パラドックス一覧

 

 

 

現代の論理学     詳細は「数理論理学」を参照

19世紀後半にはジョージ・ブールオーガスタス・ド・モルガンゴットロープ・フレーゲなどが言葉の代わりに数学演算規則をあてはめ、「概念」や「観念」を記号に変換して現代の論理学を整備する。特にフレーゲの著作『概念文字』は述語論理の基本的な枠組みを提唱したことから、この研究の前後で伝統的論理学から現代の論理学へ移行したことが認められる。またゲオルク・カントール集合論の研究として新しい集合の概念を導入し、またデデキントによって数が集合の概念によって定義できることを発表し、くわえてペアノが論理記号だけを使用することを示したことは現代の論理学における重要な所期の発展と位置づけられる。この一連の研究動向の中で1902年にラッセルのパラドックスと呼ばれる矛盾が指摘された。

20世紀初頭においてバートランド・ラッセルはこの矛盾を解決するためにアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとの共著『数学原理』 (Principia Mathematica)を発表し、集合論に基づいて数学の研究成果を統合し、記号だけでそれらを証明した。ラッセルたちの仕事を引き継いだダフィット・ヒルベルトは集合論を証明論的に考察して矛盾が生じない適切な公理系を見出すことによって矛盾がない保証となると主張し、この主張を賛同者との協力の下でヒルベルト・プログラムとして推進した。しかし1930クルト・ゲーデルによって不完全性定理が発見され、自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在することが判明したために、ヒルベルトたちの研究計画は頓挫した。

最近の論理学の研究はヒルベルトが採用したような証明論的方法に対して公理がどのような事態を表現しているかを考えてメタ証明を行なうモデル理論的方法を使用している。これはポーランドで進められていた研究成果が1930年代にアルフレト・タルスキによって紹介された。また集合論の研究が進んだことで、素朴な定義の諸問題が明らかにされており、いくつかの公理の組が提案されてきている。そのことで集合という概念に一つだけの定義を与えることは困難であり、現代の論理学も集合の概念の広がりを許容するさまざまな公理を採用している。1920年代からルドルフ・カルナップは現代の論理学の知見を物理学の理論の分析のために利用し、1950年代からは本格的に研究が進められている。

 

 

パラドックスの一覧 

哲学 [編集]

ゼノンのパラドックス

無限とその分割に関するパラドックス。最も有名なものは下記の「アキレウスとカメのパラドックス」。他のものについてはリンク先記事を参照

カメを追いかけてカメのいた地点にたどり着いても、その時点でカメはさらに先に進んでいるため永久にカメに追いつくことはできない

探求のパラドックス

探求の対象が何であるかを知っていなければ探求はできない(さもなくばそれは顔も名前も知らない人を探すようなものである)。しかし、それを知っているならば既に答えは出ているので探求の必要はない。プラトンメノンにて指摘した

グルーのパラドックス

アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンの考えた帰納にまつわるパラドックス。同じデータからは複数の帰納が可能である

全能の逆説

全能者は自分が持ち上げることができないほど重い石を作る事ができるか

砂山のパラドックス(ソリテス・パラドックス

砂山から数粒の砂を取り除いても砂山だが、数粒取り除く操作を何度もくり返し、最終的に一粒だけ残ったものも「砂山」と呼べるか

ハゲ頭のパラドックス

ハゲ(ここでは「髪の薄い人」の意)に数本の毛を追加してもハゲである。毛を追加する操作を何度も繰り返す事で、全ての人がハゲだと分かる。砂山のパラドックスの起源とされる

テセウスの船

度重なる船の修理で部品交換を繰り返しているうちに、船ができた当初あった部品は全て無くなった。現在の船は最初の船と同一のものか

現象判断のパラドックス

心身問題に関わるパラドックス。ルネ・デカルトの時代以来続く、心的なものと物理的なものとの間の相互作用に関わる困難についてのパラドックスの現代版

 

数学・記号論理学 [編集]

 

ルイス・キャロルのパラドックス

推論の正当化に関する無限後退を扱ったパラドックス。推論規則公理の位置付けを考えるのに使われる

バナッハ=タルスキーのパラドックス

球を5個以上に分割して組み立てなおすと、もとの球と同じ大きさの球が2個できる、というもの。選択公理の不自然さを指摘したもの

ヘンペルのカラ

カラスを1羽も見る事無く「カラスは黒い」を証明できる、というもの。対偶論法の不自然さを指摘したもの

抜き打ちテストのパラドックス

「期間内に抜き打ちテストを行う」という特に間違ってなさそうな言説から矛盾を導く。このパラドックスを解消するには様相論理を必要とする

トムソンのランプ

今から1秒後にランプをつけ、その1/2秒後にランプを消し、さらにその1/22秒後にランプをつけというように1/2n秒毎にランプのon/offを切替えると、全部で2秒経過したときランプはついているか

