39 道得 第三十三

 

 

本文研究

 

佛は道得なり。このゆゑに、佛祖の佛祖を選するには、かならず道得也未(どうてやみ)と問取するなり。この問取、こころにても問取す、身にても問取す。柱杖拂子(しゅじょうほっす)にても問取す、露柱燈籠にても問取するなり。佛祖にあらざれば問取なし、道得なし、そのところなきがゆゑに。

 

諸仏である、ということは「言い得る」ことだ。

何を?

「一つにつながっている世界」のありようを。

これが何事か言い得ると佛の存在は現成する。

「一つにつながっている世界」は、言語の手前にある。

 

ここを誤解して、「手前」の領域を「言葉で言い表すことのできない真理」などと過剰一般化すると、「言えない真理」という観念が、人間の認識を超えた「絶対の真理」と同義になって、議論のコンテクスト(文脈)に入ってくることになる。するとこの「真理」はそれ自体として「絶対」に存在するものであるゆえに、そのものとして言語化されなくても、部分的には言語化できるし、言語かとは異なる形で認識されることもある。

たとえば修行して「言語を超えた真理」を悟らなければならない、という話になりやすい。

これを正法眼蔵は拒否する。

 

「悟り」という観念では縁起の次元を実体化できない。

正法眼蔵が主張するのは、「言葉にできな真理」なるものがあったとしても、それは「言い得る」という可能性に賭けて、言い切り・言い直し・言い続ける不断の意志と努力に対する、抵抗・圧力としてしか現前しない、ということだ。

縁起の次元は決して言語に定式化されないが、言語化の土台として自らを指し示す。そして縁起の次元についてなされた言説を不断に裏切り、更新することにおいて、言語化の「手前」の領域を我々は受け止めなければならない。これが「道得」の主題である。

 

眼の前にある柱を「いまここ」で現成させている(縁起の)次元から言い直してみろ、迫っている。

 

 

見得すなわち承当(A悟)

証究すなわち無上菩提  打坐のところにすでにずっと成り立っていたもの(C悟)

道得した悟り(D悟)

 

不道得というC悟を庵主は道得(A悟)しているから、「不道」という身体表現(D悟)を示すのである。

それは何も分からなくて(A悟なし)、ただ叢林に雲水として坐禅して居るというのとは、やはり違う。

道元の只管打坐は、十年五年という時間の長さが問題だったのではなく、〈而今の大悟は、自己にあらず、他己にあらず、・・いはくの今時は人人の而今なり。令我念過去未来現在、いく千万なりとも今時なり〉《大悟》という、今ここのありかたではなかっただろうか。

 

それゆえかつては〈あはれむべし、十方の叢林に経歴して一生をすごすといへども、一坐の功夫あらざることを〉《坐禅箴》と嘆いて、ただ坐禅すればいいのではなく、どのように打坐を功夫し、証得し道得するかを、問題として突き付けたのだ。

 

ところがこの《道得》巻は、不道が道得として強調され、加えて一生不離叢林が道得とされることによって、本来の道得(A悟およびD悟)の必要性が根こぎになってしまった。

これでは坐禅であればなんでも道得になってしまう危険性がある。

また黙照邪禅と、《辨道話》でいう信の坐禅と、どのように人は区別 することができるのか。

いったい道得(A悟)なくして「さとり」(C悟)は本当に伝えられるのだろうか。

 

ところで道元がD悟において使用したテキストは、祖師の語録だけではなく、経論も含まれる。

それは道元の伝えたものが禅宗ではなく、仏法の全道だという問題を前面 に押し出す。

 

 

その道得は、他人にしたがひてうるにあらず、わがちからの能にあらず、ただまさに佛祖の究辨あれば、佛祖の道得あるなり。かの道得のなかに、むかしも修行し證究す、いまも功夫し辨道す。佛祖の佛祖を功夫して、佛祖の道得を辨肯するとき、この道得、おのづから三年、八年、三十年、四十年の功夫となりて、盡力道得するなり。

[裡書云、三十年、二十年は、みな道得のなれる年月なり。この年月、ちからをあはせて道得せしむるなり。]

 

言語とは縁起の存在を「実体化」するのがお役目なので、ちゃんとその通路が開かれているかどうかが大事である。

佛祖がそれを徹底して究明するならば、そこに「道得」がありうるはずだ。

主語が佛祖?

