氣の意味   島田明徳

 

陳驢春老師

 

日の出とともに起き、

導引体操、服氣、座忘の二時間の修行

朝食

午前 太極拳の修練

午後 氣の修練

夕方から気功法、呼吸法、座忘

夕食

座忘

就寝

 

食事

食物は構成されている原子と原子の波動、つまり氣です。

この氣は大気中に充満しているのだから、これを体内に取り込めば充分に肉体を維持していける。

これを服氣という。

 

信じる意味

意識からの囚われをなくす状況をつくることで、疑問を感じなくなり、信じたものを自分のものにする。

火渡りは、火傷しないものだと思えたら、火傷はしません。

 

私たちがここにいる力、誕生させた力が氣です。この力を信じること、すなわち意識の囚われをなくすことで、氣の力が発揮します。

 

入静  手足のしびれや暖かい感じに身を任せていると、気持ちがふわ〜として意識がまどろむ状態になる。

 

練丹行

下腹部に氣精を集めて、氣の塊である丹をつくりあげる修練です。

氣を熱気にすることは短期間で練り上げることはできますが、丹にまで固めるのは容易ではありません。

一般的な生活ではほとんど不可能です。

毎日30分から1時間行いますが、なかなか練り上がらない。

3ヶ月もすれば誰でも腹部が暖かい感じになり、続けていると熱に変わる。

武息という強い呼吸法で氣を丹田に集めるのが特徴。  腹式呼吸のこと?

粘土を腹の中でこねている感じ、続けているとkの粘土が振動して、痙攣しているような感じ。

かたまりが上下左右に動き出すように感じられてきたら、練丹は完成。

練丹を開始して6年目に丹ができた。

 

 

環丹行

練丹でつくった氣の塊を意識を使って動かす。

小周天と全身周天

 

 

大周天

座忘を認識した後に、大周天という体験をすることができます。

「自分が光り輝く存在として、まわりのものすべてに溶け込んでしまい、空を見れば、空である自分を感じ、川を見れば川である自分を感じる、樹木を見れば、その樹液の流れまで感じるといったように、目に見える外界が客体として映るのではなく、自分のまわりにあるすべてのものが、その原子レベルまでも自分の身体として、自分そのもの(主体)として感じれれるのです。

まわりに人がいれば、その人と自分との一体感を強く感じ、まわりにいる人が、今どのような意識状態にあるかを自然に理解することが可能になります。

自分の意識の拡がりを充分に感じながら、しかも主客がない状態です。

「あっち」と「こっち」が一体になってしまった状態、それでいて、そのどちらも明確に認識しうる状態になるのです。その認識も言葉としてではなく、内部から湧き出してくる歓喜、至福をともなう絶対的な認識であり、この時、すべてものは一つにつながって存在していることを確信します」

全なる意識(魂、純粋意識、宇宙意識)が個である自我意識の中に顕れてくる状態です。

 

 

 

 

氣とはなにか?

宇宙の根源的なエネルギーの波動です。

宇宙意識の働きが氣です。

この宇宙のすべてを構成している根源的な働きの総称です。

万物はすべて氣によって創り出されています。

原子の力、原子の間にある波動の力

人でいうと、個体として成り立たせている魂の働きです。

細胞などの自分の内部に働く力

自分を支えている自分の源である本当の自分に働いている力のこと

魂の力

氣は私たちをつくり、動かし、さらに思考させている働きです。

 

 

氣の働きは3つに分けられます。

精という生命力    精妙なエネルギーの波動   活動のためのエネルギー         聖霊

気という物質の基   粗いエネルギーの波動    物質としての働き            イエス

神という意識活動   微妙なエネルギーの波動   自我意識から無意識まで全ての意識活動  創造神

 

ヨーガでは氣はグナ、精はサットヴァ、気はラジャス、神はタマス

 

 

宇宙は氣から生じている。

物質も意識も氣から生じている。

宇宙意識に基づく法則の一つが理論物理学によって明らかにされている宇宙の法則。

 

 

