真空の中身の正体とは
自然界には完全な真空は存在しない。
たとえば星と星の間でも13cmに1個の水素原子が存在する。
対してミクロの世界である原子核と電子の間は完全な真空だといえるが、現在の物理学ではこのような空間には「素粒子」が満ち溢れていると考えている。
宇宙空間からわたしたちの体の中や細胞の原子にいたるまで、素粒子が突然現れては消えていく。つまり無と有の区別がはっきりつかないというのが実際のようすである。
1つの粒子が複数の場所に共存するということは、Aという場所に存在している状態、Bという場所に存在している状態など、さまざまな状態が同時に多数(一般には無数)「共存」している。
日常生活では、もし、ここに1つのボールがあればそれはAという人の手の中とBという人の手の中に同時にあるということはありえず、どちらかにある。このような事実から思考パターンを構築して、物事を判断する基準としてこれをミクロの世界にも適応すると19世紀までは考えていたが、事実は上の図のように電子は一つの粒子ではなく雲のように広がり位置は不確定であった。
これは電磁波の波にも同じことが言え、波は1つだけの振幅(波の高さ)で振動しているわけではなく、さまざまな振幅の波が共存していることが明らかになった。
水飴のような真空
ヒッグス粒子が満ちた真空は、水飴に似ている。
ヒッグス粒子は素粒子を動きにくいようにしており、この「動きにくさ(加速しにくさ)」のことを質量と呼ぶ。
しかし初期宇宙の真空ではヒッグス粒子は水飴の役割を果たすことができなかったのは、すべての素粒子は質量が0であったか、素粒子がなかったのか、ヒッグス粒子がなかったのか、と推察できる。
その後真空の相転移がおき、ヒッグス粒子は水飴のはたらきをするようになる。
私説
ダークマターを熱がカタチとなった素粒子よりも微細な物質で、パーリ経典のいうbhūtaだと仮定すると、
初期宇宙では、ダークマターにまだならないダークエネルギーdhammāの状態であったので、あらゆる素粒子がまだ構成されていなかった。
真空のエネルギーの源はなにか?
素粒子の定義
このような常識が通用しない事実の世界に入り込むためには、まずは素粒子とは何かを確認しておく。
素粒子は、エネルギーの塊のことなので、素粒子とエネルギーはたがいに変換が可能である。
素粒子は、粒子であると同時に波である。
素粒子は、位置と運動(速度)を同時に決定することができない
素粒子は、時間とエネルギーを同時に決定することができない
一方を正確に決めると他方があいまいになる。
たとえば位置を決めれば速度がわからなくなる。逆に速度を決めれば位置がわからなくなる。
電子がある特定の位置にあるとすると、次の瞬間には電子が全空間に広がってしまう。
したがって、電子が存在する位置を、原子のようにある程度限定された領域にとどめておこうとすれば、一点に固定させるのではなく、最初から共存するある程度の広がりをもって想定しなければならない。そうすれば共存する各状態がたがいに影響を及ぼし合って、それ以上広がらないようになる。
この性質を不確定性原理と呼ぶ。
換言すれば、ほんの一瞬であればエネルギーの量が変動しうるが、平均値は一定である。
私説
粒子であると同時に波であるとは、宇宙に遍くdhammāが塊になるとgatiになり、そこに動きがあると波動になり、gatiがお互いの力で引き合う時にはbhutaという粒子になる。
「場の振動」で真空と素粒子を考える
場の量子論では、素粒子を場の振動によってあらわす。場が大きく揺れた時はエネルギーがたくさんあり、素粒子が存在している状態である。対してエネルギーがなくなると場の振動はおさまり、素粒子がないと考える。
この場の振動がおさまった状態が「真空」と定義される。
ただしこの真空が本当に何も存在しない「完全な真空」なのかどうかについては議論はしない。
真空の状態でも素粒子が沸き立っていると推測されるが、観測できないものなので、量子力学では、素粒子が存在する状態と真空との違いをエネルギーの差で表わすことに終始する。
19世紀までは、たとえば光子が0で、振幅が0という波がまったくない状態がエネルギーも最低だと考えていたが、20世紀からは量子力学が発見したことは、もしある瞬間に振幅が完全に0だったら、次の瞬間にはすべての振幅の波が共存することになる。
微小な振動の波が共存していることを認めずに、振動0を仮定してしまうと、それは予測もつかない莫大なエネルギーの潜在力を想定しなければならなくなる。
そこで最初から微小な振動の波が共存することを前提にすることで、波がお互いに影響を及ぼし合って、振幅がそれ以上大きくならないように働くことになる。
この微小な波のことを「ゼロ点振動」と呼ぶのは、振動0である状態の周辺にはわずかに振動している、という意味である。
たとえば光子がまったくない状態とは、電磁波の波がまったくないのではなく、この量子論的なゼロ点振動が充満している状態なのである。
そしてこれは光子に限ったことではなく、電子にしろ陽子にしろ、すべての粒子のゼロ点運動が、この空間には充満している。
無の空間で沸き立つ素粒子たち
誕生しては消える粒子のようすは、不確定性原理によって一瞬だけ存在することが許される粒子である。
対生成の際には「粒子」と「反粒子」のペアが誕生する。誕生した粒子のペアは即座に衝突して対消滅する。
この沸き立つ素粒子の寿命は10−22秒(1兆×100億分の1秒)はあまりにも短いため直接に観測することができないので、仮想粒子と呼ばれている。
しかし実験によって存在は間接的に証明されている。カシミール効果の実験。