 

言語によってそれ自体で存在するかのごとく構築された世界を、行為において担われる縁起の次元まで一度は解体して次にこの次元から生成し直そうとする営みで、それは言語の更新による世界の再編成の過程でもある。

縁起の教えを体得する者が、先立つ先輩の修行に取り組み、その道得を納得したならば、この先輩の道得はさらにその後の修行として展開し、結果、ここに新たな「仏祖の道得」が可能になる。

 

このときは、その何十年の間も、道得の間隙なかりけるなり。しかあればすなはち、證究のときの見得、それまことなるべし。かのときの見得をまこととするがゆゑに、いまの道得なることは不疑なり。ゆゑに、いまの道得、かのときの見得をそなへたるなり。かのときの見得、いまの道得をそなへたり。このゆゑにいま道得あり、いま見得あり。いまの道得とかのときの見得と、一條なり、萬里なり。いまの功夫すなはち道得と見得とに功夫せられゆくなり。

 

不断の言い直し、言語化の更新が修行そのものである。

「いまここで」認識されているということは同時に言語化が遂行されていることである。

この2つは万里の隔たりを一貫している。

 

この功夫の把定の、月ふかく年おほくかさなりて、さらに從來の年月の功夫を脱落するなり。脱落せんとするとき、皮肉骨髓おなじく脱落を辨肯す、国土山河ともに脱落を辨肯するなり。

把定: 縁起の次元の認識と言語化を実現すること

 

一般常識での認識と言語化の方法を脱却するときには、それまでの認識や言語化が仮設した主体の在り方を脱却(皮肉骨髄)を脱却することであり、同時に対象の在り方(国土山河)からも脱却しようとすることである。

 

このとき、脱落を究竟の寶所として、いたらんと擬しゆくところに、この擬到はすなはち現出にてあるゆゑに、正當脱落のとき、またざるに現成する道得あり。心のちからにあらず、身のちからにあらずといへども、おのづから道得あり。すでに道得せらるるに、めづらしくあやしくおぼえざるなり。

 

繰り返しなされる脱却こそが、究極的な縁起の次元の現前なのであり、そこに向かって修行に努力することで、修行の仕方(擬到)に応じて、自己と対象が新たに構成され直していく。まさに脱落がなされたときには、そこには必ず、自覚として、新たな「道得」が現成する。それは自ずから言語化されていく。当人からしてみれば特別奇特なことにも不思議なことにも思わないだろう。当然のことなのである。

 

しかあれども、この道得を道得するとき、不道得を不道するなり。道得に道得すると認得せるも、いまだ不道得底を不道得底と證究せざるは、なほ佛祖の面目にあらず、佛祖の骨髓にあらず。

 

縁起の次元は、言語化の絶えざる試みと不可避な失敗によってのみ現前する。

言い得ることだけを言い、言い得ないことを言わない。

言語化を遂行する修行に対してのみ、リアルに言語が現前する。

言語化することで言語化不可能な領域を現前させる。

自らの言説を自ら裏切りつつ展開していく弁証法である。

 

Dialektikの訳語。ヘーゲル哲学では、思惟の発展、またはその理論。思惟は矛盾を通して発展し、その発展の中で矛盾が止揚されるとし、正・反・合の三段階を経るという。すなわち、形式論理の抽象的、一面的な言明(正)を、それに対立・矛盾する否定言明(反)によって否定し、さらに両者を総合する第三の高次の言明(合)に至ろうとする思惟の運動様式。

 

 

しかあれば、三拜依位而立の道得底、いかにしてか皮肉骨髓のやからの道得底とひとしからん。皮肉骨髓のやからの道得底、さらに三拜依位而立の道得に接するにあらず、そなはれるにあらず。

言語化できない三拝は真「髄」とされているが、礼拝はたしかに非言語的手段であるが、直接かつ完全に表現することができない。近似しているが含まれているものではない。

道得は完結するものではなく、修行と言語化を繰り返し更新し続けることにおいてしか現前しない。

三拝という道得がさらに更新され続けるときに道得底が現成する。

縁起の次元の自覚は師弟の間でどう了解され伝えられるのか?

