居間    五の話

 

人っていろんな姿を持っていて面白よね。

都会と街と田舎と山では同じ人なのに考えることが違うと思うんだ。

前に言っていたよね、もう日本はどこに行っても同じだって。山にいっても海にいってもって。

どこも同じ店があるし、やってることも変わんないって。たしかにコンビニなんかでも似たようなマニュアルで働いているんだと思う。 でもお客さんがどうやって店に来るかで働いている人は無意識に言葉も考え方も行動も変わっちゃうんだと思う。

例えば都会ナンバーの車で来るとするでしょう。ナンバー見なくても車種や、色や、駐車の仕方でわかっちゃうんだよね。 すると言葉は自然と標準語になるし、なんとなく取り繕っちゃうんだよね、それが自然で相応しいから。

次に地元ナンバーの車の人が来るでしょう。 そうしたら地元のアクセントになるし、近くの道の工事現場の話や、町のイベントの話がでてきちゃう。

それから歩いてきた人がいるでしょう、そうしたら季節の話や野菜や魚や猪の話になっちゃうんだよね。

それに無駄にコストが高いコンビニなんかに来ない友人には仕事の後に訪ねていっていろいろ話すんだ、当たり前のように。 そん時はいってることとやってることが都会とあんまり違うんでびっくりしちゃうと思うよ。

そうそう、前に駅前での挨拶の話してたよね。 おはよう、って声をかけても返事をしない人が増えてきたって。 まだ暗いうちの4時ぐらいだったら、怖がっちゃうかもしれないし、日が出てきた6時ごろなら、おはようって返してくれ人が多くなってくるし、8時ごろだったら忙しくてこちらを振り向いてもくれない。 同じ人でもこれぐらい時間によって、態度が変わってくるのが普通だと思う。

 

去年、たかじんの番組の話をしていたよね、東京ではやってないけど、大阪のテレビは面白いって。うん、確かにそう思う。あれは面白いよね。 でもやっぱりキー局でしないんだ、どうしても。 出演している人も作っている人も当然その中でできるベストをつくしているから面白い、でもやっぱりキー局の世界なんだ。近頃のインターネットテレビはもう少し踏み込めるし、ラジオも深夜になればだいぶ突っ込めるし、本屋には絶対に置いていない本は楽しませてくれるし、信頼できる友人の話には体が震えることがある。テレビというのはスポンサーがお金を出してしか成り立たない世界だから、彼らの気分を害さないことから始まるしかなく、たてまえのことしかいっちゃいけない場所なんだ、だからそこにタレントが言ってもいい本音しか言えないないんだ。どこまで突っ込めるかはそのタレントの腕次第。殆どのことを言えないだけにね。

親父は曾父からみれば孫だし、祖父から見れば息子だし、妻から見れば夫だし、俺から見れば親父だし、パチャから見ればジィだ。 立場によって言うこともする事も変わってくる、中は一緒だけどさ。

いろいろな姿が一つの体の中に存在する。たくさんの層があってはじめて、一つのショートケーキみたいな。どの層も大切な一部。

たとえが良くないかもねね、だったら代わりになにかいいのを考えてね。そしてまた話そう。

 

この世は一つで、One Loveで、神で、無で、全てなんだけど、言葉をつかった途端に、なんでも分けなくてはいけなくなってしまう。 もし昼と言えば、昼じゃないもの、例えば朝や夕方や夜などと分けられる。 でもその時にわかりやすいように、一本の線を引くことが多いのだけど、そうすると昼の反対語は夜になる。一本の線を引くことによって、その他の朝や夕が見えなくなってしまう。残るのは対照的な昼と夜だから、お互いに相矛盾しているように見えて、この二つの共通点が見えてこない。 だからここで2分法というやり方が出てきて、一本線を引いちゃって、この線より向こうは嫌いと簡単に言っちゃうんだよね。

反対意見だから丁度バランスが取れていいとかおもう人もいるけれど、極端から極端に意見が分かれても、不自然な妥協策ぐらいしかでてこないから。

一日からみれば昼も夜もあるから、相反 するもの一致 coincidentia oppositorumということで二つを並べることで、一日を表現するんだけど、一日という考えがわからない人によっては昼と夜は相反していて、矛盾しているからそれが一緒だといわれてもわかんね、ということになってします。

 

そこでもう一本の線をひてみる。そうすると4つの区分にあるから、昼と夜以外にも間の朝や夕という言葉が出てくる。 この二つの線の交わるところはブラックホールというか全てを持ったからこそ静かに見えるエネルギーの塊の「空」がいる。力ある全ての色を塗ったら黒くなっちゃうみたいなもんかな。

それとも4枚の便箋に一つの封筒かな。

これで全部の5つ。

こうやってものを見たり話をしたりしたら、二分法で切り捨てたり、言葉でこぼれていってしまうものにも少しは気をくばりながら生きていけるんじゃないかな。単純に善と悪や、光と闇や、淨と穢や、正や否で区切るのを、信じないで、仮にそうしているだけ、と思ってくれるんじゃないかな。

 

空間と時間と美学

 

 

 

 

 

 

 

ヒトの一生の視点

 

 

区分期

細胞数

アーシュラマ

1と2

生活

他との繋

哲学

美学

観点

主要基準

幼児期

2→

学生期

1→2

経験

共感

カオス

成長

主観

感情

青年期

60

家住期

論理

言葉

二元論

正義

客観重視

理性

壮年期

60

林棲期

2→1

術・道

陰陽一致

相反一致

主観=客観

智性

老年期

60兆→

遊行期

ボケ

非分化

一元論

往生

主客交代

老人力

生前死後

0

死去

1も2も

 

 

空論

再生

大きなもの

 

 

 

時間と空間のシンボル

 

 

 

 

  空間

  時間

  自然

  

  

身体

  美学

   周期

  T

  /沙漠

  前史

  厳格

  

  

 腸

  叡知

 10億年

  U

  

 縄文

 力強

  

  青年

心臓

  共感

  50年

  V

  郊外

  江戸

  恩恵

  

  

辺縁系

  豊饒

   1年

  W

  都市

  近代

  去勢

  水

  乙女

大脳皮質

  /

  1秒

  X

中心・周縁

   今

  存在

  

  

細胞

 いのち

   瞬間

 

 

  テーマと建築物

 

 

 

テーマ

 

特徴

 

建築

T

 

Meditaion

心と精神をオープンな状態に保つ

瞑想院

あずまや

U

 

Initiation

森の思想を身につける

森の整備 クラフト サバイバル教室  治癒  

竪穴式住居

 

V

 

Cultivation

大地と暮らし周期性を体感する

自然農法による農業体験、医食同源 食堂

江戸時代の農家

 

W

 

Economy

自然のシステムと力の利用法を学ぶ

ソフトエネルギー 旅行代理店

エコハウス