北極海のションベン   とける体

 

北に向かっていた。

とにかく北だった。 体が北に行けって、心も一緒にそう言ってた。わけなんか知らない。

赤道の南のクスコからだいぶ北に来たもんだ。

 

季節は初夏、日が長かった。一人でユーコン川から北極海に向かって自転車をこいでいる。

もう何日も人と話してない。

昨日は赤狐が乾いた岩の上からずっとこっちを見つめていたので、寄っていったら音もなく消えた。

 

先週はとんだ目にあった。

夕方になって、寝どころを探すために、脇にそれて、道からは見えない丘一つ越えたところに、自転車を停めて、寝袋をしいた。 それから水や魚を確保するために、川を探しに東の森の奥に分け入っていった。

しばらくして川が見つかり、魚は取れなかったけれど、食べれそうな野草や水は手に入れた。日も落ちてきたので、自転車を置いた場所まで戻ろうとした。 森の中で目印はなかったので、今までの経験に基づく勘で戻ろうとしたのだが、赤く染まった木漏れ日が違う方向から輝いている。 天才バカボンも「西から昇ったおひさまが東へ沈む、あっ、たいへん」というぐらいだから、太陽の道は東と西を結んだものに季節の変動ぐらいだと思い、自分の勘とは90度ばかりずれていたが、そのまま日が落ちる方向へ歩いていった。 ところがいくら歩いても自転車はおろか、道にも出会わない。 こんなはずはないと歩けば歩くほど、不安感が高まってくる。 しまった、迷った。 やっちまった。 なにもここから出るヒントもアイディもでてこない、そのうち暗黒の夜になって、自分の葉や枝を踏む音と、服の擦れる音しか聞こえなくなった。 疲れすぎるのはよくない。これ以上動くのは良くない。もう今日だけで180キロもペダルをこいできた。 大木の幹の周りに枝葉や落ち葉を集めて、体を休めるところを作る。夜中は冷え、時々、自ら体を震わせ、暖をとる。 翌朝、日が出てしばらくたっていた。 疲れていたんだろう。 はじめは大きく円を描くように歩いてみたが、なにも目安が立たない。樹を切って年輪を見ればと思ったが、のこぎりも具合よく切り株が見えるような樹も近くにはない。 そういえば昨日はいくつかの小川を越えてきたが、東から西に流れていた。とすれば川を見つけ、その流れにそって歩いていけば、うまくいけば道にぶつかるかもしれない。すこし可能性が見えた。 川に足を入れると想像以上に冷たく体が震えた。歩き続けると川は他の川とぶつかり、少しずつ幅も広がり、ついに橋の下にぶつかった。崖を駆け上り、しばらく道を南下すると見覚えのある場所にやっとたどり着いた。 

太陽は東から上り西に下るものだといままで思ってきた。ぴったりなのは秋分と春分で、夏至と冬至では北と南に少しずれる程度だと、思って疑ってみることなどしなかった。

ここアラスカ北部では夏は太陽は北から昇り、北に沈み、冬は南から昇り、南に沈んだ。

北緯6633分を越える北極圏では、夏至には白夜、冬至には日が一度も出ることもない。

危なかった。 疲れすぎたり、足をくじいたり、川で体温を下げる状態が長く続いていればやられていた。

 

 

今日も太陽が出ると同時にペダルを踏み始めた。 陽が頭の上に来た頃に、休憩を取る。 道をはずれ、小川まで歩いていった。 

両手でゆっくりと優しく、水をすくう。 冷えた水は口から喉へ、そして食道を通って胃へと、火照った体の中で広がっていく。胃の大きさがわかる。

 

体が喜んでいる。

 

急におしっこがしたくなった。

 

音を立てて黄色の滝が大地に吸い込まれる。

快感。

 

その時だった。 今まで知らなかった感覚に包まれたのは。

自分の体が軽くなり、温かくなり、優しくなった。

 

小便と一緒に自分も大地に吸い込まれるような感じだった。

自分も大地の中に潜っている。

 

水を口から飲み、自分の体を通して、また大地に戻っていく。

それは岩に滲み、バクテリアに分解され、太陽に曝され、熱気ともに天に昇り、雲となる。

そしていつか寒気団と出会い、雨となり、また地上に戻ってくる。 その一滴一滴が集まり小川となる。

その水に命をいただく。

自分がいてもいいんだ。

こんな自分でもこの世界の中で居場所があるんだ。

自分もここの一員で生きていいんだ。

存在していてもいいんだ。

自分を通してでも、この世があるんだ。

自分はみんなとつながっているんだ。

 

生きることに意味があると確信した時のひとつだった。