光は粒子?波動?

ホイヘンス 光は波動である。   光が解説しないのは波長が短いから。

ニュートン 光は粒子である。

 

1807年 トマス・ヤングの光の干渉実験

 

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アルマン・フィゾーが光は空気中よりも水中のほうが遅いことを実験で証明   波動説が有利になる

光は電気や磁気と同じ電磁波という波である。

 

アインシュタインの「光量子仮説」で再び粒子説が巻き返す。

光は波の性質を持ち、しかも粒子の性質も持つ。

 

ジョン・ホイーラー 光を弱めると光子がひとつずつ出るようなることを実験で証明

同じ装置で2本の光を重ね合わせると、重ね方によって光が消えてしまうことも実験で証明。

光の波動の山と谷が打ち消しあったと考えなければ説明できない。

光はある時は波、ある時は粒子になる。

 

1926年 マックス・ボルン 光子は人が見ていない間は波として振る舞い、人が見ると粒子として現われる。

この説にアインシュタインは反対する。

 

また、観測するとそれまで確率的な存在だった粒子がはっきりとした位置を決める。

これを収束と物理学では呼ぶ

収束する前はどうなっているのか、知ることはできない。

 

量子力学のコペンハーゲン解釈では、

粒子は『様々な状態が「重なり合った状態」で存在する。』

 

 

 

 

量子物理学の世界では“意識の不滅”が論争になりつつある

 現在の科学の常識では、意識は脳の中にあるとされている。この前提に立つと、意識の独立はなく霊界・死後の世界というものは存在しないことになる。物質が根本である。このことについて、量子物理学では疑問が提起されている。量子物理学においては、量子は粒子性(物質の性質)と波動性(状態の性質)をあわせ持つ。

この量子独特の性質を論争する中で、意識と物質の関係について新見解が出されている。いよいよ、科学と宗教が頭をつき合わせて議論する時が来たのかもしれない。

新見解を紹介する前に量子物理学(力学)の世界について認識を深めておきたい。

科学雑誌「ニュートン」20172月号―光の量子論―より

 

(1)光の粒子説と波動説の歴史

 300年前変幻自在にふるまう光について、アイザック・ニュートン(16421727)とクリスティアン・ホイヘンス(16291695)が光についての仮説を発表した。ニュートンは、「光は粒子であり、光が起こす現象は粒子の運動として説明できる」と粒子説を唱えた。当時科学者の多くがこの粒子説を支持した。一方、同時代のオランダの物理学者ホイヘンスは、「光は波であると考えると、光の現象は説明できる」と波動説を主張した。光の波動説は、当初あまり支持がなかったが、イギリスの物理学者トマス・ヤング(17731829)が1807年に光が「波の干渉」と呼ばれる現象を起こすことを示す実験を行って、光が波であると考える人が増えていった。イギリスの物理学者ジェームズ・マクスウェル(18311879)は、電磁気学の理論から電気を帯びた粒子が振動すると、電磁波と呼ばれる波が生じ周囲に拡がっていくことを明らかにした。またその速度は、光の速度(30万キロ/秒)の値と高い精度で一致し、光の正体は電磁波であると考えられるようになった。こうして、「光は波動である」ということで決着するかに思われた。

 ところが、20世紀に入ると、光が粒子であると考えたほうが理解しやすい現象が次々に発見され、再び大論争が起こった。朝永振一郎博士は、「もし光が波なら、3メートル先のろうそくは見えないだろう」と語った。その理由は、ろうそくから3mはなれると、1mはなれている時に比べると同じ面積に当たる光のエネルギーは9分の1になる。計算してみると、3mもはなれると網膜のなかの細胞「視物質」を変形させるだけの光のエネルギーが視物質に当らなくなる。そのため、ろうそくの光が見えなくなってしまうはずと。光が粒子だとすると、その分布はまばらになるが、粒子1個のもつエネルギー自体は変わらないため粒子自体のエネルギーは薄まらない。粒子は十分なエネルギーをもっていれば、光の粒子が当たった視物質の分子は変形するので、ろうそくを感知することができる。このことは、遠く離れた星々を見ることができる理由でもある。

 アルベルト・アインシュタイン(18791955)は、「光電効果=光を金属板に当てると、電子が飛び出す現象」の原理を説明するにあたって、「光量子仮説」を唱えた。光には最小の粒「光子(光量子)」があり、光子1個のもつエネルギーは波として見たときの「振動数」に比例して大きくなると考えた。また、電子はエネルギーを少しずつ蓄積することができず、1個の光子だけで電子を飛び出させるエネルギーをまかなう必要があると考えた。

