原初生命体のとしての人間  野口三千三

 

新しい仕事のできる筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである。

運動能力が高いというのは、その動きに必要な筋肉の差異を自由に作り出すことができること。

 

端の変化をスムーズに伝えるなめらかさを柔軟性という

テスト 四足動物の姿勢をする 一度もしたことがない動きをし続ける。

テスト 足を投げ出し座り前屈しマーキング、頚をマッサージした後に同じことをする

 

皮膚の中に液体が入っていて、その中に骨や内蔵が浮かんでいる。

テスト 他人の足を左右に揺らしてみる

テスト 生卵を立ててみる

 

猫よりも柔らかい人間

テスト 四足になり、脱力し、百面相ならぬ百体相を試みる

 

 

 

体液をゲル化した機械

体液が作り出した膜(感覚器) 受容器  五官

体液が作り出した伝達する神経と発達して処理する脳

工場としての骨と皮膚

消化器、循環器、呼吸器、運動器、体温調節器

どれもコロイド状のもの

 

サバイバルに必要な時には骨や筋肉などの形となり、休まっているときは液状に戻る

 

皮膚が脳の原初形態?

 

まだ発見されていない心臓の同化する受容器、腸の交感する受容器

 

 

 

 

 

膜 界面    間 

膜の働き 外を内に取り入れ、内を外に捨てる

 

 

皮膚呼吸

「皮膚と呼吸」に関する,正しい知識を列挙すると次のようになる。

皮膚を介して空気が出入りする事はない。

皮膚は基本的に排泄器官であり,汗腺から皮脂腺から不要なもの,有毒なものが排泄されている。

「化粧しすぎると皮膚呼吸ができなくなるというのもデマで,毛穴からの皮脂の流出が悪くなり,にきびや吹き出物が出やすくなります」

 

「人間は皮膚呼吸している」

「呼吸と言うからには,肺と関連がある(はずだ)」

「呼吸器と皮膚には関連がある(はずだ)」

 

と,見事な3段論法(というか論理が飛んでいるから「3段飛び論法」かな?)を展開していて,なかなか楽しい。

 

生物学において皮膚呼吸(cutaneous respiration)とは、「体表を用いて行われる外呼吸」とされている(『岩波 生物学辞典』【皮膚呼吸】)。

本来、体表面というのは、酸素を通過させる機能をもっている[1]

動物は、体外とのガス交換のための器官を備えるものが多いが、そのような構造を持たないものもある。

皮膚呼吸のみの生物

特別な呼吸器官をもたない動物は皮膚呼吸に頼ることになる[2]という。例えば環形動物のミミズやヒル、触手動物のホウキムシやコケムシなどで行われている[3] 特に小型の動物では皮膚呼吸だけで十分なガス交換ができるので、特定の呼吸器官を持たない場合が多い。

併用する生物

それなりの呼吸器官を持つものでも、皮膚呼吸をする動物は多い[4]

脊椎動物では両生類や爬虫類は、肺で呼吸と併用するかたちで、皮膚や粘膜を利用した皮膚呼吸も行っている。咽喉部や総排泄腔の内壁に毛細血管の豊富な部位があり、この部分がガス交換に関与している。

ただし、呼吸器による呼吸と皮膚呼吸が併用されている場合では、全呼吸に占める皮膚呼吸の割合(酸素摂取量の割合)は、生物の種類および温度条件などによって異なっており[5]、例えば、ウナギの場合では、温度が低いほどその割合は高く、10℃以下では皮膚呼吸による酸素摂取量の割合は全呼吸に対して60%以上に達する。(これが、ウナギが夜間には陸にはい上がることができる理由と言われている[6])。カエルの場合は、冬眠中かそうでないかで異なり、普通は皮膚呼吸が3050%程度であるが、冬眠中は皮膚呼吸が70%になるという。鳥類や哺乳類では、皮膚呼吸の割合は低く、例えばハトやヒトでは、1%以下とされている[7]。両生類の中にはプレソドン科やBarbourula kalimantanensisのように肺を持たない種もいる。

 

コアセルベート

コアセルベート (coacervate) とは、コロイドからなる液胞の流動層と液層が入り混じった物体である。このとき含まれるコロイドはほぼ球状であり、数から数百マイクロメートルに達する。このコロイドは分裂・融合・周囲の物質の吸収などを起こす性質があることから、生命の起源や進化に重要な役割を果たしたとする説がある。かつては細胞の直接の先祖と見られたこともあった。

