6 即心是仏  第五

 

道元の言う「心」は一般的なココロではない。

仏道の教えでは、山を心臓で感じると、そこには風もないただ山だけがそこに「ある」ことになる。

ナンノコッチャ?

 

オリエンテーション

普段に私たちが使っている心の意味は英語でいうマインドのことです。

脳で相手や状況や対象のことを考える、ことをいいます。 

 

また「心ある」と言う場合は、他に対して思いやりがあり、情理を共有することを意味しています。

英語で言うシンパシーsympathyでギリシャ語の語源は、痛みを共有することです。

ラテン語ではcompassionです。

 

心とは理性や感情を理解するだけなのでしょうか?

 

道元は「即心即仏」という語句を解体されて、その上で、個々の「即」「心」「仏」を新たに解釈し直すことで、これまでの解釈のパラダイムを変更します。

 

道元のいう「心」はマインドやシンパシーだけではなく心臓をも含んでいます。

「心」を意識の表層にある自己意識だけに限定させずに、その奥底にある身体(器官としての心臓)や最奥にある「いのち」の領域まで含めて「心」と呼んでいるのです。

 

マインドは脳を使うので、「わたし」と対象物があることから始まる二元論ですが、

心臓には二元論は通用しません。

この器官は収縮と伸張を波のように繰り返すことで機能し、この波動に共鳴することで、感じることができる世界があることを私たちに伝えようとしています。

例えば、脳のないミミズは消化器官で、心臓のない桜の木は幹で、環境に対応しているように。

脳がなくても生命体はちゃんと生きているのです。

 

 

道元が言っているのは、この世から抜け出るものではありません。

「是」と指示される眼前の世界とは、それ自体で消えたり現れたりするものではありません。

 

しかし、いつも何かによってカタチは消えたり現れたりします。

自己意識で見ると、そこに因果関係があるように見えます。

しかし、行為(心臓で感じると)をすると、行為に対応しただけの世界が出現します。

ここで、自己意識で見る世界が虚妄(バーチャルリアリティ)であって、心臓や「いのち」で感じた世界のみが実在すると言っているわけではありません。

「心」は奥が深いのです。

脳機能による主客の二元論もあるし、マインドと身体との間には壁があり、それは器官としての心臓です。

この心臓には、二元論は通じず、身体の器官として大自然の法則のもとで活動しているので、「わたし」が入り込むことはないので、作為や計らいやそこから生じる煩悩が関わることはありません。

そして腸のように、微生物(他者)と一体になることで、私たち生命体は「ここ」にいることができるわけです。