(古典論理)の無制限の使用,とくに排中律(p∨¬p)の無批判な使用を拒否する。みずから規定した立場に基づいてブローエルが進めた解析学は通常のものとかなり異なった様相をもっており,形式主義の立場に立つ D. ヒルベルトと激しく対立した。その後,ハイティング Arend Heyting らによる直観主義者の用いる論理の公理化(直観主義論理),K. ゲーデルによる解釈,クリーネ Stephen ColeKleene による帰納的関数を用いての解釈などにより直観主義の立場はかなり明白なものとなり,今日,直観主義数学ないし構成的数学として発展している。また,証明論においてヒルベルトのいう有限的・構成的手法とは実は直観主義者的手法といっても過言ではないことがわかってきた。柘植 利之
直観
日本に初めて西洋の思想が紹介される際,intuition(英語,フランス語)の訳語には初め〈直覚〉が当てられていたが(例えば,西周《心理学》,1875‐79),それがしだいに〈直観〉にとって代わられ,今日に至っている。intuition は,〈凝視する〉とか,ときには〈瞑想する〉といった意味を有するラテン語 intueri に由来し,一般に直接的知識を意味するが,ドイツ語の Anschauung も,事物への接近・接触などを表す接頭辞 an と,意志的な見る行為を意味する schauen とからなり,やはり同様の知のあり方を意味する。日本語の〈直観〉も,それらの訳語として,総じて推理(推論)や伝聞によらない直接知を指す。ただし,内容的には,どのような知識を直接的と見るかによって,意見が分かれてくる。例えば,日常的には,一種の〈勘〉や〈予感〉のようなものもときには直観と呼ばれるが,これらは本物の〈知〉かどうかが確かではないから,哲学などではあまり問題にされない。
哲学では,何よりもまず,感覚にもとづく知が直観と呼ばれる。それこそは,推理によらない知の典型だからである。したがって,例えば,眼前の机を机として認知するのは一つの直観である。しかし,机のようなものにおいては,まったく別な物が机に見えるということもありうるから,その認知には知としての十分な資格が欠けているともいえる。そう考えた場合,〈直観〉の呼称は,対象との直接的接触によって得られた,知以前のあるものに限られることになる。例えば,カントのいう〈直観の多様〉がそのようなものであった。しかし,仮にそれ自身が完全な知識ではないにしても,われわれが現実界の個物について何かを知ろうとするかぎり,そのような直観の役割を軽視することはできないであろう。
一方,知識そのものに関しては,幾何学の公理に類した〈ア・プリオリ〉な命題が,ときに直観と呼ばれる。それは,推論によって得られたものではなく,むしろすべての推論が前提にすべきもっとも基本的な命題と考えられるからである。例えば,デカルトは,〈同一の第三者に等しい二つのものは互いに等しい〉といった公理をその例にあげている。彼にとっては,〈三角形は三つの直線によって限られている〉とか,さらには〈私は存在する〉といった命題でさえ,理性によって直観される〈生具観念〉であり,そしていわゆる〈演繹〉も,ただ直観の運動にほかならなかった。
命題ではなく,概念的な普遍者やそれらの関係の把握にも,直観を認める考え方がある。例えば,カントは〈空間〉や〈時間〉の表象を,経験からの抽象以前に一挙に把握されているア・プリオリな直観とみなしたが,フッサールのいう〈本質直観〉もそのようなものであった。それらは,個々の語によって意味されているある本質的なものについての直接知であり,すべての言語使用に前提されているはずのものなのである。さらに,とくに言語化を拒むものの把握に〈直観〉が語られることがある。ベルグソンにとって,時間的な〈持続〉は,われわれがみずから直接に体験しうるだけで,言語による固定化を嫌う流動であったし,一般に神秘的なものの存在を認める立場では,そのような意味での直観が重んじられる。
もっとも,19世紀末に非ユークリッド幾何学をはじめとする新しい数学や,その基礎づけを目ざす新しい論理学が起こるにつれて,直観への信頼は薄れてきたといえる。例えば,公理についても,現代では,それ自体として明証的な直観の表現ではなく,〈何か土台になる題目について成り立つと思われる命題〉(ワイルダー)とするのが普通である。それは,単純であるとか,そこから他の命題を導出するに便利だという理由で選ばれるだけであって,その数も恣意的であり,より少数の公理からより多くの命題を導出することを理想としてきめられるにすぎない。したがって,例えば〈点〉や〈線〉といった語が使われるにしても,それらの語は,公理の中で指定されている関係を満足させる任意のものを代表しうるのである。こうして,例えば20世紀の初めに出現した論理実証主義やある種の分析哲学では,直観としては経験的直観だけが認められ,概念の本質などに関する問題は,語が各体系の中で整合的に使われているかどうかという言語使用の問題に還元されるに至った。言語の意味とはその使用規則なのであり,言語の理解も,意味の直観といった心的過程ではなく,一定の規則に従った言語の使用能力と解されるわけである。ただし,一般に論理実証主義の先駆とされているウィトゲンシュタインが,言語使用の条件として,語の配置などのような内部構造や諸形式が〈示され〉ていることを要請していたのは注目に値する。彼にとって,〈示される〉ものは〈語られ〉えず,ただ直観されるべきものだったのである。⇒知識 滝浦 静雄