コアセルベートは疎水性相互作用によって形状が維持されており、浸透圧を有する。油のようなものが水からの反発によって集まった有機物の小球と言える。

コアセルベート(コアセルベーション)はラテン語の「coacervare」に由来し、「集合体」や「塊」という意味をもつ。オランダの化学者デ・ヨング(H. G. Bungenburg de Jong)により1929年に、またクルイト(H. R. Kruyt) によって1930年に命名された。

 

 

生命の起源説

コアセルベートは分裂・融合・周囲の物質の吸収などを起こす性質がある。また界面によって外界と自己(コロイド)を隔て、内部で取り込んだ物質の化学反応を起こしえる。さらに、ポリペプチドや糖類はコロイド溶液となりえることから、コアセルベートは細胞または生命の起源に関連しているという説が存在している。特に、この分野を科学的に最初に詳しく論じたソ連の生化学者アレクサンドル・オパーリンが生命発生の元になる姿のモデルとしてこれを取り上げたことで注目された。

チャールズ・ダーウィンは、現在の生命は共通祖先に由来すると提唱する中で、生命の系統樹が単純なものだとすれば、はるかにさかのぼったときすべての生命はただ一つの共通祖先(ur-organism)にたどりつき、それは非常に単純で原始的なものであろうという可能性について触れていた。ここで起こる疑問は、その最初の生き物はどこからきたのか、ということである。

最初の「ur-organism」がどのようにして非生物の有機物から生まれてきたかを説明するためにコアセルベートを考えたのがオパーリンであった。彼は、天然物質に太陽光(特に紫外線)が無酸素下に照射されることによって有機化合物が生成し、ときどきより大きな分子へと再結合し、それがコロイド、ひいてはコアセルベートの生成に結びついたのだろうと考えた。一見、コアセルベートは生きた細胞にも似ていることから、オパーリンはそれらが最終的に単純な生命となりえるまで複雑化したと考えた。

この説は、最初の生命の形成に関する現在の説にもなんとなく似てはいるが、コアセルベートが直接最初の細胞となったとは、もはや考えられていない。現在の説では、無生物から細胞に至る前にはもっと多くの段階を通過してきたと考えられているからである

 

 き・け 体気

鬼 → 無・空・神

「非意識」とは「気」であり、体液・体気も「気」であり、「からだ」「こころ」の正体である。

 

 

 

非意識が自己の総体であり主体  こころの主体

その行動が阻止される時に意識が立ち昇る ピンチな時だけ意思や記憶や働かせる。そしてこれら意識を主体と勘違いする。

なるべく反射で行動するようにする。できないことは意識的に判断する。できるだけで休んで意識的判断をしないようにする。

最高の動きをするにはできるだけ筋肉は休んで、重さを動きの主動力とするように。

 

意識調査の結果を基にした予測は外れる。

予測する行動とは、常に新しく生まれ選択され決定されるので、調査をした結果はその時の結果であって、未来には新しい要素が生まれ選択され決定される。

 

わかるとは「分ける」ことで、そのものがそれ以外のものと区別できるようになったこと。

この二つの関係を結べた時に「よく分かった」という。存在・認識・情報の本質である。

 

分けるためには、「空ける」作業が必要である。すべてのモノやコトが生まれる可能性の前提条件である。

「あける・あいている」ことが、新しい可能性の前提である。

 

左右の二本の柔らかい管が、一本になる。真ん中には真空の丸い柱が通っている。

入口と出口が開いている。通り路が空いている。横にも空いている。上下にも空いている。これが本質の道。

DNAの螺旋のように。

 

テスト からだの中に「空いているみち」を大胆にイメージして、いろいろな動きを試みる。

頭の天辺から体の中を見て、丸い柱を通して足の裏を通り抜けて地球の中心を見る。

全身が一本のまるい柔らかい管のようで、空いていて、その中の圧力が自由に変化する。

 

詰まっている  尿意・息が詰まる・便秘   固まった感じ、乾いた感じ、縮まった感じ

空いている   おしっこの後、解放感   湿った感じ  可能性が拡がる 

 