法則と意図と意識

H2OにはHO を引き合わせる法則があります。

この法則を意図に変えても文章の意味はとおります。

水にはHOを引き合わせる意図があります。

意図には方向性や目的や機能があり、これを法則と呼びます。

ある現象が生じる時には、その現象は常に法則のもとで生じ、言い換えれば、現象は常に意図を伴っているということです。

意図を持っているということは、その前提に意識が媒介していることになります。

意識がまずあって、そこに特定の意図が働くからです。

こう考えると、あらゆる現象の源には意識があり、あるTPOに従ってそこには意図が働き、それによって現象が変化するということです。

これを理性(科学)では法則と呼びます。

同じことをビッグバンから見れば意識となります。

そしてこの時の意識に日常では呼び名がないのですが、宇宙意識と呼ぶことにします。

 

宇宙意識

現象と宇宙意識は一体です。切り離すことができません。

現象は常に宇宙意識によって変化し、宇宙意識は常に現象を生み出します。

この宇宙にはまず意識があり、それから現象である宇宙が生まれたと仮定します。

人間には意識があります。宇宙に人間の意識を生み出す源もないのに、人間だけが意識を持っているという仮定は合理的には考えることはできません。

 

氣と空と宇宙

宇宙は、はじめから意識を持った、極微の微粒子である物質の活動によるエネルギーの充満した空間から成り立っている。

これが氣です。

参照 ダークマター

 

 

練精化気

修練の第一段階は、エネルギーである「精」を感じる訓練です。

例えば、体内の電気、磁気、遠赤外線など

精を強化していくと、物質化していきます。つまり、物質の基として働いている気に変化してくる。

練丹がこれにあたります。

精と気が同じもので、ただ機能や現れ方が違うことが理解でき、自覚できるようになります。

身体の浅いレベルだけではなく、精神の深いレベルを感じるよう気感を強めていきます。

 

 

練気化神

ヨガでいうクンダリーニ瞑想です。

気の働きの基にある宇宙意識の働きを感じるようになる訓練です。

 

訓練が進むと、意識的に感じようとしなくても気が感じられるようになり、深層の身体意識が自我意識の領域に入り込んできて、自分が意識的に氣との一体感を図ろうとしなくても、自然に氣と一体になっていきます。

気と神が一体となった状態へと進んでいきます。

すると、気の神の働きであるを感じ取れるようになります。自分を存在させている宇宙意識のことです。

宇宙意識の働きが感じ取れるようになると、私たちの意識活動がどのように行われているかが理解できるようになってきます。

深層意識から自分に働きかけてくる想いが感じとれてきます。

 

自我意識の除去

自我意識を取り去ることを、氣の修練は、高まった気感によって実現します。

 

意識せずにエネルギー(精)を感じ、そのものに自分を浸しきれた時、エネルギー自体が自分そのものである(肉体であり精神である)ことに気づきます。

 

練神環虚

宇宙レベルの氣に感応でき、大自然の摂理が感じられ、人は自然の一部として存在しているので、摂理に反して生きていては本当の幸福はつかめないことを気づく段階です。

そして氣の向くままに生活することを、環虚合道、無為自然と仙道ではいいます。

 

五感と意識の限界

五感はこの世に存在しているものの一部しか認識できません。

とアタマで理解できても、実感はつかめません。

理由は人の意識は五感をベースにして働くようになっているからです。

刺激としての信号が、神経系の伝達として大脳に送られ、ここで処理されることが意識活動であるからです。

ですから五感に感じないものがわからなくて当然です。

 

刺激の信号が五感や記憶や想像(妄想)だけではなく、体の内部からの信号に気づくように自我意識を深めていく必要があります。

すると見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえるようになります。

だからといって悩みや苦しみが消えるわけではありません。

そこで五感をベースにした意識に余分な信号が加わり、余計に意識に囚われてしまい、人格的問題を持つことも多いものです。

 

自己啓発と苦しみと比較

多くの自己啓発本は人間の欲望を刺激を目的にしているので、気持ちのもち方を変えるという短絡的な方法を選択することで、求不得苦(求めるものが得られない苦)になります。

外部との比較にスポットライトが当たっている場合は、常に不満と争いが生じます。

自分が何者かも知らずに、他との比較をしても意味がない。

 

啓発するのは自己でも自我でもなく魂です。

魂(自分自身を知る)ことを目的にした場合は、超能力や世俗的な欲望には関わらないことが大切です。

自分が自然の法則と適合していれば、自然にすべてがうまくいくようになっているのですから。

 

 

第四章  病と氣の関係     氣を修練すると身体によい

病は気から

よい心の状態=楽しい、安らいだ心の状態がリンパ球をはじめとした免疫細胞を増加させ、免疫作用を高めることは医学的に証明されています。

気持ちのもち方で病気の状態が変化するといった意味です。

なぜ?なんでしょう。

 