 

いまわれと他と、異類中行と相見するは、いまかれと他と、異類中行と相見するなり。われに道得底あり、不道得底あり。かれに道得底あり、不道得底あり。道底に自他あり、不道底に自他あり。

 

異類中行:まったく別なものの中に入っていくこと  如来が迷いの中に身を投じる慈悲行を意味する。

自らの「異類」たる「不道得」に挑戦し続けること。

 

自己と他者が、言語化の不可能な次元で、なお言語化を遂行する努力を通じて、縁起の教えを互いに理解し合うことがあるならば、それはすでに「かれ(師=縁起の自己)」と他者(弟子)が理解し合っているということである。

言語化によって、出会う師と弟子(自他)があり、言い得ないことによって出会う師と弟子がいる。

 

趙州眞際大師示衆云、你若一生不離叢林、兀坐不道十年五載、無人喚作你唖漢、已後諸佛也不及你哉(趙州眞際大師、示衆に云く、你若し一生叢林離なれば、兀坐不道ならんこと十年五載すとも、ひとの你を唖漢と喚作すること無からん、已後には諸佛も也た你に及ばじ)。 

しかあれば、十年五載の在叢林、しばしば霜華を經歴するに、一生不離叢林の功夫辨道をおもふに、坐斷せし兀坐は、いくばくの道得なり。不離叢林の經行坐臥、そこばくの無人喚作你唖漢なるべし。一生は所從來をしらずといへども、不離叢林ならしむれば不離叢林なり。一生と叢林の、いかなる通霄路かある。ただ兀坐を辨肯すべし。不道をいとふことなかれ。不道は道得の頭正尾正なり。

兀坐は一生、二生なり。一時、二時にあらず。兀坐して不道なる十年五載あれば、諸佛もなんぢをないがしろにせんことあるべからず。まことにこの兀坐不道は、佛眼也観不見なり、佛力也牽不及なり。諸佛也不奈你何なるがゆゑに。

趙州のいふところは、兀坐不道の道取は、諸佛もこれを唖漢といふにおよばず、不唖漢といふにおよばず。しかあれば、一生不離叢林は、一生不離道得なり。兀坐不道十年五載は、道得十年五載なり。一生不離不道得なり、道不得十年五載なり。坐斷百千諸佛なり、百千諸佛坐斷你なり。

しかあればすなはち、佛祖の道得底は、一生不離叢林なり。たとひ唖漢なりとも、道得底あるべし、唖漢は道得なかるべしと學することなかれ。道得あるもの、かならずしも唖漢にあらざるにあらず。唖漢また道得あるなり。唖聲きこゆべし、唖語きくべし。唖にあらずは、いかでか唖と相見せん、いかでか唖と相談せん。すでにこれ唖漢なり、作麼生相見、作麼生相談。かくのごとく參學して、唖漢を辨究すべし。

 

唖漢:話ができない者

 

一生修行道場を離れることなくひたすら坐禅する修行が行われているなら、そこには必ず「道得」がある。

言葉を発していないにしても、仏法の修行があるならば、そこには言語化が行われている。

他人に聞こえる言葉でなくても、少なくても修行者自身において言語化はなされている。

言語化のない修行はありえない。自ら問い考えることのない修行など修行でなない。

修行者の沈黙はいつか時が来れば、「道得」として爆発する。

 

雪峰の眞覺大師の會に一僧ありて、やまのほとりにゆきて、草をむすびて庵を卓す。としつもりぬれど、かみをそらざりけり。庵裡の活計たれかしらん、山中の消息悄然なり。みづから一柄の木杓をつくりて、溪のほとりにゆきて水をくみてのむ。まことにこれ飮溪のたぐひなるべし。