二つを結ぶ橋

そこを空ける練習が必要、緩まっている状態、ねじる前のフラットな姿勢、

 

より良い動き

半身が独立性を持ち、必要に応じてお互いの緊張と弛緩を交互にするスイッチ能力

土台から末端へのスムーズな伝導とそのスピードの制御能力

左右の間にゆとりがあり、空いていて融通性・交換性・スイッチ能力があること。

 

力と弛緩

緩んでいた足が、地球に接して、自分の重さ(体重)が地球に伝わり、今度はその力の分だけのエネルギーを地球からもらい受け(反作用)、そのエネルギーが足裏から、くるぶし、大腿骨、腸骨、仙骨、背骨、腕と伝わって、筋肉は緊張する。またその時には反対側の足は緩んでおり、柔らかい。次には緩んでいた足が地球と接し、その力をもらい受ける。この切り替えとエネルギーの移動が滑らかにできるのが、良い動きだ。

 

不快動物とは

計測不能・推測不能・予測不能

輪郭の不明瞭、数えられない、変化自在

を避ける行動が起きて遠ざけてしまう。

 

似たものを嫌う理由

意識や条件反射?は、自分はどこでも自分でなければならない。そこではっきり違うものよりも、非常に似ていて少し違うものへの拒絶反応は異常に激しくなる。

 

半透明

東洋や日本の文化のひとつの原理。

卵→蛆虫→蛹→成虫

蛆虫だけが半透明

 

 

 

 

 

 

 

野口体操 おもさに貞(き)く

「玉たすき」160年前  古史本辞經と関係が深い アイウエオ

アは最も空き開かれた音で、澄んで明るく静かで広い音 全ての前提条件 存在有現新生

イは繊細、鋭敏、切迫感、動きが速い 小さく細く有限の長さの線  息が出るときの音

ウは諸音の元本大祖にて、五音の中央に位を定めたり

オは重音の至極なり重きものは落ち下りて五音の下等に位を定む。 居、降ろし、落、音、置、奥、沖、朧、乙、弟  篤胤の「霊の真柱」でいう「泉よみ」で、野口のいう「地球の中心」や「非意識」「原初生命体」のイメージと近い。

 

「あたらし」 自然の神に聴き、それに相当するようにあってほしいとひたすら祈る気持ち

「いき」息・生・気・活・風 大自然の神意は、息となって流れとなり波となり伝わる。

→ 吹流し ゆらめき・はためき

「いつわる」イツハル言津張  中身の価値とは関係なく、外側の形だけを脹らませて言い張る、上辺だけの事。

偽る 人の為になることが良いことだというのは誤りで偽物だ。

偽 人が象(自然)をあしらっている様。人間の作為、正体を隠してうわべをつくろう。野生の象を手なづけることは人間の行為の象徴であり、行為・人為・為政というコトバになり、和語の「なす・つくる・おさめる・なる・まなぶ・ため」ともなった。

「いとおし」劣った者を見て辛くなり目を背けたくなる気持ち 気の毒→かわいそう→かわいい→いとしい

いと・いたし

 

「いかさま」如何様  相手の意見を肯定して応答する。「いかにも・なるほど・ごもっとも」

 

「うつ」全・空・虚   全部とからっぽの両義性   去ると同じ 退く・行く  視点の違い  

「うたがひ」空違ウツタガヒ 思うことが一つに決定しないで、いろいろな考え方や行動の仕方が次々と飛び出してきて、飛び交い、選択ができない状態。 中身を空にして、神にひたすら貞く姿勢。

「おき」おきて掟 下おるる 落・下・降・奥・沖・補ひ  下(地球中心)への方向性、自然の霊力に任せる

 

 

固体のカ行 明確の行、有効の行 存在感が明確、働きの有効性、垂直の方向性   体でいうと口の行

「か」 自分の外側を最も明確に認識している状態

「く」 直角に働くことを表す音。固体的、緊張感

「こ」 最も存在感が明確で、形は小さく球形で滑らか、純粋的で好感の持てるものを表す音。

 

「きまり」 きはまる究・極・窮 と き切+は端・涯+ま目・見+る   一線を画して区切りをつける

きは際を実体験して、線を引く

 

 

「こう」乞う・恋・ 対者の魂を自分の方へ招致しようとする招魂法の呪術 

 

