ナバホ・ネイション お互いに迷惑をかけよう  自然から逃げたらできた個人主義

 

家族と友人には迷惑をかけよう

愛する人に迷惑をかけないというのは恐ろしいことだから。

 

混乱した社会があった。

暴力、不誠実、不正、不信、男性原理の負の面々。

国も社会も近所も家族も、嫌なことで埋まっていた。

そこで心の中に壁を作ることを試してみた。

そして嫌なものは全て壁の外に出すことにした。

「個」という壁を作ることでやっと落ち着けた。

自分と共同体の間に塀をつくることで心地よく安心できた。

城の中にいれば試練を受けず暮らしていけた。

そうやって生きてきた人がいる。それが事実だった生き方がある。体験がある。成り立った歴史がある。現実がある。

強い成功例の数々だ。だから個はますます大切にされてついには信仰とまでなった。

そして個人主義は胸を張り、道の真ん中を歩き始めた。

「個」の時もある、というならばいいんだけど、いつもがいつも壁を作ってしまって、城の中に住むことしかしなくなった者がいる。

自分の脳の外にあるものは「他」である体と自然。

自然を恐れた者が個人主義に陥った。

 

そこに都市生活という自然の法則がもっと見えにくくする新たな塀の世界が加わった。そしてこの塀は20世紀には地球各地に拡がった。

脳の好みだけで作られた理性の時代だ。

人間の「はからい」の世界。

脳だけが喜び、それによって体や自然が泣く世界だ。

ここから、個人主義の悲しみが始まった。

本人はそんなこと露も思わないが、自身の体と周りの自然がまずは苦しみはじめた。

そしてこの次には、ついに・・・。

 

 

目の前の現実は時と共に遷り変る。

東京も変わった。空き地がなくなり、強い自然がなくなった。地平線までビルが連なる。

全てが人工の中の話となった。

強い自然の中に人工があるという前提がなくなった、当たり前の条件が。

 

この二つの違いは、とても大きい。天国と地獄の違いだ。ここが一番大事なところだ。

この違いがヒトを殺してしまうんだ。

都市や田舎に住む個人主義者にとっては、ちょっとした違いにしか感じないかもしれないが。

 

 

自然のプラスとマイナス

恵―植物、動物、食糧、雨、太陽、大地、山、海、空気、水

壊―地震、津波、旱魃、台風

この基準は人間にとってのプラスマイナス、善悪だ。

自然は変わらない、雨が少なければ旱魃、多ければ台風、真ん中だと恵みの雨。同じ雨が密度によって名前も評価も変わる。山あり谷あり両方があっての自然。 

程度の問題なのだからそりゃあ良い時も悪い時もある。

変わるのは人間からみた評価だけ。

 

人間も地球の元素で生きている。言葉を換えると「人間も自然の一部」ということ。

だから実は人もプラスとマイナスの両方を持つ自然と同じだ。

力がないのは無気力、力がマイナスにありすぎると暴力、プラスにあると勇気。ちゃんとあるのが元気。

関心がないのは無関心、関心がマイナスにありすぎるといじめ、プラスにあると親切。ちゃんとあるのが知り合い。

二つの間を往復するメトロノームの針。

生きているとは動くこと。

止まっているのは生きていない世界。 無気力と無関心、気と力と心がない世界だ。

ところがこの動くメトロノームを生理的に拒否する人が現れた。

理性でこの揺れる針を止めてやるっと。

塀の中で育った人だ。塀に守られてきたので、強い気と力と心に違和感や畏怖感や反感を持ってしまった頭でっかちの自然から逃げた人たちだ。

まずは人間と自然の間に壁を立てて二つを引き離した。そして自然を悪者にしちゃう。

次に人間を二つに引き離した。人間の味方の精神と人間の中の自然である肉体だ。

そして自然と肉体の声が聞こえなくなってしまった。と同時に「生きる力」を失っていった。力はガソリンや電気や原子力で補っていけると信じていた。

 