かくて日往月來するほどに、家風ひそかに漏泄せりけるによりて、あるとき僧きたりて庵主にとふ、いかにあらんかこれ祖師西來意。

庵主云、谿深杓柄長(谿深くして杓柄長し)。

とふ僧おくことあらず、禮拜せず、請益せず。やまにのぼりて雪峰に擧似す。

雪峰ちなみに擧をききていはく、也甚奇怪、雖然如是、老僧自去勘過始得(也甚奇怪、然も是の如くなりと雖も、老僧自ら去いて勘過して始得なるべし)。

雪峰のいふこころは、よさはすなはちあやしきまでによし、しかあれども、老僧みづからゆきてかんがへみるべしとなり。かくてあるに、ある日、雪峰たちまちに侍者に剃刀をもたせて卒しゆく。直に庵にいたりぬ。わづかに庵主をみるに、すなはちとふ、道得ならばなんぢが頭をそらじ。

 

この間、こころうべし。道得不剃汝頭とは、不剃頭は道得なりときこゆ。いかん。この道得もし道得ならんには、畢竟じて不剃ならん。この道得、きくちからありてきくべし。きくべきちからあるもののために開演すべし。

剃らないならば、それが言い得たということだ。

 

ときに庵主、かしらをあらひて雪峰のまへにきたれり。これも道得にてきたれるか、不道得にてきたれるか。

 

 

雪峰すなはち庵主のかみをそる。

この一段の因縁、まことに優曇の一現のごとし。あひがたきのみにあらず、ききがたかるべし。

 

 

七聖十聖の境界にあらず、三賢七賢の覰見にあらず。經師論師のやから、神通變化のやから、いかにもはかるべからざるなり。佛祖出世にあふといふは、かくのごとくの因縁をきくをいふなり。

 

しばらく雪峰のいふ道得不剃汝頭、いかにあるべきぞ。未道得の人これをききて、ちからあらんは驚疑すべし、ちからあらざらんは茫然ならん。佛祖と問著せず、道といはず、三昧と問著せず、陀羅尼といはず、かくのごとく問著する、問に相似なりといへども、道に相似なり。審細に參學すべきなり。

しかあるに、庵主まことあるによりて、道得に助發せらるるに茫然ならざるなり。家風かくれず、洗頭してきたる。これ佛自智惠、不得其邊(佛自らの智慧、其の邊を得ず)の法度なり。現身なるべし、説法なるべし、度生なるべし、洗頭來なるべし。

 

道得不剃汝頭の解釈 

この質問は、質問に似ていて質問ではなく、むしろ見解表明に近い。

弟子はすでに教えを体得しているから、修行による道得に助けられ、呆然とはならない。

彼の表現方法は、頭を洗ってくるという行為である。これは如来から自ずと発する智慧であり、まさに計り知れないほど偉大な模範である。まだに縁起の教えをその身によって示すことであり、説法であり、衆生済度であり、それが頭を洗って来る、という行為なのである。

ならば師の行為は「剃らない」になるはずだが、そうはせず頭を剃ったのか?

それは問題の所在が、剃っても剃らなくても真理なのだ、という考え方を却下するためである。

 

1禅師は道得ならば不剃と言う

2弟子は剃ってくれと頭を洗ったので不道得を意味する

3不剃が道得になるはずである。しかし禅師はそうせず

4剃ることで道得とした

5不道得→剃

6不剃→不道得

7道得→不剃→不道得

8不道得→剃→道得

つまり4の禅師の行為が、剃、不剃の行為を媒介に、道得→不道得、不道得→道得という図式を完成させる。

 

これは道得において不道得が現前し、不道得もまた道得され続けることでリアルに自ら示すということに他ならない。

だから禅師は4の剃ることで道得としたのだ。

もし禅師が縁起の次元を体得しない「絶対真理」派の人ならば、剃らなかったはずである。

 

ときに雪峰もしその人にあらずは、剃刀を放下して呵呵大咲せん。しかあれども、雪峰そのちからあり、その人なるによりて、すなはち庵主のかみをそる。まことにこれ雪峰と庵主と、唯佛與佛にあらずよりは、かくのごとくならじ。一佛二佛にあらずよりは、かくのごとくならじ。龍と龍とにあらずよりは、かくのごとくならじ。

 

禅師が縁起の次元を体得しない凡人ならば、剃刀を放り投げて、剃らずに大笑いしただろう。

 

