不思議体験のメカニズム
不思議な体験とは、日常で認識している感覚のパターンには当てはまらない現象のことをいう、とする。
すると、このような体験には2つの可能性がある。
現象(認識される対象)がいつもと違うパターンで変化したのか、もしくは主体(わたし、現象を認識するもの)がいつもと違うパターンで認識しているかのどちらであろう。
このエッセイでは、「わたし」の認識パターンがいつもと違うケースについてスポットライトを当てる。
脳がちゃんと働いていないケース
通常は五感からの信号や学習した記憶を心(マインド)で処理して、様々な判断をくだしている。
このマインドの処理は大脳皮質を中心に大脳辺縁系や小脳や脳幹で行われており、ちょうどコンピューターのビットと同じように二分法をベースにしてオンとオフの組み合わせであらゆる信号を形にしている。
例えばハードディスクの中身は0と1をベースにした信号の集合体であるように、
例えば遺伝子が塩基配列の組み合わせでできているように。
ところが、何かの理由でこの認識するというシステムが使えない時がある。
この時に「不思議と呼ばれること」が起こる。
では不思議体験をしたい場合はどうしたらこの何かを意図的に起こすことができるのだろうか?
これを具体的に考察する前に、果たして大脳以外の感覚などあるのだろうか?
答えは簡単に、ある。
難しい実験などをしなくても、これまでの生物史や窓の外を見てみればいい。
松の樹や海のホヤや見えない微生物たちは、どれも目や耳や鼻や脳(神経管)を持たないのに、環境の変化に反応して生きている。
反応しているのだから、五感や脳ではなく間違いなく他の方法(媒体)をつかっていることは推定できる。
たとえば走性taxisや屈性tropismといって、ミドリムシや植物は光を当てると目がなくても光源に向かって移動しようとする性質がある。
その他にも刺激となる圧力、化学物質、電流、重力、水、湿度、空気、磁場、温度、接触に対しても生物は感覚器官を使わずに反応することはわかっている。
つまり感覚器官や脳がなくても、生物は外からの信号を受信してそれに無自覚であっても反応しているということだ。
これらの感覚と反応は脳からみれば不思議体験となる。
誰もが持っている感覚なのだけれども、五感と脳を使った認識では認識することができないからだ。
この走性とは何かを考察していくと同時に、どのようなケースで私たち人類の大脳がちゃんと機能していないTPOを考えてみたい。
大脳がちゃんと機能していないのはどんな状況のときだろうか?
過度に集中している時
興奮している時
落ち込んでいる時
疲れている時、
他者と一緒に行動している時、
精神病の時、
化学物質に影響を与えられている時
意識喪失の時
瞑想している時
大脳による認識、すなわち主体と対象物というようにまずは「わたし(自己意識)」という基準を固定化することから始まり、次に「わたし」は対象物にスポットライトを当てて、明るくなった部分を次々に分けていき、その別れた部分に名前をつけることを理解した、と呼んでいる。
しっかりと理解したい場合には、この名前をつけた集合体の共通点を見つけ出し、これを法則化(一般化)することで満足することもある。
このように、まずは2つに分けることによってこの世を理解できるのだけれど、上記の場合では、その基準である「わたし」がちゃんと働かなくなっているTPOなので、いつものように大脳認識ができなくなってしまっている。
だから不思議体験を体感をしたい場合は、できるだけ大脳がちゃんと機能しないようにしてあげることで実現できるわけである。
後はどのような手段で大脳が機能しないようにするかは、個々の好みとなる。
ただし大脳が機能していない時に実際に不思議体験をしていても、それを自覚や記憶ができないのであれば、それでは体験とは言えない。
ここで少し難しい問題がくる。
不思議が体験できる時空
いつもと違う体感を、いつもの認識で理解することが、不思議体験では必要になる。
大脳が機能していなくても不思議体験を自覚しているという、一見すると矛盾したようなTPOを創出することだ。
睡眠中に夢を見たのに、それを思い出せないような感覚がある。
これは体感をしているのだけど、体験をしたとは言いづらいように。
夢をイメージ化や言語化するのは、それほど難しいことではないが、できない時には何度も練習することでできるようになることもある。
では、どうしたら睡眠中の意識(夢)を自覚していられるのか?
どのような状態の時に夢をイメージ化や言語化できるのか?
夢の最中では自覚とは言えないし、目を覚ましてしばらくすると忘れてしまう夢も多い。
この夢を自覚して言語化できるのは、夢と目覚めの「間」のみである。
2つの間でしか、自覚できない。
はじめはほんの一瞬かもしれないが、これは訓練することで、その間を伸ばすことはできるし、それによってより一層と明確な気付きとなる。
自覚できないものは不思議体験ではなく、なんとなく経験した不思議な感覚で終わってしまうが、
自覚できればそれはもうあやふやな気持ちではなく、確固たる体験になる。
自覚と不自覚の間、意識と無意識、表層意識と深層意識の間、この世とあの世の間である。
不思議体験の内容
不思議な体験で数が多いのは、微細な対象(生気、オーラ、チャクラ、粗雑元素、微細元素、微細体、原因体)との接触であり、自己意識とそれ以外のすべてのものとが繋がりを感じることであり、大いなるものとの一体化の実感である。
これはどのレベルの意識を主体にするかによって、感じることができる対象のレベルも変わってくる。
具体的な対象とは、上記の微細なものたちで、感じるとは交流することである。
時にはこれまでに聞こえなかった声(波動)が感じられたり、結びつかなかった関係性を感じることがある。
たとえば、
夢の中ではこれまでに一度も結びついたことのないものが同時に現れたり、
これまでに気がつかなかった背中の痛みを感じたり、
病気の時のように脈拍に敏感になって、その鼓動を感じ続けていたり
経絡にあるツボを触るとそこから離れた体部が緩んだり、
などいろいろなことがある。
共通点はどれもが、これまでに気づかなかったものとの繋がりである。
不思議体験の手段
ではどのような方法を選択するのか?
自分の躰のマスターは自己意識であるので、
そこが好むものを試すのがいい。
大脳へのエネルギー(血液、酸素、機能)を減らす
持久運動 ハイキング、キャンプ、持久走、読経、
大脳の二分化する機能を減少させる
陶酔 死、酒、ドラッグ
ボーとする 温泉、白昼夢、天体観察、ハンモック、草むしり
「いま・ここ」に集中 催眠術、瞑想
他者との合同行動 観劇、観戦、祭、セックス、合気道
大脳の外にある器官にまかせる
弛緩 マッサージ、体操、太極拳、ヨガ、調息法、気功、霊視