 こうして、光は波の性質をもつとともに粒子としての性質ももつという仮定から出発した「量子力学」は、さまざまなミクロな粒子の振る舞いを説明するのに成功してきた。電子や光、分子や原子などの振る舞いについて説明した量子力学の成果は、半導体やパソコンとなって我々の生活を支えるものとなっている。だが、光が「波と粒子の両方の性質をあわせもつ」とは結局どういうことなのか?」再び大論争となって来た。

 

(2)光の二面性=ホイーラーの「遅延選択実験」(1987年)

 「遅延選択実験」=光が出発後に、粒子としてではなく波として振る舞うことを選択したように見えるため、こう呼ばれた。

 アメリカの物理学者ジョン・ホイーラー(19112008)は、光を放出する時、出力をどんどん絞っていくと、最終的に光子1個分のエネルギーしかない光がぼつぼつ出るようになる非常に弱い光を「ハーフミラー」という特殊な鏡に通す実験を行った。ハーフミラーは、光の半分を透過し、もう半分を反射する特殊な鏡である。ハーフミラーでは光はaとb二つに分かれる。二つに分かれた光は、それぞれ普通の鏡で進路を変えた後、光子の検出器AとBに到達する。

 光子の検出器は、光子の半分のエネルギーをそれぞれ検出しそうに思える。しかしホイーラーが考えたのは、「量子力学が正しいなら、光子1個分のエネルギーが、必ずAとBの片方の検出器だけから検出される。検出の確率はそれぞれ50%で、どちらの検出器が検出するかは予想することはできない」と考えた。実験の結果、ホイーラーの予想通りの結果が出た。

 光子1個分のエネルギーが片方の検出器だけで検出されるということは、光子が「それ以上分けられないエネルギーのかたまり」であり、粒子であることを示している。もし光が波であるならば、いくらでも細かく分けることができるはずなので、光はハーフミラーで半分に分けられ、光子のエネルギーが半分ずつ両方の検出器で検出されるはずである。

 

 次に、ホイーラーは、今度はほぼ同じ実験装置で光の波動性を示す実験を行った。

光子1個分のエネルギーをもつ非常に弱い光を、ハーフミラーに向けて放出する。波としての光は二つ(aとb)に分かれた後、それぞれ普通の鏡で進路を変える。この実験では、分かれた光の波がすれちがうところに、もう一枚ハーフミラーを置く。ハーフミラーの先に検出器Aと検出器Bがある。

 aから来た光の波はハーフミラーで二つに分かれ、二つの検出器(AとB)に向かう。bから来た光の波も同様にハーフミラーで二つに分かれ、二つの検出器(AとB)に向かう。あらかじめ鏡とハーフミラーの距離を微調整しておくと、検出器Aに向かう二つの光の波を、互いに弱め合い、打ち消し合うようにできる。すると、検出器Bに向かう二つの波は、必ず互いに強め合うようになる。その結果、検出器Aでは光がまったく検出されず、逆に検出器Bでは必ず光が検出されるようになる。

 この実験から、光は検出器の直前まで二つの波が重ね合って弱め合ったり強め合ったりする波動性をもっていることが証明された。

 

 ホイーラーの三つ目の実験は、二つ目のハーフミラーを置かない状態で光子1個を放出するものである。この実験は、光は出発した後に粒子か波かを選択できるという仮説を検証するものである。この二つ目のハーフミラーがない装置では、光は光子(粒子)として振る舞い、50%の確率で検出器Aで見つかり50%の確率で検出器Bで見つかるはずである。そうしておいて、光が検出装置に到着する前に、二つ目のハーフミラーを素早く追加するという実験である。すると光は、必ず検出器Bでは見つかり検出器Aでは見つからないという結果になった。これは波の重ね合わせが起きたことを示した。光はハーフミラーがふえたことに途中で気づいて粒子から波に変身し、干渉を起こしたのか、あるいは時間をさかのぼって波として出発し直したのか?いずれにしても、「はじめから波か粒子かが決まっている」と考えることはできないことを示した。光が出発後に粒子としてではなく波としてふるまうことを選択したように見えるため「遅延選択実験」と呼ばれている。