理性の暴走が始まった。自然から逃げ出した個人主義が塀の中では主権を握った。

悲しきかな理性。 精神だけでは形がない。 やっぱり形は必要だ。

そこで理性が考えた肉体と自然を作り上げていった。本人の肉体や自然に聞いたんじゃない。

理性から生まれた体が筋肉美のボディービル、流線美のプロポーション、ダイエット美のモデル。どれもが脳に作られた体たち。

理性から生まれた自然は公園、プラザ、庭園、パティオ、畑、二次林、里山。

自然の力が去勢されて形を優先にされてしまった公園。

脳によって都合良く作られた管理された自然だ。

理性で管理することでメトロノームの針を止めれると考えた。

こんなことの上に成り立つ安心をヒトは求めた。

そうして私たちは自分たち自身の肉体も同じように扱った。

 

ところで、この人工の自然は、ヒトが面倒を見なくてはならない、莫大な手間暇と金をかけなければならない。

面倒を見るというのは塀の外から、必要な物資を取り入れることだ。

この公園は十分な水も空気も食料も作ることはできない、ただの体裁だ、見てくれの自然だから。

まるで盆栽のよう。自然と人工がいびつに関係する美しさだ。

数%のエリートの貴族階級にしか成り立たない自然だ。

この公園は誰かに助けてもらわなければ、自分のことは何一つすることができない。

公園を自然だと思う人は自分の力で生きる術を知らない。

何を食べるの?どうやって?どうやって寝るの?風呂は?薪は?道は誰が作るの?暮らし方は?歩き方は?座り方?ちゃんとした呼吸法は?  

なにも知らない。

都市の壁の外にある、地球の基本ルールである摂理をほとんど学んでこなかった幼児だから。

そうアーリア人の末裔たちはカスピ海からイギリス、アメリカへ移動していった。

彼らは他の民族よりも少し優位であるという理性を武器とすることに頼り、神と愛と知性を大義名分として、優生学を裏に隠して、聖書の解釈を勝手に変えて、次々と布教と殺戮をはじめ、各地に暮らす人の土地を取り上げて、人を殺して、洗脳して搾取するという歴史を歩んでいった。 

西へ西へ。

それが世界に広がった植民地であり、

これが個人主義の当然の帰結だ。

自然から逃げた精神はそれだけでは生きていけない脆弱さのために、他の人よりも常に上に立つことを望んでしまう。自然はそのままで存在できるが、理性は管理しなければ存在できないのだ。

そうしなければまるで生きていくことができないかのように。

自らが叩き殺した自然と肉体を取り戻したいかのように。

自意識が壊れれば生きている価値と意味がないかのように。

 

前に進むということを正当化するために、次々ともっともらしい名前をつけていった。

目的合理主義

フロントティアスピリット

自由、平等、博愛

平和主義

人権

 

前からずっとそこで暮らしている人々の土地を奪わなければならない理由は、一つもない。

天災や種の滅亡の危機やどうしようもない歴史があったわけではない。 

人を二つに分けて、肉体を貶め、精神に博愛、自由、平等、民主、個人を正義の名のもとで着飾り、インディアンを、アボリジニを殺していった。 その数は2000万とも6000万とも言われる。

そして今日も。

アジアで、中近東で同じことをしている。

そしてついに地球を一周してしまった。

 

でも大丈夫、怖がらなくてもいい。

ついに自分の体の声を聞く時がやってきたのだから。

大丈夫、これは誇るべきことだから。

ついに城の外にも足を踏み出す時がやってきたのだから。

 

 

ナバホ・ネイション

4つの神聖な山々に囲まれてナバホ族は何百年も前からアメリカ大陸の真ん中で暮らしていた。後からやってきたアメリカ人によってその場所から追い払われた。

19世紀になると、「インディアン強制移住法」を制定したアンドリュー・ジャクソン合衆国大統領によって、「保留地制度に基づく強制移住に従わないインディアン部族は絶滅させる」とする「インディアン絶滅政策」が推し進められた。民族虐殺の戦火はさらに西部へと拡大した。「セミノール戦争」では焦土作戦による徹底殲滅をアメリカ移住者は図った。

