第九十二 生死  別巻第四     

 

生死をあるがままに見ることができれば、生きている間はまだ死んでいないし、死んでしまえば生きていないので考えることもないので、生死そのものが消滅します。

生死があると思って、生死を克服しようと思わなければ、迷わなくてすみます。

迷うのはなんとかしようと思うから。

 

オリエンテーション

生が死になる、生の後に死がくる、という見方がある。

また死の後に再生するという見方もあります。

これは頭の「わたし」が思う特徴です。

大脳皮質のシナプスのオンとオフを積み重ねて判断すると、死んだ後に新たに生まれかわるように思えることもあります、冬の後に春がくるように。

しかし、死んだものと同じものが再生することはありません。

 

次に、川は生き続けているので変わりがないように見えますが、実際に岸に立ってみると、目の前の水は常に違うもの変わり続けています。まるで目の前の水が一瞬で去り、新たな水が一瞬でやってきます。

この2つの水は同じようにも見えますが、よく觀てみると、浮いているもの、バクテリア、ミネラル、魚、藻、砂と成分は違うものです。

 

このように「瞬間」で生死に接してみると、脳とは違う体感ができます。

たとえば、ヒトの体では一秒間に500万の細胞が死に500万の細胞が生まれている。

「生」と「死」が同時に両方あってこそ、生命体ははじめて「この世」に在ることができる。

常に消滅し続けることで、常に生成し続ける。

常に生成し続けることで、常に消滅し続ける。

2つが同じ数とスピードであることでしか、「この世」でカタチは存続することはありません。

 

「生」が「死」になるのではなく、「生」と「死」はセットのように別々ではありながら一体であることで、私たちはここにいることができます。

 

「この世」にカタチとなって現れ、ある期間が来ると元の「一つにつながっている世界」に戻っていきます。

どのカタチも瞬間瞬間に姿を変えています。

「一つにつながっている世界」と「分別されたカタチの世界」を行き来するのが、「いのち」の役目であり力です。この「いのち」が遍くどこまでも拡がっいる。

瞬間瞬間に「生」も「死」も2つの世界を行き来して、その度に新しい生と死になります。

同じ動きなのに、、あるものは「生」と呼ばれ、もう片方は「死」と呼ばれる。

 

この世にいるためには、死は生と同じく大切なものです。呼吸は吸うだけではなく吐くことも大切なように。

それを生の後に死が来るというように2つが時間の前後で変化するものに思ってしまうと、意識も無意識も生を渇望し、死を嫌悪するようになります。

すると、感覚でも、思考でも、死を遠ざけるという条件反射の回路を自動的に作成してしまいます。

すると、死を取り入れることで、ちゃんとここにいることができるようになっている宇宙なのに、「わたし」という思考で生を捉えると、死を取り入れるのではなく、逆に排除しようとして宇宙の法則に反するので、ますますこの世にいづらくなるという現象が起こります。

生を望んでいるのに、反対に生きづらくなっていくのです。

これが生に対する執着と呼ばれるものです。

 

頭で見るのではなく心と身体で体感しよう。

脳だけの「わたし」で思うのではなく、ありのままを眼で見て、躰からの聲をき(貞)こう

 

心肺・胃腸の内臓と意識することも忘れて、すべてを佛(宇宙)に任せて、佛(正法)のおこなうことに従うときに、自由意志も筋力も使わないのに、分別の生死ある世界から離れて、「自分(意識と無意識、脳と内臓)」は佛(宇宙摂理 ダンマ)の一部になっている。

 

 

電子を顕微鏡で觀てみると

原子の周りを電子は廻っています。

質量は9.10938356 × 10-31 キログラム

大きさは10-35m

スピードは真空ならば299792458 m/s

 

この電子を観てみると、ある時はカタチがあるのに、ある時にはカタチがないのです。

次は何処で消えて、何処で現われるかは、わかりません。

ただ確率で言うことしかできません。

でも消えることで、次が現れます。

電子がここにあるためには、一度は消えることによって、次のカタチになります。

 

また電子は粒であり波であるという二面性を持っています。

また電子は原子の周りをスピンしているのですが、右回転と左回転を同時にしている、というのです。

上記のような二面性を「重ね合わせ状態」と言います。

常識では意味がわからない現象ですよね。

ある条件のもとで、右回転と左回転の電子が分離した場合でもその性質は残存するので、片方の電子が右回転だとわかると、分離した電子は左回転だと瞬時にわかります。

これを「量子のもつれ」と呼びます。

この原理を使うとテレボーテーションができ、カナリア諸島ではこの実験が成功しています。

 

これを別の言い方にすると、

「一つにつながっている世界」と「分別されてカタチのある世界」を常に行き来することで、電子は運動し続けています。

そして、カタチに現れた電子が「一つにつながっている世界」に戻った後に現われる電子は、同じ電子と言っていますが、もう先程の電子とは別物です。

カタチは常に変化しています。