 

(3)光の波と粒子の二面性の不思議さを示す「二重スリット実験」

 ヤングが行った二重スリット実験装置(板に細かい隙間スリットを左右二つ開け、光源とスクリーンの間に置く)で、左右二つのスリットを両方開けて光子を一つずつ飛ばすと、スクリーンにはボツボツと一つずつ光子が到達した跡が残される。この段階では、光子は粒子としてふるまっているように見える。しかし実験を続けていくと、スクリーンにはたくさん到達した場所と、到達しない場所が交互に並んだ「干渉縞」が現れる。干渉縞が生じたということは、波が二つのスリットを同時に通過し、スクリーンの手前で干渉を起こしたということを意味する。光子をひとつずつ飛ばしたのだから、光子は一つのスリットしか通過していないはずである。しかし、光が波だとすると波は広がって存在するので、二つのスリットを通り抜け干渉縞が現れることの説明がつく。

 

 次に、スリットに偏光板(ある方向に振動する光だけを通し、他の方向に振動する光は遮るもの)を置くという実験である。

 二つのスリットに偏光板を右のスリットには横方向に振動する光を通すものを、左のスリットには縦方向に振動する光を通すものを置き、スクリーンに当たった時の振動によって左右どちらのスリットを通り抜けてきたかをみようとする。不思議なことに一つのスリットを通った光がつくる像を重ね合わせただけの像が現れる。(縦方向のスリットは青の跡。横方向のスリットは緑の跡)。しかし干渉縞はできない。光は波としてふるまわなくなる。

 更に不思議なのは、スクリーンの手前にスクリーンと同じ大きさのななめ45度の偏光板を置く。偏光板を置くと、縦に変光した光も横に偏光した光も、一部が通り抜け、弱いななめの偏光になり、どちらのスリットを通ったかわかなくする。そうすると、干渉縞が復活する。「どちらのスリットを通ったか」という情報が消えると、観測されていない光と同じように波としてふるまうのである。

 

 

<確立解釈(コペンハーゲン解釈)>

 この実験結果をみて、光が粒子の性質と波の性質をあわせもつことをどのように説明すればいいのか?

 1926年イギリスの物理学者マックス・ボルン(18821926)が、現在標準的解釈とされている「確率解釈」を提案する。「コペンハーゲン解釈」とも呼ばれているもので、「ある場所の波の揺れ幅(振幅)は、粒子がそこに出現する確率と関係している」というものである。

 光子は、見ていない(観測していない)間は波としてふるまい、(観測すると)粒子としての姿を現す、ということになる。光子がある場所に出現する確率は、出現する直前のその場所での波としての振幅(波の高さ)が大きいほど高くなる、という解釈である。<ほかにもいろいろな解釈が出されている。>

 光は、観測されないかぎり波としてふるまい、二つのスリットを同時に通過し、最終的には1個の粒子として現われる。粒子性と波動性は同時には現れず、粒子的な振る舞いをする場合には波動的な性格を失い、逆に波動的な振る舞いをする場合には粒子的な性格を失うのである。

 量子(極微)現象とは、純粋数式世界(高次元幾何学世界)と、物質物理世界(3次元世界)の中間の現象なのである。

 

(4)「双子の光子」実験−量子のもつれ(量子エンタングルメント)

 特殊な光学機器を使うと、同じ方向に偏光(振動)した「双子の光子」を放出することができる。実験では、二つの光子の前に、それぞれ偏光板と検出器を置く。そして、片方の光子Aを偏光板と検出器に飛び込ませ、時間差をおいて、もう片方の光子Bも偏光板と検出器に飛び込ませる。すると、不思議なことに、先の光子Aが偏光板に到達した瞬間、離れた場所にいるもう一つの光子Bの偏光方向が偏光板Aと同じ向きになる。光子AとBが、まるでテレパシーで通信しているかのようにふるまうのである。

 このように、はなれた二つの粒子の間に相関がある状態を「量子のもつれ」という。かつてアインシュタインは、この現象を「不可解な遠隔作用」と呼び、そんなものがあり得るはずがないと批判した。しかしこの現象は実験で確認されている。何光年と離れていても一瞬で伝わる。量子のもつれによる粒子間の遠く離れた相関を予言する量子力学の性質のことを「量子力学の非局所性」と呼んでいる。この現象が、量子コンピューターや量子暗号通信に応用可能と期待されている。