驪珠は驪龍のをしむこころ懈倦なしといへども、おのづから解收の人の手にいるなり。

しるべし、雪峰は庵主を勘過す、庵主は雪峰をみる。道得不道得、かみをそられ、かみをそる。しかあればすなはち、道得の良友は、期せざるにとぶらふみちあり。道不得のとも、またざれども知己のところありき。知己の參學あれば、道得の現成あるなり。

 

正法眼藏道得第三十三

 

仁治三年壬寅十月五日書于觀音導利興聖寶林寺 沙門

同三年壬寅十一月二日書寫之 懷弉

 

 

 

 

 

 

参考資料

ウィトゲンシュタインの行為と存在     いのちLebensformと根拠の限界

一番の眼目は、坐禅が縁起を実現する行為であり、縁起の次元を開く。つまり行為が存在を生成する。

しかし、坐禅したから仏になるのではない。坐禅という行は証をうるためのものではなく、どれほど行じても証をえて仏になることはない。行そのものが仏だからである。行そのものが「空」と「色」の二つの世界の間にいる根拠だからである。最終的な根拠である。これをさらに根拠づける証はない。

ヒトが人間的行動をなぜおこなわねばならないかを示す根拠はない。

だから証を求めることをやめて行に専念せよという。

 

 

この根拠の確実性を探求したウィトゲンシュタインは以下のように言う。

「根拠を与えることや、証拠を正当化することはどこかに終りがある。・・・だがこの終わりは、ある命題が我々に直ちに真であると思われることではない。すなわち、言語ゲーム[われわれの、言語を用いておこなっている生活というゲーム]の根底にあるのは、我々の側における何らかの見ることではなく、われわれの行動なのである。」  「確実性についてp204

 

「たとえば私が、ある島への交通手段としてフェリーを用いるのと橋を架けるのと、どちらが適当であるか考えねばならぬとする。そのために私は橋の大きさを計算し、ここでフェリーよりも橋の方がいいというような見通しを立てることができる。またその他にいろいろのことができる。」

「しかし、どこかで、私は何かを承認すること、あるいは決断することをもって、始めなければならない」p146

 

どこかで判断を確実だと決断しなければ、どこまでいってもおよそ確実な判断などはありえない。

われわれにとってある判断が確実であるのは、われわれがそこに確実性を示す何らかの際立った対象的な特徴を見たからではなく、我々がそれを確実なものとみなし、決断しているからである。

他からの証ではなく自らの行動が確実性の根拠であると彼は言っているのだ。

 

「たとえばある計算をする時、われわれは一定の状況においては充分にチェックされたと見なす。何がわれわれにそのようにみなす資格を与えるのか?経験か?それがわれわれを欺くことはありえないのか?どこかでわれわれは正当化を終わらねばならない。そしてそのときに残るのは、われわれはこのように計算する、という命題である」p212

 

「正当化の最後に残るのは「このようにわれわれは考える。このように行動する。このように語る」『断片p309

これにはもはや理由がない。われわれの行動が確実性の根拠であり、それをさらに根拠づけるものはない。

 

ウィトゲンシュタインはこの行動を「Lebensform生の型」と呼ぶ

われわれはなぜこのように生きるのか、そのことにはもはや理由はない。われわれは理由を求めることをやめて、われわれの人間的な生の聲を聴いて、それを受け入れて生きる。

「受け入れねばならぬもの、与えられているものは、生の型」『哲学的探究p452原書p226

「原現象」p654として受け入れねばならないもの。

 

人間の生に理由を求めてはならない。だがそれが難しいとも言う。

「われわれの信念は無根拠であることに気づくこと。これが困難なのである。」『確実性についてp166

「難しいのは、始まりにおいて、始めること。そしてそこからさらに遡ろうと試みないことが。」P474

『ファウスト』を引用して「・・・そして確信をもって書く。【はじめに行動があった】」p402 

「生」を受け入れて行動するとき、初めて確実な世界が見えてくる。その逆ではない。

 