筋道をしめすサ行 理解の行、行動の行 方向を示し、判断・選択の働き

さし指・射・差・刺・鎖・閉・注・点・止  生命力が直線的に発現し作用する意 目標の内部に直入する

「さ」 はっきり、すっきり、さっぱり、ずばり

最もまとまりのあるエネルギーは「し」  おしっこ 内に貯められたエネルギーが対象に向かって強く働きかける行動

「さ」無い所の道を何かが通り抜けたときの音 

「す」洲・巣・栖・簾 細く長い穴(隙間)が平行している時の音

 

タ行 自分の内側に信頼できる明確な実感のある時に使われる音 空間的に大きくなく、時間的に長くない

立、起、発、建、のタ行

「た」 手足は共にタと呼ばれた。

「ち」 血、地、乳、風、気、息、霊、智    道・方向の意味 独立しては使われない

「つ」 体の先端に、力が集中して発現する状態 出る力と吸い込む力を同時に持つ 土、蔓、弦、蔦、綱

和語の中で最も重量感のあるづ・ず  づしーん

 

たいせつ 大切 切は刃物を十字にあてること。 身にしみ、差し迫ったゆとりのない実感 ひたむき

せつなし、悲しさ・恋しさなど、胸がしめつけられる痛みを生々しくもっている 

自分の内側の、ごまかしのきかない切迫した状態

だいじ 大事 対象への対し方

 

 

ただしい 正 目的に向かって真っ直ぐに進むさま 止は足跡・足  征の原字

 

ナ行

「のり」 宣、告、法、令、規、則、乗、載、憑 大きな霊力を信じて、全てを任せきり、それと一体となり、新しい自分が生まれ出ること

「ねい」 寧  祭壇に犠牲の臓腑をを捧げ祝祷し、神霊を鎮め、禍災を安んずる、

「のり」宣・告・罵  口にすべきではないことを他者に明かし言うこと。髪と人間の関係の言葉 罪深さや品の区別もなく、素直に告白すること

 

気体的なハ行  気体、息、火、穂   薄く・軽く・先・端・末・表面   体でいえば肌の行

「は」 歯・葉・羽・端・刃

「ほ」 小さな穴があいていて全体が固まっていない全体   火、穂、呆、包、豊、放、風

「ふ」気体的な束縛されない自由奔放で内にエネルギーを持つ状態

「ふさわし」ふさ房・総  一本一本が優しく触れ添い、調和がとれ、もつれないで揃って釣り合っている状態

 

魔性の妖しさマ行 液体、間、目、魔、呪術、非合理の世界、あら!?   体では目の行

直接体験によって実感を持つ、生々しいエネルギーを持つコトバ

 

「負けて、参って、任せて、待つ」信に近い感覚     干渉、お節介、間を空けて、管理しないで、本来のなりゆきのままにすること   まを空け、まを待つ  間を空けて間を待ち、自然の勢いのままに、相手の思うままに、させること。  自分自身を含めてすべての「もの・こと」に向かい合った時に、分かることはほんの僅かなことに過ぎないことに気付く。 

任せて待つ。 信とは空間では間を空け、時間では間を待つことである。

「み」 神・霊を意味する 計測不能な神秘的なことを表す音 御、水、身、実、海、目、見、巳、

「みち」道 霊霊 自然神の示す息の方向のこと 繊細で幽微なものが無数に集まった時に生まれる巨大な流れ

「みだれ」乱・淫・猥 身垂ミタレル  恋とは、変わることであり乱れること 生きる姿の象徴  何かを乞い求めて、もつれ、渦を巻き、その都度新しい道を探し出し、輪廻の流れに流されていく。血液の流れのように。

 

動きを示すラ行  複雑な多重構造の流れ・変化・動き

ふり(振) 振る 触 フラフラ  上から下へ移動する動き 

 

ラ行 動き、働きを示す音 

「り」 つながりを持つ音

「ろ」 洞、虚   阿呆面で顔の中身と頭の中身がポカンとする状態   多重構造で抱擁性に富む

「ゆ」 ゆるめ     湯、揺れる、夜、幽、溶、ゆらゆら、ゆるゆる

 