【光子、電子、原子といった極小の粒子、つまり量子には、徹底的に直感に反する「非局所性」がある。たとえば遠く離れた二つの量子は、まるでコインの裏表のように運命を共有した状態になることがある。一方の量子の物理量が観測されたと“同時”に、もう一方の物理量も時空を飛び越えて決定されるという性質だ。】

出典とある理論物理学者の「量子重力理論」への探求:量子もつれには「質量」があるのか? « WIRED.jp

 実際に量子の世界ではテレポーテーションの実験が成功したという報告がなされている。テレポーテーションの成功例として報告されているもっとも大きな物質は原子だという。(京都産業大学 工学部・情報通信工学科 外山 政文教授)

 以上みてきたように、光子などのミクロな粒子のふるまいを説明する量子力学では、遅延選択実験や二重スリット実験、量子のもつれなど奇妙な現象が実際に起こることが確認されてきているのである。

(以上、科学雑誌「ニュートン」20172月号―光の量子論―より)

 

(5)量子力学において、「観察」という行為がもつ影響力の背後にある真理

 光は、観測されないかぎり波としてふるまい、二つのスリットを同時に通過し、最終的には1個の粒子として現われる。観察・観測という行為が、量子の行動を調べる上で重要な因子になっている。量子力学の世界では、「観察」という“意識的な”行為が、量子レベルでは大きな影響力を持っているのである。この世界は波動・振動でできており、その根本には結晶があり、振動が現実化したものが物質なのではないかといえまいか。

 量子論の生みの親であるマックス・プランクは、「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」と驚きを持って受け入れ、ノーベル物理学者を受賞した理論物理学者ユージン・ウィグナーも「意識に言及することなしに、量子論の法則を定式化することは不可能だった」と語っている。

 観察という行為を介在して、意識と物質の関係について問題が再度提起されているのである。現在、脳科学が進めば人間の意識・思考・感情は解明されると考えられている。しかし、それは人間の妄想であるかもしれない。脳は、意識の受け皿にすぎないかもしれない。意識は、肉体に付属するものではなく、別々のものであるかもしれない。そう考えると、死後の世界は論理的に実在して当然である。肉体から解き放たれた意識が存在するということになる。

 いずれにしても、宗教と科学とは頭を突き合わせて論議する時を迎えたのではないだろうか。

 

 

 

 

かつて、といってもニュートン力学が世界を記述する唯一の科学的なシステムであったほんの200年ほど前まで、時間は常に一定に流れるものだと考えられていました。しかしかのアインシュタインが相対性理論を導いたことで、時間は伸び縮みするあやふやで誰の上にも平等に流れるものではないということが明かされ、未来へ行くことが理論的に可能なこととなりました。しかし、いくら時間があやふやなものだとしても過去だけは確固として変わることなくその姿を一定に保ち続けていました。

というのも当たり前の話です。物事には原因と結果があり、それは時間軸に沿って順に与えられるものです。もし過去に行くことが可能であれば現在が原因となり過去が結果となり過去は未来になり現在は過去になり、時間、あるいは因果という概念が一気に崩壊してしまいます。

しかし、量子力学的に見ればそれは可能なこと、むしろ既に起きていることなのかもしれません。現在が過去を決定するという仮説を示す思考実験『ホイーラーの遅延選択実験』が実際の実験によって証明されました。

a future event (the method of detection) causes the photon to decide its past.

Experiment Provides Further Evidence That Reality Doesn’t Exi...http://www.iflscience.com/physics/measurement-rules-quantum-universe

現在が過去を決定すると言われても、どういうことなのか理解が追いつきません。実験の内容はひとまず置いておいて、結果だけを見てみましょう。大体、このような具合になっています。

・ヘリウム原子を一個放出し、その途中で観測方法を切り替えることによってヘリウム原子が粒子としての性質を示すか波としての性質を示すかを選択することができた。

……。

結果だけを見ても何がどうなっているのかさっぱりわかりません。もう少し詳しく実験の内容と実験者の意図を踏まえつつ結果を示すと、

『観測方法ABがある。観測方法Aを使うとヘリウム原子は波になる。観測方法Bを使うとヘリウム原子は粒子になる。よってヘリウム原子は観測方法によって波になるか粒子になるかを変えている。ならば観測方法Aを使ってヘリウム原子が波になっている途中に観測方法Bに切り替えてみたらどうなるだろう。結果、ヘリウム原子は観測方法Bと同じく粒子になった。最初は波だったのに途中で粒子に変わるということは実験の内容から考えてありえない。ヘリウム原子は最初から粒子だったはずだ。だが本来なら最初は観測方法Aだったから波だったはずだ。これでは辻褄が合わない。だが現在が過去に因果的に干渉していると考えると全てが丸く収まる

