ホンジュラス 大使館は電話一本で
エルサルバドル国境の橋を歩いて渡ればもうホンジュラスだ。入国検査を簡単に済ませオンボロバスに乗り込む。緑はステップ気候の草原のように、乾いている。山道を登りつめるバスの高速回転のエンジン音は、緩やかに人を春ののどかな昼寝に誘う。昨夜泊まった宿は散々だった。ドアはないし、ベッドをめくると南京虫がびっくりしてこちらを見ている。しかたがないので部屋にかかっているハンモックで寝ることにした。一見このハンモックは情緒があり、確かに昼寝ぐらいには最適なのだが、慣れない体に一晩となると話は別である。背中はずっと曲がった状態だし、寝返りなどうつこともできない。そして今朝は曙前の一番バスに乗り込んだ。
首都テグシガルパはなんとも小さいところである。実際は大きいのかも知れないが、他に比べて静かなためかそういう印象を受ける。エルサルバドルとニカラグアにはさまれた丁度真ん中にあるので、地理的重要性も加わり、アメリカがドルと兵器と軍隊をここに置いているため、国政は落ち着いている。アメリカの植民地ではないかと強い反抗意識を持つ学生も多いのだろうが、表面にはあまり出てこない。エルサルバドルと比べて物価は高いが、国情は安定しており、人びとものんびりしているように見える。町は川を挟んで左右に分かれているのだが、この川原で子どもたちはユニフォームを着てサッカーをしており、大人たちは橋の上から熱心に眺めている。
連れのニュージーランドから来たテオとは別れて宿を捜したが、安宿は一部屋しか見つからなかった。コインを投げて勝った僕がベッド、負けたテオは床に寝袋を敷いて寝ることになった。
翌朝一番に一張羅の格好でベネズエラ大使館を訪ねる。散々待たされた挙句、出てきたのが変にプライドだけが高そうなちょび髭の四十男で、人を見下ろして話をする。さっきは電話で英語を話していたくせに、英語を話さないからスペイン語で話をしろと命令する。電話での英語での受け答えの件を尋ねると「あなたは耳が悪いに違いない」と決めつけられた。やれやれ始まった、と僕は心の中で思った。実はエルサルバドルでもベネズエラ大使館を訪れたのだが二回も居留守を使われ、3回目に会えたときは今はこの大使館では査証の発行を行っていないと訳の分からないことを言われ、喧嘩してしまった。エルサルバドルには日本大使がないので相談することもできず、結局どうすることもできなかった。大使館の中の人間性はどうであれ、かの地では国を代表する役人で、すべての権限を持っているのだから、弱ったものである。時間も迫っている。下手に揉めれば、飛行機出発の期日に間に合わなくなってしまう。とにかく彼の話を聞くことにする。さすがにここでは査証の発行をやっていないと彼も言えず、査証申請には写真二枚と銀行の預金証明を持って来いという。ドルの現金ならすぐに見せることができるし、アメリカの銀行の残高証明書ならどうだ、と訪ねるとホンジュラスのでなければダメだと言いきる。こちらが旅行者だというのを知って難題をふっかけてくる。とにかく銀行に行ってそれを発行してくれるのかどうか確かめに行った。4つばかり行っただろうか。どこも預金してから一ヶ月過ぎないと発行できないという。そりゃあそうだろう、その足でまた大使館に向かい、銀行からの預金証明書は手に入らないから他の手段はないのかと聞くと、はきりと一言「ない」と言いきり、これは規則だからどうしようもないと、紳士らしい笑みを浮かべてそう言いきった。
それからすぐに日本大使館に相談すると、窓口の事務の方が親切に話を聞いてくれ、明日もういちど訪ねてみてダメならば難しいと思うが大使館の方から働きかけてみようと言ってくれた。これで少しは落ち着いた。腹がぎゅうぎゅう言っているのに気がついた。レストランを捜しに行くとしよう。
アメリカのアラバマに行ったとき、ミネソタでのクラスメートを訪ねた。エルサルバドル出身のウゴは、喜怒哀楽の激しく、やたらに陽気で賑やかな問題児で、なぜか僕とは気が合った。ミネソタ大学の成績が悪く、こちらの大学に転校せざるを得なかったという折り紙つきの勉強嫌いである。ここでも成績は今一つで、処分は間近いそうだ。彼の学生寮に泊まっていたとき、何時の間にかブラインドデートをアレンジしていてくれた。ホンジュラスと中国のハーフのチャーミングな姉妹で、皆で踊りに行ったり、ラテンアメリカの話に興じたりして、楽しいときを過ごした。別れるとき、彼女たちの実家にも、是非訪ねてと、住所を貰っていた。それを思い出して電話をすると「すぐに遊びにいらっしゃい。娘たちの様子も聞きたい」ということでテオと二人でバスを乗り継ぎ訪ねていった。やっと見つけたその家は、食料品の雑貨商を営む大きい家で、温かく迎えてくれた。話は政治,経済,文化と興じて面白い話しをいろいろ聞かせてくれた。その途中、ベネゼエラ大使館で査証が貰えなかったことを話すと、そんなのまるっきり心配することがないわよ、とあっさり言う。私の知り合いに電話してみましょうと言って、その足で電話機の前に行って、ダイヤルを回している。何がナンだかわからなかったが、話はまたアメリカのことになって次から次へと話は続き、結局はその晩そこに泊めてもらった。
次の朝早く一枚の紙きれを渡してもらい、それを持ってまたあのベネゼエラ大使館へ行った。僕が中へ入っていくと、今回は少しも待たされることなく、奥の部屋に通され、その場で査証のスタンプを押してくれた。ほんの一分間のことだった。最後にあの紳士がHave a good trip と満面に笑みをたたえて。
査証が取れた報告に日本大使館に行くと係員はキョトンとしていた。