1846年に合衆国の準州の知事たちは、ナバホ族の頭の皮一枚につき、10ドル(当時)という報奨金をつけ、彼らの絶滅を図ったが、ナバホはロング・ウォークなどの試練を闘って生き残った。現在は勝手に線引きをされた境で分断され4つの州にまたがる地域が保留地となっている。

 

ナバホで二人のシャーマンにお世話になった。

一人は大地とトウモロコシと月と雨とあの世について、もう一人は吟の力を教えてくれた。

同じ時間にいさせてくれた。一緒に笑った。一緒に裸になった。汗をかいた。いろいろと話してくれた。

ヒトについて、神話について、ナバホの歴史について、今について。

その中でも、生きている「今」についての話はいつも心が震えた。

ある時にギャングたちの話をしてくれた。ちょうど彼らの子供や孫のジェネレーションの話だ。

 

彼らの子供の時から「インディアンたちに教育を」と政府から補助金が払われ、寄宿学校に子供たちを通わせる政策をアメリカはとっていた。リチャード・ヘンリー・プラットによる、「人間を救うためにインディアンを殺せ」("Kill the Indian to save the Man")という標語に代表される、同化政策の一つで、言語や地域文化が失われる戦略だ。

インディアンの子女を親元から引き離し、「インディアン寄宿学校」に送ってインディアンの文化や言語を禁じ、軍事教練を基本にした指導による、キリスト教や西洋文化の強制学習である。

一世代前までのインディアンたちは、こうした同化政策の強制教育で部族語を禁じられ、学校で部族語を話せば、「汚い言葉を話した」として石鹸で口をゆすがされるなどの罰を白人教師から受けた。こうした経験から、英語しか話せない人も多い。

 

そんな中1980年に入りアメリカはポップ・ミュージックがアメリカ全土を席巻した。前半はマイケルジャクソン、後半はマドンナ。

ナバホに初めて電気が入ってきたのはいつだろう?(急に質問で失礼、知っている人がいたら教えて!)

世界各地で初めて電気の入った村を見てきた。電線が入るやいなや村の文化が一変する。私の目に映る一番の変化は子供たちの価値観だ。影響力の強さはなんといってもテレビである。

酒を飲む親たちや、学校の教師たちに比べてテレビから流れる歌の文句の方がどれほど心に響いたことだろう。

彼らは卒業すると、都会に流れた。

アルバカーキ、フラッグスタッフ、デンバー、フェニックス、ツーソン、ラスベガス、ロスアンゼルス。

働いても会社の中で昇格することもない。テレビのキーステーションやハリウッド映画でインディアンが上司のドラマなんて見たことないでしょう?

アメリカもどことも違わず、差別社会。特にインディアンに対しては非道い。あまりの酷さにびっくりして若者たちも都市から生まれ故郷のナバホ・ネイションに戻ってくることにした。

ところが仕事はないし、金もないし、英語しか話せない者もいるし、娯楽もない。頭は現代アングロサクソン白人、体はインディアン。伝統的な自然との付き合い方やグレートスピリットに関してもなにも関心がなかったし、教わってこなかったし、周りに教えてくれる人もいなかった。

戻ってきても楽しみがひとつもない。まったくたまったものじゃない。できることがない。

そうして、ドラッグにアルコールにはまっていく。ドラッグやアルコールが悪いんじゃない、使い方がおかしいんだ。この二つは調子の良い時にやるもんで、悪い時に摂取するものじゃない。

そのうち金が足りなくなり、ついにtrading post(交易所)の雑貨商やガソリンスタンドを襲うようになってしまった。立派なギャングの誕生だ。

村の大人たちは困った。初めて真剣に教育について考えたという。だが両親のジェネレーションも白人の価値観がよいとすっかり影響を受けている世代だ。だから寄宿学校とは闘えなかった。闘わない代償がこれだ。