すべての馬は同じ色

数学的帰納法をもとにしたパラドックス

ベルトランのパラドックス

一見簡単な問題が「無作為」という言葉の解釈次第で結論が変わってしまうというもの

 

自己言及パラドックス関連 

ラッセルのパラドックス

自分自身を要素としない集合の集合は、自分自身を含んでいるか

ベリーのパラドックス

19文字以内で記述できない最小の自然数」は何か?(「」内の文章自体が19文字であることに注意

嘘つきのパラドックス

「この文章は嘘である」。ゲーデルはこれを「この命題は証明出来ない」という命題に改めて、第一不完全性定理を導いた

カリーのパラドックス

「この文章が正しいならばAである」(Aが真でない場合、矛盾する

床屋のパラドックス

ある村の床屋は自分で髭を剃らない村人全員の髭だけを剃ることになっている。それではこの床屋自身の髭は誰が剃るのか

市長のパラドックス

自分が市長をやっている市に住んでいないような、不在市長ばかりを集めた不在市長市を作る場合、不在市長市の市長はどこに住むのか

例外のパラドックス

例外のない規則はない」という規則に例外はあるか。(例外があると仮定しても、無いと仮定しても自己矛盾する

張り紙禁止のパラドック

「この壁に張り紙をしてはならない」という張り紙は許容されるか

落書きのパラドック

落書き禁止の壁に、「落書きするべからず」と書くことは許容されるのか。(張り紙禁止のパラドックスと同じ意)

リシャールのパラドックス

 

ブラリ=フォルティのパラドックス

「全ての順序数の集合」を仮定すると、それ自身が順序数であることから矛盾が生じる

ワニのパラドックス

「自分の行動を当ててみろ」という襲撃者に対し、たった一言でその動きを完ぺきに制御してしまう。自己言及型のパラドックスの1

自動点灯ライトのパラドックス

相対主義のパラドックス

相対主義は「相対主義を認めない」も許容するのか。あるいは「どの主張も絶対的に正しくない」という相対主義の主張は絶対的なのか

 

無限の濃度に関するもの 

ガリレオのパラドック

ほとんどの自然数平方数ではないにもかかわらず、自然数 n を平方数 n2に対応させると、自然数全体と平方数全体とは11対応する

ヒルベルト無限ホテルのパラドックス

無限に部屋のあるホテルは、満室であってもそれぞれ n 番目の客室の客に n + m 番目の客室に移ってもらうことにより、さらに m 人の客を泊めることができる。無限の客がやってきても、元いた客に 2n 番目の客室に移ってもらうことにより入室可能

これら2つは一見真のパラドックスに見えるが、実は擬似パラドックスにすぎず、数学的に正しい事実を述べている。濃度を参照

スコーレムのパラドック

下降型レーヴェンハイム-スコーレムの定理によると、ZF 集合論も可算モデルを持つことになるが、ZF 集合論の中には非可算集合が存在する。このことは一見不合理のように見えるので、スコーレムのパラドックスと呼ばれる。しかし、これは実際はパラドックスではなく、形式体系内での集合概念と、メタ理論内の集合概念の違いをはっきり認識していないと不可解に見えるというに過ぎない

 

確率論関連 

誕生日のパラドックス - 何人の人が集まると、その中に同じ誕生日の2人がいる確率50%以上となるか

陽性のパラドックス - 検査で陽性であったとき、実際に感染している確率は何%

ンティ・ホール問題 - 3つのドアの選び方

3囚人問題

サンクトペテルブルクのパラドックス

シンプソンのパラドックス - 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある

これらは全て擬似パラドックスに過ぎない。

 

物理

ダランベールのパラドックス

宇宙論関連

オルバースのパラドックス

宇宙が一様かつ十分に大きければ、一つの星の光は僅かでも総和として夜空は太陽面のように明るく輝くはずだというパラドックスである。光の速度が有限であり、また宇宙やその年齢が夜空を星で埋め尽くすほどには大きくないため、前提が成立しないことが明らかとなった[3]

ゼーリガーのパラドック

宇宙が一様かつ無限であれば1つの星の重力は僅かでも総和として地球はあらゆる方向から無限に強く引かれるはずだというパラドックスだが膨張宇宙の発見により回避された

フェルミのパラドックス

 