病気を知る=自分自身を知る

医学システムの中にいると、病気の本質を理解しづらくなります。

病気を理解できない根本的な原因は、私たちが氣の働きによって存在していることに気づいていない、ということが挙げられます。

 

病気の原因は本人にあります。

病は苦しみです。

仏教の苦dukkaとは「満たされていない状態」という意味があります。

病気という苦しみである「満たされていない状態」を学び、何が満たされていないのか研究する必要があります。

 

満たされていない状態を自分の身体が必要として、病気というカタチとして身体が創り出している、ということです。

 

病気になったら、なぜこのように苦しい状況が自分に現れてきているのか?

この苦しみの原因は自分の中にないだろうか?

もし苦しみが必要なものだと仮定したら、この苦しみのメッセージは自分に何を教えようとしているのか?

 

ここから自分自身を知り、人として生きるということの意味を知る手がかりを見つけ出すということを理解できない限り、一つの苦しみを除去しても、次の苦しみが生じてきます。

苦しみから逃げることばかり考えないで、この苦しみを創り出している自分と向き合うことが必要なのです。

 

病気って何?

医学大辞典には、

「生体のすべての臓器がうまく調和して完全に機能を営み、その環境に適応していることを健康な状態という。

この状態から逸脱し、肉体的にも精神的にも生体の機能が障害を受け、停止ないし異常をきたした状態をいう」

これは病気の状況説明ではあるが、病気とは何なのか?という答えではありません。

なぜ、生体の機能が停止したり異常が起こるのか?という原因の説明がなされていないからです。

 

私たちの健康を維持している力が阻害された時に病気が生じます。

この力が氣です。

 

細菌やウイルスは直接の原因ではありません。もし原因であれば、人類全部が病気になっているはずです。

コレラなどの感染力のつよい病でも感染しない人はいます。

彼らは抵抗力が強いとか生命力が強いと説明されて理解したような気になる傾向があります。

すると一番大事なことを見失うことになってしまいます。

 

人間の内部で働く氣があって、はじめて私たちは人間として営みができます。

氣の働きこそが自分自身であるのです。

この氣の働きに気づくことが重要です。

病気は、氣の働きが、充分にその力を発揮できていない時に生じます。

では、なぜ氣の力がうまく発揮できなくなってしまうのか?

 

私たちの身体

身体に病的な状態が現れるのは、細胞が正常な機能を果たせなくなっているということです。

原子や他の原子との波動(電気、磁気)の働きが悪いということです。

この波動が悪ければ、素粒子や電子の配列が狂い、細胞も異常な形になります。

 

ではなぜ波動の働きが悪くなってしまうのか?

私たちの身体と地球を構成している物質は同じものです。

身体を構成している細胞を分解し続けていくと、物質である氣に行き着きます。

これは地球や宇宙をつくっているものと全く同じものです。

 

つまり、私たちも地球も同じものでできている、ということは、私たちは地球の一部、自然の一部である、ということにほかなりません。

人間と地球と宇宙は原子のレベルでは、お互いに影響しあっているわけです。

人間は地球の気象や飲食物などのエネルギーに包まれ、受け入れ、体の一部にして、これらを創造的なエネルギーに転換して、地球に影響を与えています。

氣の集合体であり、原子の集合体である人間の身体が、地球の氣すなわち原子と調和し、振動し、共和し、お互いに影響を与え合わなければ、異常が生じるのは当然のことです。

 

原子の波動の働きが悪くなるのは、身体と自然の原子の波動が調和していないから、身体に流れる生体磁気力(氣精)が弱くなるからです。

 

私たちが自然の一部として存在していることを忘れて行動すると、私たちの体を正常に保とうとしている働きに悪影響があらわてくるのです。

 

自然との不調和が病気の原因

病気の真の原因は、自然の一部である人間が自然の法則にかなった生活をしていない、ことにある。

自然の法則には多くの名前があります。

宇宙の摂理、カミ、大いなるもの、ダンマ、空、

 

自然と調和した心とは、楽しく安らいだ状態、とらわれのない状態、余計なことを考えずに、自分を支えている力に自分を委ねている状態のことです。

自然と調和していない心とは、イライラして、落ち込んで、何かにとらわれている状態です。

 

自然と調和するカギは各自の持つ観念が作り上げた回路を捨て去ることです。

 