家族なのに話もできないのだ。使う単語が同じであっても意味が違うのだ。

ところがナバホは恵まれていた。青年たちの祖父たちが元気でいたのだ。だからといって希望で輝いているわけではない。ただ暗闇であっても、いやだからこそ、ロウソクの灯りが心強く輝いていた。

途方に暮れている両親をよそに祖父と祖母は孫たちと正面から向かい合った。

祖父たちは青年たちを砂漠に森に連れ出した。

そこでスウェットロッジを作り、暗闇の中で唄を歌った。

そこには通じるものがあった。いつも奇跡があったわけではない。でもたしかに繋がるものがあった。

あのアメリカの中で彼らはネイションという国家を作って、今を生きている。

300年もの間、生きているんだ。あのアメリカの中でさえも。ちゃんと。

ロウソクの灯火は消えても心配することはない。

伝統は途切れ、叡智は消え去る。

しかし真に必要な時が来れば又、生命体が火打石になる。

いくら時間がかかろうとも。

 

謝罪という勝利宣言

2000年に寄宿学校を始めとする施政にまつわる、数十億ドルに上るインディアン基金のBIAによる不正隠匿を認めた。20世紀には「インディアンのバスティーユ監獄」と表現されたBIAは、過去百数十年にわたる部族強制移住と同化政策の犯罪性を認め、全米のインディアン部族に対し、謝罪を行った。

「私達は二度と貴方がたの宗教、言語、儀式、また部族のやり方を攻撃することはありません。私達は二度と、貴方がたの子供を里子に出させ、自分たちを恥ずべきものと教えるつもりはありません。」

しかしこれらは単純に喜ぶことではない、もう洗脳が終わったとアメリカ政府が判断したからこそ、言ったセリフだ。

拍手と涙の会見となったが、これは同時にアメリカ政府の勝利宣言でもある。

でも気にすることはない。

生きている限り、消えたと思われる灯火は、絶えることがない。

人類史の中で何度も灯火は消えた。

寒冷で、戦争で、病気で、移動で。

でも何度も消えた灯火にまた火が熾った。

生きていることが炎だから。

 

平凡社百科事典の抜粋

個人主義 individualism という語は西欧で生まれたが,古くからある語ではない。個人という語の起源は古い。しかしトックビルによれば,アンシャン・レジームの時代には,個人は集団から十分に解放されておらず,したがって単独の個人を前提とする個人主義という造語は,フランス革命以後の近代になって初めて用いられるようになったのである。個人主義という語には多様な意味が与えられているが,どの場合にも含まれている成分として,人間の尊厳と自己決定という二つの要素を挙げることができる。人間の尊厳とは,個々の人間存在は,それ自体として何にもまさる価値をもつ,という価値観である。もう一つの要素である自己決定ないし自律とは,個人が周囲に依存しないで,ひとりで熟慮し,意思決定を行うのが望ましい,という価値観である。このように個人主義は価値概念であるが,すべての価値概念がそうであるように,認知的側面も併せもっている。個人主義においては,それは,個人が理性的存在である,もしくは個性的存在である,という認知である。そこでジンメルは,理性という普遍的な性能の保持者としての個人を尊重する量的個人主義と,ひとりひとりの個人がになっているかけがえのない個性を尊重する質的個人主義という,二つの類型を構成した。前者を啓蒙主義的個人主義,後者をロマン主義的個人主義と呼ぶこともできよう。啓蒙主義の思潮は18世紀のフランスで起こり,それに対する反作用としてのロマン主義は19世紀のドイツにおいて盛んとなったので,量的個人主義はフランス型,質的個人主義はドイツ型という類型化も可能である。しかしもちろん,カントのような啓蒙主義的なドイツの哲学者もいるし,シャトーブリアンのようなロマン主義的なフランスの文人もいる。

