コロンビア バスは道連れの旅
10月も半ば過ぎ、ついにベネズエラを発つことになった。2ヶ月間の予定の滞在が長引いてしまい、結局半年近くいたことになる。夕方6時のバスに乗って、国境町SanAntonio に向かう。いよいよ旅の再開だ。4LDKのアパートと満足な食事、慣れた町を離れるのは、新しい旅の興奮とともに胸キュンの寂しさが身体に残る。暑く、荒く、人工の町マラカイボは、僕とは性が合わなかったけれども、やはり「住めば都」である。
国境を越えてCucutaの町に着いたのは翌朝の7時30分であった。この町は砂ぼこりの中で人が左右に忙しく走り回り、狭い道では20年ほど年季の入ったトラックが、まるで自分だけの道のようにクラクションを鳴らしつづけて横柄な走り方をしている。
そのトラックが連なる間を、人は上手に足をひとつも休めず通りぬけて行く。その喧騒とした朝の中、アイスクリーム売りの老人が一人、ひとつも動かずポツンと立っている。彼は何を毎朝見ているのだろう。
バスの中で知り合ったペルー人のFernando,コロンビア人のHenry,ベネズエラ人のFanyと一緒に両替に行く。歩合が良くないので他へ行こうとすると、戸が突然に閉まり、白いヘルメット、緑の制服、腰に警防とピストルをつけた警官が二人無言でこちらを睨んで立ち塞がる。どうやらここで両替しないと痛い目にあうということらしい。ベネズエラに出稼ぎに来ていたHenryとFanyは唇をかみ締めて、持っていたベネズエラ通貨をコロンビア通貨に換えた。ボゴタ行きのバスまで時間があったので、酒屋でビールを飲んだ。2人はあまり両替のことをぼやきはしなかったが、目は深く暗く燃えていた。バスを待つ時間がとても長く感じられた。コップの中にいる蝿の羽音がターミナルのざわめきの中、耳の奥底に妙に冷たく響いた。
出発予定の時刻を30分過ぎて、バスはククタを後にしてアンデス山脈に吸い込まれていく。一車線の砂利道をバスは息も絶え絶えに登って行く。空気は冷澄として旅のほてりを癒す。所々に土砂崩れの跡が見える。サッカーボール大の岩石があちらこちらの路上に散らばっている。小さな石を踏みつけて走るバスは、なかなか疲れた目を閉じることを許してはくれない。タイヤが石の塊を不意に飛び跳ね乗客を驚かす。
昼は道路沿いのレストランで鶏、豆、トウモロコシ、ジャガイモ、米と、どれもが少しづつお皿の上に乗っている定食を食べた。冷めていて美味しくはないが、アンデスの山の中で食べるとなんとなく旨く思えてくるから不思議なものだ。出発前にリンゴのワインを買って皆で回してラッパ飲みする。
酒と揺れ 心空舞う 岳の峰
夜またドライブインに寄って食事をする。ここではチョイスがないので、決められたところで決められた物を決められた金を払って食べるしかない。冷たくやせたチキンと、中に米が入っている団子状のパンがその日の夕食。ともかく腹の中に押し込んだ。
翌朝ボゴタに到着した僕たちは、マラカイボから一緒だったHenryの家に押しかけることになった。街のはずれにある彼の家までバスを乗り継いで行った。小さい家だった。屋根はトタン板だ。でもやっとバスの揺れるシートではない、動かない本物の椅子に座れた。考えてみれば30時間のバスの旅だった。ひとまず汗を落とすために、シャワーを借りることにした。服を脱いで、いざ水を浴びようとしたら、お湯が出ない。それも涌き水のように冷やりとした冷たいやつだった。ボゴタは赤道から600キロも離れていないと同時に、高度2600メートルにある首都である。気がついてみると身体中から、湯気ではない、水蒸気がモクモクと涌き出てシャワー室の窓を曇らせている。まるで滝に打たれる修行僧みたいな気分になった。が、精神がか弱いせいか、すぐにくしゃみが出てしまった。
10時を過ぎるとあちこちから2年ぶりに帰ってきたHenryに会いに友達が集まってきた。昼にはおふくろさんが庭に飼っていた鶏を一匹つぶしてチキンスープを作ってくれた。フーフー言いながら食べるスープは、優しく冷えていた体を暖める。
午後は皆で街に出ることになった。国立公園、遊園地、闘牛場と、菓子を片手にワイワイがやがやとブラブラ散歩した。道中とくに面白かったのは、ボゴタのお巡りさんたちである。遊園地のポリスは、アイスクリーム片手に巡回していたし、馬の上で胸を張ってカッポカッポ進むおまわりさんの右手にはビールが見えた。これは車じゃなくて馬だからやはり飲酒運転にはならないんでしょうね。帰ってから、お礼を兼ねて僕がスパゲッティを作った。なかなかの好評で足りないほどだった。腹が膨れて急にまぶたが重たくなってきた。
エクアドルに向けて出発する日、Henryがターミナルまで送りに来てくれた。別れは出会いの始まりと言っても、その再開はいつの日か見当もつかない。両手を彼の手に乗せてバスに乗りこんだ。
国境の町lpialesへ向かう途中の深夜未明、バスが山中で故障してしまった。周りに明かりひとつない暗闇である。ドライバーも乗客と一緒にヒッチハイクとあいなった。何台目かのバスが、ようやく僕たちを拾ってくれた。心細く待つ間、白い奇跡を瞼に焼き付ける蛍が、僕を幻想の劇場に案内した。
暗闇には色がない。ただうっすらと形のみを感じる。色のない形。これはもう視覚では捕らえることはできない。触れるか感じることによってしかわからない。そこでは目を開ければ開けるほどなにも見えない。目を瞑ったほうが気が休まる。その闇を想像が埋めてくれるからだ。
もう目を開けては一歩も進むことはできない。
前には急ぐ人が先を争い、出版元も明らかでない地図を買い求める。噂は噂を呼び、大勢で行進を始めた。どうやら、僕はまだ一人で試行錯誤しては脛に傷を作って進む。
あくがれ出づる心を、蛍に託して、宙に飛ばした。遊び漂う魂として。
岩に生えるサボテンに囲まれて、軽やかな体がひとつ残る。
朝の9時に着いたlpialesからエクアドル国境までは、黒錆光りのする60年型シボレーのタクシーだった。