 

気功法

精エネルギーの調整よりも、神(自己意識から深層意識)の調整が大きなウェートを占めている。

 

気功師の手から出る外気を病人に投射する外気治療は、病気を治すものではありません。

病人が入静し、緊張の取れた安らいだ気持ちになり、自らの持つ自然治癒力が働いて病気が治るのです。

放鬆(リラックス)と入静が気功法の真髄です。

リラックスとは緊張や回路を取り去ることです。

 

先天の神、後天の神

どんな微細な物質も意識(法則)のパターンを持っています。

これは深層意識とも、本能とも、内臓の意識とも、自然の意識とも、仙道では先天の神と呼ばれます。

これに対して、表層意識、理性、大脳皮質の意識、自我意識を後天の神と呼びます。

この二つの意識(神)が調和しているか否かによって、身体に現象が現れます。

 

後天の神(自我意識)は両刃の剣で、この使い方を誤ってしまったのが、人間が自然の法則から逸脱してしまった原因です。

 

進化の意味

なぜ宇宙は進化を続けているのか?

なぜ自然の法則に反することができる自由意志を行使できるほど、人は高度な意識を持つことができるようになったのでしょうか?

 

宇宙は百数十億年にわたり、素粒子が集まり拡散し続け、48億年前には集まった素粒子が地球となりました。

ここから生物が誕生し、いまの私たちがいます。

私たちの源は素粒子です。この素粒子は氣とも呼ばれます。

物質的には素粒子、そして素粒子は法則をもち、法則には目的と機能があり、目的があることを意図をもつといい、意図は意識という前提があってはじめて存在するものです。

 

これをまとめると法則があるということは意識をもつということなります。

すなわちすべてのものは意識をもって存在しています。

そしてこの意識は進化することで、ヒトの自我意識が生まれ、意識の進化に応じてカタチも変化してきました。

 

なぜ宇宙は意識を進化させる必要があったのか?

宇宙の存在を認識できるのはヒトだけです。

有るか無いかだけならば蟻だって空を見上げます。

しかし、宇宙を認識してその意味を意義を理解しなくては、宇宙はないに等しいことです。

これは他者の立場になるとわかります。

たとえば自分が一生懸命に人生をかけてやっていることを他者が認識してくれてはじめて、他者にとって自分は存在していることになります。自分の意図を理解されていなければ、自分はここにいないように感じてしまいます。

自分がやっていることを理解されていなければ、自分がここにいると他者は判断しますが、それは自分の本来のわかってほしいことではなく、ただカタチとして認識されているだけで、自分がいま・ここにいる意義はないものとして扱われてしまいます。自分が望むものとしての存在を認めてもらえないわけです。

 

これと同様に宇宙も宇宙を認識できるだけの関心と理解力(意識)が存在しなければ、宇宙は存在しないことになってしまいます。ただの空間でしかありません。

宇宙の美しさ、素晴らしさ、秘められた働きも知覚できる意識があってこそ、その存在があることになります。

ヒトの関心と理解力(高度な意識)をいちばん必要としているのは、宇宙そのものなのです。

地球上では、ヒトの自我意識の存在があってはじめて、宇宙も、宇宙の法則も、その存在が明らかになるのです。

宇宙には、宇宙を認識する意識が必要です。

 

地球上では電気を発見するまでの48億年もの間、電気ははじめからありましたが、電気はこの世に存在していなかったということです。

 

宇宙も宇宙としての存在を明らかにするためには、宇宙を認識できるだけの深い意識が必要です。

そのために、宇宙は自らの力によって、人間の自我意識ような高度な意識を創り出し、さらにそれが深まるように、宇宙自身を認識するために意識を進化させ続けています。

 

法則から逸脱する必要性

認識には相対するものが必要です。二つの相対する減少があってはじめて認識できるようになっています。

光を認識するには闇が必要なように。

では宇宙を、宇宙意識を理解するためには何が必要なのでしょうか?

 

人は宇宙を物理的には認識できます。

しかし宇宙意識としては認識していません。

 

しかし宇宙の物理法則を追求していけば、法則とは意識であることに必ずたどり着きます。

どのように法則を追求すればよいのでしょうか?

どうすれば法則を認識できるのでしょうか?