「りつ」律 聿イツ まっすぐ、きちんと・すっきり  順序よく秩序正しく配列し行動する行為

聿    筆を紙面に垂直に立てる 聿の軸は中空、先は伝わりやすいように柔らかく細い

健    からだの主軸が地球に垂直、縦のまん中は中空で、先は細く柔らかい

「書く」 コトバのエネルギーを結集凝縮させ、浸透定着させ、祈願の機能を長く保ち、邪霊の侵すのを遮る、原初宗教の感じ方から生まれた切実な人間の行動。

 

 

 

理性 分けること

介入、分ける、聿、貝(二つに分かれる)、   貝の語源 介 鎧をまとう男

「きまり」 きはまる究・極・窮 と き切+は端・涯+ま目・見+る  省略した「は」は端・果

きは際を実体験して、線を引く

亟は上と下の間で、サイを後ろから手で加えて、そこに人を封じこめる形   窮極

きまり きは きはみ   

かぎり限・垣切・構切が「きり」を語幹にするのに対して、

類義語の「さかひ」境・界が「さき」裂・割を語幹とし、

「わかり」分・解・判・別が「わり」を語幹とする

自分ではないものとの「きはみ・さかひめ」は皮膚・肌 はだ端・果方・裸・はだけ(開)

外側の肌だけではなく、裏(内)側の在り方を感じながら動く。ここの面が、肌理細やかで滑らかで柔らかく弾力があり、潤いと艶と輝きを持っていて、繊細・鋭敏な感覚を持っている時に、自然の原理にあった気持ちのいい動きになっている。

 

直線・直角・円

規 夫コンパス  円・弧

則 鼎の省略形が貝 神器である鼎に刀を加えて、神に対する「誓約」

矩 巨は取手のついている工 直線・正方形・直角  のり、おきて

動きは、時間・空間・エネルギーの変化で、直線と円が作用して、波、うねり、螺旋となる。

定規としての法律・規則は厳密で正確である。しかし、実際への適用においては柔軟でなければならない。

 

未分化のコトバ

とき  時・常・処・所・疾と同根の言葉で時間と空間とを未分化なままで、本質的な捉え方をしている。

とき  解・溶・融・釈・説とも同根の言葉で、流動し変化し止まることのないという捉え方をしている。

こと  言と事 口に出したコトはそのままコトを意味した  こと(殊・異・別)も同根のコトバ

 

まこと   ま 目

 

 

 と 手足    こ 口

この三つがまるごと全体として原初生命体的に融通無碍・変幻自在・臨機応変に動くさまが「まこと」

「あたりまへ」こそが「まこと」  「あた」ぴったりと向き合っているもの 

 

 

コトバ

言語学のためにコトバがあるのではなく、それぞれの人の生きる知恵がコトバであるから。

俗説の音義説や言霊説に貴重な生きる知恵を潜ませているものがある。

コトバは和語ならば音に、漢語ならば甲骨文に潜り込み、からだの動きの感覚によって探検すること。

 

重さ

「すべての存在は重さである。存在感はからだの重さの感覚である。動きとは重さの流れである。」

重 人+東(袋)+土  人と地球とを上下に真っ直ぐに突き抜けるように結びつける巨大な霊力

→動き、働き

 

したたか 下確か 地球の中心へ向かう力  まずは地球、地球の中心が究極のふるさと 次に自分の体の重さ

逆の動きが「がんばり」 自然の動きを無視した意識至上の傲慢さ

柔らかさを得ようとして、無理をし、頑張るやり方をよく見る。

 

したたかの方法が大事だ。下確か、下手然見だ。先ず地球の重さがあり、次に自分のからだの重さを感じることから出発しない限り、地球上の生き物としての強さとはどんなものか分かるはずはない。

 

思い

「思いつくまま」根源的に重要で主要なことで、もの(神・鬼・霊)の怪(気)に取り憑かれ乗り移られた自分が、地の底まで徹(とお)るように重く深く潜り込んで、自分がやりたいようにやった時、大自然の重さと人間の重いが一つのものとなって、ほんとうの姿がそのまま直感されること。   和語の「思い」

 

壁にぶつかるとおこる意識

生きることに対する障害・阻止の作用があるときに生まれるものであり、認識の働きが発達するのも同じ理由。

 

いのちとは流れ

からだは出入り口のある袋や管の集まりで、その中の流れが「いのち」である。

流れの乱れが病気で、流れが止まると死になる。

自然界のすべての物や事の本質は、変化と流動にあり、ゆらめき・うねり・伝わる。

 

