インカ人の智慧と逆襲    脳が体を殺す時代   自分の脳によって己が殺さる

 

ある日

ついに私にも闘いがは始まってしまった。

自分と脳との戦い。

まさか自分の脳と闘う日がこんなに早く来ようとは。

生き方は人の好みだ。

みんな好きなように生きるのがいい。

しかし自分や周りの命まで殺し始めるのなら、こちらも刀を抜くしかない。

 

敵は強い。

すべてのことは敵を経由しないとなにも始まらない。

だって敵は言葉、考え方、意識と自分のすべてを司令する塔の中心なんだから。

優秀に正しく一生懸命に闘おうしたら、その瞬間に相手が勝つしかない土俵にのってしまっている。

ここはバカっぽくズボラに力を抜いて楽しむのがいい。

 

都会では大脳皮質を使う時間が増えてしまった。

すると大脳皮質が勘違いして、ここが中心だと思い込んでしまって、新たな時代が始まってしまった。

脳中心主義時代である、別名はいろいろあるけど、主知主義や理性主義や理想主義や知性主義や科学主義や学歴主義やその他いろいろ。

どれも大脳皮質に主導権があるという思い込むことから始まったのが特徴です。

古代から神官や宮廷の知識人はこのように長年したかったのだけど、農民や漁民や猟師や戦士からは鼻で笑われてなかなか実現しなかった世界である。だって自然界は脳が示すような世界にはなっていないから。

ところがいとも簡単にそれがメトロポリスのルールになってから久しい。

抜群の効率と成果によって大脳皮質の力が文明から評価され、これに過剰に依存する病がガンや悪性ウイルスのように拡がって森の人まで騙され始めたのはルネッサンス時代に入ってからだ。中世の後、ヨーロッパでこの理性ウイルスを周辺国に撒き散らすことにより利益が上がることを学習した。綺麗事を言って、それを他人が信じれば自分が儲かる仕組みだ。

デモクラシー、ビューロクラシー、アリストクラシー、meritocracy・・・ クラシーは力や支配や階級のことを意味するギリシャ語だが、力や支配が及ばない外側とクラシーが成り立つ内側があるのが条件だ。

膜の中にそのような世界をつくることを○○クラシーという。

クラシーの拡大戦略の一つは、この世にユートピアがあると思わせ、これをこの世で実現させようとみんなに思わせることだ。自己催眠をかけたほうが他者を騙しやすいので、心地よい建前の物語を量産した。

そしてこのクラシー病のウイルスにかかったものは片っ端からこの病を世界に拡散していった。

このウイルスに闘ってくれたのが、先住民の勇士たちだった。

アメリカインディアン、中南米インディヘナ、アフリカ・ネグロ、アジア・モンゴロイド、アボリジニ・・・

まるでワクチンを作るために自らの命を代償にして闘い続けた。微生物ならばすぐに罹患になることで、免疫を得ることができるのだが、クラシー病はウイルスのように免疫作用ではとらえることできないもので、細胞に寄生することで増え続けるモノだった。こちらの細胞に直接に入ってこれるので、殺して防御することができなかった。だが彼らの闘いが無駄であったわけではない。彼らの聖戦で多くの知恵を授かった。

 

クラシーウイルスに抵抗する方法だ。アフリカで、アジアで、北米で、オーストラリアで、南米で、何千万の命が奪われた。だが各地で独自の方法を見つけていった。

インカではウイルスに対して、嘘をつけ、盗め、怠けろ、だった。

理性からの指示には嘘をつき、理性の作り出すものを盗み、理性の指令にたいしては怠けて、体という自然を生かせという智慧である。

ウイルスには免疫機能である抗体は作れないので、自然の一部である体を充実させることで抵抗力をつけ、ウイルスから身を守るという方法だ。

ウイルスには気を許さず、自らの気力と体力を充実させてから、ウイルスの力も逆に利用する、というのが、生き続ける智慧だった。

 

脳には大脳皮質、大脳辺縁系、視床下部、小脳、間脳、脳幹とあるのですが、

大脳皮質は理性などの分析、理由付け、推定をすることができ

大脳辺縁系は感性などの感情や条件反射や判断をすることができ、

脳幹は本能などの生命の維持のための反射運動をすることができます。

ただ一般には悟性、知性、理性を司る大脳皮質を「脳」と呼称することが多いので、大脳皮質を使う比率の高いプロセスを「脳」として呼ぶことが日常会話には多いです。

 

 

闘いのきっかけ

きっかけはいろいろあった。 、

直接なのは自己が、家族が、友人たちが苦しんでいるからだ。

抗がん剤を含めた治療法を勧める医師の考え方や、心臓の手術を勧める医師の手管や、うつ病に22種類の薬を服用させる医師を主治医にした同級生や、ワクチンの疑惑や、白血病で死んだ友人や、植物人間になった友人や、クモ膜下出血で死んだ友人など身の回りに生死に関わることが次々と起きてきたからだ。

また間接的には欧米の植民地政策で行われたきた内容とそれと闘ってきた人々の歴史だ。

理性を振りかざした支配者に抵抗してきた試行錯誤の必死の試みの積み重ねだ。

彼らの負け戦を無駄にはできない。

そこに突破口を見せてくれたのだから。

 

体を殺している実例  

体をリラックスさせない脳の働きがあります。そのように常に脳が活動しているように仕向けているものとは何なんでしょう?