そう、認識には相対するものが必要です。

つまり法則に則っていない状態が必要なのです。

それは、宇宙法則から離れることです。

 

例えば、微生物の麹菌は、その菌が持つ法則に従って活動しています。動物ならば本能、人ならば内臓の働き、仙道ならば先天の神、意識ならば深層意識です。

しかしこの法則によって活動しているかぎりは、麹菌は宇宙のことは理解できません。

なぜならば、法則ににしたがって活動している状態なので、宇宙を認識するために必要な相対する状態がないからです。

ではどうすれば相対する状態をつくることができるでしょか?

麹菌は法則から外れた活動をする必要があります。

つまり先天の神から後天の神によって活動できる状態にならなくては、宇宙の法則を理解することはできません。

法則からの逸脱し、自由意志で行動できてはじめて宇宙そのものを理解することができます。

自由意志は勝手気ままに行動するためではなく、宇宙を理解するためにあるのです。

ただ残念ながら?麹菌には自由意志という進化した高度な意識がないので宇宙を認識することができません。

 

法則を認識にするためには、法則から逸脱する必要です。

そして法則から逸脱すると、存在することに不都合な現象が生じます。

病気や氣の減少や苦しみや死です。

このようにヒトは宇宙の法則から逸脱したままではいられません。

軌道修正をせざるを得なくなります。

これも宇宙の法則です。

宇宙の法則から逸脱するのも、また宇宙の法則に戻るのも、どちらも宇宙の法則です。

この逸脱と、それに伴う氣の減少を、因果応報、神の罰と宗教では呼ばれてきました。

 

病気は人生の道標

病気という私たちにとって辛く苦しいものがなければ、私たち人間は、もっと自然からダンマから離れ傲慢になってしまうでしょう。

私たちを生かしている力である氣や自然との調和を理解することもできないでしょう。

 

病気は嫌なもの、怖いもの、悪いものと排除するのではなく、病気は自分自身がつくりだしているものということに気づくことが大切です。

 

食事や運動も大切ですが、何よりも大切なのは心の状態です。

食事や運動や身体に気を使いすぎていれば、かえってストレスをためてしまい、それだけ自分の不安を作り出すことにも繋がります。

ストレスとは物理学でいう歪みです。ストレスの解消とは、自分が自然の法則にかなった生活をすることでなされます。

 

どんな苦しい状況でも、自分の作り出した状況は、自分の力で克服できるようになっているのが自然の法則です。

まずは心身をリラックスさせ、身体と心の緊張を取り去ることからはじめましょう。

 

 

 

氣の力

武術の氣  意識(神氣、気持ち)

1心身のリラックス

2意識の集中      表層意識→中層意識へ  イメージ 身体感覚  

3丹田力

4合理的な身体運動

 

1筋肉の大半が筋肉を縮める行為に使われてしまっている。

使われていない筋肉が多いほど動作をする際に大きな力を発揮できる。

筋肉を伸ばすと相拮抗する筋肉は曲げる動作をしてしまう。

そこで無駄な筋肉の働きを防ぐには、力まないこと、緊張しないことが絶対条件になります。

力を抜けば抜くほど大きな力が出せる。

リラックスするコツ

緊張はどこから来るのか?

緊張は心(意識)からきます。

肉体(気)は意識(神)に従うようにできているからです。

 

2肉体は表層意識(言葉、観念)よりも中層意識(イメージ、映像)や深層意識(身体感覚)に強く反応する。

 

3重力を使って大きな力を発揮する。

自分の重心である丹田の位置を知る。

ヒトは意識によって、重心の位置を変化させることができる。

この重心にかかった圧力を使って巨大な力を発揮できる。

 

4不必要な筋肉の動きを抑え、必要な筋肉だけを使う  勁力

筋肉を単独で使うのではなく協調させて使う。各筋肉をスムーズに連動させて働かせる。  勁道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気功の氣  エネルギー(精氣)

 

練氣柔真法

柔真とは柔身であり柔心でもあり重心。

心と体がしなやかで、したたかで、こだわりを捨て去った時に、自分を支えている力との調和が図られ、人間に内在している大きな力を引き出すことができる。

修練は

リラックス、氣の解放を第一とし、心身を徹底的に弛緩させることを修得していく。

次に、精神の集中(呼吸、イメージ)し、心と体の動きを一致させ、重心を自由に移動させることを修得します。

二人一組の相対練習で行うのは、一人で行う気功などでは、外部から生じるストレスによる緊張を取ることが困難だからです。

 

 

 

 

 