 理性尊重,個性尊重のどちらの立場であろうと,個人主義は人間の尊厳を強調する。そしてまた,自己決定すなわち自律を重んずる。人間に普遍的な理性は,個々の特殊な集団がその成員に対して行う要請を吟味する。そしてこの特殊な要請が,普遍性の限定された形態であるにとどまらないで,普遍性から逸脱した方向へ向かうとき,個人の中の理性はこの要請を非合理的であると判定する。一方また,個性も別の意味で集団の枠を越える立場にある。すなわちひとりひとりの個人の個性は絶対的にユニークであって,個人は彼の発展過程の一局面においてのみ集団内の役割を遂行するにとどまるのだから,この持続性の立場に立って,その役割をどんなふうに遂行するかをみずから決定する権利をもつ。要するに,理性と個性はともに特殊的な集団の要請を拒否しうる個人主義の二つの立場なのである。

 思想史をさかのぼると,個人主義思想の先駆けはストア派,エピクロス派,それに懐疑論者たちの賢者(哲人)の概念のうちに見いだされる。彼らはいずれも,この世の成りゆきにとらわれないことが,賢者の特権であるとみなした。この世の成りゆきは集団主義の価値観によって統制されているが,賢者はこの世に対して距離をおき,この世で望ましいものと思える事物の価値を相対化することができる。キリスト教の登場とともに,この世の相対化は神との関係の観点から行われるようになった。神との関係においては人間は単独の個人であり,この世の集団主義による拘束から自由であると考えられた。しかし賢者や初期キリスト教徒は,この世を相対化する視点を確保しただけで,この世での現実の営みに関しては集団主義の拘束に服していたのである。それゆえ,彼らの態度は個人主義の先駆形態であるにとどまった。

 歴史が進行するにつれて,この世外の個人主義がしだいにこの世内の集団主義に浸透してくる。そしてついに,内外の区別が消失し,一つとなった世界が個人を至上とする価値によって支配されるようになる。この到達点を象徴するのはカルビニズムの神学思想である。なぜなら,カルビニズムにおいては,この世外的な僧院での禁欲の価値は否定され,この世内の世俗的な営みへの没頭が,神の栄光を増すただ一つの方法である,とされるにいたったからである。カルビニズムの到来が象徴する思想史の転換とほぼ時代的に重なって,社会史の転換が起こった。それは中世社会で強力であった中間集団,すなわち国家と個人の中間にある大家族,自治都市,ギルド,封建領主領,地区の教会などの集団が,しだいに自立性を失って,これらの集団に属していた個人がこれらの支配から解放されてきた,という転換である。中間集団からの個人の独立という転換と,思想史の上でのあの世的個人主義の世俗的世界への拡散という転換とが重なって,西欧の近代に個人主義が確立した。

 日本の社会においては,個人主義が産業化や民主化の一原因となるまでにいたらなかったが,西欧の技術や制度を取り入れた近代化の結果として,個人主義は明治以降しだいに発展し,第2次大戦後定着する方向へ向かっている。しかし西欧社会のように個人主義が神聖な価値として信奉されている状況と比べると,日本社会においては集団主義の伝統が根強く存続している,と言える。 作田 啓一  平凡社百科事典

 

個性

個性とは何か?その人の闘い方のことだ。

今のみんなの言う個性とは他人とのズレです、違いのことです。でもこれらはたいしたものではない。ただのスペシャルです、だれでも持っている特徴のことです。 自分で作ったものではありません。生まれることによって強制的に与えられたものです。運動神経やIQや感覚だって、自分で得たものじゃない。みんなとの共通するものを意識と努力と運命で乗り越えた普遍性こそがその人の特有なもので、それを個性といいます。

ズレとは変わったものであって、自慢するものじゃない。 単なる違い、人より優れていることであっても。

みんなと違うところを大事にしているのは個性ではない、みんなと共有すること、そのための方法、熱意、ユーモア、笑い、それが個性だ。

敵を外に見出さず、自分が作ってしまった自意識と闘うこと、これが個性だ。

自己と戯れてそれに頼ったり自慢するんじゃない。

闘え!