いかに脳が体を痛めつけているかという実例は、生活の中に溢れています。例えば。

 

食事やダイエット 太っている人や痩せたい人やグルメや美味しい物

体の動かし方   マラソン参加 ボディビル 部屋に閉じこもる

不安 恐怖    脅かす    学歴、就職、仕事、保険、  

面白いこと    テレビや漫画やゲームに夢中 ゲームは自主性も加わるが籠の中

五感に刺激    音楽、香り、アート、イメージ、意識

知識       新しい知識、分類して統合する 辞書 脳の立場からの定義ばかり 意志 本能、宇宙

性愛       脳に操られた快感 ビデオ マスターベーション 二次元 どれも想定内の脳の管理の下

違う心の二つが一つになることがない 

自分の描いたシミュレーションが再現できるかどうかが大切になっている 

ギャルゲーみたいに役割がわかっているんだったら生身と付き合ってもいいんじゃないかな

         セックスに嫌悪感を持つ30%の草食系のみなさん。 

病気    パニック障害  精神病

より良いものへの渇望  

 

 

脳の弱点と対処法

脳はたしかに意識の司令塔なんだけど、実は単純で案外とおバカさんのところがあります。

わりと脳は疲れやすいので、疲れさせて機能させなくするのもいい方法です。

また脳は裸の王様なので、褒めていると調子に乗ってくれるので、このあたりから攻めて行くのもいいでしょう。

脳はコントロールできないことやわからないことが苦手なので、形だけでも王様でいられれば満足してくれます。

そこで全てを支配させているように思わせて、気持ちよくさせます。そうすると脳は緊張して交感神経で体を支配することをやめて、活動を抑えて副交感神経が働き、体をリラックスさせます。具体的には血管が拡張し、血圧が下がり、呼吸が深くなり、脈拍が少なくなります。

そこで、一番のおすすめは呼吸法と体操かな

 

この大脳皮質はガンにも似ていて、どちらも体にとってはいいものではない。意識とは緊急事態用の秘密兵器なんです。できる限り意識は使わない方が、体にとってはいいんです。困ったときだけに意識が現れるのがサバイバルの鉄則です。無意識が常態で意識は非常事態です。無意識が海で、意識は潮が引いた時にだけ現れる浅瀬でしかありません。

ガンのように、脳もあんまり頑張っちゃうと自分の体を壊して、自分自身も死ぬことになってしまいます、だって脳だって体の一部なんだから。

 

その他には対処法ではなく、原因を知って逃れる方法があります。

ずばり脳を使わせないように行動することです。

 

脳は大脳皮質が使えない「体感」には弱いです。

体感には他の人のことを理解するためにも、自分で体験することで感性の幅と深さを広げることができます。

また自然の中で体験を増やすためには、心を不快にさせないために、脳が嫌いな、蚊や湿度や暑さや寒さや汚れや混沌に対して、それらから身を守る方法を覚え、そしてなれることが必要です。これも修行の一つです。

 

また変性意識状態、トランスになることよって、大脳皮質がいつものように機能できなるので、この間に、今までの分類、比較、理由付け、分析、推論、理想、統合という大脳の得意な世界から抜け出して、モノを直観でとらえる、という体験を積み重ねることができます。体感は大脳なしでできるので、裸の王様はびっくりしちゃいます。

そして真打は瞑想。 これをやられると脳は本当に参っちゃいます。正直な子供が王様ってマントの下はなんにも着ていないんだね、といわれまちゃいますから。ただ顔を真っ赤にして脳は下を向くしかありません。

 

時代の変化

昔は人間は自然の一部であった。だから 嘘をつくな。盗むな。怠けるな。でよかった。

インカ帝国のケチュア語では、 Ama llulla. Ama suwa. Ama qella.です。

 

しかし、ヨーロッパの宣教師にインカが征服された後は、「嘘をつけ、盗め、怠けろ」で、体は頭に対抗した。

だがウイルスに犯された欧米人の支配下では、ケチュア族も脳の側につくように教育された。今ではウイルスにやられたのは欧米人だけではなく、アフリカ、中近東、アジア、南米の全世界だ。特に都市に憧れたり、育った者や、教育を受けたものがひどくなってしまった。自分たちが正しいと思うユートピアのためならば、他の人を平気で教育という名前の洗脳、そして正義という名前の殺戮を胸を張り誇りを持って喜びながらするようになってしまいました。理性の宣教師が新大陸に来てから、もう500年が過ぎた。

今はどうなのか?