となるわけなのですが、やっぱり何を言っているのかはよくわかりません。どうやらもう少しこの実験について詳しく調べてみる必要があるようです。

ヘリウム原子は波か粒子か

ではまず、『ヘリウム原子は観測方法によって波になるか粒子になるかを変えている』ということから考えてみるべきでしょう。

原子といえば陽子や中性子、電子といった小さな丸い玉で構成されたものと中学や高校の理科で習ったので、粒子なのではないかと思われるかもしれませんが、実際には原子のような小さな物質、量子的な世界ではことはそう単純ではないようです。

 

量子というと波動関数が、不確定性原理が、などと理解不能な式が出てきて少々とっかかりづらいことのように思えるが、性質そのものを理解するのには小難しい式は必要ない。本記事でも数学式は使用しない。

二重スリット実験

原子の話に入る前に、電子にまで一度、話を縮小します。

ひとまず、直感的に電子を小さな粒、ボールのようなものだとイメージしてみましょう。図のようにスクリーンの手前に二つのスリットが開いた板を置いて、電子を大量に穴を通すように打ち出します。スクリーンに電子が当たると、当たった部分の色が変わるとしましょう。この時、スクリーンにはどのような模様が出来るでしょうか

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水色の玉が電子とする。電子の射出機はあまりコントロールがよくなく、どちらかのスリットを目がけて撃つことはできないとする。

電子が粒子であれば答えは簡単です。スリットと同じようにまっすぐ二本の線が描かれるだけです。

 

電子をボールと考えればスリットの隙間を通ってまっすぐスクリーンにたどり着くのは容易に予想がつく。

しかし実際にはそうではありませんでした。

電子は波のように干渉を起こし、スクリーンには干渉縞模様に電子が現れたのでした。

 

波の干渉

波が二つ以上ぶつかると干渉を起こし、山の部分が重なるとさらに高くなり、山と谷がぶつかると波がなくなる。

 

単純に電子は波であるといえればよいのですが、一つの電子を打ち出した時にスクリーンに現れる模様は薄い縞模様ではなく、一粒の点です。やはり電子は粒子のように思えます。

この矛盾を解消するために当時の物理学者達は大量の電子を撃ちだすと電子同士がぶつかって波のような性質を示すのだと判断しました。

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波の高い部分(赤線と青線が交わる部分。緑の丸で表した)の直線上に伸びた部分に電子の粒が着いた跡がたくさん残っていた。

しかし事実はそうではありませんでした。電子を一個ずつ飛ばしても、同じようにスクリーンには干渉縞が現れたのです。

たった一つしかない電子は一体何と干渉したのでしょう。その答えそのものは、ハッキリしていませんが、現代の多くの物理学者には電子の状態は、いくつかの異なる状態(右のスリットを通るか左のスリットを通るかなど)の重ね合わせとして存在していると解釈されています。つまり『電子が右のスリットを通った状態』と『左のスリットを通った状態』という二つの状態、つまり自分自身と干渉を起こしているのではないかと考えられています。

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重ね合わせの状態というのは『どこかに確かに電子が存在しているがそれがどこにあるかわからない状態』と勘違いされがちだが、それは誤りである。量子のサイズでは電子などの小さな物体が薄い壁をすり抜ける『トンネル効果』というものがあることが知られている。これは電子が存在しうる確率(のようなもの)が壁の外にまで及ぶために、まれに壁の外に飛び出してしまうのだと解釈されている。壁をすり抜けた電子は場合によっては壁の遠くへ飛び出していく。最初から電子は壁の外にあったのだろうか。そんなことはないであろう。

 

そしてこの電子の二重スリット実験なのですが、電子だけでなく、炭素原子60個が結合して出来ている球状の分子、フラーレンでも同様に干渉を起こすことがわかっています。つまり、電子だけでなくあらゆる物質が重ね合わせの状態にあり、自分自身と干渉を起こしているのです。

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あらゆる物質が『右に向かった自分』と『左に向かった自分』とが干渉を起こしている。