AIのランダムと無意識の直観
2つのニューラルネットワークが一緒になって、局面ごとに手の最適化をする。一つのニューラルは、その局面でベストな選択肢の数を狭める。ついで、もうひとつのニューラルが、各選択肢がもたらす終局での勝率を計算する。このとき、使うのがモンテカルロ木探索手法だ。各選択肢が最終的にどのような結果をもたらすかを、すべの枝(可能性)をたどって計算することはコンピュータでも天文学的な時間がかかるので無理(打つ手の選択肢の多い囲碁のゲームの木の枝の総数は10の360乗、将棋は10の220乗、チェスは10の120乗。だから、AIは最初にチェスで人間に勝利をおさめ、次いで将棋、最後に囲碁で勝利した)。それで、可能性が高い枝をいくつかほとんど無作為に選んで、最終的結果の勝率を計算。その結果で、各選択肢に重みをつけ、ベストな選択肢(打つ手)を決定する。
この学習の仕方をみても、アルファ碁が人間のプロの名人に勝利を収めることは当然であるとわかるだろう。いくら幼いころから将棋をうち、多くの経験をしているといっても(そして、むろん、過去の名勝負の手についても勉強して知識としてもっていても)、16万件の試合のなかの3000万種の手を記憶することはできないだろう。人間の脳はそこまで容量がない。
アルファ碁にしても、名人に勝ったとされるほかのAIにしても、碁に特化したAIだ。そのうえ、コンピュータは24時間寝ないでご飯も食べないで勉強できる。プロの名人になる条件に、子供のころからなるべく多くの経験を積むことがあるとしたら、それだけでAIに負けてしまう。
●アルファ碁に「直感」はあるのか
次に、アルファ碁に直感があるかどうかの話に移ろう。
アルファ碁がイ・セドルに勝利を収めたとき、AIが直感を獲得したかどうかが話題になった。問題になったのは、第二局の黒の37手だ。イ・セドルだけではなく、AIと対決して負けた囲碁や将棋の名人の多くは、「(AIは)人間が気がつかない手を打つ」とコメントする。あるいは、また、「囲碁と違う競技を見ているようだ」というコメントもあった。黒の37手もそのひとつで、常識からかけ離れた手だったらしい。実際、最初に学習させた3000万種の手のなかには存在していないものだった。
アルファ碁の開発責任者で強化学習の専門家のデビッド・シルバーは、黒の37手は、明らかにAIが人間でいうところの直感を発揮したと考えている。試合のあと、シルバーが調べてみると、アルファ碁は、この手をプロ棋士が打つ確率は1万分の1だという計算をしていた。その手を確率が非常に低いにもかかわらず打ったということは、アルファ碁の直感が働いたからだとシルバーはいう。
シルバーは、「アルファ碁はプロの棋士が使う確率は1万分の1と非常に低いことを打つ前に知っていたが、同時に報酬が多いことも知っていた」と語る。「アルファ碁は内省(introspection)と分析の結果、自分でそれを発見したんです」と分析している。
・AIと将棋や囲碁をして負けた名人の幾人かが、「人間が打たない手を打つ」とコメントしている。これは、人間の認知バイアスで説明がつくのではないだろうか。プロは、従来プロが打ってきたパターンを勉強する。それが代々続いているわけだ。時々、まったく新しい手が発見されることがあるようだが、それでも、各名人の脳の中の記憶にあるのは、ある程度似通った内容だろう。だが、ゲームに特化したAIのなかには数千万件のデータがあり、そのデータをつかってAI同士で数百万回の試合をしている。新しい手を発見する確率はより高くなる。
・最終的勝利の確率をするモンテカルロ木探索手法は、モンテカルロ木探索ヒューリスティクスとも呼ばれる。なぜなら、すべての枝を最後まで追跡することは天文学的時間が必要になるので、コンピュータでも無理。ほとんど無作為に最終的勝利をもたらすような枝だけを追跡するようにする。「ほとんど無作為に」という言葉に、直感が含まれているかもしれない。完全な無作為ではなくて、過去に勝利に導いた手とか、今の試合で良かった手といったデータに基づいて重みを変えて選択している。これを直感と呼べるのかもしれない。この場合、「無作為/random」という言葉を人間的に「無意識」に変えてもよいかもしれない。
以上のような推測はできるが、その真偽のほどは不明だ。なぜなら、人間の直感や勘についての仕組みもわかっておらず、どちらも“ブラックボックス”だからだ。
[1]Progressive
English-Japanese Dictionary, Third edition © Shogakukan
1980,1987,1998/プログレッシブ英和中辞典 第3版
©小学館 1980,1987,1998