体の声に嘘をつくな、体のメッセージを盗むな、体のつながりを怠けるな。

そして時々、考えるのをやめて、ボーとしよう。

雲に、草に、雨に、月に、星に身をゆだねてみよう。

 

学ぶこと

学ぶことは単純なことです、脳の限界です。

理性の限界と言ってもいいです。意識の限界といってもいいです。言葉の限界でも。

理性は何ができて何ができないのか?

できることは大事にして、できないことを理性にお願いするのはやめましょう。

実は理性ができることはそれほど多くはありません。私たちの生活はほとんどが無意識で成り立っています。

腸の蠕動も心肺の脈動も眼の瞬きもアクビの伸びもどれも無意識です。

理性ができることは、分割すること、推論すること、そして大脳自身の保身を考えることです。

脳が有利になるためには自由や平和や平等の状況が都合がよく心地よいのです。

実際の自然の中にはそんなものはないので、理性の言うことをそれほど聞くことはありません。

それよりも大切なのは周りの人やグループや環境という自然に同化する行為です。自分が他者と一緒になれば、嫌でも外に対して親切になるでしょう?

他者が自分になるんだから。異身同心になってしまいます。 

We are many but One.です。

そして次はすべてのものが繋がっている感覚を取り戻すことです。そうすれば他を蔑ろにすることはなくります、だって他が自分と繋がっているんですから。全部がつながると他人も自分も宇宙の一部となってしまいます。すると、他と戦うことが自分を傷つけることになっちまいますよね。

こういう感覚を得ることができるようになると、理性がいう形だけの平和や平等はいらなくなります。

理性や理想とは、生命体の経験が脳に残した前世代からのタンパク質の組み合わせ(メッセージ)なのかもしれません。平和はあるんだよ、って。だからメッセージを受けたのならばそこで踏みとどまっていないで、次に必要なのは行動です。世の中を平和にしよう、みたいな頭だけのスローガンじゃないですよ。そっちはスローガンのために他者を踏みにじることを厭わない人類史の方ですよ。

また智性という他者の痛みを共有することから始めないニューエイジやスピリチュアルや神秘主義でもないですよ。

異身同心へのアプローチの仕方のキーワードは、「他者」と「体」と「相反一致」です。

人間社会には山登りや森林や合気道やタンゴや気功などの伝統があるので、まさか大脳を優先する考え方がこれほど力を持ってメジャーになるとは、大脳自身も予測していなかったかもしれません。

いまでは理性によって社会だけではなく自分の体さえも殺されてしまう時代が始まってしまいました。

ですから、やたら理性やユートピアを語る人がいれば少し距離を置けばいいでしょう。

後はいらぬ心配は要りません。

雲を見て、種の根が伸びるのを見て、笑って暮らしましょう。

その方が理性は不安から解放されて、ゆったりと働いて心も体もそして理性自身も喜びますよ。

こうやって今日も新たに生きていくのがこれまで闘ってきた先輩からの教えです。

 

朗報

人類共通の闘う相手ができたというのは、これは良き事である。

敵の敵は味方であるので、だれでも共通してシェアできるのは楽しい。

日本人も韓国人も中国人もオリエンタルだ。これでいいのだ。

韓国人も中国人も憲法で日本からの独立を謳っているので、一心同体にはなれない隣人の掟があることには変わらないが、共通の敵があるのは嬉しいことだ。

共生のコツは、違いではなく共通点にスポットライトを当てる時間をほんの少し増やすだけでいいんだ。

同じ二つの目と一つの鼻を持っている。

 

参考資料

 

ガンジーの独立運動

暴力に対して、無抵抗、非協力、不服従

いっさいの存在に害を与えないこと

私の断食はたとえば、目と同じくらいに私には必要なのです。目が外の世界に対するように、断食は内なる世界に対するものなのです。  

ガンジー自伝 蠟山芳郎訳

 

アーユルヴェーダ伝承医学は、人体を生命の総体としてとらえ、本来誰にもその人の自然治療力がそなわっているのだという概念を持つ。

未病のときに、その人の心身を調え直すのが主眼

アーユル 生命 ヴェーダ 知恵 紀元前8世紀に体系化

 

大学で習う医学は人体は常に悪いものをかかえた物質で、悪い部分を切除し、命をテクニックによってつくりかえようとする。

 

林住期

半ば世俗にあって仕事を続け、半ばを巡礼についやし、林に入って瞑想する。