 

映画『 タクシードライバー

人類は、様々な圧政や不平等と戦い、現在ある自由を勝ち得てきた。また科学技術の発達にもより、現代人は精神的にも肉体的にも、人類史上最も自由になったと言えるだろう。しかし、自由になった分だけ、昔ならば学者や長老が担当していた自己の存在に関する問題を、各個人が直接に背負ないと落ち着くことができないように脳の中に装置を作られプログラミングされてしまった。また、合理化のひとつの表れである機械のメタファーを使う割合が異様に増えた現代人は、画一化され、搾取され、日々の生活に追われている。個人を重んじる分だけ、人間関係が希薄となるが、誰しもが自分を温めてくれる心許せる相手を必要としている。ヤマアラシジレンマ(人と人の距離が近づけば近づくほど、お互いのエゴイズムで傷つけあう度合いも高くなるが、おたがいに親密になりたいというジレンマのこと。ショーペンハウエルの寓話を引用して、フロイトが最初に論じた)だ。

 

規則的に流れていく時間の中で、現代社会に生きる誰しもが、多かれ少なかれ主人公のトラヴィスのように孤独や疎外感、不安を抱えている。そこから逃れるために、トラヴィスは自己正当化した犯罪に走った。日々ホームページ作りに勤しんでいる私も、美しくなりたいとダイエットに励む隣のお姉さんも、必死に英単語の暗記をしている向かいの受験生の男の子も、俳句教室に通って専門誌に自分の俳句が載るかどうかに一喜一憂する町内会のオバサンも、みんな根はトラヴィスと一緒のように感じる。それらは、何かに熱中することで、自己の存在意義を確かめたいという、無意識の欲求の現れだ。その気持ちを内に発散させるか、外に発散させるかの違いだと思う。

 

ロバート・デ・ニーロが演じたトラヴィス・ビックルが、孤独な現代人そのものを体現した人物であるからこそ、サイコパスの犯罪者であるにも拘わらず、彼が19 70 年代半ばに男性の映画ファンのヒーローとなったのかもしれない。(アルベール・カミュ著『異邦人』のムルソーをカッコいいと思うのに似ているかも。ちょっとトラヴィスにムルソーを感じた。)そのことを強烈に印象付ける事件が、1981 年のレーガン元大統領暗殺未遂事件である。ジョディ・フォスターファンのジョン・ヒンクリーという当時20 代半ばの男が、トラヴィスに自分を重ね合わせてしまい、ワシントンDCで大統領に発砲した。彼は女性と巧く付き合えない、空想の世界に住んでいる孤独な男だった。ヒンクリーが使ったモーテルや他の部屋から押収された品物には、ヒンクリーとジョディ・フォスターの会話を録音したテープや彼がジョディに宛てた手紙やレーガン大統領夫妻の写真つき絵葉書などがあった。その手紙には、これからレーガンを撃ちに行く、もう帰ってこられないかもしれないが、ぼくが君のためにこれをしたことを分かって欲しい、という内容のことが書かれていた。

ジョン・ヒンクリーのことをヒーローだと思う人は先ずいない。トラヴィスもパランタイン議員の暗殺を行っていれば、ヒンクリーと同じように世間からは変態扱いだったろう。しかし、偶然に議員の暗殺に失敗し、街のギャングの手から少女アイリスを救ったお蔭で、一介のタクシードライバーに過ぎないトラヴィスが一躍英雄となり、好きだった女性の関心も再び得ることが出来るようになる(サイコパスには魅力的な人が多いらしい)。腐った社会が崇めるヒーローは、一皮向けば変態だということなのだろうか。また、悪に立ち向かいたいトラヴィスの標的は、大統領選に出馬する議員であり、少女に売春をさせる街のギャングであった。ベッツィが属する社会の象徴である議員に、彼女に振られた憎しみを転嫁したかったのかもしれないが、議員もギャングも自分も同レベルで悪だってことだ。ブラック・コメディで歴史は動く。人種差別、階級差別、ベトナム戦争、銃社会、大都市、心の隙間風がバーナード・ハーマンの音楽と共に虚ろに溶けて消える。