ヒトは根本的な原理や固定した原点を見出して、そこから始めることで何をしていいのかがわかり、自信をもって確固たる行動ができると信じたがっている。

こんな考えにとらわれている限り、いつまでたっても自分の行動に自信をもって一歩を踏み出し、それを専念することができないのである。

「生」には理由がないことを体感すれば、今の未熟なありのままの自分を引き受け、ちゃんと目の前のことに取り組んでいける。

同時に、哲学的な思弁によって見ることのできるような対象的な理由はないことを会得する。

そしてこの、「いまここ」では哲学は終わる。

「われわれが目指している明晰さは、もちろん完全な明晰さである。だがこのことはただ、哲学的な問題は完全に消滅しなくてはならないということを意味するにすぎない。真の発見とは、私がそうしようと思うときに、私に哲学を考えるのをやめさせることのできるようなものである。---哲学がもはや、哲学それ自体を疑問にしてしまうような疑問に悩まされることのないように、哲学に平和を与えるものである。」『哲学的探究p133

哲学はただ日常的な言語の用法をありのままに描写するだけなのだ。

平和には寂しさが伴う。これまでの自分に決別するからなのかもしれない。

 

 

 

道得と葛藤:和辻哲郎の道元論

道元の思想は、我々現代の凡俗にはなかなか理解し難く、その著作「正法眼蔵」を読み解くのは容易なことではない。和辻もその全体像には通じていないと謙遜しているが、彼なりの読み方を「沙門道元」の中で披露している。道元には、精進とか仏性とかいった根本概念がいくつかあるのだが、和辻はその中から「道得(どうて)」と「葛藤」をとりあげて、道元の概念的な思考の特徴を彼なりに分析する。それがなかなか興味深い論じ方なのである。

 

道得についての議論は、岩波文庫版「正法眼蔵」(二)の第三十三に出てくる。和辻はそれを取り上げながら、道元が道得をどのように捉えているか問題にするのである。

道元のテクストには「諸仏諸祖は道得なり」という具合にいきなり道得という言葉が出てくるのだが、道元はこの言葉について、明確な規定をせずに使っている。あたかも、この文章を読むものは、道得の如何なるものかを当然知っていることを前提としているかのように。

 

そこで和辻が、この道得という言葉の意義について忖度するのである。

和辻は言う。「道とはまず『言う』である。従ってまた言葉である。更に真理を現わす言葉であり、真理そのものである。菩提すなわち悟りの訳語としてもこの語が用いられた。道元はこれらすべての意味を含めてこの語を使っているらしい。その点でこの語はかなり近くLogos に対等する。道得とは「道(い)い得る」ことである。進んでは菩提の道を道い得ることである。従って真理の表現、真理の獲得の意味にもなる。ここでも道元は、これらすべての意味を含めてこの語を使った」(「沙門道元」)

 

道という漢字には古来「いう」という意味があり、現代中国語でもそれは受け継がれている。

和辻は道という字に含まれているこの意味を手がかりにして、道元のいう道得の意味を考察するわけである。それによれば、道得とは、「言い得る」を意味し、また「言いえられたこと」を意味する。そしてそこから進んで言われたことの真理を意味するようになり、更に又真理そのものを意味するようにもなる、という具合になる。

 

つまり和辻はここで、言葉の語源を手がかりにして、その意味を考察しているわけだ。その結果和辻がたどり着いたものは、道元はこの道得という言葉を通じて、極めて論理的な思考をしているという結論である。

道元は、宗教者ではあったが、宗教における感情的・非合理的な要素よりも、概念的・合理的な要素を重んじた、と和辻は言いたいようである。概念的・合理的な思考なら我々現代の日本人はもとより、外国人にも理解できないことはない。特殊な感情にかかわることはそうはいかない。ロゴスを重んじる哲学者としての和辻は、道元を論理的な思想家とすることによって、その思想がいまもなお生きているのだと言いたいようである。

 

 

 

葛藤についての道元の議論は、上記「正法眼蔵」第三十八で展開されている。そこでは葛藤についてまず次のように書かれている。「おほよそ諸聖ともに葛藤の根源を截断する産学に趣向すといへども、葛藤をもて葛藤をきるを截断といふを産学せず、葛藤をもて葛藤をまつふとしらず。いかにいはんや葛藤をもて葛藤に嗣続することをしらんや。嗣法これ葛藤としれるまれなり、きけるものなし。道著せる、いまだあらず。証著せる、おほからんや」

