58  坐禪儀  第十一

 

 

行為の在りようが存在のありかたを決める。

ならば、その行為をぎりぎりに絞り込んだら、存在は解体するのだろうか?

 

オリエンテーション

坐禅という身体技法を用いると、身心状態が大きく変化する。

自己/他者、内部/外部、上下左右などの感覚が崩壊する。

さらに進むと視覚・聴覚などの感覚が融合してきて、自意識が無効の状態になる。

つまり、言語によって分節され、秩序づけられた自己や世界に対する了解を喪失する。

この身心状態をどのように論じるかが問題となる。

 

日常生活を強力に拘束しているのは視覚などの五感活動や感覚のタグや固定化されたイメージや合理性や思考や条件反射の自動回路である。

その対極にある行為が坐禅である。

目的がなく、掴むものがなく、息が一定である。

坐禅は快・不快の感覚と条件反射と言語と思考を限りなく静止へと導くテクニックである。

停止状態に直面する行為である。

停止ではない。停止は睡眠か気絶かクスリか死である。

完全に休息することだ。

そうすれば、そこに浮かび上がってくるのは・・・