 

様々な可能性が重ね合わっている、という考えはなんとなく直感に反します。現実の世界のことなのに量子が確率でしか存在しないぼんやりした波のようなものであるというのは想像がしづらいことです。量子、と小さな世界の話ばかりをしていますが、私たちを構成しているのはこの原子です。そのように考えると私たちも確率の波によって形作られる非常にぼんやりしたものということになります。

証拠を見せてほしいところですが、この波は観測をすることによって一点に収縮してしまう、とされています。つまり観測をすると波は粒子に変わってしまうので証拠を見せることはできないのです。なんだか屁理屈というか言い逃れのような話ですが、実際に実験によってこのように二つの性質をふるまうことが示されているのだから、ひとまず納得するしかないようです。

 

近年の量子に対しての一般的な解釈であるコペンハーゲン解釈に則れば正確には『観測を行うと波が一点に収縮しているのを確認することができる』だけで観測することが一点に収縮を起こす原因だとは明確には述べていないが、本記事ではひとまず観測を行うと収縮が起きる、とする。

 

 

 

 

 

 

宇宙の始まり

ビッグバン

アインシュタインも宇宙に始まりがあったという考えには否定的であった。

後ほどアインシュタインは自分の間違えを認め、宇宙に始まりがあることを支持する。

 

ジョルジョ・ルメートルは渦巻銀河の後退を観測し、

宇宙は絶えず拡大しているという仮設を立てる

138億年前の特異点がビッグバン

 

ビッグバン以前

ビッグ・バウンス説

ミラーユニバース説

時空間の地図をその中に存在する物質と区別することによって、空間を縮小する、という新たなモデル

時間を巻き戻すにつれて、宇宙の構成物の相対的な位置とスケールは、二次元のパンケーキのように平らになる。

そうして特異点を通過したところで、前と後ろが入れ替わって三次元に立ち戻るという解釈。

物事の内と外を同時に見ることができたローマの神の名にちなんでデイビット・スローン氏は「ヤヌス岬」と名付けた。

 

 

量子のもつれ

電子のスピンが右回転、左回転している。

重ね合わせ状態の電子が、何らかの原因で「右回転のもの」と「左回転のもの」に分かれ、それぞれ別の場所に飛んでいったとします。

もともとは一つだった2つの電子は、どんなに離れていても、「もとは一つだった」という情報をなくすことはありません。

片方が「右回転のもの」だとわかると、後の片方は「左回転のもの」と瞬時でわかるペアの量子の状態を「漁師のもつれ」といいます。

量子テレポーテーションの実験は、カナリア諸島、東大の古澤明、中国の宇宙船(500キロ)、アメリカ(100キロ)で実証されています。

 

時間の概念

絶対時間  過去から現在から未来へと時間が流れていく。  ニュートン力学

絶対時間と絶対空間  同じ速度で時間は流れる。

規則的な時間と切り取られた空間をベースに成り立つ力学法則。

矛盾が発生した。

 

相対性理論  アインシュタイン

時間と空間は質量によって歪む

速い速度で進むと時間の流れが遅くなる。

 

過去・現在・未来  流れる時間を否定

 

ブロック宇宙論による否定

三次元の空間にはすでに4つ目の軸である時間が組み込まれている。

 

時間は巨大な宇宙空間の中で「ある瞬間にその人・ものがどこにいたか」を表す座標でしかなく、

こういう意味で「時間の流れというものは存在しない」という主張。

過去・現在・未来という順番に意味を与えているのは、人間の脳の働きでしかない。

すなわち検索機能を起動するためには並べることが必要となり、混沌という事実から、秩序という検索できる状態にする必要が生まれてくるというわけです。

ですから「自分の記憶」によってしか、時間というものを説明することができない。

 

 

現在主義による否定

現在以外に存在を確定できるものはない

過去すら実在するかどうかわからない

 

あなたが体験している世界は水槽の中で生かされている脳が見ているバーチャルリアリティではないと証明できるか?

 

時間をはじめとする世界の実在を証明することはできない。

時間が実在しないことがわかっても、世界の何かを変化させるものではない。

しかし「わたし」は変化する。

物理学が解き明かすことによって、その解き明かされたものは「世界」自体になる。

 

 

 

不確実性

ミクロの世界では秩序はない。

あるのは秩序がないという秩序である。

諸行無常 アニッチャーの世界

ダンマの価値観