相対性理論関連 

ガレージのパラドック

物体が高速で動けば、その長さは縮む(ローレンツ収縮)。静止する人から見ると、高速で走る車は長さが縮み、車と同じ長さのガレージに収まる。高速で走る車内から見ると、高速で動くのは前方のガレージを初めとする周りのもの全てであり(相対性理論より)、それらは空間ごと縮む。車の長さは不変のため、ガレージには収まらない

双子のパラドックス

双子の片方が光速に近い速度で宇宙を旅行してから地球に帰ってきたときに、彼は地球に残してきた兄弟よりも若くなっているか年をとっているか(ウラシマ効果

ゲーデル解

一般相対性理論におけるアインシュタイン方程式の厳密解の一つ。時空の回転と宇宙項を仮定した場合に得られるもので、時間旅行が理論的に可能になる

 

量子力学関連 

EPRのパラドックス

シュレーディンガーの猫のパラドック

 

経済学・社会科学 

グロスマン・スティグリッツのパラドクス

囚人のジレンマ

投票の逆理(コンドルセのパラドックス

投票行動のパラドックス

アビリーンのパラドックス

エレベーターのパラドックス - エレベーターはいつも一方にばかり動いているように見える

イノベーションのジレンマ

コモンズの悲劇

ブライスのパラドックス(英語

倹約のパラドックス[4] - 景気が悪くなるとその対策として皆が倹約するが、その結果として需要が減り、さらに景気が悪化する、というもの。倹約という不景気対策が逆に自体を悪化させるのがパラドックスたる所以である。(合成の誤謬も参照。

ギッフェン・パラドックス - 普通は値段が上がれば需要が落ちるのに、ある種の財(ギッフェン財)では値段が上がると、かえって需要が増える

レオンティエフの逆説[5] - アメリカの資本が優れている事から、アメリカの輸出品は輸入品よりも資本集約的であると想像されるが、実際は逆である

貯蓄のパラドックス

 

サイエンス・フィクション 

親殺しのパラドックス

タイムマシンで過去に行き、自分が生まれる前の自分の親を殺したとき、自分は産まれてこないことになる。またそうなると自分が居ないために親が殺されない。さらに、親は殺されないため自分は生まれてくる。という循環ができる(タイムトラベル参照)

また、これを含めてタイムマシンなど時間移動や過去を操作することが可能な方法を想定することで生じる矛盾を総じてタイムパラドックスという。

医療・健康 

フレンチパラドックス

フランス人脂肪分が多い食事をしている(とされる)にも関わらず、心筋梗塞が少ない事から

ジャパニーズパラドックス

1965昭和40年)には、日本人成人男性喫煙率82.3%と他国よりも圧倒的に喫煙者が多かったにもかかわらず、2011平成23年)現在では日本は世界一の長寿国であり[6][7]喫煙によって生じる筈である肺癌動脈硬化心筋梗塞発症率は欧米諸国に比べて10分の1から51と、実際には心筋梗塞の発症が日本人には少なくなる事から[8]

 

未分類 

料金の紛失のパラドックス - ある種のひっかけ問題

寛容のパラドックス

 

 

グレゴリー・チャイティンGregory "Greg" J. Chaitin1947 - )は、アルゼンチン出身、アメリカ在住の数学者コンピュータ科学者。

60年代に情報理論の分野に、ゲーデル不完全性定理とよく似た現象を見いだす。つまり、その分野上での決定不可能な命題を発見し別種の不完全性定理を得た。チャイティンの定理によると、十分な算術を表現可能な如何なる理論においても、如何なる数であろうともcよりも大きなコルモゴロフ複雑性を有することがその理論上では証明できないような、上限 c が存在する。ゲーデルの定理が嘘つきのパラドックスと関係しているのに対し、チャイティンの結果はベリーのパラドックスに関係している。

1995に、メイン大学から博士号を授与される。

現在は、IBMトーマス・J・ワトソン研究所で働いている。

幾つかの本を執筆しており、日本語に訳されている。

 

 

ラッセルのパラドックス英語Russell's paradox)とは、素朴集合論において矛盾を導くパラドックスである。バートランド・ラッセルからゴットロープ・フレーゲへの1902616付けの書簡における、フレーゲの『算術の基本法則』における矛盾を指摘する記述に表れる[1]。これは1903年に出版されたフレーゲの『算術の基本法則』第II巻(Grundgesetze der Arithmetik II)の後書きに収録されている[2]

ラッセルが型理論階型理論)を生み出した目的にはこの種のパラドックスを解消するということも含まれていた[3]

 

概要 

説明の便宜上、自分自身をその要素として含まないという性質をもつ集合を A 集合、含む集合を B 集合と呼ぶことにする。つまり、「集合 X A 集合である」とは集合 X は、 X \in X  という性質を満たさない

