11 有時 第二十
量子力学はここから始まっている。
オリエンテーション
時は、幾重にもかさなってる。
太陽と月の昼夜の時間もあるし、
時計が刻む時間もあるし、
潮汐の波動が繰り返す時間もあるし、
時間と空間が一体になっている相対的時間もある。
そして光速を超えた時間もある
上層では
時を生み、
時を刻み、
時を過ごし
時を経て、
時は流れている
中層では、
時を見て、
時を忘れ、
時を拒絶し、
時をさかのぼり、
時と共にいて、
時に包まれ、
時に融ける。
深層では
「一つにつながっている世界」には決まったカタチも刻まれた時もない。
この「空」の世界から、時がカタチと共に流れ出て、この分断された世界が誕生し、そしてまた消滅している。
この一瞬、一瞬に。
意識と時(有時)が出合うとカタチが生まれる。
この世には、時を分断して過去・現在・未来に流れる時間と共に、「空」から一瞬だけ顕れて、次の一瞬にまた「空」に戻る時がある。
これを有時という。
その人の意識と結びついた有時は「空」からカタチを引き出す。
有時が存在を創り出すのである。
有時そのものがすでに「ある」のだから。
時の思想の四分類 古代より哲学・宗教思想の時間の捉え方はおおよそ4通り。
ものごとの前後関係で時を見る
線上を流れる
波動を描く
点の集まり
植物は種から芽を出し、葉をつけ、花を咲かせ、実がなり、枯れる。
芽から種はできない。実から花は咲かない。
順番に並べると時がみえる。
直線的な時間世界は脳が創り出した。
循環している神話的時間の一部だけにスポットライトをあてて枠をつくり、天地創造から終末をゴールに向かって直線にしてみた。
すると時間は、過去・現在・未来と直線的に進んでいく。
後に直線的な時間は変質したダーウィンの進化論とも手を結び、社会が時間とともに進歩・革新し高次元の社会へ移行する、という宗教を生み出した。
現代の資本主義の根幹にあるのは直線的な時間世界である。
そして神話的な循環的な時間世界。
円の動きに時が加わると波動になる。
ギリシア・ローマ時代の様々な文献にもその考えが現れている。
仏教的な輪廻転生の考え方もまた時の流れは円と波動を描いている。
農民や猟師や漁師もこの時間の中で暮らしている。
そして時間を点で捉えて論じたのが道元。
原始仏教では現在のみが存在する時であり、過去も未来もそれは仮の姿とする。
「過未無体」という考え方に詳細な解説をつけたのがこの有時の巻。
いまでいうと「いま・ここ」の考え方で、古今東西の瞑想、祈祷、儀式で大事にされている時との接し方である。
道元にとって「有る時」は、時間の流れの中のある一点を切り取った「或る時」を指すのではない。
すでに時が存在そのものであり、存在するものはすべて時だと言う。
意識と有時が結びつくことでカタチが生まれ出ると道元は言う。
「わたし」が主体的に意味づけすることによって「時(有時)」がカタチを作る。
そして分別されたこの世界を五感器官は認識することができるようになる。
「時」によってカタチになる。
「時」があることで、カタチができる。
カタチは「時」だとも言える。
だから自分自身が「時」そのものではないかと道元は説く。
「わたし」が「する」ことで顕れ出るのが「いま・ここ」の世界。
これを道元は「有時の而今(じこん、にこん)」と呼ぶ。
有時は自分の外側を流れる時計の時間ではなく自分(意識と内臓器官)の内側に存在するもの
「わたし」が認識してはじめて「時」がこの世(カタチ)を現れせしめる。
光速をこえる時間
「量子のもつれ」と呼ばれる現象がある。
アインシュタインを始め、多くの量子力学者によって議論されてきて、現在では世界各地の実験で計測されて証明されている事実である。
この現象は、相対性理論では光速よりも速いものはこの世にはないと定義されていたが、「量子のもつれ」は少しの遅延もないことから、光速を超えているデータが積み重なる。