はじめははっきりと自覚できる氣神よりも粗いエネルギーである気や氣精から扱います。

氣精(生命力)は、日常生活では大半が外部からの信号と思考脳に反応する感覚器官のために使われています。

 

肉体の統御から始めて、

呼吸の統御、

感覚の統御、

最後に、自我意識の統御を修練します。

これがマインドを浄化するためのステップです。

 

氣の修練の概要

肉体的要素と心的な要素、そしてこれらの根源で働く氣とを結びつける技法を学びます。

身心をその深層の部分の氣で融合させることで、宇宙意識との一体感を得ることが可能になります。

 

氣の修練で外部からの刺激や思考脳を働かせるために使われている氣の流れを、内部へと向けて、生命力のセンターである精宮(チャクラ)へ向けるようにします。

こうして氣をコントロールすることで、自我意識(マインド)をコントロールすることが可能になり、自我意識をが表層から深層へと向けることができます。

 

氣の修練の特徴は脳内物質が分泌され、強烈な快感を得ることができることです。

この恍惚感によって、表層意識の感情や欲望をコントロールすることになります。

 

修練内容

放鬆訓練  リラックス       スワイショウ  捻転運動

導引体操  気功法 気感訓練    屈伸運動、マッサージ 身体の歪みを除去 氣の周流を円滑

服氣法   制感          呼吸 生命エネルギーを「精」に変化  周流させて精を活性化

練丹行   集中          

精宮瞑想  集中、瞑想、座忘

 

呼吸 

氣の吸収と吐出      生命エネルギーを「精」に変化

心身を浄化        呼吸が安定していると心(神経系統)も安定している

魂とのつながり      自我意識と無意識とをつなぐ重要な役割がある

 

制感行

外部刺激に反応する「心」を感情とよぶ。

人間の感情は喜怒憂思悲驚恐の7つある。

感情は抑圧したり鈍らせるものではない。

ではどうやってコントロールするか?

まず感情に対して正しい知識    

感情(心)とは外部刺激に自我意識が反応している状態     自己の内部から生じているものではない。

次に、外部刺激には何の意味も価値もない。意味や勝ちを決めているのは自己の反射回路

 

自己の心を観察して、外部刺激に反応する自己意識を見定める。

どのような刺激が自己意識を動かすのか?

その刺激から受ける悪影響を除去するように修練する。

 

心を観察する初段階として、呼吸を通して感覚を統御する服氣法が適している。

こうして日常生活でも自己の心をコントロールできるようになる。

刺激に自動反応してしまう回路とこの回路から生まれてしまう観念。

そこで回路を理解し、書き換えることが必要です。

刺激に支配されないようになるために必要な観念からの解放、つまり心の浄化の作業です。

 

集中から瞑想へ

導引体操、服氣法、制感行は心を内部に向ける修練です。

これを続けていると、心身の統御が可能になってくるので、外部に向いていた自分の「心」を一つの対象に集中することができるようになります。

 

心がコントロールできるようなったらこの力を氣へと集中するのです。

すると氣が強化され、肉体、感覚、自我意識が、氣のレベルで結合していきます。

すると自我意識が氣以外には何も感じない状態が訪れます。

自我意識が対象そのものになってしまう状態です。

この状態を修練していくのは次の段階の瞑想行です。

 

練丹行

下腹部に氣精を集めて、氣の塊である丹をつくりあげる修練です。

氣を熱気にすることは短期間で練り上げることはできますが、丹にまで固めるのは容易ではありません。

一般的な生活ではほとんど不可能です。

 

精宮瞑想

集中行とは意図的に集中していますが、これが意図的ではなくなった時が瞑想状態です。

集中に努力を要しないで集中している状態です。

精宮瞑想は師である陳馬盧春老師(仙道の最奥義である「白日昇天」を極めた仙人)より秘伝として伝授したもの。

ヨガのチャクラ瞑想に似ている。

生命エネルギーの強化

脳や脊髄中核の活性化

体内細胞の老廃を減少

肉体細胞をエネルギーに転換

 

瞑想状態が深まるにつれて、

感覚器官や大脳皮質の働きが停止し、観念が消えて「無心」の状態が訪れます。

次に集中していた主体である自我意識が集中の対象であった氣の中に、完全に溶け込んでしまう状態が訪れます。

自我意識が自己の源である魂と融合します。

個が消えて全なる自己を体感している状態です。

 