なお、原理的にすべての種類の素粒子が誕生しうる。また、素粒子だけでなく、陽子や中性子といった内部に構造を持つ粒子も対生成と対消滅をくりかえす。
10−20秒程度の時間では物質はある、ないという存在自体も定まらない。
何もないはずの真空中でも、2つの粒子はペアになって生まれたかと思えば、すぐに消滅する。
現代物理学では、このような真空のことを「沸き立つ真空」とよんでいる。
対生成・対消滅がおきる理由
時間と空間の関係、また運動量とエネルギーの関係は相関関係であることから、
ΔtΔE>h/2 t時間の長さ Eエネルギー でも不確定性原理は成り立つので、
時間の幅を短くすれば、エネルギーは不確かになり、さまざまな値をとることになる。
ほんの一瞬だけ許されたエネルギーを利用して素粒子が生成され、即座に消滅する。
逆に長い時間をかければ、エネルギーは限りなく0に近づき、概念としての真空の状態である「無」に見えるようになる。
原因は素粒子(物質)は、粒子性であり同時に波動性であること
素粒子はあるときには「粒子」のような性質をみせ、別の時には「波」のような性質をみせる。
概念的な「無」は概念の中でしか存在しないのだが、「無の空間」というと対生成・対消滅と粒子と波の2重の性質が想像されにくいので、「無」の代わりに「場」という表現を量子力学では使う。
対生成・対消滅を証明する実験がカシミール効果
2つの物体の間には万有引力がはたらくが、その引力よりもはるかに強い力がある。
これから説明するカシミール効果によってみられる強い力は、引力とは違い金属板の重量とは無関係の力が叩いているからである。
真空でもゼロ点振動があるので、ゼロ点振動のようすがわかれば、そのエネルギーもわかる。
1948年にオランダのカシミールはその変化を計算した。そして金属板の間隔がせまいほど、ゼロ点振動による真空のエネルギーが小さくなること示し、この予言された現象がカシミール効果である。
金属板に挟まれた限られた空間では、ある特定の波長しか存在できない。金属板の表面では波の振幅が0になるので、金属板に挟まれた空間でちょうどそのような形におさまる波長しか存在せない。
このため限られた仮想粒子しか存在できず、この空間内の仮想粒子の数は少なくなる。
一方で金属板の外側の空間では、そのような制限はなく、どのような波長の仮想粒子でも存在できる。
この数の差が、金属板の間と外側とでエネルギーの差を生み、引力(カシミール力)として現れる。
この実験は、仮想粒子の対生成・対消滅の証拠を示すものであると同時に、真空がエネルギーをもつことを証明する実験でもあった。
ロスアラモス国立研究所のラモロウの実験で証明されたのは1997年になってからである。
真空の正体 すべての物質のもとをたどれば真空に行き着く
19世紀までは真空とは「何も存在していない空間」と日常生活の常識では定義されていた。
しかし現代物理学では、真空が無から物質をつくりだすという性質をもっていることがわかっている。
真空から素粒子を生み出す加速器実験
加速させた電子を金属のかたまりに打ち込むと金属原子の中の空間で、電子は高エネルギーのガンマ線を放出する。このガンマ線と高速の電子のガンマ線がぶつかると、陽電子と電子のペア(対生成)が誕生する。
もともとなかった陽電子と電子のペアを真空から拾ってくる。
「場」における磁力や重力
物理学が考える「場」とは、空間そのものがそなえもつ性質なので、磁場は「無の空間」のあらゆる場所に存在している。
磁力線は磁場の状態をえがいたもので、磁石が置かれると、その近くでは、磁場の状態の変化が光の速度で周囲へと広がる。
ポイントは他へ与える磁力や重力の影響は、磁石そのものではなく、磁場からであるということである。
たとえば、もし太陽が急になくなったしても、重力場によって、8分間(地球までの光速時間)は、地球は太陽の公転軌道を回り続ける。
「場」によって素粒子というものが存在する
素粒子とはモノではなく、場におけるエネルギーが集中することによって1つ2つと数えられる状態になる「こと」を指して、そのようによんでいる。
固い粒のようなイメージの素粒子は実際には空間を満たしている「場」が示す状態の一つにすぎない。
素粒子というものは、「無の空間」に広がる「場」から生みだされている。
電光掲示板のように、点灯する場所が移っただけなのに光の点が移動するように見えるのと同じように、実際の素粒子の運動も「固い粒」が動くのではなく、「場」の中でエネルギーの集中した場所が移り変わっていくだけである。
このように空間を満たす「場」が主役であり、素粒子は「場」の状態の特殊なかたち(エネルギーが集中した状態)にすぎない。
この世は電磁波
磁力の場である磁場と電気力の場である電場をセットにしたものを電磁場とよぶ。
電磁場の特徴は、磁場と電場が互いに相手を揺り動かしながら波のように伝わること。
光の正体が電磁波であることをマックスウェルは解明した。
どんな物体もその温度に応じた電磁波を放出している。
数式から生まれたカラクリがヒッグス場
力が素粒子によって伝えられるようすを方程式で書きあらわすには、力を伝える素粒子の質量が0でなければならない。そうでなければ理論が破綻してしまうからだ。 どの理論?
ところが、弱い力がウィークボソンによって伝えられているとすると、それには大きな質量があることが、加速器の実験でわかっていた。このままでは弱い力の理論を完成させることはできないので、矛盾をやり過ごすためのカラクリとして考え出されたのがイギリスの物理学者ヒッグスによって考案されたヒッグス場である。1964年のことである。