 

道元は相変わらず、葛藤の字義を明らかにしないままに、葛藤という言葉を使っている。そこで例によって和辻が、葛藤の字義について、道元に代って解釈するというわけだ。和辻はいう。「葛藤とはかずらやふじである。蔓がうねうねとからまりついて解き難き纏繞の相を見せる。そこからもつれもめることの形容となり、ひいては争論の意に用いられる。ところで人間の見解は人ごとに相違し、もし一つの見解に達せんとすれば必ずそこに争論を生ずる。すなわち思惟は必ず葛藤を生む。従って神秘的認識に執する禅宗にあっては、思惟は葛藤であるとして斥けられる。しかるに道元は、この葛藤こそまさに仏法を真に伝えるものだと主張するのである」

 

葛藤という漢字で古来意味されてきたのは、相反する事態に面して、あれかこれかと思い悩む心の働きのことで、その意味では、個人の内面にかかわることを言い表した言葉である。それを和辻は、人々の間の意見の相違をめぐって生ずる争論の意味にとるわけだが、その意味合いを、葛藤という漢字に含まれている意味から、つまり語源から解釈しなおすわけである。たしかに道元の文章を読んでいる限り、葛藤が個人の内面を現わす言葉と断定できないところがあり、和辻の言い分にも一理あるような思いをさせられる。

 

この葛藤についての議論を和辻は、道得すなわち真理の一つのあり方として取り上げているわけだが、葛藤といい、道得といい、和辻は道元の明言していないことについて、自分の解釈を持ち出して、自分流の議論を展開している。それを読むと、そういう解釈もあるのかと感心させられる一方、それは斜め読みではないかとの疑問も湧いてくる。

 

和辻が自分の議論の足がかりにしているのは、言葉についての語源的な再解釈である。その作業を通じて言葉に新しい意味を付与し、それに基づいて自分なりの解釈を展開する、というのがここでの和辻のやり方である。

 

和辻の議論の著しい特徴に、語源にもとづいた言葉の再解釈というものがある。これを和辻は、ハイデガーに学ぶことで、哲学の鋭利な武器としたのであろうが、彼がハイデガーに接するのは1930年代以降のことだ。だが(それ以前の)以上の議論を展開している文章を書いた時点で、和辻はすでに語源解釈的な手法を駆使しているということがわかる。和辻には、ハイデガーとは別に、語源にもとづいた言葉遊びの傾向が若い頃からあったようである。

 

 

 

超訳

 

道は「言う」の意味もあり、道得(どうと)は「言い得る」という意味である。

なぜ言うなんだろう?

言えることと言えないことがある。

 

一般には、それ自体(モノ)に存在する意味があって、その意味に貼り付けられたのが言葉であり、ヒトはそれを感覚器官で受容し、大脳皮質が意味を判断する。これが自己/対象二元パラダイムの言語観である。

 

しかし、「一つにつながっている世界」から考えると、この言語観は棄却される。言語は単なる記号ではなく、言葉の意味はヒトの行為において産出される。

意味とは行為が具体化する関係のカタチであるので、これが確定されることによってはじめて言語記号が成立する。

逆から見ると、言語化することが世界を構成することであり、この構成において、構成する主体として、自己が生成されていく。

したがって、言語秩序が転換すれば世界と自己の構造も変換されるので、行為パターンも変化し、縁起の仕方の変化が起こる。

 

「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」という歌が知られている。

手を打って出した単なる音を鳥は何か危険を知らせる音だと聞いて逃げる。

鯉にとっては、餌を呉れる時に呼ぶ音だと聞いて寄ってくる。

女中にとっては客が茶を要求している音に聞こえる。

幽谷の池にとっては音はしても何も新たに音は鳴らず、主観にも客観にも依らず、ただ池はただ池だということであり、そのまま透脱してある(存在している)だけで、それがそのままの姿である。

 

このように、同じ音でも、識が作り出したものであるため、認識の主体が変われば認識の対象も変化する。