座忘

瞑想の初期段階は、自分が氣そのものになってしまった状態であっても、いまだ感じている自我意識と感じている対象である氣の区別はあります。

瞑想が深まると二つが一体化する状態が訪れ、これを仙道では座忘といいます。ヨガのサマディ(三昧)です。

自我意識が目覚めたまま、その働きである「心」をなくしてしまっています。

 

集中行では、心の焦点を対象物である氣に当てています。

瞑想行では、心と氣が一体化して、次に心は消え去り、自我意識は純粋意識に融合します。

こうして純粋意識である魂を体感します。すなわち、本来の自分とは魂であることを感じることができます。

この体験が直観によって認識されていないと一つの経験をしたことで終わってしまいます。

体験を体得するためには直感による認識が必要なのです。

 

座忘を認識した後に、大周天という体験をすることができます。

「自分が光り輝く存在として、まわりのものすべてに溶け込んでしまい、空を見れば、空である自分を感じ、川を見れば川である自分を感じる、樹木を見れば、その樹液の流れまで感じるといったように、目に見える外界が客体として映るのではなく、自分のまわりにあるすべてのものが、その原子レベルまでも自分の身体として、自分そのもの(主体)として感じれれるのです。

まわりに人がいれば、その人と自分との一体感を強く感じ、まわりにいる人が、今どのような意識状態にあるかを自然に理解することが可能になります。

自分の意識の拡がりを充分に感じながら、しかも主客がない状態です。

「あっち」と「こっち」が一体になってしまった状態、それでいて、そのどちらも明確に認識しうる状態になるのです。その認識も言葉としてではなく、内部から湧き出してくる歓喜、至福をともなう絶対的な認識であり、この時、すべてものは一つにつながって存在していることを確信します」

 

全なる意識(魂、純粋意識、宇宙意識)が個である自我意識の中に顕れてくる状態です。

 

A私がすべて。私が存在しなければすべては存在しない

B君がいなくても世の中は変わらない、すでにすべては存在しているさ

Aいや、それは迷妄で偽りの状態だ、なぜだかわかるか?

B????

 

もっと深いレベルで融合するにつれて、自分という存在は無い、宇宙も存在しない、すべては無い、けれども有る

 

世界観のステップ

自我なき赤ん坊

自我の芽生え

自我の確立   われは自己なり

無心

魂とつながっている自我意識  われはすべてなり    私が存在しなければすべては存在しない

自我意識はない、宇宙もない、すべては存在していない   すべては無い、けれども有る

この宇宙も時間も空間もあらゆる概念もすべては無い。けれどもすべては有る。という認識。

 

悟りの段階

悟りとはすべてのこと知ることではない。

私たちが、今の自己中心的な生活から宇宙と調和した生活を身につけるために「悟り」が必要なのに、

悟りを得ようとしている多くの人が悟りを自我の超越とか我欲を捨てきった状態と勘違いして、悟りを難しくしています。

悟ることもできないのに、どうして我欲を捨て去るなどとということができるでしょうか?

 

もし日常生活において我欲を捨て去らねば「悟り」を得られないと考えるならば、「悟り」を得ることは無理です。

だんだんと捨て去るのは悟後の修行です。

我欲を捨てるのは悟りを得てはじめて可能なことです。

 

悟ることで人間が完成されてしまうわけではない。

悟った後にもまだまだ知らなければならないことをある。

 

人間の意識は物質界を離れても存在しています。

五感を超越してより純粋な自我へ向かうように、人間の意識は進化しています。

悟りは通過点です。

 

1 悟りとは、相対界と絶対界の狭間で、魂を認識すること。つまり主客分離の状態から主客統一された「知る」だけの状態を認識すること。

2 次に、過去の様々な記憶や習性になってしまった観念的な行為を消去(浄化)しつつ、純粋意識を体得していく段階

自然の摂理によって生かされて存在していることを確信し、その自然法則に則った生活をすることが大切だということを気づき実践する。

3 最終段階では、体得すべき自分もいない状態、語るべき何者も存在しない状態へと至る。

 

仙道における導師による引導

受け入れの準備の整った弟子へ、師のもつ氣を送りこむのが引導です。

師とは、宇宙意識を感得した者で、大周天のように、氣の周流が、全身から天地、宇宙へと拡がった体験を持つものに限られます。

機会を与えられたら、神性なる宇宙エネルギーとの交流を感じることができます。