いのち 命・令 とは神の聲

跪伏ひざまづく姿  天命 神託を承けている象(かたち) 天意により賜与されるもの

人間が神に対して、神意を聴くこと

 

物の怪 

自然の神の気  強大なエネルギーをも持つ

 

 

 

体操

下確かな体の動きを探り、下確かに生きることを探検する営みが体操。 

体操の基本はぶら下がり。

楽に立ち、自分のからだの重さを地球と骨に任せきって、骨盤を含めた上体を前下にぶら下げる。その「重さと思い」を大切にして、ぶら下がり流れて行き、この二つがよりよい通り道を作るようにする。

足の裏、脚、骨盤、腹、胸、肩、頚、頭・腕、の中身の細胞と細胞との間を空けるように、優しく細やかに、ゆくりと、いたわるように、思いつくまま、ゆらゆら、ニョロニョロ、波のように、ゆすりながら、・・・間を待つ。

やがて「重さと思い」が地球の中心にまで繋がりつく、という実感が生まれてくる。

 

からだの中身の「あらひ、さらし、すすぎ」は手洗い洗濯のように「ゆるめ、ほぐし、つけ、ひたし」

「ふれ、なで、さすり、おし、こすり、もみ、ゆり、ふり、うち、たたき、ひねり、しぼり、ひろげ、のばし、たたみ、かわかし、ほし」

この洗濯する者と洗濯されるモノの動きの「うねり・なみ」が体操

 

その実感が包まれたような感覚になる時がある。安らかで静かになるか、不安で苦しくなるかの両方がある。それが安心である時に、自分の内側(裏側)から自由奔放・変幻自在な、少しいたずらっぽく甘えるような新しい自分が生まれ出るのを感ずる。この気持ちよさは格別な味わいである。特有の快感だ。循環の気持ちよさ。無責任にあるがままでいい、喜びだ。大自然のエネルギーのよりよい通り道となり得る能力を力という。道とは力のことだ。

 

大自然の原理に任せ切った動きの感覚が、人間の霊力の根源なのである。

人間の主体は、脳や筋肉や骨や臓器ではなく、体液と体気の「伝わり・流れ」である。

 

感じることは?

重さが地球の秩序の基本原理

からだの中を空けて、新しく道を作る感覚  詰まっていないで透明の澄んだ感じ

からだの先は柔らかくゆとりがあり、伝わりが良いこと

 

二本足になることで、重さを完全に骨に任せて、筋肉を休ませる。これが良い姿勢。

働く筋肉が少なく、短い時間で、働く度合いを少なくする。これが良い動き。

 

すべてのものに大自然の神を感じて、それに貞き(心をまっすぐに向き合い、溶けること)、すべてのものを愛し恋し信じ、すべてのものを疑って乱れ、いつも新しく変わって流れて行くことが体操。

 

きまる動き

1全身の全ての細胞がお互いの間を空け、圧力を溜めて霧のような気体になる。きは極・限・端である身の置き手(掟)を厳密正確に見定めて間をまつ。

2間を待った次の瞬間に、各々の細胞が同時に出発し、最短距離を一気に吹き抜けて、新しい身の置き所に同時に到着する。

3前からそこにいたように何事もなく落ち着いて静かである。

外から決めつけられた固定的で閉鎖的で息苦しい厚い壁ではなく、自分の裏(うち)側から自然に(主体的に)感じとった、自分の生き方のギリギリの「さかひめ」であり、外界と自由に通い合い、関係によって変化する柔軟な適応力を持ち、その内側の中身は、生き生きのびのびと自由で、安らかで静かな境地である。

 

「そっと、そこに、おく」動き  動くところと動かないところ  自然の掟

「そ」それ、そこ、その 少し間を空け距離を置くコトバ 素・粗・祖・遡・蘇・疎・楚   素朴でそっと

動かないというのは、本当に良い動きにとって、極めて大切な「動き」である。

自然原理の流れの中で、当然のこととして動かない ⇔ 束縛拘禁されて動かない

酷暑酷寒、満員電車の中、世間の中に、まるごと全体の自分を浸しきって、そこに、そっと、おく。

掟は澄み切って静かなもので、信じて任せることができ、頼りになる、自分自身の進むべき方向であり道

わが内奥(うち)なる神の聲を「おきて」という

 