つまり、集合 X は、  X \notin X  という性質を満たすということであり、「集合 Y B 集合である」とは

集合 Y は、  Y \in Y  という性質を満たすということである。 排中律を認めて背理法による議論を可能にした通常の論理体系では、任意の集合は A 集合であるか B 集合であるかのどちらかである。

自分自身をその要素として含まないという性質をもつ集合」とは具体例を挙げると、「亀の集合」や「丸いものの集合」や「赤いものの集合」のような、集合それ自体が亀や丸いあるいは赤いものでない集合のことである。

また、「自分自身をその要素として含むという性質をもつ集合」とは、「不可視なものの集合」や「無生物の集合」、「赤くないものの集合」、「集合の集合」のような、集合それ自体が自身の要素の条件としてあげる条件に合致する集合のことである。

ここで、自分自身をその要素として含まないという性質をもつ集合全体(A 集合であるような集合全体) S とする。つまり、

 S = \{ X \mid X \notin X \}

という集合を考える。 S も集合である以上、A 集合であるか B 集合であるかのいずれかであるように思える。つまり、

1. S \in Sでない、つまり、S \notin Sである

2. S \in Sである

のうち、片方が必ず成り立つ。 そのどちらを仮定しても以下のようにして矛盾が生じる。これをラッセルのパラドックスと呼ぶ。

1. S  A 集合であるとする。つまり、S \notin Sである場合を考える。Sの定義は S = \{ X \mid X \notin X \}であることから、S \notin Sという性質をもつ集合はSの元なので、S \in Sであることが言える。したがって、S \notin S \wedge S \in S であるから矛盾である

2. S  B 集合であるとする。つまり、S \in Sである場合を考える。Sの定義は S = \{ X \mid X \notin X \}であることから、S \in Sである(SSの元である)から、S \notin Sであることが言える。したがって、S \in S \wedge S \notin S であるから矛盾である

公理的集合論との関係 [編集]

ラッセルの時代には何をもって集合と呼ぶかがはっきりしていなかったので、上記の議論は集合論の矛盾を指摘するかに見えた。しかし公理的集合論によって何をもって集合とするかについての形式的な整備が進むとともに、上記の議論のはじめに考えたような素朴(だが超越的)なS の構成法は集合についての定義としては許容されないような体系が構築された。

結論からいうと、ラッセル自身の指摘は「前述のようなSを考えると矛盾が起こり、集合論は矛盾を含む」というものであったが、公理的集合論ではこれを「前述のようなSを考えると矛盾が起こる。従ってSは集合ではない」と解釈する。

集合論の代表的な公理系である ZFC では、S のような「集合もどき」ではない「まっとうな集合」を作成するために構成的な手法を与えている。すなわち基礎となる集合(空集合)に、「与えられた2つの集合を元とする集合」操作や合併・共通分操作、冪集合といった構成を有限回施してできるものはまっとうな集合として認められる。

しかしここで、「これらの構成的集合以外は集合ではない」とまでは集合の範疇がされていないことに注意しなければならない。このような構成可能性に関する要請のもとでは一般連続体仮説が導かれることがクルト・ゲーデルによって示された。

内包公理\phi(x) が成り立つ x 全体の集合が存在する」を、どんな条件 \phi(x) に対しても無制限に認めると、上記の集合 Sの存在も証明され矛盾する。そのため、公理的集合論では、無制限な内包公理よりも弱い形の集合の存在公理が採用されている。

ZFC では、上記の集合 S が存在しないことから、全ての集合の集合が存在しないことを導くことができる。なぜならば、仮に全ての集合の集合が存在すれば、分出公理を適用することで、上記の集合 S の存在が導かれるからである。

年表 [編集]

1879年:フレーゲ『概念記法』出版

1884年:フレーゲ『算術の基礎』出版

1888年:デーデキント『数とは何か、何であるべきか』出版。自然数論の始まり

1893年:フレーゲ『算術の基本法則』出版

1902616日:ラッセルからフレーゲ宛てにパラドックスを知らせる書簡が投函

1902622日:フレーゲからラッセル宛てに返信が投函

1903年:フレーゲ『算術の基本法則』第II巻出版。後書きでラッセルのパラドックスを公開

1903年:ラッセル The Principles of Mathematics 出版。型理論の始まり

1903117日:ヒルベルトからフレーゲ宛に返信が投函。ラッセルのパラドックスが34年前にツェルメロによって発見されていたことを記載

1908年:ツェルメロ「集合論の基礎に関する研究」発表。公理的集合論の始まり