肌の裏側

外側の肌だけではなく、裏(内)側の在り方を感じながら動く。ここの面が、肌理細やかで滑らかで柔らかく弾力があり、潤いと艶と輝きを持っていて、繊細・鋭敏な感覚を持っている時に、自然の原理にあった気持ちのいい動きになっている。

 

 

 

騙されたと思ってやってみる

固定された効果を考えないでやってみると、意外なことに気がつく。

目的を設定することは、豊かな全人間的体験の可能性をとじてしまう行為である。

 

実践

ぶら下がり  

臀歩き   

逆立ち  地球に乗(則)る  任せて信じられるものだけに、のり「法令」生きていく。

手に新しく重さを乗せて自然に立ち上がる。地球に乗ることは、地球に祈ること。これは神の「のり」宣・告を聴くことであり、大自然の「のり」法・則・規を感じ取ること。動きが新鮮だ。嬉しい!

落下する体の重さをどのように地球に乗せるか、その反作用の弾みをいかに利用するか?

 

平伏す動き   

正座する。中身をほぐしゆるめて、ゆっくり、やさしく、左右に波のようにゆすってみる。地球の中心と直につながってみる。それを許さない部分に優しく話しかけるように揺することを繰り返す。

からだをお辞儀するように平伏していく。中身が溶けるように左右にゆっくりと優しく揺れながら。液体となった胴体の中身が、菅となった腕を通り、指先から流れ出ていくように。それらが地球の中心に浸みこんでゆくように。呼吸は静かに平らに深く長い。

目は軽く閉じ、口はゆるめ、細胞の裏を空にして、耳を澄ませる。体のすべての細胞の一つ一つが。

 

蛇と魚の動きを真似てみる

 

地球はふるさとであり、太陽はあこがれである。

 

人間の生きるすべての営みは、大自然の神に貞いて定めることが、素朴で素直な生き方だ。からだの中身には、今、新しく、原初のいのちが、若々しく生々しく息づいている。

 

体感からくる言葉

 

方言を失った。

心を失った。

生活を失った。

暮らしを失った。

よそ行きの考え方しかない。

共通語しかない、標準語しかない。

それでも生きている。

 

 

 

 

自然に対して脳が領土を拡大しています。しかし老子や釈迦は脳を否定し、無知や無我になると、人は救われると教えています。だから脳の影響を避けるためには、言葉で考えたり話たりする事を少なくする事です。昔の日本人は、以心伝心とか、行間を読むとか、しぐさで分かるとかいいました。また前頭葉の言葉で考えたり覚えたりするのを止めて、後頭部のイメージで考えたり覚えたりする事です。天才はイメージで考えてます

 

 

とき  時・常・処・所・疾と同根の言葉で時間と空間とを未分化なままで、本質的な捉え方をしている。

とき  解・溶・融・釈・説とも同根の言葉で、流動し変化し止まることのないという捉え方をしている。

 

 

 

漢字 と やまとことば

「分ける」の字源は?

刀でモノを2つ(八)にわけた状態です。

「わ(分)かる」とは対象物を刃物で2つに切っちゃって分類することです。

 

界は(田を区切る)介(鎧をまとう男、へだてる)、聿、貝(二つに分かれる)、境界    

 

「きまり」の語源は?

 きはまる 究・極・窮 と  き切+は端・涯+ま目・見+る  省略した「は」は端・果

きは(際)を実体験して、線を引く

亟は上と下の間で、サイを後ろから手で加えて、そこに人を封じこめる形   窮極

 

きまり きは きはみ   

かぎり限・垣切・構切が「きり」を語幹にするのに対して、

類義語の「さかひ」境・界が「さき」裂・割を語幹とし、

「わかり」分・解・判・別が「わり」を語幹とする

自分ではないものとの「きはみ・さかひめ」は皮膚・肌 はだ端・果方・裸・はだけ(開)

 

外側の肌だけではなく、裏(内)側の在り方を感じながら動く。ここの面が、肌理細やかで滑らかで柔らかく弾力があり、潤いと艶と輝きを持っていて、繊細・鋭敏な感覚を持っている時に、自然の原理にあった気持ちのいい動きになっている。